——あれは、そう。なんてことのない一日だったはずなんだ。
「よっしゃあ! 全クリだー!」
最新作のレジェアルを堪能し、余韻に浸りながらプレイヤーキャラを動かすと始まりの浜に辿り着いていた。
「良いよなあ。俺もこんな風にポケモン世界に転生してみたいよ」
正確には転移か? などと思う余裕は無かった。呟いた瞬間に突如として俺の目の前に金色の輪っかが出現し、禍々しい闇が広がっていたからだ。
「な、なんだ?」
ウッヒョーといった浮かれた気持ちは出てこなかった。ただ急な事態に理解が及ばぬまま、魅入られるように手が伸びていた。怖いもの見たさというやつだったんだろうか。
「うわあああっ!?」
抗いようのない力に引き込まれてしまい、どうやら気を失ってしまったようだ。やがて目が覚めると……
「ポケモンになったり……はしてないか」
幸か不幸か姿や格好に変化は無かった。続いて周りを見渡してみると、目の前にある街でポケモンを連れ歩く人々の姿が見えた。信じ難いが、本当にポケモン世界に来てしまったらしい。
「アルセウスの仕業かな?」
とりあえず手持ちにアルセウスフォンは無いし、「すべてのポケモンとであえ」とも言われていない。状況を整理するためにもどうあれ街に向かうべきだろう。そうしたいんだけどな。
「なんだこの草むらは!」
遮るように草むらが生い茂っていた。驚くほど隙間なく。ポケモンを持たずに草むらに入る危険性はシリーズで一貫して言われてきたことだ。だというのに、降り立った地点が草むらに囲まれているのだ。どうしろと?
「始まりの浜で初手ラベン博士引きとは大違いだよ!」
これが主人公とそうでない者の差か……! やむを得ずこうして回想しつつ状況を整理してトレーナーを待っていたんだけど、一向に来ない。それどころか……
「日が沈んだらまずいよな」
そうこうするうちに太陽が地平線に差し掛かっていた。このまま夜を迎えてしまうと危険というだけでなく、情報収集する前に不審者扱いってことも。俺は何もせずいるよりは一歩踏み出すべきだと感じた。
「ええいままよっ!」
「どしゃしゃ」
「一歩エンカ!?」
人はそれを蛮勇と言うのかもしれない。飛び出してきたのは先端が茶色の大きな耳を持つウサギのようなポケモン……ホルビーか。待てよ? 見知らぬ場所かと思ったけど、ここはもしかしてカロス地方なのか? そう考えれば目の前にある街はメイスイタウン。序盤の街だな。となればレベルは低いはず。逃げ切れるか!?
「ぐっ……!」
しかし逃げられなかった! 背中を向けて全力疾走を始めたが泥を叩きつけられてしまった。「にげる」コマンド失敗するとこうなるのかよ! 息つく間も無く泥が投げつけられる。リアクションすら許されないのかよ。レジェアルを思い出せ。野生のポケモンに襲われたら回避だ!
「かはっ」
驚いたせいで躱しきれずに懐にもらってしまった。回避中は無敵になるって聞いたんですけど。さすがに適用されなかったか。たった二発の「どろかけ」だが身体が重たくなっていく。ま、まずいな。視界が霞んできた。望まなきゃ良かったのか? ポケモン世界の転生なんて……。やがて目の前が真っ暗になっ——
「……いや……!」
俺は……ポケモンが好きだ! だからそんな後悔はしない。よく見るんだ。ホルビーは耳を使って掘削を行う。耳で土を抉ってこっちに飛ばしてくるってことは。……今だ!
「はっ!」
「……!」
ビンゴ! 抉る時に視線が地面に向くから、俺がその時点でいた場所目掛けて飛ばしてきた。タイミングをよく見れば躱せる。ん?
「しゃー……!」
一辺倒な攻めからパターンが変わった。なんだ? 「にらみつける」か? いやぼうぎょが下がったような感覚は無いし、集中力を高めているような。「きあいだめ」? いや、違う。あれは——
「『とぎすます』か!?」
次に出す技が確定で急所になる技……いや、怖! なんだ確定で急所って。しかも地面を掘るために横に揃えていた足がこっちに向いている。躱され始めた「どろかけ」を嫌ったのか。まずい。このままじゃ……! 視線を向けたまま後退りすると、足に何かが当たった。藁にも縋る気持ちで草むらに隠れたそれを拾い上げる。
「モンスターボール!?」
誰かが外して草むらに紛れたのか? なんにせよ有難い。とにかくこれで……!? うっ。ダメージと泥のせいで狙いが定まらない。ボールはこれ一個。外した時点で終わり……! そんな躊躇すら許されないのだろう。ホルビーがすぐさま「たいあたり」を仕掛けてきた。
「南無三っ!」
一つだけ確実に当てる方法があった。「とぎすます」は確定で急所に当たるようになる。逆を言えば急所の前にボールを出しておけば、あちらから飛び込んで来てくれる。そこまでは良かったのだが……
「!?!?!?」
世の中には慣性というものがあるわけで。ホルビーはボールに入っていったため直撃こそしなかったものの、想像を絶する痛みが俺を襲った。察してくれ。
「大丈夫!? ポケモンに襲われてなかった?」
「え……」
ボールがカチッという音を鳴らしたタイミングとほぼ同じだっただろうか。マフォクシーと共に、箒に乗った女性が空から降りてきた。
「セレ……ナ……?」
「えっ!? あ、ちょっと……!」
大人びたセレナのような女性が駆け付けてくると、安堵感と疲労が重なって俺は意識を手放したのだった。
——目が覚めると天井の明かりがぼんやりと映し出された。ああ、良い夢を見たな。ポケモン世界に転生する夢。大変だったけど、楽しかったような。
「どしゃ!」
「うわあ!?」
現実でした。ホルビーが顔を覗き込んで来て思わず身を翻すとベッドから落ちてしまった。いてて……ん? ここは?
「あ、起きたみたいね。具合はどう?」
「ええと?」
「ああ。ここは私の実家よ。久しぶりに帰省したの」
意識を手放す前に映った女性が部屋を懐かしそうに見ながら部屋に入ると、状況を説明してくれる。そういうことか。
「助けてくれたんですね。ありがとうございます」
「どういたしまして。見た感じ大丈夫そうね。ビックリしたのよ? マフォクシーに頼んでハクダンの森を抜けたら、トレーナーがポケモンに襲われてるんだもの。何があったの?」
「ああ、その。こいつと
「え……?」
まずいか? 怪訝そうな目で見られている。しかしな。助けてもらったのに誤魔化すのも悪いし、何よりこの世界の常識にあった事情を即興で作り上げるなんて無理難題もいいところだしな。
「あなた他にポケモンボールは持ってないわよね?」
ポケモンボール。ポケモンが入った状態のボールのことか。
「そうですね。持ってないです」
「へえ? よく無事に捕まえられたわね」
「ああ。それは……」
ホルビーの特徴を把握していたことがきっかけになったと伝えると、付近のポケモンの知識を尋ねられた。……? てっきりポケモンを持たずに草むらに入った非常識さを非難されるかと思ったんだが。
「あなたポケモンの研究でもしているの? 博士のような知識量じゃない!」
「それだけが取り柄で」
そうか。ゲームで得た知識はここで生き抜いていくために役立つかもしれないな。
「ふむふむ。あ、そうだ。よく私のこと知ってたわね?」
「……!?」
ということは……本当にセレナなのか! どう見ても大人の年齢だし、XYの時系列から何年か経っているってことか。久しぶりに帰省したらしいし。ゲームでも主人公は美男美女だったけど、実際はそれ以上に綺麗で思わず照れてしまう。
「フレア団の一件が終わった後のパレードで……。すいません。呼び捨てにしちゃって」
「気にしないわよ。それより覚えててくれたのね! 私も負けないくらい有名になったのかな?」
さすがにゲームで知りましたとは言えないからな。負けないくらいってことはライバルの方か。にしてもゲームでのセレナって同年代の中でも大人っぽい印象だったけど、思ったより快活なんだな。画面の中の存在だった彼女が動く様は、この世界に飛び込んだことの現実味を突き付けてきた。正直、飛び上がりたいくらい嬉しい。
「なんにせよ知っててくれるなら話は早いわ。折りいって相談があるんだけど……」
「なんですか?」
「私と一緒にミアレシティの異変を調査してもらえないかしら? 危険な任務だけど、その知識と……ポケモンと生身で戦える冷静さがあれば」
恩もあるし手伝いたいが……俺自身の今後のこともあるし、即決せずに深掘りするか。
「具体的にどんな異変が?」
「私も話を聞いただけなんだけど、トレーナーのいない暴走メガシンカポケモンが暴れているらしいの」
「それはまた物騒な話ですね」
数年前に最終兵器が出現したばかりなのに、また事件が起きているのか。ルビサファリメイクもそんな感じだったし、そういうものなのか?
「メガシンカにはキーストーンやメガストーンが必須のはずでは?」
「そうなのよ。それなのにメガシンカできるなんて前例がない現象だから、私も解明する自信がなくて。カルムならと思って来たのに、いないし……」
うーん。信頼を感じるな。さすが主人公。しかしその代わりに頼りにされるってのも不思議なものだな。気分だけなら主人公だ。どうやったら元の世界に帰れるか分からないし、それに……。
「いいですよ。自分で良ければ」
そう答えると、不安げな表情から一転して笑みを見せてくれた。まさしく花が咲くような笑いに釣られて笑ってしまう。思えば知らない世界に急に連れて来られたんだ。知っている存在が味方になってくれた安心感があった。
「本当!? ありがとう! えーと名前は……」
「カイトって言います」
「良い名前ね! これからよろしく」
「こちらこそ」
もし俺がこの世界に来たことに意味があるとすれば、今起きている異変は無関係ではないはずだ。その先に可能性があるなら、今は前に進もう。するとセレナさんがホルビーに目をやった。
「ふふっ! ホルビーともすっかり仲良しね」
体当たり精神でぶつかったからか、ホルビーはすっかり俺に懐いていた。相対した時は恐ろしさすら覚えたが、こうして見ると愛らしい。いいかもな。御三家以外から始まる物語ってのも。
「ホルビーもこれからよろしくな」
「どしゃしゃっ!」
「ぐへっ」
「大丈夫!?」
本当に「たいあたり」をかまされた。タイプ一致技だけにダメージもなかなかのものだ。
「は、ははっ。な……なんとか」
「タフね! ますます頼りになるわ」
セレナさんは何故か目を輝かせていた。特性「てんねん」かな?
「わざわざ帰省したのはこの事件を調査するためですか?」
「もちろん! なんたって私、カロスチャンピオンだからね!」
「へえ。……ん?」
チャンピオン? 数年後にはライバルに譲ったってことなのかな。
「あらもう行くの? ならサイホーンで連れていってあげるわね」
「お願いママ!」
「えっ!? サイホーンレーサーのサキ……さん!?」
「やっぱりママには敵わないな」
「何言ってるの。今はもうあなたの方が有名よ」
…………。主人公だこの人ー!?
「よーし! じゃあ行くわよ。準備はいいわね!」
「ははっ。なんだか楽しそうですね」
「あなたこそ!」
口角が知らず知らずのうちに上がっていたみたいだ。俺達は風を切り裂きながら一番道路を抜けていく。この地に降り立ってまだ分からないことだらけだが、数奇な運命の巡り合わせに、まだ見ぬ冒険への期待が募っていった——。