うちはイタチ…再び陰として生きる   作:ペリカン96号

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第31話 困惑

 

『イータが意識を取り戻した』

 

アルファ、ベータ、ガンマがこの報告を受けたのは、森での調査から戻ってきてすぐのことだった。

 

「イータの意識が戻ったというのは本当?」

 

「は、はい…」

 

足早にイータの研究室に向かいながらそう呟くアルファは、返ってきたシェリーの言葉に怪訝な表情を浮かべる。

 

アルファと同様に怪訝さを有したベータが、代わりを担うようにして口を開く。

 

「…どうしたの?」

 

イータが目覚め、一番に歓喜と安心を抱くであろう彼女が、どこか不安そうな表情を浮かべていたからだ。

 

「えっと…意識は戻ったのですが…。意思の疎通が難しくて…」

 

「…どういうこと?」

 

シェリーの発言に、些少の焦りをもって、ガンマが答える。

 

イータが意識を失ったのは、イタチの過去を覗き見たことが原因であると、ガンマは明確に結論付けていた。

 

イタチの過去と真実を聞く前は、何かしらのアーティファクトの影響を疑ったのだが、今はその可能性をほぼ捨てきっている。

 

イタチの過去を見たということは、つまり自分たちがシャドウから聞いた話と同じ内容のものであったことに他ならない。

 

いや、話を聞いただけの自分たちよりも、実際に映像として、イタチの感情と様相を伴いながら見て、聞いたのであれば、その驚きと困惑、抱いた感情は天と地ほどの差があると言っていいだろう。

 

今なら、なぜ彼女が発狂したのかが理解できる。

 

シャドウの語りとして聞いただけの自分、いや自分たちですら、発狂しかけていたのだから……。

 

…ガンマの問いかけにシェリーが答える前に、彼女たちはイータの研究室前の扉へと到着する。

 

本来であれば、ノックの上に入室する旨を告げるのが普通だが、今はあえてそれを行わずに研究室へと足を踏み入れる。

 

数歩進んだ先で、アルファはピタッと足を止め、目を見開く。

 

「…ッ。イータ……」

 

呟くようにしてアルファが声を発すると、ベータとガンマも習って足を止める。

 

イータは、先ほどまで横になっていたであろうソファに、ちょこんと腰かけている。

 

なるほど、確かに意識は取り戻しているようだ。

 

眼は開き、呼吸もしている。

 

だが、その視線はどこか虚空を見つめており、視点は定まってはいない。

 

「…目覚めてからというもの、ずっとこんな感じで…ッ」

 

シェリーの言葉を聞いてか知らずか、アルファは震える身体に喝を入れ、ゆっくりとイータへ近づき、その肩を揺らす。

 

「イータ…イータ!」

 

少し声を大にして声を掛けるが、イータの頭と身体はプラプラと揺れるだけで、大した反応はない。

 

「イータ!聞こえてる⁉」

 

「しっかりして!」

 

続けてベータとガンマが同じように声を掛けるが、それでもイータの目は一切の動きを見せない。

 

「…イータさん…ッ」

 

同じ七陰のメンバーに声を掛けられても、まるで蛻の殻のような様相を見せるイータに、シェリーは思わず目に涙を浮かべる。

 

少しして、アルファが苦悶の表情を見せながら、ゆっくりと口を開く。

 

「もし…もし、イータが見たイタチの記憶が…私たちがシャドウから聞いたものであったのだとしたら……」

 

アルファの詰まる様な言葉に、ベータも思わず唇を震わせる。

 

「……このような状況になっているのも…納得できます……ッ」

 

アルファとベータ、そして黙りこくったまま両目を細めるガンマの3人は、視線を合わせずとも、それぞれの考えが一致したようだ。

 

「そ、それって…一体どういう……?」

 

この場で唯一、いや、シャドウガーデンの幹部として位置づけられている者の中で唯一、イタチの過去を知りえていないシェリーが、おずおずと言った様子を見せる。

 

「…シェリー、あなたにも……、後で伝える」

 

伝えるかどうか迷ったのだろうか…。

 

一瞬言葉を詰まらせたアルファであったが、イータが正常に戻れば、彼女から伝え聞くことになるだろうと予測し、言い切って見せる。

 

「は、はい…」

 

アルファの尋常ならざる様相に、些少の不満を有していたシェリーも、納得せざるを得ないと言った様子で返答する。

 

「それで、アルファ様…いかがいたしましょう…?」

 

イータの様相、イタチの失踪……、今の彼女たちには、大きく分けて二つの大きな課題がある。

 

「…まず、イータの件に関しては、引き続きシェリーが傍で見守りを…。あと、イプシロンをつけなさい…。彼女なら、イータのことをよくわかっているでしょうから…」

 

イプシロンとイータの仲は良い。

 

研究に没頭し、身の回りのことに意識が向かないイータを、まるで妹を見るかのようにして、イプシロンは世話を焼いているのだ。

 

「承知いたしました…。シェリー、イプシロンが来るまで、一人で大丈夫かしら?」

 

「は、はい!大丈夫です!」

 

ベータの問いに、シェリーは大きく胸を張る。

 

「では、イタチ様の方は……?」

 

もう一つの課題に、ガンマが切り出す。

 

「…引き続き捜索を続ける…。わかっているとは思うけど、最優先事項よ…。ベータもそちらに合流して…」

 

「承知いたしました…。あの、アルファ様…一つお願いがございます…」

 

アルファの指示に従いつつ、ベータは嘆願に似た様相をみせる。

 

「…?何かしら…?」

 

「はい…。あの、イタチ様の真実を、『復讐と英雄』の続編として、執筆をしてもよろしいでしょうか?」

 

ベータの言葉に、アルファは大きく目を見開く。

 

そして、視線を虚空へと外した後、神妙な面持ちになる。

 

「…そうね…。世間には、イタチの話であると知れ渡っているわけではないけれど、真実を知った今、あの物語が独り歩きするのは見過ごせないわね…」

 

「はい…。例え世の中が知らずとも、兄のことを、イタチ様のことを悪く言われるのは……ッ」

 

執筆した本人であるベータは、大きく顔を歪ませる。

 

少し前まで、『最悪の兄』と罵っていた手前、その顔の歪みはとてつもないものになっている。

 

もちろん、あくまで物語の登場人物に対しての感情であったのだが、あれが実話であり、その兄がイタチであることを知った彼女にとっては看過できないものになった。

 

…しかも裏にとんでもない真実があったともなれば、なおさらである。

 

ベータは、続編として真実を綴るべきであると、自身だけでなく、全てのシャドウガーデン幹部が感じていると、確信に似た思いを抱いていた。

 

それを証拠つけるかのように、ガンマも何も言わずにただ頷いている。

 

「…執筆は構わないわ…。でも、出版はイタチの許可を取ってからよ…。そもそも私たちは、『復讐と英雄』を世に広めたことに対する謝罪すら、彼にできていないのだから……」

 

「…ッ。承知、致しました」

 

ベータは、何かに気付いたように言葉を震わせる。

 

「…そうでしたわ…。まずは謝罪からしなくてはなりません…」

 

アルファの悲痛にも似た言葉に、ガンマはふっと視線を落とし込む。

 

「……でも、まずはイタチの捜索が第一よ…。私とガンマは、一度ミツゴシ本社に戻って、もう一度捜索案を精査するわ…。それと、666番、ローズ・オリアナについてだけど、彼女は……」

 

ベータとガンマは、真剣な面持ちでアルファの言葉を耳に入れる…。

 

…目の前で幾度も会話が繰り広げられているのであるが、やはりイータは、虚空を眺めているだけであった……。

 

 

 

 

 

 

イタチが記憶を喪失していると知ったクレア、アレクシア、ベアトリクスは、それぞれに行動を開始することになる。

 

まずクレアであるが、彼女はイタチが記憶を失ってしまったことに対して、それほど心配をしていなかった…。

 

いや、そう綴ると語弊があるかもしれない。

 

心配はしている、しているのだが……。

 

その根底には、『イタチなら何とかなるでしょ』という一種の圧倒的な信頼感があるのだ。

 

自身を遥かに超える力を有し、剰え『写輪眼』などという謎の瞳を見せられたことにより、彼女がイタチに抱く圧倒的な信頼は、更に確固たるものとなったのである。

 

イタチは放っておいても死なない。

 

その安心感は、逆に別の人物への不安材料にもなっている。

 

それはもちろん、弟のシドに対してである。

 

シドは、イタチほど…というか、自身と比べてもお話にならないくらい弱い。

 

つまり、放っておけば死んでしまう危険性すらあるのだ。

 

それに加えて、重度のブラコンという重ね技がある。

 

故にクレアは、シドの捜索のため、冬休みはまだ1週間ほどあったが、少し早めにアレクシアと共にミドガル王都へ向かうことにした…。

 

アレクシアは、シドを探すクレアと共に、ミドガル王都へと向かっているのだが、その目的は全く違う。

 

彼女の目的は、姉であるアイリスに、イタチの無事とローズの行方不明、そしてイタチが記憶を失っていることを報告するためであった。

 

さて、そんなクレア、アレクシアとは、目的どころか向かう場所も違う者がいる。

 

武神の名を冠する、ベアトリクスである。

 

彼女はイタチと共に、オリアナ王都へと足を向けた。

 

記憶のないイタチに、一応の信頼を勝ち取ったベアトリクスは、ラファエロとレイナから託された『イタチとローズを見つけ出して連れ帰る』という目的の半分を達したことで、戻ることを決めた。

 

もちろん、イタチからローズのことを聞きはしたが、記憶を失っているためにローズの名すら覚えていない状況であったため、一旦ローズの捜索を打ち切った。

 

ローズのことが心配ではないわけではない。

 

イタチの記憶が喪失しているという、大アクシデントが発生したためであった。

 

……ベアトリクスは、イタチを伴ってオリアナ王都へと帰還を果たすと、即座にラファエロとレイナへと報告に上がる。

 

…もちろん、イタチの記憶が喪失したことも含めて、である。

 

「き、記憶を失っているだと…ッ」

 

「…本当なのですか…イタチさん…ッ」

 

「はい…」

 

オリアナ王国の王と王妃である2人との関係性を聞かされたイタチは、短く答える。

 

「(…一国の王とその王妃も俺を知っているのであれば、ほぼ確実ということか…)」

 

イタチは、視線をゆっくりと外し、物耽る様な仕草を見せる。

 

『あなたはこの地で生きていた』

 

見知らぬ土地で、見知らぬ人々にそう告げられ、おいそれと信じる程、イタチは軽率ではない。

 

だが、隣にいるベアトリクスというエルフ族の女性に加え、ミドガル王国という国の第二王女アレクシア、そして弟バカで自身の弟子を名乗るクレア……。

 

イタチが意識を取り戻してから、この地で、世界で出会い、会話を交わした人物はその程度であるが、総じてイタチのことを認知しているのだ。

 

そして何より、興味深い情報が一つ……。

 

「…あなた方二人は、シスイと関りがあるとのことでしたが……」

 

「ああ、わしは命を助けられ、妻のレイナは幻術をかけられた……」

 

ラファエロの言葉に、イタチの中に疑問が宿る。

 

片や命を救い、片や幻術に嵌める……。

 

そのちぐはぐさが原因であった。

 

「……幻術…?」

 

イタチの抱いた疑問に気づいた様子で、ラファエロは言いにくそうに口を開く。

 

「先も話した通り、オリアナ王国はついこの間まで、内乱状態でな……。レイナは首謀者の一人である男に誑かされておった…。それを、シスイ殿が幻術を用いて救ってくれたのだ……」

 

なるほど、どうやら敵意での幻術ではなかったようだ…。

 

悪意ある者に利用されそうになっている王妃を救った…。

 

あのシスイならそう行動してもおかしくはないな…と、イタチはかつての友の顔と性格を思い出しながら、ふっと小さく笑う。

 

「…では、国王を救ったというのも…」

 

「ああ、その内乱が原因だ…。薬物によって正気を失っていた私を、シスイ殿が治療してくれた。その上で、彼の属するシャドウガーデンで匿ってもらっていたのだ」

 

「…そして、私があなた方の護衛を願い出て、ベアトリクスさんと共に、ラファエロ国王、そして娘さんであるローズ王女と、ここオリアナへ戻った…ということですか…」

 

先ほど、ラファエロから聞き及んだ話と繋がりを見せたことで、イタチは納得したような表情を見せる。

 

直後、それを真剣なものに変え、続けて口を開く。

 

「もう一つ…、私とシスイはどのような関係でしたか?」

 

「関係…?むぅ…表立って敵対はしていないが、味方というわけでもない…といったところか……」

 

唐突にイタチとシスイの関係性を問われたラファエロは、思い出すようにして顎に手を当てて答える。

 

「……そうですか…」

 

イタチは、どこか悲しそうなものを顔に浮かべる。

 

「…?いかがされましたか…?」

 

そんなイタチの様相を、物珍しそうに、しかし心配そうに、レイナが声を掛ける。

 

レイナの声掛けに反応を見せないイタチを見て、ベアトリクスが代わりに唇を割る。

 

「…イタチとシスイは、且つて親友と言えるほどの仲だったらしい…」

 

「「なっ⁉」」

 

ベアトリクスの言葉に、ラファエロとレイナは酷く狼狽して見せる。

 

「それは本当か⁉イタチ殿!」

 

「シスイ様と、イタチさんが…ッ!」

 

「はい…。ですが、どうやら今はそういう関係性ではないようですが…」

 

これまで聞き及んできた、シスイとの関係は、お世辞にも良好とはいいがたいものであった。

 

あれほどまでに心を通わせた親友であるシスイと、仲たがいを起こす理由などたった一つしかない……。

 

彼ならば理解してくれるだろう…、そう思ってはいたが、所詮それは自身の独りよがりであったのだと、イタチは胸を締め付けられるような感情を抱く。

 

「…何があったかはわからんが…シスイ殿とイタチ殿が親友であったとは……」

 

「………ッ」

 

ラファエロは心底驚いた様子で、レイナはどこか怯えた様子を見せる。

 

「…こうなったら、直接確かめるしかないか…」

 

イタチは、贖罪もこめて、小さくそう呟いた。

 

だが、その呟きに光の如く反応を示すものがいた。

 

「どういうことだ…?」

 

イタチへと身体をぐっと近づけ、ベアトリクスが顔を覗き込むようにして接近する。

 

一瞬、急激に距離を詰めてきたベアトリクスに身体を固めたイタチであったが、すぐにその言葉に反応して見せる。

 

「…シスイに会いに行く」

 

ラファエロとレイナは大きく目を見開いて固まるが、ベアトリクスは違った。

 

「ッ!ダメだ…危険すぎる…!」

 

まるで捉えた獲物を逃すまいといった様子で、イタチの両腕をばっと掴み、視線を鋭くさせる。

 

「…ベアトリクスさん」

 

その視線には、自身を本気で心配してくれているような感情が見え、イタチは思わず顔が綻びそうになる。

 

「…シスイに会いに行くということは、シャドウガーデンの元へと行くということだ…。忘れたのか…君はついこの間まで、奴らに捕らえられていたのだぞ…」

 

「ええ、わかっています…。ですが、シスイが生きているとわかった今、会わないわけにはいきません…」

 

ベアトリクスの心配に感謝を抱きながらも、イタチは自身の覚悟を曲げることはしない。

 

「…それに、彼との仲違いについては、粗方予想はついています」

 

「なに…?それは一体なんだ…?」

 

ベアトリクスの疑問に、イタチはスッと視線を反らして黙りこくる。

 

イタチへ言及しようと口を開こうとした瞬間、城内が騒がしさを見せる。

 

それを皆が察知した瞬間、衛兵の1人が落ち着きのない様子でイタチ達のいる一室へと入ってくる。

 

衛兵からの報告を受けたラファエロとレイナは酷く狼狽し、ベアトリクスも大きく目を見開くことになる……。

 

その報告は以下の通りであった……。

 

『ローズ王女が無事にお戻りになられました』

 

 

 

 

 

 

ローズがオリアナ王国に再び戻り、まず最初に顔を見せに行ったのは、父であるラファエロと母であるレイナであった。

 

両者とも涙を浮かべながら自身の無事を祝ってくれたことに、ローズは思わず破顔する。

 

だが、その喜びも束の間、シスイの正体とイタチの真実、そしてイタチの失踪を認知しているローズは、再び表情を暗くしてしまう。

 

そんな彼女の様相に、ラファエロはこれでもかと心配して見せる。

 

ラファエロの寄り添いに、ローズは小さく、「イタチさんが…」と小さく呟くに至る。

 

その呟きを聞いて、今度はラファエロとレイナが小難しそうな顔を浮かべる。

 

なぜ2人がそんな顔をするのかと疑問を抱いたローズであったが、耳に入ってきた声色に大きく目を見開く。

 

「君がローズ・オリアナか……」

 

「…ぇ…」

 

部屋にある一枚の窓……。

 

それを背に、見知った…、いや敬愛する男性が佇んでいた。

 

ローズは、身体を震わし、よろよろといった様子で足を踏み出す。

 

「イ、イタチ…さん…」

 

声を震わしながら自身の名を呟くローズを、イタチは表情を変えずに見つめる。

 

「…やはり君も、俺のことを…」

 

「イタチさんッ!!!」

 

イタチの言葉を最後まで聞くことなく、ローズはイタチに飛び掛かるようにして抱き着く。

 

「ッ!お、おい……」

 

殺意のない飛びつきであったため、イタチはあえてそれを受け止める。

 

ローズの顔は酷くゆがみ、目から、鼻から、口から色々なものがあふれ出す。

 

「イタチさん…!イタチさん!!よかった…!よかった!!」

 

ローズという名を持つ女性が、まるで幼子のように泣きじゃくっているのを、イタチは酷く困惑した様子で見つめる。

 

「とても心配しました…!でも、もう大丈夫です!!私がついています!!あなたのこれからは、私が支えます!!」

 

声を荒げながら、宣言にも似た言葉を言い放つローズに、イタチは大量の疑問符を頭に生みだす。

 

「君は一体……何を言っているんだ?」

 

イタチの言葉に、ローズは大きく息を吐き、潤んだ瞳でイタチの顔を見上げる。

 

その言葉を、意味をはき違えたローズは、イタチの胸に再度顔を埋める。

 

「…ッ!あなたの選択を、私は支持します…!たとえ、世界中があなたを否定しても…私は…ッ!」

 

再び声を荒げるローズに、イタチは戸惑いを見せる。

 

なぜイタチが戸惑っているのか、その理由を理解しているラファエロとレイナ、そしていつの間にか姿を現したベアトリクスは、何とも言えない表情をしている。

 

イタチが困ったような様子であることを察し、ラファエロがローズの肩に優しく手を添える。

 

「…?お父様…?」

 

突然肩に手を添えられたことで、ローズは再度イタチの胸元から顔を外し、首を傾げる。

 

「ローズよ…。落ち着いて聞くのだ…」

 

「……?」

 

父の含んだような言い方に、ローズは些少の目の見開きを見せる。

 

そんなローズの瞳をじっと捉えながら、ラファエロはゆっくりと口を開く。

 

「…イタチ殿は、記憶を失っている…」

 

「………ぇ………?」

 

父の言葉の意味が理解できず、ローズは酷く呆けたような声を漏らす。

 

「…この地でのことを…何一つ覚えていないようなのだ…」

 

「………」

 

大分遅れて、言葉の意味を悟ったローズは、非常にゆっくりとした動きでイタチの顔を捉える。

 

「……すまない…。君も俺と関りがあったことは聞き及んでいる……だが、覚えていなくてな」

 

「……うそ……」

 

ローズは、小鹿のように足を震わしながら、一歩、また一歩と後ろへ下がりを見せる。

 

ガタガタと歯を震わせながら、両手を口元に持っていくローズであったが、一抹の希望をもって声を荒げる。

 

「わ、私を盗賊から救ってくれたことも……、悪魔憑きから救ってくれたことも……、このオリアナ王国を救ってくれたことも……ッ」

 

「……すまない」

 

ラファエロとベアトリクスから聞き及んでいたために、知識としてはイタチの中にあれど、記憶としてはそれを有していないことに、イタチは小さく視線を落とす。

 

そんなイタチを見て、ローズは視界が大きく揺らぎ、意識を失いそうになるが、それをぐっとこらえて思考を働かせる。

 

「(ッ!まさか、アレクサンドリアから姿を消したのは…記憶を失っていたから…⁉)」

 

意識を失い、床に伏していたはずのイタチが突如として姿を消した理由に辿りついたローズは、酷く表情を歪ませる。

 

そんな考えに至っているとは露知らず、ベアトリクスはローズへと小さく語り掛ける。

 

「ローズ、ショックなのはわかる…。だが記憶は必ず戻るはずだ…。今は、シャドウガーデンの情報を集めて………」

 

ベアトリクスは、彼女が自身と同じ想いをイタチに抱いていると理解し、慰めるような言葉を掛ける。

 

だが、ローズには一切その言葉は届いてはいなかった。

 

彼女の中にあるのは、危機感と焦燥感だけであった。

 

そしてそれは、ローズにこの上ない冷静さを取り戻させる。

 

「…イタチさん…。イタチさんは、暫くここオリアナに…?」

 

「…ああ、そうだな……。そのつもりだ」

 

ローズの問いかけに、イタチはベアトリクスへと視線を移しながら言葉を発する。

 

ベアトリクスがスッと視線を鋭くさせたことで、イタチはそれに従うそぶりを見せるように言葉を結んだ。

 

「……わかりました…。あの、イタチさん…」

 

「……?」

 

ローズの迷うような素振りに、イタチは小さく目を細める。

 

「…私を、信じてください…。決して、悪いようには致しません」

 

「……あ、ああ…。わかった…」

 

ローズの決意に満ちた瞳に、イタチは思わず同意して見せる。

 

そして、ローズはばッとイタチに背を向け、足早にその場を立ち去ろうとする。

 

「ロ、ローズ…?」

 

先ほどまでイタチに縋り、泣きわめき、動揺しきっていた娘の変わりように、父であるラファエロは思わず狼狽えたような声を漏らす。

 

そんな父に気付き、ローズはふっと笑みを浮かべる。

 

「ご安心ください、お父様…。自室に戻るだけです…」

 

「そ、そうか…」

 

父の籠ったような返答を背中に受け、ローズはイタチ達の前を後にする。

 

…部屋を出た後のローズは、コツコツと足音を響かせながら、虚空に向かって呟く。

 

「…聞いていましたか?」

 

「ええ…」「うん…」

 

どうやら、虚空に呟いていたわけではないようだ。

 

漆黒を纏った女性が2人、ローズの前へと姿を現す。

 

「…聞いていた通りです」

 

「まさか、記憶を失っておられたとは…」

 

「シスイ様に限って…そんな……」

 

ローズの言葉に、前者は真面目な印象を、後者はどこか抜けたような印象を思わせる声を漏らす。

 

「……664番さん、665番さん…至急、ミドガルに向かい、このことをアルファ様に…」

 

「わかった…」

 

「666番ちゃんはどうするの…?」

 

ローズの提案に、664番は異議を申し立てることなく受け入れる。

 

対して、665番はローズを気遣うような言葉を投げる。

 

「…私は、イタチさんをお守りします…。記憶を失っている今、あの方を狙う輩が現れないとも限りません」

 

「…そうね…。なるべく早く、アルファ様に来て頂くように進言してみるわ」

 

「そうだねー…。それが一番いいかも…」

 

664番と665番はそう言い残し、一瞬で姿をかき消した。

 

それを察したローズは、数歩歩いたのち、ゆっくりと足を止める。

 

「…イタチさん…。願わくば、あの地獄のような記憶も……ッ」

 

拳を強く握りこみ、歯をギリッと強く噛む。

 

力を込めた顔には、一筋の涙が伝っていた……。

 

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