【完結済・続編計画中】されど悪役令嬢は斬り結ぶ 作:野太刀あきら
何十周ものループを経て、私はようやく“剣の頂”に手をかけていた。
セドリックの教えを反芻し、剣以外のすべてを捨てた。
欲も、恐れも、そして涙すらも。
ただひとつ――“剣”だけを極めるために。
その果てに至った境地が、いまここで試される。
再び、私は王宮の大広間に立っていた。
見慣れた光景。だが今日は違う。
これは“断罪”ではない。
――運命を覆すための決戦なのだ。
「リリアナ・フォン・エーデルハルト、今日この場をもって貴様との婚約を破棄する!」
アレクシスの声が響く。
高く、よく通る声。
広間を埋め尽くす貴族たちがざわめき、冷たい視線が一斉に私へと注がれる。
けれど、私はもう怯えなかった。
手の中には一本の剣がある。
この運命を断ち切るために、幾度の死を越えて辿り着いた、私の剣が。
アレクシスが私を見下ろす。
あの頃と同じ、冷たい光を宿した瞳。
「私に剣を向けるというのか。
……この一月の間に何を仕込んできたかは知らんが、その立ち居振る舞いだけでわかるぞ」
その言葉に、私は静かに微笑んだ。
「ええ。よくおわかりですわね」
声には迷いがなかった。
もはや恐怖も焦燥もない。
ただ、己の剣を信じるのみ。
(さすがです、アレクシス。
もっとも、私が仕込んできたのは“一月”どころの話ではありませんけれども)
師を得て、己の剣を極めた今だからこそわかる。
アレクシスは本物だ。
その剣は、まさに王道を極めた者の剣――
力強く、正確で、どこにも隙がない。
この国で……いいえ、おそらく世界でも最高峰の剣士。
(ですが――それでも、私は今日、この剣で……勝つ!)
静寂が広間を支配する。
空気が張り詰め、息を呑む音すら響かない。
「――参ります」
私は先に動いた。
考えるより早く、身体が自然に動いていた。
踏み込み、一気に間合いを詰め、鋭い一撃を放つ。
「……ふん、愚か者が」
アレクシスの瞳がわずかに見開かれる。
驚きと同時に、確かな集中の光。
彼は刹那の判断で剣を振り下ろし、私の一撃を受け止めた。
金属が打ち鳴らされ、火花が散る。
アレクシスの剣は、まさに“剛”。
圧倒的な力と正確な理に裏打ちされた王者の剣。
一太刀ごとに重みがあり、そのたびに空気が震える。
だが、私の剣は――“柔”。
力で押し返すのではなく、流す。
衝撃を受け止めず、逸らし、滑らせ、反撃の隙を窺う。
◇
あれは、何周か前の修練のときだった。
いつものように庭の稽古場に向かうと、セドリックが右腕を包帯で吊った状態で立っていた。
「お怪我を……?」
思わず声を上げると、彼は何事もないように微笑んだ。
「ええ、少しうっかりいたしまして。ご心配には及びません」
そう言いながら、彼は左手だけで木剣を構えた。
(……こんなこと、これまでの周回では一度もなかった)
その姿を見て、私は一瞬ためらった。
けが人を相手に打ち込むなど、あまりにも無粋だと思ったのだ。
「先生、今日はお休みになさったほうが……」
「生ぬるい」
「え……?」
「相手の弱所を突くことも、戦術ですよ」
静かにそう言われ、私は言葉を失った。
その声音には、普段の穏やかさとは違う鋭さがあった。
(……そういうこと、ですわね)
私は剣を構え直す。
ためらいを断ち切り、容赦なく彼の右腕――包帯を巻いたその箇所を狙って踏み込んだ。
――その瞬間だった。
セドリックの口元が、ほんのわずかに笑った気がした。
次の瞬間、視界が跳ねた。
何が起こったのかわからない。
気づけば、私は地面に倒れていた。
そして、セドリックの右手には、包帯の内側から引き抜かれた木の棒が握られていた。
「……っ!? 今の、いったい……!」
「怪我は偽りです」
淡々とした声で彼は言い放った。
「お嬢様はか弱い女性の身。それでも、自分より優れた敵に勝つ方法はあります」
そう言って、彼は私の額に木の棒を軽く突きつける。
「相手に“弱い”と思わせ、油断を生じさせる。
そこから生まれる隙を突けば、命を奪うことなど容易い。――このように」
「……ずるいですわ!」
思わず声を上げる私に、彼は静かに微笑んだ。
「兵は詭(き)を以て勝つ道。正々堂々など、戦場では通用しません」
その声は柔らかいが、眼差しだけは鋭く光っていた。
「尋常の立ち会いでは、あなたは一流の剣士に勝てないでしょう」
その言葉に、私は唇を噛んだ。
だが、彼の次の一言が心に深く刻まれる。
「隙に付け入るのです。
そして――その隙に、あなたの剣技のすべてを賭けなさい」
◇
(隙に付け入り、一撃で決める……)
セドリックの言葉が、何度も何度も頭の中で反芻されていた。
私はこれまで、数えきれないほどアレクシスと戦ってきた。
何十回も、命を落とし、そのたびに剣を向け、そして敗れた。
けれど、その積み重ねの中で気づいたことがある。
アレクシスは――最初の一撃を決して仕掛けてこない。
必ず“受け”の型から入る。
相手の剣筋を見極め、その後に最短で反撃して仕留める。
まるで、剣の指導でもしているかのように。
(格下相手には、まず様子見……ですか。舐められたものですわね)
だが、それこそが――致命的な隙。
私は毎回、違う動きを試せる。
彼にとっては初見の動き、だが私にとっては数々の敗北の果てに磨かれた“最適解”。
(あなたのその受けの構え……もう、飽きるほど見ましてよ)
私は一歩踏み込み、突きを放つ。
最短、最速――迷いのない直線の一撃。
アレクシスは予想通り、それを正面から弾いた。
リーチの差と剣の重さで押し返す、あのいつもの動き。
――その瞬間。
「そこです!」
弾かれた剣の勢いを殺さず、私は身体をひねり、流れるように体勢を切り替える。
まるで踊るように。
「なっ……!?」
アレクシスの剣筋がぶれた。
受けの構えを崩された彼の防御は、ほんの一瞬――空いた。
その隙を逃さなかった。
止まらない。私の剣が弧を描き、首元へと滑り込む。
刃が肌を裂き、動脈を跳ね飛ばす、確かな手応えとともに血が舞った。
アレクシスの目が大きく見開かれる。
驚愕のまま、彼は力なく膝をついた。
「……っ」
息を吐いた。
剣を握る手が震えていた。
血が、床に滴る。
美しい広間の白い石畳が、じわりと赤く染まっていく。
「……アレクシス、敗れたり」
思わず口から漏れた声は、どこか遠くのもののようだった。
勝った――はずなのに、胸の奥が痛んだ。
広間は凍りついたように静まり返っていた。
誰もが信じられないものを見たという顔をしている。
王子が、一介の令嬢に敗れたなど、誰も想像していなかったのだ。
「――どうやら、決着はついたようですわね」
静かに剣を下ろす。
けれど、その瞬間。
「おのれ、よくも殿下を!」
怒号が響いた。
クリスティーナの悲鳴。
そして、重い足音が一斉に広間を満たす。
兵士たちが雪崩れ込み、私を取り囲む。
鋭い槍の穂先が、光を反射して私に向けられた。
(……ああ、やはり、そうなりますのね)
私は苦く笑った。
王子を倒しても、結末は変わらない。
この舞台も、登場人物も、すべて決められた運命の上で動いている。
(けれど……あのクソ王子に、ぶちかましてやりましたわ)
次の瞬間、世界が再び暗転する感覚が訪れた。
そして、また――始まりの朝へと戻る。