【完結済・続編計画中】されど悪役令嬢は斬り結ぶ 作:野太刀あきら
セドリックは私をじっと見据えたまま、腰に下げた剣を鞘ごと私に差し出した。
「まずは剣の握り方からですね」
私は息を呑み、その剣を両手で受け取った。
冷たい金属の感触が掌に伝わる。
「……重いですわね」
思わず口から漏れたのは、率直な感想だった。
美しく磨かれた刃と繊細な装飾――けれど、その見た目に反してずっしりとした重みが腕にのしかかる。
「剣にとって重さとは、すなわち威力です」
セドリックは微かに笑みを浮かべながら、私の手元を確認した。
「まずは基本から始めましょう。
どんな剣技も、まずはその剣を自在に振るえるようになってからの話です」
それからその日は、ただひたすらに同じ動作の繰り返しだった。
構え。足の位置。握り方。
セドリックの声が静かに響き、そのたびに私の身体が微調整されていく。
剣を振るうたび、腕に鈍い痛みが走る。
呼吸が乱れ、指先の感覚が薄れていく。
「肘を上げすぎです」「足の間隔をもう少し広く」
そのたびに彼の冷静な声が飛ぶ。
貴族令嬢の私が、剣を振るう――外から見れば滑稽な光景だろう。
それでも彼は一度も笑わなかった。
余計な詮索もせず、ただひたすらに、私の「成長」を見守ってくれていた。
剣を振るたび、手が痛んで握力が抜けていく。
何度も体勢を崩し、転び、汗が頬を伝う。
(……こんなことで負けてたまるものですか)
歯を食いしばり、私は再び剣を振り上げた。
やがて、指の感覚が消え、手から剣が滑り落ちる。
乾いた音が庭の石畳に響いた。
「悪くはありません」
セドリックの声がした。
私は顔を上げる。彼は静かに地面の剣を拾い上げ、刃についた土を軽く払った。
「申し訳ありません……大切な剣を」
そう言うと、彼は首を振った。
「いえ、こんなものはただの道具に過ぎません。
大切なのは、それを振るう意志です。
――そしてあなたの意志の強さは、予想以上のようだ」
その言葉に胸が熱くなった。
彼の瞳は穏やかでありながら、どこか試すような光を宿している。
「ですが、この道は容易なものではございませんよ」
私は静かに頷いた。
その瞬間、覚悟が形になった気がした。
こうして、私の一ヶ月間の修練が始まった。
◇
今日も朝から晩まで、私は練習用に与えられた木剣を握り、セドリックの指導のもとで鍛錬を続けていた。
最初は、剣を振るうどころか、正しい構えを維持することさえ難しかった。
だが、日を追うごとに体が慣れ、動きが少しずつ洗練されていくのが自分でもわかった。
「もっと腰を落としなさい」
「肩が上がっている、無駄な力を抜くことです」
セドリックの声はいつも冷静で、容赦がなかった。
仮にも公爵令嬢を相手にしているとは思えないほど、厳しい指摘ばかり。
けれどその一言一言が、不思議と心地よかった。
言われた通りに直すたび、剣の動きがほんの少しだけ軽くなる。
手のひらの皮が剥けても、腕が上がらなくなっても、それが嬉しかった。
◇
ある日の夕暮れ。
稽古を終えた私は、地面に座り込んで息を整えていた。
夕陽に照らされた庭が赤く染まり、木剣の影が長く伸びている。
「ところで」
ふと、前から気になっていたことを口にした。
「どうしてこのエーデルハルト家に?」
セドリックは手を止め、手入れしていた剣を見つめたまましばし沈黙した。
そして、布を巻き直しながら静かに言った。
「あなたのお父上とは、かつて少し縁がありましてね
いわゆる戦友というやつです」
懐かしむような響き。
けれど、その声にはどこか冷めた響きも混じっていた。
彼の銀の瞳が、ちらりと私を窺うように動いた。
その一瞬に、言葉にはできない何かを感じ取った。
だが――それ以上は聞けなかった。
◇
そして、帰省期間の一ヶ月が過ぎようとしていた頃。
ブンッ――と木剣を振り下ろす。
風が裂ける音がした。
気づけば、私の剣筋は見違えるほどに整っていた。
筋肉の痛みも、もう恐れではなく、自分の成長の証として感じられる。
「ありがとうございました、セドリック先生」
修行の最終日。
私は深々と頭を下げた。
「お礼を言われるのはまだ早いですよ」
セドリックは静かに答える。
「リリアナ様には、まだ剣の基礎を手ほどきしただけにすぎません」
「いえ、何事も基礎なくしては成り立ちません。今の私に必要だったのは、まさにその“基礎”でしたわ」
彼は少し目を細めて、私を見つめた。
「リリアナ様は、まるで戦場に赴く騎士のような目をしておられるのですね」
私はまっすぐに彼を見返す。
「ええ」
この一ヶ月、私は剣を振り続けた。
血の滲むような鍛錬を、誰に強いられたわけでもなく、自分の意志で選んだ。
(……ただひとつの目標のために)
流されていたこれまでとは違う。
初めて、私は自分で進む道を選んだのだ。
セドリックに礼を告げ、背を向けようとしたその時――
「そうだ……リリアナ様」
背後から呼び止められた。
「はい?」
「ひとつお願いしてもよろしいでしょうか」
セドリックは穏やかな声で言いながら、少し考えるように顎に手を当てた。
「初めてお会いした日のことを覚えておられますか。
私が見ていた花がありましたね?」
「あの白い花のことですか?」
「ええ」
彼は小さく頷いた。
「どうにも気になっているのですが、名前が思い出せなくて。
もしおわかりになりましたら、教えていただけますか?」
「……お願いとは、そんなことでよろしいんですの?」
「ええ」
微笑んではいたが、その瞳の奥にはほんの僅かな翳りがあった。
私は少し考え、静かに頷いた。
「今度会うときまでに調べておきます。
これまでのご指導のお礼としては、安すぎるぐらいですわ」
「感謝します」
セドリックはわずかに笑い、丁寧に頭を下げた。
その姿を見つめながら、胸の奥に小さな違和感が残った。
彼の言葉の裏に、何か意味がある気がしてならなかった。
◇
――そして迎えた運命の日。
王城の大広間。
磨き上げられた白い大理石の床。金糸で縁取られたカーテン。
けれど、そこに流れていたのは華やかさではなく、張りつめた空気だった。
私はその中心に立っていた。
見慣れた光景――何度も、何度も繰り返してきた場所。
アレクシス王子の声が、冷たく響く。
「リリアナ・フォン・エーデルハルト。貴様は――」
隣に立つクリスの瞳が、わずかに揺れた。
けれど、アレクシスの目には一片の情もない。
周囲の貴族たちはざわめき、私を指さして罵声を浴びせる。
もう、聞き飽きた。
裏切り、陰謀、虚栄。彼らの言葉は、すべて形を変えながら何度も繰り返されてきた。
でも、今回は違う。
(また同じ光景……でも、今度は私が選んだ結末にしてみせる)
私はゆっくりと剣の柄を握りしめ、一歩前へ出た。
「アレクシス殿下」
澄んだ声が広間全体に響いた。
ざわついていた空気が、すっと静まる。
「私は、あなたと決着をつけるためにここへ参りました」
アレクシスの眉がわずかに動く。
「……決着、だと?」
「ええ」
私の指が柄を強く握る。
「お前のような女が、この私に刃を向けるというのか」
アレクシスは冷笑を浮かべた。
その顔を見た瞬間、胸の奥に燃えるような怒りが湧く。