美遊を男体化してイリヤをヒロインにしようという試み 作:角が二本
「そこまでよ。キャスター」
数秒先に待ち受ける死。その絶望を切り裂いたのは氷のように冷たい少女の声だった。
その場にいる全てのヒトが彼女に視線を向ける。千代女は訝しみ、キャスターは驚愕し、そしてぼくは見惚れてしまった。
あの少女だ。
今朝、公園で見かけた妖精のような少女。
その髪は月光を映したような銀色で。
その眼は血を固めたような紅色で。
その笑顔は悪魔のように冷酷だった。
「────っ」
少女と目が合う。彼女は獲物を狙う猫のように目を細めた。視線に乗せられた殺意に身が竦む。
「はじめまして。わたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。イリヤって呼んでね」
「……ぼくは衛宮遊喜。呼び名は何でもいい」
「ふふ、そっかぁ。なら、ユウキって呼ぶね」
この場に不釣り合いな程に行儀良く少女────イリヤは一礼する。
ペースに乗せられて挨拶し返すぼく。対して、千代女とキャスターはそれどころじゃない、といった様子だった。
「な、何でござるか、あれ……! 桁違いにも程がある……!」
「そんな、どうして、貴方が……」
彼女たちはイリヤの背後の何もない空間を凝視している。一体どうしたというのだろう。
首を捻るぼくとは正反対に、イリヤは自慢げに胸を張っている。
「ふーん、凡百のサーヴァントでも大英霊の格を感じ取ることくらいはできるのね。いいわ、出てきなさい、バーサーカー」
月明かりを遮って巨大な影が伸びる。
現れたのは、町の景観にあってはならない異形であった。
「………あ」
息を呑む。
その男は、岩から削り出した硬質な体躯であった。背丈は二メートル半ばを超え、熱された鉄のような筋肉が全身を覆っている。
彼──バーサーカーは、双眸を赤く灯し、莫大な殺意を放ちながらぼくたちを睥睨した。
それだけで本能に刻み込まれた。
あれは逆らってはならぬものだと。
奥歯がカチカチと音を鳴らす。体は馬鹿みたいに震えて収まらないのに、視線が張り付いて身動きが取れない。
──アレは、怪物だ。
先程まで自分を追い詰めていた
「っ!」
立ち竦んだまま動けない。衝撃から立ち直った千代女はそんなぼくを庇うように前に出る。
イリヤはぼくたちではなく、キャスターの方を侮蔑の目で見ていた。
「逃げるのね、キャスター。その選択は全く間違いではないけれど……英霊としての誇りはないのかしら」
振り返ればそこにキャスターの姿はなかった。空を飛んで、あるいは先の戦闘で見せた瞬間移動によってこの死地から脱したのだろう。
……兎にも角にも脅威は去った。これでぼくの命の危険は無くなったと見ていいだろう。
胸を撫で下ろす。
次いでイリヤに向き直った。助けてもらった、その礼をしようと思ったのだ。
「まあ、いいわ。見逃してあげる。獲物は置いていってくれたもの。───ねぇ、ユウキ」
「………え?」
だけど、そうする必要はなくなった。
イリヤと目が合う。そこに渦巻くのは殺意と憎悪の感情。それを感じ取ってようやく気づく。
イリヤはぼくを助けにきたわけではない。むしろ、その逆。
先程の視線に乗せられた殺意は、キャスターではなくぼくに向けられたものだったのだ。
「きみ、は」
「?」
「きみは、ぼくを、殺したい、の?」
震える声で問う。
イリヤは無邪気に笑って答えた。
「ええ、もちろん」
………視界が歪む。
もういっぱいいっぱいだった。
今日はいつも通り平凡な日だったはずだ。
それが、意味の分からない女に訳の分からない事情で命を狙われて、助けられたと思ったら、今度は助けてくれたはずの少女に命を狙われている。
バーサーカーの力はキャスターを凌ぐ。それは、キャスターが真っ先に逃亡したことからも明らかだ。戦闘になれば、ぼくらの命は無いだろう。
「……ぁっ、ううぅ……ふぐぅ、うっ、うっ」
「? ……え、遊喜殿? 泣いてるのでござるか!?」
「ないでない……」
ギョッとした顔で振り返った千代女。
……こいつには武士の情けというものがないのだろうか。いや、忍者ならないか。
ああ……年上とはいえ、女の子に泣いている姿など見られたくないというのに。
「急にどうしたのでございますか? 先刻までキャスター相手には果敢に立ち向かっていたでござろうに」
「それ、は……ガマン、してた、だけ」
「そ、そうでござったか」
千代女が頭を撫でてくる。正直恥ずかしいが、不快ではない。ささくれだった気持ちを和らげてくれる。
隙だらけのぼくたちにバーサーカーが襲いかかってくる様子はない。どうやら、主であるイリヤの命令を待っているらしい。
そして、そのイリヤはというと、戸惑った表情をしていた。
「……泣いたって、ダメよ。わたしはあなたたちにフクシュウするために、この町に来たんだから」
「? どういう、こと? きみは、その、聖杯戦争ってやつの参加者だから、ぼくを殺すんじゃないの?」
「聖杯戦争に勝利することはアインツベルンのマスターとしての使命よ。それは、わたしの目的ではないわ」
つまり、イリヤがぼくを殺すのは、それがイリヤの願いであるからだそうだ。
「……ぼく、きみに何か、した、け?」
だが、心当たりがない。
イリヤとは今朝の公園で出会ったばかり、はたして復讐を願われるほどの関係性だろうか。
───そう考えての発言に、イリヤは凍りついたように無表情になった。
「───ねぇ、ユウキ。あなた、キリツグから何も聞いていないの?」
「キリツグ……切嗣? なんできみが、父の名を…」
その瞬間、ぼくは己が答えを誤ったのだと悟った。
イリヤが唇を噛み締めている。憎悪は冷え切ったものから熱を帯びたものへと変わり、弛緩していた空気が再び緊迫したものになる。
千代女は小太刀を抜いて構えた。
「イリヤ殿と申したか。遊喜殿と何やら並々ならぬ因縁がある様子。しかし、この方は拙者の
「不愉快ね。おまえごときがバーサーカーに抗えるとでも思っているのかしら」
イリヤの意思に応じたのかバーサーカーがゆっくりと稼働し始めた。
ただ見られただけで、大英雄の覇気に、意識が断絶しそうになる。
千代女は何とかぼくを守ろうと彼の前に立ち塞がる。だけど、無謀だ。
土砂崩れや雪崩、津波、地震、嵐……ただの人間がその身一つで災害に立ち向かって、何ができると言うのだろう。
いや、千代女はただの人間ではなく超人と称するべきだろうか。
だが、そうだとしてもアレの前では誤差だ。
「あ……まっ、て…」
「遊喜殿?」
戦いになれば、死ぬ。
赤い紋様───令呪はまだ一つ残っているが、それが何の慰めになると言うのか。それを二つも消費してなお、あの女にすら敗北したと言うのに。
だから、ここでぼくが生存のために選ぶべき手段は一つしかない。
千代女を押しのけて、イリヤの前に立つ。
「こ、降伏……する」
「……へぇ。ユウキのサーヴァントはまだ戦ってすらいないけど」
「戦うまでもなく、わかる。千代女じゃ、その人とは勝負にすらならないって」
ぼくのその発言に千代女はむっ、と物申したそうな顔をした。
ごめん。だけど貶しているわけではない。単に事実を述べているだけだ。
千代女もそれは理解しているのだろう。不満そうだが、この交渉に口を挟むことはなく、ことの成り行きを見守る構えをとっている。
「当然ね、バーサーカーは強いんだから。そんな小さなサーヴァントなんて簡単に踏み潰してしまえるわ」
「そなたの方が、小さ───」
「千代女、黙って。………そう。だから、降伏したい。受け入れてくれる?」
イリヤは人指し指を口元において、「うーん」と首を捻る。
「降伏、ね。それってつまり、わたしのサーヴァントになりたいってコトでしょ?」
「サーヴァントに……? イリヤのサーヴァントはその人じゃないの?」
「そうよ。バーサーカーはイリヤのサーヴァント」
「……イリヤにとって、サーヴァントはどんな人のことを言うの?」
「? 変なコト聞くのね、ユウキは。サーヴァントっていうのは、いつも側に居てくれて、守ってくれる人のことでしょ?」
……ぼくもサーヴァントという単語は今日初めて聞いたからよく知らないが、その解釈は何か間違っているように思う。
いや、そんなことはどうでも良いか。重要なのはイリヤとぼくの間で「降伏」という行為に関する齟齬が発生しているか否かだ。
その点で言うならイリヤの認識している「サーヴァント」と僕の中の「降伏した捕虜」の認識は概ね一致している、か?
「……その考え方で合ってる。ぼくたちを、きみのサーヴァントにしてほしい」
そう宣言すると、イリヤはまた「うーん」と唸った。そして次に、何か悪戯を思いついた子どものように無邪気で酷薄な笑みを浮かべる。
「いいよ。ユウキをサーヴァントにしてあげる。それで、サーヴァントになるってことはユウキはわたしのものなんだから、わたしの命令には絶対フクジュウ、よね?」
「……うん。イリヤが「やれ」って言うなら、何でもする」
「ふーん、そう。だったら、ユウキ───
───あなたのお兄ちゃんを、殺せる?」
その言葉に頭の中が真っ白になった。
「えっ、ぅ、に、兄? 何でここで兄の話になるの? そもそも、どうして、きみは兄のことを知って───」
「そんなコトどうでもいいわ。できるか、できないかだけ答えて」
「ぁ、………それ、は」
「できる」とそう答えなければならないのに喉が麻痺して声が出せない。
兄は好きだが、命を懸けられる程の存在じゃない。その程度にしか想っていないなら、その命令に頷くことを躊躇うことなどないのに。
なぜ───
「できないの? だったらそのサーヴァントはいらないから、ここで消すわ」
「───!」
「だってそうでしょ? ユウキがお兄ちゃんを殺すのなら、サーヴァントの力は必要だけど、そうじゃないなら、必要ない。こっちの戦力はバーサーカー1人でジュウブンだもの」
狼狽えるぼくに、イリヤはそう畳みかける。ネズミを嬲る猫のような顔だ。
と、そこで今まで無言だった千代女が口を開く。平坦な声だった。
「少々、趣味が悪いのではありませぬか、そなたは遊喜殿に兄君を殺させるつもりなど無いでござろう」
「え」
その言葉に当惑してイリヤの方を見ると、彼女は唇を尖らせていた。
「主人の会話に割り込んでくるなんて、躾のなってないサーヴァントね」
「忍びとして、仕える主君の心を晴らす。その行いを咎められる謂れはないかと」
「……ふん。まあいいわ」
……兄を殺す云々はイリヤのタチの悪い冗談で、ぼくは千代女を見捨てる必要も兄を殺す必要もないということか。
そう密かに安堵するぼくに、変わらず冷たい笑みでイリヤは釘を刺してきた。
「あら、安心するには早いんじゃないかしら。わたし、あなたにそうさせるつもりがないだけで、まだ「殺さない」なんて言ってないのに」
「……場合によっては二人を殺す、ってこと?」
「お兄ちゃんは、そうね、ユウキと同じようにわたしのものになるなら、見逃してあげてもいいかも。───でも、英霊の方はダメよ。ちょっと聞きたいことがあるし、今は生かしておいてあげるけど、どうあっても最後には必ず殺すわ」
「……どうして?」
「
降伏すれば、千代女は絶対に死ぬことになるのだとイリヤは言った。
それはつまり、ぼくの選択によって今日、命を救ってくれた恩人を死なせるということで───
「それで? 本当に降伏するのかしら」
クスクスと笑いながらそう続けるイリヤ。
ぼくは、何も答えることができず。ただ、縋るような目で千代女を見る。
千代女は、何の気負いもなく微笑んだ。
「降伏するでござるよ。拙者のこの仮初の命一つで、遊喜殿と兄君の助命が叶うなら本望でござる」