イセリア人間牧場奮闘記 before&after 作:あるいてごろりと
少年は、毎日夜中に目を覚ました。
月明かりの下、薄暗い空間で荒い呼吸をします。
体から汗が噴き出していました。
大人に比べると、小さな肩が少しばかり震えています。
それは、悪い夢を見るからでした。
夢の中で、人間に殺された両親が現れます。
2人は、地面を這いながら少年の足首をつかんできます。
少年は恐ろしくて抵抗できず、2人から逃げることが出来ません。
両親は、声を揃えて言います。
毎晩毎晩、少年の耳元で囁くようにして言います。
「どうして…どうして…助けてくれなかったの?」
母が信じられないといったような顔で見上げてきました。
「何で…お前だけが逃げたんだぁ?」
父が失望したような顔で少年の足首を引っ張ってきました。
「うわああああああああああっ!!!」
今日も夜中に目が覚め上体を起こします。
辺りを見回しましたが、自分以外誰もいません。
まだ自分が夢の中にいるような気がしました。
どうしていいか分からず、ただ呼吸を繰り返すだけです。
乱れた神経が少しだけ治まると、自分が天幕の中にいることに気が付きました。
少年は、月の明かりを頼りに自身の手のひらを見ます。
ガタガタと震えていました。
「どうしたのっ!?」
天幕の入り口を通り、少女が声をかけてきます。
少女は、アイトラと言う名の神子です。
心配そうな表情で、少年のすぐそばまで来ました。
呆けたような顔の少年を見て、アイトラは少年に異常が無いことを悟り改めて声をかけます。
「うなされていたみたいだけど、どうしたの?」
少年は、アイトラ達と旅に出ていました。
唐突に両親を亡くし、住まいを焼かれ、1人林で座り込んでいた所を彼女に助けられたのです。
アイトラに誘われて、少年は旅に同行しました。
アイトラが誘った理由は、少年がほっとけなかったからです。
ですが、少年の同行する目的は、彼女を天使にすることでハーフエルフにとってより良い世界にしてもらうためでした。
旅をしていく内に、考えが深まっていきます。
二度と人種差別による悲劇を繰り返してはならないと強く思いました。
今後の少年自身の生活の安全を確保しなければとも思いました。
そのため、少年はアイトラには何が何でも天使になってもらわないと困るのです。
「両親が…夢の中で声をかけてくるんです」
少年は、素直にアイトラに夢の内容を話しました。
話を聞いて不憫に思った彼女は、眉根を下げたまま彼のことを抱きしめます。
始めてアイトラに出会った頃は抱きしめられたことに安堵を感じ、泣きじゃくりました。
ですが、その頃よりは状況を把握できてしまった少年は、顔を真っ赤にして彼女の両手首を握ります。
そのまま前に押し出し、2人の体の接触する部分を引き離しました。
女性からのハグをされることが恥ずかしかったからです。
少年としては、距離を少し置いてもらえれば良かっただけです。
ですが、恥ずかしさのあまり力加減を間違えてしまい、アイトラの両手首を握ったままベッドの上に押し倒してしまいました。
少年の顔の目前には、整った顔立ちの少女のポカンとした表情がありました。
わずかばかりに動いた彼女と少年の両足の肌が、こすれます。
今まで触れたことのないような感触で、自分の心臓の高鳴る音が聞こえてきました。
慌てて体を起こし、ベッドから離れます。
「ごめんなさい!
け、怪我は無いですか!?」
少年は落ち着きのない様子で聞きました。
アイトラは上体を起こし、少年とは対照的に落ち着いた様子で話します。
「大丈夫。
びっくりしちゃった。
私こそ急に中に入ってきて、ごめんなさい」
彼女の謝罪が却って少年に罪悪感を与えました。
「アイトラ様が謝ることじゃないです。
俺の様子を見に来てくれたんですから。
その…ありがとうございます」
少年の罪悪感など露知らず、アイトラは微笑みます。
「ううん。
話してくれてありがとう。
辛いときはいつでも言ってね」
アイトラにそう言われた日は、夢を見ることもなく眠ることができました。
○○
次の日の少年は、上気した顔でアイトラに朝の挨拶をしました。
彼女は普段と変わりなく、笑顔で挨拶を返します。
少年は、昨晩のことが恥ずかしくて相談などもう出来ないと思いました。
ですが、その時少年の心はまだ、両親の死を完全に受け入れていなかったのです。
夜中に2人の夢を見て目を覚ますのは、徐々に現実を理解しつつあるためでした。
理解が進むごとに、少年の心にはますます2人に対する罪の意識が湧いていました。
両親が迫ってくる夢を見るのもその証拠です。
2人は、自分が何とかやれば助けられたんじゃないか。
助けられなかったとしても、逃げる必要は無かったんじゃないか。
少年の苦悩は、頭の中に残り続けました。
夜に眠ると、頭の中で循環している考えが夢となって現れるのです。
アイトラの力になりたいという気持ちに嘘はありません。
ですが、決心を抱いたのは彼女と出会った日だけでした。
今の少年は、自分と向き合うので精一杯です。
とても彼女の力になれる状態ではありませんでした。
頭の中を巡る罪の意識は、日中の行動にも支障をきたしました。
複数の魔物と遭遇した際、一番近くにいた敵に魔術を行使しようとしました。
無意識に頭の中で巡っていた考えが、耳元で囁かれるようにして聞こえます。
不意に言われるので、耳を塞ぐことも出来ません。
「また、自分だけ助かろうとしているの?」
父の声が聞こえ、詠唱が途中で止まりました。
少年の顔は真っ青でした。
魔物が襲い掛かってきます。
視界の端に、自身の元へ飛び込むアイトラが映りました。
「危ないっ!」
アイトラは少年を抱きしめて飛び込み、魔物の攻撃を避けました。
お供の祭司の1人が、すぐに魔物へ接近して杖の先端に仕込んだ刃で斬りかかります。
魔物を倒したのち、祭司達が少年に文句を言い始めました。
足を引っ張ったのですから、不満が出るのも当然です。
アイトラは、少年の前に立って祭司達からかばいます。
少年は、自分が情けなくなりました。
アイトラの助けになろうとして一緒に旅をしているのに、これでは真逆の立場です。
どうにかしないととは、思っています。
ですが、不意に聞こえる囁きは、少年にはどうしようもありませんでした。
日中聞こえる声は、どちらか一方でした。
ある時は、父親の声。
別の日には、母親の声でした。
日に日に、少年は元気を無くしていきます。
○○
「アイトラ様の足を引っ張るようであれば、あの少年はどこかの町に置いていった方がいいのではないでしょうか?」
祭司の1人がアイトラと2人でいるときに言いました。
彼の意見は最もです。
世界再生の使命を背負った神子が、命を失うリスクなど省いておいた方がいいからです。
それと、少年の目の前で複数人の祭司達が批判しないだけ、その祭司はまだ温情ある対応を取った方でしょう。
アイトラは、祭司にすぐに返答ができませんでした。
「…町が必ずしも安全とは言い切れません」
彼女は、離れた所で野営の準備をしている少年を見ていました。
少年は、祭司達から言われてフード付きの祭司服を着るようになっています。
尖った耳は、ハーフエルフだとすぐにばれてしまうためです。
「私…天使になるのが怖いんです。
でも、彼の助けになれないまま天使になることの方がもっと怖いです。
人の手助けすらできない天使となった私は、人に何もできない存在になるんじゃないかと思ってしまうんです」
アイトラは、今度は祭司へと視線を移しました。
彼女の目に宿る光は、強い意志を感じさせるものでした。
祭司は、彼女の固い意志は容易に変えられるものではないと判断します。
「すみません…」
いつの間にか、アイトラは申し訳ないような表情で謝罪しました。
祭司の気持ちが分かる故、一点張りに意見を押し通せなかったのでしょう。
祭司は軽くため息をつきます。
もう提案をするのは諦めていました。
「私は忠告をしたまでです。
それがアイトラ様の意志なら尊重しましょう。
さぁ、そろそろあちらの手伝いに行きましょうか。
準備も終わらぬまま日が暮れては、魔物の恰好の餌食になりますからね」
「…はい!」
2人は、野営の準備をしている方へ向って行きました。
○○
ある日、森の近くで野営をしていた時でした。
一匹の魔物が荷物を引ったくり逃げていきます。
荷物の中には、食料と全財産が入っていました。
最初に気づいたのはアイトラでした。
「私が追いかけますっ!」
彼女は、薄いピンクの羽を広げて魔物を追いかけます。
やや遅れて一番彼女の近くにいた少年も後を追いました。
祭司達は、若い2人には足の速さで敵いませんでした。
3人が距離を広げられつつ追いかけ、もう残りの2人は他の荷物の管理に当たりました。
アイトラは、しばらく追いかけたのちに魔物を追い詰めます。
魔物は鳥の姿をしていました。
魔物が羽を広げると竜巻が起こり、アイトラは吹き飛ばされます。
立ち上がろうとした時に、鳥の魔物に突かれて彼女は石になりました。
「アイトラ様っ!!」
少年が彼女の元に辿りついた時、鳥の魔物は石化したアイトラを竜巻で飛ばしました。
彼女は地面に落ちましたが、湿気た地面がクッションになって砕けることはありませんでした。
ですが、鋭い嘴で突かれたら手遅れになるでしょう。
少年は、石像と化したアイトラの前に立ちはだかります。
「どうしてその子を助けるの…。
私達は助けてくれなかったのに…どうして」
耳元に母親の声が囁かれました。
少年の体は、すっかり強張ってしまいました。
鳥の魔物が竜巻を起こして少年の体を吹き飛ばします。
間を隔てる者がいなくなり、鳥の魔物はアイトラへと歩み始めました。
「やめろぉっ!!」
地面に伏せたまま、少年が鳥の魔物に叫びます。
ですが、人の言葉など理解の出来ない鳥の魔物は歩みを止めません。
アイトラまでとの距離は、あと少しでした。
少年は、立ち上がる時間も惜しんで魔術の詠唱を始めます。
「どうして、私達だけが苦しまなきゃならないの?」
「あの時、なぜ苦しむ私達の元へ来てくれなかったんだ…」
今度は、両親の声が交互に聞こえました。
再び、詠唱が途切れます。
少年は、荒い呼吸をし始めました。
視界に映るのは、石になったアイトラに伸ばした自身の右手でした。
「うわああああああっっ!!!」
少年の手から鮮血が流れます。
少年は、懐に持っていたナイフを自身の右手に突き刺しました。
うまく解体ができた日に、父親からもらったナイフでした。
痛みで涙がにじみ出てきますが、歯を食いしばってこらえます。
「父さんの分もっ!母さんの分もっ!
あとで絶対に俺も苦しむから!!
だから…今はこれで許してっ!!」
少年は魔術を詠唱します。
今度は、耳元で声が聞こえませんでした。
魔術を発動すると、いくつもの火の玉が鳥の魔物目掛けて飛んで行きました。
火の玉を3発受けた鳥の魔物は、慌てて一度距離を取ります。
ですが、それで終わりではありませんでした。
鳥の魔物は、今度は少年へと目標を変えたのです。
鳥の魔物が少年の元へ駆け出し、少年は身構えます。
気づくと鳥の魔物は倒れており、少年の前には仕込み杖を持つ2人の祭司が立っていました。
○○
「すみませんでした」
石化を専用アイテムで解いてもらったアイトラは、皆に謝罪します。
彼女は、祭司達からお説教をされました。
独断行動をした上、命の危機だったのですから当然です。
少年の右手には、包帯が巻かれていました。
事情を知った祭司の1人が、巻いたものでした。
お説教が終わり、荷物をまとめているときにアイトラは少年に言いました。
「助けてくれてありがとう。
それと、ごめんなさい」
謝罪の言葉の後に、彼女は視線を少年の右手に移します。
少年は、アイトラの視線に誘導されるようにして自身の右手を見つめます。
少しだけ、包帯に血が滲んでいました。
「これはアイトラ様のせいじゃありませんよ。
俺は…死んで父さんと母さんと一緒にいたかったんだと思います。
心の奥底の気持ちを2人に代弁させてしまいました。
でも今は、やりたいことができたから。
ひとまず、これで無理矢理納得させました」
右手を上げて、アイトラに見せます。
彼女は、まだ不安そうな表情でした。
血の滲んだ包帯が、痛々しさを物語っているからです。
手を上げてわざわざ見せたのは失敗だったかなと少年は思いました。
話題を変えようと決めます。
ふと考えたのは、天幕でアイトラが少年の元にやってきた日のことでした。
苦悩を吐き出し、彼女と言葉を話したとき、一時的なものとはいえ気持ちが安らいだことを思い出します。
(誰かに話をしただけでも、何かを乗り越えるきっかけにもなるかもしれない。
それは、他の人だって同じなんだろうな)
少年は、これから自分がどうしたいかを考えアイトラに話します。
「また悩んだ時には相談してもいいですか?」
「それはもちろんだけど」
アイトラはこの時、少年の両親についての相談かと思っていました。
ですが、察した少年は首をゆっくり左右に振ります。
「もしかしたら、何かに困った人と旅の途中で会うかもしれません。
ですが、どう解決したら良いか俺だけじゃ分からないかもしれません。
多分、そんなことばかりでしょうけど。
ですから、その機会がきたらアイトラ様も一緒に考えてくれませんか?」
少年としては、ハーフエルフがより良い生活ができるように自身も取り組む練習のつもりで言いました。
アイトラが天使になって人種差別の環境が変えられたとしても、取りこぼしがあるかもしれません。
そのため、今の内に経験を積んでおこうと思ったのです。
「…うん!
一緒に考えよう」
思わぬ少年の提案に一瞬間の開いたのちに、アイトラは笑顔で返事をしました。
少年はその返事を聞くと、自身の胸に温かいものが広がっていく感覚を味わいます。
「あっ」
アイトラが何かに気付いたような声を出すと、視線が少年の顔に注がれます。
彼女の目とバッチリあったので、少年は戸惑います。
「ど、どうしたんですか?」
「今、少しだけ笑った」
アイトラがそう言うと、少年の頬に彼女の両手が添えられました。
少年は、顔を赤くして混乱します。
「あ、あのっ!
アイトラ様!?」
「ねぇ、もう1回笑って見せて」
彼女が期待の眼差しで言いますが、訳の分からない少年は振り払って逃げ出します。
突如追いかけっこを始めた若い2人を見て、祭司達は静かにため息をつきました。
祭司服の少年
アイトラと旅を共にしたハーフエルフの少年。
基礎的な魔術であれば母から教わり習得している。
父からもらったナイフを大事に持っている。
尖った耳を持つ。
アイトラより3つ年下。
アイトラ
先代神子。
グミが好き。
ウェーブのかかった金髪が特徴。
2つの世界が統合したのちに、マーテルと同化している。
スピリアの姪にあたる。
夢の世界では、五聖刃達と協力して夢魔を倒した。