イセリア人間牧場奮闘記 before&after 作:あるいてごろりと
水のせせらぎが聞こえる穏やかな場所に大樹はあった。
マナを生み出す木の後ろには、小さな滝が幾本も流れている。
いくつもの滝が形成した水のたまり場の真ん中に、少しばかり水面から顔を出した岩がある。
岩の上にはやや薄めの土が乗っかっており、さらにその上には低めの草が飾られていた。
岩と土と草、わずかばかりの材料で形成された人一人が乗れるほどの小さな孤島に大樹は根を張りマナを生み出し続けている。
時間は夜明け頃。
太陽がわずかに顔を見せる、闇よりも光の比率が高まり始めたような時間帯だ。
天気は、雲一つない快晴である。
周囲の植物の葉は、放射冷却によって熱が奪われていた。
空気よりも温度が下がったことで、葉の表面には朝露が形成されている。
小さな大樹の前で1人佇む男がいた。
端正な顔立ちをしており、髪は青く男性にしては長めである。
名前はユアン・カーフェイ。
4000年前に古代戦争を終わらせた英雄の1人だ。
だが、人々を掌握し苦しめた元凶の組織、『クルシス』のテセアラの管理者でもあった。
また、恋仲のマーテルを失い、彼女の弟であるミトスの悪行を止めることができず苦い想いを味わい続けた悲劇の男でもある。
コレット・ブルーネル一行がクルシスの長きに渡る活動に終止符を打つと、自然と職を離れることになったユアンは大樹の守り人の仕事に就いた。
そうして、精霊と成ったマーテルと共に、世界の平穏を見守る日々を送る。
だが、今日だけは違っていた。
彼の手には、武器であるダブルセイバーが握られている。
ユアンはマーテルより情報を取り入れていた。
主な内容は長い間暗躍し続けた敵のこと、つまりはソウルイーターだ。
また、マーテルはクヴァルやロディル、またはプロネーマ・マグニス・フォシテスが帰還後に得た話を彼にも話している。
ある程度の全容は知っていると言ってもいい。
五聖刃との同化についても、ユアンは把握している。
彼は最初、マーテルがおかしな者に憑りつかれたのではないかと疑った。
そう思うのも仕方がない、五聖刃はくせ者揃いだからだ。
彼女に説得されたので、ユアンは五聖刃についての追及を渋々止めた。
聞き入れた後も、マーテルが悪い影響を受けないかユアンは心配していた。
本日、事が済めば分離することも聞いている。
マーテルからは大樹の護衛を任されており、もちろん了承していた。
守り人であろうがなかろうが、ユアンは彼女と大樹を守るために見張りを続けている。
「あら~、誰かいるじゃないのぉ?
げぇ、厄介なやつじゃないのよ」
女性のような声をユアンは耳にした。
まだ遠いが、正面から3人の足音が聞こえる。
相手もユアンの存在に気付いている口振りだった。
徐々に彼の元へ近づいてくることから、目標の敵だとユアンは推測する。
やがて、3人の者達はユアンと距離が10mほどの所で立ち止まった。
彼らの名は、クロドレ・レイジネス・フーディー。
ソウルイーターである。
レイジネスがユアンを見ると、口角を上げる。
「フォシテスがいないなら、こいつとやるか」
「言うと思ったわよ、この筋肉バカ!
大樹と関わっていて精神世界に干渉できる五聖刃の姿が、今見えない理由を考えなさいよ」
レイジネスの言葉を聞いたクロドレが、彼を咎める。
「…何故だ?」
レイジネスは不思議そうに首を傾げた。
「大樹の中でマーテルと一緒にいるっつってんのよ!」
澄んだ空間で、クロドレの声が良く響いた。
近くにいた鳥が、数羽飛び立つ音をユアンは聞いていた。
「ここには何をしに来た?」
ユアンが問いかけると、クロドレは彼に顔を向けて愉快そうに笑った。
「おほほほ!
観光に来たように思えるのかしら?
もしかして、あんたの再就職先はツアーガイド?
だったら、案内してちょうだいな。
大樹の中にいる、これから食われる哀れな女の元にねぇ。
復讐をかねた世界の乗っ取りツアー、3名予約で頼むわよ。
さぁ、どうなのよぉ。
元・英雄さん?」
「つまりは、敵ということだな」
ユアンは、ダブルセイバーを握りしめる。
その様子を見たクロドレは、顔をしかめる。
「せっかちさんねぇ。
けど、あんたとやり合うなんてごめんよ。
こっちだって、出来れば被害は減らしたいのだからねぇ。
フーディー!」
小太りのおじさんこと、フーディーは空に向かって大口を開けた。
すると、口内から黒くて丸い玉が勢いよく発射されていく。
黒い玉は、数百の数だった。
やがて、黒い玉は空中で様々な魔物の形へと変わっていく。
植物系の魔物であるトレントやパンプキンツリーやグラップラワーやキャニバラスプラント、獣系のウルフやエッグベアやマンティコアやバジリスク、アンデッド系であるゾンビやゴールドスケルトンやレイスやファントムナイト、他にも虫系や水棲系などの魔物の軍勢が空に蠢いて出現している。
中には空を飛ぶ魔物にうなぎのような魔物や、ドラゴンの姿もあった。
同種が50体ずつはいるため、軍勢の数は800にも及ぶ。
通常の魔物との違いがあるとすれば、どの魔物も全身もしくは黒く染まる箇所があることだ。
魔物達は形を完全に成すと、空を飛ぶ魔物以外地面に降りていく。
フーディーやクロドレ達の周囲、それに彼らの遥か後方までおびただしい数の魔物が着地した途端地響きがした。
フーディーは、愉快そうな表情でユアンを見る。
「ぐははは!
110年間、溜め続けた魔物の魂達をここで使わざるをえないとはなあ!
だが、さすがのお前もこれだけの数はひとたまりもあるまいよ!」
クロドレは、白いコートの内側から瓶を一本取り出して大樹に向って投げつけた。
その時、コートの内側のポケットには、本が収まっているのをユアンは見た。
投擲された瓶の射線に入り、ダブルセイバーで切りつける。
割れた瓶の中の液体が、ユアンの衣服にかかる。
独特な香りが鼻についた。
(これは…『ダークボトル』か)
ダークボトルは魔物とのエンカウント率を上げるアイテムだ。
つまりは、敵を引き寄せる。
三人のソウルイーターの周囲にいる魔物たちが、ユアンに向けて唸り声をあげた。
クロドレがほくそ笑む。
「あらまぁ、大樹にかけようと思っていたのにお優しいのねぇ。
濡れた男も悪くはないけど、あんた今最悪の状況にいるわよぉ?」
「下手な芝居だな。
端からこれが狙いだろう。
世界を乗っ取ろうと画策しておいて、大樹に魔物をけしかける理由がないからな」
ユアンの言葉を聞いたクロドレは腹を抱えて笑い出す。
「おほほほ!
なに、分かっててやったの?
察しの良い男も好みだけど、随分と余裕じゃない。
じゃあ、今から私達がやろうとしていることも分かるかしら?」
クロドレとフーディー、それとつまらなそうな顔をしたレイジネスが左右に散り魔物の群れの中に入り込む。
姿の見えないクロドレの声が辺りに響く。
「これは鬼ごっこかしらね。
それともかくれんぼ?
さぁ、あたし達三人を捕らえられるかしら」
クロドレ達は魔物達に紛れて大樹への侵入を試みる様子だ。
ユアンは腰を落とし、ダブルセイバーを構える。
背後の大樹をちらりと見た。
(マーテル…五聖刃の話、信じるぞ)
魔物の大群がユアンに向って一斉に駆け出した。
△△
【大樹1階層(左)】
直径90mの広い部屋でフォシテスとマグニスはレイジネスと向かい合っていた。
フォシテスは、無線でロディルに状況を説明する。
ロディル達のいる部屋にはソウルイーターは、来てないとの返答があった。
ソウルイーターは3人。
まだ大樹の内部に侵入する可能性はあるので、フォシテスは「敵1人ならばマグニスと対処する」とロディルに伝える。
『分かりましたぞ。
そちらで増員したならばもう一度連絡を入れて下さい』
「ああ、分かった」
無線を切るフォシテス。
レイジネスはだんまりであった。
互いにひとまず敵の様子を伺っているような状況だ。
最初に、マグニスが口を開く。
「よぉ、フォシテスから聞いたぜ。
テセアラで事件を起こした首謀者の1人だってな。
まさか、お前が敵だったなんて思いもしなかったぜ」
「マグニスか、お前と会うのは二度目だな」
マグニスは眉間に皺を寄せる。
「四度目だぜ。
今とテセアラのとき、それにパルマコスタの宿。
一応、昨日も総督府の前で会っているんだがよ。
視野が狭くて気づけなかったのか?」
レイジネスはふっと笑う。
「そうか、テセアラと総督府のときにも会っていたのか。
フォシテスとの戦いに夢中で雑魚には気づけなかったよ。
悪かった」
レイジネスの挑発を受け、マグニスから怒気が一気に溢れるのを周囲の2人は感じ取った。
「ヤロウッ!!」
拳を握り駆け出そうとするマグニスの前にフォシテスが立つ。
フォシテスは、レイジネスを警戒して視線を移さぬまま背中越しに話す。
「落ち着けマグニス。
お前の熱くなりすぎるところは嫌いじゃないが、冷静さを失うのは悪い癖だ。
日々のトレーニングは、テセアラの頃との違いを見せつけるのにうってつけではないか?」
かつてマグニスは、敵陣の中に一人突っ込み危うく命を落とすところだった。
フォシテスの指摘にマグニスは口を尖らせる。
だが、先ほどのような己で抑えきれないほどの怒気は消失しつつあった。
「お前は俺の教師かよ」
「そんなつもりはない」
淡々と答えるフォシテス。
マグニスはいつもと変わらない受け答えする同僚を見て、口角を上げる。
「…へッ!
まあ見てろよ、フォシテス!
あいつを倒せば、実質俺もお前と同じ英雄ってことだろうが」
「ああ」
短い返事をしつつ、フォシテスもわずかに口角をあげた。
マグニスの冷静になった様子を見れたからだった。
「話は済んだか?」
レイジネスは言い終わると、片手を頭上に掲げる。
そのまま力を入れるような様子を見せると、周囲の景色が徐々に暗転していく。
一階層は木の年輪に覆われた部屋なのだが、3人の姿はすっかり闇に呑まれてしまっていた。
やがて、暗い景色は一気に光で弾けるようにして吹き飛んだ。
フォシテスは頭上や左右を片眼で確認する。
「ここは…?」
フォシテスは、空に浮かぶ半球状の小さな島の上にいた。
島と言っても直径は20mもない。
地面からどれだけ離れているのか分からないほど高度が高い位置に浮かんでいた。
飛べない者が島の外へ足を踏み外したら、そのまま落下してまず命はないだろう。
平らな地面をしており、島の真ん中には直方体の石碑が1つ立つ。
島の端には樹木が2本と倒れた石柱があるばかりだ。
また、島は一つではなくいくつもあった。
フォシテスの立つ島は殺風景なものだが、離れた所に位置する他の島には建物のような物が見られる。
島同士は石橋によって繋がっていた。
フォシテスの疑問の声に、向かいに立つレイジネスが答える。
「空中都市エグザイア。
あくまで空間を模しただけで本物ではないがな。
大樹の内部を作り変えさせてもらったよ」
レイジネスは島の真ん中に立つ石碑のような物に触れる。
「噂では、この都市には精霊マクスウェルが眠っていると聞く。
実際見たことはないし、興味もないが」
フォシテスはレイジネスを見据えながらも、先程まで近くにいたはずのマグニスの姿が見えないことに気づいていた。
「マグニスはどこだ?
それに、空間を作り変えた理由は何だ」
「時間稼ぎだ。
あの男は島の一番遠い所に移させてもらった。
お前とサシでやりたくてな。
シンプルな地形だ。
マグニスは少しすればここに着くだろう。
その前に…」
レイジネスは両腕を左右に広げる。
その顔は、ずっと望んできた機会が巡ってきたことを喜ぶよな不気味な笑みを浮かべている。
フォシテスは、左腕の魔導銃に右手を添える。
静寂が包みこみ、時折風が吹く音のみが存在を主張していた。
互いに距離を詰めたのは、レイジネスが発言した直後である。
「存分にやりあおうか!」
△△
【大樹一階層(右)】
~フォシテス達が戦い始めた少し後~
プロネーマとクヴァルとロディルの三人は、大樹の内部に侵入してきた2人の敵と向き合う。
1人はクロドレ、もう1人はフーディーだ。
5人は一階層の中心近くで少し距離を空けて向かい合う。
クロドレは、プロネーマ達と辺りを見回す。
(あいつらが戦った形跡が無いということは、先に大樹の中に入ったレイジネスは別の所にいるのかしらね)
レイジネスは1番に侵入したが、隣の部屋に辿り着いていた。
後から来たフーディーとクロドレが同じ部屋に来れなかったのは、マーテルが密かに入り口を操作して五聖刃を手助けしていたからだ。
誰も知る由もないが。
ロディルは、フーディーの様子を色付きメガネに指を添えてじっくり見る。
胸を手で押さえて苦しそうにしていたからだ。
「ふぉっふぉっふぉ。
どうやら深手を負っているようですな。
誰からでしょうか?」
フーディーはロディルの言葉にカチンときたようで大声を出そうとする。
「うるせえ…ぐっ!」
フーディーの胸は横一文字に切り裂かれていた。
声を上げたせいか、苦痛に顔をゆがめるフーディー。
「くそっ、いてぇ…」
プロネーマは、横一文字の傷がユアンによってつけられたものだと気づく。
クヴァルも察したようで、彼女に声をかける。
「どうやら、あなたの言う通り彼らにとって痛手となったようですね」
「そうじゃな。
一気にケリをつける。
よいな」
杖を構えるプロネーマとクヴァル。
敵1人は虫の息といっていい。
今倒しておけば、あとが楽になる。
クロドレがフーディーの前に立つ。
「まったく、あれだけの魔物を相手しながら切りかかってくるなんて、あいつとんでもない化け物よ。
やっぱりあの時、退避していて正解だったわ」
「あの時とは?」
クロドレの言葉にクヴァルは問いかける。
クロドレはめんどくさそうな顔をするも答える。
「パルマコスタでそこの女にも言ったけども、4000年前に古代勇者達と会った時よ。
うちのボスが自分を囮にしてあたし達を逃がさなかったら、ソウルイーターは全滅していたところよぉ」
「つまりは、貴様らは上司を置いておめおめと逃げ出したわけじゃな」
プロネーマの言葉を聞いたクロドレのこめかみに青筋が立った。
「黙りなさい!!
戦略的撤退ってものがあるのよぉ!」
クロドレは、一瞬プロネーマ達の背後にピントを合わせると足元に魔方陣を展開する。
プロネーマも直後に魔方陣を展開。
「スパイラルフレアッ!」
「アイシクル!」
クロドレが行使したのは風と火の複合上級魔術。
螺旋を描いた炎が風のような速さで駆け抜けていく。
プロネーマは地面から氷の塊を発生させて炎を受け止めるが、威力が想定以上で氷は熱で溶けるようにして破壊される。
しかし、その分わずかに時間が稼げた上に、『スパイラルフレア』は範囲の狭い直線上に走る魔術であったため3人は左右に分かれて回避する。
クロドレは舌打ちしつつも背後にいるフーディーに声をかける。
「いい?
まず優先すべきことはマーテルの捜索!
命がかかる状況だけれども分担するわ!
マーテルさえどうにかすれば、あいつらだって無抵抗な魂に変換できるはずよ。
とにかく、さっさと魂を出さなきゃ死ぬわよ!」
その隙に、プロネーマは足元に魔方陣を展開して術を発動する。
「ゆくぞ!
ブラッディランス!!」
クロドレの四方から赤黒いもやが立ち上り、4つのもやから小型の槍が中心に向けて射出される。
クロドレは脇目も振らずプロネーマの元へ向って駆け出し槍を回避する。
わずかに白いコートを切り裂くが、傷は無い様だった。
「ああっもう!
うざったいわねぇっ!!」
一気にプロネーマの目前まで移動したクロドレ。
だが、プロネーマは冷静に杖を真上に振った。
対象を打ち上げる技を出す。
「浮翔陣!」
クロドレの足元からトラクタービームのような光の輪が一気に浮上する。
地面から弾かれるようにして体が真上に上昇する。
「ぐぅぅ!
いったぁーいもう!
スパイラルフレア!!」
上空へと飛ばされたクロドレは、痛みに耐えながら器用にも空中で術を発動する。
先ほどの複合術を背後のやや上方に向けて射出した。
空中にいたクロドレは術を射出した反動で地面に向って斜め下に急降下する。
着地点は、プロネーマの背後だった。
(取ったわぁ!)
横っ腹に向けて蹴りを放とうと思考すると、プロネーマの姿が一瞬ブレる。
それは転移の予兆だった。
(ワープ!?
性懲りもなく…)
近場に転移するようなら回し蹴りを放ち、少し距離を取るようなら術を発動しようとクロドレは一瞬で思考する。
すなわち、クロドレの意識は左右もしくは後方に向いていた。
だが、プロネーマの転移先は変わらない。
転移はしたが、変わらずその場にいた。
変わったとすれば、彼女がクロドレを正面に見据えていたことだ。
杖先もすでにクロドレに向けられて、いつでも対応できる様子である。
(なっ!?
振り返る時間を短縮するためだけにワープを…!
なんて、もったいない使い方をするのよ!)
だが、不意を打たれたクロドレの動きはわずかに固まっていた。
プロネーマはそんな様子を見てわずかに口角を上げる。
杖に力をこめて技を放つ。
「獅現陣!!」
赤い獅子の形をした闘気がクロドレに食らいつき吹き飛ぶ。
「あああッ!!?」
浮いた体が地面に着くと、ゴロゴロと床を転がっていくクロドレ。
むくりと起き上がるが、コートは所々が破け身体も擦り傷だらけになっている。
初めに走りこんだのもあるためか、肩で息をしていた。
だが、クロドレは背後に視線をちらりとやるとプロネーマに向けて笑みを浮かべる。
成り行きとはいえ、一階層の端にまで辿り着いていた。
「まーったく、しんどくてしんどくてしょうがないわぁ。
運んでくれてどーも。
読みが甘いのよ!!」
クロドレはプロネーマに背を向けると、二階層に上がるための階段へ向けて走り出した。
「ぬっ!?
しもうたわ!」
クロドレが階段を駆け上がり出した直後、プロネーマは階段手前までワープする。
ワープ距離はそう長くはない。
その上、少しインターバルを置かなければワープは再使用できない。
階段を上がろうとした時、プロネーマの視界に螺旋を描く炎が入った。
クロドレが階段の上から一階層に向けて術を発動したのだと気づいたときには遅かった。
(間に合わぬっ…!)
ワープの発動はもう数秒必要だった。
プロネーマが杖を振り上げる。
直後、彼女の体は直進してきた炎に巻き込まれていく。
階段上からオカマのような笑い声が響いた。
△△
【大樹ニ階層(救いの塔の会議室を模したコンクリ風の部屋)】
~五聖刃が戦い始めてから少し後~
少年は部屋の隅でひざを抱えるようにして座り込んでいた。
突如連れてこられた環境に戸惑う気持ちを落ち着かせるようにして、物思いに耽る。
頭の中を巡るのは、少年自身にとってついさっきのことにも思えるような出来事だ。
出来事の場所は、今いる二階層の部屋に実に酷似していた。
それが、なおさら少年の心を苦しめる。
「アイトラ様…」
少年は二階層の3つの入り口を眺める。
内2つは先ほど五聖刃の打ち合わせ中に確認していた。
一階に降りる階段で、降りた先には広い部屋があった。
ただし、どちらも出口らしきものは見当たらない。
少年は、クヴァルとの話を思い出す。
(ここが大樹の内部で、女神マーテル様の住居。
マーテル様に聞いたら、アイトラ様のことも何か分かるかな…)
少年はまだ探索していない入り口を見る。
他の入口とは違い、近寄ろうとしたら変な圧を5人の内の誰かが発していたので探索できなかったのだ。
恐らくその先にマーテルがいることは、消去法で何となく分かる。
杖を手に取り、立ち上がろうとした所で初めて聞く声を耳にする。
「あらぁ~!
こんなところで男の子が1人で何をやっているのかしらぁ?」
少年が声のした方向に目を向けると、女性のような姿をした者が一階層へと向かう入り口に立っていた。
体は所々が擦り切れて血が滲んでいる。
髪も少々乱れており、やや息を切らしていた。
ただ、その目は少年のことを恍惚とした様子で見ており、身体の状態との差が不気味さを醸し出す。
「だ、だれ…?」
少年の声を聞きながらもクロドレは周囲を見て、目的の人物がここにいないことを確認する。
「おほほほ!
怯えなくていいのよ。
あたしは、どこかにいるムカつくマーテルの魂を食べに来ただけなんだから。
あと世界を乗っ取りにね。
あんたは抵抗しないなら、食事は後回しにしてあげるわよぉ?」
「魂を…食べる?」
少年の反応を見て、クロドレはニタリと笑う。
「あらあら、もしかして何も知らないのかしら。
てっきり、小柄な番人かとも思ったのだけれども違うようね。
しかし、残念。
あんまり話している余裕は無いのよね」
クロドレが一歩踏みしめると、少年の体が硬くなる。
そんな様子を見てますますクロドレは口角を上げる。
「おほほほ!
何だか可愛らしいじゃないのぉ!
やっぱりつまみ食いしちゃおうかしら?」
もう一歩クロドレが進むと、突如前方に人影が現れる。
その者はクロドレと同様、体にいくつもの擦り傷があった。
ただでさえ布面積の少ない服が所々破けており、少し焦げ臭い香りさえした。
艷やかな唇から、殺気の籠もった声を発する。
「どこに行くつもりかえ?」
目の前に立っていたのはプロネーマだった。
杖の先端はすでにクロドレに向けられている。
クロドレは目を見開く。
(上級魔術を受けて、この程度で済んでいるなんて…)
プロネーマは、階段下で魔術を一度受けて吹き飛ばされたが、すぐに立ち上がり階段を進んでいた。
即座に行動できたのは、杖を振り上げた際に『浮翔陣』を使い、炎を上昇させて直撃を避けたのが大きい。
『浮翔陣』は、体重80kgを超えるリーガルでさえも簡単に浮かせる力がある。
速度があったとはいえ、タイミングさえ合わせれば質量の殆ど無い炎の軌道を変えることは可能である。
加えて、プロネーマはちょっと浮いているので足音無く階段を上がることができる。
気づかれなかったのはそのためだ。
その後、二階層の入り口が間近に迫ると、クロドレの前にワープしたのだ。
プロネーマが杖に力をこめるのを見て、クロドレはつぶやく。
「あんた、人様に道を譲る善意というものを知らないの?」
「知らぬな。
譲るようでは五聖刃の長は務まらぬ」
「…息の詰まりそうな職場ね」
直後、クロドレが拳を振るおうとするが、プロネーマの対応の方が早かった。
杖から発する赤い獅子の闘気が、クロドレに食らいつく。
そのまま、一階層に向けて階段を転がり落ちていった。
レイジネス
パルマコスタの宿屋の主。 筋肉質で寡黙な性格。 鼻の下に生えた一文字の髭が特徴。
所謂、戦闘狂。
肉弾戦が大好きで鍛え上げた新しい肉体をいつか試したいと思っていた。
精神世界であれば、自分の思うように作り変えることが可能。
改変できる規模は、島1つ分ほど。