イセリア人間牧場奮闘記 before&after 作:あるいてごろりと
第三の試練を終えた一行は、バラクラフ王朝から外に出ると野宿を始めました。
いつの間にか、太陽が隠れる時間帯です。
この日は雲が覆っているためか星が見えず、空は明るさを無くし周囲は闇に溶け込んでいました。
真っ暗な空間に焚火がポツリと灯り、存在感を出しています。
焚火の周囲、暗めのオレンジ色に映し出されているのは祭司服を着た者達でした。
「アイトラ様…」
祭司達と一緒にいる少年は、設営した天幕を見て中にいる少女の名を呟きます。
天幕までの距離はすぐそこです。
しかし、彼女が天幕から出て、少年に明るく接してくれることはありません。
少年にとって、あの頃のアイトラは遠い存在のように感じられました。
第三の封印を開放したのち、彼女は心を壊してしまったからです。
○○
祭壇で倒れたアイトラは、意外にもすぐに立ち上がりました。
駆け寄った少年が安心したのも束の間、彼女の瞳を見て絶句しました。
アイトラの目には、光が宿っていなかったのです。
その上、不気味なぐらい表情が全く変わりませんでした。
まるで精巧に作られた人形のようです。
少年が呼びかけても、反応がありません。
死を連想してもおかしくない状態でした。
祭司達が来て、少年の肩に手をかけてどかします。
ひどい扱いですが、彼らも必死でした。
しばらくアイトラの様子を見ていましたが、やがて1人が首を振ります。
手の打ちようがないことを示していました。
祭司の1人が、天使化進行によるものではないのかもしれない、と言いました。
最後の祭壇で神子が心を捧げることを知っていたからこその発言です。
今のアイトラには、最後に捧げるものがあるとは到底思えない状態です。
少年以外の周りの者は、首肯します。
祭司達は、ひとまず祭壇をあとにしようと、来た道を戻ることを決めました。
アイトラをどうしようかという意見が出ます。
祭司の1人から背負って運ぶという提案が出ました。
しかし、少年が異議を申し立てます。
「俺が守りますから」
少年は、アイトラの手を握りました。
手のひらに肌を通して彼女の体温が感じられた時、胸に重い物が現れたような感覚がありました。
ですが、弱音を吐いてはいられません。
少年が優しく手を引くと、アイトラは速度を彼に合わせて歩き始めました。
その様子を見た他の者達は、誰も文句を言いませんでした。
しかし、一度通った道を引き返すだけとはいえ、バラクラフ王朝の内部は危険な箇所です。
魔物が徘徊し、危険なトラップもあります。
少年は、魔物の攻撃や迫ってくる棘のトラップからアイトラが傷つかないように、かばいながら戦闘や移動をしました。
バラクラフ王朝から外へ出るまで、決して彼女の手を離しませんでした。
少年についたのはかすり傷程度でしたが、運が良かっただけなのかもしれません。
○○
焚火を囲う祭司達はこれからどうするかを話し合います。
少年は、早々にアイトラとは別の天幕に入りました。
気を張って疲れが溜まっていたのもあります。
ですが、それ以上に先行きが不安になったことが大きかったのです。
少年はもう何度目になるか分かりませんが、世界再生の旅が如何に残酷であるかを改めて思い知らされました。
翌朝、少年が目を覚まし天幕から出ると、異常な光景が目に入りました。
アイトラと祭司達は、すでに天幕から出ていました。
彼女の両手両足は、今まさに組紐で拘束されている最中だったのです。
少年は、駆けだして両足を紐で結ぶ祭司を押しのけます。
アイトラの前に立ち、両手を広げました。
「どういうことだよ!」
祭司達は、少年に説明します。
昨日の少年のやり方では危なっかしくて仕方がない、と。
少年は片手に杖を持っています。
アイトラの手を握った状態では、両手が塞がっておりいざという時に対応が出来ません。
敵の攻撃を杖で防ぐにしたって、片手では危険が大きいのです。
年端のいかない少年では大人より非力なため尚更でした。
その点4人の組紐をそれぞれが持てば、臨機応変にできるとのことでした。
少年は納得したくありませんでした。
拘束された彼女の状態は、まるで奴隷のようだからです。
しかし、祭司達も分かってはいるのです。
誰一人として、快く思ってはいませんでした。
このままでは埒が明かないため、祭司の1人が少年に厳しい言葉を言い放ちました。
「ここで別れるか?」
少年は絶句しました。
その言葉によって、あくまで自分は旅についてきているだけにすぎない存在であることを理解させられました。
言い放った祭司は、じれったく思って発言していました。
ですが、それだけではありません。
少年が旅に同行しなければ、今後彼女の顛末を見ることもないのです。
近いうちに、別れは訪れます。
半分、少年の気持ちを慮っていたというのもありました。
少年は拳を握りしめます。
ですが、拳を向ける相手など、そこにはいないのです。
少年はポツリと呟くようにして、旅の同行の許可を求めました。
胸の内で燻る反抗心から、アイトラの拘束を認める発言は避けて言いました。
△△
祭司達一行は、第四の封印の開放を終えました。
祭壇に降臨した天使レミエルは、アイトラの異常な状況に対しても、一つも言及せずに淡々と祝福を授けました。
「神子よ。
ようやくそなたの旅も終わりを迎えようとしている」
少年は、レミエルの言動に内心腹を立てます。
(どうして、平然としていられるんだよ!)
少年の胸中の思いなど気にも留めず、レミエルは言葉を継ぎます。
「今こそ救いの塔への道は開かれる。
救いの塔を目指せ!
たどり着くことができたとき、神子は天の階に足を乗せるであろう」
言い終えると、レミエルは祭壇から姿を消しました。
試練が進むことが分かり、祭司達はほっと胸を撫でおろします。
ですが、少年だけは心中穏やかではありませんでした。
○○
祭司達は、まずルインに行きました。
救いの塔に行くための手段が分からないため、聞き込みを始めます。
意外と早くに問題は解決しました。
老齢の男性から、40年前に先代神子はハイマから救いの塔へ向かったと語ります。
直接見たわけではなく、竜の背中に人を乗せるのがやたらと好きなおじさんから昔聞いた話だそうです。
一行はハイマに向かいました。
冒険者が集う所ですが、住人は宿の者だけの閑散とした場所です。
ルインやここでは、さすがにアイトラを拘束する組紐は解いていました。
少年が彼女の手を引いて歩きます。
祭司の1人が、宿『こだま』の入り口の扉を開きました。
受付には、40代と思われる宿の主人が座っています。
「こんにちは。
おや、あなた方は…」
挨拶をすると、宿の主人は祭司達を見て、彼らが再生の旅の一行であることを察します。
後ろに控える、虚ろな目をしたアイトラを見て宿の主人は気の毒そうな表情をします。
漏れ出た言葉は、少年の耳にはっきりと聞こえました。
「やはり、今代の神子様もなのですね…」
祭司達は、宿泊することを伝えます。
それと同時に、救いの塔へ行く方法を知る者がいないか尋ねます。
「それでしたら、存じています。
古いツテで、ルインの町に空を飛べる竜を飼っている者がおりますので、彼をここへ呼びましょう。
先代の神子様は、竜の背中に乗って救いの塔へ向かいました。
明日の朝にでも、出発できるように手配いたしますよ」
宿の主人の手際の良さに、祭司達は感心します。
訳を尋ねると、宿の主人は昔を思い出すようにしつつ答えます。
「亡くなった父からの教えです。
もしかしたら、いつか次代の神子様が来られるかもしれないから備えておくように、と。
判断は私に任せるとのことでした」
その時、隣の部屋の扉が開きました。
中から現れたのは、杖をついた70代と思しき白髪の老婆です。
宿の主人は、席を立ち老婆の隣まで来て紹介します。
「母です。
母さん、神子様方が来られたよ」
老婆はお辞儀をします。
「ようこそおいで下さいました」
祭司の1人が、興味本位で老婆に先代の神子について聞きます。
老婆の顔が、明るくなりました。
「先代の神子様や祭司様方には、大変お世話になりました。
ディザイアンがここへ来た際に私は神子様に助けられたのです。
それに怪我を負ったのですが、4人の祭司様が杖をかざし不思議な力で治してくださったのですよ」
部屋の隅で聞いていた少年は、先代の神子に同行した祭司達が治癒魔術の使えるハーフエルフであることを察します。
すると、老婆の視線が少年の隣にいるアイトラへと注がれました。
老婆は、祭司達に尋ねます。
「あの子が神子様ですか?」
祭司達は頷き、今は試練の際中であることを話します。
アイトラを見る老婆の目に悲しみの色が灯ります。
老婆が口を開きました。
「あのう…」
弱弱しい口調でした。
自信なさげに、それでも老婆は話します。
「旅を止めることって、できないのでしょうか」
祭司達は、驚愕してざわざわと話します。
少年も老婆の発言に驚きました。
再生の旅は最後まで行われなければ成功せず、放置すると世界が衰退し続けるのです。
それを途中で止めてはどうか、と言われればざわつくのも無理はありません。
言わば、マナが枯渇していく世界の危機を見て見ぬふりを欲しいと言っているような危ない発言でした。
祭司の1人が、世界再生の旅の意味を説明し老婆を納得させようと努めます。
そもそも一般人の提案など通るはずがありません。
「すみません、出過ぎた真似を…」
老婆は、反論もなく肩をしょんぼりと落として謝罪しました。
「母さん、あとは俺がするから」
宿の主人は、老婆を労わるような口調で部屋へと戻るように促しました。
ドアを閉めると振り返り、祭司達へと向き直ります。
突然、宿の主人は頭を下げました。
「失礼いたしました。
ですが、母は先代の神子様達を引き止めずに見送ったことを今も後悔しているのです。
父も亡くなるまで、帰ってこなかった神子様や祭司様方をずっと心配していました。
処罰が必要であれば私が受けますので、どうか母のことは許していただけないでしょうか」
祭司達は、処罰をする気はなく頭を上げて欲しいと伝えます。
宿の主人は祭司達に感謝しました。
その後、宿の主人は料金や部屋割りなど宿泊についての説明をします。
少年に手を引かれたアイトラは一階の個室に案内されました。
「神子様の身の回りのお世話は母に頼もうかと思うのですが、よろしいでしょうか」
祭司達や少年は了承しました。
正直、男達だけだと着替えや体を拭いたりなど抵抗感のあることもありますので、宿の主人の申し出にはかなり助かっていました。
宿の主人から部屋を案内された一行は各々休息につきました。
〇〇
一行は、宿の夕食を取りました。
料理は老婆が作ったものです。
スープやサラダにパン、肉料理が卓上に並んでいます。
少年はアイトラのことを思うと食欲が湧かないので手をつけずにいましたが、武器の扱いに長けた祭司がそれに気づきました。
「分からんでもないが、とにかく食べておけ。
何のために、ナイフの稽古をつけたと思っているんだ」
武器の扱いに長けた祭司は数回だけ少年の稽古に務めていました。
それだけで使い方が達人のように上手くなったわけではありませんが、短いリーチのナイフで敵に接近することに怯えは無くなっていたのです。
「最後の祭壇でも、今までのような守護獣と戦うかもしれないだろう」
武器の扱いに長けた祭司は今一度食事を取ることを薦めました。
少年は返事をしないまま、スプーンを握ってスープを飲みます。
武器の扱いに長けた祭司は、その様子を見ると何も言わぬまま自身の食事を進めました。
〇〇
窓の外から見える空が薄暗くなり始めました。
食後に宿から外に出た少年は、崖の近くで空を眺めている宿の主人を見つけました。
近づいて声をかけます。
「どうしたの?」
宿の主人は振り向きます。
少年がいることに今気付いた様子でした。
「星を見ようかと思いまして。
夕食はいかがでしたか?」
「…うん。
美味しかった」
宿の主人は頬を緩ませます。
「それは良かったです。
料理は私ではなく母がしたものですが…。
あとで、感想を伝えても良いでしょうか?」
少年は頷きます。
「ありがとうございます。
きっと母も喜びますよ」
宿の主人は再び崖の向こうを見ます。
空気は澄んでおり、雲の無い天気でした。
地平線から太陽の光がわずかに漏れ出ています。
薄暗い空には、小さな星が点在していました。
少年は、宿の主人の隣に並び立ち星を眺めます。
宿の主人は、視線を変えぬまま少年へ話し始めます。
「神子様がここに来られたからでしょうか。
子どもの頃を思い出して、つい感傷に浸りたくなっていました」
「子どもの頃ってことは、先代の神子様?」
「ええ、今のような時間帯に神子様とお話させて頂いたんです。
私は大分幼かったので、会話らしい会話はして無いと思うのですがね」
宿の主人は、星に宿した記憶を掘り返すようにして眺めています。
「想い出のためでしょうか。
1番好きな景色なんです」
これから夜が深まるごとに、星が増えて空を埋め尽くしていきます。
今よりも景色は良くなるはずです。
しかし、わずかな星明かりが灯った空を見る宿の主人の懐かしむような表情には、嘘を感じさせませんでした。
少年は、宿の主人の思い出に残る先代の一行に興味が湧きました。
「先代の神子様達は、どんな人達だったの?」
宿の主人は、少年の顔を見ます。
過去を思い出しているためか、憧れの色が灯った瞳で悩む素振りも見せずに話しました。
「神子様はとても優しい方でした。
母は芯の強い人だとも言います。
それに4人の祭司様方も同じく情の深い人達で、頂いた恩はとても返しきれないものだと父が言っていました。
あの方達の治療の光は、子どもながらに今でも覚えていますよ。
ずっと見ていたくなるような温かい光でしたから」
「へえ、祭司の人達はハーフエルフなんだよね」
宿の主人は肯定します。
少年は、人間である宿の人とハーフエルフである祭司達の関係性を羨ましく思いました。
村にいたのが彼らのような人達ばかりなら、悲劇は起きなかったのではないか、と。
「神子様の名前は何ていうの?」
「スピリチュア様です。
祭司様方は、スピリア様と呼んでいたそうですよ」
少年は、その名を覚えようと口に出します。
「スピリア…様」
再び2人は星を眺めます。
空は、太陽の光が完全に失われていました。
少年は、そろそろ戻ろうかと考えていると、宿の主人が口を開きます。
「再生の旅は、辛いことばかりでしょうか」
「え?」
「私は妻子がいて、ルインに住んでいます。
私も向こうに住んでいるのですが、定期的に母の手伝いでここに。
ルインの町の人々は、世界が救われるのだからと気持ちが明るくなっています。
…私も、そんな1人です」
宿の主人が、少年に顔を向けました。
宿の窓から漏れ出た明かりが、横顔を照らしています。
宿の主人の表情は、言葉とは異なっているように少年には見えました。
「皆さんが来られたとき、母が再生の旅を止められないか話を持ちかけましたよね。
私は、母と一緒になって言うことが出来ませんでした。
世界が救われれば、妻子とも豊かな生活ができるはずだからです。
そのため、母の味方が出来ませんでした」
宿の主人は、伏し目がちになります。
「先代の神子様との記憶はおぼろげなのですが…今代の神子様の様子を見て、旅がどのようなものか察する部分はあります。
それなのに、私は救われた世界の恩恵をのうのうと享受しようとしているのです。
ですから…」
そこから先、宿の主人は言葉を繋げませんでした。
左右に首を振ります。
「すみません、忘れてください」
少年には、宿の主人が罪の意識を感じているようにも見えました。
(きっと、この人も負い目を感じているんだ)
老婆は、先代の神子の旅を止めずに見送ったことを後悔しています。
そして、宿の主人もこれから先、同じような気持ちを抱くことを恐れているのでしょう。
区切られた言葉は、旅の同行者である少年に少しでも罰せられたくて発したのかもしれません。
言葉をそれ以上繋げられなかったのは、少年に求めるのは間違いだったと思い改めた故か、はたまた宿の主人自身のためなのか少年には分かりませんでした。
(でも、この人達が抱えなきゃいけないことなのかな)
世界を救うためには、再生の旅が不可欠です。
そして、旅をする神子を要所要所で出迎えるのは、クルシスの天使です。
少年は問い詰めたい気持ちに駆られます。
なぜ、こんな方法しかないのかと。
今回の旅でもしものことが起きれば、宿の主人の心にも老婆ほどではなくとも傷が残るのかもしれません。
しかし、彼は一緒に生活している妻子の今後のことを思えば、再生の旅が完遂されてほしいと思う気持ちが強いのです。
それに、今回は平和に終えるかもしれません。
だからこそ、宿の主人は今最も身近な存在となった者達のための道を選びました。
少年は考えます。
(みんな、それぞれが望んだ道を進もうとしているだけなのかもしれない…)
以前の村の悲劇は到底受け入れられないことですが、少年は旅の経験の為か少しばかり視野が広くなりました。
現状、アイトラは世界のために旅を続けています。
少年も旅の手伝いをすることが、アイトラの助けになることだと思っています。
それにハーフエルフが安全に暮らせる世界にもなって欲しいからです。
道はそれしかなく、同時に彼女の望むことをしているものだと思っていました。
しかし、アイトラの心が壊れてから、今やっていることが当たり前のことなのか、すべきことなのか分からなくなりました。
宿の主人の話と老婆の行動を見て、やるべきことが1つしかないのか疑問を持ち始めています。
(アイトラ様は、今の旅が望んだ道だったのかな)
再生の旅が終えると、アイトラは天使となります。
一時の別れになるかもしれません。
ですが、アイトラが天使になったとしても、少年はまた会えるものだと思っています。
目に光が宿り、感情豊かなあの頃の姿に戻った彼女にです。
再会するとき、天使の彼女は喜んで会ってくれるだろうかと少年は思いました。
(そうだったら、良いのだけれども)
長考している少年の押し黙ってしまう様子を見て、宿の主人は後頭部に手を添えて謝罪します。
「先程は、急に暗い話をしてすみません。
風が吹いてきましたし、冷えると良くないので戻りましょうか」
「あ、待って!」
少年は、慌てて宿の主人に言いました。
「旅は辛いこともあったし、今もある。
だけど、救われることもあったよ」
本心には違いない言葉ですが、宿の主人の負担が少しでも取れればいいと少年は思いました。
少年にとって、宿の主人は憎むべき相手には到底成り得ないからです。
「…そうですか」
宿の主人は、少年に祈りを捧げました。
「あなた方に女神マーテルのご加護があらんことを。
どうか、後悔のない様に…」
少年は頭の中で考えます。
(後悔のない…か。
俺は…どうすれば…)
考えても答えは出ませんでした。
その後、2人は宿に戻りました。
◯◯
翌朝、朝食を取ったのち、一行は救いの塔が見える山頂にいました。
4頭の竜が並び立っています。
年を取った竜の背中に人を乗せるのがやたらと好きなおじいさんが、乗り方を教えます。
一行がそれぞれの竜の背中に乗ってもおじいさんは喜びませんでした。
前回の旅が完遂されなかったことが、彼の心にも影響を残していたのです。
宿の主人は、アイトラと2人乗りをしている少年に話します。
2人は、長い布を腰に巻いて固定していました。
老婆は足が悪く、山頂まで来れませんでした。
「母からの伝言です。
どうか、無事に戻ってきてくださいね。
私も、そう望んでいます」
少年は、頷きます。
一行を乗せた竜は飛び立ちました。
〇〇
救いの塔の目前まで来ると、竜が降り立ちます。
祭司達が荷物を下ろすと、竜は元来た方へ飛び立っていきました。
祭司達が、アイトラの両手両足に組紐を結びつけます。
そんな様子を直視したくない少年が、目を逸らし代わりにそびえ立つ高い塔を見上げます。
空に突き刺さる建物は、てっぺんがどこまであるのか視認できません。
ふと、少年の目に空を飛ぶ鳥が映りました。
救いの塔の周囲は風が強いため、一生懸命に羽を動かしています。
少年は水の神殿で封印の開放を終えたあと、アイトラがソダ島遊覧船乗り場で鳥を眺めていたことを思い出しました。
彼女は、皆に羽が生えれば争いは無くなるのだろうかと少年に言いました。
他者を思いやるような言葉でした。
(アイトラ様は、本当に他人の自由だけを願っていたのかな)
アイトラは、自分の辛いことは隠す人です。
少年は、一緒に旅をしてきて理解していました。
彼女の本心は、言葉以外にもあったのかもしれません。
ですが、考えがまとまる前に祭司達に進むように言われ、少年達は救いの塔の入り口へと行きました。
○○
救いの塔の内部を見て、一行は驚きます。
足場は透明で、祭壇に向かって伸びています。
通路の下では、いくつもの浮遊物が見えました。
「棺桶…?」
中に亡くなった人がいるのであれば、相当な人数です。
不気味な様子でした。
少年がゴクリと唾を飲み込みます。
今まで見たどのダンジョンよりも異質な光景でした。
先に進み、祭壇までたどり着きました。
組紐で繋がれたアイトラを祭壇まで歩かせると、祭司達は手に紐を握ったまま引きさがります。
すると、アイトラの前に守護天使レミエルが降臨しました。
「神子アイトラよ……。
よくぞここまでたどり着いた」
レミエルの言葉にアイトラは反応を見せません。
構わず、レミエルは最後の儀式を進めていきます。
「さぁ、神子アイトラ。
今こそそなたに最後に残されたもの、すなわち心と記憶を捧げるのだ。
それを自ら望むことでそなたは真の天使となる!」
「心と記憶って…」
少年は驚きました。
そんな話は、祭司達からもアイトラからも聞いていなかったからです。
祭司の1人が、少年に言います。
アイトラが少年には伝えないように釘を刺したので話さなかった、と。
少年に気を遣ってのことでした。
「…おかしいよ!
記憶が無いって、もう会っても誰なのか分からないってこと!?
どうしてアイトラ様だけがそんなひどい目に合わないといけないんだよ!」
アイトラの元へ行こうとする少年の肩を祭司が掴みます。
分かってほしい、と言いました。
ですが、少年には彼らの言うことなど理解出来ませんでした。
そのとき、アイトラの薄いピンクの羽が広げられました。
最期の祝福を受ける時が来たからです。
羽を見た少年は、ソダ島遊覧船乗り場で彼女が海鳥を見ていた姿を思い出します。
あのときのアイトラは、人々の諍いが無くなってほしいと思わせるようなことを言っていました。
ですが、なんとなく少年にはそれだけの気持ちで空飛ぶ海鳥を見ているようには思えませんでした。
彼女は、わがままな私欲であれば押し隠す人です。
世界再生の旅を阻害するようなものであれば、尚更でした。
弱音を吐いたのは、アスカードで雨が降った日一度きりです。
少年は、再びソダ島遊覧船乗り場での彼女の様子を考えます。
(アイトラ様…本当は天使になりたくなかったんじゃ…)
アイトラが海鳥を見る目、それは憧れでした。
自分では届きえない空を飛ぶ自由な鳥に、彼女は憧れを持っていたのです。
少年は今の今まで察することが出来ませんでした。
しかし、それは少年だけではありません。
マナが枯渇していく世界が前提であれば、日々の生活のためにも村人達は無自覚にも押し付けるように思考してしまうのです。
神子様は世界を救いたがっているはずだ、と。
それが当たり前であるかのようにです。
どこからでも見えるほど高い建築物である救いの塔の出現により、シルヴァラント大陸全域で再生の旅が始まることが知れ渡ります。
本人の意思の介入する余地などなく、旅はやらなければならないことになってしまうのです。
全てを捧げるという行く末を考えると、16歳という少女一人にはとてつもなく大きな重圧となるでしょう。
気持ちを押し殺したアイトラは、誰にも本心を話さずに旅を終えようとしていました。
誰か一人にでも相談していれば、固めた気持ちが崩れてしまうかもしれないからです。
(俺はどうしようもない馬鹿だ!)
少年は、祭司の手を振りほどきます。
祭壇に行き、アイトラを拘束する4本の組紐を懐に隠していたナイフで切りました。
「すみません、アイトラ様。
あとで、いくらでも怒ってください」
少年は世界の救済よりも、何よりハーフエルフが自由に生きられる世界よりも1人の少女の自由を選びました。
アイトラの手を引き入り口に戻ろうとします。
ですが、5人の祭司達が行く手を阻みました。
全員が杖に仕込んだ刃を見せ、槍として持ち構えます。
「分かってくれ。
お前の望みだって叶わなくなるんだぞ」
祭司の1人が、槍を向けながら言います。
半ば脅しに近い形でした。
少年は納得が出来ません。
「俺が今一番望んでいるのは、アイトラ様の無事だよ!」
足元に魔法陣を展開します。
祭司達の足元に向けて、火球が放たれます。
祭司達が左右に散りました。
中には、転倒する者もいます。
少年は、アイトラを連れたまま合間を抜けて進みます。
祭司達が追ってきました。
少年は、アイトラの手を握りしめて走ります。
このままでは追いつかれると思った少年は、足を止めてアイトラの手を離しました。
「ここで待っていてください」
そう告げると、少年は踵を返しました。
1人で5人の祭司達の相手をするつもりです。
「馬鹿な真似はよしてくれ」
祭司の1人が、うろたえながら言います。
少年は、腹立たしく思いました。
「俺にはこんな旅こそが馬鹿な真似に思えるよ!」
武器の扱いに長けた祭司が少年に言います。
「家族のためなんだ…」
力ない言葉でした。
少年は、稽古のときには武器の扱いに長けた祭司を恐ろしく感じたことがありました。
ですが、今の目の前の彼はとてもひ弱な存在に思われました。
説得は無理と諦めたのか、1人の祭司が杖を振り上げて駆け寄ってきました。
少年は、足元に魔法陣を展開します。
距離的には、術の行使が十分間に合うほどでした。
ですが、少年は迫ってくる祭司の顔を見てとある記憶が蘇りました。
アイトラが鳥の魔物の攻撃で石化をした日のことです。
その祭司は、少年が自分の手をナイフで突き刺したあとに、包帯を巻いてくれた者だったのです。
少年は彼に恩を感じていました。
(なんで、今更思い出すんだよ…)
少年の顔が歪みます。
足元の魔法陣が消えました。
祭司は杖を少年の持つ手に向けて振り下ろし、そのまま杖をはたき落としました。
残りの4人の祭司達が、杖の先端についた刃を向けて迫ってきます。
彼らは少年が動けなくなる程度に攻撃するつもりでした。
ですが、殺すつもりはなかったのです。
ただ、彼らは緊張感と不安により力加減ができていませんでした。
必要以上に、槍を持つ手に力が入っていました。
少年の命を止めるほどの勢いで刃を突き付けていたのです。
やがて、4本の刃が肉体へ刺さったときに彼らは驚愕しました。
刺されたのは、少年の前に立ったアイトラでした。
心の壊れたはずの彼女は、両手を広げて少年をかばい代わりに刃を受けました。
アイトラの腹部を覆う衣服が、赤く染められていきます。
すぐに絶命してもおかしくない傷でした。
4人の祭司達が、皆槍から手を離します。
槍は彼女の体から血と一緒にこぼれ落ちました。
祭司達の反応は様々でした。
呆然と立ち尽くす者。
そんなつもりじゃ、と言う者。
両膝を地面について、顔を覆う者。
少年も膝をつきました。
頭の中は真っ白でした。
目の前に立つ少女の足元が、真っ赤に染まっていくのをただ黙って見ているだけです。
到底、受け入れられない現実でした。
「アイ…トラ…さ…」
ようやく声を絞り出した矢先、守護天使レミエルが言いました。
「予行演習は終わりだな。
早く次回の神子がここに来てほしいものだ」
祭司達とアイトラの中心に光の玉が出現しました。
頭よりも高い位置にある玉から、無慈悲な光線が斜め下方向にいくつも射出されていきます。
光線は、祭司達の体を貫いていきます。
5人の祭司達は倒れて動かなくなりました。
そして、最後に玉から射出された光線は、アイトラの胸を貫きます。
そのまま、彼女の背後にいた少年の胸をも貫き風穴を空けました。
死に直結する一撃です。
体の力が抜ける少年は、意識が薄れていく中、確かに見たのです。
祭壇の上で、レミエルがほくそ笑んでいました。
誰がやったのかは明白です。
アイトラと共に地に伏した少年は、痛みで苦しみつつもレミエルの言葉を脳内で反芻します。
(予行演習…次回の神子…。
アイトラ様は、元から天使になれなかったってこと…?
ひどい…騙していたんだ…)
アイトラは、最初からマーテルの器として期待などされていませんでした。
1人の少女の命を使った、ただの練習に過ぎなかったのです。
少年は、悔しくて仕方がありませんでした。
希望を壊した守護天使レミエルに、少女に絶望の試練を課すクルシスに、そんなシステムでないと救われないような世界に怒りがこみ上げてきます。
しかし、胸に空いた傷の影響で立ち上がることもできず、体温の下がり続ける体ではもうどうすることもできません。
少年は、目の前に倒れたアイトラを見ます。
彼女の表情は長い髪で隠れて見えませんでした。
震える手を伸ばします。
泣いていないか、と思ったからです。
ですが、その手は彼女に届くことはありませんでした。
守りたい命を守ることもできず、只々無念に打ちひしがれたまま、少年の命の灯はついに消えていきました。