イセリア人間牧場奮闘記 before&after 作:あるいてごろりと
フォシテス達が二階層に上がるための階段を進んで行く。
プロネーマを先頭とし、フォシテスとクヴァルが並んで走る。
一階層の右側は、ヴァーリが最後の抵抗で泥沼と化していたがすっかり消え去っていた。
不思議なもので、肌や衣服についた泥も取り除かれている。
フォシテスが共に進むプロネーマやクヴァルに駆けながら説明する。
「恐らく、マーテル様の力だ。
マグニスといた部屋でも同じ現象が起きていた」
「マーテル様は、無事であろうか」
プロネーマがフォシテスに尋ねる。
「敵の手には落ちていないはずだ」
自分達が誘導した魂達が、そうしていると願いを込めながら言った。
ロディルは、後方で同じ二階層に向っているはずだが、距離が遠かったので放っていた。
クヴァルが質問する。
「フォシテス、マグニスについて聞いてもいいですか?」
マグニスの姿が先ほどから見えないことをクヴァルは気にしていた。
彼の顔には不安が現れている。
怪我をしていて右側の部屋まで来れなかったのだろうかと、まずは考えていた。
やがて、もしかしたらと思わずにはいられなかった。
フォシテスが即答しないことも起因していた。
フォシテスは重苦しく答える。
「マグニスは……あの世に行った」
クヴァルの耳には、フォシテスの声が固く聞こえた。
階段の先を進むプロネーマの眉がピクリと動く。
クヴァルは、フォシテスの言葉がすぐには呑み込めず声に出して反芻する。
「マグニスが……あの世に…ッ!?」
隣で走るフォシテスが、クヴァルの言葉に静かに頷く。
クヴァルの脳内には、今までのことが不意に思い出される。
マグニスは共に長いこと同じ組織の下で、勤めてきた関係だ。
だが、豪快で熱っしやすい感情を持つマグニスに対して、クヴァルは正反対の人物と言っていい。
互いの性格を鑑みると、馬が合わない部分もあるものだ。
会議中、互いに突っつくような発言をしてきたことも少なくない。
しかし、いつだったか救いの塔での仕事終わりに五聖刃で飲み会を開いたとき、誰一人としてグラスの酒が切れないよう配慮していたマグニスの意外な一面を知り、クヴァルの見方は変わる。
クヴァルであろうとグラスに酒を注ぐそのときのマグニスには、区別や差別といったものは見当たらなかった。
(単に、仕事の感情を飲みの場に持ち込みたくなかっただけかもしれませんがね)
別にそれからもマグニスとの接し方が急変したわけではない。
相変わらず、フォシテスであろうと失態を突く生前尖っていた頃のクヴァルと歯向かうマグニスとの関係は、平行線に等しかった。
だが、全く理解できないと思っていた者の行動を普段とは別の角度から少しでも見れたことで、今までのような嫌悪感は湧かなくなっていた。
クヴァルは、フォシテスに同情する。
マグニスとの仲の良さを知っていたからだ。
同情する者を毛嫌いする者も多いが、クヴァルは同情せずにはいられなかった。
「我々の戦いが終われば、すぐにあちらで会えるでしょう」
クヴァルの言葉を聞いたフォシテスは、再び頷く。
「…そうだな」
○○
フォシテス達が二階層にたどり着くと、部屋中に散らばる大小さまざまな瓦礫が目に映る。
隅の方では座り込む金髪の少女がいた。
彼女は、天井を仰ぎ見て何かに想いを募らせているようだった。
「アイトラ!」
フォシテスが名を呼ぶと、アイトラはそちらへ顔を向ける。
「フォシテスさん…」
フォシテス達が駆けつけるまでに、アイトラは立ち上がり膝を手ではたく。
「怪我はないか」
言いつつ、フォシテスは彼女に傷がないかその目で確認する。
アイトラは、目元を指で拭いにこりとほほ笑む。
「はい、大丈夫です」
フォシテスの目に、アイトラの笑みは弱々しく感じられた。
彼女の服は所々がわずかにだが、汚れている。
それに、目元を拭う仕草から、泣いていたことは容易に理解できた。
(無理をしているじゃないか)
まじまじとアイトラの表情を見つめるフォシテス。
一度、二階層にフォシテスが来た時も彼女は倒れていたのだし、心配が止まないのは当然だ。
かつて夢の世界で共に働いた部下を思いやる上司を差し置き、プロネーマがアイトラに尋ねる。
「久しぶりじゃな。
敵はおらぬのかえ?」
アイトラは、ぺこりと頭を下げた。
「お久しぶりです、プロネーマさん。
敵はもういません。
もう、大丈夫ですから…」
プロネーマがアイトラと部屋の様子を見て、状況を察する。
「そなたも戦っておったようじゃな」
「…私だけではありません。
頼もしい仲間と一緒でした。
遠くへ行ってしまいましたが」
「そうかえ…」
プロネーマがいとおしむような目つきで、視線を落とすアイトラを見る。
今度は、クヴァルが話す。
「詳しくは分かりませんが、あの祭司服を着た少年も戦ってくれたのですね?
あなたの知り合いだったのでしたら、残念な話です」
「それでも、最後にまた話が出来ましたから。
きっと…彼に悔いは無いと思います」
「…そうでしたか。
アイトラ、どうしてここへ。
てっきり、あなたはマーテル様と同化しているものと思っていましたが…」
アイトラの魂が分離した過程は、マーテルしか知らないことだ。
「マグニスさんの事情はご存知でしょうか」
「ええ、フォシテスから聞いています」
クヴァルが頷く。
「あの世にマグニスさんが旅立った影響で、マーテル様が私の魂を放出したのです。
あの時のマーテル様は、そうしなければならない不安定な状態でしたから」
アイトラが説明を終えると、マーテルが瓦礫の陰から姿を現した。
「皆さん、お疲れ様です」
マーテルの下にすぐに行き、無事を確認するプロネーマ。
「マーテル様、お身体の方は…」
「大丈夫ですよ、プロネーマ。
4人の祭司達が治癒術を施してくれましたから。
それに、あなた達のおかげでもあります」
マーテルは、言いつつ治癒術を五聖刃に施した。
その後、お礼を言いながらも傍らにつくプロネーマと歩を進めてフォシテス達の下へ行く。
「ソウルイーターは全て消失し、大樹は守られました。
本当に感謝致します」
深々と頭を下げるマーテル。
クヴァルは、確認をおこなう。
「まだ、毒の影響はあるのですか?」
「…そうですね。
魔術を使えば使うほど消費する身のままです」
マーテルの言葉を聞いたクヴァルは、冷静な判断をした。
「それならば、すぐにでも私達との繋がりを切った方がいいでしょうね」
場の空気が重くなる。
だが、大樹の精霊の身にこれ以上負担をかけるわけにはいかない。
クヴァルの言葉は最もである。
マーテルもこれ以上留めるような発言は、野暮であると感じていた。
そんな中、フォシテスはアイトラの様子を気にしていた。
「アイトラ」
名前を呼ばれて、彼女はフォシテスへと顔を向ける。
「はい、どうしましたか?」
フォシテスは、アイトラの表情をジッと見ていた。
「何か言いたいことがあるんじゃないか?」
「え?」
「抱えたままは良くない。
夢の世界で君がしてくれたように、少しでも話を聞きたいんだ」
フォシテスは、心残りがあるような別れをしたくなかった。
そのため、かつて自分が受けた恩を返そうしているのだ。
アイトラがわずかに視線を下げる。
「…分かるんですね」
「共に働いた部下のことだからな」
良い上司は、部下とのコミュニケーションを欠かさないものだ。
アイトラが、敵わないなと諦めた様子で話した。
「1つだけ、わがままを言ってもいいですか?」
「構わない」
「私、夢の世界では初めての経験ばかりでした。
皆さんと一緒に体を動かして、お仕事をしたこと…生前では考えてもみませんでした」
フォシテスは、夢の世界での出来事を振り返る。
突然のディザイアンの方針転換。
牧場の内部改革により、働く労働者達の目が活き活きとした様子。
交流の増えるディザイアンの兵と労働者達。
それだけに収まらず、村との平和なやり取りもどんどん増えていった。
まさに、夢のような出来事を体験できた世界だ。
「私も同じだ」
フォシテスの言葉を聞き、一瞬アイトラが喉を詰まらせる。
「…ですから、私。
皆さんとのお別れが…寂しいです」
アイトラは、困ったように眉を八の字にしてはにかむ。
どうにもならない状況で、無理だと思いつつも本音を告げる。
先程の祭司服の少年が消え去ったことも、そう思ってしまう原因となっていた。
フォシテスは、胸が痛んだ。
アイトラの気持ちは十分に理解できる。
フォシテスも夢の世界で、村人や労働者、または兵隊に扮した夢の住人達との突然の別れを経験している。
彼らとの交流で得た繋がりは、かけがえのない思い出となっていた。
故に、別れも辛いものであったのだ。
生前の行いを考えれば、受け入れなければならない罰なのだとも思った。
だが、運命は唯一存在を残す目の前の部下にも、かつてフォシテスが味わった思いを与えようとしている。
そんなことをフォシテスは望んではいない。
何故なら、アイトラに背負うべき罪などないからだ。
夢の世界での別れ際で、アイトラはフォシテスの罪を一緒に背負うと言ってくれた。
しかし、こんな顛末を通すべきではない。
そう思いフォシテスは悩むが、どうしようもない状況だった。
彼の心に、部下に何も出来ない無念の思いと自身への怒りが複雑に絡み合い侵食していく。
上司でありながら、部下の数少ない思いすら叶えてやれない己の未熟さに腹が立つ。
だが、黙っていては彼女により不安を募らせてしまう。
フォシテスは、アイトラの頭に手のひらをのせた。
「私もだ。
私も、君との別れが…寂しい」
悩みに悩んだ末に、ようやく言えた言葉であった。
アイトラにとって、フォシテスの発言は思わぬものであった。
彼女は人間牧場内の勤務した頃と夢魔との戦闘前後でしかフォシテスを見る機会は無かったが、あまり自分の感情を吐露しないであろうと思っていたフォシテスが噓偽りのない言葉で語ってくれた。
周囲にいるマーテルやプロネーマ、クヴァルが沈痛な面持ちで2人の様子を見守っている。
アイトラは、別れを思うことによる寂しさの中に、少しだけ喜びが混じったような目でフォシテスのことを見ていた。
△△
「ふぉっふぉっふぉ。
感傷的になっている所のようですが、お2人さん。
とりあえず、私の話を聞いてもらってもよろしいですかな」
いつの間にか二階層にたどり着き、いつの間にかフォシテスとアイトラの近くまで来ていた卑怯な科学者が水を差すようなことを言い出した。
〇〇
ロディルはマーテルに要望を出した。
大樹を守護することに貢献した報酬が欲しいとのことだった。
怒りのプロネーマが前に歩み出ようとしたが、マーテルが手で制しつつロディルに何が欲しいかを尋ねる。
「大樹の葉を1枚でいいので、頂けませんかな」
「いいですよー」
あまりにも早い決断。
マーテルの姿が一瞬消えたかと思うと、再び同じ位置に現れる。
その手には、緑の葉が1枚握られていた。
こうして、大樹の葉はロディルの手に渡った。
ロディルはマーテルにお礼を言うと、「ふぉっふぉっふぉ」と笑い喜んでいる。
場は、変な空気に包まれる。
ロディル以外の者は、もう別れというお開きが近付いていた最中、1人だけ誰も予期しない方向へ突き進もうとしている。
あと、怪しい科学者の手にはエクスフィアをはめ込んだ本が握られていた。
ロディルは、クヴァルに体を向ける。
「クヴァル殿、私はこれから本の中に入りますから一緒に来て頂けませんかな?」
「それはいいですけれども、どうするのですか?」
「内容は中で話しましょう」
ロディルは、言い終えると本に空いた方の手で触れ、吸い込まれるようにして中に入って行った。
すぐさま、クヴァルも後に続く。
〇〇
クヴァルがたどり着いたのは、石壁の部屋だ。
絶海人間牧場で、シルヴァラント王に会う前の部屋と同じようだった。
石壁の部屋には、ロディルの姿は見当たらない。
クヴァルは、部屋の奥にある木製のドアの所まで歩み、ノブに手を掛けた。
「この部屋は…」
ドアを開くと、そこはシルヴァラント王がいたような謁見の間ではなく、絶海人間牧場で見られるような実験室だった。
室内は、直径30mはある広大な部屋であり、大樹の二階層並みである。
灰色に染められた無機質な床や壁が、見る者に冷たいイメージを湧かせる。
上下を太いホースで繋いだいくつかの培養カプセルが並び、カプセル内は透明な液で満たされていた。
また、箱型の器具が機械らしい音を奏でながら小刻みに震えている。
実験に使用するのか、魔道具らしき物も天井から吊り下げられたり、乱雑に床に置かれたりしていた。
部屋の中央には長机が置かれ、机の上には細かい文字が羅列する紙がだらしなく重なっている。
長机の前には、ロディルがいた。
「ふぉっふぉっふぉ。
お待ちしておりましたぞ、クヴァル殿」
「ロディル、この部屋は一体…」
「本の中には、あるルールがあるのですよ。
一番最初に入った者の心象風景が部屋となって現れるというね。
どうでしょう、私らしい実験室とは思いませんか?」
ロディルは、愉快な面持ちで辺りを見回す。
クヴァルは、気になることに優先順位をつけて上澄みだけ掬い尋ねる。
「大樹の葉をどうするつもりなのでしょうか」
クヴァルは真意が知りたかった。
場合によっては、取り押さえて無理やりにでも一緒にあの世に行く必要もあるかもしれない。
ロディルの表情が真面目なものに変わる。
ポケットから小さなガラスケースのような物に入った大樹の葉を出した。
「クローンを作ります」
「…なぜでしょうか」
まず理由を聞いた。
クヴァルの問いかけに、ロディルはメガネのブリッジに中指を当てながら答える。
「クヴァル殿は先ほど、アイトラ殿の表情を見られましたかな。
私には、何かを得ることをどこか諦めたように見えましたぞ。
…約800年間に渡り続いた世界再生の旅。
私達の非道な行いにより、神子達は望みを捨てる者も多かったことでしょう。
例えば、平穏な暮らし、仲の良い者との交流、娯楽…。
アイトラ殿だって、例外ではないでしょう。
私は思うのですぞ。
私達は、アイトラ殿にまた諦めさせようとしているとね。
ですから、ワシらは示さねばなりません。
これは、義務と言ってもいい。
あの少女…いえ、あの少女達に望んだものが手に入る可能性というものを見せつけるのです。
それが、ワシらがやるべき罪滅ぼしというものではないですかな」
意外そうな表情をするクヴァル。
ロディルの返答は、クヴァルにとっても望ましい内容である。
かつて、怪しい科学者は組織の幹部でありながらも裏切り行為をした。
だが、今のロディルは他の五聖刃と同じ場所を見ている。
しかも、それだけにとどまらず具体的な答えを考え、実現させようとしていた。
クヴァルは、先程ロディルを本の外へ連れ出そうと考えていたことを恥と捉えながらも話す。
「正直、先程のフォシテスの表情も見ていられないものでした。
ロディル…あなたのことを誤解していました。
大樹のクローンと先ほどのあなたの話、繋がりを教えてもらってもいいでしょうか」
「ふぉっふぉっふぉ。
もちろんですとも。
そのために、クヴァル殿をここへ呼んだのですから。
是非とも、ご協力をお願いしますぞ」
○○
その後、ロディルから最終的な目的の話を聞いて可能性を感じたクヴァルは、クローンの製造方法について確認する。
「ロディル、大樹は葉挿しで増やすのですか?」
植物の一部から個体を再生する技術は古くからある。
ジャガイモの塊茎形成やいちごのつるによる増殖などといった栄養生殖を利用した繫殖様式だ。
他にも挿し芽、挿し木、もしくは葉挿しといった方法がある。
発芽した個体は、元の個体と遺伝的に同一であるのが特徴だ。
ただし、葉挿しは多肉植物の葉から根を出させて増やす方法である。
もちろん大樹は多肉植物には分類されない。
「いいえ、細胞を利用しますぞ。
葉を使うクローン再生は、葉脈を構成する維管束の細胞があればできますから」
大樹も植物には違いない。
とあれば、葉脈もあるし、それを構成する維管束も存在する。
あとは、大樹の葉のみで再生できるかが課題だ。
クヴァルがロディルの持つガラスケース内の葉を眺める。
「多肉植物でなくともちぎれた葉で個体を再生できる品種もありますね。
その葉には、クローン再生に必要な基部側はあるようですし」
植物の茎や根などを形成するのに必要な遺伝子は、葉の根元(基部)で活性する。
また、再生にはある植物ホルモンを必要とするが、できない話ではない。
クヴァルは、腕を組んで思考する。
「しかし、やはりと言いますか…。
細胞を利用するにしても大樹では再生しないのではないのでしょうか?」
大樹が葉だけで再生できる品種の枠外であれば、計画は水の泡である。
ロディルは、顎下に手を添える。
「最も難関な箇所がそこです。
私も今の大樹の葉では条件をクリアできないものと思っております。
しかし、遺伝子を組み換えてみるのはどうでしょうか」
「再生しやすい状態に大樹の葉を変質させる、ということですか」
クヴァルの聞き返しに対して、ロディルが頷く。
「倫理的な問題など、今更でしょう。
何せ、われわれは人道から外れた『エンジェルス計画』を提唱したのですから」
マーテルとの同化の影響で善意が芽生えた他の五聖刃にはできない発言だ。
ロディルも同化の影響を少なからず受けているはずだが、元々持つ資質で変革できない部分もあるのかもしれない。
何せ、発言したロディルはスンとすまし顔だからである。
クヴァルは、彼の様子を見ても批判する気は起きない。
自身もその道から外れた意識もあるし、何より実験目的が利己的でないのもある。
「そう…ですね。
(われわれ…?)」
ロディルの話すワードに微妙に得心がいかないクヴァルだったが、今はそんな話を深堀りしても仕方ない。
ロディルは、大樹の葉をガラスケースから取り出す。
「時間はかかるでしょうが、ここはエクスフィアの本の中。
期限を考えずに実験できますし、設備や器具は私の心象風景ならば問題ありません。
あとは根気だけが必要ですぞ」
やる気満々なロディルを見て、クヴァルも意見する。
「『エンジェルス計画』の技術も応用が利くかもしれません」
ロディルは、その一言で賛成の意を表した。
エンジェルス計画の実験内容は、エクスフィアの寄生時間を通常よりも引き伸ばして、ハイエクスフィアへと変質あるいは昇華させるものだ。
謂わば、元の物質の構成を変えることが可能であるということ。
永きに渡り続いた実験を思い出す。
そして、実験の被験者達をもクヴァルは思い出していた。
今からやることが成功しようとも、許され無いままの罪滅ぼしであることには変わりない。
それでもやるべきだとクヴァルは苦い表情で決意する。
「これは…腹を括らなければなりませんね」
〇〇
エクスフィアの本からロディルとクヴァルが出てくると、彼らの憔悴した顔に他の者は驚いた。
彼らの顎には無精ひげが生え、頬がコケていたからである。
アイトラがその様子を見るなり、目をつむり何かに祈るような仕草をとると、彼らの目の前に水の入ったグラスとスプーン付きのおかゆが現れた。
クヴァル達がアイトラに礼を言う。
「す…すみません…」
「ふぉ…。
助かり…ますぞ。
私の心象風景…水しか無かったもので…」
「喉に詰まらせてはいけません。
ゆっくり食べてください」
座り込んでまずは水から飲み始めた。
がっつく気力も無いのか、アイトラの言う通りちまちまと食料を口にする2人。
彼らの足元には、鉢植えが置かれていた。
中に敷かれた土の真ん中から、現実世界の大樹と大差ない大きさの植物がひょっこり顔を覗かせている。
プロネーマが尋ねる。
「その植物は、先程の大樹の葉なのかえ?
マナは生成されておらぬようじゃが」
見た目は大樹そっくりでも、マナを生み出す能力は無い複製だ。
クヴァルとロディルの実験でも、機能まで完全なコピーを作ることは出来なかった。
しかし、彼らはそこまで求めていなかった。
ロディルがスプーンを止めて、プロネーマに話す。
「ふぉっふぉっふぉ。
その通りですぞ。
説明は食べ終えたらすぐにしますので、しばしお待ちください」
理解の域を超えた行動に嘆息するプロネーマ。
嘆息の理由は、五聖刃の長への事前説明を放棄していたこともある。
しかし、説教をする様子はなく諦め気味であった。
「妾には、そなたらの考えが読めぬぞえ」
食事を終えたクヴァルが立ち上がる。
「マーテル様、まずは私達との繋がりを断ち切ってください。
これ以上、消耗させるわけにはいきませんので」
「…分かりました」
マーテルが五聖刃へ手の平を向ける。
彼らの体から光のような物が放出されていった。
加護の力が解かれて、五聖刃は現実世界の人や物に干渉できない存在となったのである。
(魂だけの者は除く)
フォシテスがクヴァルに説明を求める。
「何をするつもりだ」
「まずは提案です。
実行するかの判断は、マーテル様とアイトラに任せるつもりです」
アイトラが首を傾げる。
「私も…ですか?」
クヴァルが肯定する。
「ええ。
この世界には、様々な理由で命を落とした者達がいます。
私たちのような組織によって手を掛けられた者、差別意識によって命を落とした者、再生の旅をした者達と交友関係を持ち未練を残したまま老衰した者…。
彼らは、果たしてあの世に行けたのでしょうか。
私はそうは思いません。
きっと、この世を漂う者も大勢いるはずです。
2つの世界は統合し、マナの供給は安定しました。
世界や人々は救済されたと言って良いでしょう。
ですが、未練を残したまま亡くなり、未だにこの世を漂う者達はどうでしょう」
クヴァルは、これから先も未練を残す魂は現れるかもしれないと思いつつも、あえて言葉にしなかった。
マーテルやアイトラに、再び差別や争いが起きる可能性の話など聞かせたくなかったからだ。
「そこで、お2人に尋ねたいのですが。
もし、亡くなった者達を少しでも救えるかもしれない手段があればご協力頂けますか」
聞くまでも無い様子のマーテルとアイトラ。
マーテルがクヴァルに答える。
「もちろんです。
ですが、そんな方法があるのですか?」
「あくまで可能性ですがね。
この大樹の複製が、直接的に未練を残した者を救うわけではありません。
必要なのは、私たちの今後の働きかけです。
そして、アイトラ」
「は、はい」
クヴァルに名を呼ばれて、アイトラが背筋を伸ばして返事をする。
「あなたには、この複製大樹の宿主になってもらいたいのです。
この木は、大樹の精霊であるマーテル様の一部と化していたあなたとの親和性も高いはずです。
先程の食物や食器を出した事を考えると、マーテル様のようにこの木の中で望んだ空間を作り出せると私は思っています。
まずは、大樹の内部で新たな世界を創造します。
その後、現実世界に取り残された人々の魂を招待し、満足いく余生を過ごさせたのちにあの世へと送る…私達とそんな役割を担ってはもらえないでしょうか」
クヴァルの言葉を聞いたアイトラの表情がみるみるうちに緩んでいく。
「また、皆さんとご一緒できるんですか?」
クヴァルが柔和な表情で頷く。
「ええ。
あなたが望むのであれば」
〇〇
その後、クヴァルの提案に対してへのマーテルの許可が下りたため、アイトラが早速複製大樹に触れることになる。
アイトラは、少年が別れ際に『応援する』と言ってくれたことを思い出していた。
(私、頑張るからね)
アイトラが複製大樹に触れると、中に入り込んで行った。
外からでは分からないが、アイトラは彼女の精神世界と化した内部で新たな世界を創造している。
フォシテスは、クヴァルとロディルの下に歩みより、頭を下げた。
部下の想いを救ってくれたことに対しての行動だ。
「感謝する」
「ふぉっふぉっふぉ。
私は、己の知的探求心に従ったまでですぞ」
謙遜するロディルの言葉を穏やかな心持ちで聞いたのち、クヴァルはフォシテスに話す。
「これからが大変ですよ。
土台はアイトラに今作ってもらっていますが、どのような世界であれば現実世界の迷える魂を救えるのか考えねばなりません。
それに、人手も足りませんから、複製大樹に呼び寄せるにしても人海戦術が使えません。
地道にやっていくしか無いでしょう」
言いつつ、クヴァルは夢の世界でアイトラによって口内をグミでいっぱいにされたことを思い返す。
背中に嫌な汗が流れる。
(大陸がグミで満たされた世界、もしくは海がグミと化しているとか…。
いや、いくら何でもそれはない…はずですよね)
そんなことを思っていると、マーテルが自身の耳に手を当てているのが見えた。
プロネーマも気づいたようで質問する。
「マーテル様、いかがなされましたか」
マーテルの表情は、どこか明るく見えた。
「大樹の外から声をかけられました。
事情は分かりませんが、あの世に行ったはずのマグニスからです。
それに…」
マーテルは周囲のどよめく五聖刃の顔を見渡し、最後にフォシテスのことを見る。
その目には、輝かしい未来を思わせる色が浮かんでいた。
「ざっと、1000人ほどの魂も一緒です。
どうやら、マグニスが連れてきたようですね。
とにかく、彼らを迎え入れますので一階層まで行きましょう」
この後、フォシテスの心に残ったしこりは、さらにほぐされていくことになる。