イセリア人間牧場奮闘記 before&after 作:あるいてごろりと
シルヴァラント内にあるソダ島エリア。
本土からは海を渡らないと辿り着けない温泉がウリの観光名所である。
島内にあるのは温泉旅館と併設された土産物店、それにわずかな住民ばかりと喧騒とは程遠い静かな場所である。
時間帯は、本土であれば舗装されたレンガ道路を帰宅途中の者達がぞろぞろと歩く夕方の頃合い。
ソダ島もまだ暗闇の時間には少し遠いが、海の桟橋に設置されている常夜灯にはぽつぽつと明かりが灯り始めていた。
桟橋から坂道を上がると、温泉旅館がすぐに見えてくる。
温泉旅館の裏手には洞窟があり、現実世界では水の封印の場として扱われていた。
この世界では襲ってくる魔物と精霊がいないことと太陽熱を受けない真夏でも低い温度の場所のため、洞窟内は観光客にとっての涼所として広く知られている。
現実世界ではある仕掛けで現れるほぼ透明な橋で洞窟へと行くことができるのだが、ここでは手すりつきの石橋が作られていて落下の危険も無い。
誰でも洞窟へと行けるのだ。
ただ、今日は事情が違っていた。
温泉旅館には何組かの宿泊客が見られるが、洞窟内に入ることは無い。
というのも、洞窟の出入り口は黄色と黒のテープで防がれており、一般人の出入りを阻止する役割を果たしていたからだ。
洞窟内をいくらか進んだ広場では、足元に広げられたブルーシートがいくらか面積を占めていた。
そのブルーシートの上で、アルコールやジュースの入ったグラスを打ち付ける音がすると、6人は声を揃えた。
「乾杯!」
酒やジュースを飲む一行。
一部の者は、キレがある酒が喉を通ったことに対してそれが礼儀であるかのように満足げな息を吐きだす。
五聖刃とアイトラは、ブルーシートの上で手作りの弁当を広げて慎ましやかな食事会を広げていた。
作ったのはプロネーマとクヴァルである。
フォシテスも自炊生活はそれなりに長いし喫茶店を経営するほどの腕前なのだが、今回時間が取れてなおかつレシピのレパートリーが多い2人に任せた。
のりを巻いたおにぎりや唐揚げ、しょうゆと酢で味つけして煮込んだ手羽元とゆで卵、レタスの上に盛り付けたポテトサラダなど他にも卵や魚類やフルーツやらの料理品が弁当に敷き詰められていた。
アイトラがおかずの一切れを箸でつまみ紙皿の上に乗せて手元に寄せたあと、再び箸でつまんで口にする。
シルヴァラン都で箸の使い方は練習し、今では慣れっこである。
「この卵焼き、美味しいです」
咀嚼を終えて呑み込むと、笑顔で感想を言うアイトラ。
プロネーマがそんな彼女を見て、上機嫌の様子となる。
「妾お手製の出汁入りゆえ、当然じゃ。
ほれ、届かない所はよそうから皿を渡すが良い」
「いいんですか?
ありがとうございます。
お願いしますね」
アイトラから紙皿を受け取ると、プロネーマは先ほどの玉子焼きと自身の近くにある弁当箱から他のおかずも入れて返した。
クヴァルがアジの大葉フライを紙皿に乗せながら、アイトラに話す。
「好みの物は、他にもありますか?
つい我々のいつもの感覚で、酒に合うものばかりになってしまいましたが…」
アイトラがベーコンで巻いたアスパラガスを咀嚼し、呑み込む。
「どれも好きな食べ物ばかりですよ」
その言葉を聞いて、安心したように微笑むクヴァル。
マグニスがひき肉入りのコロッケを何度か咀嚼すると、酒を一気にあおりコロッケごと喉の奥に流し込む。
「神子もああ言ってんだ。
不安がってねぇで、気楽に楽しめよクヴァル」
言い終えると、マグニスは豪快に笑う。
乾杯時に、胃の中が空の状態でグラスの酒を飲み切ったためか、大分酔いが早い様子だった。
マグニスの隣にいるフォシテスは、ちびちびと飲んでいた。
「そうは言うが、マグニス。
仕事前だ。
あまり羽目を外し過ぎるなよ」
マグニスが、フォシテスの背中をバシバシと叩く。
「かてぇこと言うなよ、フォシテス。
それに今回の仕事、俺らの役割は神子の付き添いだけじゃねぇかよ」
「それはそうだが…」
アイトラが創造した新世界は、想像上のものゆえの現象が時折起きてしまう。
それは、空間の歪みが発生することだ。
豆粒ほどの大きさの黒い玉が現れて、徐々に大きくなっていく。
放っておくと、肥大化する黒い玉に空間が呑まれて消滅してしまうリスクがあった。
そのため、新世界にアクセスできるアイトラが黒い玉を消滅させる必要がある。
アイトラは、紙皿の上に箸を置くと申し訳ない様子でポツリと漏らす。
「すみません。
私が未熟なばっかりに…」
「ふぉっふぉっふぉ。
広大な世界を創造しただけでも十分ですのに、謝る必要はありませんぞ。
それに、我々がサポートするのです。
どうか、1人で気負わないで頂きたいですな」
「ロディルさん…そうですね。
皆さんのこと、頼りにしています」
頭を下げるアイトラを見て、一同は微笑んだり頷いたりして了承の意を表した。
黒い玉の出現箇所は、発生の数日前から特定することができる。
宿主であるアイトラは発生と同時に探知できるのだが、それではリスクが大きい。
寝ている最中に発生されると対応が遅れてしまう。
もしくは喫茶店のアルバイトでトレイにコーヒーを乗せつつお客様の元へ運んでいる最中に黒い玉の発生を感知すると、集中が途切れてカップが落っこちてしまうかもしれない。
そのため、新世界のデジタルマップを作成し、発生個所を特殊な周波数で特定し画面上に表示できるようにしたのだ。
黒い玉は遠隔でも消滅させることは可能だが、現地の住民の安全確保と消滅を目にしておきたいがゆえに目視できる範囲まで足を運ぶようにしている。
今いるソダ島の洞窟内は、黒い玉がもう1時間で発生する予定だ。
その後、黒い玉を消滅させれば、旅館に戻りくつろぐ計画である。
本来五聖刃は、羽を伸ばすために温泉旅行のスケジュールを組んだのだが、黒い玉の発生と位置が重なったためアイトラにも声をかけて旅行することになる。
彼女は学業を満喫中だが、今学校は長期休暇に入り始めたころ。
一泊二日であれば勉学にも支障は無いようで、すぐに了承してくれた。
むしろ、誘われて喜んでさえいた。
クヴァルがアイトラに尋ねる。
「あの少年は、今どうしていますか?」
祭司服を着た少年のことである。
アイトラが表情をほころばせる。
「この世界でご両親とも再会できて元気いっぱいです。
学校は中等部も隣にあるので一緒に登校しているんですけど、楽しそうに家族や友達の話をしている姿は聞いてる私も嬉しくなるぐらいですよ」
祭司服の少年は、あれからアイトラ達と旅を終えて無事にシルヴァラン都にたどり着くことが出来た。
それから、少しの日にち寮で生活していたのだが、のちに夢の住人が現実世界から連れてきた両親と再会する。
その後、家族三人でまた暮らすことが出来ているのだ。
続く話でアイトラは、少しだけ眉を八の字にする。
「一緒に旅をした祭司様達とこの世界で会ったとき、一悶着あったんですけども」
アイトラや少年と旅をした六人の祭司達も夢の住人に連れてこられた。
彼らは本心では無かったとはいえ、救いの塔でアイトラに武器を向けている。
始め、出会った少年は彼らに喰ってかかった。
だが、アイトラが仲裁して話し合いの場に持ち込む。
祭司達も傷付けたかったわけではないこと、少年の行動もアイトラを大事に思えばこそだと理解できたことを話す。
少年も渋々だが、世界や家族が天秤にかかっていた祭司達の気持ちも一応理解できないこともないと口を尖らせて話した。
双方、しっかり話し合うことで綺麗な形とは言えないが、和解することはできたのだ。
アイトラは、困ったような顔から安堵の表情へと変わる。
「一緒に旅をした仲間なので、やっぱり溝の出来たままでは良くないと思いました。
話し合ってくれて、ホッとしています」
クヴァルが穏やかに頷く。
「大樹の中で顔を知った者なので、それらの話を聞けて安心しました」
アイトラの表情が明るくなる。
「彼の話はまだありますよ。
今度、一緒に海水浴に行くんです」
「ほう、学校の友人と皆でですか?」
クヴァルは高等部と中等部の友人複数名を含めて遊ぶものだと思った。
アイトラが首を振る。
「いえ、泳ぎが苦手だからと言うので、私達2人だけです。
私も泳ぎは経験無いので、練習しないとです」
「…あの少年も泳ぎの練習をするためだけに、あなたを誘ったのですか?」
返事は無かった。
クヴァルが訝しげに俯くアイトラのことを見る。
彼女の表情から、何かを察した。
「あまり深くは詮索はしませんが…。
あなたはこの世界の創造神のような立場です」
「…はい」
返事をしたアイトラは、少しばかりしょんぼりとしているように見える。
クヴァルは、やはりと思い言葉を繋ぐ。
「ですが、あなたの生き方はもう自由でいいのです。
立場に囚われないでください。
あの少年だって、そう望んでいるでしょう」
ハッとして、顔を上げるアイトラ。
クヴァルの言葉の意味を捉えようとして返答に間が空く。
(望んでいること…)
思い出すのは、救いの塔から手を引いて一緒に逃げようとしてくれた少年の姿だった。
「…私、本当は彼の気持ちと向き合いたいです。
でも、生きていた頃の世界とは違いますし、そういったことは叶わないものと…思っていましたから」
クヴァルは、自身も含めた組織が彼女達に対して神子の立場と使命を作り上げ、無慈悲にも押し付けたことに胸が痛んだ。
立場と使命が制限したのは、彼女達の行動だけじゃない。
密かに、誰かを想うことすらも封じてきたのだ。
「あなたが創造した世界の運営は、我々やレネゲードの者達でもある程度管理は可能です。
…この複製大樹を作ったあとに、アイトラに話したことを覚えていますか?
何かを望んでも叶わなかった者達のための場にしたい、と」
「はい、もちろん覚えています」
頷くアイトラ。
「その中には、あなたも含まれているのですよ。
ですから、思うがままに生きてください。
我々は、あなたのやりたいことを尊重します」
クヴァルとロディルの考えを知り、アイトラは感謝で胸がいっぱいになる。
「ありがとうございます、クヴァルさん」
クヴァルを含め、フォシテスやプロネーマ達も彼女のことを優しく見る。
マグニスがグラスを頭上に掲げる。
「おいおい、箸が止まるような話は後でしろよ!
久々の集まっての酒だ!
たらふく飲んで食おうぜ!!」
○○
飲み会が始まってから、もう少しで一時間が経つ頃だ。
旅館のお手洗いに行っていたクヴァルが戻ってきた。
「プロネーマ、私の通信端末にあなたを探しているという連絡がありましたよ。
あなた自身から返信が欲しいとのことでしたが」
クヴァルの口ぶりからして、どうやら仕事の話らしい。
大概は夢の住人からの連絡で、新しくシルヴァラン都に来た者についての情報確認だ。
プロネーマが席を立ちあがる。
自身の懐に入っていた携帯型端末を確認するが、思っていた連絡は無いようだ。
クヴァルが説明する。
「ここの洞窟内部は電波が悪いようですね。
連絡内容を確認するならば、旅館に戻った方がいいかと思います」
プロネーマは少々残念そうな面持ちで、皆に話す。
「すまぬが、一度席を離れるぞえ」
プロネーマが旅館に戻って行き、残りの者で飲み会を続ける。
クヴァルが座ると、マグニスがフォシテス毎絡んで3人でグラスを掲げる。
ロディルに話しかけられたアイトラは、ニコニコした様子でもらったものを食していた。
一時間が経過した頃だ。
マグニスはすでに出来上がっており、ロディルと目的地の無さそうな談笑をしている。
対するロディルの方もすっかり赤くなっており、これまたマグニスとの会話に夢中になっていた。
洞窟内の5人がいる広場の脇で、風を切るような音がし始めた。
フォシテスがそちらを見ると、視認しずらいが小さな黒い玉が現れている。
大きさは小豆ぐらいだ。
黒い玉を中心に風が向かっていき、ゆっくりとはいえ玉の肥大化と比例して吸い込むような風も少しずつ強くなっていく。
「アイトラ」
フォシテスが黒い玉を見つつ隣にいるアイトラに声をかけるが、返答は無い。
不思議に思い目を向けると、彼女は飲み会をし始めたときと変わらない位置に座っている。
顔を見ると違和感があった。
虚ろな目をしていたのだ。
それは、まるで救いの塔で最後に心を捧げた神子のようであった。
フォシテスに悪寒が走る。
何か、マズイ状態が起きていると本能が感じ取った。
アイトラの感情のこもらない目も身体も動きが全く見られない。
ただ、口元をモグモグしているだけだ。
(モグモグ…?)
フォシテスがアイトラの口元を見ると、確かに上下している。
一見、何かを食べているようだ。
今度は、手元に視線を移す。
何やら表裏が紅白となった平たい棒状の物を手にしていた。
(これは…カニか?)
そう思うと、クヴァルの声がした。
彼も一応、ペースは守っていたようでマグニスとロディルほど酔った様子はない。
「フォシテス、さっきロディルがそのカニのようなものをアイトラに渡していました。
うろ覚えですが、確かカニ味のグミを試作したとかで…」
クヴァルの声が聞こえたのか、ロディルが反応する。
「ふぉっふぉっふぉ。
アイトラ殿はグミがお好きみたいですからなぁ。
ただグミをカニ味にしただけではありませんぞ!
おいしくなるような薬をちょいと入れたのです」
ロディルはすっかり赤ら顔で、今自分が話している内容を認識しているのかも怪しいほどにへべれけだった。
認識というのは、アイトラに渡した物の危険性についてだ。
クヴァルが何か言おうとすると、マグニスが割って入ってきた。
「おい、ロディル!
まずは俺の話からだろうが。
改良版ウイングパックに冷蔵機能をつけることは出来んのかよ!?」
「ふぉっふぉっふぉ。
冷えた酒でもあおりたいということですかな。
難しいですが、やる価値はありますな。
うまくいった暁には、飲み会を開くとしましょうか」
「へッ!
分かってんじゃねぇか!
期待してるぜ」
すぐに2人は、どんな酒を冷やしておつまみをどれだけ入れるか検討する話をしていた。
フォシテスとクヴァルは、アイトラのことを見る。
彼女は虚ろな目でずっとカニ味のグミを食べていた。
クヴァルは自身の額に手を当てる。
「カニを食べれば静かになるとは言いますが…」
どう見ても周りを認識できないほど薬が効きすぎている。
ちなみにだが、この薬とは正確には薬ではない。
ロディルは比喩表現を使っていた。
実際には、旨味成分である。
フォシテスが魔導銃に手を添えて、談笑しているロディルを見ていた。
「クヴァル、始末は今でいいな」
「ちょ、ちょっと待ってください!
気持ちは分かりますが、今優先すべきなのはアイトラを正気に戻すことです」
「…くっ」
悔しそうな様子のフォシテス。
アイトラは咀嚼を終えて呑み込むと、虚ろな目のまま手にしたカニ味のグミを口にして再びモグモグし始めた。
黒い玉は玉ねぎぐらいの大きさになっており、葉っぱをちぎって投げればそのまま吸い込むぐらいの吸引力になっている。
フォシテスは、アイトラが手にしているカニ味のグミを見てある決断をした。
「すまない、アイトラ」
フォシテスは細長い棒状のグミを離すために、彼女の握った手をほどこうとした。
だが、指一本微動だにしない。
フォシテスは片手とはいえ、大の大人が本気で少女の手を開こうとしても出来ないでいたのだ。
今のアイトラにはクルシスの輝石は身につけられていない。
つまり、輝石による怪力は発揮されない。
そうなると、彼女はただグミを食べたい意思のみでフォシテスに対抗していることになる。
(何て想いの強さだ…!)
フォシテスは、グミを奪い取ることを諦めた。
元より、アイトラが好物を口にしているのに気が重たいのもあった。
クヴァルもフォシテスが諦めたのを見て、力による解決は不可能と判断する。
アイトラは依然、虚ろな目でモグモグしたままだ。
「食べきるのを待つしかないでしょうか」
黒い玉は現在メロンほどの大きさになっている。
ブルーシートが生命を与えられたかのようにして、バタバタと飛び立ちそうに暴れていた。
アイトラの食事は、良く噛んで少しずつ食べているため黒い玉が洞窟を覆う方が早そうである。
クヴァルはさすがに気持ちが焦る。
「アイトラ!
早めに食べてください!」
クヴァルがアイトラの肩を掴んで揺さぶるが、フォシテスがクヴァルの肩を掴んで止める。
「待て、クヴァル!
しっかり嚙まないと消化に悪い!」
「言ってる場合ですか!
過保護もほどほどにしてください!」
このままでは、黒い玉がどんどん肥大化して最悪終末を迎えることになる。
いま現在黒い玉は大玉スイカほどの大きさにまでなり、弁当のおかずがすっ飛んで吸い込まれていた。
ロディルとマグニスは髪をバタつかせながら、何故かまた乾杯をして笑いあっている。
もはや、残された手段はアイトラが食事を終えることのみと思われた。
― 世界は救われる。
彼女 (がお腹いっぱいになって食欲) を失えば ―
しかし、やはりアイトラの食事のとり方はがっつくような豪快さは無く、どちらかというと上品に食べており時間はかかりそうだった。
黒い玉は、そんな彼女らのことなど露知らずますます肥大化を進めていく。
とうとう野菜や果物では例えられないぐらいまでに大きくなった黒い玉の吸引力は、人間を引きずるほどまでになってしまった。
持ちこたえようとクヴァルとフォシテスは地面に伏せるが、徐々に黒い玉に向って引きずられている。
フォシテスはアイトラを胸に抱き寄せるが、彼女は変わらず虚ろな目のまま食事をしていた。
ロディルとマグニスの2人は座ったままで、引きずられながら何度目かの乾杯を笑顔でしている。
ブルーシートは上に乗った者が引きずられて重しが無くなり、弁当ごと黒い玉に向って飛んでいき存在を消滅させた。
クヴァルが頭を抱える。
「このままでは…。
フォシテス、アイトラの様子はどうですか?」
「まだ食べ終わる様子は無い。
最悪、アイトラは洞窟の外へ放りたいが…」
創造神たる彼女の存在は、世界の維持に必要不可欠である。
しかし、自分達の身を犠牲にする覚悟で寝たまま投げようとしても、そんな姿勢では放れる距離などたかが知れている。
こんな事態をプロネーマが知ったらどう思うだろうか、とクヴァルは考える。
説教だろうが、その前に存在が無くなってしまうかもしれない。
あと、飲み会を開いたのは全体的な失態だが、大体ロディルが悪い。
当の本人は、愉快そうに地面を滑りながらグラスをあおっていた。
吸引力のためか、洞窟内部では地響きのような音が鳴り響く。
全員が、黒い玉までもうすぐという所まで吸い込まれていたときだった。
黒い玉が光に覆われた。
風を切るような音が鳴り止んだと思うと、5人の体がその場に停滞する。
無音となった黒い玉は、そのままあっという間に消滅していた。
アイトラを抱きしめる手を緩め、辺りを伺うフォシテス。
つまみが無いと愚痴るロディルとマグニス。
クヴァルは目の前で起きた現象について考えていた。
「そうでした…。
酒のせいかすっかり忘れてましたよ」
フォシテスがクヴァルに尋ねる。
「何をだ?」
「この世界に干渉できる者達がいたでしょう。
今、その内1人の神子が来訪していたのを忘れていたんです」
クヴァルの言葉を聞いて、フォシテスも思い当たったようだ。
「そうか、黒い玉はその神子が消してくれたのか」
一応、遠隔でも黒い玉は消去できる。
ただし、黒い玉の感知と消去ができるのはアイトラと同様複製大樹内部の世界にアクセスできる者達、すなわちマーテルと神子に限る。
クヴァルは周囲の確認をして、ホッと息を吐く。
「恐らく。
今度、挨拶と感謝を伝えに行かないといけませんね。
二代目・スピリチュアに…」
ロディルとマグニスが静かになる。
クヴァルが見ると、2人は寝息を立てていた。
クヴァルは、目を閉じて何かをこらえるような顔をする。
「小一時間ほど前にアイトラに『やりたいことを尊重する』と言ったばかりですのに。
早くも邪魔してるじゃないですか。
顔向けできないぐらい、恥ずかしい気持ちですよ」
「それは私も同じようなものだ。
それに…」
フォシテスから言葉が途切れる。
のちに、クヴァルは考えたくない言葉を耳にした。
「…プロネーマにどう報告したものだろうか」
クヴァルは、フォシテスの顔を見る。
冷や汗を流していた。
「…一先ず、ロディルを差し出しますか」
意見がまとまった2人であった。
△△
場所はシルヴァラント内のハイマ。
人口は他所より多くないが、広大な自然の景観が美しいことがウリの地域である。
ハイマの空ではぼちぼち夜の色に移行しようとしており、星々が存在を主張し始めていた。
とある丘の上にある民宿『こだま』は、天気の良い日になるとハイキングにやってくるお客様が利用する、ハイマでは数少ない宿泊施設である。
そんな『こだま』の施設の前の広場で、1人の少女が空に向って手をかざしていた。
アイトラの先代神子・スピリアである。
歴代の神子は、入れ替わりでシルヴァラントにやってきている。
マーテルがアイトラを含めて、3人なら魂を切り離しても存在に影響は無いと判断したためだ。
今後、3人目の神子も来るかもしれない。
スピリアは、新世界を満喫しにやってきていた。
空にかざした手を戻して、スピリアはふぅっと息を吐く。
そんな彼女に声をかける老人達がいた。
「どうしたのかのう、スピリア様」
「星がきれいじゃな」
「涼しいし快適じゃのう」
「なんなら、定期的にここへ来たいもんじゃな」
○○
時は数日前に遡る。
彼らは4兄弟の祭司達である。
現実世界で放浪していた所を夢の住人に発見されてシルヴァラントへと導かれていた。
ただし、この世界では祭司という立場では無くなっている。
住まいを与えられたパルマコスタでの生活に慣れると、農園を作って収穫物を自分達のためたけでなく周囲の人たちに配るようなスローライフを楽しんでいた。
そんな中、スピリアは彼らと同じ世界に足を踏み入れる。
始め、役所的組織にスピリアが朝方行った際に、4人の祭司達の特徴を受付の職員に話してみた。
正直、彼女自身はそれだけで新世界にいるか分からないかもしれないと思っていたが、丁度その職員が彼らの野菜をもらっているご近所さんだったためにすぐに会うことができたのだ。
その日の内に農園に行ったスピリアが彼らに最初に言われたのは、「足元水たまりあるから気を付けて」だった。
スピリアは、反応が遅れて土の上にできた水たまりを踏みつけてしまい、飛び散った泥水で服を汚してしまう。
その後、ややぶかぶかの作業着を借りて着替えた。
スピリアは、農園の隅で休憩がてらお茶を皆で飲みながら考えた。
(涙も流れなかった…)
服を汚して涙を流したら、涙の意味が変わって捉えられていただろう。
(何というか、帰郷したら庭先で顔会わした田舎のおじいちゃんと孫だったな。
…会えたから良いか)
そう思いながら茶をすすり、兄弟老人達のこしらえたおにぎりとたくあんを食べるスピリア。
その日、スピリアは自ら志願して雑草取りや種植えなどといった農園の作業を手伝った。
帰り際に、スピリアは老人達とこれからのことを含めて話す。
「スピリア様は、今どうしておるのじゃ?」
「えと、まだ来たばかりなので決めてなかったです。
学生生活を始めてみようかと思うんですけども、すぐというわけにはいかないかと」
「ふむ、どこかで二日間ぐらいなら予定が空くかの?」
「大丈夫です。
この世界に両親も来ているそうで、近いうちに会う予定ですけど、その後なら問題ありません」
「それなら、ハイマに一緒に行くのはどうかのう。
一泊二日の旅行をスピリア様としたいのじゃが」
「ハイマにですか?
ええ、祭司様達となら一緒に旅行したいですけれども、どうしてそこへ?」
「なんなら、会わせたい人がおるんじゃよ。
まぁ、わしらも聞いただけでまだ会ってはおらんがのう」
○○
それから数日が経ち、話はハイマに戻る。
『こだま』の前でスピリアは長男老人の話に返答した。
「姪が忙しかったみたいなので、代わりに仕事を少ししていました」
スピリアがやった仕事というのは、黒い玉の消滅である。
彼女もマーテルと同化した歴代の神子の1人であるため、複製大樹内のシルヴァラントという世界に干渉できる存在だ。
アイトラが黒い玉を消滅できなかったのは、もちろんカニ味のグミに夢中になっていたからである。
そうとは知らないスピリア達。
ちなみに複製大樹内は、オリジナル大樹のときのように神子やマーテルであっても誰が何をやっているか把握できない。
「身分を隠して世界を支えておると聞いたが、大変みたいじゃな」
「きっと、意識を途切れさせてはならぬ作業をしておったに違いない」
「足を向けて寝られんのう」
「なんなら、野菜を届けたいぐらいじゃわい」
なんやかんや話していると、民宿の扉が開いた。
中から出てきたのは、年老いた男性だ。
「おお、聞き覚えのある声がすると思ってはいましたが…」
年老いた男性は、生前ハイマでスピリア達が訪れたときの宿の主人だった者だ。
年を取ってから亡くなったので、姿もスピリアの知っていた頃と変わっている。
兄弟老人達から誰であるかを聞いたスピリアは、すぐに宿の主人の下まで歩み寄った。
「本当に…お久しぶりです。
またこうして会えて嬉しいです」
スピリアの挨拶を聞いて、宿の主人は目を細める。
「神子様の元気な姿を見られて私も嬉しいですよ」
宿の主人が言い終えると、スピリアは室内から年配らしき女性の声を聞いた。
「あなた、神子様って…!?」
スピリアはもしかして、と思い「お邪魔します」と言いつつ宿の中に足を踏み入れる。
受付に座っていたのは、年老いたおかみさんだった。
白髪となったおかみさんはスピリアの顔を見るなり、両手で鼻や口を覆った。
「おかみさん!
やっぱり!」
おかみさんは席を立ち、受付からスピリアの前まで来る。
杖をつきながら歩み寄る姿は、月日の流れを感じさせるものだった。
「神子様…!
本当に神子様なのね。
またその名前で呼んでくれるなんて」
「はい、私です!
安心しました。
私の事、覚えててくれたんですね」
「覚えているわよ。
あれから随分時間が経ったけれども、神子様との思い出は何一つ忘れていないわ」
「何一つ…ですか?」
スピリアの問いに、年老いたおかみさんは不思議に思いながらも「ええ、もちろんよ」と返答した。
スピリアは、意を決したような表情を見せる。
「それなら、伝えるべきことがあります。
私、体が動かなかった時も音だけは聞こえていたんです」
ソウルイーターより魂をほとんど肉体から抜き取られたスピリアだったが、わずかに残った魂は聴覚機能を働かせて聞いた音を記憶することが出来ていた。
そのため、兄弟祭司達が旅の途中で語りかけてくれたことだって聞いていたし、覚えている。
そして、生前二回目にハイマを訪れた際に、寝室でスピリアの体を拭きながら話したおかみさんの言葉も聞いていたのだ。
当然、おかみさんが言ったスピリアへの謝罪についてもだ。
「あの旅はどうしようも無かったんです。
簡単に変えられるものではありませんでした。
ですから、おかみさんは卑怯な人なんかじゃありません。
他人を思いやれる優しい心を持った、私の大好きな人です」
少しの間、おかみさんは固まっていたが、やがて理解したのだろう。
その目には、涙が溜まり始めた。
「ずっと…ずっと後悔していたのよ…。
あなたの旅を止められなかったことを…」
おかみさんの言葉と表情が、それがどれだけ耐え難いものであったかを物語っていた。
スピリアは、そんなおかみさんを見ると胸が締め付けられるような思いになる。
「苦しませてしまい、すみません」
「謝らないで。
謝って欲しいわけじゃないのよ。
一番苦しんでいたのは、あなたじゃないの」
再生の旅に出る神子達の中に、負の感情を抱かなかった者なんていなかったはずだ。
彼女達には、心の負担を理解してくれるような者がどれだけいただろうか。
負担を理解したがために、辛い思いを抱いた者がどれだけいただろうか。
理解されたがために、少しでも負担が軽くなった神子がどれだけいただろうか。
スピリアはおかみさんの左右の手を取り、自身の両手で包み込んだ。
「…旅の時は苦しいことも多かったです。
ですけど、今の私は嬉しいことばかりなんです。
祭司様にもまた会えましたし、おかみさんや宿のご主人にも会えました。
私、おかみさんと会えて幸せなんです。
おかみさんの優しさが、心を暖かくしてくれるんです。
動けない私の服や体を綺麗にしてくれたこと、それに苦しさに寄り添ってくれたこと、本当に感謝しています。
もう旅は終わりました。
今度は、私の幸せな気持ちを分かち合ってくれませんか?」
話を聞き終えたおかみさんは、泣きながら「もういつ逝ってもいいわぁ!」と言い、スピリアは「待って待って」と慌てて制止する。
入り口のドアから宿の室内の様子を見ていた宿の主人と4人の兄弟老人達は顔を見合わせる。
「また、返せないほどの大きな恩が出来てしまいましたな」
三男祭司は宿の主人の言葉を聞いたのち、あたふたするスピリアの姿を見ると首を振った。
「互いに恩を感じておるのじゃから、返す必要はないじゃろう」
○○
その後、スピリア達は民宿『こだま』で一泊することになる。
夕食は、広いダイニングで食べることになった。
おかみさんが腕を振るい、豪勢な料理が振る舞われる。
7人で料理を囲んでの食事は、スピリアに幸福感を与えた。
次男祭司が宿の主人やおかみさんへ息子のことについて尋ねる。
「小さな子がおったはずじゃが、無念は残さずにすんだかのう?」
宿の主人が「最後には」と前置きしてから話す。
「私は妻のことが気がかりでこの世に留まっていたのですが、妻と合流したあともあのハイマの宿にずっといました。
数十年が経ち、宿を引き継いだ息子が老衰で最期の時を迎えようとしていたのです」
床に伏せる息子は、スピリアの次の代の神子…つまりはアイトラを引き止めずに見送ったことを後悔していたという。
このままでは、息子もこの世に縛られてしまう。
そう考えた宿の主人とおかみさんは、最期を迎える息子の枕元に立ったそうだ。
宿の主人はマグカップを両手で持って、思い出しながら話す。
「『私達がお前の無念を引き受けるから、あの世に行きなさい』と言ったんです」
息子は『ごめん』と言って、息を引き取ったと宿の主人は話した。
そのため、息子はあの世で川を渡りきりこの世界にはいない。
スピリアや祭司達は、生前少しばかりとはいえ関わりのある息子が最後には報われたことにホッとする。
「まあ、私は妻と二人っきりでいたかったから、この世に留まられないで欲しかっただけなんですけどもね。
あいつにも妻子がいましたし、別にいいでしょう」
宿の主人は、そう冗談めいて話した。
◯◯
食事の最後に出てきたのは、おかみさんお手製のケーキだ。
フォークで刺して口にしたスピリアは、目を見開く。
(お、美味しすぎる…!!)
ふわふわのスポンジは舌触りが良く、とろけるような生クリームの甘味が口の中に広がる。
スピリアは、生前では味のあるケーキを食べたことが無い。
そのため、こんなにも美味しいとは思わず、しばらく悦に浸っていたが、生前のあることを思い出して表情が強張る。
ガタリと椅子から立ち上がるスピリアを見て、長男老人が声をかける。
「どうしたんじゃ、スピリア様?」
「私がやりました」
「きゅっ、急に何の自白をしたんじゃ!?」
スピリアはハッと我に返り、再び席に座る。
「えと…」
言葉につっかえる。
スピリアは冷や汗をだらだらとかいている。
内心、自身の頭を両手で押さえて左右に振っていた。
それはやはりというか、生前の行いを思い出したからである。
(わ、わたしっ!
パルマコスタでケーキの味分からないのに、満足げになって…!
見ただけで9割味わったも同様だなんて、頭のおかしい評価をして…!
食べなきゃ分かるはずないのに…)
スピリアは、此度初めて味のあるケーキを食べたが予想以上の美味しさだったため、かつての自分の振る舞いを恥じていた。
パルマコスタで自信満々そうに腕組みをしながら知った顔でふむふむと頷いていた姿も思い出すと、顔から火が出るような思いになる。
(ケーキの味を考えた料理人の方に失礼すぎる!
おかみさんのケーキは特別美味しいのかもしれないけれども…あのケーキも絶対に美味しかったはず!
ご、ごめんなさい!!
あの飲食店の料理人の方ーーー!!)
心の中で謝罪の言葉を叫ぶスピリア。
やがて、ある人物を思い出して思考が切り替わる。
冷静になると、長男祭司や他の者もスピリアを見ていることに気が付いた。
先程のスピリアの不審な行動が原因だろう。
「あの…ケーキのことと傭兵さんのことを考えていました」
不審な態度の原因ではないが、一緒に旅をした仲間のことをそのあと考えたのは事実である。
この食卓に、腕の立つ傭兵がいてくれたらなと思ったのだ。
すると、スピリアの言葉を聞いたおかみさんと宿の主人が顔を見合わせた。
おかみさんが申し訳なさそうに話す。
「ごめんなさい、神子様!
神子様や祭司様達に会えた喜びで頭がいっぱいになってて…。
傭兵さんのことでしたら、今日の予約で―――」
言い終える前に、ダイニングのドアがガチャリと開いた。
そこに立つ人物を見ると、驚いたスピリアは即座に立ち上がる。
4人の老人達も、呆けた表情をしていた。
ドアの所に立っていたのは、バックパッカーのような恰好をしている腕の立つ元傭兵だった。
「おお…久しぶり」