イセリア人間牧場奮闘記 before&after 作:あるいてごろりと
ソダ島の洞窟入り口で、通行を遮断するような立ち入り禁止のテープはすっかり撤去されていた。
黒い玉が消失し、アイトラや五聖刃はソダ島の温泉旅館へと引き上げる。
借りた部屋は2つ。
女性用と男性用だ。
現在、男性用の部屋には全員が集結していた。
部屋の中央奥で、プロネーマが対面する他の者たちの方を向いて椅子に座っている。
フォシテスとクヴァルはプロネーマの方を向いたまま俯いて床に座り込み、酔ったマグニスはあぐらをかいて眠いのか船を漕ぐ。
アイトラは、カニ味のグミから解放されたばかりで状況が把握出来ていない様子のまま床に座る。
あと、眠るロディルは簀巻きにされていた。
クヴァルとフォシテスから事情を聞いたプロネーマは、だんまりのままだ。
彼女に向けて言葉を発してはいけないと、皆思っていた。
空気が重たく感じる。
やがて、プロネーマはふぅっと息を吐いた。
「飲み会に参加した妾が、立場上責任を取る必要がある。
そなたらだけを責めるのは筋違いじゃな。
組織の腐敗を抑止するためにも、対策検討をかねてボータ達の組織に状況説明はせねばならぬが、黒い玉消滅の目的は達しておる。
今回は、五聖刃のみの始末書止まりですむであろう」
フォシテスとクヴァルは、思ったより軽い処罰であろう発言に安心する。
プロネーマはアイトラに顔を向ける。
「せっかくじゃ、あとで風呂に入らぬか?
妾はここで用事を済ませたら向かうゆえ、先に入っておれ。
広さも浴槽の数も十分あるから、すぐに満足するような所ではあるまい」
「はい。
あの…プロネーマさん」
「何じゃ?」
アイトラは、簀巻きにされたまま眠る科学者を見る。
「ロディルさんはどうして…」
プロネーマがアイトラに向けて、ニコリと笑う。
アイトラは、その笑顔が楽しくて表現されたものではないと勘付く。
「そうそう。
明日の朝には一人おらんくなっておるやもしれぬが、気にすることはないぞえ」
「は、はい…」
フォシテスとクヴァルは俯いて黙ったままだった。
◯◯
アイトラが浴衣とタオル類を持って、板張りした廊下を歩く。
洞窟で食事をしていた筈なのに、いつの間にか旅館に戻っていることを疑問に思いながら。
ただ、記憶は無くとも幸福感に満たされていた感覚だけはあった。
(最初の楽しかった時間は覚えているのに、その後のことがどうして思い出せないのかな)
何となく、ロディルから何かを受け取ったような気もするのだが、はっきりとしない。
ふと、前を見るとお客さん3名が、男女別の暖簾がかけられた2箇所の入り口前に立っていることに気づく。
(あの人は…)
お客さん3名の真ん中にいる少女を見て、アイトラは生前の旅を思い出した。
アイトラとそう年が変わらないように見える彼女は、目が見えない様子で隣の中年らしき踊りそうな女性の二の腕に手を回して掴んでいる。
もう一人は、中年らしき踊りそうな男性だ。
踊りそうな中年の2人は、夫婦のように見える。
そして、少女については見間違うはずも無い。
生前、アスカード付近の崖から身投げした盲目の少女だ。
「あの…」
アイトラが声をかけると、三人とも彼女のことを見る。
盲目の少女が、声の持ち主に気づいた様子で口を開く。
「もしかして、神子様…?」
盲目の少女は、意外そうな様子で尋ねた。
彼女はこの世界でアイトラに出会うとは、夢にも思わなかったのだろう。
対する、アイトラは盲目の少女が新世界に来ていたことは五聖刃の会議に参加した際に把握していた。
すぐにでも会おうとしたのだが、盲目の少女を現実世界から連れてきた夢の住人である踊りそうな中年夫婦が、生前のアイトラと盲目の少女の事情を知ると意見した。
「少し私達に時間をください」
まずは、生活基盤を固める必要があるとのこと。
確かに、盲目の少女にとって新世界での生活は、不安に思うことだらけだろう。
その上、心を許した相手である育てのおじいさんを求めて身投げしたのに、この世をさまよったのは何か彼女にとって思わぬ事が起きたのかもしれない、と予想された。
もしかすれば、生前の時よりも心が荒れている可能性もある。
そんな周りに警戒心を抱いた状態でアイトラと話すと、きつめに接してしまいおかしな溝が出来てしまうかもしれないと、踊りそうな中年夫婦は話す。
「連れて来る最中にも感じたことですが、あの子の心には深くトゲが刺さっているように思えました。
トゲを抜くときには、痛みで抑えられない気持ちが暴露してしまうかもしれません。
それは、他者を傷つけるものかもしれない。
私達がとげを抜いていきますから、アイトラさんはその後に会ってください」
グッと堪える様子でアイトラは話を聞いていた。
五聖刃からの口添えもあり夫婦の意見が聞き入れられ、出来るだけこの世界で生活することに安心感を覚えてから会ったほうが良いと会議で話して決める。
加えて、中年夫婦が盲目の少女をこの世界へ連れて来る時に話して知ったこととして、実際の両親は物心がついたときにはいなかったそうだ。
恐らく、この世界でも会える可能性は無いと言っていい。
育てのおじいさんもこの世界にはいない。
踊りそうな中年夫婦は、盲目の少女を養子に迎えてしばらく生活を続けた。
意図せず旅館で出会ったアイトラは、盲目の少女に話しかける。
「久しぶり…だね」
「…そうね。
神子様もこれから入浴かしら?」
どことなくぎこちない雰囲気が流れる。
盲目の少女は崖から飛び降り、アイトラはその後心を壊すきっかけにもなるほどの精神的ダメージを受けたのだから当然である。
それでも、アイトラは彼女との対話を続ける。
失った機会を取り戻したかったからだ。
「うん。
ここの温泉は、初めてなの」
二人の様子を見ていた踊りそうな中年夫婦が顔を見合わせると、夫の方が独り言のようにして話し出した。
「風呂に入る前に踊りたくなってしまった」
夫のおどけた台詞の後に、妻も続く。
「それなら一度部屋に戻りましょ」
夫婦はアイトラと盲目の少女に「ごゆっくり〜」と言い、その場から立ち去る。
盲目の少女が踊りそうな中年妻の腕から手を離す際、少し不安そうな表情をしていた。
「ねえ、神子様。
座れる場所はあるかしら」
アイトラは、すぐそばに休憩所があることを伝える。
「あなたの腕を借りたいの。
良ければ、そこへ連れていってもらえないかしら?」
「うん。
こう、でいいのかな?」
アイトラが盲目の少女の手を取り、先程の踊りそうな中年妻のように自身の肘辺りに触れさせる。
すると、盲目の少女はアイトラの腕を優しく掴む。
「ええ。
ありがとう、神子様」
連れ添う二人は休憩所まで歩いて行った。
◯◯
「神子様、私ね。
死んだあと、川でおじいさんと会えたのよ」
休憩所のベンチに座ると、盲目の少女は話し出した。
「川の向こう側から声がしてすぐに気づいたわ。
おじいさんが私に話しかけてるって。
まだ声がはっきり聞き取れない距離だから、川を横断しようと近づいたら言葉の内容が理解できたの」
「おじいさんは、何て言っていたの?」
質問に対して、盲目の少女は一瞬静かになる。
過去の状況を思い出しただけでは無い様子だった。
僅かな沈黙は、盲目の少女にとって気持ちを固めるために必要な時間だ。
「『どうしてここへ来たんだ』って、言っていたの。
私は、正直に話したわ。
おじいさんに会いたくて、崖から飛び降りたって」
アイトラは、当時のことを思い出して胸の内側を掴まれるような感覚になる。
原因は落下していく少女に手を伸ばしても、届かなかった…助けられなかった無念。
盲目の少女はそんな雰囲気を察したのだろうか。
話を一時中断した。
「あの時は、突然ごめんなさい」
アイトラはかぶりを振る。
「ううん、大丈夫だから。
またこうして会えたんだし。
それで、あなたが話したらおじいさんは何か言っていたの?」
アイトラが促すと、盲目の少女の声のトーンが少し下がった。
「怒られたわ」
「え?」
「『戻れ、戻ってくれ』って。
『そんな理由でこっちに来るな!』って言われたの。
私、初めておじいさんに怒られたわ」
アイトラは少女の口ぶりからして、おじいさんが盲目の少女にそれまで優しく接してきた人物だと想像できた。
盲目の少女は、余程その時のことがショックだったのだろう。
顔の向きは、俯き加減となっていた。
盲目の少女は続けて話す。
「でもね、おじいさん様子がおかしかったの。
声を震わしていたの。
泣いていたのよ。
泣きながら怒っていたの」
アイトラは、おじいさんの気持ちを察した。
おじいさんは、盲目の少女の村での立場を当然理解している。
自分がいなくなった後のことを思えば、盲目の少女の行動だって分からなくはないだろう。
しかし、死んではそれまでだ。
生きていれば、今までとは違う環境で生きられた可能性だって無くはない。
アイトラの手は、盲目の少女の膝上にある手の上に重ねられた。
「…辛い現実でも、おじいさんはあなたに生きていて欲しかったんだね」
盲目の少女は、重ねられたアイトラの手を振りはらう様子も無く受け入れている。
「あの時は混乱して分からなかったの。
どうしていいか分からなかったのよ。
おじいさんに言われるがまま、元の川岸に引き返したわ。
振り返ったんだけども、おじいさんの声はしなかった…。
もうそこにはいなかったんじゃないかしら」
2人の間に訪れる静寂な時間の中、盲目の少女はおじいさんにどんな想いを馳せているのだろうか。
やがて、盲目の少女はふぅっと息を吐いて話題を変えた。
「この世界は不思議な場所ね」
落ち着いた様子になった盲目の少女は、ポツリと話し始める。
「街の人達は親切だし、初めて1人で買い物だってできたわ。
…お店の人が色々案内してくれたからだけどね。
この世界、私にも生きやすいのよ」
夢の住人達や五聖刃やアイトラ達の働きもあり、創造された世界は差別意識の無い安住の地である。
アイトラは彼女の話を静かに聞く。
「それとさっき私と一緒にいたあの2人。
今まで会ったことのないタイプなのよ」
「どんな人達なの?」
アイトラは中年夫婦とは会議室で話したことがあるが、盲目の少女の印象を聞いてみたかった。
「おかしいのよ」
言葉的には、やや辛辣だと思われそうなものだった。
「聞いてくれる、神子様?
今私、あの2人と一緒に暮らしているのだけれどもね。
夕食時に、私がお母さんの作った料理に『美味しい』って言ったの。
そしたら、2人とも慌てて立ち上がろうとするのよ。
見えなくても、しばらく一緒に生活してれば何をするかすぐに分かったわ。
お父さんもお母さんも踊ろうとしていたのよ。
あの2人、私が何か言うとすぐに踊ろうとするの」
アイトラは、文句の言いたそうな口調で話す盲目の少女を安心した気持ちで見ていた。
何せ、踊りそうな中年夫婦のことを『お父さん』と『お母さん』と読んでいたからだ。
そう呼ぶまでにどういった出来事があったのか、アイトラには想像がつかない。
やはり、夫婦に託して良かったとただただ安堵する思いだった。
盲目の少女は口を尖らせて話す。
「だから私言ったの。
『食事中に踊らないで』って。
…雰囲気で落ち込んでるのが伝わったわ。
流石にいたたまれなくなって、『食事が終わったら踊っていいから』って言うと、すぐに2人から明るい感情を感じたのよ。
ね、おかしいでしょ?」
盲目の少女は、息を吐く。
「あの2人、おかしいの。
私の言動で、あんなに大げさなぐらい一喜一憂して。
村では冷たい態度ばかり取られていたし、おじいさんは物静かな人だったから、あの2人みたいなタイプは初めてよ。
『ありがとう』と言えば踊るし、寝る前に初めて『おやすみなさい』と言ったときも踊っていたわ。
やっぱり、おかしいのよ。
さっき、買い物を1人でしたなんて言ったけれども、絶対にあの2人は後ろからついてきてたわ。
誰とも知らずに道を尋ねたら、あの2人が裏声で説明してきたから間違いないのよ。
もう、ずっとおかしい日々を過ごしているわ。
あんまりにもおかしいから…最近笑ってばかりなのよ」
盲目の少女は、ちょっとだけ悔しそうな表情をした。
だが、口元はどことなく微笑んでいるようにも見える。
「神子様、私ね。
お父さんとお母さんと、この世界で生きるのが楽しくなっているの。
始めは不安もあったし、2人に八つ当たりのようなこともしてしまったのだけれども…」
盲目の少女は、最初は申し訳なさそうに眉を八の字にした。
最初は、彼女の荒れた心は人とのつながりを恐れていたのだろう。
しかし、紆余曲折を経て、3人は良好な関係が結べている。
「2人のおかげで、この世界で過ごしていきたいって思えたの。
楽しい思い出を作って、何十年も過ごしたいって思えているのよ。
それでね、いつかまたおじいさんに会いたいの。
この世界の思い出話をしたいのだけれども…」
再び、盲目の少女は眉を八の字にする。
「今度は、怒られないですむかしら」
話を聞き終えたアイトラは、両手で盲目の少女の手を包む。
「大丈夫、きっと喜んで話を聞いてくれるよ」
盲目の少女は、アイトラの言葉を聞くとおじいさんの人柄を思い出しているのだろう。
自身の気持ちを固めるようにして、頷いた。
「ええ、きっとそうね。
私の知るおじいさんも、知らなかったおじいさんも、どっちも優しいもの」
○○
その後、アイトラは盲目の少女に腕を掴んでもらい並んで歩く。
踊りそうな中年夫婦がいつまで経っても来ないので、2人で温泉に入ろうと話して決めた。
中年夫婦もそのつもりなのだろう。
盲目の少女は、脱衣所に行くまでの通路を歩きながら話す。
「話が長くなってごめんなさい、神子様」
アイトラは、首を振る。
「ううん、あなたから話を聞けて良かった。
ねえ、あなたの住んでいる場所を聞いてもいい?」
「いいけれども、どうして?」
「あなたと一緒に遊ぶような仲になりたいの」
盲目の少女はキョトンとした様子だったが、やがて嬉しそうに返事をした。
生前、出会った2人は悲しい物語を産んでしまった。
しかし、今のこの2人ならば、そんな運命には捉われないことだろう。
アイトラは、脱衣所の扉を開ける。
「何じゃ、まだ入ってなかったのかえ?」
脱衣所内には、服を脱いだプロネーマが立っていた。
アイトラは、プロネーマの豊かな部分を見てぴたりと身体が止まる。
普段の服装からでも分かっていたことだが、改めて見ると思考が停止してしまった。
盲目の少女は、動作停止に気付き不安気にアイトラに尋ねる。
「どうしたの神子様?
今の声は、お知り合いかしら?」
「あ、ごめん。
えっとね…」
その後、プロネーマのことを紹介した。
簡単に挨拶を済ませると、三人は浴場へと入る。
プロネーマがさっさと体を洗い入浴している時に、まだ体を洗っている最中だった盲目の少女は隣で髪を洗うアイトラに話す。
「それで?
さっき、どうして固まっていたのかしら?」
アイトラの動作停止をばっちし覚えていた。
「うっ…。
それは、私のコンプレックスというか…」
盲目の少女に、身体が止まった理由を聞かれたため、アイトラはおずおずとプロネーマの豊かな部分も聞かせる。
「そう…うらやましいわね」
「…うん」
自身の衰退世界を知る盲目の少女とアイトラは、悲しい表情をしていた。
「まぁ、でも男の人は好き好きがあると思うわ」
自身への諦めなのかアイトラへの気遣いなのか、嘆息する盲目の少女が語る。
「そうだといいな」
肩を落としながら返答するアイトラの様子を感じ取った盲目の少女は、目を光らせる。
「あら、意中の人がいるのかしら?
やっぱり、一緒に旅をしていた子なの?」
繰り出される質問にアイトラは慌てる。
「ど、どうして分かったの?」
盲目の少女は、反応の大きいアイトラを見て可愛らしく感じる。
「分かりやすいからよ」
顔を赤らめるアイトラの様子を感じて、盲目の少女は微笑む。
「友人として応援してるわ」
アイトラは盲目の少女の表情を見る。
純粋に背中を押してくれる言葉が嬉しかった。
また、盲目の少女と友人に慣れて本当に良かったとも思えた。
「うん、ありがとうね」
再会し、紡げた絆に感謝した。
そんな温かい雰囲気が、隣の男性風呂からの大声で一変する。
「ガハハハッ!
フォシテスよお、どうやら俺の筋肉の方が上のようだなぁ!!」
どう聞いてもマグニスの声である。
眠気はすっかり覚めた様子である。
「筋肉は量だけじゃ語れない。
どう扱うが問題だからな」
どう聞いてもフォシテスの声である。
声を聞きながらも髪を洗い流したアイトラは疑問に思う。
(フォシテスさん、左腕のは外したのかな)
左腕の金属棒はそのままなのか、女性風呂からでは分からない。
「しかし、今日は災難でしたよ。
おかげでクタクタです」
お疲れの様子のクヴァルが、入浴後に気の抜けた声を出した。
「ふぉ」
ロディルがひそりと何か話した。
アイトラはその時、ちらりと入浴最中のプロネーマを見た。
瞬間、くつろいでいた様子の彼女の眼光がするどく男性風呂の仕切り板へと睨む。
どうやら、ロディルはプロネーマに隠れて入浴している様子だった。
アイトラは、心配気にプロネーマを見ていたが、彼女はやがて嘆息して夜空を仰ぎ見た。
先程のような、棘のある雰囲気はもう発していない。
(大丈夫…かな)
何とか事が収まるであろうことを察する。
その後アイトラは、望んでいた楽しい温泉旅行(出張)のひと時を過ごすことができた。
生前の旅では用いなかった、決意を新たに胸にしながら。