イセリア人間牧場奮闘記 before&after 作:あるいてごろりと
温泉旅行(出張)から1週間が経っていた。
アイトラと少年は、海水浴を楽しみ一休みしている。
砂浜にシートを広げ、座る2人。
目の前で流動する波の音が、静かに響いていた。
楽しみの時間はあっという間に過ぎ、日は傾き空には橙色が広がっている。
アイトラは、濡れた髪を軽く払ってから振り返る。
「今日はありがとう。
たくさん泳げるようになったね」
アイトラの微笑む姿を見て、少年は慌てて首を振る。
「こちらこそありがとうございました。
でも、俺はまだ全然です」
「そうかな?
私より君の方が泳げてたと思うけど」
アイトラの言葉に、少年は頭を掻くような仕草をする。
「あれは、ただただ必死で…」
アイトラはくすっと笑う。
「ふふ、私もまだまだだし。
次もお願いしようかな」
「え…あ、はい!」
少しの沈黙。
波が足元をさらう。
少年は、ぎゅっと自身の手を握る。
「…あの、アイトラ様」
「ん?」
「少し、いいですか」
アイトラは柔らかく頷く。
「いいよ」
少年は視線を落としたまま話し始める。
「……昔のことなんですけど」
アイトラの表情が、少しだけ静かになる。
「救いの塔で……自分が言ったこと、覚えてますか」
「覚えてるよ」
すぐに返す。
「一緒に逃げようって、言ってくれたよね」
少年は頷く。
「でも、自分……何も出来ませんでした」
「そんなことないよ」
「あります」
声は小さいけど、はっきりしていた。
「結局、アイトラ様を一人にしてしまった」
少しの間。
アイトラは、やさしく笑う。
「でもね、あの時…すごく嬉しかったよ」
少年が顔を上げる。
「え…?」
「そう言ってくれる人がいたこと」
アイトラは真っ直ぐに少年のことを見る。
風が吹く。
少年は、決意をする。
「俺…今度こそ、アイトラ様の手を引いてみせます。
どこまでも、いつだってです。
ですから、その…」
少年も真っ直ぐに彼女の瞳を見る。
「ずっと一緒にいさせてください」
アイトラは少しだけ目を見開く。
でも、あまり驚いた様子はなかった。
胸の内には嬉しい気持ちが広がっていく。
アイトラは、一度海に視線を向ける。
「私はあの時、神子だったから」
「…はい」
「きっと、生きていた世界で応えることは出来なかったと思う」
少年は唇を噛む。
「…今は、どうなんですか」
その一言に、アイトラの動きが少し止まる。
沈黙。
波の音だけが続く。
クヴァルの言葉がよぎる。
『ですが、あなたの生き方はもう自由でいいのです。
立場に囚われないでください。
あの少年だって、そう望んでいるでしょう』
アイトラは、小さく息を吐く。
「…ずっと思ってたんだ」
少年を見る。
「こういう気持ちは、持っちゃいけないって」
「…神子だから、ですか」
「うん」
彼女は少し笑う。
「でも、この世界では違うって言ってもらえた。
…違うって思えるようになった」
一歩、少年に近づく。
「だからね」
少しだけ、照れたように目を逸らす。
「逃げるの、やめようと思う」
少年の呼吸が止まる。
アイトラは、ゆっくりと向き直る。
「君があの時言ってくれたこと」
少しばかりの間。
「今なら、ちゃんと答えられる」
少年は、固まったまま動けない。
アイトラは、やわらかく笑う。
「私も、一緒にいたい」
――静寂。
少年は顔を真っ赤にして俯く。
「…あの」
「うん?」
「それ…その…」
言葉が出てこない。
アイトラは少し意地悪く笑う。
「どうしたの?」
「い、いえ…嬉しくて…その…」
アイトラが小さく笑う。
「私も」
○○
少しして、2人は並んで歩く。
アイトラがぽつりと呟く。
「この世界のご飯、すごく美味しいんだよね」
「俺もそう思います」
「…再生の旅の時はね、分からなかったんだ」
「え?」
「味があるって、どういうことか」
少しだけ間を置く。
「でも今は分かる。
小さい頃の感覚を思い出せたって言うのかな」
少年を見る。
「誰かと一緒に食べると、もっと美味しくなるんだね」
少年は照れながら頷く。
「じゃあ、今度一緒に食べましょう」
アイトラはすぐに答える。
「うん、約束ね」
直後、アイトラが閃いたように口を開く。
「そういえば、私…もう神子じゃないよ」
「そう…ですね」
少年は、アイトラの意図を汲み切れないでいた。
「名前だけで呼んでほしいな」
少年は、彼女のその言葉で理解した。
「その…いいんですか?」
「いいよ」
少年は緊張しながら言う。
「…アイトラ」
その響きを、アイトラは静かに受け取る。
「うん」
少しだけ間を置いて、
「呼び方、変わったね」
少年は照れたまま頷く。
「…はい」
アイトラは、嬉しそうに微笑んだ。
△△
オリジナル大樹の前には、青い髪が特徴的な男性・ユアンが立っている。
「マーテル、これからロイド達がここへ来る。
戦いのあとの掃除で騒がしくなるが…」
ユアンは、ソウルイーターのフーディーが体内より排出した魔物の軍勢と大樹の前で戦った。
無事に終えて倒した魔物達が消えたのは良かったが、戦いの影響で倒木やら起き土地も荒れてしまったので整地と掃除を必要とした。
人手がいる作業と考えたユアンは、ロイド達に手紙を出して応援を要請する。
ユアンがマーテルに配慮して話すと、返事が聞こえてきた。
「大丈夫でス」
「…貴様、マーテルじゃないだろう」
敵に乗っ取られたのではないかと危惧するユアン。
「はい、私はマーテル様の器のタバサでス」
「タバサ…」
ユアンは、かつてマーテルの魂を入れる器を作る計画があったことを思い出す。
計画は失敗したが、ユグドラシルがロイド達に討たれたのちに歴代の神子やマーテルの魂の器となった。
敵の介入ではないと理解したユアン。
「マーテルはどうした?」
「複製大樹の所へ行きまシた。
私は、留守番とユアンサんの話相手を任サれまシた」
ユアンも複製大樹のことはマーテルから聞いて知っている。
今のマーテルは、3人ほどの魂を分裂させても支障が無い。そのため、数10年おきの長期間滞在プランと数日〜1ヶ月ほどの短期間滞在プランに分けて、神子を複製大樹で暮らさせているのだ。
ユアンが聞いた話によると、マーテルは彼女の精神世界内で神子達に複製大樹に行きたいかを個人面談で聞いているらしい。
神子達は、全員が元気よく手を挙げて行きたい意思を示したそうだ。
彼女達曰く、「複製大樹内で生活しているであろう両親に顔を見せたい」や「料理したい」や「服を買いたい」や「子孫と恋バナしたい」などと様々な欲望をさらけだしてくれている。
マーテルはそんな様子を楽し気な声でユアンに語っていた。
「人を寂しがりみたいに…まあいい。
今、マーテルの魂は歴代の神子と離れているんだな?」
「はい。
残った歴代の神子は、私と同化シていまス。
複製大樹にいるのは、2人の神子とマーテル様だけでス」
2人の神子は、アイトラとスピリアである。
「どうしてマーテルが複製大樹に行ったんだ」
「マーテル様は、歴代の神子の皆サんに勧められて1日だけ複製大樹に行きまシた」
マーテルのいない大樹に宿る精霊は、精霊マーテルと呼べるのだろうかと、ユアンは思った。
もはや、精霊タバサの方がしっくりくる。
「勧められた理由はなんだ?」
「…スみまセんが、オイル交換のため一時会話を休止シまス」
「お前の体は、そんな仕組みじゃないだろう!
下手にはぐらかすな」
「マーテル様が戻ったあとで、話サれると思いまス。
ソの話は、マーテル様とユアンサんの2人で話スべきだと判断シまシた」
ユアンはどんな話だろうかと思いを巡らすが、中々ピンと来るものはない。
マーテルが戻ってくるまで、お預けだろうと思った。
ふと、大樹の中から話してくるタバサについて考える。
初めから魂の依り代として作られた少女も神子同様、クルシスの犠牲者の1人だ。
ユアンにも、彼女に対して非を感じる部分はある。
「お前は、その…なんだ。
楽しいのか?」
娘との距離感が分からない父親のような不器用な聞き方をしてしまったユアンであったが、タバサは率直に答えてくれた。
「はい。
楽シいことばかりを考えてシまいまス。
いつか、マーテル様や歴代の神子の皆サんとで複製大樹に行き海水浴をスる予定でス」
「そうか」
ユアンはマーテルと海水浴に行きたい気持ちをこらえつつ、タバサの前向きな返答に少しばかり安堵した。
「もちろん、今のユアンサんとの会話も楽シいでス」
「…余計な気遣いだ」
「照れの反応を確認シまシた」
「照れてない!」
早くロイド達が来て欲しいと思うユアンであった。
△△
複製大樹内のイズールド区は、通称港区と呼ばれる一画である。
交通の便が良く、働く場所が多いので、人が集まりやすい地域だ。
そんな場所をマーテルは、散策していた。
目的はあったのだが、目新しい景色ばかりでうろうろしていると老人から声をかけられる。
「お嬢さん。
お尋ねしたいんじゃが、よろしいですかな?」
「ええ、何でしょう?」
「ワシはトリエットに居た頃から、大のマッサージ好きでしてな。
この辺りに人気の若い女性店員だけでやっているマッサージ店があると聞いたのじゃが、ご存じじゃろうか?」
老人は、目を輝かせていた。
マーテルは考えるが、まだそんなに散策していないのもあるのかそんな店は見なかった。
「すみません。
私もここへ来たばかりで…」
「おや、そうじゃったか。
なあに、いずれ辿り着くじゃろう。
止まらなければ、のう」
老人は、遠くを見る。
その先に見据えるものは、マッサージ店なのだろう。
マーテルは、老人の言葉に納得する。
中身のことは、とりあえずとして。
人々の成し得た結果には、多少なりとも苦難がある。
それでも、前に進む意思があれば今とは異なる結果が出るはずだ。
それは、1番に目指した形ではないかもしれない。
しかし、困難の道を突き進んだ過程があれば、今の結果はむしろ1番求めたものよりも満足感や愛着が得られることもある。
(あの子も、今はそう思ってくれてるかしら)
ふと、マーテルは考える。
「それじゃ、ワシは行きますぞ」
老人は、マーテルに挨拶をするとその場を後にした。
マッサージ店を探しに向かったのだろう。
(私もそろそろ目的地に向かわないとね)
マーテルも歩み始めた。
○○
十数分ほど、マーテルが散策すると約束の時間間近になる。
目的の場所に来ると、その者はもう到着していた。
マーテルは、声をかける。
「久しぶりね。
元気にしてた?」
振り返ると、彼の表情が明るくなる。
「うん、ここでの生活も慣れてきたよ。
あの世の川を渡らずに留まって良かった」
金色の髪をした少年は、マーテルに笑いかける。
「あのね、この場で言う言葉か分からないけれども…」
金髪の少年は、少しばかり間を置く。
言いたかったけど言えなかった、だからこそ簡単に言えない言葉なのだ。
マーテルは、静かに待つ。
やがて、金髪の少年は短い言葉を口にする。
「ただいま、姉さま」
それは、4000年前のかつての心を取り戻したことによる発言なのかもしれない。
コレットの体に宿った時のマーテルは、彼のしたことなど到底受け入れられなかったため、彼の行いを批判した。
だが今度こそ、マーテルは心から弟との再会を喜ぶことができた。
「お帰りなさい、ミトス」
本日の複製大樹内にあるシルヴァラントの空は、快晴だ。
太陽を包むような一面に広がる青空は、高く高くどこまでも続いているようにも見えた。
fin.
最終話です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。