一年生の時に大鍋大穴選手権大会堂々の一位を記録した彼は、魔法薬学を苦手教科と認定してしまったらしい。遊びにおいで、と誘えばほんの一瞬苦い顔をする。どれほど練習を重ねさせてもやはり苦手意識というのは払拭できないらしかった。
レイ個人としては学べば学ぶほど愉快で奥深な教科であるのでできれば落第生など出したくはない。
「アル。お茶飲みに来るだけでいいから」
「……そういいながらまた薬草刻ませるんだろ」
「魔法薬学数うちゃ当たる」
低学年のうちはこれで誤魔化されてくれたのだが、知恵のつき始めた三年生。これが補習の合図だと学習してしまったらしい。
「えーんえん、スコピ呼んでもいいからさぁ!」
「だんだん呼び方が雑になってますよね」
先生らしくない物言いにも慣れてしまったアルバスである。こんな人なのに寮監や教師としては一流だというのが釈然としない。
美味しいお茶とお菓子があるよ、で釣れるのはこの先生と本当の子供だけである。ただ、確かに彼の部屋にいる間は誰にも意地悪をされない。スコーピウスを呼んでもいいのであれば、とアルバスは首を縦に振った。
アルバスとスコーピウスは教室の奥にある準備室に招かれた。柔らかい午後の日差しが差し込むこの部屋は教室よりも居心地が良い。
漂うのは紅茶の香りとマルフォイ家から差し入れられたクッキーのバターの甘みだ。
アルバスは知らないことだったが、スコーピウスとレイは生まれる前からの知り合いである。アストリアの腹の中にいるころからこの可愛いスリザリンの王子様のことを知っていた。
まさか、あの王子様、今となっては王様、からこんなに可愛らしく無邪気な子供が生まれるとは想定していなかったが、アストリアの気立てがいいおかげだろう。ドラコは彼女に感謝すべきだ。
さくさく、小さな口でクッキーを食べる姿は年齢が二桁になってもいとあどけなし。日本人なら誰でも心に飼っている清少納言が今宵もフィーバーである。
「アルはね、緊張しいだからさ。のんびりやってごらん。お茶でも飲みながら」
それはごく初歩的な魔法薬。彼が抱える様々な補習課題のうちの一つだ。プレッシャーに極端に弱い彼は他者の視線が集まる授業や、テストとなると失敗してしまう。
念のため、と思って調べたのだが、学生時代の自分と同じというわけではなかった。彼の中には人並みの魔力が宿っており、適切に行使されるのを待ちわびている。
「スコピは口出ししないこと。一応アルの宿題だから」
紫がかった深い赤毛をひとくくりにしたレイは念のため爆発に備える。入れる順番さえ間違えなければ決してそんなことにはならないのだが、どうしてか焦ると彼は文字が読めなくなるのだ。
「アル。失敗したくないのなら教科書とにらめっこして。熟練の菓子職人だって新しいレシピを試すときには本をよく読むから」
「むぐ……」
アルバスは言われた通り教科書に目を落とす。読んでいるつもり、になっているだけなのを理解し、深く息を吐き出した。注意力が散漫、というよりは彼には気になることが多すぎるというべきだろう。
だから、きちんと集中できる場で自信をつけさせるのが最善策だと思うのだ。
それに、去年の号泣以降、アルバスはレイの言うことも聞くようになった。教師の言葉ゆえに耳からすっぽ抜けてしまうこともあるようだが、それでも耳を傾けるようになっただけ成長である。
勉強嫌いの反抗期に多くは求めない。ただ、修繕すべき鍋が減るのは手間が省けて嬉しいことだ。
「誰と比べるわけでもないよ。薬学は自分との闘い。創意工夫は基礎を学んでから!」
レイは元から生まれも血筋も一切気にしないストレンジャーである。ポッターのことはあまり好いてはいないけれど、それはそれ、これはこれ。自寮の生徒が魔法薬学を苦手としていることの方が問題である。
ゆえに、アルバスに徹底的な補習を吹っ掛けているのだ。自分の目が黒いうちは自寮から自分の教科で落第などさせてなるものか、と意気込んでいる。
「先生、これは?」
「途中経過は……ばっちり。よくできてる」
鍋をのぞき込めば教科書通りの色と湯気。手順としてはもう難度の高いところを超えた。少し目を離しても問題ないだろう。
レイはアルバスに集中するように伝え、スコーピウスのほうを向いた。
彼にしては珍しくお茶もお菓子も進んでいない。その理由はたった一つ。彼の母であるアストリアの死だ。
「スコピは困ったこと、しかないよなぁ、うん。聞き方が下手すぎた、」
マルフォイ家の内部事情にそこはかとなく詳しいレイは言葉の選択を恥じる。本当は学校になど来る精神的余裕はないに違いない。それでも彼はホグワーツ特急に乗った。塞ぎこむことで得られるものは心の安寧。
しかし、一方でそれをしてしまえばもう二度と立ち上がれなくなってしまうと判断したのだろう。
「レイ、僕は……」
幸いなことにまだ親に死なれたことがないレイは彼への寄り添い方がわからない。大切なものを失ったという点では似た感情かもしれない。
しかし、自分のものとは違う。人生における母親の大きさは計り知れないものがある。そんな彼と友を失った自分と比べるのはおこがましいだろう。
「慰めるのは違う。慮るのも違う。それはきっと先生の役目じゃないから。でも、いつでもおいで。知った味のクッキーとキャンディー、それから紅茶くらいなら出せるからさ」
スコーピウスの目を縁った涙。君を泣かせたとあったらアルに怒られちゃうなぁ、と声に出せばアルバスの視線が飛んでくる。
「スコーピウスに何したの」
「アルバス、先生は優しいだけだよ。教科書に集中して」
いきなりキレられないだけの信頼は得ているらしい。アルバスは不服そうではあるが薬の調合へと戻った。
「先生は、どうして僕たちに優しいの?」
「誤解なく言えば僕たちはスリザリンだから」
ああ。かつて。自分は軽やかに恩師とこの会話をした。すべてはスリザリンなれば。今ならわかる。スネイプ先生の偉大さ。
スネイプは外様だ。どう転んでもプリンスではないから。嫌味な贔屓はさすがにどうかと思うけれど、それもまた彼なりの処世術だったのだろう。
スリザリンはよそ者に厳しい。けれど、ここがスリザリンである限り。向ける視線は平等に暖かいのだ。
いいも悪いもなく、仲間を守ってしまう。それが我らスリザリン。はみ出しっこたちが生徒であるうちはなかなか気づけない。
レイだって長い時間をかけてすっかりスリザリンに馴染んでいるが、今だって英国魔法界の貴族社会では内側にほど近い外側の商人でしかない。
昔と違うのは金持ちのお歴々から明確な菓子折り、つまりは賄賂が懐に飛び込んできて子息の成績アップを強請るくらいのものである。
「もし、僕たちがスリザリンじゃなかったら?」
「難しいこと言うねぇ。それでも、可愛いホグワーツの後輩だからほっとけないよ」
半分本当で半分は嘘。曖昧な返事だなと自分でも呆れるが、今ここで求められている回答としては最良のものを出したつもりだ。スコーピウスの慰めになったかまではわからないが。
「アルバース。本当にその順番って書いてある?」
「うっ……」
危うく順番を間違えそうになるアルバスを優しくとがめる。これはあくまで補習授業だ。お茶と菓子がついてくるだけで。
目が後ろについてるのかよ、と可愛い言葉をいただいたが、匂いだ。アルバスがほんの少しだけ間違った材料を鍋内に落としたことにより、本来ありえないアーモンド臭が鼻に届いたのである。
この部屋はいつでも様々な香りで溢れているため、目以上に鼻がものをいう。
元来コーヒー党だった自分が紅茶を飲むようになった理由はここだ。コーヒーの香りというのはかなり強い。一方で紅茶はよほどのフレーバーティーでもない限りは香りで教室を覆ってしまうことはない。
元来紅茶を苦手としているレイが飲める品種は紅茶の中でもかなりベーシックなものとなっているので余計に異臭には気づきやすいのだ、
「いやはや。危ない危ない。また君たちの放課後をへずっちゃうところだったね。アル、最後まで油断大敵!」
「ううぅ……」
立ち上がってちらりと確認すれば問題ない。精度はそこまで出せていないがアルバスにしては上等である。こぼさないように瓶に詰めてラベルを張らせればあら不思議。今回はきちんとラベル通りの薬品が出来上がった。
「はい。お疲れ様。これで魔法薬学が理由で落第はなくなったよ。よかったね。来年からもスコーピウスと同学年だ」
アルバスに淹れてやったミルクたっぷりの紅茶は彼の不機嫌をほどくにはちょうど良かったらしい。この空間にいるのは親友と気心知れた先生だけだ。アルバスの不機嫌の主な原因であるその苗字を気にするものなど誰もいない。ゆえに、彼はただの少年に戻ることができる。本来は彼の兄ほどではないが陽気で可愛らしい少年なのだ。
「先生はどうして先生してんの?」
「去年言ったとおり。僕は放課後を終わらせないために教師をやってるんだよ」
それってどういう意味?と口を開きかけた彼にスコーピウスはクッキーを手渡す。
「なんだよ、スコーピウス」
「その質問は先生に優しくないからダメ」
本当に聡い子だ。ドラコと同じで空気が読める。レイはその配慮に嬉しくなってそっとスコーピウスの菓子皿にお菓子を足しておいた。
「いいよぉ。結構誰でも知ってるし。ありがとねスコーピウス」
レイは彼の頭を撫でると面白くもない昔話を始める。
はみ出しっ子、空気の子、スリザリンのストレンジャー。どこにでもいる引込み思案な生徒の話。
そんな自分の友達。セドリックディゴリー。彼との約束を守るために無茶をやって今自分はここにいる。子供に聞かせるには酷い箇所は意図的に削って。それでも事実を捻じ曲げてしまわないように。レイは彼らに脚色された本当を語る。
「ね、面白くなかったでしょ」
紅茶、冷めちゃったね。杖を一振りすれば三人分の紅茶はまた適切な温度に戻る。昔の自分だったらこれをするために汗をかいて結局アイスカフェオレが飲みたいと憂いただろう。
魔法を正しく行使するために人生を半分に圧縮する必要があるとは思ってもみなかったけれど、これはスネイプと自分しか知らない秘密だ。アルバスにもいってしまったが理解はしていないだろう。無論、今を生きる親友たちにすら言っていない。
すっかりしんみりしてしまった彼らの肩を叩く。ほんっとに優しいんだから。こんな俺のために心を痛めないでよ。
「だからさ。無茶とかしないでね。僕は誰かがいなくなるの大っ嫌いなんだ」
先輩どころか先生もいなくなっちゃったときには本気で発狂しかけたから勘弁してほしい。
人間には興味がない。けれど、可愛い君らとなれば話は別だ、といえるほどにレイは彼らに肩入れしていた。シンパシーと、手のかかる子ほどかわいいの理論はレイにも効果があったらしい。
どうか、『ポッター』が運ぶ厄介はいじめ程度のものであってくれ。彼らに平穏無事な学生生活を送らせてあげてください。
教師生活で初めて祈ったことであった。生徒の安寧など。そしてその願いは数か月後。そう、四年生の始まりに簡単に打ち砕かれることになる。