「三年生相手にやったのがウケちゃってね。各学年つかみの授業としてやることにしたんだ」
がたがた、と衣装ダンスが揺れている。中の妖怪は毎時間子供に笑われ続けてさぞ疲れていることだろう。ブラック労働に対してそろそろ異議申し立てをすべきだ。
「流石に、三年生以上には説明はしないよ。中に入っているのはものまね妖怪ボガート。対処法はわかるね?」
レイ一人がそっぽを向いたことでルーピンは彼こそが問題児であると悟った。魔法を使う教科だけことごとく点数を落とし続けているぎりぎり魔法使いだ。
そして、彼のような気弱なスリザリン生を見た時にグリフィンドールの子供たちがどういった対応をするか、リーマスは嫌というほど知っていた。
おそらく、順番に並んで、と言ったらレイは後ろに下がるだろう。けれど、悪ガキたちは彼を前へと押し返す。かつて学校一の悪ガキたちを擁していたグループにいたからよく知っているのだ。出来損ないの笑い方を。
「じゃあ、グリフィンドールとスリザリンで交互にやろうか。必ず最後の人まで回すから残念そうな顔しないで。前回自由に並んで、と言ったら意外と時間がかかってしまってね」
それじゃ、グリフィンドールから!と声をかけ順番に進める。千差万別、心の底から怖いものを笑い飛ばす。誰かにとっては恐怖の対象でも、自分にとってはそうではない。そんな違いを受け入れるのも話のタネになる。
不思議なもので、恐怖体験というのは他者に話したくなるのだ。退治しやすいわりに、見た目は各々の恐怖心を煽るもの。そんな恐怖に立ち向かい勝利したという、自信をつけるのにもボガートは最高の教材だ。
「どんどんいこう!恐怖を笑えば退治できる。呪文はわかってるね?」
そして、とうとう、レイの番になる。
ルーピンは彼の背後に立った。そして誰にも聞こえぬように彼に告げる。
「呪文と杖の振り方はわかるね?」
レイは首を縦に振る。わかっていても使えないのがレイの魔法なのだが、無策よりは確実に良い。
ボガートが変身を始める距離まであと一歩。教師として、ルーピンは朗らかに声をかけた。彼の緊張をほぐすために。
「いざとなったら私が変わろう。できると信じてやってごらん」
「……はい」
レイが目の前に立つと途端にそのモヤはスネイプへと姿を変えた。思ってもみなかった変身に教室がざわつく。レイがかの薬学教師に懐いているのは皆の知るところだったのだ。
むろん、レイもこうなるとは思っていなかったのだろう。明確に雰囲気が固くなってしまった。
目じりの皺まで寸分たがわぬ魔法薬学の教師は彼に向かって冷ややかな視線を浴びせかける。
「君には失望しましたぞ、ハセオ」
さぁ、っと顔を白くしてレイはその場にへたり込んだ。偽物だ、とわかっていても。この世界で初めて居場所をくれた人間にそんなことを言われて立っていられる強い魂を有していない。むしろ、彼という人間は極端に精神が細いのだ。
まずい、とルーピンは彼とボガートの前に飛び出す。この処置をしたのは二人目。満月は風船になり教室を舞った。そして、ボガートは暗がりに逃げ帰ったのでルーピンはきっちりカギをして閉じ込めたのだった。
「はい、みんなお疲れ様。今日の授業はここまで。レイは私が責任をもって医務室に連れて行くから心配しないで。宿題はボガートについて羊皮紙一巻き」
彼が言いきたっところで、計ったかのようにチャイムが鳴る。
がやがやが止まらないまま教室を後にする一団の中、ただ一人、レイに心配そうな視線を投げかけていたのはグリフィンドール。けれど、今話しかけるのは得策ではないと理解しているのだろう。彼はルーピンを一瞥し会釈すると友達の輪に戻っていった。
二人きりになった教室。茫然自失のままのレイにルーピンは声をかけた。ぴりり、と痛いほどの魔力の高ぶりを感じるも、これは杖を使っての魔法ではない。揺らぐ感情がそのままむき出しになっている荒々しいものだった。
「大丈夫。ボガートだよ」
「ボガート、」
「君が大好きな先生は、君にそんなことを言うかな」
「言わない。言わない……」
彼が泣き出すと空間のひずみは収まった。彼の持つユーモアではスネイプを面白おかしくはできない。かといって恐怖に打ち勝てるだけの精神性は有していない。これは非常に難しい問題だったのだろう。そのために処理しきれなかったのだ。
「落ち着いたかな」
「ご、ごめんなさい。ほんと、授業に集中できてなくて」
話せるようにはなったものの、いまだに涙をぬぐっているレイの口にチョコレートをねじ込んだ。多少乱暴ではあるが、彼が甘党であることは耳に入っていたのだ。
「もご……うま……」
緩やかに血の気が戻る顔色にルーピンは胸をなでおろした。教師になってみて思ったのだが、授業用の課題作成は中々に難しいのだ。
かつての自分の仲間たちのように何でも簡単にこなす子もいれば、致命的に魔法が使えない子、自信がないだけの子、自信しかない子、など様々居るのだ。彼らすべてがなるべく授業を嫌になってしまわないようにカリキュラムを練る。学校教育の難儀さに頭を抱えることも多い。
「次の授業は?」
「あーっと、古代ルーン文字」
「あの教室か。だったら、この道を使うとショートカットだ」
ルーピンはポケットに収まっていたホグワーツの地図を広げるとレイに道を教えた。その地図は初めて見るものであったが、かなりの裏道が網羅されているらしい。
限りなく便利な代物であるが、もしいたずらっ子の手に渡ったらとんでもないことになるのは火を見るより明らかだった。
「教師が神出鬼没だったり、教室間移動が異様に早かったりするのはこのカンペがあるからなの?」
「これは私物だよ。私も卒業生でね。生徒だった頃にいろんな冒険をした名残さ」
「先生も卒業生だったんだ」
「とはいっても、グリフィンドールだったからね。君からすればあまりいい印象はないかもしれない」
「ううん。グリフィンドールにもいいやつはいるって知ってるから」
それに、チョコレートくれたから先生は間違いなくいい人だよ。と、彼の中にある随分低いハードルの話をされた。純粋に感謝すべきなのか、子供すぎる感性を心配すべきかは悩んだが、ルーピンは前者を選択する。
「なら。もう少しいい先生になろうかな」
残っていたチョコレートもレイに手渡せばとたんに笑顔になった。不安定な子供であるというのは授業前に聞いていたが子供っぽいだけなのではなかろうか。もっと人間性に難がある生徒だっていくらでもいる。
「さぁ。次の授業に遅れてしまうよ。名残惜しいけど準備をしなさい」
「はーい、あ先生。一つだけ」
「何かな?」
「あと、これは誰にも言わないし、どこまでが秘密なのかわからないから単純な疑問ね」
レイはチョコレートをポケットにしまって教科書を抱える。一、二年生にしか見えない体躯の彼はことさら幼く見える顔で笑いながらルーピンに問うた。
「先生からスネイプ先生と同じ匂いがするのはどうして?」
レイの発言に一瞬何を問われたのか分からなかったルーピンである。反応が明確に遅れてしまう。
同じ匂いとはなんだろうか。使ってるボディソープが一緒みたいな話だろうか。スネイプも身なりにはさほど気を使わないたちであるし、特売品が被ったのか。消耗品は意外と高いから安物を買うと被るのはありがちな話ではある。
でも、レイの表情からするにそういう話ではなさそうだ。すん、と鼻を動かしてにっこり笑っていた。
今のルーピンにはそれが少しだけ悪魔の微笑に見える。
「……は!?」
「言い方が悪かったや。今のはすごい誤解を招く文章だった。ごめんなさい先生、先生からはスネイプ先生がここのところよく作ってる薬の香りが濃くする。その薬って人が絶対に口にしちゃいけないし、何なら味見した俺は医務室に運ばれたんだけど」
「味見した!?」
次から次へととんでもない発言をしてくれるレイにルーピンの心拍数がおかしなことになってしまった。スネイプと同じ香り、も中々な発言であるがルーピン用の薬を味見した、も相当にロックな発言である。彼の成績を見るにそれが何の薬か知らなかったわけもない。
青醒めたルーピンをフォローするようにレイはわたわたと弁明を始めた。
「こ、小指につけて舐めただけ!スネイプ先生から死にたがりとか生き急ぎとか滅茶苦茶怒られて、医務室で胃洗浄の憂き目にあっただけ!生きてるから安心して先生!」
「成分に猛毒が入ってるのは君ならわかるだろうに」
「あれさ、びっくりするくらい美味しくないね」
「美味しいとか美味しくないで飲んでるわけでもないからね」
「飲んでんだ」
「あー……、」
人って自分より滅茶苦茶な人間が現れると思考力が落ちるらしいよ、呆気に取られて。そういったレイにまんまとのせられたわけである。
人狼へのあたりの強さは今も昔も変わらない。満月の夜に理性を失い、人間を食い殺す可能性がある不治の感染症。そのキャリアを学び舎に招き入れたことが明るみに出たらダンブルドアとてただでは済まないだろう。
ルーピンにレイが提示したのは彼の決定的な弱みだ。しかも、スリザリンの少年にこの情報が渡ってしまった。
無論、教師になるときにダンブルドアには言われたのだ。学生時代の偏見は捨てるように、と。それが教師になる条件であると。それでも、やはり思い入れや、記憶が根底にある。その点ではクィディッチ以外で常に公平なマクゴナガルという教師は素晴らしい人間性を有していると言えるだろう。
「これを、君は誰かに言うかな」
「言うって?先生がじんろ……先生がわんわんプレイが好きだってこと?」
「なんで君は語弊を生みそうな物言いをするかな」
「英語表現って難しいね先生」
ルーピンの表情がだんだんと険しいものになる。それを見逃すことはできないレイは今の彼に絶対的に必要な説明をすることになった。
ここで言葉を尽くさねば、この親しげな教師に嫌われてしまうだろう。せっかく、この教科のことを面白そうと思えたのだから、それは避けたい。
「誰にも言ったりしないし、偏見とかないよ。だって、ルーピン先生がちゃんと先生できてるのって薬のおかげでしょ。俺はスネイプ先生が作る薬の事、信頼してるから。それを飲んでる先生のことも信じてる。むしろ、先生がここで働いてることによって、脱狼薬ってちゃんと効果があるんだって話になるでしょ」
それに、誰かの病気のことなんかよそ様に吹聴することじゃない。
レイはそれだけ言うと、授業に遅れるから!と教室を後にした。残されたのはあっけにとられたルーピンのみである。日本生まれとはいえ生粋の魔法族である彼が人狼の恐ろしさを知らないはずもない。
ルーピンは自分の手が震えていることに気づいた。あの件以降、人を信じるという行為がすっかり苦手になっている自分に純真な子供の真心は随分と重たいものである。悲しいかな、どうしても信じ切ることができないのだ。
だからこそ、つい。職員室でレイのことをよく知る学生時代の宿敵に声をかけてしまったのである。
「レイは、どんな生徒なんだい」
「能天気な間抜けだが?」
「彼、薬を舐めたらしいね」
「……。どうしてそう詰めが甘いのか」
「そこに関しては面目ない」
生徒にこんなに早々にバレるのであれば教師などやめてしまえ。ダンブルドアは一体何を考えているのか、と文句でも言ってやろうかと思ったが疲れるだけなので今この場ではやめておく。
話題のレイだって少々死にたがりかつ、鼻がいいので自分を殺しそうになった薬品の香りをルーピンから嗅ぎ分けただけなのだろう。
薬品の内容を知っていればおのずと彼が人狼であるということはわかるのだ。
「先生からスネイプ先生と同じ匂いがするのはどうして?って聞かれたよ」
「は???」
「私と同じ反応だね」
良からぬ想像をしてしまいスネイプの右口角のみが跳ねあがる。怒りをあらわにするも怒鳴る先はここにはない。スネイプは無意識に握っていた拳を開くと二、三度深呼吸をした。
「どうせ、薬の匂いをかぎ分けただけだ、そうに決まってる」
「実際そうみたいだよ。心が汚れているのは私たちだけってことになる」
「忌々しい」
吐き捨てるように言い切ってこの場を後にしようとするのでルーピンはスネイプを止めた。若いころに彼にした仕打ちのことはきちんと覚えている。今更謝罪したとてどうにかなる話ではないということも。
「あの子は。私の秘密を言わないかな」
「……」
「スリザリンがどうとかっていうわけじゃないんだ。それでも、ね」
「そんなに気になるなら本人を捕まえればよかろう。菓子と茶だけで釣れるお手軽な生徒だ」
これ以上お前と話したくない、というオーラを感じ取ったのでルーピンはスネイプから距離をとった。同僚としての距離感をはかり違えたのは自分である。
「あの子が好きなお菓子は?」
「血みどろヌガーだ」
「またまた、そんな意地悪を言って」
「血みどろヌガー」
「え?本当に?」
「我輩がそんな面倒な嘘をつくと思うのか」
これで失礼する、と今度こそスネイプは行ってしまった。今ルーピンの脳内にはハニーデュークスの異常な味のコーナーが浮かんでいた。あのコーナーでもことさら珍味であるあのヌガーを好んで食べる人間の子供がいる、という事実に頭が痛くなる。
「揶揄われたのか、本気なのか。わからないけれど用意だけしておこうか、」
ルーピンはカレンダーを見てきちんと日取りを確認する。次の満月まではまだ少し時間があった。どこかの放課後、彼とお茶をしようと心に決めた。