「レイ、今日の放課後二人でお茶をしようか」
授業終わりに教科書を纏めている彼を捕まえて微笑む。嫌です、を隠しもせずに逃げようとするので更なる笑顔で圧を加えた。
「ほ、補習案件をお茶で誤魔化すのはずるでしょ」
「え!補習を受ける気になったのかい。お茶に誘っただけなのに。教師として熱心な生徒は嬉しいね。だったらついでに実技も見てあげるからおいで。お菓子もあるよ」
「く、くそう!お茶に誘われたら断れないっ!」
スネイプの言う通り、レイは即座に釣り上げられた。こちらが教師であり信頼すべき大人だと信じ切っているから、だと信じたいがいくら何でも軽すぎる。
ただでさえシリウスブラックがうろついている治安の悪い状態だ。危機感などはしっかり持っていて欲しいが。
「君は人を信用しすぎるきらいがある」
「それは、先生が先生だからです。俺だって別に誰彼構わずついてったりしません」
「限定フレーバーの蛙チョコレートくれるって言ってもかな?」
「……そりゃ、少しは食べたい気持ちもありますけど、」
「ダメだよ、知らない人に付いていっては」
「へぇい……」
そんな調子でまんまと放課後を刈り取られたレイは図書室に行くこともできず、萎んだ心で闇に魔術に対する防衛術の教室を訪れた。
杖を振る魔法は相変わらずほとんど成功しない。しかし、スネイプとの訓練のおかげで日常的に使うものに関しては効果こそ半分だが行使できるようになっていた。
レイが準備室へ繋がる扉を叩けば中から返答がある。
「ルーピン先生、はいりますよー」
「どうぞ」
香るのは華やかな紅茶。それに机の上にずらりと並べられた多種多様な菓子の甘さだった。中には人に理解され難いレイの好物もいくつか混ざっている。おそらく、スネイプに自分の好みを聞いたのだろう。
「いろいろあるからね。好きなだけどうぞ」
「えっ、好きなだけ……!?お菓子を……!?危ない、惚れるところだった」
わざとらしく額の汗をぬぐうジェスチャーをしたレイは促されるままに席に座る。相対するのはどこかひきつった笑顔のルーピン。
このもてなしの姿勢で分かったが、明らかにこれは口封じだ。ボガート授業の時のあの話に違いない。
「先生、あの時も言いましたけど。俺、誰にも言いませんよ?お菓子はありがたーくいただきますが、口止め料とかいらないからね」
レイは真っ先に血みどろヌガーを口に入れた。その姿にスネイプの言葉が事実だったことをようやく信じる気になったルーピンである。卓上には沢山の美味しいお菓子があるというのに一番がそれ、ということは筋金入りだ。
「レイ。念のため確認なんだけれど、家系に吸血鬼の血が流れていたりは」
「あ?もしかして俺の趣味嗜好が疑われている?これは美味しいから食べてます、純粋に美味しい」
「そう、なんだね……?」
「蛙チョコと同じくらい好きですこれ」
もう一個、とつまみ上げられ口に収まった。ほっぺたが蕩け落ちるとでも言わんばかりの恍惚とした表情でそれを食べる彼を見ていれば、ルーピンまで錯覚しそうだ。食わず嫌いなだけで、もしかしたら美味しいのかもしれない。
「先生も食べます?用意してもらっといて勧めるのもおかしいですけど」
「あ、あぁ、じゃあ一ついただこうかな」
どうぞ、と掌に乗ったヌガーを口に招きれる。砂糖の甘みと血なまぐささ。ヌガー特有のぬったりとした歯触りさえも今この場では最悪と言わざるを得ない。
申し訳程度に入ったナッツが小気味よく砕けて小骨のよう。クランベリーの食感と甘酸っぱさがどこか不安を煽ってくるではないか。
全ての印象が不味いに向かってスライディングを決行するのでルーピンはよく噛まずに飲み込んだ。そのまま黙って紅茶をすすれば鼻血が口に流れ込んでしまった時とほとんど同じ味がするではないか。
「もう一個食べる?」
「私にとっては一つが一生分みたいだ」
じゃあ遠慮なく、とレイがそればかりを食しているので食欲が減退する感覚に襲われた。口直し、とばかりに好物のチョコレートを割って口に入れれば美味しすぎて泣きそうになる。もうこれしか食べたくない。
「……さて、本題に入ってもいいかな。お菓子を食べながら聞いてくれればいいからね」
唇をほの赤く染めてもごもご口を動かしているレイをしり目にルーピンは彼はとうに気付いているであろう重大な問題の正体を語る。自分が人狼であるという重大かつ最悪の秘密だ。
「生徒にこんな視線を投げかけるのは本意ではないけれど、疑り深い性分でね。もし、君が、」
「あ。ご心配なく。本当にどうでもいいんで」
レイは紅茶を飲む。無糖のそれはレイの舌にも心地よい。彼が一番好んでいるお茶は煎茶なので、海外の甘いお茶という文化にはいまだに馴染めないのだ。ちなみに、ミルクティーも受け付けない。
「それに、食べ物くれる人はみんな神様みたいなものなんでぇ」
伸ばした手はドラジェを握る。カラフルでパリッと甘いこのチョコレートはレイの好む菓子のひとつであった。いかんせん、食感のアクセントが強い食べ物のことが大好きなのである。
「怖くはない?満月で理性を失い、人を襲う獣が教壇に立ってるんだよ」
「え、満月の夜に授業がある?」
「ないけども」
「だったら別に気にすることでもないですよね」
あまりにも普通にレイが言うものだから拍子抜けしてしまったルーピンである。これは彼の危機感が薄いのを注意すべきなのだろうか。あまりに人狼という脅威を軽視し過ぎてはいないだろうか。
「人狼は知ってるんだよね?」
「もしや、馬鹿にされている?俺、対処はできなくても座学の成績いいんですよ」
人狼なんか、人間の状態異常の一つでしかないじゃん。そう言いながらレイは次に食べる菓子を吟味していた。視線は菓子の間をさまよい、笑顔は崩れていない。
「満月の日が近くなければ。いや、もはや満月の夜でなければ無害。人狼にアウトローが異様に多くて人間の姿をとってる時も攻撃的だから排除されがちなだけでさぁ。飛沫感染するわけじゃないんだし。恐れる、っていうなら正しく恐れられるべきだよね」
彼は大きなチョコ掛けクッキーを自分の皿に移して四分の一に割る。そしてそのうちの一つを口内に招き入れて笑みを深くした。どうやら口にあったらしい。
「先生、これどこのクッキー?!どえらい美味い。や、や、おいしい。俺三食これでいい」
二つ目を口に入れてレイは紅茶とのマリアージュを楽しむ。本当はミルクたっぷりの甘いカフェオレがいいけれど、紅茶の国でそれを望むのは義にもとる行為だろう。英国に入っては茶葉に従えというやつである。
「先生、ほんとに。このクッキーどこの?俺も買いたいから教えて。先生、先生……?」
レイは成人男性が泣きそうな顔をしているのを初めて見た。自分はそんなに不愉快なことを言っただろうか。発言を思い返せば確かに無神経だったかもしれない。レイの顔がさっと青ざめる。
「先生、ごめんなさい。俺、先生にとって嫌なこと言ったかな。言ったよね、たぶん、」
「レイ。違うんだ。これは、」
「先生にとっては重大な話なのに、些細な事くらいの、感覚で話して本当にごめんなさい。でも、俺、思うんだよ。人間状態で噛みついても何にもならないでしょ。人狼部分だけが悪いわけで。先生はいい先生だと思うよ!ほんとに!」
些細な事。そう言って狼狽えるレイにルーピンは笑った。久しぶりだったのだ。このふわふわした問題を些細な事だなんて言われるのは。まさか、緑色のローブに身を包んだ少年にそんなことを言われるとは夢にも思わなかったけれど。
「そのクッキーは、最近ダイアゴン横丁にできたばかりのケーキ屋のものだよ。私も美味しいと思う」
「っ、先生、怒ってない?」
「怒るものか。むしろ、私の抱える問題を、ちょっとしたもの、にしてくれて嬉しいよ」
そう微笑めばレイの表情が目に見えて明るくなる。安心したのか空気も和らいだ。レイは三つ目のクッキーを口にして改めてルーピンを見つめる。
人狼は病だ。人狼ウィルスのキャリアに噛みつかれることで発症する。感染症の一種にすぎない。一度そのウィルスが体の中に入ってしまったが最後。緩解すら望めぬ不治の病なのが厄介という話で。
月に一度の満月の日には人であることができなくなる。その日は家族や友人なんて関係なしで見境なく人間を襲う異形の獣に落ちてしまう。
心優しき隣人が、突然狼になり襲い掛かってくる恐怖。その歴史が魔法族の心に深く刻まれているのだ。ゆえに人は人狼を忌み嫌い、恐れた。
ひとたび人狼になってしまったら人里にはいられない。隔離され、迫害され、時には処刑された。そうするしか対抗策がなかったから。
しかし、近年。脱狼薬が開発された。今まで不可能と思われていた抑え込みができるようになり、狼になってしまっても理性を失わずに済むようになったのだ。これはあまりに画期的な発明であった。
けれど、それでも人は人狼を恐れた。人狼の中に凶悪な犯罪者がいたのも状況を悪化させた要因だろう。
薬の恩恵にあずかったとて、蔑まれ、迫害される立場であることに変わりはない。であれば、と犯罪行為に走るものが後を絶たなかったのだ。一度生まれてしまった悪循環はそうそう崩れるものではない。
「本当は。脱狼薬で体の中の人狼部分をすべて打ち消せればいいんだけど。そんな薬を作るのはなかなか難しい」
魔法薬学こそ万能であると信じたい。けれど、世界には未知の領域が多すぎる。願う奇跡が大きければ大きいほど時間も材料も膨大にかかるし、果てには運命をも味方につけなきゃいけなくなる。今の技術ではまだ、ほんの少しの幸運を弄ることくらいしかできないのだ。
「俺は本当にそう思ってるんだ。もう怖がる必要のないものを不必要に怖がるから闇が広がるんだって。勿論、フェンリールグレイバックみたいな極悪人はいるよ。でも、そうじゃない被害者も沢山いて、この薬で抑え込んでる。そんな人たちまで怖がるのは間違ってる」
レイは最後のクッキーを食べ、紅茶を飲み干した。
「いつか、薬を飲めば治る病気になる日が来る。俺なんかが言っても説得力ないけどさ」
えへへ、といままでの威勢が消え去って子供の顔に戻る。見た目こそ新入生と変わらないが、魔法薬学と出会ってからこれでも少し成長したのだ。
ルーピンはダンブルドアの言っていたことをここで真に理解した。寮や偏見に囚われてはいけない、と。どこにいたって子供は未来を信じ羽ばたこうと努力している。それを大人が妨げたり、あまつさえ笑ったりするのはあまりに愚かな行為だ。
「いつか。君がそんな発明ができるようにこの学び舎を存分に使うんだよ。教師はその手伝いを惜しまない」
「あ、先生。先生には俺のもう一つの夢教える。みんなにはホグワーツの先生になりたいって言ってるんだけどさ」
笑わないで聞いてよ。先生にもきっと喜んでもらえると思ってるから。そういってレイはルーピンの隣にやってきてその耳に唇を寄せた。誰もいないのに用心深いことである。
「俺のもう一個の夢はね、世界中のマズすぎる魔法薬を美味しくすること」
離れた顔を見ればどうにも本気らしい。日本人は食事の美味しさにシビア、と聞いたことがあるがまさか薬にまでその理論を振りかざしてくるとは思わなかった。
「ふ、ふふふ……それは壮大な夢だねレイ。同時に確かに私に必要なものだ。あの薬はあまりに味が悪い。スネイプが私に対して嫌がらせをしてるんじゃないかと思うくらいに」
「スネイプ先生は薬に真摯な紳士だからそんなことしないと思うけど、そう思われても仕方がないくらいやばい味してるよね。苦すぎるし後味が地獄。ペロっただけで死んだかと思ったからあれを一杯飲んでる先生は尊敬されていいと思う」
なに味がいい?チョコレート?と問われたので、ルーピンは思わず願望を漏らす。イチゴミルク味になったら毎日でも飲むのに、と。
「それは難しい!あの薬の構成部材的に苦みがでがちなんだよね。ミルクはいけるけどイチゴ部分と相性が悪そう、あーでもミルクね。ココア味ならできるかも?」
「試してみたことがあるのかい?」
「ないけど、香りと色と味と作用内容でうっすら判断してるだけ。ミルク成分で舌にマスキングする、のはありかも。成分的に砂糖が使えない以上、他でどうにかするしかないわけじゃん?」
ポケットから取り出したメモ帳につらつら何かを書き込んでいるレイは驚くべき集中力だ。これを邪魔するのは申し訳ない。
なんだか昔もこんな風に誰かを眺めていた気がする。黒髪が二人、一体化してしまいそうな距離感でこそこそ頭をくっつけていた。彼らにとってはいたずらで彩られていた世界の形がレイにとっては薬学なのだろう。ルーピンは笑みを湛えたまま彼を見守る。
何かに納得したらしいレイは二、三度うなずくとメモ帳をポケットに戻した。そして再度ルーピンと視線を合わせる。
「いままでの防衛術の先生の中で一番好き」
突拍子もない発言だが、これもまた彼の特性なのだろう。思考が比較的あっちこっちに飛躍しがちなのだ。おそらく、自分の世界で納得したことに関しては外に漏らす必要がないと判断がなされているに違いない。
「光栄というべきかな」
「今までのが凄まじすぎたってのはある」
一年の時はよく倒れてたから運んでもらった記憶しかないし、二年の時は激臭で卒倒してたし、去年はひとり劇団ロックハートだったからさぁ。初めてちゃんとした先生に当たった気分。
レイはティーポットからお茶を注ぐと丁寧な手つきで元に戻した。この程度のことに魔法を使う方が疲れてしまうので基本的には手動である。
「先生となら闇の魔術に対する防衛術も頑張れそう」
今のセリフは彼なりのリップサービスに違いない。けれど、言質を取るのは真面目な彼にとって有用である。ルーピンはレイのセリフに重ねる。
「それは光栄だ。ところでレイ」
「なんですか」
「教師は学校の敷地の外に出れば姿くらましができる」
「でしょうね?」
「姿現しもできるんだよ」
「そりゃ、そう……」
「学校の敷地から出て、どこにでも行けるね」
「何が言いたいんです?」
「学生の身の上で週末の休暇中にダイアゴン横町に行くことはできるんだっけ?」
「基本的にはできないですけど、」
「私は自由に行ける」
「……」
「このクッキー、随分美味しかったみたいで安心したよ」
「そ、そんな……!」
「これが食べたくば私と補習授業にしゃれ込もうじゃないか」
レイはクッキーと笑顔の教師を見比べる。貴方とだったら頑張れそう、なんて言った手前イヤですと暴れるわけにはいくまい。それに、このクッキーは美味しすぎる。何かいけない成分が入っているのではと勘繰るほどに美味いのだ。
クッキーと補習の間に立たされ表情が曖昧になっていくレイにルーピンはダメ押しの情報を与える。
「実は、スネイプ先生にも頼まれてるんだよ。時々魔法を見てやって欲しいって」
「んええええ!ずるい、共謀罪だ、そんな……そんなぁっ、俺忙しいんですよ!?研究しなきゃだしぃっ!杖振ってるだけ時間が勿体ないというか、無駄というかぁ!」
「世界に無駄なことなんて一つもないさ」
「それスネイプ先生にも言われたやつー、」
「私と彼の見解が一致するのも珍しい。ということはこれはこの世の真理に違いない。さぁ、杖を握って」
今日のお茶会はこれでおしまい、ここからは補習授業だよ。
レイはある意味、まんまと取り込まれた形になる。諦念を顔に浮かべて杖を握らざるを得ない。
それからも定期的に開催されるお茶会からは逃げられず、レイは一年みっちり補習授業をすることになったのだった。