「最近、随分と忙しそうですなミスターハセオ」
「おかげさまで、大型発注の依頼をこなしておりましてぇ」
大赤字確定のやりがい搾取ですけどね、とレイが零せばスネイプは彼の作る軟膏が必要としている薬草の中でも高価なものを大袋で差し出した。
レイはこの軟膏に関して多くを語っていないが、レシピを見ればおのずと彼が何をしているかは理解できる。スリザリンの寮監として表立って援助するわけにはいかないが、世間的には愛弟子扱いであるレイに手を貸すことはなんらおかしな話ではない。
願ってもない支援にレイはスネイプを称える歌を歌いそうになるが、何とか押しとどまった。双子と近づきすぎて精神が陽気に汚染されている。まかり間違っても踊るくらいに留めなければならない。歌ったが最後、教室から締め出されて二度と入れてはもらえない、そんな可能性すら視野に入れる必要が出てくる。実に危なかった。
「先生に嫌われるくらいなら死を選びますよ僕は」
「躁と鬱しかないのか」
「あるなしで言えば、そうであると言わざるをえませんね」
レイが手際よく材料をはかり取る横でスネイプも大鍋をかき混ぜている。手の届く場所においてある材料を見れば中身は問うまでもない。
「先生、一つ確認です。先生が高等次官殿にベリタセラム卸すようになってからどれくらいたちますか?」
どうせ彼のことだ。今の言葉にだって深い意味はないのだろう。しかし、今のスネイプは悪事に加担していますよね?と問われたらそうであるとしか言えない状況だ。
レイの言葉が足りないのには慣れっこだが、一つ大人になった気でいるのならばもう少し言葉と思考を磨くべきだろう。スネイプはその真意をつまびらかにすべく、悪意ともつかない質問で返した。
「何故彼女が我輩のベリタセラムを使っていると?」
「ん?あれ絶対に先生のベリタセラムじゃないから聞いたんですよ。あんな半端なものを作るなんて先生だったらありえないなって精製具合のものだったんで。でも今、先生はベリタセラムを作っている。ということは、あの蛙人間は市販品を買うのでは追いつかないレベルにまで追い詰められて……、あっ。言い過ぎました。もう一回やらせて!」
「こちらを信頼しているからといって軽率に漏らすことではありませんでしたな。我輩がアンブリッジ側であったなら聞き逃しませんぞ。スリザリンから一点減点」
「なんで、そんな怖いこと言うの……。それより、僕からは問答無用で細かい点むしり取っていくのなんでなんです。スリザリンですよ僕は、」
「驕るべからず。もう一点減点」
「あーん……いいですよ、よそからすぐ稼いできますから……」
目に見えてしょぼくれながらレイは調薬に戻った。セドリックの死からこっち、彼が比較的今まで通りにしているのはスネイプの前だけである。取り繕えないことを知っているのか、はたまた明確な"レイ"の居場所、として認めているのか。どちらにせよ、この場がガス抜きになっているのであればそれはそれで構わないのだ。
それよりも。スネイプは先歩の会話で気になったことがあった。
「半端な、といっていたが。我輩のベリタセラムとその他での違いについて言語化できるものなのですかな」
「言語化、は可能ですけど。常人にはわからないと思います。それでも聞きます?」
「ということは香りが違うということか」
レイはポケットから受容体強化薬を出した。百聞は一見に如かず、である。説明が難しいならば、一時的にでもこちらと同じ立場に立ってもらうしかない。
レイはその辺の革の端材に変身術をかけて嗅ぎ煙草入れに変えた。蛇革のそれは中々に趣味がいい。そして、そこに粉薬を入れる。
「その量だと効果としては五分くらいだと思います。これだと受容体全部強くなっちゃうんで僕の場合とちょっと違うんですけど……。それでも近い感覚はわかっていただけると思います」
スネイプが差し出されたそれを吸い込むと、とたん様々な香りが世界に溢れた。豊かである、と感じる以前にこの状態で特定の香りをかぎ分ける方が難しいだろう。少なくとも、この感覚をもって育ってきていないスネイプには至難の業に思えた。
「まぁ、たぶん僕の嗅覚もそこまで過敏ってわけじゃないんで。それは極端な例ですが」
レイは戸惑いを珍しく隠せていないスネイプの前に五つの瓶を出した。それらは作者違いのベリタセラム。とはいえ、瓶の形や色は法で定められたものだ。魔法薬には無味無臭の物も多いため、明確に入れ物の規定がある。魔法界に変わった形の瓶が多いのはこのためだ。
マグル界の工業製品と違ってある程度の物理法則は無視していいのが特徴である。なんてったって、材料さえ用意してしまえば杖の一振りで瓶を量産できるのだから。強度も後からの付与が可能であるため、何でもありである。
「多分、今ならわかりますよ。無味無臭、がいかに無味無臭ではないか」
そういって、レイは一本ずつスネイプに瓶を渡す。わかりやすいように追加で誰が作ったものであるかを記載したシールを貼るのを忘れない。
「まずは、こないだの授業で学生が作ったベリタセラム。かなり焦げ臭い。上手な人のですらそれなんで、いかに精度が低いかってのが分かります」
スネイプが蓋を開けて瓶を扇げば、何をどうしくじったのかわからないほどの焦げ臭さが漂う。調薬初期段階の素材を焦がしてしまったのだろう。ベリタセラムの材料には鍋に入れる前に火で炙らねばならない部材があるのだ。それを焦がしてしまったに違いない。
スネイプは瓶を閉めるとそれを遠ざけてしまった。
「これはボージンアンドバークスで購入した安物ベリタセラム。アンブリッジが僕に使ったのはおそらくこのランクの品物。拭いきれぬケミカル臭。良い魔法薬はきちんと管理された素材からってのが如実に感じられる一品。これで無味無臭とか舐めてんのか。鼻のいい人なら間違いなく気付きます」
促されるままに次の瓶を扇ぐ。確かにこれは素材管理の悪さだろう。薬そのものの出来は悪くない。しかし、乾燥剤に使っていたであろう何かの香りや、余計なものが混ざってしまった雑味があった。
「で、この瓶はどこでも手に入る一般的な価格のピレオス社製。どことなく品のいいバニリンを感じます。ゆえに、温かい紅茶に入れられると顕著ですね。可もなく不可もなく」
調剤薬局製。品質は安定している。スネイプも稀にこの薬局を使うがまさに標準品、だ。そして、質のいい真実薬のような薬はべらぼうに高価である。高等次官とは言え一介の役人でしかないアンブリッジがおいそれと買えるようなものではない。
受容体の感度を人体のバグレベルまで上げるとようやくレイの言うバニラのような香りが分かった。しかし、これは無味無臭の範囲でいいだろう。
「次に僕が本気で作ったやつ。ピレオス社製のよりうっすいんですけど、どうしてもバニリンが抜けない。ほんのり、どことなく特徴的な香りが残ってる」
どうぞ、と差し出された小瓶を嗅げば確かにバニラ。ただし嗅覚の感度をここまで上げて、ようやく言われれば分かる程度であれば、こちらもまた無臭といって差し支えない。よくできた薬である。
「最後に先生のベリタセラム。これだけはホントに何に匂いもしない。水でさえ香りがある世界で本物の無です。まさに一級品」
見慣れた瓶に見慣れたラベル。自作の薬をこんな風に感ずることになろうとは。スネイプは瓶の口を手で扇ぐ。しかし、何の香りもしなかった。時間がたち、感度が落ちていることも考えたがほかの対象物は一度目に嗅いだ時と同じである。
スネイプはすべてのベリタセラムの瓶の口を封じると鼻の付け根を揉んだ。この世界は香り過ぎる。犬にでもなった気分だ。
レイは疲れてしまったらしい彼のために、少量のコーヒー豆が入った小瓶を差し出した。残り一分程度だろう。コーヒーは鼻のリセットにはちょうどいいのだ。本当は挽いて飲みたいところだけれどそれはぐっと我慢する。
「段々薬の効果弱くなってくるはずなんで、コーヒーで中和しといてください」
五分くらいってあっという間ですよねぇ。
そんな風に笑うレイに合わせて薬の講評をしていればあっという間に鼻はいつも通りに戻っていた。
しかし、バニラの香りとは。どの工程で発生しているのだろう。魔法薬は再現性がものをいう。そして、バニラの香り、がしていてもベリタセラムの効果としては申し分のないものが出来上がる。自分の薬とそれ以外での差異の原因は何なのだろう。これは学術的興味だ。スネイプはぬるくなった紅茶を飲みながらレイに投げかける。
「一度、我輩の前で作ってみせたまえ。完璧でないなら何かが足りていない」
その言葉に表情をさらに明るくしたレイである。さらりと様々なものを作れるようになってからこっち、スネイプが直々に調薬工程を気にしてくれることは明確に少なくなってしまった。無論、初挑戦の高難度薬に関してはアドバイスなどをくれることもあるが、手は出されない。それを寂しく思っていたのだ。
「完璧でない薬がこの世に存在するという事実が僕を傷つけていたのでとても嬉しいです!」
魔法薬学において、ともに学問を究めんとする学者として見られていることは誇り高いが、まだまだ生徒扱いをされると嬉しいお年頃なのである。
「……世の中にはこうも高度に薬品の微差を嗅ぎ分ける人間がいるのにもかかわらず」
ため息とともになにごとかを漏らしたスネイプである。それをレイが聞き逃すはずもなかった。ただでさえ誉め言葉に弱い男である。遠まわしとは言えど自分に対する称賛は聞いていて飽きるものでもない。
「ハセオ」
「なんでしょう」
「ベリタセラムの利点は」
「一般的には無味無臭なことです!自分がベリタセラムを使われた、と理解できるのは薬が抜けて来てようやく。それまではぼんやりとした心地よさが続きます。上手に作ることができたら尋問特化の飲む服従の呪いみたいなもんですよ」
「飲んだのだな」
「えぇ勿論。致死量以外はかすり傷」
スネイプにだって自分が中々に難儀な性格をしている自覚はある。それを踏まえて言うが、ベクトルが違うと言えどこの男はそれ以上のものだろう。呆れを超えて心配になることがないわけではない。しかし彼に限って用法容量を見誤ることはないだろうという信頼もあった。
薬に溺れて死ぬ、ということがこの学問においてどれほど愚かしい行いかがわからないはずもないのだから。
「どうせ薬の真贋もわかっていない女だ。この形の小瓶に入った香りのない透明な薬液ならなんでも喜ぶだろう」
つまみ上げた瓶の中身はまだ空っぽ。本来、そこに入るべき大鍋の中身を今か今かと待っている。ベリタセラムの緑の小瓶。目立つそれにスネイプは温かいままの液体を注ぎ入れた。
「もし、我輩がベリタセラムに細工をするなら味にするだろう。魔法薬の出来の如何を舐めて確認する気狂い以外はこれで誤魔化せる。なにより、ベリタセラムは無味無臭が基本だ。どれほど無知でもありえない酸味でもつけておけばそれがベリタセラムではないとすぐにわかる」
聞いてもいない大きな独り言。レイは自分の仕事をしながら耳を傾ける。ようするに。かの魔女にレモンティーを出されたときには薬の混入を疑うように例の集団へ指導しろと言われているのだ。
まったく回りくどいったらありゃしない。それでも。これに気づかずに追い詰められる方がスネイプにとっても都合が悪いのだろう。
「一部教師と生徒の間でティーパーティ流行ってますもんね」
「左様」
これを聞いてしまった以上、自分の仕事が一つ増えたのに違いない。であれば、ちょっとしたお駄賃が欲しいとわがままを言ってもバチは当たらないだろう。
レイは親愛なる先生が作業していた鍋をのぞき込む。無味、そして完璧な無臭。それでもこれは確実にベリタセラムではない。
「ところで先生。僕は魔法薬の味にうるさい男でして。その、ベリタセラム舐めておきたいなぁって思ったり!」
唇を指さしてぶりっこの顔をする。見てくれが小さかった頃ならまだしも今のお前がると大概だぞ、と言ってやるべきなのだろうか。やはりスネイプの前だと子供の癖が抜けないらしい。へこませても面倒なので薬さじにほんの少量の薬を掬い、手渡した。
それを受け取り何一つ疑うことなくレイは口に入れる。超即効性の毒薬だったらどうなるだろう。信頼が厚いことは教師として喜ばしいことである。しかし、それでも古来より暗殺術としても用いられてきた薬学の徒としては無防備であると言わざるを得ない。
「ぅぐ……!」
舌に触れたのはとんでもない酸味。いや、もはやこれは味ではない。酸が舌を焼いている。レイはローブの内側に入れていた中和用の飴を口に入れた。これもまた彼の作ったものである。赤と青の二色。べろべろ酸飴を応用したお菓子みたいな薬品だ。
「すっっっっぱ……」
「カップに薄く塗り、紅茶に入れれば丁度よいレモンティーになるだろうな」
「なん、なんなんですかこれ、」
「少なくとも原液を口にしていいものではない」
「でしょうね、」
「懲りましたかな」
「まさか!」
酸だったら中和すればいいですからね、脱狼薬の時より簡単です。そうピースサインを見せるレイである。もう慣れてしまったスネイプは何を言うわけでもなく製薬に戻った。
それに合わせてレイも手を動かす。不必要な音のない心地よい空間。薬草と薬品と、不思議で心地よい甘い香り。すっとここに居たいけれど、そうも言っていられないだろう。
レイは軟膏を滅菌済みの缶に詰めなおし終わると適当な風呂敷でくるんだ。それをさらに医務室納品用の箱に詰める。すれ違うスリザリン生でレイの行動に文句を言う人間はいないだろうが、何には念を、の精神である。まぁ、検品されたとて傷薬でしかない。何の問題があろうか。
「じゃあ、次はベリタセラムの調合見てくださいね」
「火曜以外の放課後であれば」
「はーい」
スネイプとベリタセラム研究会の約束を取り付けたことで上機嫌なレイはスキップでもしださんばかりのテンションで例の部屋へと向かう。とはいっても、冷静さを欠いているわけではないので誰かにつけられていないかを入念に確認し、必要の部屋へと入った。
「はぁい、今週の薬の納品でぇす……ってあらら。僕邪魔だったみたいで、まぁ……」
それは本当にたまたまだった。ある意味運がなかったとも言えるかもしれない。常であれば彼らの活動中に顔を売りに行くのだが、今日は思ったよりスネイプと話が弾んでしまったのだ。少し時間が遅くなっていたのはわかっていた。
今、眼前で繰り広げられていたものは間違いなく、見なくていいものだった。人の色恋沙汰なんて心底興味がないのだが、彼女のものはレイの中で別なのだ。興味こそないが、動向はどうしたって、気になってしまうものである。
彼が部屋に入った時。その気が利きすぎる部屋は彼らにヤドリギを与えていた。触れている唇。そういうことである。すげぇな。満更でもなさそうじゃん。ぬるぬる蔦を伸ばしやがって。火でもつけてやろうか、こいつ。
「チャン女史、それにポッターも。タイミング悪すぎ男で本当に申し訳ないね」
ガチャン、瓶と軟膏入れとがぶつかる音。わざと出したわけであるが、二人には何の障害にもならないらしかった。やたらと赤い頬の彼女はレイの視線に耐えかねてパッとハリーから離れたわけだが、そんなのはどうでもいい。
「レイ君。いつかはチョコレートありがとう」
話題がないなら話しかけてこなければいいのに。それは遠くもない昔話。今更蒸し返されてレイの心に炎がともる。それは悪霊の炎くらい苛烈なものであるが、親愛なる先輩の似姿が表層上の感情の爆発を許さない。
どうにか飲み込んで笑おうと思った。笑ってごまかして、あとでキレればいい。それが大人の対応だ。もう高学年なんだから子供っぽい癇癪はナシだろ。
引きつっている自覚はあったけれど、レイは彼女にできる限りの笑顔を向けておいた。口をききたくもなかったので、これが今とりうる最善の対応だろう。
けれど、レイの優等生メッキはまだまだ薄い。後からやってきた知り合い二人の能天気な声で簡単に剥がれかけてしまう。
「いよーう。たまたまレイが入っていくの見えたから傷薬の補充に来たんだけど、三人で悪だくみ?」
「俺は薬に追加に。あっちの事は知らない」
「今日のクラブ活動は終わったってのに熱心なことで」
「特別指導ってやつか?」
「「妬けちまうなぁ~」」
「やめてよ二人とも」
ハリーは双子の揶揄いに赤くなって怒る。うんうん、生きてるって素晴らしいね。青春はかくも甘酸っぱい。ぴりっと体に電気が走って上手に動けなくなる。随分と懐かしい気さえする魔力暴走を落ちつけようとレイは誰にも見えぬよう杖腕の手の甲をつねった。
「ごめんなさいね、レイ君」
はにかんだ彼女の顔は美しい。ホグワーツきっての美男美女カップル。ユールボールでは注目の的だったと聞いている。
でも、今。彼女の頭の中にあるのは別の男の顔だろう。
「いえいえ、お気になさらず。あれ、そういえばセド先輩とチャン女史って死別なんでしたっけ?破局してからセド先輩死んだんでしたっけ?」
そこまで言ってレイは双子に後頭部を思い様殴られる。勢いそのままに下を向いたレイは顔を上げることすらしたくなかった。いま、彼女の顔を見たらとびかかりたくなると思ったから。
女の子に暴力を振るってはいけない、をまるで無視して今すぐにでも頬を拳で打ち抜いてしまいたい。絶対に、絶対にそんなことしてやらないけれど。彼女を悲劇のヒロインになんてしてやるものか。
女の子と戦うなら、舌先だけだ。レイはそうすると決めている。これなら絶対フェアだ。
軽やかな足音が、傷ついたと言わんばかりに走り去る。それを追いかけるハリーに何か言われた気がするけれど、心底どうでもいい。
珍しく後悔はなかった。だからこそ、双子に心底怒られるつもりで顔を上げる。けれど、双子の顔に浮かんでいるのは呆れでも非難でもない。極めてフラットな表情であった。
「なぁ、なんであんなにトゲトゲしいこと言ったんだよ、ドクトル」
「そういう性格じゃないだろ」
どうして、を問う声はどこか優しい響きすら持っていた。なんだか、それはひどく懐かしい気がして。レイの眼のふちを涙が彩る。
「……。俺だって、言いたくって言ったわけじゃない」
隠したはずの泣き虫が顔を出す。自分で不必要であると心の隅っこに追いやっていた我がこんな形で露わになるなんて思ってもみなかった。
静かに涙を流すレイに双子はなんと声を掛けたらいいやら、と顔を見合わせる。今学年が始まってからこっち、彼はずっと様子がおかしい。それが何を起因としているか知らない二人でないからこそあえて触れなかったのだ。
「人が人を想う気持ちってそんなもんなのかな」
レイはその場に座って唸る。彼の友達でしかない自分でここまで振り切れていないのに、より深い関係であったはずの彼女がどうしてあんな顔をできるのだろう。ちっとも理解できない。そして、レイは理解できないもののことを飲み込むことができない面倒な性格をしているのだ。
だからこそ、別の理で生きている【女の子】という生き物たちを自分とは別種のそれであるとして処理しているに過ぎない。
呆れた男であるが、彼は元来、そういった方面では無駄に浮世離れした人間である。それを理解してやっている双子はレイの背中に手を回してそっと言葉を紡ぐ。
「人によるな、そいつは」
「別れたら死んじゃうーって騒いだ割にケロッとしてるのとか。淡々と別れた割にストーカーになったりとか。俺とジョージの見分けがいまいちつかなくて危うく二股案件とか」
深刻な空気を変えてしまおうと二人はわざと軽やかな語り口を用いた。一人ネガティブに落ち込んでいる彼を見てはいられなかったから。
「なんでそんなに事例を知ってるんだよ」
「俺らはモテる」
「おんなじ顔なのにフレッドの方がとっかえひっかえだけどな」
「面白いだろ。差があるの。同じパフェでトッピングがちょっと違うだけだぜ俺ら」
「フレッドのトッピングがカラースプレーで、」
「ジョージのトッピングはアラザン。カラースプレーの方が人気」
ふざけたことを言ったつもりだったのに、レイの表情は沈んだままである。よほどダメージを受けているらしい。双子はレイが入るより後に部屋に入った。そして彼らが知っている恋の矢印からしてハリーとチョウの間で何らかがあったのは確実だろう。
どのレベルの情のやり取りを見たのか二人にはわからなかったが、なんにせよレイというやつはつくづく間の悪い男である。ジョージは思い切って彼に問うた。
「何見ちゃったんだよドクトルは」
「ハリーとチョウのキスシーン」
「「あー……」」
ようやく納得がいった二人である。彼らはレイがどれほどセドリックに入れ込んでいたか知っているのだ。
自分たちの付き合いより短い、高々数か月の友情でそこまでなるか、フツー。とも思うのだが、人生は何が起こるかなんて誰にも分らない。
「わかってんの!俺にだって!彼女は生きてて、セド先輩がもういないことくらい!未亡人気取られる方がきついってわかってる!」
わかってても納得なんてできないし、よりにもよってハリーポッターはないだろ。
それがレイの本音だった。セドリックが死んでからこっち、妙に物腰が柔らかくなり、一人称のイントネーションすら変えてみせためんどくさい男の久々の本音である。
「だれの、せいで、しんだとおもってんだよ」
ハリーは悪くないことはわかってる。直接手を下したのが誰か、ということも。双子も、勿論レイだって。
それでも、考えてしまうのだ。トライウィザードトーナメントにハリーポッターが混入しなければ。セドリックは死なずともよかったのではないか、と。
「俺、女の子わかんない」
「ドクトルが誰かをわかったことなんて生きてて一度もないだろ」
「フレッド、言いすぎだぜ」
「いいだろこれくらい。俺も、ジョージも誰かのこと完全に理解したことなんてないしな。ほぼ同一個体の双子だってお互いが本当に考えてることなんか分かりっこないぜ?わかるんだったら痛い目にあうことが分かってるじゃんけんはずっとアイコだ」
レイは無自覚なのだ。自と他の線引きが緩すぎることに。人生、ほとんどの時間で自分があまりにも希薄だったから。
これは魂が大きすぎたことによる、本人すら知らない弊害だった。確固たる自己を成立させるべき時期に彼の魂は人の倍それを必要とした。他者からのまなざしと、自己実現で満たされてしかるべきその場所は満足することを覚えることができなかったのだ。
ゆえに、刹那自分のためにだけ注がれた情を妄信してしまった。それを愛だと認識してしまった。欲しかったものを与えてくれる人が居なくなったことから目を逸らした。
ここでようやく、それはおかしいことだと双子が突きつける。彼らからすれば、友の間違いを正してやるのもまた友人の務めであると考えているから。
「誰かの心の中を理解してると思う方がおかしいし、驕りってもんだろ」
自と他の境界が曖昧過ぎるから傷つくんだよドクトルは。そう突き放せばレイの目元にまた涙が溜まる。肯定されるべき心理状態でないことは自分でもわかってはいるのだ。ただ、それでもいざ他者に突き付けられると厳しいものがある。レイは膝を抱えたままそこに顔をうずめてしまった。
「曖昧なんかじゃない、」
「いいや。曖昧だね。そうじゃなきゃ、そう簡単に人は自分の上に他人の冠乗っけらんねーの。おわかり?」
「乗っけてない」
「なーんでそんなに変なところで頑ななんだよ」
左右から言いたい放題の双子に違わい、と強がったところで聞き入れてはもらえないだろう。それに、そもそもレイという人間は女の子はおろか誰かと付き合うなんてことをしたことすらないのだ。
人が人を想うこと、なんて大層なお題目を掲げたとてそれはあくまでもレイの独り相撲でしかない。彼がいっそ衝撃的なほど一人に入れ込むタイプだというのはよくわかった。双子はそこを突いて崩してやろうと意気込む。
「でも、セドリックが何考えて生きてたかなんて知らないだろ?」
「そりゃ、そう。だけど……!」
「見えてたものが全部だって言っちまっていいんだな?」
セドリックはレイみたいな人間失格野郎にすら理解できる、その程度の男だったのか。と意地悪く言えばついに顔を上げた。まるっきり子供の泣き顔でレイは双子を睨む。明確な侮辱を怒りに変えるだけのエネルギーがあればとりあえずは大丈夫だろう。双子はにんまり笑った。
「あのミスターパーフェクトが、俺ごときに理解できるような人間なわけないだろ!セド先輩舐めんな!」
「「ならそれが答えだ」」
だから、レイはセドリックにはなれない。そう突き付けられた。ごもっともである、と腑に落ちるのまで含めてひとつの喜劇の台本のようですらあった。それでも、レイはこの仮面を失うわけにはいかないのだ。
「セドリックは他人。ドクトルは逆立ちしたってなれない」
「逆立ちどころじゃない。生まれ変わったって無理だよ。セド先輩だぞ。今生でどんな徳を積めばあんな人間になれるんだよ」
「そこはよくわかってんだな」
「わかってるよぅ。わかってても、わかってても。わかってるからこそ……」
どうしてもわからないよ。チョウのこと。
レイは、ほとんど誰にも聞こえないような声で呟いた。セドリックがいかに素晴らしい人間であったか考えれば考えるほど。その彼をおいて進んでいってしまう時計の針のことが許せない。
彼のいた世界に繋がれてしまっているのが自分だけだということは理解できている。でも、あの人の顔が思い出されるのだ。大切なものを美しい言葉で語る、彼の柔い表情や声色までも。いまだレイの中で灯として揺らめいている。
「セド先輩、チャン女史の話、全然しなかっただけど。いざするとぱっと花が咲いたみたいに笑うんだよ。女の子って面倒だよね、なんて言いながらきっと彼女の笑顔を思い出してんの。ずっごい綺麗で可愛い顔すんだよ。あの凛々しい人がさぁ。なんだよ。あの人にあんな柔らかい顔させる人なのに。なんでハリーと?なんで?え、どうしたらいいのこれ。俺はどの立場なのこれ、もうわっかんねぇ……!」
「待った。ジョージ、これ笑ってもいいと思うか?面白いが勝ち始めた……」
「あっはっは!お兄ちゃんとられた弟か!」
「わ、笑うなっ!!!俺は、俺は本気でっ!」
「本気で、なに?」
ジョージはレイの言葉を遮る。いつもからは考えられないくらい真面目でまっすぐな表情だった。俺に言い過ぎだなんて言ったくせに。自分も大概じゃないかとフレッドは相棒の顔を見る。こういう時に意外と茶化せないのがコイツなのだ。途方もなく人間ができてる。しっかりした男。
きっと、自分の方がモテるのはこれがないから。でも、これがあるジョージの方が何倍もいい男なのである。女の子達は見る目がないったら。そんなことを考えながらフレッドは二人を見ていた。
「本気で、あの人に幸せになって欲しかったんだ、」
喉の奥が締まって潰れたような声。涙も鼻水もびったびたで、このままレイは陸上で溺れ死んでしまうのではないかと思うほどだ。
その願いに双子さえも言葉が詰まってしまう。何を言ったらいいか分からなかったのだ。彼が失ったものの大きさが理解できないから。軽率な慰めなど火に油を注ぐだけ。だったらいっそ吐き出させてしまった方がいいとさえ思う。心に巣食うどうしようもない慟哭は。
「なん、なんで、あんなにやさしい人が死ななきゃいけないんだよ。あの人に降りかかる禍、全部他人が受けろよ、なんで、なんでおれのせんぱいなんだよ、いいじゃん、別の奴でも、何なら俺だっていいのに」
セド先輩じゃなきゃ誰だってよかったのに。
ローブの中に引っ込んで子供みたいに泣いた。何か月かぶりにレイに戻ってしまった彼は空っぽになるまで泣き続けた。
それを捨ておくことはできなくて。双子は彼を挟むように座り込む。手を出すわけではない。隣にいるだけ。でも、それだって。
やるせない思いを吐き出し、落ち着いた頃に彼らがいたことでレイは自分を取り戻すことができた。
「念のため聞くんだけどさ」
「ぁに……」
「もしかして、これ聞いたのって俺らが初めて?」
「あ……?あー、そうだけど?」
「ミスター公平が死んでからそうやって喚いたの初めて認識でいいのか?」
「そう、だけど……?」
「「うっそだろ」」
レイはすごい剣幕の双子に肩をひっつかまれて揺さぶられた。インドア陰キャは運動部の有り余るパワーに耐えられず、情けない声を上げ続ける。いわれのない振動に脳がシェイクされ、鼻から垂れだしそうだった。
「うあぁあぁぁ、なんだよ、やめろってば、おぇ、酔う、酔うって」
「馬鹿!泣きたいときには泣かなきゃいけないだろ!」
「泣かないからタイミング逃して爆発すんの!ドクトルがやらなきゃいけなかったことは、セドリックの物まねじゃなくて、ちゃんと泣くことだったって!」
「い、いやだよぅ!泣いたら、泣いたら、セド先輩、いないの本当になるから、俺、ちゃんと我慢して、いやだぁっ!離せーーーっ!」
「「逃がすか!!」」
何とかして二人の間から逃れようとするも、ひ弱には荷が重かった。数秒暴れたのちに見事に鎮圧されてしまったのである。そして、ありえない圧で両側から抱きしめられ、ぺちゃんこになったころようやく解放されたのだった。
レイはぐずぐすの鼻をすすって三角に座っている。双子から比べれば随分と薄っぺらい体躯をこれでもかと小さくして。そうしていると不思議なもので、図体は確かに大きくなっているのに出会った頃の少年のようにしか見えなかった。
「なんだっけ。ドクトルって、ほら。ジョージ、なんだっけか、日本の、犬」
「犬って?どの?」
「駅でご主人待ってる犬」
「ハチコー?」
「それそれ、チューケンハチコー」
「ハチ公ね。意外と悲劇じゃないんだぜその話。一説ではご主人が生きてた頃に顔出してた肉屋の主人が哀れに思っておやつくれてたから通ってた、なんてのもある」
膝を抱えたままレイは双子の会話に混ざる。無駄知識ばかり多い自分の脳はそれを披露せずにはいられない性質なのだ。
それに、何をしてたって情緒がしっちゃかめっちゃか。だったら比較的なんでも容器に返してくれる相手とお喋りに興じるのも悪くない話だろう。自分を泣かせたのも彼らだが、慰めてくれるのも彼らであることをレイよく知っている。
「おやつ貰ってないのに待ってるんだからドクトルのほうが優秀だな」
「……よせやい!」
「「嬉しそうにするのは違うだろ」」
呆れの混ざった声色にレイは笑ってしまった。ついさっきまで泣き叫んでいた心すら薄っすら癒されている。彼らの言う通り、泣いたのが良かったのだろうか。
けれど、彼がいないことをまだ認められないレイは泣いてしまった自分すら責め立てたい気持ちでいっぱいだった。心の底で信じているのだ。彼の不在を認めさえしなければ、ひょっこり、帰ってきてくれるのではないか、と。
だから。また取り繕う。レイにとってのたった一つ。蜘蛛の糸であろうと関係ない。そこに可能性があるのならば。妄信だって構わないのだ。
「てか、なんでハチ公なんか知ってんの?」
「初めて会う前にちょっと日本の勉強したんだよな」
「何が好きか分かんなかったから一通り、会話の種なんか何個あってもいいもんだろ」
「やぁ……その意識の高さ、見習わせていただきます」
この双子は悪戯ばかりに見えて非常に優秀だ。この世にある面白いことへとアンテナを張り巡らせており、情報収集を怠らない。何をどう学んだら日本神話とハチ公の取り合わせになるか分からないが、何かが双子の琴線に触れたのだろう。
そもそも、世界にないものを作る人間というのは失敗を恐れず冒険ができる。途方もない数の失敗をものともしない。ひび割れたガラス玉を積み重ね、いつの日にかダイヤモンドを勝ち取る。そういう人種なのだ。
その推進力は途方もない。マイナスに向かってひた走るレイを引き戻してあまりあるほどに。
好ましい人たちだな、と思う。この二人が友達だったらどれほど素敵だろう。そう思うのに。レイからは友達になって、とは言えない。自分ではこんな素晴らしい二人に釣り合わないから。
「俺はもう僕に戻るよ。ありがと双子」
「いつ泣きついてきてもいいからな」
レイは目元が腫れているのを自覚して点眼薬を入れる。魔法界には泣きはらした目元ですら即座に楽にする薬があるというのだから便利なものである。
それでも、だいぶすっきりしたのは事実だ。ぐずぐずだった鼻もかんで双子に感謝を述べた。とんでもなく恥ずかしいところを見せたのは事実である。
こうならないように気を付けてきた時間が無駄だったとは言わないけれど、もしも。一人で抱え込み続けていたら。自分はどうなっていただろう。そう遠くないうちに悲しみに押しつぶされていたかもしれない。世界を憎んで、恨んで、妄執に囚われてしまったかもしれない。
それはあまりにぞっとする未来だ。もしかすると、彼らは自分の手を意図的に掴んでくれたのかもしれない。あぁ、本当にそうだったらいいのに。
「双子ってばグリフィンドールの癖に優しいんだからさぁ!」
「おいおい、俺らの前でその偏見はナシだぜ」
「まったく。ドクトルはお口が悪くていらっしゃる」
「あっはは!それはそう!」
無理やりテンションを上げてレイは笑う。この優しくて愉快な人たちを困らせたくなかったから。彼らは共犯者。冷めぬ探求心と悪戯心由来の面白いことをしたくてたまらない仲間。
ここからはきっちり切り替える。嫌なことは見なくていいし、見なかったことにしてもいい。それが大人の所作ってものだろう。
仲間である彼ら双子と少し遊ぶだけ。それを芯においてレイはダンブルドア軍団に少しだけ力を貸すことにしたのであった。