レイはダンブルドアの前にいた。基本的に校長にご厄介になるような悪事は働いてこなかったので、サシで話し合いの場を設けられたのは今日が初めてである。
ただ、来年度からここで働きたいなどと言った以上、彼との面接を潜り抜けることは必須であった。レイにとっての就職活動である。
半月眼鏡から覗く瞳はきらきらしており、到底老人の放つ輝きだとは思えないほどだった。
それでも、このところの魔法戦争で疲れているのだろう。隠しきれない疲労が表情から伺える。
「さて。レイ。教職希望とセブルスから聞いているがその気持ちに変わりはないかの」
彼が開心術を使ってくるのはわかりきっていた。ただでさえ情勢は不安定。この素晴らしい老人はその老獪さから全てを疑う癖が抜けないのだろう。魔法戦士として当然の心構えだとすら思う。
いかんせん、ここは幼子集う学び舎。彼が今までここでどんな策略を練っていたかはおいておくとしても、教育機関の長として正しい危機管理能力だと言わざるを得ない。
「子供のころからの夢でしたので決心は変わっていません。ついでのお願いですが、スネイプ先生を魔法薬学の教師に戻していただくこととかって……?」
「それは難しい話じゃ。ホラスの授業は生徒らから受けがよくてのぉ。成績が明確に上がっておる」
「ス、スネイプ先生にはもう少し優しい指導をするように言って聞かせますので……」
「君はどの立場なんじゃ」
その物言いがダンブルドアの笑いのツボを押したらしい。至極愉快そうに笑っていた。
レイはそもそもダンブルドアに対してそこまでいい印象を持っていなかった。英国魔法界最強と歌われながら学校がピンチの時に限ってこの老人は不在にしていることが多い。それがわざとなのか、はたまた本当に間が悪すぎるだけなのか、レイには推測することだって難儀である。
しかし。彼に限って極端に間が悪いなんてことはないはずだ。よって、十中八九わざとであると考える。
たとえ、種明かしをされたとて完全に理解するなど常人の頭脳では不可能に等しい。どんな計略が仕込まれているかはこの老人にしか説明も、納得もできないのだろう。突き抜けた天才、というものは押しなべてこちらの都合など考えもしないのである。
「まぁ、緊張していては話も進まんからの。お茶でもお飲み」
レイは、ダンブルドアに勧められるがまま用意されていた紅茶に手を付けた。どうやらこちらを歓待する気があるらしく、用意されていた菓子のラインナップがあまりにもレイ向けである。特に、例のヌガーが美しい容器にみっちりと詰まっているのなんて初めて見た。
「校長先生、念のための確認ですが、先生も血みどろヌガー愛好家ですか?」
「残念ながら、それは君のためのお菓子じゃ。食べきれなかったら持ってお帰り」
「……、この高級そうなボンボニエールで?」
地金は見るからにシルバー。豪奢な文様のそれは間違いなく血みどろヌガーが入っていていいものではない。それに、だ。本来は吸血鬼属性を持つ者のためのお菓子である。彼らの特性を鑑みれば、銀の器に入っている方がおかしいので贈答用というわけでもないのだろう。
もしや、いつぞやと同じく吸血鬼の混血を疑われているのだろうか。だとすれば心外である。
ダンブルドアはレイの思考にすぐさま思い至りその考えを否定した。
「それは単に君の味覚の趣味とプレゼントの方向性が噛みあってしまった結果じゃよ」
「あ、そうなんですね?」
「英国では成人した者に銀の懐中時計を贈る風習があっての。それを真似たわしからの贈り物じゃ。懐中時計よりこちらの方が君には身近なアイテムかと思うた」
ポケットに入れて持ち歩き、そのまま湖に入ったとしてもビスケットは湿気らぬし、砂漠にチョコレートを持って行ったとしても、損なわれない。菓子好き至高の逸品じゃよ。
そう言われ、改めてみるととんでもない宝物のように思えた。通常の衣服のポケットに入れるには大きなそれも、レイのポケットが多すぎるローブであれば問題ない。
素材が銀なのもレイがスリザリン生だからというような理由に他ならないだろう。人間というのはどんなに我が強かろうとも置かれた環境に溶け込みたくなるものである。入学前には紫や赤を好んで身に纏っていたレイも今や使っている日用品の九割が緑と銀で構成されていた。
なにより、浮くのだ。談話室で金色のものを持っていると。もとより持っていたものは仕方がないにしても、新しく何かを買うときに白金以外の金を地金として選ぶのをつい避けがちになってしまった。
「ありがたく頂戴します」
手の中に納まったそれは意外と大きい。中のヌガーをつまんで口に入れればおそらく世界中でもこれを美味いという人間はほぼいないであろう味がする。
よりにもよって銀食器これをたんまり詰める彼の気は知れないが、貰った食べ物はありがたく受け取るのがハセオ家の家訓だ。ストレートティとの相性も個人的にはいいと思っている。ほんのちょこっとだけ、口の中切れてないよな、と心配はするけれど。
レイの好物ばかり、ということもあって続々と菓子が胃袋の中へと消えていく。レイ側は弁えているつもりなのだが、いかんせんダンブルドアの猛攻が止まらない。そもそも彼も相当な甘党だ。美味いものを子供に食べさせたいという老人特有の感情の動きも相まって、レイの陣地である皿に菓子が積み上がってしまうのも仕方のないことだろう。
こうなってしまったらのんきに話している場合ではない。突然始まったバランスゲームを制すべく、レイはひたすらに菓子を貪った。
卓上にある菓子を一通り食べたころだろうか。ダンブルドアは笑みを深めてレイに語り掛けた。
「さて。いくつか質問をさせてもらおうかのぅ。若者の話を聞くというのは老人の数少ない楽しみの一つなのじゃ」
口の中をどうにか空っぽにしようとレイは紅茶を煽る。美味しいということはわかるが、この勢いでは味わっている暇がない。勿体ない話である。
「そう急がなくてもよいよ。君の言葉が聞きたいだけじゃ。さぁて、と。一つ。君は教師になって何をしたい?」
その言葉に甘え、レイはゆっくり状態を整える。口の中は空っぽ。しいて言うなら緊張でパッサパサ。もうひと口だけ紅茶を含んで、口の中で転がす。
ようやく、就活らしくなってきた。大丈夫、スネイプ先生と面接練習したから。今の自分は無敵であると言い聞かせてレイは自信満々に用意してきた答えを彼に提出する。
「僕が教師になってしたいことは、魔法薬学嫌いの子供を減らすことです。最終的にはホグワーツ魔法薬および魔術学校にしたいです」
「なんと!随分大きく出たのぉ。魔法薬学は素材の見た目から厭う子供も少なくないが、どうかね?」
「錯乱薬って目にも来るんですよね。ごまかしが第一歩。人は見たいものを見たいようにしか見ませんからね。ヒキガエルの内臓だって可愛い毛糸の丸まりですよ」
「教師の風上にも置けん奴じゃ」
「流石に冗談です。英国式ジョークって難しいですね。でも、僕が教師になったら魔法薬学ってこんなに楽しいんだよって生徒を驚かせたいと思ってます」
それはどうして?とダンブルドアが問えば、レイは滔々と彼にとっての魔法薬学を語り始めた。その輝きはダンブルドアが学問のすばらしさを再確認してしまうほどである。少し、熱が入りすぎて過激な発言を漏らすこともあったが、すぐに自分で気づき自制できるのであれば問題ないだろう。
力に惹かれているわけではなく、薬学を誰かのために使いたいのだ、と。そう照れくさそうに語る彼が教師や友に正しく導かれたことに安堵した。
であれば、心配はない。ダンブルドアは二つ目の質問をレイに投げかける。
「二つ。ホグワーツの教師と言えば婚期を逃す、で有名なんじゃが予定はあるかね?」
「えーっと。僕はそういった人付き合いに興味がないですし、幸い、うちには元気な妹がいますので。イギリス魔法界に骨を埋めるつもりでいますね、はい」
正直、考えたことがなかったので面食らってしまった。そういえば、この考え方が特殊なのだ。人は人に寄り添い、伴侶を得て、社会を成す。すっかり忘れていたがそれが人類、ひいては生物としての基本である。
もういない人にかまけていたのもそうであるが、異性も同性も人類押しなべて基本的には苦手であるレイは色恋に関して興味を示すこともなくここまで来てしまった。親以外で最も身近で見ていた大人がスネイプであることも大きな要因である。
「逃す婚期もへったくれもないというか、えぇ」
それに、今考えてみたが自分の時間は他者の半分だ。人生設計からして早回し。そんな親の元に生まれる子供が、いいや。そんな男のもとに嫁ぐ相手が可哀想というもの。そもそも家族以外の異性からの好意を受け取ったことはないので、このままのんべんだらりと暮らしたいものである。
「そ、そういった生物としての欠陥があるのって減点ポイントですかね」
「それに関して心が軽くなることを一つ言っておこうかの。わしは必要だと思えば詐欺師でも人狼でも闇の魔法使いでも教師として雇用するような人間じゃ」
「その三分の二はびっくりするくらい教師向きの人材でしたね」
「彼らは子供のころから優秀じゃった」
「……四分の三になれるよう尽力します」
ダンブルドアはゆっくりと紅茶を飲む。
ハリーを育てるために必要な人材。この教科にかかったネガティブ魔法由来の凶悪な呪い。様々を加味しての人選だ。いつか来る予言の成就に必要なものだった。かつての可愛い教え子たちを呪いの切っ先に立たせて飛び降りさせた自分こそ、向いていないのだ。教師になど。ダンブルドアは自分をそう評価している。
我が心に愛の文字はない。無いからこそ割り切れる。最大多数の最大幸福を作り出す立場であると己を定義づけた。愛を持つことができないのであれば。愛を知る子供たちを生み出すことこそが自分の贖罪だとすら思っている。
結局、ダンブルドアはどこまでも傲慢なのだ。その傲慢さに自分では気づけないところへ来てしまった。隣に並び立つ者は、その精神を諫めるものは最早どこにもいない。
「愛の形、というものは人それぞれ。レイ。君のそれは与えることで形を保ち、受け取ることは難しいと考えておるようじゃの。それでも君は他者から不足分を奪い取ることを是とはしない。それはなぜか」
哲学問答じみたそれ。レイは少しだけ考える。無形のものを存在するかのように扱うことは不得意ではない。神秘の学問を修めることは結局なかったが、趣味の範疇だ。愛とはすなわち魂の形。理的な意味ではなくその定義を問うているのだろう。
「僕には、愛って何なのかよくわかりません。友愛も愛だし信愛も愛なのに、愛欲も、愛憎も愛でしょう?全部ひっくるめて愛、だなんて言われたらこの小さすぎる頭はパンクするしかない。ただでさえ魔法薬のことくらいしか考えられない狭量さだっていうのに」
だから、愛なんて知らない。ただ、好きな人に笑っていて欲しいし、元気にしててほしい。レイにとってはそれだけの感情なのだ。目が届かない場所にいたっていい。元気でいて、時折思い出して絵葉書でもくれればいい。
本当はずっと側に居たいけれど、叶わないならそれでもいいと思うのだ。
「奪ってまで手に入ったものが欲しかった形をしていなかったら意味なんてない。それを損なうくらいなら僕は眺めているだけだって幸せ」
空いた穴を無理に埋める必要はない。寂しくて悲しくて倒れてしまいそうだけれど。誰かの魂を不当に傷つけてまで奪い取ることは虚しいだけだ。
それが、今のレイが持っている魂の形だった。
「みんなに適当に幸せでいて欲しいなって思うんですよ、なんか、ずっと生きててくれればいいや、みたいな。そういうふわっとした気持ちです」
「興味が持てない者も、かね?」
痛いところを突かれたが、想定内の質問である。事前に面談練習をしてくれたスネイプにも同様のことを聞かれたのだ。これこそが教職に就くためのレイ最大のウィークポイント。これに関しては傾向と対策をきっちり練っている。
「そもそも、教師だからと言ってすべての生徒を見ることはできないと思うんです。だからこそ、寮は四つに分かれているし、先生は何人もいる。僕は僕のできる範囲で生徒を見ようと思ってます。教師という職業の性質上、できるなんて安請け合いして、いざやってみたらキャパオーバーでした、ってわけにはいかないですから」
教師という職業が預かっているものの重さを理解している以上、僕は僕ができる範囲を無理に広げようとは思いません。
これもまた紛れもない本音である。愛をもって世界をまるっと救うことはかの有名な救世主にだってできなかったんだから、レイにできるはずがない。
だったら先達に学ぶべきだ。学んだ上で少しずつこちらも成長すればいい。いかんせん、夢が叶ったら、最高学年の威厳は消え失せて、お尻に殻のついたひよこからやり直し。ホグワーツ歴戦の教師陣からすれば、まだ生まれてすらいないだろう。
「良い答えじゃ。最初から完璧なものなどおらぬし、わしも教育者として完璧とは程遠い。及第点を貰えるかも怪しいのぉ。その心を忘れ、驕ることがないようにな」
さて。そう発された声色で段落が変わったことを悟る。ダンブルドアの目が真剣みを帯びた。
レイの目の前に差し出されたのはオレンジと白のシマシマキャンディ。何を聞かれるか想像はついていたが、この人は本当に底意地が悪い。
何をどこまで知っているのだろう。そして、それをどこまで覚えておくことができるのだろう。はたまた、超一流の開心術なのか。レイにはわからない。
ただ、このキャンディーは甘くて優しくて、すこしだけ酸っぱい。自分と最愛の先輩との思い出の味だ。レイにとってはそれ以上でもそれ以下でもない。政治的意味なんて一つも孕んでいない、純粋な淡い記憶。
「三つ。教師、というのはよその家の子供の命を預かるという過酷な職業じゃ。生徒全員の命とセドリックディゴリー一人の命。天秤にかけた時に重いのはどちらか」
想定通りの問いにレイは深く息を吐く。きっと、この質問こそがこの面談の肝だ。回りくどかったが、最もな質問である。素直に答えるべきだ。この人の前で、取り繕ってこの場における倫理的正解を口から出したとて納得はしないだろう。
であれば。レイが出せる答えは一つしかない。
「俺個人にとって重いのはセドリック先輩の命。でも、僕という教師にとって大切になっちゃうんだろうなってのは生徒の命です」
「それは、どうしてかね」
「俺の先輩はただ一人。俺がここに居たい理由。それは校長先生もご存じのことでしょう。レイハセオはあの人と一緒に居たくてこの城で居残り授業を求めてる。でも、僕は違う。セドリックディゴリーの自称自慢の後輩は、セブルススネイプの愛弟子は。この問題を間違えないし、自分の立ち位置をはき違えない。俺はそうやって僕を信じることにしたから。もし、俺の身一つで全部救えるならそうしますけど。そうじゃないなら僕は正しい方を選びます」
それが今のレイの持っている答えだった。
正しさ、なんて結局は個人の尺度でしかない。アンブリッジを害したことすら他者にとっては正しさ足りえる。
であるならば正しさとは薬と同じだ。使い手一つで意味を持つ。間もなく死せる人間に更なる苦痛を与えないよう処方される毒は悪か。人間の血肉を原料に作られる万病の治療薬は善か。立場一つ、物の見方ひとつで変わりうる正しさとはいったい何であろうか。
それでも。レイは学んだのだ。後悔しない判断こそが自分にとっての正しさであると。他者に揺らがされないだけの我がレイの中できっちり育っていた。
「どちらかが、とかなくて。僕には全部が重たいです。だから、二者択一の瞬間がこないのが一番ですね!」
「どうしてそこまで」
「約束があるんです。先輩と。友達とした約束は守らないと。そうでしょう?」
「なるほどのぅ。それが聞けたのならば十分じゃ」
ダンブルドアは満足げにほほ笑んでいた。なんだか拍子抜けである。教師になるために無茶苦茶な試験を用意されていると思っていたのだ。
それとも、脈なしということだろうか。人生がかかっているから、そんな軽い態度でいられると背中がそわそわしてしまう。
「最後に。君の一番得意な魔法を見せてもらえるかのぅ。魔法薬でなくて申し訳ないとは思っておる」
魔法、と言われてレイはいくつか候補を考える。それこそ、守護霊の呪文はスネイプに鍛えられてそれなりの精度で出せるようになっていた。
しかし、一番得意か、と言われたら否。とはいえ、一番得意な魔法はあまりにも教員試験向きではない。素直にそれを見せるか、それともプロテゴマキシマでも繰り出すか。レイは思案してから杖を構えた。
「教師志望としてこれが一番得意って言っていいものなのかなぁ、とは思ったり思わなかったりしますけど、」
それは慣れ過ぎて唱えなくても効果が出せるようになった流星群。最近では星空を操ることができるようになっていた。
「えーっと、時期的に牛飼い座かな、星座の配置整えて……」
ダンブルドアの頭上で展開される天体ショー。金平糖みたいな星がころころと校長室に転がる。淡くも白い発光体は地面を滑るうちにゆっくりと光を失って消えていった。
「できるようになったばっかりの頃は星消すのにも一苦労だったんですけど、自分の中で理論組直して今や自動消滅です。片付けの手間が減りました」
「実に素晴らしい天体ショーじゃった。天文学も好きなのかね」
「僕も好きですし、天文塔住まいの物語狂いが友人にいるもので。星繋ぎの知識がちょっぴり。それに、これくらい役に立たない呪文ってないと思いますよ。綺麗だから大好きなんですけど」
人生って無駄が一番楽しいと思います。星がなくなった空を見上げてレイは呟いた。その表情は案外明るい。
「レイや。わしはのぅ、もしも魔法が使えんかったら天文学者になりたかったんじゃよ」
「今からでも遅くないのでは?」
「ほほほ、そのセリフは老人泣かせじゃ。君が学問の海の広さを知らぬわけあるまい。ニコラスに頼んで命の水を百年分は用意してもらうべきじゃったか」
「百年で深淵にたどり着きそうなのが校長先生の凄まじさですよね」
「……。ここまでの魔法的才能がなかったら、と思う」
自分の時間の終わりが近づいてきて改めて思うのだ。生まれた瞬間から人は自らの可能性を切り捨てつつ生きていくのだと。この世界に生れ落ちた段階で、人の子は無限にも近しい数の可能性を持っている。それを一つずつ取り落とすことこそが成長である。
望まぬ才能に恵まれたか、はたまた思い描いた未来では生きていけないと知ったときか。知識をつけることで可能性を殺してしまう、なんとこともいくらでもあるのだ。
なりたいものになることができない才能というものは酷だ。一方で天賦の才が夢への懸け橋になればそんなに幸せなこともない。
「校長先生くらい凄い魔法使いでも夢って叶わないもんなんだ」
「才能ある者の我儘だと言われても仕方がないがの」
運命に出会わなければ。運命と決別しなければ。違った道は無数にあった。もしも、彼の手を握ったままであれば。対抗する者のいない平穏な世界で自分は天文学者にだってなれていたかもしれない。
それでも、そうしなかったのだ。正しいと思う道を歩いてきたつもりで何一つ手元にない。いつしか人を諦めてしまった、子供たちを何人も死に追いやった。そして、最後にあの子も。
結局は自分で取り損ねた責任の果てを他者にゆだねることしかできないのだ。数多くの屍の上に成り立つ魔法界最高など何の肩書になるだろう。
答え合わせだけが用意されていない難問クロスパズル。それが人生という性悪だ。
「さてさて、長く付き合わせたのぅ。君からわしに聞いておきたいことはあるかね?」
「じゃあ。せっかくの機会なので二つほど。あの、これ、その。いらないことに首突っ込むのは得策じゃないと思いますし、もともとは僕のもってる素養じゃないんですけど。おせっかいが心に刺さって抜けなくなってるんですよ」
その手、どうしたんですか。
レイの視線の先には変色し、枯れた腕があった。そこに魔力が流れていないのが見て取れる。明らかなる呪い。それをそのままにしてあるということはダンブルドアですら解呪できないということだろう。それを寂しそうに眺めて彼は微笑んだ。
「セブルスの薬で抑えることも、もう難しくなっておっての。惜別の念というのは人を殺しうる猛毒。もう一度は重罪じゃ。しかし、あずかり知らぬところで巻き起こる物語に人は介入できない。そのことを決して忘れることがないように」
予言めいた物言いにレイは首をかしげる。それが老練の魔法使いから発せられた言葉であるから余計にだ。人生から滲んだ金言なのか、はたまた、そのよく練られた魔力を用いて遠いどこかを見ているのか。若人ではちっとも判断がつかない。
「先生たちで無理なら僕に何かできる話でもないですね。余計なことを聞きました」
「よいよい。そして、もう一つは何かね」
「校長先生は、強い魔法使いってどんな魔法使いだと思いますか」
今世紀最高の魔法使いにするインタビューにしてはチープな質問だ。それでも、聞いてみたかった。彼にとっての強さとは一体何であったのか、を。
「強さ、そうじゃの。若いうちは知識と魔力こそ力だと思っておった」
「校長先生にもそんな時代が?」
「ほほほ、それもまた若さじゃなぁ。君たち的に言うならまったくもってグリフィンドール的、な人間であったよ」
より大きな善のために。それを求めた若さのことを思う。若さ故の無敵感。今思いなおせば片腹痛いが、覇道をともに歩もうと手を差し出した無二の友。もしも、道を違えていなかったら。今の自分はどこで何をしていただろう。
自分にはたまたま道がなかった。されど、道を作るだけの魔力があった。それだけのことだと思うのだ。
「愛と、決別と、挫折。普通の若者と変わらんよ。配慮と分別。そして少しの冷徹さが強さであると、そう信じていた時もある」
果たしてそれは真なる強さであっただろうか。答えが出せぬまま死にゆくこの身を嘆く者ももういない。
ダンブルドアは枯れた手にもう片方を添える。自分を殺すことになったのは紛れもなく後悔だ。許しを得たいという自分本位で浅はかな心。
きっと、アリアナが死んだときに自分も死んだのだ。彼女の死をほんの少しでも喜んでしまった瞬間に。仮初の自由に気をとられて殺したのは自分自身の魂だった。
到底、人格者とは言えない自分が愛を説いたところで。死すべき定めと知っていて育てたあの子にそれを向けたとて。なんの意味があっただろうか。
「長く生きているうちに、誰かを想う心が強大な盾となる一方で、他者を傷つける鉾になることを知った。その二面性を忘れないでいることこそが強い魔法使いになる秘訣じゃな」
愛、とは最高の魔法である。それ一つで人をどこまでも強くできる。守護霊の呪文しかり、想いの力が魔法に影響を与えているのは明白なこと。
全ての子供は自分こそ反面教師にすべきなのだ、とダンブルドアは思う。愛を与えるべきに与えず、数多くの人生を狂わせた。英国魔法界史上、一番間違った魔法使い。そう呼ばれて差し支えないだろう。
「君はわしが長年かけて出した答えにもう行きついておる。強く、素晴らしい魔法使いじゃ。わしよりも遥かに」
「僕には愛が分からないのに?」
「分からないものを分からないと理解することもまた強さ。君は貰った物をしっかりと返せる人物じゃ。生徒に与え、生徒からも貰いなさい。成長は片方のみに起こることにあらず」
互いを尊重することもまた愛じゃ。盲目的になってはいけないよ。
痛いところをつかれたレイである。すぐに直せる気質でもないので苦笑いをしておいた。
ダンブルドアに問うたら強さは愛だと説かれる予想はしていた。けれど、案外良い質問だったのかもしれない。彼のこんなに寂しそうな顔を初めて見たから。
「さぁて。君の望んだ答えとは違うかもしれんが、老人の話はここまでじゃ。このまま昔話を聞かせてもよいがさして面白い話でもないからのぅ」
「なんで大人って昔の話をつまんないって言っちゃうんでしょうね。そんなの利き手側の受け取り方次第なのに」
「ほっほっほ。そうじゃな……後五十年も経てばわかるようになろうて」
そんな年まで俺が生きてればね、と言おうとしてレイはやめた。どうせ彼はこちらの事情などすべて知っているのだろう。
それに、だ。何もそんな悲しいことを言って老い先短い老人をむやみやたらに傷つけることもない。
「さ。結果が分かりきった面談はここまでにしようかの。来年からしっかり務めるように」
「本当に僕が教師になれるんですか?」
「なぁに。君ほどホグワーツの教師に向いた魔法使いもおらんよ。思い込みが激しくて、引き寄せの力に満ちている」
「褒められて、る?」
「破滅だけせんように心がけなさい。セブルスにも硬く言い聞かせておこう」
そもそも、ホグワーツの教員志望者は年々減っていて、このところ高齢化がひそかに騒がれていたのだ。婚期を逃す、と言えば女性陣は敬遠するし、一年の内に学校から完全に離れることができるのはざっくり半月もないくらい、プライバシーの配慮もほとんどないと説明すれば男性陣も引いてしまうのだ。
ホグワーツへの就職は活力あふれる者であれば投獄されたに近しい。学生時代の感覚が抜けないままに教師になろうとすれば途端に生活が破綻する。
その上。成績優秀者で、有事の際には生徒を守ることができるレベルの魔力持ち。誤って生徒に手を出すような不埒者も置いては置けないので、なるたけ他者に興味がない者を引き当てなければならないのである。そんな人材は二十年に一度出るか出ないかだ。
教職希望者の少なさに輪をかけて、素質がある者がいない。その点を踏まえてレイはなんとしてでも取りたい逸材である。
「ホラスのやつ。君を学会に早々に引き抜く気でいてな。危うくあやつの息のかかった研究機関に持っていかれるところじゃった。それを止めるのに秘蔵のミードを何本捧げたことか」
「あは!僕が研究職希望って言ったからですかねぇ。まさか研究機関での研鑽を経ずに即刻教師ルートなんて思ってもみなかったんでしょう」
「もちろん、それが良いなら君の願うとおりになるが、どうするかね」
「僕の将来の夢は入学した時からずっと変わりません。ホグワーツ魔法魔術学校の魔法薬学教師です」
そうか。と笑みを深くしたダンブルドアはなんだか年相応に見えた。こうしていると本当に好々爺。死が近づいて、ある意味では肩の荷が下りたのだろうか。人は終わりが見えると気が楽になるというし。
「それと。これは君の人生においてきっと、どうでもよくなることの一つじゃ」
レイが余計なことを考えていればダンブルドアから声がかかった。どうでもいいこと、とはいったい何であろうか。
「人生の八割をどうでもいいと思ってる僕にこれ以上どうでもいいことってありますかね」
基本的に魔法薬学と好きな人たちのことしか考えてませんけど。そんな風に言ってのける彼にこそ最適な贈り物。商売っ気もある彼であれば自分よりうんと上手く使うことだろう。
ある種、賢者の石よりも恐ろしい物。これに目がくらみ、身持ちを崩すものが後を絶たない。稀代の錬金術師にすらたどり着けなかった至高の貴石。
彼がこれを手にして、何をなすのか。見届けられないのが何だか残念でならない。
「君に救われた男がいる。そして、きっとこれから救われる者たちがいる。そのことに関しての感謝じゃ。古い人間にはどうすることもできない分断をほんの少しでも埋めてくれた。その努力と研鑽、いいや。君は美味しい薬を作っただけと言うじゃろう。本来、魔法界をあげて評価すべきであると思うが、君は目立つのを嫌う。感謝している者たちも同様じゃ」
手を出しなさい、と言われたのでレイは素直に従った。何を言われているかはわかるのだが、その結果として受け取るべきものが分からない。
レイの作った味のいい脱狼薬はルーピンの取り組みもあり、本当に困っている人狼症患者に広まりつつある。調合が高度なうえに一度に作れる量が決まっているため、多くは救えないができる限り手を回しているつもりだ。それでも、いまだ。レイの小さな手では状況を変えることなんてできていない。
掌に置かれたのは古めかしい鍵が一本。随分と若い番号のそれにレイは息をのんだ。
「これって」
「その金庫の名義は君に変えておいた」
上手に使いなさい。
それはグリンゴッツの金庫鍵。レイだって持っているが、これはそういうレベルの鍵ではなかった。小鬼に連れられ、トロッコに乗ってようやくたどり着けるそんな場所の鍵だ。
「これを力として振るうには覚悟がいる」
「来世でニフラーになりたいくらいには大好きですけど、さ、さすがにおっかない……」
英国魔法界、相続税とかどんな感じなんですか、とレイが震えている。なるほど、非魔法族と共生している日本人的感覚である。
「ゼロじゃ」
「そりゃ、とんでもないゼロの数なんでしょうけど、相続で破産したりしませんか、僕ただの小金持ちで、そこまでの余裕は、」
「ゼロじゃよ。一ガリオンどころか一クヌートだってかからん」
「ゼロって?ゼロ?何かけてもゼロのゼロ?」
「ほかにあるかね?」
ほへぇ、と息を吐いてレイは鍵を見つめる。若干放心状態だ。生涯の職を求めてここにいるのに、働かなくてもいいだけの金を渡されてしまった。
確かに、素晴らしい調合方法の確立をした自信はあるがこんなに報奨金を弾まれるとは思ってもみなかったので何を言ったらいいものかもわからない。
「金庫にあるってことはそれ相応の額ですよねぇ……」
「金があってもそれを使う余暇がなくてのぉ。引退したら趣向を凝らした研究旅行に出かけようと思っておったんじゃが。まさか人生からの引退が先に来るとは思わなんだ。生涯現役も考え物じゃわい」
「ブラックジョーク……」
「校長ともなってしまうと素晴らしいローブを仕立てるのが関の山」
満ち足りていたが勿体ない時間の使い方だったかもしれん。過去の全てを懐かしむように老人は口角を上げる。もういない人、もう存在しない場所、遠い遠い記憶達。死を恐ろしくないと思える者だけが至れる極地。彼にとっては新たなる冒険に向けての準備期間だ。
「あの……!校長先生。僕は、腕が二本しかないんですね」
「見るからにそうじゃな」
「だから、できるなら信頼できる人を雇って脱狼薬のラボを作りたいって思ってて」
レイは彼から受け取った鍵を握りしめると星の瞬きを宿したみたいな目で彼を見る。眩しすぎない柔らかな緑。その最奥にで燃えているものはダンブルドアにも計れなかった。
人と関わることを最も苦手としていた少年がゆっくりと羽ばたこうとしている。
ダンブルドアはもしも、を思うのだ。もし、彼が大切なものを一つも失うことなくここまで来ることができていたら。世界は何か違っただろうか、と。自らの不慮で潰してしまったセドリックが、彼と共にある未来もあったはずなのだ。
レイの願いを聞き入れることが彼への贖罪になるとは到底思えない。これはこちら側の身勝手な償い。
「そのための力は貸したつもりじゃよ」
「……。僕はこう見えて商売人の息子です。善い行いだけで店は立たないし、雇ってしまったら従業員を路頭に迷わせるわけにはいかないって思うんです」
「長生き老人の預金残高を舐めてもらっては困るのぉ。人生十周したって使いきれんだろうて」
「えっ」
「魔法界から外への持ち出しは禁止されている金貨だということをゆめゆめ忘れんようにな」
「読まれてた……!」
「君の表情筋はあまりに雄弁じゃ」
ダンブルドアの人生十週分。それはきっと途方もない金額だ。レイ一人では人生を何周したって稼ぐことができない大金だろう。もはや途方もなさ過ぎて想像がつかない。人生十週分の金貨、なんておとぎ話でだって聞いたことがないほどである。
それでも、いいや、それならば。人生で十回は無茶ができる、ということ。最初の無茶はこれをもたらしてくれた人のために使いたいと願うのが筋だ。
「人狼症患者が家にいる人向けの小さな塾を開きます。そこで、僕のレシピ通りの薬が作れるようになってもらう。勿論、給金も出します。薬を作れる頭数が揃ったらひっそり調剤薬局として開業。そこである程度軌道に乗せてから、大手に売り込みます」
幾分か現実的な夢を語る。その目はいつも以上に輝いていた。いい投資だったと思う。もし、もっと早くこの話を聞くことができていたらとも思ったが、時の流れは変えることができない。耳に届いた時こそが関わり時なのだ。
「天下のピレオス社が取り扱いたくなるくらいの品質にしますよ」
「君ほどの薬学者の名前あれば大手さえ手中に収めることができると思うが、そうでなくていいのかね?」
「おそらく僕には経営の才能はないので。薬を卸して、大手の名前と販路を存分に使い倒すのが賢いやり方でしょう」
人は得意なことと、得意ではないができることと、まるきりできないことを分けて考えるべきだというのがレイの持論である。レイにとって大人と深くかかわる必要がある経営はまるきりできないことに分類される。そこまでマルチな才能を有していないのだ。
なれば、そこはその道のプロに任せるべきだ。物を売り込むプロフェッショナルは近くにいる。コンサルティングを頼むだけでも負担は大きく減るだろう。
あとは人狼症に苦しむ人々へどうこの情報を届けるか、だ。ルーピン一人の力ではさすがに頼りない。
だったら、立ってるものは校長でも使うべきだ。
「校長先生。僕が作る私塾の名前だけ決めてください。そしたらそのまま調剤薬局の名前にも反映させます」
「君が決めなくていいのかね?」
「僕なんかどうでもいいんです。稀代の大魔法使いアルバスダンブルドアがつけてくれた名前、って言えば箔がつくじゃないですか。こういうのは名前でビビらせた方がいいんです。名誉顧問として御威光お借りします」
「君ほどに野心のないスリザリン生もおらんじゃろうて」
「へっへへ、野心の方向性が違うだけですよ。僕くらいワガママで、それを世界に対して向けてる奴もいませんからね」
ならば、とダンブルドアは手元に紙とペンを引き寄せる。数分思案しさらりと一筆書きあげた。
「命名はこうでよかろう。後ほどそれらしい遺言書でも作っておくから安心しなさい」
レイに手渡された紙を見れば意外とシンプルな名前がそこに踊っていた。
「ツゴモリ、調剤薬局……」
「君なら意味も分かるじゃろう」
月のない夜は星が美しいものじゃ。
夜空を見つめていたから、この老人の瞳の光はこれほどまでに輝いているのかもしれない。焦がれたものの色が、その光が、身に宿るということをレイは痛いほど知っている。
きっと、彼には彼の人生があったはずだ。大魔法使い以外にも。人に心を寄せられ、責任を付与されて頼られることは果たして健全な人生と言えるのだろうか。人には一つの命と限られた時間しかないのに。
「やっぱり、校長先生は今からでも天文学者になればいいと思います。学者って誰にも邪魔されないから」
「青いのぉ。研究結果が生活に直結しない分野の学者こそ横と縦とすべてに気を配らねば生活が営めんのじゃ」
「投資しますよ。なにしろ今の僕には人生十回分の資金があるので。やりたい放題の研究旅行も行っちゃえばいい。校長業も廃業で!」
「あっはっは!であれば、面倒を見てもらおうかの!」
無論軽口だ。未来は変わらない。自分は近々死ぬ。その劇的なドラマの主演はスネイプだ。そこまで織り込み済みであの指輪をはめた。
闇の終わり、それは古い時代の終わりでもある。老いた自分はいつまでもここにはいられない。であれば、その死が光の導になればいいと思った。
「事物を始めるのに遅すぎる、などということはないと思っておった。しかし、今回ばかりは手が届きそうにない。願ってもない申し出じゃが辞退しよう」
「……僕は先生みたいな人間が嫌いです」
「わしも万人に好かれるとは思うておらんよ」
「そういうもんですよね、人生って」
「ほほほ、人生を語るのであれば三桁を超えてから、じゃよ。君はまだ若い」
少し話しただけであのスネイプが彼にここまで肩入れする理由が分かった。人が良いわけでも、極端に親切なわけでもない。それでも身内にとことん甘いごく一般的なスリザリン生。
引くべき線をきちんと引くことができるのに、愛の光に焦がれてしまった青年。それを愛だとは知らずに、心の奥にしまっているはみ出し者。
魂の形が近い者同士は自然と惹かれあうという。スネイプはいい弟子を持ったものだ。
そして、ダンブルドアはまた一つ。よりよい未来のために罪を重ねる。
「君は日陰を知っている。学校好きが学校に居残ることはよくある話じゃが、逆は少なくての。だから、その手を。伸ばせるだけでいい。どうか、日陰の花に水を与えてやって欲しい」
「僕なんかにできますかね」
「君がいることに意味があると思うた」
君の活躍を期待しておるよ。
それがレイとダンブルドアの最初で最後の語らいだった。この面談から数日後。魔法界の巨星は天文塔から墜落したのだ。
下手人はセブルススネイプ。
そうであると聞いた瞬間、レイは自分の知らない謀の存在に気づいた。あの人が校長を害するはずがない、という信頼ではない。これは彼が魔法薬学の徒であることへの信頼だ。
学者、というものの性質の話なのだ。自分の愛した学問こそ至高であると考える節がある。魔法薬学でできないことなぞないのだと、信じている。
解呪へ至れなかったことを悔やむことはあっても。自分の作る薬で救うことができなかった相手を殺してしまうことはない。だって、そんなの悔しいではないか。その悔しさを許せないから学者なのだ。何とかしようと足掻くことこそ才能。彼の愛弟子として、その性質は見誤らない。死の呪文だなんてそんな簡単な呪文であの完璧な人が殺人を犯すなんてありえないのだ。
延命の結果、運命がそこで途切れたのか。はたまたそうなるように二人の間で密談があったのか。まだ子供であるレイが問うていいことではないのだろう。
ただ、超々高所から落ちたにしてにはあまりに美しいかの人の遺骸を見た時。やはり好きになれないな、と思った。この人は他者をあまりに上手く縛るのだ。
美しい死は、悲惨な死よりも人の心に濃く残る。ダンブルドアはわかっていてそれを演じたに違いない。あの超常的天才が自らの死の演出をしくじるわけがないだろう。これは軽蔑にも似た信頼。闇に飲まれそうな現状で有効に使える手札を切らないはずがなかった。
太陽の眩さはどんな闇にも飲み込まれない。それが獅子寮の持つ類稀なる強さの秘密だ。消えない炎、落ちぬ日輪。彼の言葉は正しきものが王道を歩むための道しるべ。
勇猛果敢な太陽の子らはより一段と結束を強める。そこから零れる者のことなぞ考えもせずに。
英国魔法界に訪れるは闇。その宵は神聖なる校舎にも伸び、黄昏の中庭さえも押しつぶそうとしていた。