セドリックディゴリーと蛇の後輩   作:かみさきはづき

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◆教員一年目『面白くもない昔の話』③

からっぽ。からっぽ。なにもかもない。

それでも、上手に笑えてしまった。歓喜の雄たけびを上げる皆に混ざって、曖昧なまま。

英雄譚の終わりを共に喜んでくれる人がどこにもいない世界で。

誰かに聞いたわけではなかった。何かを知っているわけでもない。でも、わかるのだ。直感的に。セブルススネイプはもう二度と目の前に現れないだろうということが。

あの人が歓喜の瞬間に自分の側に居てくれないなんてありえないから。いくら秘密主義が強かろうとも自分をこんな風に悲しませるなんてことしないだろうから。

事実を知っている誰かに聞くまではあくまでも予感。それでも、これは確信めいた推測だ。冷たくて重い悲しさが伸し掛かった。

それでもレイは一人、笑顔でいることができた。

 

あぁ、さすがセド先輩の仮面。素敵な後輩の仮姿。あの日、鏡の中に置いてきた泣き虫はここにはいない。もう子供の日々を心の中には映せない。

この一年で売れていった顔に対して皆が声をかける。レイであってレイではない、その素敵な外面に。

かけられた言葉に自動反応して定型文を語っていれば皆、喜んでくれるから。

 

「闇は絶えた、よかったよかった。これで平和になるねぇ」と。

 

そんな茫然自失のレイの前に姿を見せたのはこの戦争一番の英雄様だった。言葉を交わすのなんてほとんど初めてのことである。

お互いに話すことなどないはずなのに、何を言いに来たのだろう。レイは売り切れてしまったパーフェクトスマイルの在庫を無理やり探して張り付けた。

けれど彼にはそんなもの必要なかったらしい。神妙な面持ちで手渡されたのは白い靄の入った小瓶。薬ではない揺蕩いは、本来記憶に海に溶けてしかるべきもの。

 

「これ、スネイプの記憶だ」

「へぇ……?なんで僕に?」

 

つい、つんけんとした声を発してしまった。魔法界というのは記憶の取り扱いが甘すぎやしないだろうか。きっとそれは、スネイプその人がハリーに託した、ハリーのためだけのものだ。レイには関係ない。

 

「君は、その、彼と親しかったから」

「だから、なに?」

 

ハリーの声色から滲むのは困惑と愛。いつか、ダンブルドアに説かれた人と人を結ぶ無形の情。

 

「僕は、彼がどんな人なのか知らなかった」

「だから、なんなのって聞いてるんだよ。何が言いたい?」

「スネイプは愛に生きた。その愛で僕を見ていてくれたんだね」

 

後頭部へ重い一撃。いまさら何を言っているのか。ちょっと理解できなくてレイは固まる。

愛された証を俺に見せようというのか。さすが英雄様だ。掛け値なしの素晴らしい行い。ミスター道徳に五十点。

レイは口からまろび出そうになる悪態を気合で飲み込んで懇切丁寧に辞退した。

 

「それは、君のための記憶だ。僕には関係ない。愛された記憶、だっけ?君だけで大切にしてやってよ」

 

レイの本心など知らず蠱惑的なグリーンの目が至極嬉しそうに細められた。

あぁ、長い間その情を開示しなかった方が悪いと思う。けれどその心を告げずに持っていけなかったのは彼らしくないな、とも思う。

彼らにはどんな因縁があったのか。気にはなる。それでも。先生の口から聞けないのであれば、その記録に一切の意味はない。

ハリーがまだ何か話したそうにしていたので無理やりそれを遮る。そして、恩師の現在地を彼に聞いた。

すれば、はっとしたように彼はスネイプの居場所を告げる。叫びの屋敷、なんて考えもしない場所で一人彼が捨て置かれていることにレイの感情がまた一つ曇った。

 

「連れてくるから」

「僕も行く」

「英雄が祝賀会から離れるわけにいかないだろ、みんなに顔見せてやったら?」

「でも、スネイプも」

「まった。さっきも注意し損ねたんだけどスネイプ先生、な?ハリーポッター。俺の前でスネイプ先生を呼び捨てなんて百万年はえーんだわ」

 

それに、世界の誤解が解ける前に今ここにあの人の身体を持ってこれると思ってんのか。お前が見たものの話でもしてやれば。

心のバランスが取れなくて冷たく告げたつもりだったけれど。ハリーは気にも留めなかったらしい。それもそうだ、と素直に頷いた。

スネイプをお願い、と言いながら彼は光の向こうへと駆け出していく。先生だって言ってんだろ。の声は絶対に届かない。

レイはポケットに押し込んでいたボンボニエールを撫でる。もしかして、今って人生で一番大変な時ではなかろうか。

でも、今ようやく終わったのだ。これからもっと大変なことが起こるに違いない。だから今は撫でるだけ。もうここにいない人との思い出の痕跡を。物質的な愛の形を、そっと撫でる。

 

レイは誰にも見つからぬように学校を出た。そして、叫びの屋敷に姿現しをする。この薄暗い屋敷は月に一度誰かの雄たけびが聞こえるという怖い噂があったビックリハウス。どうして先生がこんなところにいるのだろう。

レイが屋敷の扉を開けば飛び込んでくる質の悪い薬の香り。そこからいくつかの完成品を嗅ぎ分ける。

その中でも最も特徴的なのは失われた肉体を作る闇の秘術。それを行使するために必要とされている薬の香りだった。

父親の骨、仇の血液、下僕の肉から構成されるある種究極の反魂術。それにはそれ相応のリスクがあるのだ。なにせ、薬は薬。完全に益しかない、なんてことはありえない。

あの薬を用いて作り出された肉体は非常に脆い。不思議なもので、母を介さず生まれ落ちたものを世界は許容しないのだ。どんな魔法を使っても、母親の腹から生まれ落ちた生命以上に高度な生き物は発生しえない。

ゆえに、肉体が安定するまではその薬を飲みづつける必要がある。あの薬のもう一つの効能が秘術によって作られた肉体を安定まで保たせるための栄養なのだ。

ヴォルデモーが蘇ったのがトライウィザードトーナメントの年であったと考えれば、そろそろ安定期ではあっただろう。

彼の死体しか見たことがない自分はきちんとした分量は計りかねるが、存外立派な肉体だった。あれを構成し、あまつさえ魔法族としての絶対的な力を手に入れるにはかなりの時間と薬の量が必要なはずだ。

しかし、どうしてか闇の帝王は急いた。急いたからこそ思考が甘く、ハリーを仕損じたのだ。もしかするとダンブルドアが死期を早めたのも彼の肉体が完全復活する前に決着をつけるためだったのかもしれない。

 

「ま、終わった話ですよ」

 

レイは誘われるように香りの中心へ向かう。肺を蝕むのは饐えた木材の香り。どこか甘いのにカビっぽくて具合が悪くなる。いっそすべての窓を開け放とうか。もうここに、叫ぶものはいないのだから。

 

「せーんせ。お待たせしました。俺ですよ」

 

叫びの屋敷の片隅。青白い顔を血潮で汚して彼は眠っている。首元には小さな噛傷がいくつもついていた。このタイプの傷を負わせるのは蛇だ。薬に親しんだスリザリン生が蛇に噛み殺されるなど随分な仕打ちである。

 

「まったくもー、風邪ひきますよ。いや、それ以前に変な病気貰いますって。こんなところに居たら」

 

レイは杖の一振りで全てを整えた。埃で汚れたローブも、血の赤も似合わない。何もかも似合わない。厳粛で静謐な黒。スネイプ先生と言えば美しい蝙蝠、やはりそうでなければ。

 

「へへへ、先生ってば俺のこと怖がらせるの得意なんだから」

 

鍋なんかいくらでも修繕するし、マグル生まれの新入生のフォローも俺が全部やる。それで、難しい新作魔法薬にも挑戦するからさ。できれば目を開けてほしいなって。

無論、現実から目を背けたわけではない。幻想に囚われたわけでもない。ただ、人生二度目になるとこのタイプの絶望にも慣れるのだ。

また一つ穴が開く。もう二度と埋まらない穴。埋める必要もない虚空。

 

「いっぱい勉強したはずなのにねぇ。誰かの死に目に間に合うことも、呼び戻すこともできやしない」

 

レイにできるのは止まってしまった彼の肉体時間を一時停止させることだけ。生きている人間にはまかり間違っても使ってはいけない劇薬を彼に含ませた。

人は肉だ。億万の細胞からなっている。その繋がりが乱れ、砕かれ、分解されて最後には土に返る。だから、それを少しだけ遅らせる。

ハリーにも言ったように今、彼を連れて帰るのは絶対に違う。それだけの憎悪を自分たちは操ってきた。誰が好き好んで恩師をウィッカーマンに仕立てたいと思うのか。

 

「先生、不本意だろうけどさ、きっと美談に仕立ててくれるよ。もしかして、あの目に絆されちゃった?」

 

ハリーポッターは言うだろう、彼の持つ過去を知って。愛に生きた人である、だなんて。そんなの今更だ。

 

「これは、ロマンチックなだけの呪文。何の役にも立たないし、綺麗なだけ。でも、俺の一番得意な呪文」

 

苦しいのに、涙が一滴も出ない。あんなに泣き虫だったのに。

俺の代わりに星が泣くから。それで今は許して。

 

レイは流星群の中、半分固まった頭でオーキデウスを唱える。すっかり加減を間違えて館の一室を埋め尽くすような量の花を出してしまい一人で笑った。

白百合に埋もれる先生の肌の白さと言ったら。スノーホワイトもかくやだ。

でも、すぐに一輪を残して消してしまう。花から零れた黄色の花粉もろとも。

 

「もう少しだけ待っててね、先生。寝てるのに飽きたら歩いて城に帰ってきてもいいからさ」

 

戦後処理の中で、レイは大切だったものの大部分が手から零れ落ちたことに気づく。脱狼薬の味を見てくれる人が居ないこと。面白い発明で笑わせてくれる人が居ないこと。もう二度と、あの準備室で自分を待っていてくれる人が居ないこと。

何もかもなくなった後で、それが途方もなく尊いものであったと噛みしめる。

 

だから、もうやめてしまおうかと思った。生きていることなんて辛いばかりで面白いことなんてこれから先の人生何一つとして起こらないんじゃないか。そんな風に思ってしまうことのどこに無理があるだろう。

このちっぽけな手では何一つとして守れなかったではないか。

レイは大切なものを何もかもあいつに攫われた形になる。無論、ハリーが悪いのではない。悪いのはヴォルデモーだ。それでも全ての運命がハリーポッターに集約する。どんなに避けようとしても彼は運命の絵の上で踊るしかなかった。そう大人に仕組まれているとも知らずに。

 

「本当に可哀想」

 

口から洩れたのは母国語。それは、かの英雄様に向けての言葉だったのか。それとも、自分への哀れみだったのか。レイ本人にさえ分からないのだ。

今の自分はこの瓦礫の山と同じ。まるきり意味を失ってしまった。かつての美しき学び舎、その小さな中庭が、今はこんなにも広い青空を湛えている。

一人。大イカのいる湖のふちにたたずむ。物語はここから始まった。だったらここで終わるべきだ。

美しい物語というのは構成が素晴らしいと相場が決まっている。行って帰って、また行く話。それを人は冒険譚と呼んだ。だったらこれもそうだ。

 

さて、どこへ行こうかな。とレイは靴をほっぽり投げた。描かれたのは美しい放物線。

どこか遠くで聞こえる歓喜の声。眩い未来が始まった日にレイの世界は物語を紡ぐことをすっかりやめてしまった。

湖に浸した足先の冷たさだけが今のレイの全てになる。

脛、ひざ、下腹部まで。その冷たさがしみ込んだ。こんなに冷たかったっけ、この湖。昔はもっと簡単に入っていけたと思ったんだけれど。

 

「まってぇ……?さむ、え、びっくりするほど水冷たいじゃん……さむすぎ……これで頭まで行こうっての?死ぬじゃん、溺死とかじゃなくて低体温で死ぬじゃん、え、むり、寒すぎる、入水の日和は夏……?」

 

いいや絶対違う。セド先輩に助けられた時って真冬だったから。もっと冷たくて寒かったはず。あれはクリスマス後、二月前だったって。なんで今回こんなに寒いんだよ。絶望不足か!?

レイはひーん、と情けない声を出しながら陸に引き返した。儚さと対極の感情が心を占める。杖を振れば水は一撃で吹き飛ぶし、投げた靴もアクシオで手元にもどる。

ああ、なんでこんなに馬鹿らしいんだろう。なんで泣くこともできないのに生きようとしてしまうんだろう。自分の気持ちすらわからない。ぴりり、と空気を震わせる静電気。その不安定さすらもはや情けない。

何のために自分は大人になったのか。もうなに一つ分からなくなって、自己さえも揺らぐ。

乾きはしたけれど冷たい肉体を小さく丸める。三角座りで誰もいない湖のほとり。一人呆けることしかできない。今にも崩れてしまいそう。このままここに根を生やしてしまいそうな彼に声をかけるものがあった。

 

「やったと見つけた!」

 

一つしか聞こえない声。片方にしかかからない肩の圧。顔を上げても一人しかいない。冷たい体がより一層、寒い寒いと泣きだした。

でも、レイは笑う。身に着けた処世術の全てを使って。丁寧に装うのだ。

 

「ドクトル、手伝ってほしいことがある」

「……、僕で役に立てるなら」

 

それが、レイ本人の言葉ではなく、ただの反射だということはジョージにもわかった。何もかもを押し殺したミスターパーフェクトのほほ笑みは今この場にあまりにそぐわない。それでも構わなかった。彼を一人ぼっちにしておくより、何倍も。

 

「杖、探してるんだ」

「持ってるじゃない」

「俺のじゃなくて、フレッドの」

 

お互いにぎこちない笑みを浮かべる。なんだか、全てから置いて行かれてしまったような。戦争の終焉を喜んでいる場合じゃないような。そんな変な心地なのだ。

 

「まったく。フレッドのヤツ。魔法使いなのに、ダメだよな。一番の武器から手、離すなんてさ」

「あの松ぼっくりみたいな杖なくす方が難しいだろうにねぇ。しょうがない。僕も一緒に探すよ」

 

戦場だった校内に足を踏み入れて瓦礫の山をかき分ける。もういっそ、見つかってくれるなとも思う。けれど、見つからなかったら、フレッドはきっと悲しむだろう。杖は魔法使いの相棒だから。

意識と心情と肉体がバラバラで今にも弾けてしまいそうだけれど、二人はフレッドの杖を探した。

そしてついに、見つけてしまう。他のものは破損がひどいのに、その杖だけはまるで何かに守られたかのように美しいままで落ちていたのだ。見つけてくれ、とでも言わんばかりに。

失った主の似姿。ジョージの手の内に収まったそれは彼と同じくらい寂しそうだった。

 

「雑なんだよな杖の使い方が。オリバンダーが見たらたまげるぜ」

 

彼には杖についている全ての傷の原因がわかる。家では魔法が使えないから、杖で騎士ごっこをして斬りあった時の傷。初めて作ったイタズラ道具が爆発して防いだ時の傷。今日だって。昨日だって。ずっと一緒にいたのだ。魔法使いの相棒なんかよりずっと前から。

 

「ジョージ、俺にできることある?」

 

かけられた声に振り向けば、心配そうなレイの顔。今、初めて。彼に言葉が届くと思った。そしてそれは、今を逃したらもう二度と言えなくなるセリフな気がして。

 

「レイ。俺と一緒に泣いてくれ」

「泣いたら本当になっちゃうのに?」

「本当にするんだよ。で、明日から俺たち、生きていくべきだ」

 

虚ろだったレイの目に光が入ってジョージが映り込んだ。今にもどこかに飛んでいってしまいそうだった彼が地上に降りてくる。

 

「俺さぁ、生まれる前からフレッドと一緒だったろ。だから、相棒のいない人生が分かんないってわけ」

「奇遇だね、俺もさ、大好きな人たちが側にいてくれない人生とか、どうしたらいいか分かんない」

 

それから二人は正も誤もなく泣き続けた。声は枯れて、喉が腫れて、涙に溺れた目なんか開かなくなってしまうくらいに。

そうして、どうにか前を向いた。いいや、向くしかなかった。だって生きていくべきだと言われてしまったから。レイだって、一緒に泣いてくれたジョージをこれ以上悲しませたくなかった。

それにきっと。今すぐ追いかけたら先生にどやされてしまうだろう。自慢の生徒としてそれはいただけない。

 

生きてしまった。生きることを許されてしまった。ならば、終わりまで。どうせ他人と比べて長くはない人生だ。だったら、あっちでよく頑張った、の誉め言葉をもらうために。もう少しだけ、生きてみるもの悪くないかもしれない。

あの戦争以降。彼の息子がトラブルに巻き込まれる今学期に至るまで。魔法界の英雄たるハリーポッターと自分の人生が交わることはなかった。

けれど彼と同世代だった自分は思うのだ。最悪の時代だった。今思い出しても、もう二度とあんな世界には戻ってほしくない、と。

 

これはそんな、面白くもなんともない幕間のお話だ。

 




これにて幕間の物語終了です!
1幕などの手直しをしてから2幕へ入ります。
今後ともどうぞよしなに!
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