彼に用意されたのはホグワーツの地下実験場と、おびえ泣きわめくモルモット。そして魔法薬学助教授のポストだった。
魔法が使えない者は生きていくことも許されていない世界で、半分以下の自分がどんな純血名家の名前より尊ばれる。そんな環境下で数えきれないほどの魂を弄んで、三年が経った頃のことである。
「ハセオ助教授」
「はぁい」
レイが振り返ればカロー家の若者は恭しく挨拶をする。彼らからすれば魔法力も弱い一介の教師に過ぎない。しかし、彼らの仕える闇の帝王にとってはそうではなく、この研究者は唯一絶対の地位を築いていた。
魂と不老不死の研究の第一人者、レイハセオ。彼は今やは闇の帝王が切望してやまない技術の首席研究者なのである。
「マグル生まれを捕らえました」
「そう。ありがと。じゃあ、今回も地下室に運んでよ。くれぐれもスネイプ先生には見つからないように、ね」
去っていく彼の背を見つめてレイはため息をついた。目下研究させられているのは魂の集約方法だ。若いころに魂を分割し、数多くの分霊箱を作った闇の帝王であったが、その統治が盤石になった今、それをただ一つに戻したいとお考えなのである。レイはそれをなすための重要な研究者であった。
マグル生まれ、生まれ持った魔力が少ない半純血、そして口ばかり達者な文化人気取りを排斥した闇の世界において彼は今やあまりにも異質な存在である。
純血でこそあるが異国生まれ、攻撃魔法すら人並みに使えない。それにもかかわらず生かされている。
光に住む者からは裏切り者の烙印を押され、闇に住まう者からは陰ながらクズと呼ばれた。それでも、そんなものは所詮他者の貼ったレッテルでしかない。レイにとっては何の意味もなさなかった。
「今日も実験、明日も実験。多分俺は死ぬまで実験してるな、これ」
そう言い聞かせるように口に出す。もともと思い込みが激しい彼のことだ。ゆっくりとではあるが自分の中で価値観を変容させることができた。
最初のうちこそ、自分やセドリックを救ってくれなかった他者への憎悪から非道な実験をしていたが、今や仕事でしかない。これをすることで守られる約束があるのであれば自分の思想なんて最早どうでもよかった。
大切な者を取り戻すため、そしてこれ以上大切な者に危害を加えさせないため。自分が成果を上げればいいのだ。それはレイにとっては願ってもないことだった。
勿論、レイの働きですべてが決まっているわけではないが、スネイプやドラコはこの闇の世界においてもそれなりの地位をもって暮らしている。意外と約束を守るタイプなのだ、あの帝王は。
「魂に触れる、まではできそうなんだよな。存在はあるから。物理的に触れる、というか、うーん」
悲鳴。嗚咽。実験動物が泣きわめく。意識があるまま他者に体内をまさぐられるという怖気だつ感覚。それを受け入れることができるものがこの世に果たしてどれだけいるだろう。
レイはいつぞや聖マンゴで知った概念を研究に取り入れていた。魂の大きさやその器のサイズが目視できるならば、あまつさえ幼いころなら矯正すらできるのであれば。もう少し無茶苦茶なこともできるだろうと。
一人で研究室に閉じこもってひたすらに魂の姿を追い求めた。望めば与えられる参考文献、与えられる研究時間、ただひたすらにのめりこむ。興味があることに対しては過集中気味のレイの特性を知ってか知らずか誰にも邪魔はされなかった。
倫理の壁なんてすっかり無視して研究内容を煮詰める。その一方でそんな己の姿を客観視できる心も、まだあるのだ。
「研究、研究。研究三昧!大丈夫。俺はまだ正気。まだ理解できてる。大丈夫」
この行いが本来は許されざることなのも。心を割りながら研究を続けていることも。モルモット、と呼んでいるのが人間であることも。まだ、理解できている。
浴びる悲鳴も、血潮も、ノートにつけた数字が使いつぶした命だということも。全部理解した上で、レイは魂の所在地を探るのだ。それが今のレイの生きる理由だった。
悲鳴を聞けば身がすくむ。懇願されれば心が揺らぐ。それでも、手を止めることは許されていない。会いたい人に会うためにこれは必要な犠牲だと思い込む。
間違いを咎める者のいない庭はどこまでも広く、魅力的だった。それこそ、レイの手が真っ赤に汚れて、それを拭うローブの黒がじっとりと濡れてしまうほどに。
知らないことを知ることの楽しさを、一人でだってどこまでも行けてしまうことを。レイは痛いほど知っているのだ。だからこそ、用意された血まみれの実験場でレイは間違った楽しさに身を沈めていく。
魂と魔力と生命の関係性。器を大きく深くすることが魔法族の成長であるのなら、その器が割れたり完全に壊れたりすることこそが魔法族の死なのではなかろうか。魔力は魔法族の血液。その血液で動いているのが魔法族本来の心臓。心臓に流れ込む魔力は二種類、どちらがなくなっても致命となる。
魔法族の死はそれすなわち、魂の死だ。心臓が動いていなくても、魂が肉体にくっついたままであれば魔法族は生命反応を見せるだろう。幾度となく実験を繰り返し、そこまでたどり着くのにそう時間はかからなかった。
「って、もう誰も褒めてくれないのにね」
レイは立ち上がった推論を羊皮紙にしたためる。一人の脳では足りない働きを外部に残して埋めるのだ。今、自分が一番得意な魔法は、記憶を抜いて瓶に詰めるもの。こうすれば何度だって見返せる。ペンシープは何よりもよい研究の友だった。
与えられた一級品の魔法具たち。それはレイのための特別製。魔力が少ない自分でも楽に扱える品々だった。ここまでのリソースを割いてもらっておいて何も成せないとは言わせない。そんなプレッシャーのなかで思考を回し続ける。ある程度で成果を出さなければ愛しい人たちに災禍が降りかかるのだろう。たとえ自分が死んでしまってもそれだけは避けたかった。
その生活の中、稀に教鞭もとる。スネイプの助手とは名ばかりであるものの、それが息抜きになった。レイにとって最高の教師と可愛い後輩たちに薬学の素晴らしさを説く。レイにとっては夢のような時間である。
ずっとずっとこうしていたいけれど、ひとたび授業が終わって教室を出ればすぐに研究室に閉じこもった。一日は二十四時間では到底足りない。本当はタイムターナーが欲しいところだが、帝王にとって都合の悪いものはすべて根絶されてしまった。
だからこそ、レイはひたすら薬を飲む。自作のそれはとんでもない効能を次々と彼にもたらした。二十四時間という区切りすら、レイの中では意味をなさない。
集中力を、発想力を、そして幸運を。何もかも自分のものにして、ただ一つの結果をつかもうとあがくのだ。
それが、世界を破滅させるものであったとしても、レイには関係なかった。そんなの、たかが世界の終わりでしかない。
「なんか、昔誰かと話したことあるな。分割できる以上、魂には質量がある。けれど、手で掴めない。それは有機の肉体だから……もし、もしも。肉体から魂を剥がすのではなく、ずらすことができたら?」
霊体とはすなわち、この場に残留した魔力。魔力が魂の器を失った姿。だから霊体は魔法を使うことができない。魔力は魂としての本質ではないのだから。
魔法族における魂とはすなわち、実態なき心臓。触れることなどできないはずの器官。けれど、もし霊体同士であればどうだろう。
「意識を保ったまま肉体を忘れる、なんてことができたら、魂に触れることだってできなくはないけどさぁ、正直言ってそんなの神業だろ」
レイは魔力を指先に集める。これは意識すれば問題なくできた。むしろ魔力の体内循環が少ないレイだからこそできることである。湖の水を一つのバケツに集めることは困難でも、小雨後の水たまり程度の水量であればバケツにでも収まる。
しかし、その状態で肉体を忘れる、なんて技は不可能に近い。なにせ、人は生まれた時から肉体を所有している。死んだことのない人間には肉体がない感覚などわかるはずがないのだ。
「んっ……ぷはぁ!!!!疲れた!一所に魔力まとめるのマジで疲れる!」
呼吸を止めて深い海に潜った感覚が近いだろうか。肺が潰れて息が上がる。レイは肉体を持たないものにアドバイスを求めたい気持ちでいっぱいだったが、生憎ゴーストに知り合いは居ない。
それに、だ。ヴォルデモーがこの城を取った時に、創始者に関係あるゴーストやスリザリンに由来のあるゴースト以外はあらかた始末されてしまったのだ。
城に残された気位の高い彼らからしてみれば、自分は途方もなく若輩者。
ただでさえそうなのに、はた目から見たら闇の陣営に落ちた愚かな元生徒に口をきいてくれるものなどいないのだ。
「……。一人だけいるか、やぁ……でも、女子トイレだもんねぇ」
レイの脳裏に浮かんだ彼女はヴォルデモーにとって最初のトロフィーだ。ゆえに、この恐ろしい城の中で飼われ続けている。霊体である彼女を害せるものなどいない。けれど、彼女は闇深い世界に常に怯え、人間の前に姿を現すことは稀だ。
かつて、嘆きのマートルと呼ばれたゴーストは今やその名を失い、愚かなマグルのゴースト、と呼ばれている。
「でも、何事も無駄なことなんてない、もんな」
レイは三階の女子トイレへと向かう。途中ですれ違う生徒たちは不思議そうにレイを見つめるが気にしない。なにせ、秘密の部屋への入り口があるあのトイレは原則立ち入り禁止。一般生徒は近寄ることすら許されていないのだ。上級死喰い人やレイのような研究職を除き。
誰の声もほとんど聞こえないトイレに入り、周囲を見回す。そして、ごく小さな声でエリザベス、と呼べば彼女は現れた。
「どうして私の名前を知ってるの……?」
「君はこの方が喜ぶかと思って」
レイの持つ比較的柔らかい空気に誘われてか彼女はおっかなびっくりではあるが近づいてきた。人から呼ばれる名を失い、霊体は見るからに摩耗している。引き伸ばされたモノクロ写真とでもいうべきか。ただでさえ淡い色をしているゴーストの中でも殊更に姿が薄くみえた。
「何をしに来たの?」
「いやね、そんな大した用事じゃないんだよ。ただ、ゴーストって肉体なしでいるわけだろ。それってどんな感覚なんだろうと思って」
対女に不慣れであるが、彼の隣には長らく女受けが良すぎる英国紳士がいた。彼が笑っている顔を思い出してなんとなく同じ表情をする。
マートルは曖昧な顔をしているが近づいてきた。森羅万象に効果てきめんのセドリックスマイルはゴーストにも有効らしく安心したレイである。
「感覚も何もないわよ、死んでるんだもの」
「そこ、そこなんだ。死んでるってどんな感じ?死ぬわけにはいかないんだけど死んでみたくって!」
「……せっかく来てくれた人間が気狂いだった場合の対処法を考えてから出てくればよかったかしら」
「失礼な。僕はいたってまともです」
不気味なものを見るようにじっとりとこちらをねめつけるマートルであるが、誰かとまともに話せるのが嬉しかったのかもしれない。現在のレイは女子トイレに入った成人男性という状態であるが、それすら気にならないらしかった。
「あんたの噂は聞いてる。魔法の使えない魔法使い、って」
「事実だからいかんとも。怒るまでのことですらないね」
落ちこぼれは今に始まったことじゃない。このまま二人でネガティブトークとしゃれ込んでもいいが、レイには目的があった。ただでさえ女の子というものはお喋りだ。向こうのペースに飲み込まれる前に目的を果たす必要がある。
「聡明な鴉の徒であるレディエリザベスはご存じかもしれないけれど、俺は霊魂に関しての研究者でね。研究も佳境に来てる。その研究に力を貸してほしいんだよね」
手を差し出せば明らかに避けられた。それもそうである。研究内容もよくわからないのに簡単に悪魔の手を取れって方が無茶な話だ。もう死んでしまっているからこそ、二度目の死や苦痛からは逃れたいという無意識の作用に違いない。
「今のは僕が悪かったよ、何の説明もなしに許可が下りるわけないもんね。簡単に説明するね。君はマグル出身者だから聞いたことあるかもしれないんだけど、幽体離脱ってご存じ?」
「寝てる間に魂が体を抜け出す、みたいな話よね、確か」
「そうそう、それ。俺は今あれを手首から先で意識的にできないかなって思ってて」
「私、あんたのこと魔法薬学が得意なんだと思ってばかりいたんだけど、もしかして神秘部希望だった?」
「そういうわけじゃないんだけど。この年になると人生いろんな経験が必要になってくるんだよね」
だからこそ、霊体である君の力を借りたいんだ。君に触れることができれば、僕の研究が一段上に進む。
痛いことも苦しいことも、ましてや君を消してしまうようなこと絶対にしないよ。
「だからお願い、君の力を貸して。君じゃなきゃダメなんだ」
我ながら歯が浮くような甘ったるいセリフ。笑ってしまいそうになるけれど、日陰者の彼女には効果があるはずだ。レイは、一人ぼっちの子供が何を欲しているかが手に取るようにわかる。かつて自分がおんなじだったから。
暗い女子トイレの明り取りの窓から日の光が差し込む。それがたまたまレイが伸ばした手に降り注いだ。こんなのはただの偶然でしかない。けれど、それに運命を感じたりなんかして。シチュエーションとしては最高だ。
マートルは、自信たっぷりなレイの目を見つめる。そして、微笑みながら両手を後ろに回した。
「嫌よ」
「嫌なの!?!?」
「私、根暗って嫌いなのよ」
「お、おまえが言う!?」
「そもそも、私あんたの一人称が俺だって知ってるし、根暗が王子様気取ったところで本物とはまるで輝きが違うわ。素敵なハリーや、お風呂に入ってたハッフルパフのハンサムさんとはまるで違う。あと、本当に申し訳ないけど、私、可愛い系よりカッコいい系がいいの。タヌキ顔も良いとは思うけど、素敵、とは思わないわね。後セリフにセンスがない。あれで行けると思ってるのなら論外。恋愛小説の読みすぎというか、受け売りというか。なんにせよセンスがなさすぎるわ。これがいいんだろ?って透けて見える。そういう舐めた態度がモテない原因よ、お分かり?」
「……、俺がここで死んだら嘆きのレイさんって呼んでもらえると思う?」
「残念ね、あんたがここで死んだら女子トイレで不審死を遂げた変質者の幽霊になるだけよ」
マートルはその身体こそ学生の見た目であるが、ヴォルデモーが学生の時分からここにいる。ホグワーツ城の地縛霊歴が長く、世界がこんなになってしまうまでは配管という配管で遊びまわっていたような女だ。この城で多少目立った子供達のことを知らないわけがない。
「あと待って?途中で聞き捨てならないセリフ聞こえたんだけど、お前、もしかしてセド先輩と風呂入ったことあんの?てか風呂?ホグワーツに風呂?」
「知らないの?監督生用の大きなお・ふ・ろ。あのハンサムさんの名前なんていうんだっけ」
「セドリック。うそだ、一緒にお風呂だと!?何が嘆きのマートルだよ。痴女!痴女のマートルじゃねぇかよ!」
「あはは!嘆きのマートル!久々に呼ばれたわぁ!レディエリザベスよりよっぽどいい!」
「う、うぅっ……!」
その言葉に何もかもが裏目に出ていたことを知る。彼女から発せられるモーニングスターばりのチクチク言葉たちにレイの心は今にも折れそうだった。これだから女の子って苦手だ。
「どんなに取り繕ってもあんたは王子様にはなれないわ。早々に諦めて別の路線を目指したほうがいいと思うの」
ゴーストに哀れまれるまで落ちた身の上については何とも思わないが、実験がこなせないのは問題だ。彼女を無理やりに従わせることができなくもないが、それはそれで癪に障る。だからこそ、レイはすべての仮面を取っ払って彼女に訴えかけた。
「俺が悪かったです、取り繕わないから俺のお願い聞いてください。魂に触れたいんだ。物理的に。魂に触れるならば、多分、霊体だって掴める。これができないと、ここから先に進めない」
スリザリンの、仮にも純血の、自分を殺した誰かさんの、その手先が。深々と自分に頭を下げている。
無論、ここで彼を手伝うことにメリットなんて一つもない。自分は存在が消えてなくなってしまうその瞬間までどこに帰ることもできず、ここに押し込められるのだろう。
彼だって、彼にとっての利害の一致だけでここに来たに違いない。そして、名前を呼んだ。キザにも、誰も呼んだことのないような名前で。
本当は。それがほんの少し、誰にもわからないくらい、嬉しかったのだ。
「いいわよ」
「いいの!?」
短すぎた人生を嘆けども、そこには何もない。終わってしまったことを嘆くのは無意味だと気づいたのはいつだっただろう。思い出せないけれど、死んでから気づいたのは確かだ。おしまいが誰より早かった分、始まりもまた同じ。
擦れて蕩けて世界に消える前に。もう一度、誰かに触れてみたいと思ったのだ。
「だって、面白そうじゃない」
そこから、マートルとレイの不思議な特訓の日々が始まった。