セドリックディゴリーと蛇の後輩   作:かみさきはづき

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▽2001 ②

レイとマートルが様々な実験を始めて半年が経過した。

二人で魔法書もマグルの宗教的書物も読み漁った。とはいえゴーストには実体がないので、レイがめくる本を横で流し読みしていただけだけれど。

特別調合の魔法薬を用いてのトリップも試したが思う様な結果は出ない。脳を麻痺させるような手段はどれもこれも失敗した。

いかんせん、それだと右手の先だけ、という限定条件が達成されないのだ。著しく思考力が落ちてしまったり、逆に過敏になりすぎたり。

ともかく、薬を用いてのそれは求める結果とは真逆に作用してしまうようだった。

今日も今日とて二人で本を読む。捲る手のペースは一向に変わらないが、レイは発狂寸前である。

 

「だっめだ!!!手がかりがない!マートル、なんかヒントないヒント!?」

「死んだの何十年前だと思ってるのよ。初めてそうなった時の感覚なんて覚えてないに決まってるでしょう。アンタ自分が生まれたとき何思ったか覚えてるの?」

「覚えてるわけない、です……はい……」

 

ご近所にもっとフレッシュなゴーストっていませんか?とレイが聞けば彼女はごく苦い顔をして唇を尖らせた。

 

「基本的に。ゴーストになるかならないかってのは選べるのよ。普通の魔法使いはめったに選ばないけどね」

「え?死んだときにコマンドが出るとか?」

「コマンド……?よくわからないけど、私の時には選択肢なんてなかったのよね。いきなり例外で悪いんだけど」

 

マートルの言っていることが要領を得ないのは、彼女が気づいたらゴーストになっていたからである。それが特異なことであると知ったのは、ゴーストになってから戯れに行った誰かの絶命日パーティだった。

ゴーストのなり方は至極簡単だ。向こう側に旅立つことを嫌がって死にたくないと願えばいい。そうすれば魂の意思に従ってその場所に影が残る。この状態を魔法族はゴーストと呼ぶのだ。

けれど、マートルにはそれがなかった。学校という場は大嫌いだったし、死んだ場所も最悪。こんな場所にいるくらいであれば早々に死に切りたい。そう思っていたのに。なぜかその場に焼き付けられてしまった。どれほど死にたいと願っても、永久の眠りを思い描いても。一度そうなってしまった運命は書き換えることができなかったのである。

 

これには例のトロフィーコレクターが関係している。赤い目を持つ自己顕示欲の激しい彼は己にとって意味深いものを収集し、見せびらかしたいという欲望がある。

創始者の残した四つの宝、三種類の死の秘宝。いまやホグワーツという城さえも彼にとってはコレクションの一つだ。自分の格にふさわしいと思った至宝を手の内に収めたくて仕方がないのである。

これもある意味ではスリザリン的素質だった。スリザリン生の中には妙な収集癖を持ったものが数多くいるのだ。スラグホーンやルシウスもこのタイプに分類される。

自分のお眼鏡にかなった、誰も持っていないものを保有することに愉悦を覚える収集家なのである。それが、人脈だったり、闇の秘術を纏った事物だったりするだけのこと。

ヴォルデモーにとってのそれは物語、だった。

彼は所以と物語に偏執していた。神話的な魔法道具、自らが魔法使いとして第一歩を歩んだ城。そして、最初の殺人の犠牲者。そのすべてを見せびらかしたくてたまらないのだ。

だから、彼女の魂のよりどころとして意味を与えてしまったのだ。彼の覇道をどこまでも運んでいくためのティンカーベルとして。

 

「本来は、尽きぬ後悔とか復讐心とかでなるらしいんだけどね。そんなもの私にあると思う?」

「いじめっ子を呪い殺そうと思ってたとか?」

「なんであんなクソどものために私が?」

 

彼女というゴーストは成り立ちからして通常の彼らと異なっていた。

それもそのはず。彼女は厳密にいえば死んでいないのだ。魔法使いとしては。

若き日のヴォルデモーは決定的な物語を欲していた。それを仕立てるために半巨人とマグル生まれを欲したのだ。半巨人は勝手に自滅してくれたし、トムリドルの美貌に惑わされた取るに足らないレイブンクロー女を焚きつければマートルはすぐに孤立してくれた。

秘密の部屋へとつながる、人気のない女子トイレに彼女を追いやることなど彼には朝飯前だったのである。

強い魔法族を作り出すための学び舎に異端が居てはならない。マグルが魔法族を狩ったように、魔法族もマグル生まれを根絶すべきだ。

彼女はきっと、世界で一番名誉なマグル生まれになるだろう。いずれ世界を統べる帝王の最初のトロフィーなのだから。彼は本気でそう思っていた。

そして、彼女にバジリスクをけしかけたのである。

虐められていて元よりかなり不安定だった彼女の魂と魔力を一息に、それとわからぬうちに肉体から取り去ってしまうことで彼女の魂に死を知覚させなかった。

その肉体のみが滅んでしまったのだ。そこに残ったのは魂と魔力。魔力が尽きない限り、魔法族の心臓は止まらない。ただ、肉体という成長因子が奪われてしまっただけのことである。ある意味でそれは究極の不老不死の方法であった。

 

「え、恨みじゃないとすれば、マートルは何でずっとここでゴーストを?」

「疑問が尽きないわよね。わかるわ、でも私にもどうしてか何も分からないの」

 

肉体を失った魂は本来この場を離れるものなのだ。理由は至極単純で、肉体に留まる、という理由を失ってしまうから。肉体そのものが魂をこの場に留めておく楔なのである。

人が全てのものに理由や意味を求めるのはそこに起因する。理由がなくてはここにいる意味がないと思い込まされているのだ。本来、どこまでも自由なはずの魂は肉体という理由をもってして自由を奪われている。自分の存在に意味があって欲しいと願うのは肉体の作用だ。

自由として心臓を動かす魂、理由として成長を続ける肉体、その二つを繋ぐようにめぐる魔力という血液。それらによって魔法使いは形作られていた。

 

「自分がほんの少しだけほかのゴーストと違うのはわかる。成り立ちからしてそうだから。彼らにできないこともできるのよ。この学校を離れたりとかね。でも、終わりにできない。ゴーストに終わりがないからなのか、他に理由があるのか。考えたいのにここには考えをためておく頭脳がない」

 

ぐるぐると堂々巡りをするしかない。そう嘆く彼女はレイの読んでいる本の次のページを強請った。新たな知識に触れても、成長できない彼女にはしみ込まないのだ。

魂、というものは前述のとおり理由や意味に焦がれる。ヴォルデモーは無意識にそれを理解していたのだろう。

誰かに認められたい、という欲求を強く持つ彼女の魂に意味を与えてしまったのだ。

死すら超越しようと意気込んだ彼の最初の殺人。それはある種、強烈な意味を持つ。人という存在はどうしたって意味に囚われる。それとわからぬ間に肉体を失った彼女の魂がその【意味】に引っかかってしまうのはとてつもなく自然な状態だった。

元来魔法とは想いの強さだ。ゆえに彼のこれは彼が持った感情の中でも屈指の強度となる。他者の命まで食いつぶすほどの感情が可哀想な女の子を一人、ここに縛り付けている。何があっても彼女はここから離れられなくなった。それこそ、彼が死んでしまったとしても。ここに理由に代わる物語がある限り。

 

「分からないままに死んで、分からないままにここにいる。何十年たっても何一つ解明できていない。仮にもヘレナに選ばれた女としては一番悔しい状態ね」

 

マートルは自分が何であるかを考える。他のゴーストと違うものはなにか、私が私を名乗れるのはどうしてか。これ以上奪われないために。

 

「あぁ、そういえば知ってる?マグルってゴーストにならないらしいわよ」

「そうなんだ?」

「魔法使い以外に魂はないんですって。だから現世に残せるものがない。失礼な話よね」

 

英国に住まう魔法使いたちは魔法族しかゴーストにならないと言い張る。魂がない者はゴーストにすらなれないというのだから、御立派なものである。その傲慢さが分断を生んでいるなんてつゆほども考えないのだろう。

八百万の神の国で生まれたレイにとってその発想はあまりに狭く見えた。全ての動植物には平等に魂があり、自由だと思うのだ。肉体や魔力、果ては人格からも解き放たれたそれはどこまでも自由でなければならないとすら思う。

 

「すっごい詭弁だと思う」

「でしょ?だったら、たとえ私が死の先、そうね。黄昏の向こう側に行ったとしてもママにもパパにも会えないって話になるわ。どうせ純血主義者の考えた話だろうけどね。向こうに行って、帰ってきた人の話って聞いたことないし」

「黄昏の向こう側、」

「……詩的すぎる表現だった?」

「いいや。凄い素敵だ」

「ありがと。ともかく、生きていた人の魂っていう存在は後悔とか未練とかそういうのでその欠片を場所に残す。そうして精彩欠く日常を歩き回ってる」

「……、じゃあ。セド先輩は後悔なんかなかったって言いたいのか」

 

レイの声の温度が下がった。じんわり漏れ出す彼の魔力。それを感じ取ってマートルの心が動く。

 

「少なくともあんたを一人にしてしまうことに後悔はなかったってことになるわね。お優しいハンサムさんは」

 

人の感情をあざけることは何より楽しい。マートルという存在は与えられた役目に沿って徐々に摩耗し、正しさから一番遠いところにいる。この場に長く積もった様々な恨みも彼女に蓄積しているのだ。そのあり様は一般的な感覚を持って述べれば怨霊。人に害をなす存在ともいえる状態にまで変容していた。

 

「んー……ならいっか!」

「は?」

 

思いもよらない言葉に面食らったのはマートルの方だった。こちらとしては彼を怒らせるつもりで発したセリフである。彼から日々発されている微かなネガティブ魔法は彼女にとっても心地よいものであるので、その爆発的な発露を期待していたのだ。

 

「いいの?」

「だって俺が未練とか、勘弁してほしい。先輩に迷惑かけたくない」

 

正直あの人優しすぎるからこんな地獄みたいな世界で生きていけるわけないし。いないならいない方がいい。まぁ、取り戻すために頑張ってるけど。

そう言い切ったレイのことが好ましく思えた。好きな顔ではないけれど覚悟の形はそれなりに美しい。男の子、というには見かけが年を取ってしまっているが彼女からすればまだまだ子供みたいなものだった。

 

「ねぇ、一緒にずっとここにいましょうよ。私ならもう二度と死なないわ」

 

思わず、真顔で呪いを放ってしまった。彼女は純粋な魂と魔力の塊だ。ゆえに強い言葉で人を縛ることすらできる。それが彼女という魔女の無意識のあり方だ。

元来、ネガティブな因子は惹かれあう。そして場を澱ませる。澱んだところは純粋な魂にとってひどく居心地がいいのだ。いかんせん人間は理性という型にはめられていなければあらかた同じ形をしているのだから。

 

「私って可哀想。でも、あんたもとっても可哀想よ」

「俺が可哀想って、なに?」

 

彼女の物言いが珍しく引っかかった。可哀想なのは、自分ではないと。なんでもできたはずの未来を奪われた先輩なのだ、と。

おそらくマートルが自分を馬鹿にしているのだろうということは理解できた。肉体を持たない者たちは得てして自分勝手であり、生者には想像もつかないテンションでこちらを取り込もうとすることがある。

けれど、彼女は比較的友好的であったはずなのだ。なにがトリガーになって悪い魔女となったか分からないが、レイにとっての不可侵に触れようとするなら話は別である。

 

「俺はちっとも可哀想じゃない。マートル、撤回しろ」

「嫌よ。みんなみんな可哀想。哀れで愚かだったのよ。聞かなくてもいい声を聴いた。それに返事を返した。黄泉からの呼びかけだったのに!私も、あんたも、きっとあんたのセドリックディゴリーも、ね?」

「レディ、今日は随分饒舌でらっしゃる」

「可哀想、かわいそう。誰にも想ってもらえない。誰にも大事にされてなかった。一方通行ね!」

 

半年前。その手を借りることを決めたのはレイだ。けれど、やはり違う理で生きている。あぁ、畜生。亡霊の言葉に耳なんて貸すんじゃなかった。

ざらっとした感情が立ち上り、レイの周囲を覆う。単なる怒りで発するにはあまりに高圧の昂りにマートルは微笑んでしまった。

 

「俺なんかどうでもいいんだよ」

「その気持ちに焼かれて、生きてるんだか死んでるんだかわかんなくなっちゃったのね。可哀想に」

「俺は、可哀想じゃない」

「いいえ、十分可哀想」

 

機嫌を損ねたかしら。でも図星だからそうなるのよ。そう指摘されてしまえば何も言い返せない。死んだとて彼女はレイブンクローの女である。

 

「自分ですら大事にしなかったものを、他人が大事にしてくれるなんて、儚い幻想に違いないのに」

 

レイブンクローの英知、というのは多岐にわたる。彼らは各々が各々を最高の頭脳と言ってはばからない。日本人であり、多少謙虚なユウトですら自らの才覚に疑いは抱いていなかった。他寮の追随を許さぬ圧倒的個人主義。人の人生が一冊の本であるとするならば、民衆の目を一番奪うのがレイブンクローの冠を戴いた本棚だろう。

無論、マートルだって本編こそ短いが、素晴らしい本である。肉体が欠けた今でも彼女は物を思い、言葉を紡ぐ。それだけはどんな意地悪な女たちにだって負けてやるつもりはない。

 

「可哀想は可愛いに転嫁される。だから私たちはとびっきり可愛いわ」

 

恍惚の表情で言いのけた彼女にレイの魂の温度が下がる。そもそもゴーストの戯言を真っ向から受ける方が間違いである。

可哀想は可愛い、の文脈は流石のレイにもわからない。

 

「あのぉ……マートルさん?今これって何の話してんの。俺も突拍子もないこという方だとは思うんだけど、なんか今日は一段と凄いね?」

 

最早支離滅裂だよ?とレイに言われてしまった。しかし、それは肉体を持たぬモノの持つ特性として仕方がないことだった。たまたま会話が成り立っているように見えるだけで、本当は際限なくすれ違い続けている。お互いに通じる言葉を話しているだけで、その実彼らは思うがままにしか生きられない存在だ。

 

「あら、もうおしまい?もう怒ってない?」

「いや、さすがに、変態相手に起こる気力は持ち合わせてないっていうかぁ……」

「だれが変態だって?」

「えっへへ、へへ……ごめんて、」

 

特に、彼女はレイにとって本来は天敵に等しい。理屈と合理のレイブンクロー。言葉で遊ぶタイプで女。

もしも、このレイが光の世界の彼であったとしたら早々に荷が重いと投げていたことだろう。

完全に困り顔のレイに青い鴉は言葉を重ねる。

 

「……ゴーストは魂の残滓。これが私」

 

この場に残ったもの。自分の場合に限っては無理やり残されたもの。薄く儚い自分はどこにも行けず何にもなれず、誰しもに平等なはずの夜を抱くことすら許されなかった。後の部分は殺され潰され失われたのだ。

それでも、頭だけが残された。だったら、考えることは面白い。新しいことがちっとも溜まっていかない不便な頭脳で。あることないこと考えて、全てを嘆く。可哀想な世界、可哀想な私!そうするしか、この感情のやり場がない。嘆きでトイレを満たせばほかの誰かも死んでくれるかもしれない。

そうしたら、ようやく私は一人ぼっちじゃなくなる。一人ぼっちは、途方もなく寂しい。

だから、きっと目の前の男もそう思ってくれるはずだ。慰めてくれるはずだ。半年も一緒にいるんだもの。この呪いの言葉を聞きながら。

けれど、レイから返ってきたのは予想外の言葉だった。

 

「それは違うと思う」

 

真っ直ぐな視線はマートルの痛い部分を射抜く。久方ぶり見た議論の広場へ繋がるきざはし。それをレイブンクロー生に向けるなんてなかなか見どころがある。

どうにもこの議題に関してこの男と自分は尽く相容れないらしい。ならば論を戦わせるに限る。

けれど、まだ決戦の火ぶたは切られていない。彼にその意思があるかは確認すべきだろう。

 

「どうして?」

「魂はもっと自由であるべきだ。だから、君は魂じゃない」

「へぇ……?」

 

議論、というのは感情的になった方が負けると相場が決まっている。感情を表に出せば相手の思うつぼであるし、何よりブスが泡吹いて反論を述べているのはとんでもなくかっこ悪いのだ。かっこ悪い、すなわちほかの論者からの心証も悪くなる。

マートルは別にそんなことしなくてもいいのに深呼吸で肺の中を一度空っぽにする。よろしい。そっちがその気ならば考えがある。

お互いがお互いに引くことのできない議論というのは会話として成立しない。マートルが話を聞いてやってもいいのだが、そこまでしてやる義理はなかった。

むしろ、レイブンクローであればよくある議論である。考える葦が二本もあるのならばそこはアゴラだ。

マートルは生前これに巻き込まれて多種多様な敵を作ってしまったが、今は違う。なんてったって、物理的に害されることはありえないのだ。だったら多少過激な発言をしたところで痛い目は見ない。

それに、レイの物言いにカチンときたのはある。

人間において、生きているとか死んでいるとかってかなり重要な要素じゃないのか。面と向かって「今のお前は魂なんて高尚な存在じゃなくてマートルの残りカスだろ」なんて言っていいと思っているのだろうか。真面目にこれを言っているなら性格が悪すぎるし、冗談だったら手心ってものがなさすぎる。

本当にこんな薄らバカがあの素敵なセドリックの自慢の後輩だったんだろうか。自称しているだけではなかろうか。

 

「随分残酷なことを言うのね」

「えーっと?」

「だったら私は何?マートル・エリザベス・ワレンのどこの部分?あるように見える自我は?私はどこに行けばいいのよ。魂が自由なんだったら」

 

ゴーストになってもひどいこと言われると悲しいのね。そうレイに言えば目に見えて狼狽えだした。議論以前の問題である。これは、もしかするともしかして、レイってやつは人として性格が最悪の部類なのかもしれない。

 

「ねぇ、マートル、あのさ。さっきの慰めたつもりだったって言ったら笑ってくれる……?」

 

彼の言葉が呑み込めないマートルはレイのセリフのどこにその要素があったのかを洗いなおしてみることにした。それでもやっぱり、慰められたと思えるような言葉が一つもないのだ。

 

「相手に伝わらない慰めは意味がないと思うんだけれど、どうお思いかしら」

 

何を慰めたつもりだったの、と彼女が問えばレイは彼の思う魂の自由について語り始めた。なんだかそれは彼女が生前レイブンクローでよく見た光景だった。

頭でっかちたちは各々が独自の路線で生きているために時折言葉が全く通じなくなることがある。レイの慰め、はその類の言葉だったようだ。

 

「魂は本来自由だから、トムリドルになんか縛られているわけがない。君が魂なわけがない、と思って。本当の君の魂はもっとうんと自由で、好きなことができるはずだよって、こう、なんか、そう、うん……」

「言いたいことは薄っすらわかるわよ?薄っすらね。でもそれって私への慰めとしては不適切なのわかる?」

「どうして?」

 

マートルは純粋に困惑しているレイの後頭部に掌をばっちり叩き込んでやりたい気持ちでいっぱいだった。どうしてこの体は生きている人間に干渉できないのだろう。まったくもって不便だ。

 

「私にはあんたの思想までは分からないけれど。少なくとも今ここにいる私のことをアンタは本物じゃないって言いきったのよ。じゃあ、ここにゴーストとして縛り付けられてる私って何?あんたたちの親玉に殺されて天国にも行けずにここにいるしかない私は?本物の私の魂とやらがとっくに天国にいるとするなら、私は一体何?誰が私を救ってくれるの?」

「いや、君も本物だよ、魂じゃないってだけでさぁ、」

「魂と肉体と魔力が魔法使いの三要素、だったっけ?その理論で言うなら私は魔力そのもの、かしら?私が魂じゃないなら魔法使いなんて魔力でしかないじゃない。魔力の詰まった革袋。最後にきれいさっぱりなくなるなら自我も意味もないってわけでしょう」

「そこまで言ってない、」

「あんた、お似合いよ。神秘部」

 

笑み、は時折何にも代えがたい武器になる。特に、問答無用で無礼者を刺し殺したいときなんか最高の友だ。

 

「馬鹿にも理解できるように言ってあげましょう」

「えっ、はい、うん、」

「あのハンサムさんがゴーストになっても同じ口利くのよね?」

 

言えないんだとしたら今すぐ消えて。

彼女の剣幕にようやく理解が及んだレイである。人はどんな強烈な悲劇だって自分の身に降りかからなければきちんと理解することはできない。

自分には何の罪もなかった。少なくとも殺されなければならないようなことはなかったはずだ。

 

「別に、天国に行きたいわけじゃない。ここから消え去りたいわけじゃない。でも、本当の自由な魂である私、とやらがどこかで幸せにしてるならそれでいいや、なんて思えるはずがない」

 

特段未来に希望はなかった。虐げられる毎日にうんざりはしていた。でも、やろうと思えばやり返すことだってできた。その機会が永遠に失われてしまったこと、それが彼女の身に起きた最大の悲劇である。

自分は泥沼から発生した土くれ人形に置いて行かれた肉体ではない。マートルという個が、この意識がここにある限りは。

 

「言ってやりなさいよ。レイハセオ。大好きな先輩にさ。君はもうただのカスだよって。肉体は滅んで、本当の魂もどこかへ消えたのに愚かな魔力だけがここに残ってふらふら散歩してるんだよって」

 

少なくともマートルはそう言われたと感じたのだ。言葉は人によって受け取り方が全く異なる。そこのすり合わせもしないままに過激な言葉を吐くからこうなるのだ。考えて物を言うことの重要さを思い知ればいい。

 

「傷ついた顔をするくらいなら言葉には気を付けることね。もしくはもっと完璧な理論武装でいらっしゃいな」

 

そうじゃなきゃ私が馬鹿みたいじゃない。

確かに、彼のネガティブ魔力浴びたさにたきつけたのは自分だ。しかし、レイの感情ときたらここまで言われても不完全燃焼。彼の周囲でピリリと空気が歪む程度である。

感情を発露させることにためらいがあるのか。はたまた生まれながらにして希薄なのか。短い付き合いでしかないマートルには分からない。

 

「怒るのすら苦手なんだ、あんたって」

「うぅ……先輩まで馬鹿にされた……」

「してないわよ。少なくともここに口の利き方がなってない馬鹿はたった一人」

「可哀想なうえに、馬鹿扱いまで……いや、馬鹿だけどさ、馬鹿だけどさ……」

「ちょっと、泣かないでよ。確かにびっくりするくらい子供っぽい見た目してるけど。本物の子供じゃあるまいし。流石に怒ったらどう?」

「ぎーーーー!でも、でも、怒るなんかより先にこれを言った方がいい。ごめんなさい、マートル。俺の言葉が君を傷つけた」

 

受けたであろうストレスと全く釣り合いが取れない小爆発。それだってすぐに収まってしまった。ここまでくるといっそ哀れである。自分ときたら、本当に可哀想な生き物を虐めてしまったのかもしれない。見当違いな罪悪感まで彼女の中に浮かんだ。

 

「いいえ。ごめんなさい。こっちか大人げなかったわ」

「俺の方が大人……」

「だまれ二十代」

 

慣れたもので、直で床に座っているレイの横にマートルも座る。これ以上彼を弄んでも何も生まれないだろう。だったら、通常運転を再開すべきだと思ったのだ。

 

「で。本題は死ぬ感覚ってどうなの?ってところよね?あってる?」

「そうだったっけ」

「脳みそ持ってるんだからあんたが覚えときなさいよね、まったく」

 

そろそろ親玉にどやされるわよ。そう彼女が言えばレイは明らかに表情を暗くした。

研究、というものがどんなスパンで行われているかは知らないが、半年間ほぼ付きっ切りで何の進展もない、というのはよくある話なのだろうか。

そんな彼を前に黙っているのも何か違うと思い、マートルは古すぎる感覚のサルベージを始める。

 

「私はゴーストだから新しいことは長く深く考えられない。記録しておける場所が浅くて小さいから。この肉体には理由がない。理由がないものは人の理に関われない」

 

どんなに有意義なものも器がなければ零れて、蒸発するしかない。その代わり。彼女はいくらでもマートルという魂が持っている傷の再演ができる。

ある意味では、この記憶の記録が彼女を彼女たらしめている最強のパーツなのだ。癪に障るけれど。

 

「そうね……あの日は、いじめられて、トイレに逃げ込んだの。ここね。それで、個室で泣いてて、男の子の声」

 

マートルは立ち上がりあの日の再現を始めた。レイもそれに気づいて顔を上げる。暗い女子トイレはこの場で発生した悲惨な物語の主人公を手に入れて何年も前に戻ったのだ。蛇が這いずる湿気た空気までも呼び込んで。

 

「俺以外にも女子トイレに入る男がいたんだ」

「あんたたちのご主人様でしょ」

「俺のご主人様じゃねぇけど」

 

ぽたり、と水道から垂れる水滴の音一つ。演出家のいない舞台を女優は歩く。

閉まっていたはずの扉は彼女を迎え入れるために開いた。生きていた頃みたいにドアを揺らして彼女はゼロ番の位置に入り込む。とたん、閉じられた扉。その中はレイには見えない。

ぐすん、ぐすん。彼女のすすり泣きが聞こえ始める。鼻をすする間に吐かれるのはレイの知らない誰かへの恨み言とこの世界への呪詛。重く、深まる灰色の憂鬱は空気を揺らして、居もしない殺人犯を誘い込んだ。

マートルの声以外に声と音のちょうど中間みたいな不可解な波が鼓膜を刺激した気がして、レイはあたりを見回す。けれどそこには誰も居ない。

 

「出て行って!ここは女子トイレよ!」

 

勢いよく開いた扉。泣きはらした目の女の子。けれど、彼女の顔はそのまま凍り付く。すでに脱落する肉体を持たぬゴーストはそのまま。ぼんやりと浮かんでいた。それでも、レイには肉体と魂が引きはがされる悲鳴が聞こえた気がして思わず耳を塞ぐ。

それが、彼女の持っている最期の記憶だった。

 

「扉を開けた。そしたら黄色い目玉が二つ。体が硬直して、引っ張られる。上に。嫌な感じじゃなかった、気がする。たしか。引っ張られた、とか貧血で気絶するあの感じから気持ちの悪さを抜いた、みたいな。そうね、そうだったわ。ぅん……」

 

マートルはそう言って疲れたようにうずくまった。霊体にはそういう感覚がないはずなのだが、自分が死んだときの話なんかして楽しいはずがないのだ。

膝に顔をうずめた女の子につい、手を伸ばしてしまったが、するり、とその体をすり抜ける。人生にはそうそう奇跡なんて起こらないし、起こったとしてもレイのそれには先約があるのだ。

彼女に伸ばした手を気づかれぬようにひっこめた。彼女を醒めぬ悪夢から救い出す王子様になれない以上、こんな手、無い方がいい。

 

「上に上がる、引っ張られる。それは、魂が軽いから。気絶するときの感じに近いのかな。それならわかるよ」

「あら。貧血気絶の経験者?」

 

うふふ、と顔を上げ笑って見せた彼女にレイはほんの少しだけ安心する。ゴーストに傷ついた、なんて感情があるかどうかは知らないが、随分ひどいことを思い出させたのは確かだ。自分の世界が終わる感覚なんて、どちらにせよろくなものではない。

ただ、今の彼女の言語化で一つだけ案が浮かんだ。

 

「マートル。あのさ。俺に三日だけくれる?」

「何する気?」

「最高に忙しい徹夜キメて、気絶寸前状態でくる」

 

それはきっと世界で最も格好悪いキメ台詞。でも、今の二人にとって一番必要なそれ。彼女は今度こそ可愛らしく笑った。

 

「それって最高だと思うわ!」

 

 

 

 

三日後。レイは宣言通り三徹瀕死の状態でマートルの前に現れた。いつもであれば飲んでいる滋養強壮系薬品もその一切を断ち、元来レイの持っている体力のみで三日を駆け抜けたのだ。運動なんてろくすっぽしてこなかった成人男性に体力なんてあるはずもなかった。気を抜けば今すぐ女子トイレの真ん中で大の字睡眠を決めることができるだろう。

 

「ヘイ、エリザベス。俺が来たよ」

「本当にフラフラじゃないあんた」

「計画通りってやつ」

 

レイは立っていたら今にも膝から崩れ落ちそうなため、床に座った。倒れるにしたって頭と床はなるべく近い方がいい。そんな彼に倣ってマートルも横へ座った。生きていたころにはありえない距離で。

 

「もし、もしも触れたら。大理石で頭カチ割らないように転がしてあげるから寄りかかっていいわよ」

「やっさしー……」

 

レイは右手を見つめる。集中力が足らなくて魔力を集めるのも精いっぱい。肉体も魂も健全とは言えない今の状態の全力、集まったものを握りこむように手を動かせばふわりと熱い。

肉体は眠り、精神は目覚めたまま。浮かぶ感覚で、肉体から抜け出す。右手の、手のひらだけ。

自分で、自分を忘れる。

沈黙と静寂。女子トイレを支配するニュクスの友はいやおうなしにレイを睡眠へといざなった。

こくり、と耐え切れず舟を漕ぐ。その一瞬、マートルにはレイがぶれて見えた。乱視は入っていなかったはずだ。死んでから視力が変わったとも思えない。

ほんの数秒、つむられていた眼が開いた。アジア人らしく深い色をしているのに、透明。レイは空っぽのままマートルに手を伸ばした。

その指先は彼女の手に触れる。二人の間に走った魔力は静電気のように空気を震わせた。

レイはマートルの手を引く。体制を崩した彼女はぺたり、と彼に寄り掛かった。本来ありえない熱が、彼女の頬まで染める。

とはいえそれはほんの一瞬の邂逅。切れた集中とともに彼女の感覚は霧散する。

 

「さわれ、た……?」

「たぶん、世界で初めてよ。ゴーストに触った人」

 

マートルは灰色の頬が桃色に戻ればいいのに、と思った。そうすればこの男の偉業を世に知らしめることができるのに、と。

動かないはずの心臓が。もう揺らがない心が。彼が目的を達成した今、自分には価値がなくなってしまったのだと突き付けてくる。

 

「これで私の役目は終わったってわけね」

 

今なら目の前の男に抱き着けるだろうか。さっきの余韻で。そんなことはありえないと分かっているのに、この半年で絆されてしまった。

もうきっと。会いになんて来てはくれないのだろう。哀れで愚かなマグルのゴーストになんて。そのうち忘れ去られて、消えるしかないのだろう。ゴーストにさえ永遠なんてないのだから。ただ、滅びる肉体がもうないだけ。大丈夫よ、私。そんな一人ぼっち、慣れっこでしょう。

 

「マートル!」

 

レイは今の感覚を忘れないためにもう一度集中をする。ゼロをイチにすることは限りなく難しくとも、今のレイにとってこれはゼロではない。ぎりぎりの出力を狙ってもう一度だけ右手を浮かせる。そして、彼女の頭を撫でた。

 

「ありがとう、君のおかげなんだ」

 

世の中にはずるい人間というものがいて、こいつもその類だ。マートルは考えを一つ改める。

ちっとも面白くない。こんなふわふわした魔力を受け取っても。触れられて情が移るのなんてちっとも自分らしくない。

 

「ねぇ。もしも。もしもよ。あんたが言うみたいに魂は自由で、誰にも、なんにも囚われないなら。その自由を謳歌してもいいものかしら」

 

マートルは厳密には死んでいない。今ここで死に続けているだけの女の子。ゴーストみたいに同じ感情を反復するだけの存在ではない。ただ、世界から置いて行かれてしまった、死ぬことができない普通の女の子なのだ。

 

「そうだよ。だって君は砕かれてない。本当はどこにでも行けるよ。俺はそう思う」

 

あぁ。戻る場所があったなら。戻れる肉体があるのなら。本当は。この変わり者の側に戻ってひっぱたいてやりたいと思う。

 

「王子様でも、ヒーローでもないけど。その笑った顔中々素敵よ」

 

日陰に咲く花は、踏みつけられても花。けれど愛でられぬままに終わる。それがこの世の理だ。

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