二人きりの場合だけ、憎い男を先輩などと呼ばなければならない。その関係は最初こそ敵意と悪意の欠片がないまぜになっていたが、不思議とそのうち上手く纏まってしまった。
そもそもレイは超がつくほどの穏健派。悪意の持続をさせるのが苦手なタイプである。心だけは開かないと決めて、あとは上辺だけで彼のことを先輩と呼ぶ。すれば、そのうちに自然と口が慣れていった。
一方のヴォルデモーも打てば響くレイに物を教えることは実に愉快であると思うようになった。それは、接いだのが若い時代の魂からだったからだろうか。はたまた、かつてただ一度だけ日記帳と彼の交流があったからだろうか。それはもう、誰にも分らない。
けれど肉体は精神に、精神は魂に引っ張られるというので確実にホグワーツの教師を目指していた時分の魂へと感覚が引き寄せられているのだろう。
「先輩は、見た目が若いからあれだけど、なんか明らかな年下の見た目の人間を先輩って呼んでる俺の気持ちとか知ってる?」
「日本人は若く見えるから気にしたことないよ。哀れだなとは思うけれど」
二人は彼らのために用意された部屋に籠り、また一つ魂を接ぐ。半ば儀式めいたそれも三度目ともなると緊張感に欠けた。
倒れこんでも問題のない柔らかなソファーに座り、彼はレイに三つ目の分霊箱を手渡した。
「あーーー、魔法薬で若返りの薬でも作ろっかなぁ!」
「薬のことになると君ならできそうと思えるのが気持ち悪い」
「ちょっと褒められたのかと思った、びっくりした」
「褒めてほしかった?」
「別にぃ」
彼からみたレイは少しばかり知識が足らないこともある。しかし、その事象に興味さえあれば何とか会話に食らいついてくる。思考力は確かなようで、教えたことの応用もすぐに利かせることができた。
我が案ながら先輩と呼ばせたのが功を奏したのかもしれない。最初こそ呪いのつもりだったが、彼の方でもレイをそこそこ気に入りの後輩であると認識するようになっていた。
「そもそも若返りができたら不老不死も夢じゃないんだよね。命を長らえさせるユニコーンの血液とも違うし」
「話しながら僕に触れるだなんて随分余裕だね」
言葉尻に失敗したら許さないからな、という圧を感じながらも淡々と作業を進める。
帝王だった頃は鼻がないホラー顔だし、物腰も死ぬほど帝王だったため恐ろしかった。しかし、今は美丈夫が優しく咎めているようにしか見えないのだ。元来美しいもの好きのレイは特段怯えず手当てができる。
それに、だ。三度目にもなって震え続けている方が心配になるだろう。無駄に感度の良い鼻で彼から漂う血潮の匂いをかぎ分けたとてもう面倒なので何も言わないことにしていた。
レイは慣れた手つきで三つ目の欠片を手に取ると彼の中へと押し込んだ。そして、丁寧にそれらを縫い合わせてあっという間に処置を終える。
彼が薬を飲んだのを確認すると魂から手を放して肌に触れた。
彼の心臓は高強度トレーニングをした後のように激しく脈打っている。しばらくは話すこともままならないだろう。
とはいえ一つ目、二つ目を接いだ時よりは随分とマシらしく彼は目元に手をやり荒い息を整えようとしている。ぐったりとソファーに体を預けているものの、そこまで顔色は悪くない。
「無理して抑え込まないでひっくり返ってればいいのに」
「っ……負けた、みたいで……嫌だ……」
「なんですかその変な負けず嫌い」
胸に手を当てていたレイの引っ張って抱き込んだ。どうしてだかわからないけれど、レイの頭を撫でているうちに呼吸が整う。自分の内には自分への愛しかないはずなのに、どうしてかレイの魂は彼を癒すのだ。
そんな彼の全てをむさぼって魂の修復を行う。諦念が浮かんだ顔をぐちゃぐちゃに乱してやれば加虐心が満たされた。
腕の中に囲って、レイが瞳の奥で夢想するものを与えれば彼の心が揺れる。その幅が大きければ大きいほど、こちらの魂への影響も大きくなるようだった。
本人の感情がどうであれ、強いストレスを受ければレイの魔力は薄く拡散する。それを吸い上げて魂の修復が進むのだろう。体質だとは思うが彼からすればひどく哀れな生き物だった。
圧倒的強者である自分に養分として扱われる弱い魂。馴染みが良さも相まっていいように使われている。それに反旗を翻せるわけでもないのだ。
ふ、と。興味が湧いた。壊れかけのこれに望むものを与えたらどうなるのだろう、と。レイが心の底から欲しているもの、なんて考えずともわかる。生来彼は、目の前の人間が何を欲しがっているかを理解する天才なのだ。
これは、子供のままでいたいのだ。愛玩され、尊重されたいだけ。責任なんて一つも発生しない世界で。甘えさせてくれる人間の側に座りたいだけの矮小な生き物でしかない。
現実と理想の剥離に耐えられず、魂が悲鳴を上げている。その結果が自分の益になるのであればさらに極端に振り子を振りたくなるのが彼だった。己の道行は合理的であるべきだ。最大限の利益を享受したいと思う事の何が悪いのだろう。金の卵を産むガチョウあれば、生かさず、殺さず、懐いてもらった方がいい。
レイのために用意すべきは箱庭。それも、彼の心があるべき場所がいいだろう。
ヴォルデモーは魔法使いだ。それも、超級の。今や城にかかった古い魔法すらその尻尾をとらえることができた。もはやホグワーツ城は彼を主と認め、彼が思い描いたとおりに部屋の性質が変わる。
「レイと自分の物語の根幹は同じだ。始まりが同じであるからこそ御しやすい」
黒革のソファー、武骨ながら洗練された石造りの壁。意匠には蛇を散らして。差し込む日の光さえも記憶のままに。漂う香りはヘリオトロープ。コンパクトにまとめ上げた記憶のままの談話室。
この城から失われた柔らかな空気まで再現すればどこをとってもレイの時代のホグワーツそのものだった。
「まぁ、こんなところか」
悲鳴も怒号も届かない。その代わり、本来のこの場所ではありえない外の光が見える。小鳥がさえずる静謐な朝すら、幻想の中に作り出した。
「場はできた。ならば次は主人公」
ヴォルデモーは自らに呪文をかける。古い制服を纏った十七歳。それは全ての可能性を孕んだ、ある種一番強い姿だ。この時代に魂を半分にしたのはそれが大きい。最も強い自分を第一バックアップとして取っておくことができるのであればこれほどまでに都合のいいこともないだろう。とはいえ、これは変身術の範疇であり、中身が変わったわけではなかった。
「最後に、君だ」
不健康そうな肌、年のわりに童顔と言えどまずもって十七歳を先輩と呼ぶにはふさわしくない見てくれ。どうせ隣に置いておくのならば綺麗な方がいい。
レイの性格と見た目から逆算して十五の姿を構成する。魔法とはすなわちイメージの力でもあるので、事細かにその姿を思い浮かべた。アジア人は西欧の人間に比べで華奢で小さい。それに加えてあの特異体質だ。その両点を加味してかなり小さく見積もり、彼は脳裏に似姿を脳裏に作り上げた。
そうして、彼の表層を書き換える。立ち現れたのは少女のような体躯に赤紫髪の少年。そこでようやく合点がいったのである。
「あぁ、なるほど。想像で姿を作ったけど僕は君を知ってる」
彼は十五になった彼の姿を見て日記の記憶と再会した。自分と彼はかつて会ったことがある。思い出したのだ。彼の血液と魔力を用いて実体を得たことを。
それでようやく合点がいった。彼の魔力と自分の魔力は馴染みがいい理由に。
「随分と悪戯な運命だ」
彼はレイの見てくれをほんの少し自分好みにいじるとそれで仮確定させた。目印なんてなくても惹かれたその才能。面白い遊び道具。頬を突けばレイは目を覚ました。
「あれ……?」
「君の今の身長から逆算したんだけど、君って十五くらいの時は身長どれくらいだった?」
「え……?なんで?」
「何センチ?」
「百五十五、くらいだったかな、」
思ったよりさらに小さかったため、全体的に修正をかける。前述のとおり、これはあくまでも変身術の範疇だ。実際に魂から若返らせているわけではない。ゆえに、魔法の使い手側の想像でしかないのである。
「それしかないってことは、変声も怪しいか。となるとこれくらい?」
杖の一振りで体は更に華奢になった。呆気に取られているレイに、彼の年代の制服一式も設えた。いよいよもってなにも理解できないが、恐ろしく体が軽い。ついさっきまで運動不足のアラサーだったので感動もひとしおである。
「え、今俺十五なの?」
「僕の想像した姿、だけどね」
ヴォルデモーは全身鏡を用意し、レイをその前に立たせる。確かに、ほとんど自分の学生時代とたがわない。しいて言うならば髪が肩甲骨の下あたりまであるくらいの差異だ。
「髪なっが、せめて肩くらいにして欲しいんですけど」
「嫌だ」
「先輩、俺が大鍋から火をもらって焼死してもいいんですね?」
そういいながらも十五歳のころの姿はあまりに懐かしく軽やかで、すっかり砕けて幼くなってしまった大人子供である彼の精神によく馴染んだ。髪の長さに関しても別にどうでもいいくらいに。
「でもなんでこんな面倒なこと」
「これが欲しかったんじゃないの?」
彼のほほ笑みに心が揺らぐ。魂が反発する。それでも、あの黄昏を覚えている肉体がこの妥協案を受け入れようとするのだ。
その歪みがレイの内でネガティブ魔法として発生して、ピリピリとした魔力がこの場を統べる魔法使いの肌を撫でた。その心地よさは色事にも似ている。
「これなら、僕のことを先輩って呼んでも違和感はない、そうだね?」
いっそ壊れろ。そしたらもっと自分好みに変えてやるから。そんな加虐心が心を埋めてゆく。多分な揺らぎの中で潰れてしまえばいい。このおもちゃを堕とすための策略がいくつも浮かぶ。
「……、」
「ほら、レイ」
鏡の前に立っている彼の背後に立つ。そして深緑のリボンを使って彼の髪をまとめて、美しいポニーテールにした。天然物の緩いウエーブ。細く白い首に回した指先。喉を潰すように圧をかければ体の力が抜ける。
「レイ」
「せん、ぱい……」
「いい子だね」
首から離した手で彼は二人分のティーセットを用意する。先輩として後輩を可愛がるのは当たり前だと言わんばかりに。
フルーツを使っていないケーキにカフェオレ。それは間違いなくレイの望むものだった。
日本にはヨモツヘグイという言葉がある。すなわち体内に異なる世界を取り込んで血肉に変えたが最後、二度と元には戻れない、ということ。理解していたはずだった。深く踏み込めば絡め捕られると。
これは中途半端、ではいさせてくれないという事だろう。レイの『先輩』はいつだって優しくて、綺麗で、笑っている。
震える手でフォークをとってケーキを食べればいつかと同じはずなのに全く違う意味を持つ。そこに物語が生まれてしまえば、もう降りることは許されない。
「美味しいかな」
「えぇ、とっても」
この部屋から一歩外に出れば闇の帝王と、魔法薬学助教授として世界に溶け込むしかない。その倒錯がレイの脳をさらに焼く。ありえない放課後、彼の機嫌さえ損ねなければそれが与えられると明確に示された。
彼はレイの心の中に入り込んで、ヒビの入ったガラス細工を容赦なく踏みにじる。
ここはホグワーツのにおいてレイのためだけに設えられた部屋。一つ扉をくぐれば、この空間でレイは十五の見てくれに、彼も十七の姿となるように調整をかけたのだ。
ないはずのものを煮詰めて蜜を作る。琥珀の夢は日常によく馴染んでしまった。
スリザリンの先輩と後輩。目をかけ、手をかけ、言葉を尽くして魂という一つの学問を究める。よき友でありながら、絶対的な上下がある関係性。求められれば応じざるを得ない。己を差し出すことこそがこの場の対価だから。
彼の笑顔で塗り潰された記憶がレイの中で本物になってゆく。
そうしていつしか。どちらともなくこれを黄昏と呼んだ。