「またここにいたんだ」
「まぁ、大概の場合はここにいますね……」
レイは口の中にあった飴をかみ砕いた。さっき口に入れたばかりだから勿体なかったが、吐き出すより何倍もいいだろう。
外の世界ではちっとも食べなくなってしまった甘いものもここでは好んで食べる。変化させただけ、と彼は言うが若い肉体には糖分が良く染みる気がしたのだ。
それでも、飴を転がしながら目上と話すのはいかがなものか、と思う心はある。それに今クルーシオをされれば喉に飴を込めて本当に死ぬ可能性すらある。そこまでの苦しい思いをするのは避けたい。
「ここまで入り浸られるとは思ってなかったんだけれど?」
「いーやぁ、考えてもみてくださいよ。目のカスミも、腰の鈍痛も、肩こりも無縁の身体ですよ?なんなら集中力と知識が脳にしみ込む速度も違います。ここに入りさえすれば。そら入り浸るでしょう」
「思い込みのはずだけどね」
「なんか言いました?」
いいや、なにも。彼がそう言えばレイは笑みを崩さぬまま読書に戻った。思い込みの強さは魔法の強さに通じるところがある。それでも、レイがそうでないのは根本的な魔力がないからだ。
ただ、この場はホグワーツ。それも彼が二人のために整えた実験場である。レイに魔法の効果が出やすいのは当たり前のことなのかもしれない。
「で。大事な先輩を前にして姿勢も直さずに読書に勤しむってわけだ君は」
「いつも思うんですけど先輩って、冠言葉に自尊心が現れてキラキラしてていいですね」
「言い換えてごらん?」
「素敵な先輩、こんにちは。俺に何か御用ですか?」
さっと靴をそろえてソファーの上に正座をしたレイである。そこまでを望んでいたわけではないが確かに姿勢は正された。
この姿のレイが外の世界のことを忘れがちなだけで、彼はこの世界を手にかけようとしている帝王だ。不遜な態度にはそれ相応の罰を与えなければならない。
「クルーシオとインペリオならどっちがいいかな」
「インペリオの内容にもよります」
ベラトリックスの前で全裸曲芸とか?とあっけらかんというのでレイは引いた。嫌がらせのレベルではない。遠まわしのアバダケダブラだ。いっそ一思いに殺してくれた方が優しいまである。クルーシオ一択なら初めからそう言ってくれればいいのに。
「先輩って友達いないでしょ……」
「君にはいたんだね」
「ほぼいないですけども!」
鼻で笑われて更なるダメージを負ったレイである。クルーシオよりよっぽど精神にきた。手に持っていた本をその辺においてレイはクルーシオで、とやけっぱちに叫ぶ。相対する相手が完全に玩具を見る目をしていたのは気づかないふりをした。
すっかり慣れてしまった扱いにレイが目をつむっていても一向に地獄の苦しみはやってこない。それどころか彼は何食わぬ顔でスコーンにジャムとクロテッドを塗りたくってティータイムを始めていた。
「えっ、おとがめ、なし……?」
「面白かったからいいよ別に。かけられたいなら止めないけれど」
「なしでいいなら俺が嬉しいので、なしで」
「態度には気を付けて」
「寛大なご配慮、いたみいります……」
食べれば?と差し出されたスコーンにレイは目を白黒させた。なんだ、今日に限って機嫌が良すぎるではないか。こんなに優しい日があるのか。勘違いしそうになるからやめて欲しい。
スコーンと彼を見比べるなどしてもよいが、どう考えても機嫌を損ねるだろう。馬鹿のフリをして元気いっぱいに受け取っておいた。
しかし、ここでまるきり黙っておくことができないのがレイという男だ。薄っすら踏み込んだ質問をしてしまったのである。
「先輩、今日、なんかいいことありましたか?」
ごくフラットな調子で尋ねられたものだから彼もまた当たり前のように答える。その表情すらいつになく甘い。
「三つ目が馴染んだから、かな。誰かとこんな風に話すのが懐かしい気がして」
「三つ目って、どんな頃に犯した罪なんです?」
そう、三つ目の魂。四つ目を接ぐにあたりここまでの時間がかかったのはこれに理由がある。
魂を接ぐ工程そのものには何ら難しいことはない。並縫いさえできれば簡単にできる、その程度の技能だ。しかし、濃度の違う魂同士を固着させるというのが案外難しいことだったのである。
いかんせん彼の魂の欠片には多少なりともその当時の自我が乗っていた。一つ目と二つ目は比較的協力的だったのだが、三つめはことさら自我が強かったのである。結局は一人でしかないくせに面倒なことだ。
この魂がいつまでたっても結着しないどころが彼にとっての苦痛の種となったため、レイが折檻を受ける回数も増えた。それを完全に収めるために要した時間は実に六年。予後があまりにも悪かったのである。
それをようやく御せたというのだから機嫌がいいのも当たり前の話かもしれない。
「犯罪は人聞きが悪いよ。僕がしてたのは掃除」
「掃除」
「あれは掃除がてらホグワーツ卒業後に気の合う仲間と旅行をしていたころだったと思う」
「友達と、ってこと?」
「友達ではない」
「友達じゃない人と旅行すんの……?」
ちっともわからないと言いたげなレイに死喰い人の黎明期について語る。珍しく饒舌に語られる昔話は案外面白い。軽率に人を殺すのにはいい顔はできなかったが、もう死んでいることであるし今更である。
友達ではないという割には案外愉快な旅程だったようだ。話を聞いていたレイがつい、余計な口をきいてしまうほどには。
「いいなぁ、俺も旅行できる友達?そういうの欲しい……」
「僕には沢山いるから一人あげようか」
紅茶を含みながら彼はこともなげに言う。少なくとも、彼とレイの間で友達というものに対して大きな乖離があるのは間違いない。
「友達はやり取りできる単位ではなく、なんかもっとこういい感じのものですよ先輩」
「欲しいんだろ。ベラトリックスでいい?」
「いっ……」
彼女にいい思い出がなさすぎるレイは顔を顰めた。暴虐の女戦士はレイに対してあまりにも厳しいのだ。いや、厳しいを通り越してこの城で唯一本気でレイを殺そうと目論んでいる。
どうあがいても男であるレイが当人の心理に関わらず寵愛を受けている状態は彼女にとって好ましいものではないのだろう。
「あの人と友達になるくらいなら潔く死にます」
「君は本当に彼女が苦手だな」
「得意な人います?」
なら、と彼は脳内で適当な人間をサルベージする。この面倒な男にも付き合えて、暴力性はそこまで高くなく、そこそこ人間性もまともなのがいいだろう。
「じゃあ、次点でスカビオール」
「あの人攫い友達だったんですか?」
「博愛の精神、だね。友達だよ、友達」
「あは!今、愛の話しました?」
「いい度胸だね」
「ごめんなさい、ごめんなさい、もう舐めた口ききません」
彼にも自分が余計な話をしている自覚はあった。ただ、欠けていた魂を取り戻す中で過去の光を嫌でも見るのだ。ヴォルデモーにとってこの時代は、友と呼べたかもしれない存在を失った頃である。
「そもそも、君の中で友達って何なの?」
「全部あげちゃってもいいと思う人。友達のためだったら死んじゃってもいい」
レイの真剣な眼差し。それに対して気味の悪い魔法生物を見たかのような表情になってしまう。彼にとって自分は何があっても差し出さないものだった。少なくとも友達ごときに易々と渡せるものではない。精神の成り立ちからして、彼らは別の生き物だった。
「あっ、でもこれは俺の話ね。俺が友達に何でもできるって話で!同じだけの感情を求めてないっていうか、その温度で来られたら俺も怖いっていうか」
その不均衡を許せるのか、と問えばレイは不均衡ではないと答える。ヴォルデモーは彼のことがやはり理解してやれそうになかった。自尊心が著しく低いわりに不遜。彼は何とも極端な人間性を有している。
おそらくではあるが、魔法が使えず他の手段に頼るしかないと脳を切り替えた気でいるだけで、実際のところそうではないのだろう。彼は魔法が使えない自分、に少なからずコンプレックスを持っている。
幸い、他に脅かされないための才能はあった。しかし、まっとうな魔法使いであると己を定義することができない不和。それに体質上の不安定が重なってレイはどうしようもなく歪んでいるに違いない。心配をかけるまいと表層上を取り繕った結果、誰にもケアしてもらえなかった子供だ。
まったく別の生き物であるはずなのに、その気持ちがほんの少しだけ分からなくもない。
「先輩はそういうこと誰かに思ったことないの?」
「ないね。断言できる」
「子供の時から?」
「僕は僕だ。誰にも渡してやるものか」
何か言いたげなレイであったがこれはもう信じるものの違い。その身を貴ぶことに特化した彼とレイが相容れることは基本的にないはずなのだ。それでも。
「先輩には特別な友達っていなかったの?人生で一人も?」
子供っぽい問いを投げつけたなと思ったが、ふとした疑問だ。自分だって極度の人間嫌いなので言えた義理はない。それでも、友達と言われればセドリック以外にもいくつか浮かぶ顔はあった。もう向こうはそう思ってはくれない可能性が高いけれど。
それすらもない本物の孤独の中で生きてきたのであれば友達論がここまで違うのも致し方のないことだろう。
「……。アブラクサスと、オリオンかな」
彼は至極つまらなそうに。しかし脳裏に浮かんだほほ笑みをどこか懐かしむように、レイの知らない誰かの名前を挙げた。
「それは、えーっと、一般的に言う友達?」
「友達、だったと思うよ。確かにね」
同じになれるとは思っていなかったけれど、ほんのひと時。彼らを友と呼んでもいいかと思った。魔法界きっての高貴な血を持つ麗しい男たち。
賢く、強く、思想を同じくした年上の彼らと暖炉を囲って夜を更かすのは悪くない時間だった。こうして三つ目の魂が戻った今、談話室の語らいを思い出してしまう程度には。
無論、当時からこの瞬間が永遠でない事は理解していた。学校という箱庭から出た彼らは頭角を現した闇の帝王に逆らえなくなる。それこそが家のためであり、脈々と繋がる血という物語のためだった。
結局のところ、肉食獣と草食獣が共生できるのは徹底的に管理された檻の中だけだったのだ。毛並みの良い兎は天地がひっくり返ろうとも狼にはなれない。
「僕は。そうだったと思う」
友だと思っていた彼らに初めてかしずかれた時にすべてが崩壊したのだ。
純血主義という熱に浮かされた目。そこに高潔さはない。気位高いはずの彼らの媚びた視線はトムにとって喜ばしいものではなかった。
このカリスマに中てられても壊れないものが欲しかった。それでも、そんなものないと気づかされたのだ。欲しいものを与え、世界さえも塗り替えんとする力。弱い人間はそこに神を見出して信仰と熱狂と、最終的にはその身すらも捧げてしまう。
だから、諦めた。最初からなかったものとした。いずれは天をも統べる自分に同格のものなど存在しないのだと。自分の才能を信じているからこそ、トムリドルには友は不必要だった。
けれど。もしも、だ。もしも。彼らが自分を次世代の王と称えなければ。隣に並び立ち続けてくれていたのならば。彼が手にしたトランプの図柄はもっと違っていたに違いない。
「それでも。いつしか。友情は敬愛に変わって、陶酔になり、怯えになり、最終的には畏怖になる。そういうものだ」
ブラック家も、マルフォイ家も。新しい風たる死喰い人の巻き起こした時代のうねりには逆らえなかった。全ての事物が手の中に収まってしまう。ハリーポッターに敗北するまでは全てが彼の思うがままだった。
しかし、それも昔のこと。今はまた、面白くもない世界に一人立たされている。この世のなんと小さなことだろう。
ただ、ヴォルデモーはそれで構わなかった。つまらないのであればつまらないなりに統治をすればいい。この世の果てに届いてしまうまでまで、自分の呪いで侵し続ければいいだけのことなのだ。
「それは悲しいね」
「は?悲しいものか。僕ほどの力ある魔法使いに並び立つ者がいるわけがないだろう。ダンブルドアとは違う。真の帝王とは愛に目をくらませたりしないものだ」
それは彼の心の底から漏れた声。ここに一切の強がりはない。そんなものに絆されるから思わぬところでつまずくのだ、と本気で信じている。人は、一人で揺らがず立ち続けるのが一番強い。世界に対して王は一人で良いのだ。正しさや強さが画一的であればあるほど。それは彼にとって正しい世界足りうる。
「やっぱり先輩ってすごく良い性格してますよね」
「君の言う友達も大概気持ち悪いけど?」
「いいやぁ、先輩ほど、で……は、失言でした!あぁっ!ノットクルーシオノットクルーシオ!」
予備動作なしで向けられた杖にレイは飛び上がった。蛇を見つけた猫のような跳躍力である。どこにそんな筋肉があるのか甚だ疑問だ。学習する気がないらしい小さな頭を物理で殴ってやれば悲しげな声で鳴く。
「おんおん……いってー……」
「つくづく君とは相容れない」
「相容れないからきっと面白いんですよ」
「何か勘違いをしているようだけどね。別に君は面白い生き物ではないよ。どちらかというと気持ち悪い」
さて、戯言遊びはここまでだ。
そう言ってレイに渡されたのは四つ目の分霊箱だった。それを受け取って深く息を吐く。ハッフルパフの文様が入ったカップは元の金がくすみ、鈍い光を纏っていた。
「先輩って、収集癖があるくせにあんまり手はかけませんよね。集めて、手元に置いて満足するタイプ?」
「そんなことないよ」
「どうだか」
カップについた魂を剥がして掌に載せた。魂に温度はないがうっすらと冷たい気さえする。
レイは彼にソファーへ行くように促した。三つ目が生意気だった以上、四つ目の反応も苛烈である可能性が高い。意識を失おうが、すっ転がろうがソファーの上であれば安心だ。いかんせん、この空間のレイは魔法がほとんど使えない十五歳ボディである。彼を力だけで寝るのに適した場所に運べる体格ではなかった。
「準備できたら言ってください」
「いつでもいいよ」
「わぁ……相変わらずの白磁の肌!女の子だったらみんな嫉妬しちゃう!」
「君はしないの?」
「するわけなくない?」
肌に触れる。こちらもひやりとするほど冷たい。この人はもしかして蛇の化身なのではなかろうか。ゆっくりと押し込んで、魂に触れる。三つめも綺麗に馴染んでいた。指先に伝わる規則的な細動がほんの少しだけ心地よい。
とはいえ、面倒だったので躊躇なく押し込んだ。レイが唯一、この男を黙らせることができる時間だ。苦痛でのたうち回って欲しい。まぁ、あまりに痛みが強いとひどい目に合うのもまた自分なのだが。
約束は約束だが、こちらの払う対価がいよいよもって大きすぎる気がしないでもない。これからの折檻生活を思い描いてレイはげんなりしていた。
「じゃあ、縫っちゃいますね」
慣れた手つきで早々に縫い留めて、綻びがないかを確認する。問題なさそうなその魂を一度撫でる。こんな極悪人のそれでも魂というのは美しいものだ。明らかに裁縫の腕も上がっており患部も含めてそういう作品のようにすら見えた。
レイが手を現実に戻したのを確認して彼は薬を飲む。どんな苦痛にでも耐えてやるつもりだったのだが、案外痛みが少なく拍子抜けしてしまう。
「今回はわりと余裕がある」
「え!本当!?やったー!」
「明らかに僕の面倒見なくて済んだ、嬉しい。みたいな顔するのやめない?腹が立つ」
「え!そんなぁ!してないですよぉ、残念だなぁ!」
彼はレイの手首をとると無理やりに引き寄せた。体幹なんかちっともないレイは引力に従うよりほかない。
無理やり収められた腕の中。明らかに苦い顔をしているのは無視する。
「痛くないなら必要ないですよね?」
不可抗力で胸元に当たっている耳。鼓動は少々早いが、確かに無理をしている様子はなかった。しかし、明確に逃げたいを口にしたが最後、このまま捕らわれるだろう。彼はそういう加虐心に溢れた人間である。
「君と僕はどこか似ているのかもしれない」
「ありがたいですけど。それは買い被りってもんです」
言葉にはせず無理やり離れる。どうにか距離を置きたかった。今の彼の紅は捕食者の光を灯している。四つ目がどんなものだったか分からないけれど、レイにとっては都合が悪いに決まっている。
「俺のしなきゃいけないことは終わりましたし、もういいですよね?」
ただ、彼は上に立つ者。根っからの帝王である。レイが逃げようとしていることなんて百も承知だ。逃げられると追いたくなるのが捕食者としての性。意味なんてないのに藻掻くからこそ、いたぶり、苦しめ、辱めたくなるのがどうしてわからないのだろう。
レイに立ち眩みさえ悟られぬように立ち上がり、彼は絶対的帝王の笑みを湛える。こちらを慈しむように細められた目は表層だけ。有無を言わせぬ圧をレイにかけた。
「ねぇ。そんなに欲しいなら僕が友達になってあげようか」
その言葉にレイは動けなくなった。自分から最愛の友達を奪っておいて、この心を蹂躙しておいて。どの口が言っているのか、と。
けれど、ここで怒りを露わにしたら待っているのは想像するのも面倒なほどに日常になったテンペスト。それを思って頭に上った血液が一気に引き戻される。これが、レイが生きているこの場所の現実だ。
「僕には友達なんて必要ないけれど、君であれば悪くない」
「あー……。先輩のところに来る全員にそう言って友達百人作ったんでしょう」
「そうだって言ったら?」
軽やかな口調で感情を散らす。この軽さこそがレイの持っている柔らかくも切実な盾。本当は今すぐにでも殺してやりたかった。それでも、どうにか耐える。思う事も想う事もこの場では重罪。
感情すら無くなってしまえばこの嵐のように苛烈な人にだって適切に対処できる気がした。
外のことを内側に持ち込む方が馬鹿なのだ。ここにいる自分は十五歳。まだ何も知らない。友達の作り方も、大切な誰かの記憶すらも。それを踏みつけられて憤るための物語が、無い。
それが分かっていて、目前の男は自分をわざわざ高度な変身術まで使って子供に仕立てたのだろう。彼に限って考えなしにこの姿にするわけがないのだ。
「ほんと、ミスターパーフェクト」
「その言い方はいやだな」
「ごめんね、先輩」
距離を詰められて頭を撫でられる。本物の子供にするみたいに。何一つとして嬉しくないはずだ。それでも。本当に少しだけ。記憶が揺らぐ。今は遠い楽園の面影。天使の梯子が下りた中庭でセドリックとそんな会話をした気がして。
「今日は随分嫌がるじゃないか」
「そりゃ、俺にも自我ってものがありますので」
じりじりと間合いを詰められる。彼はわかってやっているのだ。逃げられやしないことを。出入口はたった一つ。それを背にして彼はレイを暗い方へと追いやる。そして、逃げられないことを悟り、ため息をついたレイはこれから始まる蹂躙劇の壇上へと腰かける。
「僕にだったら友達として全部渡せると思わない?」
「あっはは、ふざけろ。友達、じゃなくってアンタのは悪魔の契約って言うんですよ」
減らず口を叩いたレイに今度こそクルーシオをかけた。内心ぐちゃぐちゃの癖によくもまぁ、まだそんな口がきけるものだ。称賛に値する。
いくらアミュレットの加護があるといえど、遊びではない高出力で呪いを食らえばさしものレイもベッドの上でのたうち回るしかなかった。
「機嫌がいいからね。これで許してやる」
「ぇふっ、わぁ……い、先輩やさしー……」
精一杯の強がり。どんなに悔しくても、彼を害することが自分にはできない。なにせ、本物の友達のためなのだ。セド先輩のためならなんだってできる、と言ったその約束を反故にするわけにはいかない。
レイは息を整えるとこの場の支配者を仰ぎ見た。相変わらず好戦的な目だ。これを好むものには魅了を、拒むものには沈黙を与えてしまう。今のレイはまだ、その目に逆らえこそしないがどちらでもない。
「僕と君は友達。君の理論で言えば友達ってことは全部僕のものでいいよね?」
紅い瞳の蠱惑的な表情に捕らわれる。
ベッドの上、手首を押さえられ、腰の動きを制限するようにまたがられてはもう逃げることもできない。
「いーや。友達ってのは認めませんよ。認めない上で拒否します。たとえ先輩の言葉であっても」
「てっきり飛びつくものだと思ってたんだけどな。欲しかったんだろ?」
「そもそも友達に肉体関係あるはおかしいし」
「僕らの場合は含むんだよ」
「うーん、不本意」
俺がそれを友達って呼ぶことは絶対ありえませんからね。
完全に突っぱねられてしまった彼は苦笑いを零した。帝王の位まで上り詰めてまだ手に入らないものがあるとは思いもしなかったのだ。
「どうせ、僕のことを怖くないとでも言うんだろ。そうした方が僕の気を引けるだろうからって」
「まぁ、怖くはないですよ。だってそれは先輩が怖いわけじゃないから。いや、むかっ腹がったったくらいでクルーシオかっ飛ばしてくる人間は怖いか……?」
「どっちなんだ」
「俺が怖いのは先輩じゃなくって痛いことと苦しいこと。そんでもって死にかけるまで追い詰められることです。なにせ、生身の人間の肉体なんで」
「神経を触れられれば痛む、と?」
「そらそうでしょ。でも肉体が怯えたとて他の部分では怖くない。精神も魂も、本来うんと自由ですから」
「一理ある」
細い手首に体重をかければレイの顔が痛みに歪む。抵抗するだけ無駄なのは言わずもがな。第二次性徴の兆しすら見えない華奢さでほとんど成人の肉体に相対しているのだ。無理もないことだろう。
「そんなに友達欲しいの?」
「いいや、欲しくない。夢と思い出はいつか必ず愛になる。なれば、この覇道に似合うはずがない」
ここまで来ても手の内に転がってこないのであれば、それはもう今生において不要なもの、という事だろう。酸っぱい葡萄の小話は彼も知るところであったが、今更どうでもいいものでもあった。
彼はレイに体重を半分ほど預けるとその体温の高さに笑みを零した。けれど、その表情をレイには決して見せてやることはない。
「今日の僕は機嫌がいい。欲しいもの一つ君にあげるよ」
「友達以外で?」
「そう、友達以外で」
何がいいかな!と考え始めたレイに更に体重がかかる。さっきまで一応腕で支えていたはずの身体がそのまま伸し掛かってきたのだ。うざすぎる戯れに抵抗したのだが彼は一向に動く気配がなかった。このままでは圧死の危機である。
「ちょ、と……っぱい、先輩。あ、うそ。気絶してる?ふざけんなクソ、重い、暑い、」
何とか酸素だけは確保したレイが彼を叩くもすうすう、と整った寝息。起きる気配がちっともない。元に戻ろうと揺らぐ魂のひずみ。ぴったりと触れ合っていることで手に取るようにわかってしまった。
「なんにも調子よくないじゃんか。嘘つき。普通にきつい癖に無駄に強がるよなこの人」
だったら寝かせてやろう。レイは、彼の頭を何度か撫でて、そうしていつも通り諦めてしまった。
これはきっと、完全に壊れてしまう前の交わり。おそらくは反比例する彼らが最初で最後に友達になる機会だったのだ。
これ以降、彼はこんなにも人間らしいことを言うことはなかったし、レイの内からは彼を拒絶する余裕が消えてしまったから。
対等でこそないものの、彼らの望んだ友情とやらは案外こんな簡単なものだったのかもしれない。
それでも。トムにいずれの日にか隣からいなくなる友達は必要なかったし、レイにも永遠を誓えない友達は同じく必要がなかったのだ。