セドリックディゴリーと蛇の後輩   作:かみさきはづき

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▲2020/9/19 ①

目が覚めたら私室。見慣れたプラネタリウムの天井が今を朝だと告げる。腕の中で眠った記憶はあるのだけれど、毎度私室で目を覚ますのだ。あの人って本当に存在してるかなぁ、と時折不安になるレイである。

髪を適当に括り上げて適当なリボンで飾る。伸ばしっぱなしのこれもだんだんと煩わしいとは思わなくなっていた。他にもざっと身支度をしつつ利き手の甲を見れば例の印。なるほど、確かに現実だったらしい。

 

「……、じゃあまず。王子様に謝りにいかないとね」

 

追いかけるから、といったが大きな蛇にからめとられて約束を反故にしてしまった。レイの親愛なる教師のところへ送り届けたから問題ないと信じているが、心配させてしまったかもしれない。

鏡に映った自分に過不足がないかだけチェックする。帝王様は身だしなみにうるさいタイプなのだ。教師たるものだらしのない格好をしてはいけないと厳命されている。正直めんどくさいが、制服があり、日々のファッションを考えなくてもよいと考えてしまえば案外楽かもしれない。

 

「うーん、絶対先生に嫌味を言われる」

 

レイは蛇を隠すように利き手にだけ慣れぬ手袋を身に着け、スネイプの私室へと向かった。この城に住んで三十年近いレイはショートカットを駆使して彼の先生の部屋へと急ぐ。もしかすると、話はとんとん拍子で進んでいるかもしれない。

しかし、その途中で、レイは因縁の相手と鉢合わせてしまった。

 

「ああ、レストレンジ女史。ごきげんよう。僕急いでるので」

 

この女ときたら面倒なのである。いまだに闇の帝王の娘を生んだことが誇らしいらしいのだ。何年前の話を引っ張ってるんだよ、とレイは正直冷えた視線を投げてしまう。

確かに、オーグリー様はピカイチの魔法力にずば抜けた美貌と行動力を持ち、闇の帝王の右腕としてほかにない活躍をしている。まさに八面六臂。あれをこの世に産み落とせただけで鼻高々だろう。

だからこそ。ベラトリックスはレイの存在からして許せないらしいのだ。彼女は純血貴族の女。清く正しい血を残すために、と苛烈な純血教育を受けてきた彼女にとって一番ありえてはいけない存在がレイになのだ。

女の勘とでもいうべきか、あの時、帝王の命に逆らってでも息の根をとめておくべきだったと彼女の態度に表れている。彼の血さえ残せぬ下民め、と。

闇に染まり多少慣れたがそれでもレイの本質は超絶な穏健派。彼女のような戦闘民族と一緒にされては困る。

 

「急ぐって、どこへ行くんだい?」

「どこにってスネイプ先生んとこ」

 

だからどいてくんない?とレイが睨めばレストレンジの目は好戦的に光った。レイが寵愛を受けている以上、ヴォルデモーの行動に口を出さないだけ。そもそもは彼を誑かすレイを今すぐにでも殺してしまいたいと思っているのだ。

それに、彼女の中にはこれが死ねばまた正しい状況に戻るかもしれない、という狂信もあった。

 

「なんだよ、レストレンジ。僕を昔なじみの看守にでも突き出そうっての?なんにも悪いことしてないのに。それともここを通るのには先生のサインがいる?今書こうか?」

 

レイは身を守るために杖と薬瓶を取り出した。ないよりましの武装である。ベラトリックスの魔法といえど一発ぐらいなら防げるし、いざとなったら鉄壁の守り薬を自分の周りにまくことくらいわけないのである。時間さえ稼げれば先輩が助けてくれる可能性がぐっとあがることをよく理解していた。

 

「随分と好戦的だねぇ?」

「そのさぁ、悪意と敵意盛り沢山なのやめてくれる、おばぁちゃん!」

 

わざと煽れば放たれた無言呪文。先に手を出したほうが悪いんですぅ!とレイは心の中で舌を出しつつそれを相殺しようと自分の出力目いっぱいで武装解除を唱える。

 

「ステューピファイ!」

 

渾身の一撃として放たれたのは真っ赤な光。その瞬間、レイは困惑する。あれ?俺の魔法がこんなにまぶしかったことある?と。

そのとき杖を持っている右手の甲がピリと痺れていることに気が付いた。そして、今の魔法がやはり自分の持ち物でないことを悟る。どう控えめに考えても彼の思惑が働いているのだろう。そうとしか思えない。

やだー、と小さく口にしつつレイはベラトリックスの様子を伺った。まさかここまでの高出力で魔法をかっ飛ばされると思っていなかった彼女は面白いほどにすっ飛んで柱にひびを入れていた。学校の柱なので総石造りだ。気絶から戻るにはそれ相応の時間がかかるだろう。完全勝利の余韻にレイが思わずガッツポーズをしてしまうのも無理はない。

 

「そもそも、永遠を約束されていない哀れな立場でこっちに突っかかってくる方が間違ってんだよ」

 

鼻で笑ってみる。それでも目は冷めない。僕が僕に愛されるのは当たり前のことだろうに、外野が何を粋がっているんだか。同一なんてもってのほか、同質にすらなれないのに哀れなものである。

レイは自分でも理由がわからないのに心の底から湧いてしまったくすくす笑いをやめて、いつものキャットファイト、を観戦していたつもりのギャラリーに向き直る。謎の拍手に丁寧なお辞儀をしてからローブを翻した。称賛を浴びる立場になることは稀であるため悪い気はしない。

魔法使いって楽しいな!と調子に乗りかけたが、レストレンジが気絶している今しかチャンスはないだろう。えーい逃げろ!オーグリーにばれる前に!そう意気込んで颯爽と犯行現場から逃走したのだった。

 

「っはぁ!はぁ……せんせっ、すこーぴうす、っはぁ!つかれた、四十路の全力疾走きっつい、っはあ、あぁ…………、ひぃ……」

「何をしでかしたか素直に言ってみろハセオ」

「ベラトリックスレストレンジすっ飛ばしてやりましたよぉ!はぁ!超気持ちいい!」

 

きゃっきゃ、と学生時代の笑顔そのままに騒ぐ四十路の頭頂部に拳骨を落としつつ、私室へ招き入れた。香り良い薬草とハーブティ、あと完璧に調合された薬の香りとが混ざり合って途方もなく心地よい空間。それがレイにとってのスネイプの私室だった。

久方ぶりに訪れたそこは、何も変わっていない。黒板を滑る白墨の音はいつまでも聞いていることができるし、大鍋をかき回す規則的な薬さじの音も心を癒やす。

全てがおかしくなってしまう前みたいでレイの心が軽くなった。もしかして、ここだけはあの頃のままなのではなかろうか。だって、自分はここを穢していないから。柔らかく笑って、レイは昔に戻りそうになった。けれどそれは腹立たしい女の鳴き声に遮られる。

 

「セブルス!どうしてこいつを部屋に入れたんだ!」

 

くしゃくしゃの髪。醜い表情。全部が全部レイを苛立たせる。存在そのものが害だ。だから、レイは見なかったことにした。その方が心に良い。

 

「よかった、スコーピウス無事だった。昨日は約束破っちゃってごめんね」

「こいつは闇の帝王の情っ」

「シレンシオ」

「んっぐ!?」

「おあああ、すごぉい……魔法、すっごおおい、」

「レイ、グレンジャーは確かにうるさい女だが、このままでは永遠に静かになってしまう。今すぐやめるんだ」

「はぁい」

 

子供のいる前でそういう話はしないでほしいな、といまだ赤い瞳でねめつければ今やあのグレンジャーすら黙らせることができた。今の俺は恐れ知らずのレイさんだい!

とはいえ、これの代償がどんなものなのかは一切知らないので簡単に使うのはやめることにした。普遍的な物語世界に蔓延る定理は三回くらいを謎の力で行使できる魔法の限界と定めていることが多い。それゆえにレイはあと一回はとっておき、として取っておくのがいいだろう。

 

「お前!ハーマイオニーに何した!」

「いたんだ、ウィーズリー」

「レイ先生、大丈夫だった?」

「うん。怖い思いさせてごめんね、スコーピウス」

 

今日の予定は?そうレイが問えばスコーピウスは口を開きかけて言いよどむ。昨日、闇側であるというカミングアウトがあったのを思い出したのだろう。素晴らしく賢い子だ。やっぱりスリザリン出身者はあのバカたちとは違う。

 

「スコーピウス。こいつはいい」

「でも、」

「どうせ見られてるんだろう」

「えへへ、当たり。でも、今日までは。今日までは愛しのお星さまの可愛い後輩だから」

 

レイが愛しのお星さま、と呼ぶ人間はただ一人。真っ黒に染まったレイの最後に持ち合わせた良心。彼を守護するアミュレットの存在意義だ。

 

「先生。それで許してくれる?」

「許すも何も我輩は好きにしろといったまでだ」

 

レイがチョーカーに触れると右手が恐ろしく痛む。とんでもない圧力がかかって潰されたみたいな激痛。それでも、この程度ではレイの心を動かすだけの痛みにはなれない。

ただ、こんな風にされてはつぶらな目をしたあの子が可哀想だ、と思い直し手を離した。

 

「君が元の世界に帰るための手伝いをさせてほしい」

「……全てはスリザリンなれば?」

 

スコーピウスが戸惑いがちに口にしたそれはこの師弟にとって最もなじみ深い言葉。最近とんと聞いていなかったけれど。それがあるだけで、レイにとっての優しい世界に戻れる気さえした。

 

「「そうとも」」

 

スコーピウスを筆頭にスネイプ、レイ、ハーマイオニーにロンという風変わりなパーティは禁じられた森に向かう。お尋ね者たちもレイの作った認識阻害薬の効果で姿を消しているため悠々と校内を歩くことができた。これもレイの画期的な発明である。

ディメンターは人間の魂が放つ熱、すなわち生命エネルギーに引き寄せられる性質を持つ。光に寄せられる羽虫のように。であれば魂側にマスキングをしてしまえばいい。少し寒く、不幸な気分になるが本吸魂鬼に襲われるよりは随分とましな心地だろう。その副作用として人間にも認識されづらくなるのだ。まさに一石二鳥である。

 

「用法容量を守れば怖い薬じゃないよ。容量を守ったら十分位が限界だけど」

 

久しく校内なんて歩いていなかった二人は懐かしの校舎の変わりように顔をしかめていた。それでも、そこにいちいち気をとられている暇はない。五人は早々に禁じられた森へと抜けていった。

それを見つめるピンクのリボンを結んだ平面子猫がいることも知らずに。

 

「でさ、スコーピウス。今から何すんの?」

 

まるで同級生に話しかけるみたいな気軽さでレイは問うてくる。確かに緩やかな雰囲気を持った人ではあったがここまでフラットだったかな、とスコーピウスはその空気感に疑問を持った。

けれど、違和感の正体をつきとめるよりも先に話さなければならないことがあるのも確か。スコーピウスは昨晩立てた作戦をレイに伝える。

 

「おっけー。って言ってもおそらくはへちゃむくれ猫の飼い主が出張るだろうし僕は見てるだけでいいよね?一回目も二回目も自信ない。魔法そもそも得意じゃないしさ」

「え、先生魔法下手なの?」

「その反応……向こうの僕って魔法上手なの?」

 

え~いいな~。と杖をばたつかせるレイである。教職者としてあるまじき魔力具合なので、万年助教授なのだ。どんなに研究ができてもホグワーツの教師としての技量にはまるで足りていない。

それこそ教師としては高齢になりつつあるスネイプがいまだ教鞭をとっている程度には。

 

「最近は多少ましになったけど、それでもからっきし」

「でもさっきは完璧なシレンシオ使ってたよ」

「あー、あれはラッキーだっただけ」

 

もう一回くらい奇跡的に完璧な呪文見せられるかも。ぱちんとウィンクまでしてみせる。その姿をみてスコーピウスは考えを改めた。彼はやはり、自分が知っているレイとは少し違う人なのだ。よく似た他人、と認識しているくらいでちょうどいいのかもしれない。

 

「先生は、今までどうやって、」

「この世界で生きてたかって?そりゃ……」

 

レイが何かを言いかければチリリ、うなじの毛が逆立つ。グレンジャーからの殺気だ。あぁ。うん。そうだねぇ、何人も何人も。俺の大事なお星さまに意地悪言ったお前らの友達捕まえてモルモットって呼んだっけねぇ。

憎悪と嫌悪が勝手に湧き上がる。けれどそれをなかったことにした。どうせこの後、こいつらも終わりになるのだ。心を割くだけ無駄だろう。

 

「普通に、スリザリンらしく」

 

柔く笑ったつもりだが、どうだっただろう。子供は誤魔化せないものであると理解している。でも、わざわざ今言うことでもない。今はまだあの優しい人の後輩だ。ポケットの中にはスコーピウスに託すべき物語の終わりが息づいている。

五人がたどり着いた森の中。熱気も熱狂もない静謐な場所だ。あの日、ここにドラゴンが存在しただなんて信じられないほどだった。

 

「記憶が正しければこの辺だったと思うんだけど」

 

丁度十分。レイの作った薬の効果が切れてグレンジャーとウィーズリーの姿を認識できるようになる。それと同時にあらかじめセットしておいたタイムターナーを起動させた。

かざした手は光の中に飲み込まれる。

レイは思う。書き換わるのはあくまでも、このスコーピウスがいた現実にすぎない。だったら。こちらは彼らにとっての剪定すべき分岐点なのだろう。

けれど、時間は紡がれた一本の糸。絡まりを解いて正す、なんてそんな大それたこと、本当はできるはずがないのだ。

 

『セドリックディゴリー!』

 

時をかけたことによる衝撃で、世界が曖昧に揺れている。そんな中一番に耳に飛び込んできたのはルードバグマンの声。その音が意味するのは懐かしい名前。

途端に頭の中の靄が全部晴れる。自分が誰の後輩で、なにが大切だったのか。本当の永遠を思い出す。黄色と黒の光る星。右から二番目。それはすっかり忘れていたネバーランドの物語。

今はまだ自分を知らない、あの笑顔。

 

あぁ、セド先輩だ。大好きな先輩。きらきら輝く俺のお星さま。気を付けて!ドラゴンは危ないよ。でも、知ってる。その卵が俺の運命を変えたんだ。あなたがどれほど勇敢で素晴らしいかを知ってる。

心が満たされそうになるたびに右手が痛んだ。ごめん、ごめんて。これは確かに彼にとっての明確な不義理だ。

でも見に行っていいって決めたのはゴーント先輩でしょ。だから、お願い。今この瞬間だけは。

 

「えへへ、がんばれー!セドせんぱーい!」

 

間違った未来へ繋がった武装解除を解除して、世界は闇の中に戻る。はじき出されたウィーズリーは何事かを喚いていたけれど、どうでもいい。

それに、認識阻害薬の効果がない状態でそんなに叫んだらどうなるかわかってるだろうに。本当に愚かだな、とレイは彼に侮蔑の目を向けた。

 

「セドリックは杖を取られなかった。うまくいった。しかし、こんなに早く時間切れになるとは……これでは丸見えだ」

 

辺りの気温がぞっとするほど下がる。愛に守られたレイには関係のない話だが、彼らは違う。レイはそっとスネイプとスコーピウスの側による。先生の愛に守られた自分が近くにいれば多少はマシになるだろう。

それに、だ。グリフィンドールの二人は超の付くお尋ね者。ディメンターが優先的に狙うのはあちらだ。知恵があるわけではないが、闇の帝王に使役される立場となった彼らは多少の分別がある。お尋ね者と天秤にかけて名家の子供に手を伸ばすことはないだろう。

 

「手遅れか」

 

スネイプの声にハーマイオニーが返す。それはあまりに勇敢なグリフィンドールらしいもの。まるで、そういった演目を見せられているみたいでレイは薄ら寒い心地にすらなる。

 

「奴らが追っているのは私だ。貴方たちじゃない。逃げて。ロン、愛してる。最初からずっと。でも四人で逃げて。さぁ、早く」

「でも、俺はその愛の話がしたい……!」

 

見るに堪えない愛の茶番。慌てて口元を抑えた。これなら笑ってしまったことがバレないだろうか。まったく困ったやつらだ。時間がないのに冗長な三文芝居なんざみせやがって。

この世界に身を浸してしまった弊害か、はたまた彼の性根がそうであったのか。誰にも分らないことだったが、レイは自分の愛するもの以外は心の底から興味がなかった。死のうが生きようがどうでもいい。大切なものに危害を与えなければ。冷え冷えした赤い瞳。その双眸はとうに彼らのことなんて見ていない。

でも、普通はそうじゃない。人の死の眼前にして、そんな意地の悪いことを思わないものだ。この感情の動きもスネイプ先生には明らかに露見しているのだろうけれど、スコーピウスだけは誤魔化さなきゃならない。

 

「尊い犠牲を払ってもらったんだ。僕たちは先に進まなきゃならない。いいね、スコーピウス。ほら、先生と先に走って!」

 

スネイプに袖を引かれ、ためらいがちにスコーピウスは先へ進む。レイは一度だけ振り返ってからにっこり笑った。

ディメンターは彼らに覆いかぶさり、その魂を蹂躙する。浮かび上がった体。満ちることを知らない彼らに貪り尽くされるのだろう。その絶望がどんなものかレイは知らない。そうして彼らに犯された魂は死ぬことも生きることも許されない、餓鬼になり果てる。救済の光は終末の楽団が来たとて望めないだろう。

 

これでようやく。声すら上げてくれなかったポッターの一味が死んだ。途方もなく嬉しくて心がとける。

四人目の代表選手に選ばれた時、アイツの心配を一番にしたのはセド先輩だった。公平で、公正。清く正しいハッフルパフの優等生。第二の課題だって、先輩がいなければ散々な結果になっていただろうに。

レイの心が過去の闇に浸る。柔らかい場所がサメ革ですり取られるみたいに血が滲んだ。今なお燻る憎悪がまたレイを包む。

あの第二の課題の後。アイツは何もしなかった。他の奴らみたいに先輩をあざ笑うことこそなかったけれど、目を背けた。お前が一声かけてくれれば世界は違ったかもしれないのに。お前たちにはその力があったのに。どうして、どうして、どうして?

 

「あは、ま。もういいか」

 

みんな死んでくれたし。

右手の蛇がまた熱くなる。今度は痛みではなく優しく慰めるような優しい熱。

レイはスネイプとスコーピウスを追った。決して走らず、けれど嬉しくって、踊っているように。

軽やかな足取りでようやく二人に追いついたとたん、あたりの空気が凍っていることに気づいた。この気配はディメンター。先生と可愛い後輩を襲うなんて許せるわけがない。

レイが苛立ちを見せれば影たちは揺らぐ。闇の主の似姿を見て深き闇の生き物たちは彼の側を離れた。しかし、それが逆効果だったのである。標的を失い、無限の空腹を満たすことのできない理性なき餓鬼は、闇の香りがしない子供に手を伸ばした。

 

「ちっ、」

 

守護霊の呪文が使えないレイは爪を噛むしかない。また、この場では不適切と判断したのだろう。スネイプも彼らに呪文を放ちはしなかった。

 

「何かで頭をいっぱいにするんだ。愛する者のことを考えろ。誰かひとりのこと。一人でいい。私はハリーを救いたかった。リリーのために。それが叶わなかったから、今は彼女が守ろうとした全てのものに忠誠を尽くしている。お前は誰のために戦っているんだ」

「……っ!アルバス。アルバスのためだと思う」

 

ディメンターに離された瞬間、とさりとスコーピウスは尻もちをつく。それに駆け寄ったレイはポケットの中からチョコレートをひとかけ取り出した。

抱きかかえられ、含まされたチョコレート。それに、レイから感じる淡いコーヒーの香りと柔らかな体温。心地よくてスコーピウスは、ほう、と息がつけた。

 

「スコーピウス。怖かったね。ほら、お口開けて」

 

彼の口に入れたのは生徒たちに渡していたレイ特製の対ディメンター用チョコレート。魂を保護するための特殊な薬をコーティングした逸品だ。噛砕いて呑み込めば、あっという間に指先まで暖かくなる。

これは彼らが人間の子供に危害を加えるのだけは許せないレイのとっておきだった。チョコレートもろとも薬を嚥下すればスコーピウスの頬に赤みが戻る。それを確認して彼を立ち上がらせた。

 

「行けるね?」

「っ……うんっ!」

 

湖まではあと少し。怖がりなスコーピウスにとってこれは、間違った未来を消すための聖戦だ。恐ろしいことも助けがあれば乗り越えられる。この場において一等何も持っていない彼はそう信じるよりほかない。

しかし一難去ってまた一難。諺というのは予言みたいなところがある。古来より窮地というのは連続して押し寄せると相場が決まっているのだ。

 

「スネイプ先生、レイ!」

「アンブリッジ校長」

「あーらら。こんなじめじめした場所でどうしたんですか?カエルのお友達と同窓会?」

 

現れたるはアンブリッジ。この場に似合わぬ大物の登場にレイがつい紳士的な口をきいてしまうのも仕方がないだろう。

 

「その口、慎みなさいレイ。素晴らしいニュースが入ったんですよ。もう聞いたかしら?穢れた血の反逆者ハーマイオニーグレンジャーを捕まえたのよ。すぐそこで、」

「それは素晴らしい」

 

スネイプは彼女を躱そうと話を切り上げる。しかし、それを逃がさないのがこの抜け目ないガマガエルだ。いやらしい目つきでスネイプをねめつけた。

 

「一緒だったわよね。グレンジャーと貴方」

「私が?何かの間違いでしょう」

「それとスコーピウスマルフォイも」

 

ぎくり、明確に体を強張らせる可愛い後輩にレイは笑いそうになった。そんなんじゃキミ、社交界でやっていけないぞ。

とはいえ、この場で笑い出すわけにもいかない。口を一文字に引き結んで様子をうかがうことにした。

 

「ドローレス、授業に遅れるので我々はこれで失礼させて……」

「ならなぜ学校とは反対に行くんです?そっちは湖ですわ」

 

えへん、だか、うふんだか謎の吐息を漏らしたアンブリッジはスネイプに杖を向けた。で、あれば。この女はレイの敵である。それが分かれば十分だ。

それに、いくら口癖がオーグリー様にいつけますよ、であっても。レイの後方で先輩面をしているのはそのオーグリー様よりも上の人間だ。彼女に危害を加えたとて彼なら許してくれるだろう。なにも殺そうってわけでもないので今回ばかりは笑って許してほしい。

 

「はっはっは。乗っかる馬を間違ったな、ピンクカエルのおばちゃんよぅ」

「なんですって?」

「あー!まどろっこしい!行くぜ、ガマガエル!」

「は?」

「ふ!き!と!べ!」

 

レイ渾身のデパルソ。同じ魔力を持ってレダクトを放たなかったのはレイなりの配慮というやつだ。ついでに懐かしい思いをしてほしくって、かつてイタズラ双子がかましたというバンバン花火もぶちまけてやった。最も、レイはその事件が起こる前に自主退学をしていたもので現場に居合わせることはできなかったのだが。

けれど、あの派手な双子のやらかしだ。おおよそこんなものだろう。彼らとつるんだ記憶は懐かしくも愉快だ。まだこんな風に思い出せるものがあったなんて嬉しくなってしまう。

 

「一回やってみたかったんだよこれ!!いい、スコーピウス。大人ってのは時には上司に殴り掛かる勇気が必要だよ」

 

納得できないことには納得できないって言おうね!と妙なテンションのままこちらの手を握り、あまつさえ小躍りを始めたレイに圧倒されるスコーピウスだ。

スネイプはスネイプで双子式バンバン花火に追撃をくれているし、やはりあの蛙に思うところがあったのだろう。そのくせお前がやったんだろとでも言わんばかりの顔でレイに責任を振ってくるのだから相変わらずの人である。

 

「心底ありがたいがね、これで後戻りはできない」

「する気なかったでしょ。先生」

 

踏み出した一歩は、ありえないはずの未来を繋ぐための物。レイには大好きな先生が考えていることも手に取るようにわかった。そして、それを他人がなんと呼ぶのかも。

結局。自分たちがスコーピウスを元の世界に返したとて。愛しい誰かに会うことはできない。彼が元に戻すのは自分たちに必要な過去、ではないからだ。リリーはハリーのために死ぬし、正しい歴史の中ではセドリックもまた彼のために死ぬ。自分と彼の傷はそんなところまでそっくりになってしまった。決して助からない命を、戻せない過去を。自分たちほどよく知った人間もいない。

スネイプの抱いている情こそを、愛と呼ぶのだろう。尊くて、優しくって、正しいもの。全部全部、自分がなくしたものに他ならない。最後の最後で、同じになれなかった。それがどうしようもなく嬉しいのだ。だって、こんな思いをするのは自分だけで十分にすぎる。

 

三人、森を抜ける寸前。また一段と気温が下がる。それに気づいたのはスネイプだった。

あぁ、どうして。ここに幸せな欠片なんて一つもないのに。そんなものがあるのなら見せて欲しいほどなのに。いっそ胸を開いて赤いだけの心臓をさらしてやろうか。ここにはもう何もないのだと、示したら彼らは去ってくれるだろうか。

 

「さがりたまえ、ハセオ」

「っ!」

 

スネイプの声にレイの足が止まった。彼はレイとスコーピウスの前に立つ。立ちはだかる脅威に、子供をさらしてしまわぬように彼らを隠した。

 

「エクスペクトパトローナム」

 

スネイプの杖先から立現れた守護霊。静かな炎がディメンターを焼いた。彼の放つ守護霊の呪文は世界で一等美しい呪文だ。優しくてて強くて、暖かい。

見たことは幾度もある。けれど、早々に闇に落ちてしまった自分にはもたらされなかった祝福だ。レイの中の魔力と幸福な記憶ではあの魔法に行きつくことは天と地がひっくり返ってもない。

 

「ついにできなかったなぁ、それ」

 

よく見ておいで、スコーピウス。彼を促せばおずりとその暖かな存在に近づく。触れることはできないがその側にいるだけでもあの恐ろしい吸魂鬼の脅威から逃れることができるのだ。

 

「雌鹿……?リリーのパトローナスだ」

「不思議だろう。心の奥底から湧いて出てくるものは」

 

レイはそっと後ろに引いた。美しい雌鹿の炎はもはや闇に飲まれたレイには毒となる。チョーカーがきゅうと喉を絞めて、愛の守りが緩やかにレイの命をレイをいう闇から守ろうとするのだ。

でも、そんなこと知られてなるものか。俺は先生のオキニちゃんなのだ、どんな形になってしまったとしても。最後まで、先生の可愛い生徒で、才能ある弟子で居続けてみせる。

 

「行け、こいつらは私ができるだけ引き留めておく」

「「ありがとう。暗闇を照らす光になってくれて」」

 

レイとスコーピウスのユニゾン。そんなつもりはなかったのに揃ってしまったそれがなんだかおかしくって。三人でくすくす笑ってしまった。

一つずつ、諦める。大切だったはずの何もかもを取り落とす。あの人はその時間をこんな風にくれた。悪趣味と言うべきか、最後の慈悲と言うべきか。レイにはわからない。

 

「さぁ、いくよ。スコーピウス」

 

レイは左手でスコーピウスの手を引いた。この希望の子にはかけらでもあの人の意地悪を触れさせたくなかった。

 

「レイ、スコーピウス」

「寮のため、友のため。俺たちは大切なものを守るために走れる、怒れる、強くなれる」

「すべては、スリザリンなれば」

 

俺なんか愛してくれてありがとうございました、と。言葉にしたらダメだった。こらえていた涙が溢れてしまう。泣き虫に戻ってしまう。あんなに何でも我慢できたのに。

 

「スコーピウス。アルバスに伝えてくれ。アルバスセブルスに。私の名前が付けられたことを誇りに思うと」

 

レイは深く一礼をして走り出す。スコーピウスの手を引いて。

 

「さぁ行け。行くんだ」

 

ねぇ、先生。次会ったら俺のこと叱って。そんな風に口が動いた気がするけれど、音にはならなかった。

スネイプはその背に手を振る。最期に見えた涙輝く瞳は、こげ茶色。揺らいで光る本物の色。

 

「リリー」

 

そっと、側に立ったパトローナスに一つ礼をする。彼女が走り去るその対流に強くも甘い百合の香りを見つけて微笑んだ。それが自分の勝手な思い込みだったとしてもいいのだ。もはや、問題ではない。

 

「さぁ、連れていけ。どこへなりとも」

 

ディメンターがもたらす絶望。それを鼻で笑った。もっと暗い場所を知っている。この程度、かつて嵌まった深みで飲み込んだ汚泥の味わいには到底及ばない。

この身一つで守れるものがあるのであれば。彼に抱いた愛もまた事実。ゆえに光の中へ、と願ってしまうのだ。

 

「あぁ、永久に」

 

君が幸せであるように、と。

手がかかる困った生徒。

才能あふれる魔法薬学の申し子。

かわいい、かわいい、僕の後輩。

 

 

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