セドリックディゴリーと蛇の後輩   作:かみさきはづき

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▲2020/9/19 ②

森を突っ切れば湖までの距離はそうない。

涙にぬれたぼろぼろの顔でレイは最後の支度をする。ポケットから取り出したのは鰓昆布。ひどい記憶の再現に手が震えるけれど、あれが起こらなかったことになるのであればこの記憶すら消してしまえる。

 

「いい?君がすべきことはちゃんと覚えてるね?」

「レイ、スネイプは、」

「かっこいいでしょ、俺の先生」

 

スコーピウス。ああいう大人になるんだよ。大人になることを否定して拒絶して、一人で地団駄踏んでる人間になんてならないこと。友達と手を繋いでいること。間違ってることは間違ってるって言っていい。

震えるスコーピウスを抱きしめる。大丈夫、と宥めて作戦をもう一度彼の頭に叩き込んだ。

 

「大丈夫。君ならできる。絶対大丈夫」

「っ、レイは、レイはどうなるの!?」

 

こんな時でも誰かの心配をできる彼に驚く。仲間思いもここまで行くと天使。ドラコ、ここの君じゃないけど子育て大成功だよ。こんなに優しい子見たことないもん。

 

「僕はもう大丈夫だよ。スコーピウス。だって、君が現れた」

 

こんな悲劇に陥らない世界を君が提示してくれた。ハリーポッターは生きていて、闇の帝王は死んでいる。僕は先生になれるくらい魔法が上手で、セドリックを待ってる。おんなじ待ってるならそっちのほうがずうっといいや。

 

「僕にはそれだけで十分」

 

だって、何人苦しめたと思う?何人殺したと思う?最初は彼に会いたい一心だった。この感情を利用されていることも完全に理解できていた。

それでも、もう一度を提示されたら。蘇りの石なんて伝説級の魔法具の効果を見せられたら。信じるしかなくなった。

会いたかっただけなんだ。もう一度、名前を呼んでほしかったんだ。レイって、はにかんでほしかった。笑っていてほしかった。あの人が幸せになってくれれば俺はそれでよかった。

ずっと、ずっと。黄昏の中で。

けど、もう。思い出せない。だって、名前すらもあやふや。どんな人だったっけ。とっても素敵なお星さまだったんだ、先輩は。だからきっともう、俺を大切な後輩だとは思ってくれない。

心を砕くたびに、大切なものから零れていった。どこで間違ったんだろうね。あぁ、全部か。もう少し、人間を好きでいられたら違ったかな。もう少し誰かを頼れたら変われたかな。難しいんだよ、それって。でも、きっと今より簡単だった。

俺にとって、これはもう考えても仕方がないこと。だってもうここは全部終わった世界なんだから。

レイが心中をスコーピウスに開示することはなかった。もうなにが本当だったのか曖昧なのだ。おかしなことを口走って彼を困らせる前に、全てを終わりにして欲しかった。

 

「でも、でも……!」

「でも、は男の子が使う言葉じゃないよ」

「レイは友達を守った、そうじゃないか!」

 

スコーピウスの言葉にレイの笑顔が固まる。言われたことは理解できるのに、それに納得することはできなかった。

守る、とはいったい何を示すのだろう。悲しんでる友達に寄り添って闇に引きずり込むことだろうか。自分のために誰かを殺させることだろうか。あんな顔をさせた自分が、守ったなんて言葉を使っていいんだろうか。

 

「守った、守ったかな、そうかなぁ」

 

これは一方的で、過激なまでの思い込み。誰より優しいあの人は自分さえ居なければ闇には墜ちなかったかもしれない。彼を巻き込んでしまったのは自分かもしれない、という重責。いまさらとれる責任でないことはわかっている。

 

「優しいから傷ついたんだ。その傷に誰かが意地悪な言葉をかけたんだ。僕は怒ってる。レイを傷つけた誰かに、今すっごく」

 

それは自責を他責に変えていいという甘言。何も知らないところから突然やってきて、君のせいじゃないよと言ってのけた無責任な言葉。その優しさがどこまでも鋭く、レイの心を貫いてしまった。

 

「どうして……君は俺の欲しい言葉をくれるの?」

 

彼の言葉にスコーピウスは、はっとしてはにかんだ。

 

「それは、僕に優しい言葉をくれた大好きな先生がいるから」

 

スコーピウスの言葉に闇にさす光を見た。こうなりたかったと思ってしまった。ずるいずるいと羨んだ。俺もそれがいいと駄々をこねる。やさしくて、きれいで、みんなにあいされてて、それで、俺の話を聞いてくれるから先輩はいじめられないで済むんだ。そんなハッピーエンドがほしい、いますぐ、今すぐくれよ、その未来、ねぇ!ねぇってば!

何十年も誤魔化していた。自分の深層に押しやっていた。レイが一番聞きたくなかった言葉。一番否定したくなかった自己。ぎりぎりで保ってきたはずのそれがついにレイの魂に噛みつく。

 

「本当は自分のことなんか大嫌いだ」

「え?なんて言ったの?」

 

自分にしかわからない言語は自分を傷つけるためだけに発された。そうして、レイの最後の魂が砕ける。黄色と黒。大切だった誰かの笑顔。唯一、ほんの少しだけ残っていた美徳。

これでもう、何も考えないで済む。それは随分と遠回りで大掛かりな自己の破壊だった。

壊れてしまったレイはありえないを口にできる。もう、できないことを口にしちゃいけない、なんて思慮は消え去ってしまったから。スコーピウスにありがとうも言えないままに。レイの心は闇に沈む。

 

「魔法薬学すら裏切った俺の、最高傑作」

「裏切ったって?」

「奇跡でもいい。ううん、奇跡がいい。もし君が先輩に会うことがあったらこれを渡してほしいんだ」

 

昨日作った最後の夢。自分には起こらなかった奇跡。願っても祈っても一つも変わらない現実。そこに入り込んできた優しいだけの子供。この手を取ることはできないけれど、これを上手に使うことは今のレイにだってできる。

 

「先輩、セドリックってことだよね?」

 

その名前に光が注ぐ。小さな中庭、天使の梯子が下りるのを見たあの日みたいに。自分ではない誰かが名前を呼んでくれないと、もう思い出すこともできない大好きな人。

 

「そう!そうだよ!セドリックディゴリー!あの人はねぇ、呆れるくらいのお人よしだから、レイが飲んでほしいって言ってたよ、って言えば簡単に飲んでくれると思うから」

 

名前を口に出せばとたん、消えかけていた景色がよみがえる。しかし、それは刹那。右手の蛇はまたレイの記憶を飲み込んでしまった。

 

「セド先輩に、渡して」

 

優勝するなと言えないのなら。時の流れを変えてはいけないのなら。ちょっとだけいたずらをすればいい。一回分だけ運命をずらす。反動と痛みで気絶しているうちにハリーが連れ帰ってくれるはずだから。

半ば無理やり薬を握らせて、その手ごと包み込む。緊張で冷えた少年の手。興奮で体温が上がった自分とまるで違う、白くて美しいその指先。

スコーピウスの何もかもが今のレイにとってはずるい持ち物に見えてしまった。

 

「お願い、スコーピウス」

 

ちがう、ちがう。俺なんかどうでもいいから、先輩を助けてよ。あの人が褒めてくれないなら才能なんていらないよ。俺を残してどこかへ行かないでよ。先輩。だいすきなだいすきな、俺の友達。お願い、お願い、おねがい!

俺を置いてかないで。

 

「っう……」

 

彼のことを考えるたびに右手は痛みを増す。いいよ。潰れちゃいなよ。もっともっと、ひどいこと。俺は沢山したでしょう。

レイはチョーカーへ手を掛けた。触れれば身の内に宿る呪詛がすっと、なりを潜める。爆発しそうな心の内をどうにか押し留めてスコーピウスの前でそれらしいことが言えた。

 

「先生がくれたアミュレット。これがなきゃ僕は声すら出せない。でも、これにはスネイプ先生の加護があるから、これを外さないと身代わりになれない」

 

俺はちゃんと知ってるんだからね、先生。優しいんだから本当にもう。これは先生なりの愛だから、あの人にすら外すことができなかった。

 

「さ、いって。スコーピウス。俺は守護霊の呪文使えないからさ」

 

 

まだクリアな思考。今ならまだ大丈夫。取り繕って、スコーピウスが俺に重ねている『先生』でいられる。スネイプ先生、ごめんね、迷惑かけて。最後の最後まであなたに頼ってばっかりだ。

湖のほとり、ぞぁりと沸いたディメンター。このくらい俺が引き受けてあげるよ。

 

「楽しいこと、幸せなことだけ考えて、スコーピウス。そしたらきっとどこまでも飛べる」

 

鰓昆布の効果が出て、湖に潜る直前のほんの一瞬。タイムターナーの揺らぎに巻き込まれる中で、黄色の星が見えた。多分勘違いだ。でも、スコーピウスは本当に。あの瞬間のレイの笑顔が一番綺麗だと思った。

レイは左手でボタンを外す。けほ、と咳一つ。それ以上は音も声も出ない。ばいばい、と手を振ってスコーピウスが湖に消えるのを見送った。

手から落とせばアミュレットの効果は完全になくなり、久しく感じていなかった途方もない寂しさがレイに圧し掛かってきた。何の対抗策もなく、ただディメンターに襲われれば歯の根すら合わない。

でも、不思議と嫌な感じはしなかった。ただ、何か大切なものだけが幸福として吸い上げられてしまう。粉々の魂に映る誰かの姿。最後に結ばれた虚像にレイは微笑みかけた。それがどちらの色をしていたのか。すぐに分らなくなってしまう。

 

「せんぱ……」

 

気を失う前。あの夢の中。

俺が欲しくてたまらなかった永遠の黄昏。

ローブを翻して二人。

さむい、さみしい、かなしい、

どこにもいかないで、

おいていかないで、

ひとりじゃいきていけないよ。

 

▽▲▽▲▽

 

「おかえり、レイ」

 

ディメンターを散らして彼はレイを救う。吸い上げられ喉元まで出かかった魂を押し戻せば、ごく浅くではあるが胸が動き始める。

手袋を外せば慎ましかったはずの蛇は右手首から先をすっかり覆い、彼が誰のものであるかを主張しているようだった。

 

「小さな裏切りの代償だけど、よく我慢したね。えらい子だ」

 

彼はほとんど潰れてしまっているレイの右手も元通りにしてやった。骨は砕け、カも入らないだろうによくまぁやり遂げたものである。

 

「それにしても最後の自由、ちゃんと楽しめたみたいでよかった」

 

もう二度と外へは出さない。

初めて欲しいと思ったのだ。その呼び名が。リドル、でもトムでも、ましてやヴォルデモーでもない。ゴーント先輩なんてありえない名前が。

人さし指の先、わざと傷をつけて誓いを立てる。そうして、独りよがりで身勝手なそれをレイの口に押し込んだ。

意識なんてないくせに、長く側に居たことですっかり慣れてしまった彼の口は、ちうと可愛らしくその血を取り込む。

その代わりに彼はレイのいまだ生っぽい、痛々しい首の傷を爪の先でほんの少し裂いた。ふつり、浮かんだ喉元の赤。それを舐めとる。

 

「はは、血液から君の魔力を取り込むなんて何年ぶりかな」

 

深い闇の魔術に傾倒する彼すら気づかぬ魔法。情と魔力をまぜこぜにした古い古い魔法がいつしか二人を混ぜてしまった。

レイには瞳の変容と冷徹さを。彼には黄昏の容姿と執着心を。情が混じり、血が通い、そしてついには肉体を得た。これを愛と呼ばずしてなにと名付けよう。

薄く血の滲む首を指でなぞった。ベラトリックスの与えた傷は癒え、代わりに同じだけの蛇の文様がレイの首元を彩ってしまう。それで一つ、彼の心は満たされた。あの陰険な教師のお守りはもうない。

全て、うまくいった。何もかも掌の上。レイの発狂は想定外だったけれど、ちょうどいい。

ダンブルドアの残党狩りと別世界から来た不穏因子の排除。ついでにレイの最後の心の砦も壊してしまえた。おかげで自分と過ごした以外の幸せな記憶を吸い出してしまうのは本当に簡単な作業だった。

 

「たくさん泣かされたんだね。可哀想に」

 

彼はレイを横抱きすると瞬きの間に二人の談話室に姿を移した。目が覚めた時に暗い湖のほとりだなんてあまりに悲しい。暖かくて美しい談話室でなくては。

 

「あぁ、もう一つやることがあった」

 

彼は魔法でレイの姿を十五歳のそれに固定した。十七歳の姿となった自分と釣り合うように。それは欠けたるところなき闇の帝王にとっては造作もないことだった。

レイはこれも魔法薬で調整しようとしていたけれど理論さえわかってしまえばこちらのもの。彼は今世紀で最も偉大なる闇の魔法使いだ。理解できた以上、行使できないはずがない。

くすんでいた肌はつややかに。頬は丸く柔らかな子供のそれに。もとより可愛らしかった体躯はさらに小さく華奢になる。くしゃくしゃに潰れていた魂さえも元の形にすっかり戻してしまった。

十五の身体は何も知らない。レイの物語が加速してしまう前の肉体には記憶も記録も存在しないから。これは自分のための特別製だ。

そもそも、この物語の脚本家はほかならぬ自分。緞帳をどこで降ろすかもすべてはこの手にかかっている。重たいビロードの幕の外側で観客が続きを強請ろうとも、カーテンコールは彼の作る物語の続き足りえない。

始まりを紡いだ以上、終わりがあるものだ。観客に見せる物語は最早ここまで。

 

「幕を降ろすのなんて、どこでも同じだ」

 

穏やかに眠る可愛い後輩は何も覚えていない。先輩が側にいて、それがとても幸せなことだということ以外。

勉強が好きで、僕が好きで、甘いものとミルクたっぷりのカフェオレしか飲めない、僕の可愛いレイ。

欲しかったものを手に入れよう。これはきっとあの日に見たものの続き。恐怖に変わる前、陶酔になる前。純粋で楽しい、談話室の日々。大人にならない永遠の子供の国で。

たった一人のきみと、もう一度を。

 

「ほら、早く起きて、レイ」

 

暗闇を照らしていた星の光はもうどこにもない。

ここにあるのは深く、心さえもとろかす真っ暗闇だけだった。

 




これで2幕頭の闇の世界編、終了です!
次回から元の世界に戻ります。
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