◆2020/9/18 ④
寒くて恐ろしい場所から逃れようと必死にもがく。水を掻いてようやく、水面に顔を出せた。
第二の課題を妨害するアルバスを邪魔して、セドリックはつつがなく課題をこなした。あの世界のレイに頼まれた約束は果たせなかったけれど。
「ぷぁ……っあ、アルバス、アルバス!」
相変わらず隣に誰もいない。ぞわっと背筋が凍る。何も変わっていなかったらどうしよう。みんな、みんな、自分のために動いてくれたのに。
振るえる指で水面をかく。あぁ、どうか。もう他になんだっていらないから、アルバスを返してくださいとスコーピウスは祈るしかないのだ。
そして、彼は数秒遅れて水面に顔を出した。
「んぷあ……!やった、おー……」
「アルバス!アルバスだ!」
隣に浮いている影。スコーピウスはアルバスを抱きしめた。気分的には今すぐキスでもできるテンションだったがさすがにそんな仲じゃない。
「な、なんだよ急に……」
「よかった!君がいる!本当に、本当に良かったぁ……!」
「なに言ってんだよ、五秒前も一緒に居ただろ。にしても、なんか変だったよな。セドリックが膨らんだと思ったら元に戻って、あ。そういえばスコーピウス、お前杖持ってなかった?」
何もわかっていないアルバスの頭をわしゃわしゃと撫でまわして存在を確かめる。冷たい頬に額にくっついた黒髪。困惑している綺麗な色の瞳。全部全部彼に違いなかった。
「あれからすごくいろんなことがあったんだ」
「僕たち上手くやった?」
「ううん!やってない。それが一番いいんだよ!」
「え?また失敗したってこと?」
「そうだよ、もう最高!」
湖の中で未だかつてないほど楽しそうなスコーピウスに怪訝な目を向けるアルバスだ。先生の友達であるセドリックを救いに行ったはずだ。それで、失敗した。なのに、どうしてそんな風に喜んでいるのかちっとも理解ができないのだ。
とりあえずこいつ引っ張り上げなきゃ、とアルバスは岸に上がる。離れたくないとでも言いたげなスコーピウスをいったん引きはがすのさえ苦労した。
無論、岸にあげてもスコーピウスはへんてこりんなテンションのままである。ハグするのにいちいち照れがあった彼からは想像もできないくっつき虫っぷりだ。
「な、なぁ、スコーピウス、どうしたんだよ、なに、離れろって」
「もう二度と、もう二度と僕は君と離れ離れになりたくないから」
「う……うん。ありがとう、スコーピウス。でもさ、スコーピウス」
とりあえず抱きしめ返して、なんだかこっちが恥ずかしいんだよ、と言おうと思った。その時である。二人は今一番聞きたくない声を聴いた。
「いよう、おバカさんたち。随分楽しそうですけど、僕はお邪魔ですかね?」
二人の死角から保護者がずらりと現れる。思わずスコーピウスを抱っこを嫌がる猫のように突き放してしまったアルバスである。この状態を親に見られるのはいくら何でも気恥ずかしすぎた。
「何してきたか話してもらおうか」
アルバスは瞬時に顔色を青くしたが、今のさっきまで誰もいない世界で独りぼっちをしてきたスコーピウスにとって彼らの存在ははあまりに嬉しいものだった。
「ハリー!ハリーポッターだ!それとジニー!マクゴナガル先生とレイもいる!パパも、パパ!?」
「スコーピウス」
「はぁい、パパ……」
興奮を隠せないスコーピウスも怒り顔の父親を前にしてはそのテンションを保てなかったらしい。穴の開いた風船のようにしぼんでしまった。そこで力が抜けたためアルバスの突っ張った腕も緩む。ごく自然な流れでもう一度アルバスは抱きしめられてしまった。ほとんど安心毛布扱いである。
「スコーピウス、離せってば。何にもわかんないんだけど、これってどうなってんの?」
アルバスは自分を抱きしめなおした彼を再度無理やり引っぺがして両親に目をやった。怒られるのは間違いないことであるため、あまりに居心地が悪い。
「聞きたいのはこっちです。時間を旅してきたんでしょう。話してもらいましょうか」
マクゴナガルの言葉も今のアルバスにとって、はいそうですか、と聞けるものではなかった。タイムターナーの所持がばれたら間違いなく取り上げられてしまうだろう。それは何としてでも避けなければならない。
彼はタイムターナーを持っているはずのスコーピウスに視線を送る。ただ、あまりにも通常の精神状態でない彼は二人の秘密をすっかり忘れて慌てだしてしまったのだ。
「あれ、ない。どうしよう。どこいったんだ、タイムターナーなくしちゃった」
「なくしたぁ!?信じたかった、ぎりぎりまで信じたかったけど、やっぱり持って行ったのお前らか!」
「持って行った?レイ、どういうことだ?」
うぎ、とレイが殺気のほうを振り向くとそこにいたのは話を聞かないタイプの怒れる獅子。三者三様言いたいことはあるだろう。しかし、今ここでそれを始めてしまっては頭のてっぺんからずぶ濡れの生徒二人は確実に風邪をひいてしまうに違いない。
マクゴナガルはこの半月だけで何回目になるかちっともわからない頭痛に眉間を抑えながら号令を出した。
「では、校長室でじっくりと説明を聞かせていただきましょう」
◆
「つまり。こういうことですか。貴方たちは規則を破ってホグワーツ特急から飛び降り、魔法省へ侵入して盗みを働き、勝手に時間を操作し、その結果二人の人間をこの世から消した」
淡々と事実を述べているだけだというのにマクゴナガルの表情に浮かぶ怒り。それが世界で一番怖いものであると知っている叱られ常連の元子供たちは懐かしい記憶とともに顔を青ざめさせた。自分事でないにしても、マクゴナガル先生はいつだって怖いものである。
「確かにそれはよくないことだと思います」
あぁん!ばか!とレイがアルバスに視線を送ったが無視された。お前どんな気持ちでそれを猫ちゃん先生に言ってんだよ。猫も大きな括りで見れば獅子だぞ。そんな風に内心気が気でないレイだが、当のアルバスはどこ吹く風である。
「そして、その二人、つまりグレンジャーウィーズリー家の子供、ヒューゴとローズを消してしまった責任を感じて、もう一度時間をさかのぼった。その上、なんですか。セドリックディゴリーを救う?そう言ったんですか貴方たちは。その結果がこれです。二人どころか大勢の人たちを消してしまい、自分の両親を殺し。この世に存在した最悪の魔法使いを復活させ、闇の魔法の新たな時代を呼び込んだ。貴方の言う通りです。ポッター。よくありませんね?自分たちがどれほど愚かだったかわかっているのですか?」
ぎゅっと表情が硬くしたアルバスはここでようやく事の重大さに気づいたらしい。言われてそれが理解できるうちは問題ないだろう。彼の心の内にあるのが大人に対する反抗心であっても、あまりの正論を突き付けられては返せる言葉がないらしかった。
そんな息子の表情を知ってか知らずか、声をあげたのはハリーだ。しかし、この場の支配権はいまだマクゴナガルにある。ちょっといいですか、の言葉は簡単に遮られてしまった。
「あなたは黙っていなさい。親として言いたいこともあるでしょうけれど、この二人は私の生徒です。彼らは受ける罰は私が決めます」
ついこの間しでかしたことを忘れてはいませんよ。そう言いたげな声色に追従するかのごとく、ドラコとジニーも端的に賛成の意を述べる。
「本来退学にすべきところですが、いろいろ事情もあるようですし、あなたがたは私のもとにいる方が安全でしょう」
マクゴナガルの采配にうっすらとした安堵が子供たちにもたらされた。ハリーにその気がもうなくとも、一度離された事実は今更曲げようもない。ある意味では何よりの罰足りえたが同時に、この事態を引き起こした間違った方法だったともいえるだろう。
であるからこそ教育者として長年、数多くの困った生徒を見てきたマクゴナガルらしい采配とも言えた。引き離したところで元のさやに納まろうとする。その反発心を彼女が知らないはずもないのだ。
「ただし、罰として外出を禁じます。そうですねぇ。今年いっぱいは外に出られないと覚悟してなさい。クリスマスもなしです」
引き起こした事件に比べれば随分と優しい処罰だ。二人が顔を見合わせてほう、とため息をついたのを見逃さない。レイは思わずハリーの顔を見たが、彼も彼なりに思うところがあるのだろう。安堵の表情を浮かべる息子を見て握っていた手が緩んだ。
マクゴナガルはすっかり疲れた様子で、しかし威厳を保ったままにレイの方を向いた。
こういった場合は当事者に確認するのが確かであるが、後ろに親が控えている状態で子供らに対する追及をしたところで望んだ答えは得られないことも承知しているのだ。子供、というのは思った何倍も親の顔色を窺うものなのである。
「それで。あなたがこの子たちを追いかけていた事情を私に教えてもらいましょうか」
場の視線が全てレイに刺さった。こんなに刺激的な状況、生まれて初めてだ。帰りたい、逃げたい、と折れかけた心を何とか支えてやって、レイは小さく息を吐いた。大丈夫、自分で蒔いた種だ。極めて正しく、処理できてしかるべきだろう。
「……。あの日、禁じられた森で、タイムターナーを発見したのは僕です。二人が親に回収されてすぐ。その場で見つけました」
必要なことだけを口にする。彼らの立場を危うくしないために。本来、二回目のこれは防げたはずのことだった。であれば、非はまるきり自分にある、とレイが考えるのも無理のない話だろう。
「ならばなぜ、その場でそうだと言わなかったのです」
「これだけは、はっきり言いましょう。魔が差しました。えぇ、間違いなく。僕はそれを使って過去を変えようと考えた」
場の空気がいまだかつてないほど強い非難を帯びた。ありえないものを見る、そんな目。それにはアルバスも震えてしまうほどである。
「教師にあるまじき、恥ずべき行いです。その結果を想像できなかったとは言わせませんよ」
「もちろん。けれど、それを二人が思い止まらせてくれた。過去を変えたことでこの子たちと会えなくなるんだとしたら、それは嫌な話だと思った。信じてもらえなくてもいいんですけれど。僕はこれ、壊そうと思ってたんです。本当に、馬鹿でしょう?杖を向けてレダクトすればいいだけなんだ。でも、どうしても。踏ん切りがつかなくって。そんなことをやってるうちに、この子らに持っていかれて、この騒ぎを起こした。誰が何と言おうと、僕が悪い」
「先生っ、先生は!」
「アルバス。いまは大人が話してる。君の言葉は嬉しいけどね。僕が教師として取るべき責任の前では無力だ」
レイは困ったように笑ってアルバスを遠ざけた。これは紛うことなき事実だ。非常に恥ずかしいが大人が大人にきつく叱られているのを眺めてもらうよりほかない。
「さすがに不問、とはいきません。発見したのであれば早急に提出すべきでしたよハセオ。あなたであればこの魔法の恐ろしさがわかっていることでしょう」
「処分は僕がきっちり受けますのでこの子達には寛大な処置を、校長。無論お願いできる立場でないことはわかっています。ですがこれは僕がとるべき責任です」
「もちろん、そのつもりです」
いつものレイの柔らかさからは考えられないような大人としての物言い。それが学生の彼らには一番こたえたらしく、二人は所在なさげに視線を漂わせ、そして、校長室の絨毯の柄をまじまじと見ることになった。
完全に沈んだ空気。そこに飛び込んできたのはある意味でこの問題の発端となった人物の声だった。
「私、何か聞き逃したかしら」
「ハーマイオニーグレンジャー、あなたが逃したのは校長室へ入る際はノックをするという礼儀です」
マクゴナガルはハーマイオニーを叱責するとほかの元子供たちと同じように扱った。教師の剣幕に彼女は小さくなって思わず俯いてしまう。
「あなたにも買い出禁止を言い渡したいくらいですよ、大臣。タイムターナーを保管していたとは、愚かにもほどがあります」
「ミネルバ……。その、マクゴナガル先生、」
何か言いたげな彼女をさらに真剣な目をもって見つめれば流石の魔法省大臣と言えど口答えはできないらしかった。
今、この世界を正とするのであれば。この平穏な幸せをそうと呼ぶのであれば。彼女の秘密がもたらした歪みは決して許されるべきものではない。
「あなたの子供たちは存在していなかったのですよ」
その意味が分からないあなたではありませんね。普段、冷静なマクゴナガルの声に震えが混じる。怒りとも悲しみともつかない。その両方を多分に孕んだ重い言葉にハーマイオニーも思わず肩を跳ねさせてしまった。
「こんなことが私の学校で、私の監視下で起こったなんて、ダンブルドア先生に顔向けできません……」
今ここ、がなければあちらが正だ。しかし、自分たちは今を生きている。であるからして、正しい世界はここであるべきなのだ。他の物語は全て、再選択不可の分岐の先でなければならない。選び直すことは大罪だ。時は一方通行でなければならないと、マクゴナガルは信じている。
「スコーピウスは、それとアルバスも。一見勇敢だったようには見えます。けれど、大事なことは、いくら勇敢でも愚かな行為は許されないということです。あなたのお父さんもよく忘れていたことですが。常に考えなさい。どんなことになるか。ヴォルデモーに支配された世界は」
「ぞっとする世界」
マクゴナガルの声に重なるようにスコーピウスの震えが校長室に広がった。平和を取り戻した魔法界で生きてきた少年にとってどれほど恐ろしい世界だっただろうか。それははかり知ることができない。
けれど、彼女はこの場にいる誰よりもあの悲惨な時代を知っている。隣人を、友を、恋人を。家族さえも信じることのできないあまりに邪悪な時代。明日も知れぬ命、服従の呪文による疑心暗鬼。愛するものにすら杖を向けた、その戦争を。
「あなたたちはまだ若い。あなたたちはみんな若い。魔法戦争がどれほど悲惨だったかわかっていないんです」
彼女の目に浮かぶのは悲哀の雫。レイは勿論、ハリーであっても魔法戦争の本質は知らない。彼らにとって本格的に闇がはびこっていたのはヴォルデモーが復活してからこっちのたった二年間程度でしかないのだ。ヴォルデモー全盛期の闇の様相に正しい理解ができるはずなんてなかった。
これ以上は子供に聞かせるべきではないと判断したのだろう。マクゴナガルはレイに声をかける。
「レイはいったん二人を寮へ」
「これ以上どっかにいかれても困りますしねぇ」
おいで。そう声をかけられた二人はそれに従うよりほかになかった。親への弁明の機会は後ほどいくらでもあるだろう。今はいったん、暖かな暖炉と着替えが欲しかった。
レイが二人を先導する形となり、その表情すらうかがうことはできない。ただ、仲間と認めたものに対して意外とお喋りな彼がここまで静かなのは二人は見たことがなかった。
怒っているのだろうか。二人にはとんでもない無茶をした自覚はあった。彼にあれほどまでにしてはいけないと言われたのに。
なんて話しかけたらいいかもわからぬままに校長室から連れ出され廊下を歩く。本来であれば大広間で夕食にありつく時間だ。それもあってか校長室の前に伸びる廊下には人っ子一人いなかった。
だからこそレイのガタついた精神が珍しく前面に出てきてしまう。魂を圧縮してからこっち、随分落ち着いたと思っていたのだが、そもそも彼は不安定な生き物である。
ここであれば校長室へ声が届かないと判断したのだろう。レイは振り返り二人をきちんと見た。
そして、少年と青年のちょうど真ん中。まだまだ子供の彼らを纏めて腕の中に収めてしまう。
「あのさ、あのさぁ!先生、これ以上されたら精神おかしくなって死んじゃう。もう二度とこんな無茶苦茶しないで、」
最初の威勢こそよかったものの最終的には消え入るような声になってしまった。二人はレイが震えていることに気づく。親でもない人間にここまでの不安を抱かせてしまっていたとは考えてもみなかった。
痛いくらいに抱きしめられて自分の罪の重さを知る。きっと、この人でこうなのだから、親に抱かせた不安はこのレベルではないはずだ。
湖で凍えた身がさらに震える。鼻の奥がぎゅうと痛くなって二人はレイを抱きしめ返した。そして、ようやくごめんなさいと言えたのだ。
「帰ってきてくれてよかった。君たちが消えてしまわなくて本当によかった」
頭を撫でられれば小さな子供みたいに二人はすすり泣いた。それをなだめてから離れ、レイは彼らの保温呪文をかけなおす。
「さ、寮に戻ろう。食事は温かいスープとか届けさせるからそれでいい?シャワーも浴びたいでしょう」
人とは会わないルートを選んで彼らを寮へと送り届けた。二人も知らなかったショートカットを駆使すれば感嘆の声が上がる。
扉を開けて中を確認すればまだ誰もいない。はいりなさい、と尻を叩くも二人は道のショートカット方法について知りたいようだった。
「今どこを通ってきたの?」
「え、道……、廊下って呼ばれてる……」
「絶対にありえない挙動だった」
「寮は地下にあるのに階段上ったのはどうして?」
「あのねぇ!君たちはさっきまで怒られてたんだよ?もう少しくらいしょんぼりできない?」
その言葉にハッとしたのはスコーピウスだけである。アルバスはいじめを躱す新たな方法を見つけてどことなく笑顔が戻っていた。心が強い。
ここで話してもいいが、誰かが帰ってくる可能性がある。レイはため息をつきながら談話室から繋がるもう一つの部屋を教えてやった。入り口付近の蛇の飾り。レイが触れれば壁は扉に代わる。
「これは僕にしか開けられないからね。君らが触っても何も起きない」
魔法薬学教室の準備室、その場所への直通通路だ。さすがのスコーピウスもテンションが上がったらしく、いつもの感嘆を口から漏らした。
「なんでこんなにいろんなこと知ってるの?」
「まず、僕がスリザリンの寮監だから。次にこの城に三十年近くいるから。最後に僕の知り合いにいたずら好きの双子がいたから」
「……、レイって」
「ご想像にお任せします」
二人の唇がこれ以上開く前にレイは人差し指でいさめる。察しのいい子は好きだが、今この場ではふさわしくない。
レイは二人を準備室へ押し込めると問答無用でハニーホットミルクをふるまった。そっと魂保護薬を一滴だけ混ぜ込むのを忘れない。
ホットミルクを口にしてぽわり、と赤くなる頬。体温が上がったようで何よりだ。それにしても、随分大人っぽい顔になったものである。やっぱり、これが正しき成長曲線のあり様だろう。十六歳の百五十七センチ丸顔は異常だったというよりほかない。青少年の成長、雨後のタケノコのごとし。
「さて。ローズとヒューゴも戻った。世界はそのまま。異論はないね?」
取り戻した日常。多少の不和はあるかもしれないけれど平穏な世界。問題はなくなった。スコーピウスは首を縦に振るがアルバスは頑なである。とはいえ、彼の要求を通すわけにはいかない。
「あとはタイムターナーを探して壊す。それでこのいかした冒険はおしまい。もう二度と、君たちは時間を移動してはならない」
レイはそう宣言してアルバスを見据えた。まだなにもしていない、と揺れる瞳。ありありと見て取れる不満。そこにはできることがあるはずだ、と。若さゆえの無茶が滲む。その感情には覚えがある。レイもかつては子供だったから。それを忘れてしまわないように心掛けている。けれど、どうしたって子供のままでは守れないものがあるのだ。
「でもっ、僕はセドリックを助けたい!」
「アルバスセブルスポッター」
すっと、温度感が下がった声。レイが怒っていることはアルバスにも理解できた。いつかの比じゃないくらいの圧にたじろぐ。
「僕は大好きな先生と先輩に誓って君達を二度と危険な目にはあわせたくない。会いたいよそりゃ。大好きな人にもう一度会いたいってのは当たり前の気持ちだよ。先輩にも先生にも会いたくて会いたくてしょうがない。でも、それは過去だ。今じゃない。今から未来を生きていく君たちの命を懸けさせることじゃないんだ。お願いだからどうか、どうか。僕の前からいなくならないで」
いつになくはっきりとした物言いに二人は黙る。良かれと思ってのことがこんな結果を招くとは思いもしなかったのだ。
アルバスは本当に小さく。誰にも聞こえないようなトーンで、褒めてもらえると思ったんだと呟く。
それが聞こえたのは隣にいたスコーピウスだけだった。今までの彼であれば聞かなかったことにしただろう。けれどたった三日、最悪の冒険は彼を強くした。
「アルバス。それはずるい言い方だよ」
「なんで」
「先生は優しいから誉めてって言ったらきっと何かしら褒めてくれる。でも、それは先生に悲しい思いをさせた僕らが抱いていい願いじゃない」
きっちり目を見て言い切ったスコーピウスに負ける。確かにそうだ、と思うことができた。どうして彼の言葉は誰の言葉よりもすんなり心の奥に入ってくるのだろう。
出かかっていた癇癪を飲み込んでアルバスはレイを見た。柄にもなく怒ってしまったという後悔が瞳に滲んで所在なさげ。先生なのにこんなに情けない顔ができるのか、といっそ感心してしまうほどの表情である。
「なんで先生が虐められたみたいな顔してるのさ」
「アルバスが虐めたんだよ」
「そっか、僕が、」
「え、なんでナチュラルに僕が虐められていることに?」
そんなに情けない顔だったろうか、とレイは顔を揉んだ。怒るのも怒られるもの大の苦手なのだ。なんなら、誰かの怒鳴り声を聞いただけで背筋が凍る。そのくらいには穏健派なのである。
「ともかく。トライウィザードトーナメントに関しては俺の目が黒いうちはもう二度と開催させない」
だから、君らももう二度と関わっちゃだめだ。わかったね。
そう言い切ったレイの瞳が揺れるから、二人は首を縦に振るしかなかった。それに、スコーピウスにとってもあの世界は悪夢そのものだった。もう二度と迷い込むことさえしたくない。
すっかりしょげてしまった二人にレイはなんて声をかけようか考える。そして、大切なことをまだ言っていないことに気が付いた。
「おかえりなさい、二人とも」
「……ただいま、先生」
「ただいま」
ぎこちなくではあるけれど、二人はレイの問いに返答を返す。こんな当たり前のこと。けれどこれが当たり前でないことをレイはよく知っている。
彼にとっての恐怖はいつしか、好意を持った人間が居なくなることになっていた。今ボガートに出会ったら足元に転がる知人の死体をいくつも見せられることだろう。世界を広げてしまったことによる弊害か、それとも、これこそが成長だというべきなのか。自分では決して分からないことだ。
「こんなにも君たちが大切なんだってわかってもらえたかな。君たちが平穏無事に卒業してくれることが僕の一番の願いなんだ」
「でも、それは先生の願いじゃないだろ」
アルバスの言葉にレイの精神が揺れる。それはどこまでも鋭利な棘。今のレイの中には二つの願いがある。見透かされてしまったのだろうか。
「あはは。そりゃね、そんなことができるってんなら、今すぐどうにかしてセド先輩を助けたいよ。それは俺の悲願だ。そのためにここにいる。何度だっていうよ。俺はどうにかして世界をひっくり返したい。でも、友達を悲しませてまで掴み取りたい未来かって聞かれるとブレーキがかかる。今それをつかみ取ったら、セド先輩を絶対曇らせるもん、それはね、嫌なんだよ」
わかって、アルバス。
誤魔化すでも、大人のフリをするでもない言葉。それならばアルバスにも理解できる気がした。この人は友達のためだったら何でもできるはずなのに、友達のためだからこそ正しくないことはできないのだろう。その正しさはちっともスリザリン的なものではない。きっと、後から身に着けた処世術だ。
「……先生の言いたいことはわかった」
それでもアルバスは思うのだ。もしも。もしも自分がレイの立場であったら。後先考えずに走るだろう。だから、本来の彼もきっとそうだ。子供のままでいられたら、愛おしいと思うものが増えていなかったら。今すぐにでも友達を助けに行けただろうに。それを冒険と呼べただろうに。
アルバスの揺らぎを読み取ったレイは彼の赤く色づいた頬を見つめる。子供と大人の狭間。真ん中の時間で揺れる青少年。狭くて尖った世界の中で柔らかい部分に鎧をまとうために外と付き合わなくてはならない、そんな時代。
「多分。アルバスは納得いってないよね。そういうのわかるよ。僕だって教員歴長いから。ちょこっと、ほんのちょこっとだけスコピのことを羨ましく思ってるだろ、君は」
「どうして」
「わかるさ。だって君は、ううん。ここから先を僕に言わせないで」
僕はこの先を言いたくない。だって、君のことが大好きだから。君を君として見つめていると約束する。
そう言われてしまったらアルバスは返せる言葉がなかった。
「さ、ホットミルクは飲んだね?そしたら部屋に帰ろうか」
生きていくということは無限の可能性からそれらしいものを取捨選択することだ。成功率が低いものから切り捨てるよりほかない。でも、選んだ末のそれならまだ言い訳もできる。
世界にはきっと大逆転なんてない。諦めたらそれで終わりかもしれないけれど、成らぬことを成すためにはもう、残された時間があまりに短い。こんな儚い生き物になったつもりはないのだけれど、いかんせんレイに残されている時間というのは通常の魔法使いのそれとは比べ物にならないほど少ないのだ。
レイは初めてあの日のダンブルドアの言葉が理解できたような気がした。
人生十周分じゃ使い切れないくらいの金貨を積んでもまかり通らないことがあるってきっとこういうことなのだろう。
「大人になるって嫌だ」
「そう?案外楽しいよ?」
「僕にはスコーピウスが居ればいい」
「えぇ~?そのお茶会に僕も混ぜてよぅ」
馬鹿のフリしてアルバスに声をかける。からっぽのマグを持て余してた彼の顔色はどことなく暗い。アルバスだって何も理解していないわけではないのだ。分かっているからこそ己の無力さを悔やむ。
「先生は、先生は……時々ならいいよ」
「ありがとうアルバス。その席をくれて」
「時々だからな」
不器用な彼なりの謝罪と感謝。それを感じてレイはなんだか叫んでしまいたくなった。後輩って、生徒ってこんなに可愛いものなのだなぁ、と。きっと、一人で閉じこもっている人生では味わうことのなかった感覚。いつの間にやら自分は教師という職業に肩まで浸かっていたらしい。
だから、これ以上。彼らの悲しい顔なんて見たくはなかった。
「じゃ、僕は嫌だけど大人の話をしに行きます。こういうのでね、一番大事なのって後片付けだから」
レイは空になった三つのマグを流しへ運ぶと表情を引き締めた。仲間と認識してくれるのは本当の本当にありがたいことだけれど、今の自分は学生ではない。彼らの教師である。自由の豊かさを彼らに間違ったものとして学習してほしくないのだ。
「君たちの場合離しておくほうがきっと危ない。だから今度こそ二人でいられるように戦ってくるからね。でもちゃんと反省するんだよ。今回は流石に僕からも罰則を申し付けます。内容は決まり次第、通知するから忘れないように」
そう告げれば二人は顔を見合わせている。レイから罰則を食らう子供というのはほとんどいない。授業中にレイの話を聞かず大鍋の調子を良くしすぎて教室に膨らし薬をぶち撒いてしまった生徒が掃除を命じられるくらいのものだ。
ちなみにあれは薬としての出来もかなり最悪な部類だったので、触れた箇所から青紫になるというおまけつきだった。最悪である。
「はい。僕の話はここまで。まだ何かある?」
ないならお部屋に帰りなさい。手を一つ叩いてレイは彼らを準備室から出すことにした。二人は首を縦に振ると準備室から出ていく。その後ろ姿には疲れが見て取れた。こんな時にはぽっかぽかの湯船につかって芯から温まって欲しいところではあるが、監督生以外の生徒に大浴場の存在は知らされていない。
レイがこの後起こる様々に思いをはせて遠い目をしている中、アルバスは寝室へと向かう扉の奥に消えた。しかし、スコーピウスはもう少し話したいことがあるらしい。アルバスを見送ってから振り返った。申し訳なさそうな表情は崩れていない。
「あの、ね。レイ。これ、向こうの世界にいたレイから受け取ったんだ。もし、セドリックに会うことがあったら渡して、って」
「向こうの世界の僕が?」
スコーピウスが差し出したのは紫色の小瓶。側面には美しいカットが施されており、さながら娼婦が用いる甘ったるい香水瓶のようだった。過剰装飾で嫌味なところなんて最高に可愛い。確かに自分の趣味に合う。
「ふぅむ……、」
スコーピウスの発言を鑑みるに、向こうの世界でも自分の側にセドリックはいないのだろう。それは心に棘となって刺さる話ではある。でもいまさらだ。
小瓶を受け取るとスコーピウスは少し安心したようだった。どうにも向こうの自分は個の中身がなんであるか彼に話してはいないらしかった。得体のしれない薬を持ち続けるというのはどうしたって緊張を生むものだ。
まぁ、自分のポケットにもスネイプが作った内容のしれない薬は入っている。とはいえこれは自分が世界で一番信頼している教師から手渡されたものであるため、不信感を抱きようもないのだ。それに、彼が自分に渡したものであるのだから自決用の毒だって構わなかった。そのレベルの信頼感と同じにされても困るだろう。
「それ、なんだかわかる?」
「見た目だけだと、なんとも……」
まぁ、どこの世界線においても自分か考えていることなんて、セドリック関係では一つきりだ。
レイは瓶を開けてから手で煽り、嗅ぐ。いい香り、ではないけれどそこまでとんでもない香りはしない。リンゴが強い、という事はカオリコケモモモドキ。口に含まずともよい薬にわざわざ香りをつけるとは思えないので、経口摂取が望ましいのだろう。おそらくは、香りや味に至るまで細かな調整がされているに違いない。
中身を一滴、手に垂らせばそれなりの粘度。色合いは薄黄色で濁りはない。皮膚への浸潤はなく、即効性のある爛れも起きない。その上、指を合わせるように擦れば指同士がくっついた。
この効果を示す薬を知ってはいるが、腑に落ちない。
「万能くっつけ薬?によく似てるけど、なんかちょっと違う?なんだこれ、なんでこれをセド先輩に……?」
「レイはセドリックに飲んで欲しいって言ってたよ」
「やっぱり飲用か」
ちょっと預かってもいい?と聞けばスコーピウスは首を縦に振った。薬学の徒として興味があるのはもちろんだが、正体がわからない薬を学生に持たせておくわけにはいかないだろう。
いくら自分と同等の存在が作ったものといえど、スコーピウス曰くぞっとするレベルの闇の世界から持ち帰った品がまとものであるとは断言しづらい。
「寒かっただろうからちゃんとシャワーであったまるんだよ。で、今日は美味しいもの食べてしっかり寝ること。アルバスにもそう伝えて」
スコーピウスはレイの言葉に頷くと、寝室へと向かう。その後ろ姿にレイは帰ってきた彼の供述を聞いて考えたことを思い出した。もしも、世界を闇が覆ってしまった場合。まるまま情勢が反転したと考えるのであれば。明確に一つ、自分にとって都合のいいことが起きているのではないか、と。
「スコーピウス。一個だけ!」
「ん?」
悲しい話ならしなくていい。でも、もしよかったら今度、僕に冒険の話を聞かせて。
アルバスには内緒ね。そう言ってレイは口元に人差し指を当てた。