セドリックディゴリーと蛇の後輩   作:かみさきはづき

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◆2020/9/18 ⑤

「レイ。おはいりなさい」

「あれ、そのほかの皆様は?」

「子供のところへやっています」

 

さ、あなたの言い分を聞きましょうか。そう言われてレイは身を固くした。マクゴナガル先生、に嘘をつくのは得策ではない。この城にいる誰しもがわかっていることである。

今ここに必要なのは冗談でも、おためごかしでも、はぐらかしでもない。レイの内に宿る本当だけだ。スリザリンとして守っていた内情を吐き出さねば決して開放はされないだろう。

彼女はグリフィンドール贔屓であるが、根本的には公平で公正な魔女だ。レイは言い訳にもならない事実を彼なりの誠意をもって口にする。

 

「……。最初は利用してやろうと思ってました。だから、ローズとヒューゴを消してしまった一回目の時間渡航は僕も同行しています。で、そのあとタイムターナーを回収したのも僕です」

「なんという短慮ですか、ハセオ」

「短慮ですとも!ええ!俺にもわかってます。でも、でも、戻れるって知ったら。先輩にもう一度だけ会えると思ったら、もしかしてって、これが俺に残された最初で最後のチャンスなんじゃないかって!今この瞬間のためにここまで生きてきたんじゃないかって!」

 

魔力の高ぶりを無理やりに押さえつける。そうでもしないと自分の言葉にさえ爆発してしまいそうだった。それは大人にあるまじき癇癪。子供たちの前では決して見せられない、それでもレイの持っている本当の姿だった。

何とか今の自分の立場との整合性をとろうとして輪郭すらあやふやになる。

 

「それで、望んだものは手に入りましたか」

 

レイの興奮した耳に届いたのは乾いた炭がぶつかったみたいに、感情を排除した澄んだ声だった。それに笑って首を縦に振る。その表情はマクゴナガルもよく知る十六歳の彼の笑みだった。

 

「俺ね!ちゃんと見てなかったんですよ、実は!第一の課題!すごかったねぇ、先輩は!ドラゴン相手にあんなことできるなんて!」

 

不安と期待を混ぜ込んだ子供たちの歓声。自慢の先輩に向けられた割れんばかりの喝采。あの光景はきっと死ぬまで忘れられないのだろう。

これで彼と出会うための前日譚は補完された。自分の世界に足りなかった熱狂が心の奥にきちんと入り込んでくる。あの感覚は得難い経験だった。

 

「セド先輩は。俺の世界に現れたとびっきり綺麗な一番星で、それで、」

 

今はもう、何億光年も遠い人。

 

だからもう、戻ることも進むこともできない星間飛行はこれでおしまいにしなくちゃならない。

それこそが今のレイが持っている正しさ、だった。

割れた砂時計の砂を集めたところでどうにもならない。一粒たりとも取り落とすことなく、まったくの元通りにすることなんてできるわけがないのだから。

時に取り返しのつかない悪戯をして、魂が震えるあの感覚。その高揚をレイは正しくないものである、と。正しく認識することができてしまった。

 

「きっとあれが、俺に許されたロスタイム。あの五分が、最初で最後です」

 

マクゴナガル先生。本当に、本当にすみませんでした。僕が教師としての正しさを忘れかけたから悪いんです。

そう謝罪したレイの瞳が濡れる。もともと随分な泣き虫だったのに、いつの間にか成長していたものだ。マクゴナガルも、もう随分と長いこと教師をしているが、子供達が大人になる瞬間というのはいつだって寂しくもあり、それでいて途方もなく美しい。

手のかかる生徒がいつの間にか教師になれるまで成長していた。そのきっかけがどんなものであろうともその努力を、研鑽を。彼を知る教師として嬉しく思わないはずなんてない。

 

「なんにせよ自寮の生徒のやらかしは寮監の責任です。もう一度、第一の課題の戻って妨害の妨害をするつもりでした。元に戻せたらタイムターナーは破壊する、そう思ってたのですが、その小さなほころびを見逃さなかったんでしょうね。子供の行動力を侮っていたと言わざるを得ません」

 

油断していたのだ。それが恐ろしい結果を招いた。どれほど気を張っていたとしても、沙汰が起きてからではすべてが言いわけにしかならない。

レイは確実に教師として、一等してはならぬミスを犯した。どんな罰でも受け入れるつもりである。

本当に荷物を纏めろと言われても仕方がないとすら思っていた。なんならアズカバンを言い渡されても甘んじて受け入れよう。それだけのことをしでかした自覚があるのだ。

 

「どんな罰もご随意に。その代わり、あの子たちにはどうか寛大な処置を」

「そこまでの覚悟。よろしい。確かに受け取りました。でもその前に。私から問いましょう。ハセオ。貴方の言う、その正しさ、は。何にとっての正しさですか?」

 

彼女の問いにレイは自分としての答えを持っていないことに気づく。それでも、少し考えればすぐにわかることだった。正しさ、においてレイは明確な指針を持っている。それは愛した人たちの自慢でありたい、ただその一心のみだ。

 

「あの人が居なくなった時から。俺の正しさはセドリックディゴリーの正しさです。これは俺が勝手に言い張っているだけですけど。あの人は、誰かが深く傷つく結末は絶対に望まない。だったら俺の願いは正しくない。先輩が死んだのが正しい歴史だなんて信じたくないけど。それが今に繋がってるのであれば僕はそうするしかないじゃないですか」

 

レイのそれは誰より優しい人の持っている公平な愛情であり、それと同時に誰より深い愛を持ったあの人の想いだ。

レイが校長室に来るときには必ず空っぽになってしまう、あの小さな絵画の中の人。決して会ってはくれぬ大好きな先生。それでも、レイは構わない。

なにせ、ホグワーツでは欲しいものが与えられるのだ。会えないということは今の自分には必要ないということ。

それに、肖像画は、肖像画でしかない。たとえ天地がひっくり返ろうとも絵画は先生になったりしないのだから。

彼らを想うだけでも不思議なもので魔力暴走が落ち着く。しかし、それと引き換えに寂しさは増幅し、心の底はいっそう滅茶苦茶になった。

 

「僕はトロッコ問題だけは間違えちゃいけないんです」

 

それはこの職業に就くときにある意味ではレイを縛ってしまった言葉。正しさのために己を捨てるという呪詛。彼が必死になって作り上げた立場と仮面に踊らされて最早彼ですら自分の本当の願いを認識できなくなっていた。

だからこそ、その美しい言葉はあまりに公平で公正に聞こえてしまう。レイの本当なんて一つもなくても。

 

「教師がすべきは生徒を守り、明るい道へ、未来へ進む手助けをすること。もう俺は、生徒じゃないんだから」

 

俯いたことでしょっぱい雨が毛足の長い絨毯にしみ込む。もとより濃い色のそれは彼の本当を受け止めて隠してしまった。

死者に会いたいと願うのは、願ってしまうのは。生きている者のエゴだ。それがどれほど許されていない行いであったとしても想わずにはいられない。

レイの知っている中で一等思慮深いあの校長ですら、もうここにいない誰かを想い、命を落とした。抗いがたいその誘惑。誰しもがそれを抱いて生きている。

 

「レイ。お聞きなさい。この城に入った瞬間からすべての子供は私の子供です。そのつもりで長年教師として勤めてきました」

 

マクゴナガルだって違う場所へと旅立った誰かを想った時間は誰よりも濃く、そして深いつもりである。

どれほど長くても、どれほど昔の出来事であっても。愛しいものを失った傷はつい先ほど負ったかのようにじくじくと痛む。

人生の中で最も感性の豊かな時期に開いてしまった大きな穴を埋めようと、レイはあがき続けている。その末に見つけた答えがどんなものであったとしても、その時間は決して消えない。

それでも、願わくば、彼の願いが全て叶いますように。そう考えてしまうのも一個人として無理はないのだ。たとえどれほど無茶な祈りだったとしても。

 

「その決断を下したこと。私の子供として誇りに思いますよ、レイ」

 

貴方はよく頑張りました。

マクゴナガルの言葉にレイは顔を上げる。もういない誰かを重ねて、それからそっと頭を振った。それは生きている人に対してあまりに失礼で、もういないあの人たちへの冒涜だと思ったから。

人間はいつか必ずいなくなる。だからこそ、生きている今を大切にしなくてはならない。思い出に生きることは簡単だ。それに、寂しい口を紛らわせる甘い甘いキャンディーと同じくらい心地よい。

どうにかこうにか現実と思い出のバランスをとってきたつもりだった。けれど、今。それは崩れた。レイを生かしている思い出が、今を生きる誰かを傷つけてしまうのならば、ここが潮時。

 

「同じことしかけてた。僕が大嫌いだった大人と。とっても偉い魔法使いが、子供を生贄に捧げたのと同じこと。俺は、どんなに素晴らしかろうとも、どんなに優れた魔法使いであろうとも。イギリス屈指のあの魔法使いが好きになれません」

 

それは教育者としてはふさわしくない、かの人の二面性。大人になってしまった今だからこそわかるものだ。

 

「素直なのは良いことですが、私の前でダンブルドア先生へのその言葉は看過できるものではありませんね」

「僕にも大好きな先生がいるので、その気持ちよくわかります。今のは大変な無礼でした」

 

きっちり謝罪すればマクゴナガルの視線も柔く緩む。無論、誰しも思うところはある。人が居ればその数だけ愛する物が違うのだから当たり前のことだ。

歴代校長の肖像画。そこを見ればダンブルドアは不在。この人は大切な時ほどいない。生きている時も、肖像画になってからも、ダンブルドアはいつだって間が悪すぎるのだ。それこそがあの完全無欠な魔法使いの唯一の弱点なのかもしれない。

それにしても、本当に最悪の選択肢しかないトロッコ問題が目の前に転がり込んでくるなんて。あの人、本当は預言者かなんかだったんじゃなかろうか。

袖もとで涙も鼻水も拭って、レイはマクゴナガルに向き直る。

 

「ま!僕は僕で金庫貰っちゃったからダンブルドア先生のことそんなに悪しきようには言えないんですけど!」

 

あはは、と笑ってみせる。レイは相変わらず負の感情を長続きさせるのが苦手だった。怒りも三分で通過してしまうし、誰かといれば悲しみだってすぐに胸の奥に引っ込んでしまう。良いことも悪いことも全部。押し込めてぐちゃぐちゃにして、正しく処理する前に流してしまうのだ。

 

「さて。それではあなたの罪を清算しましょう。学校きっての大罪人ですよ、今の貴方は」

「覚悟の上です」

「潔くてよろしい。そうですね。家庭の都合でロランダが二週間ほど学校を離れたいと言っていましたね。そこの穴埋めをしてもらいましょう」

「あっ!?僕が飛行術の先生を二週間兼ねるんですか!?死人が出ますよ!」

「一年生の授業が三回だけです。怪我人を出したら、わかってますね?」

 

ひゅーう、とレイは思わず口から空気を漏らした。先生、という立場である以上、レイは必死に教師をこなすだろう。最も苦手とする飛行術であっても。

今すぐにマダムフーチと連携取らなきゃ、でっかいマットの用意とかしといた方がいいよな、僕ろくに飛べないし。生徒に怪我させるの、ダメ絶対、とおろおろしだすのなんて実に良い教師ではないか。本当に、彼という人間はこの職業に向いている。

 

「ハセオ。やれますね?」

「えぇ、アズカバンで吸魂鬼相手におできを治す薬の製造方法を解くのより何倍も!」

 

パッと見せた笑顔にマクゴナガルすら騙される。いいや、レイにだってその気はないのだろう。ただ、そのメッキがあまりにも堂に入っているから。もう誰にも本当が分からないだけなのだ。

 

「僕は、あの子たちの先生です」

「それが貴方の今の答えですか」

「えぇ。もちろん。レイハセオは、ホグワーツ魔法魔術学校の魔法薬学教師。以上でも以下でもありませんとも」

 

だから一人ぼっちでも大丈夫なんです、とは言わない。彼女の前でそれを漏らすのはきっと不適切だ。

 

「明日からの授業もしっかりやりますので。ご心配なく、校長先生!」

 

元気いっぱいに返事をして校長室を後にする。ぼんやり自室へと向かう途中でレイは友達とすれ違った。いいや、彼女は彼を放っておいてはくれなかった。

毛足の長い柔らかな猫はレディノリス。あの子の曾孫の代に当たる可愛らしい子だ。ノリスの一族で唯一レイに懐いている。ミセスを含め、他の子供たちはもともと学生であったレイに意外と厳しいのだが彼女は別だった。

 

「あぁ、レディーノリス。すりすりしてくれてありがとう。でもローブが君柄になっちゃうなぁ」

 

レイがしゃがみこんで彼女の狭い額を撫でるとクルルと可愛らしく喉を鳴らす。ローブのポケットに忍ばせていたブラシを取り出し、その背中を梳いてやれば嬉しそうにウヮンと鳴いた。

 

「君も巡回中?お仕事ご苦労様だねぇ」

 

現在、校長の目としてこの城には多数の猫の一族が住んでいる。クルックシャンクスの血脈までいるというのだから侮れない。確かにあの子も賢い猫だった。校長はもしかするとこの城を巨大なキャットタワーだと思っているのかもしれなかった。絵画にも猫、実際にも猫。それはとても素敵な話だ。レイはどこまで行っても猫派だから。

 

「あー、全部やだ、何もかも嫌だー、あーん、ノリス大先生ーーー」

 

到底四十路とは思えぬ声で嘆いているレイを慰めるように彼女はその優雅な尻尾を立てる。輪郭をなぞり、鼻をくすぐり、極めつけにざらざらの猫舌で頬の細胞さえ持って行った。

魅力的なふわふわボディに縋りついて、立ち上がる猫の香りに癒される。抱っこしてしまおうかと思ったがものの見事に突っぱねられてしまった。懐いてはいるが、無礼な態度へは我慢の限界があるらしい。

彼女はレイの足元から離れて「高貴な私の横っ腹で!汚い人間が顔を拭いた!高貴な!私の!素晴らしい!毛並みが!」とでも言わんばかりに毛づくろいを始めてしまった。

 

「ありがとね、レディー。構ってくれて。大丈夫だからね。世を儚んだりしないさ」

 

レイの言葉に彼女は毛づくろいをやめて顔を上げた。そして城住まいの下僕が多少元気になったと理解したのだろう。くるる、と愛らしく鳴いて、また巡回へと戻っていったのである。

もしも、来世なんて概念があるのであればホグワーツに住む猫になろう。そうして、人狼先生と友達になったり、動物もどきのネズミオジサンを追い回す仕事とかしたい。またはニフラー。これは譲れない。もう人間なんかこりごりだ。

 

レイは私室に戻る。常時かけっぱなしの美しい流星群が部屋の主の帰還と共に瞬きだした。

ドアに寄り掛かってそのままずるり、と姿勢を保てなくなる。目の前はぼやけるし、膝は笑うし、尻は冷たいし、誰もいないし。本当に最悪だ。

身体は疲れているのに、魂は昂って無意味に魔力を漏らす。ぱちぱちを漏れ出る静電気のようなそれはレイの指先を細やかに痺れさせた。

何もかもが無駄だったわけではない。欲しいものは確かに与えられた。もう一度会いたい、も、笑っていて欲しいも。確かに全部あの場にあった。だったらあれで満足すべきで、我慢すべきで、納得すべきだ。

 

涙を飲み込んでしまうべきだと思った。美しい仮面、そのチャーミングなスマイルの中に。灰色でとろけるような瞳を持ったあの人と同じ顔をすべきだ。秘密は隠しておくべきだから。

そのはずなのに。レイに泣いてもいいんだと教えてくれた人たちの声が聞こえた気がして、レイは辛抱たまらなくなってしまう。だってここには、誰も居ないから。

ロマンチックなだけの魔法がかかった部屋には、じぶんいがいの、だれも。

 

「会いたいだけ、笑っていて欲しいだけ。でも、もう一つだけ。俺の名前を呼んで。そうしたらもうおしまいにするからさぁ」

 

今を生きる命の方が重い。すでに一度失ったものは誰かを危険にさらしてまで取り返していいものではない。だってそれでセド先輩は喜ばないから。

誰もが認めるハッピーエンド以外、彼は褒めてはくれないだろう。それがハッフルパフのプリンス。セドリックディゴリーのあり方だ。

だったら、それを選び取るわけにはいかない。彼の誇れる友でありたい。あの素晴らしい人が褒めてくれる自分でいたい。そのためには、自分本位で居続けるわけにはいかないのだ。

いくらこの体の中が空っぽでも。寂しくて悲しくて粉微塵になってしまいそうでも。泣き虫は遠い過去に置いてきたから。

 

「せんぱい、せんぱい……」

 

名前を呼んで、俺を外へ連れてって。いつかみたいに息を切らして支度するからさ。

思い浮かべる顔は永遠の青年。どこを思い出しても記憶の中の彼はずっと子供のままなのだ。だって、その姿しかレイは知らない。レイの今には彼がいない。

ねぇ、聞いてよセド先輩。俺はもう小さくもなければ可愛いでもない。スネイプ先生より年齢重ねちゃった、ただの大人なんだよ。大人はネバーランドには行けないのにね。

ちくたく、貴方を置き去りにする時計の音がなにより怖い、そんな大人になってしまった。

 

あぁ。もしも一人だったなら。誰にも知られずに過去に戻ることができたなら。先輩に毒だって盛るのに。最後に二人きりで会ったあの瞬間に戻って。生きる屍の水薬だって飲ませてみせるのに。

彼が生きてさえいてくれれば未来なんて変わってしまってもいいのに。笑っていてくれさえいればいいのだ。俺には先輩しか必要ないんだから。

息もできないくらいに喚いてみる。でも、慰めてくれる誰かも居ない。もう誰も居ない。精神は大人になれないままに、肉体だけが終わりに近づいていく。何一つ納得なんてできていないのだ、本当は。

 

正しさと自我の間でレイは一つの選択をする。それがどう転ぶかは分からない。

昔話を詰め込んだブリキの宝箱の中に、友達を置き去りにしたくなかった。今思い返せば愛の形が彼だった。ただそれだけの事。

 

妖精の鱗粉を見つけて納めることができなかったその宝箱に鍵をかけるだけ。そうすればこの放課後は終わる。でも、あともう少しだけ。もう少しだけ眺めさせて欲しい。

長い長いモラトリアムの終わりがここまであっけないなんて。なんだか寂しく思えたから。

 

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