翌日。スコーピウスは一人、レイの私室を訪れた。選択授業はほとんど同じ内容でとっているが、一部差異がある。今のアルバスは一人でマグル学を受けている。座学かつ知った内容なのでテストの点数が確保できるのだ。
基本的に独占欲が強すぎるアルバスから解放された、一時限だけのスコーピウスの暇。いつもであれば図書室に籠るのだが今日は別である。
手土産には家から届いた薔薇のジャム。マルフォイ家の屋敷しもべ妖精による特別製だ。アストリアのレシピを基本としたこれはスコーピウスにとっても大切な味である。父からふくろう便で届いたこれは今日のお茶会にふさわしいだろう。瓶は三つ届いている。謝罪と感謝を含め、うち一つはレイのものだ。
スコーピウスは意を決して準備室の扉を叩いた。
「ん、いらっしゃい。おはいんなさい」
「お邪魔します」
入った途端、紅茶と焼き菓子の香りが広がる。すっかり準備されたそれは淡く輝くようだった。
形から入るタイプのレイは三段重ねの大変立派なアフタヌーンティーセットに二人の好きなものを盛る。今日は屋敷しもべ妖精に依頼して美味しいスコーンまである豪華仕様だ。
「はいはい、スコーン冷えちゃうから座って」
「これ、パパから。本当に、本当にごめんなさい」
「ありがとう。あ、薔薇ジャム!ドラコってばわかってるぅ。今日早速スコーンに乗っけちゃおうね」
「あの、本当に。僕はレイに酷いことをして、」
「気にしてないよ。せっかく魔法学校に通ってるんだ。冒険くらいしないとね」
「薬草の棚とか……」
「ゥン……それは、痛手でしたが、あれはね、君たちの行動力を舐めた僕が悪い……」
お話はお茶をしながら、ね?椅子を引かれてそんな風に促されては座らないわけにもいかない。スコーピウスは申し訳なさ九割、今日のメニュー把握に一割の状態でお茶の席に着いた。
スコーピウスはレイがサーブした紅茶にシュガーポットから砂糖を入れる。彼の入れる紅茶は華やかで柔らかい。
それに、小さなガラスの器に薔薇のジャムを出すとスコーピウスの前にも置いてやった。
「さて、じゃあ本題。向こうの世界ってどんなだった?」
「思い出すのも怖いよ」
「そりゃそうだよねぇ」
「校長はマクゴナガル先生じゃなくってアンブリッジっていう知らないおばさんで」
「見知ったおばさんの名前出たな」
レイはあまりに懐かしい名前にけらけら笑ってマカロンをつまむ。そして、スコーピウスでもわかるように解説をすることにした。
「問題です。近年のホグワーツで史上稀にみるド派手な早期卒業をした双子の名前は?」
「うふふ、いいクイズだね。フレッドとジョージ!ローズの伯父さんだね!大広間にバンバン花火放ったって聞いてる」
でもそれが?と言いかけて数秒試案。どうにも思い出したことがあるらしい。
「あぁ、向こうのレイも言ってた。イタズラ双子の花火……あれ真っ向から食らってた先生ってまさか」
「そ。時の魔法省より本校へ教師として派遣されたドローレスアンブリッジ高等魔法次官」
全身ピンクで趣味の悪い蛙人間さんだよ。レイはその顔を思い出しながらお茶をすする。いや、やっぱりあれを蛙だなんて言うのは蛙側に失礼だ。蛙はチョコになれるけれど、あいつのチョコなんか出したら悪趣味の極み。魔法薬学の研究に使えるという点では同等だが、蛙は可愛い。つぶらだし。
「そう考えると僕はいいもの見たのかも」
「どんな?」
「レイがデパルソでアンブリッジを森の奥にすっ飛ばして、追撃でバンバン花火。その花火にさらに打撃を加えるスネイプ」
「ぶっ、あっはっは!僕たちらしいや!」
現場を想像をして笑いが止まらないレイである。それに、スコーピウスの言葉の中に、思った通りの姿を見つけて勝手に口角が上がってしまった。スコーピウスの見てきた世界ではあの人が間違いなく生きている。
世界で一番大好きな先生が、最も尊敬すべき師匠が、まだ物語の中に。変わらぬ姿で。
「先生、生きてるんだ」
「レイ?」
「ごめんごめん。独り言。さぁ、どうぞ。続けて?」
そこから、スコーピウスは記憶を語った。恐ろしい世界であったし、痛い目にもあった。それでも、自分を助けた大人たちの話を。それがどれだけ嬉しいことで、どれほど悲しい出来事だったか、を。
「僕ね。スネイプに助けられたんだ」
「かっこよかったでしょ?」
「うん、それはとっても!」
「あぁ、本当に。あの先生は変わらないなぁ」
意識していなかったのに、涙が流れてしまう。ちょこっとだけ、あの人に会えたスコーピウスが羨ましくなった。
「レイ、ごめんね。泣かせるつもりじゃなくて、」
狼狽えるスコーピウスにレイは違うんだと笑う。むしろ嬉しかった。世界を闇が覆ってもあの人はあの人らしくいるのだと。自分が見ていたものはいつだって正しかった。今は遠い優しい記憶がレイを強くする。
涙が出るのは仕方がない。昨日の一件から少々魂が揺らいでいるのだ。長年かけて張り続けてきたメッキを貫通するくらいには。
「先生を知らないはずの君の口から先生の話を聞けるのが嬉しくって!」
「もし、レイが見たいなら記憶の提供もできるよ」
「いいやぁ、そういうのは軽率に渡したらダメ。僕は正直、記憶はその人だけのものであるべきだと思ってるんだよ。犯罪に巻き込まれでもしない限り誰かに開示するもんじゃない」
記憶というものが極めてラフにやり取りされる魔法界であるからこそ、慎重に扱うべきだと思うのだ。よほどのことがなければそれを覗きたいとはレイは思わない。だったら、こうやってスコーピウスの口からお喋りの一環として聞きたい。
「スネイプは、」
「うん、先生は?」
レイの相槌にスコーピウスが止まる。歴史上の人物感覚でつい呼び捨てにしてしまっているが、レイにとって彼は恩師である、共に生きた人間だ。そんな人を呼び捨てにされて気分が良くないかもしれない。
「僕もスネイプ先生って呼んだ方がいい?」
「その必要はないよ。だって、スネイプ先生は君の先生じゃないもの」
僕がネビルを先生って呼ばないのと一緒だよ、理解が及ぶような、そうでもないような絶妙な感覚と同義とされた。うーん、と納得がいかない不可思議な表情のスコーピウスにレイは続ける。
「そういえば、生きてる人間には敬称が必要だって思うのに、大先輩たる歴史上の人物にはその限りではないよね。今凄い不思議な新感覚に陥ってる。僕も創始者のことサラザールさん、とかあまつさえスリザリン先生とか呼ばないもんな……」
よくわからない感覚だねぇ。ともかく、君はスネイプ先生のこと呼び捨てでもいいと思うよ。って、僕が言うのもおかしな話だけど。
そんな風にレイが言うのでスコーピウスはいっそ謎が深まってしまったようである。
「アルバスのパパにはあんなに厳しいのに?」
「うーん、なんていうか。これはもうイギリス歴が長い僕が言う事でもないんだけどさ。日本人的感覚なのかも。一度先生って呼んだら死んでも先生は先生だとでも言いますか。尊敬すべき先生を呼び捨てとは何事だ!生徒だったくせに生意気だぞ!っていう、なに?なんか、なんかこう、そういう信仰だとでも思ってくれれば」
レイはその癖が一向に抜けないために、自分が学生だった時分の教職員をいまだに先生と呼んでしまうことがある。そのせいでフリットウィックから学生気分が抜けていないと揶揄われてしまうこともしばしばだ。そのおかげで新しい呪文を教えてもらえることも多いけれど。
考えてもみれば、魔法使いの平均寿命換算だと彼らからした自分はまだ子供みたいなものである。特に妖精の血が混ざっているあの先生は威厳のために髭なんかはやしているが、種族的に見ればまだ若手と言っても過言ではない。おっかない世界だ。
「なら、遠慮なくスネイプって呼ばせてもらうね。なんか、先生って言うとふわふわしちゃうし」
スコーピウスは持っていたティーカップをソーサーの上に戻すと目の前に座るレイを見つめた。
いつも通りのちょっぴり疲れた童顔。瞳の色は明るい茶色で、適当に伸ばした髪を梳かしもしないで色気もへったくれもないゴムで尻尾にしている。
そこで、また一つ違いに気づいた。あちらの世界のレイはいっそ異様なほどに手が入っていたのだ。明らかに手入れされたロングヘアが印象的なほどに。
眼前にいる彼と年齢は変わらないはずなのに一見すると美しいと言えるレベルに整えられていた。どう考えても彼の知るレイの性格からしてありえない。
でも、丁寧に暮らしているスコーピウスから見てあのレイはレイで中々素敵だった。やり過ぎ感は否めなかったけれど。
「レイは、もう少し小綺麗にした方がいいよ」
「な、なんですの突然……」
「髪は梳かしたほうがいいし、手入れが面倒なら短めに整えた方がより一層素敵だと思うな」
笑顔で放たれたスコーピウス式正論にレイの心はズタズタにされた。そうか、この歳になったら髪くらいはちゃんと整えるべきか、生徒に嫌われないためにも。清潔感ってとっても大事っていうもんな。レイは、美容室の予約をすることを心に決めた。
「なんだろう、今のですごい疲れちゃった。先生はお部屋に帰って寝込んでもいい?」
「ダメだよ。お茶会の主催がそんなことを言っては」
「大変失礼いたしましたお客様……で、どうして僕の外見に今更のチェックを?」
「向こうのレイね、爪まで綺麗だったんだよ」
「はい?」
「深緑のネイルとかして、髪も綺麗だし長くってふわふわで綺麗に結ってあって、刺繍リボンとかしてたよ。瞳も綺麗な紅色で。ちょっと疲れた顔はしてたけどなんだかお人形みたいだった」
「四十のおっさんが?」
「そういうことになるね」
なぁにそれ怖い……とすっかりげんなりしてしまったレイである。誰にそんなことをされているか見当はつかないが、なんでそんな有様なのか。
いや、これで自分の顔面がどちらかと言えば美少女だとでも言うのであれば箔もつくだろう。しかしながら、どれだけ整えたとてその辺に無限に転がっている平々凡々ジャパニーズおタヌキフェイスだ。欧米諸国の顔面の凹凸で登山ができそうなメンズに比べれば随分まろやかな顔はしている自覚があるが、女っぽい素養は正直言ってない。
自分の容姿であるのをいいことにレイは思わず、気持ち悪、と呟いてしまった。
「綺麗にしてるんだなって思ったから気持ち悪くはなかったよ。なんだかとっても子供っぽかったけど。同世代と話してるみたいなフランクさだった」
「スコーピウス、人には適切な成長というものがあり、四十のオジさんがそれというのは、いけない事なんだよ。あー、いやだー、なんだろうなぁ!なんだろうな!凄い嫌です、僕、それ!」
レイは子供っぽかった、と言われて合点がいってしまった。おそらくは魂がミリも成長していない姿なのだろう。恥部を見られた感覚である。内面が成長しているとも思えない今の自分が言えた義理はないが、正直勘弁してほしかった。
向こうの自分にはなんでか分からないけれど、外見を整えたくて仕方がない庇護者がいるに違いない。それはおそらくスネイプやドラコではないだろう。彼らであれば自分を飾り立てるような真似はしないはずだ。頼む、そうであってくれ。
「不相応の子供っぽさ、ね……はい……」
魂を圧縮してからこっち、様々な仮面を各種取り揃えて被ることで何とか漕ぎつけたギリギリの年相応さ。これだって間違っていると思うのに。よりにもよってそんなものを可愛い生徒に見られるとは。
「で、あっちのレイは魔法が上手に使えないんだって」
「でっしょうねぇ!」
「さっきからどうしたの?具合悪い……?」
僕、出なおそうか?と問う優しいスコーピウスに慮られつつ、レイは大きなため息をついた。これはこちらの気持ちの問題であり、スコーピウスの問題ではないのである。レイは気持ちを切り替えた。
「大丈夫。どんとこい。どうぞスコーピウス!」
「う、うん。じゃあ続けるね?」
レイがカップの中の紅茶を煽ったのを見て言葉を続ける。向こうの世界で抱いた違和感、その解消をするために、此方と彼方の違いを確かめることにしたのだ。それさえ紐解くことができたならば、この奇妙な感覚を言語化できることだろう。
「いくつか確認したいことがあるんだ」
「いいね、僕がワトソン君やるから存分に推理してみて」
「ワトソン君って誰?」
「うーん魔法族!彼はマグルの世界で一番有名な探偵シャーロックホームズの親愛なる助手だよ」
名探偵がいない世界で蠍の王子さまは両の手指をつき合わせ、顔の前へともってきた。美人がやることは何でも絵になるものである。
「ざっと。僕が知ってるレイとの明確な違いから。スネイプのことを避けている。魔法が上手く使えない。瞳が紅い。甘いものは苦手。そして明確に、自分は闇寄りであるって言ってた」
「あー、なるほど?」
その発言だけで、レイにはいくつかわかることがあった。まず、スネイプの側に居ることができない、と線を引いている可能性が高い。と、いうことは。セドリックが闇側にいたのだろう。あちらの自分がどんな性格をしているかは分からないが、自分は彼さえ生きていればまず間違いなく側に居る。そうでなければレイという存在の整合性が取れない。
「確認事項の前に前提条件を確認させて。今ここと向こうでは何が違って歴史がこじれてた?」
「レイに怒られること覚悟で言うね。僕たちが第二の課題でセドリックに耐えがたい屈辱を与えちゃったんだ。具体的に言えばあられもない姿にして第二の競技から追い出した。その上でハーマイオニーとロンをくっつけなくちゃって、ロマンチックな花火をバーン、っと。風船みたいに膨れ上がって空を飛んでいるセドリックの周りにね、耳目を集めようとしたんだ。そこからひねくれたって聞いた。苛烈ないじめに耐えかねてセドリックとレイは闇に落ちた。僕らのいる歴史とただ一つ明確に違うのはセドリックがロングボトム先生をホグワーツの戦いで殺してしまったこと」
「なる……ほどぉ……」
言いたいことは色々あった。正直納得は一つもいかない。ハッフルパフの連中がそんな意味の分からないイジメをするだろうか。あの穴熊が?到底、はいそうですか、あるあるだよね、と流すことはできない。それこそ、何か別の手が入っているのではないかと勘繰ってしまう。歪んだ時間のつじつまを合わせるための歪み、とでもいうべきだろうか。
けれど、今そこに関して考えたとて何になろうか。そういうことがあったのだ、と受け取ることしかできない。子供というのはなんだかんだで残酷なものだ。
にしても闇落ちセドリック、とは。性悪で有名な世界様も中々乙なことをしてくれる。あの善性の塊みたいな人間をよくもまぁ闇側に引っ張り込めたものである。あまつさえ、彼が殺人を犯した、など考え難いほどだ。
パラレルワールドだとしたって設定を盛り込みすぎではなかろうか。ハッフルパフになんの恨みがあるのだ、その世界線は。本物の闇の世界を知らないレイからすればあの温和で柔和な穴熊寮への猟奇と加害性の仕込みかたを教えてもらいたいものである。
「セド先輩フリークとしては闇落ちしたお姿もぜひ見てみたいもんですけど、スコピ。お写真とかないんですか?」
「レイ、怒るよ」
「ごめんって。今のは僕が悪かったよ。でも、君の前で言う事でもないんだけど、それはそれはかっこよかったろうなって……。だから、ごめんってば。僕が悪かったです、そんな顔しないで」
レイからすれば降って湧いた先輩の新規設定供給。それに脳がありもしない幻想を抱いてしまうのも仕方のないことだろう。冷たく、暗く沈んだグレーアイは流石に天才の采配だと思う。更にテンションが上がってしまったが、スコーピウスにこれ以上呆れられるのは本意ではなかったため気合で散らした。今大切なのはそこではない。
要するに、それが最大の物語の転換点。セドリックディゴリーが殺してしまった相手。彼こそが戦争の隠れた大英雄。まったくもって最悪の人選だったといわざるを得ない。
これは後から聞いた話だ。ヴォルデモーは魂を七つに裂き、分霊箱を作ったのだという。その分霊箱の一つを壊したのは確かにネビルだ。そこがずれたのだとしたら、闇の帝王は死なない。残機七つだなんて考えたものである。よほど、不死に執着していたのだろう。かの帝王様は。
「本題に戻るけど、ネビルが分霊箱を壊せなかった結果、闇は栄えてしまったってわけね。納得」
前提条件は理解しました。とレイはスコーピウスに告げる。これでようやくスタートライン。自分は自分として彼の持っている違和感を解消していこう。
「まず、一番気になったのは向こうのレイ、魔法が上手に使えないって言ってたんだよね。守護霊の呪文なんてもってのほかって」
確かに、守護霊の呪文は高難度だ。レイもスネイプとの特訓がなければできたか怪しいレベルの呪文である。今でこそ何も考えずに出せるがかなり苦労したのは事実だ。
「となると、拗れたセド先輩を付きっきりで支えようとして大しくじりしたかな」
「それは、どの点から?」
「僕がきちんと魔法を習得したのってセド先輩が殺されてしまった後の話なんだよね。ご存じの通り。でも、そっちではとりあえずホグワーツ決戦までは先輩、生きてるし。僕が魔法を上手になる必要がない」
レイは杖を手に取り守護霊の呪文を唱えた。セドリックと行動を共にしていた、ということは教師になるためのスネイプによる集中講義を受けていない、とも言える。
トライウィザードトーナメント以降で歴史が変わったのであれば向こうの自分はスネイプの基礎レッスンとルーピンとの補習レベルのままだ。そんなごくごく最低限の魔法しか使えない状態でなぜか闇の世界で生かされている。となれば、その理由は一つ。戦闘以外で帝王の役に立つなんらかの技能を持っていた、ということだろう。
「エクスペクトパトローナム」
レイが出した守護霊は本人の思考と同じく落ち着かなさそうにポテポテと動き回り、やがてスコーピウスの前で止まった。
「……アナグマ、でもないよね?なんかふわふわしてるし、これは、なに?」
「タヌキ」
「タヌキ……?」
「日本でよく見るタイプのぽんぽこ」
まぬけっぽくて可愛かろう!と胸を張るとスコーピウスはなんの衒いもなくレイそっくりだねと鈴のように笑った。自分でまぬけと言っておいてなんだが、褒められているということにしよう。それがいい。
タヌキはスコーピウスにご挨拶をするとどこかへ消えていった。
「あー、これは自己分析で、これを誰かに聞かせるのは顔から火が出るほど恥ずかしいんですが……探偵さん、情報欲しいですか」
「欲しい。どんな些細なものでも思考の邪魔にはならないからね、えっと、ワトソン君?」
「したえらばお出ししましょう」
向こうの自分はおそらく、今の僕の百万倍は困ったやつだって前提で聞いてね。そんな前振りをしてレイはスコーピウスに語る。
「基本、的に。僕は友達が大好きで、友達のためならなんだってできると思ってる。でも、ベースは魔法薬学以外役立たずなんだよね。役立たずなりに何とかしようと思ったとは思うんだけど。あー、先輩がいると一念発起しないんだよ、おそらく。自分にもダメージは入るから言いたかないんだけど、僕は先輩が死にでもしない限りはすべからくグズのまんまだと思うんだよなぁ」
曖昧に笑ったレイにスコーピウスはなんと返したものかと戸惑う。でも、下手なことを言うより彼の言葉の続きを待った方が賢い選択だろう。
「もし、聞いてたらでいいんだけど。僕ってホグワーツの戦いのときそっちの世界で何してたかわかる?」
「そこまでは聞けてない。でも、今ので一つもしかするとそうかもしれないって考え付いたことがある」
彼は、ポケットから常備しているキャンディーを取り出した。甘いものをそこまで嗜まない父がどうしてかこれは大量に買っている。オレンジと白のしましまキャンディ。
「キャンディー好き?」
「えぇ、大好きですとも」
「はい、どうぞ」
「ありがと」
レイはそれをわーいと子供みたいに受け取って、すぐさま口に入れてしまった。彼は本当に甘いものに目がない。特に、このキャンディほ特別なはずだ。いかんせんこれにはセドリックとの思い出があるから。
スコーピウスは幾度となくその話を聞いていたし、それを知って父は彼に頻繁にこの飴を送り付けているのだろうということも薄っすらわかっている。
ならば、なぜ、向こうのレイは甘いものどころかこれを見て明確に表情をなくしてしまったのか、その理由が分からないのだ。
しかし、先ほどのレイの発言を経て仮説が立つ。
「向こうのレイはあんまり甘いもの好きそうじゃなかったよ」
「僕が食べ物受け取らないことなんかあるんだ」
「受け取ってはもらえたけど、口にはしてくれなかった。だから驚いちゃって」
ドライチェリー入りのチョコレートをつまみながら彼はその時の様子を思い出しているらしい。まるきり変わってしまった世界で一番驚いたことかもしれない。どこに行っても彼の甘いもの好きだけは変わらないと無意識で思っていたのだ。
「甘いものって、レイにとってはどんな意味があるの?」
「そうだねぇ。幸せな記憶かな」
守護霊の呪文のきっかけになるくらいには。そう言い切ったレイの表情はフラットだ。これなら多少彼にとって痛みを伴うであろう仮説を通しても問題ないに違いない。表に出さない感情がどうであれ、スコーピウスだって親愛を抱いている人間を曇らせたくはないのだ。それでも、これは多少見込まねばならない領域。
スコーピウスは一つの推理を披露する。
「これは僕の推論なんだけどね。レイがセドリックと離れてしまった原因はホグワーツの戦いにあると思う」
「どうしてそう思った?」
「まず。さっきの話。レイはセドリックがいる限り、後輩であることをやめられない。その上で、改めて聞くけど。子供の頃のレイって得教科以外は捨てるタイプの天才だった、んだよね?」
「ま、そんなとこ。教師として言っていいことじゃないと思うんだけどからっきしな教科に労力つぎ込むくらいなら、って考えのもと生きてたのは嘘じゃない」
レイは、手元がふらつき始めたスコーピウスに大きな紙片とペンを用意した。羽ペンではなく万年筆を。インクにペン先を漬ける時間すら惜しいレベルで脳がフル稼働していそうだったから。
スコーピウスはいくつか図を描いてレイに説明を始める。言葉にすると消えかねない些細な思考はメモに残しつつ。
「良くも悪くも、戦争中は情勢が揺らぎやすい。そうするといくらレイでも研究に集中し続ける、ことは難しいよね」
「向こうの僕がどんな性格かはわからないけど、普通に考えたらそう」
「と、いう事は。レイが研究に特化したのはホグワーツの戦いの後。闇が覆ったことで良くも悪くも世界は安定してしまった。どんな悪法でも法は法。敷かれた以上避けられない」
そう言い切ってスコーピウスは向こうで耳にしたレイの発言を思い出した。魔法薬学を裏切った、という強い言葉。薬学オタク、と言っても差し支えない彼がそれを完全に捨て去ったとばかりに顔を曇らせていた。
スコーピウスは同じオタクとして思うのだ。学問に愛を注ぐことを諦める、というのはある種、信仰心を捨てたと同じ。本来であれば飽きること、尽きることのない知識への欲求を捨てざるを得ないほどの衝撃が、あちらのレイにはあったことになる。
「レイが好きなのは魔法薬学、だよね?」
「教師になるくらいには」
「これは、確認。レイは、魔法薬学以外にも得意な勉強が、ある?得意、というか好きな勉強」
「まぁ、無いことはないけど。神秘部寄りの学問とか。でもどうして?」
「向こうのレイは魔法薬学を裏切ったって言ってたんだ」
スコーピウスの言葉にレイはスコーピウスとのやり取りとは別に飛ばしていた思案から戻る。この自分が魔法薬学を裏切った、と発言するのはどういう意図だろう。魔法世界と出来損ないの自分とを繋ぐたった一つの懸け橋を。
「それは、どういう意図で?」
「多分、ね。レイは魔法薬学の助教授をしていたけど、メインは他の研究だった、ような気がするんだ。だって、いつもであれば絶対にしない香りがしたから」
「しない香りって?」
「コーヒーの匂い」
そう、ディメンターに襲われたときに。レイから嗅ぎ取ったのはコーヒーだった。あの時は世界に対する感度が限界ぎりぎりだったので気づけなかったが、鼻が一般的な人より何倍もよく、魔法薬学を心から愛しているレイからその香りがすることだけは明確におかしいのだ。
「僕には分からなかったんだけど、今ので納得がいった。レイが言った神秘部寄りの勉強。運命とか、予言とか、魂とかってことだね。向こうはそれを求めてやまない人間が統治する世界。したら、行き着く答えは一つ。ホグワーツの戦いで奪われたセドリックを餌に、帝王が望んだ死すら超越しようとする研究に駆り出されていた、ということ」
スコーピウスは紅茶に手を付けながら彼の推論を述べる。考えることが好きな彼は一晩をかけてあの世界について整理をしていたのだろう。
雑多が書き込まれた紙片は様々な言葉が書き込まれては二重取り消しで修正されていた。無限に広がる可能性の宇宙から不必要な事項を消し込むみたいに。
「甘いものが幸せの形。友達が側に居ればそれが幸せ、っていう。ある意味ではすごく単純な思考を持ってるわけだよね。レイの前で言うのは失礼極まりないけど」
「大丈夫。名探偵ってのはデリカシーに欠けるくらいがちょうどいい」
「ありがとう、そう言ってくれて」
たとえ、あの世界が今ではなくなったとしても、存在を認知してしまった以上まったくのゼロにはならない。そうスコーピウスは思っていた。
運命なんてものは恐ろしく繊細だ。命綱なしで綱を渡るサーカスの少女と変わらない。
いつ、どこで、誰が時空すら超越する魔法や魔具を作ってその垣根を超えないとも限らないのだから。それは極端にネガティブな想像だけれど。
「甘いものは幸せの形、それはね。僕にもわかる。わかるからこそ、悲しい。レイが甘いものを苦手になってしまったことが。特にしましまキャンディには明確に辛そうな顔をしてたように見えたんだ。それが第一の理由。これに悪い思い出があるはずないのに、あんな表情になるのはおかしい」
「その心は?」
「幸せな思い出があるからこそ、辛い思いをする。だから、遠ざけた。レイが意識的にそうしようと決めた。というよりは無意識のうちに甘いものを避けるようになってしまったんじゃないかな」
「理解できない話じゃないなぁ」
魔法界には吸魂鬼という怪物がいる。彼らは人の幸せな記憶から奪い、果てには魂を吸い出してしまうという特性を持っている。もしも、闇の世界ではその生き物がその辺にわんさかいて人の気持ちが明るくならないようにお仕事をなさっているとしたら。
とうに吸われてしまったか、はたまた守りきるために自分ですら気づけない奥底に仕舞い込んでしまったかの二択だろう。自分の気質からしておそらく後者だ。
「甘いものを口にすることで無意識に幸せになってしまうことを避けた、みたいなとこかな。スコーピウス、向こうってディメンターいっぱいいた?」
「ダース単位で」
「あー、向こうの世界の歩き方に従ってたのか……?」
でも、それだけではまだ何の断定もできなかった。現場を見てきた彼には分かったとしても、レイにはさっぱりだ。
「勿論、闇に飲まれた世界だったからお菓子屋さんっていうものがなかったのかな?とも考えたんだけど、そうじゃないんだ。だって、向こうのレイもレイと同じようにたくさんのクッキー缶を棚にため込んでいたから。ここから、食べないから受け付けなくなってしまった、という推理は外れるね」
スコーピウスは愛おしそうにステンドグラスクッキーを見る。淡緑の飴細工部分を光にかざすと、目の上に談話室の揺らぎが現れた。綺麗で愛おしい、今の自分を構築するそんな光。
それを堪能してから口に招く。ぱりりとした食感とクッキーが合わさって口が喜んだ。
「そして三つ目。どうであれナギニを救った、闇側からすれば英雄的行いをしたセドリックがどうしてレイの側に居ないのか。ハッフルパフだから?純血の家柄じゃないから?その辺も考えたんだけど。つじつまが合わないんだ」
「それはどの点から?」
「向こうのレイはどことなく闇の帝王に珍重されている雰囲気があった。向こうのハーマイオニーの様子からしてもそう思う。完全に敵!って視線を向けてたからね」
右斜め上に視線をやってスコーピウスは記憶を確かめる。三日間で様々なことがあったので少しでも気を抜くと細かいことを忘れてしまいそうなのだ。お喋りは楽しいけれど、レイにはペンシープを使ってもらいたいものである。
「三日間で聞いた話を統合すると、高確率でセドリックはいない。誰からも死んだって聞かされてないけれど、生きているとも聞いてないんだ。これって凄いおかしな話だと思う」
みんな、セドリックなんていなかったみたいな顔して、そう言って彼はレイの表情を伺った。思案の都合で彼にとって致命的なことを言ってしまった気がしたのだ。
けれど、レイはレイで思うところがあるらしい。何事かを考えており、こちらの話題に頓着していないようだった。
「先輩がいない、先生も遠ざけてた。となると、僕を推挙してたのって誰になるんだこれ。ドラコか?魔法がろくすっぽ使えない状態の僕を、なんで闇の帝王様が抱える必要がある?若返りの薬でも作ったか?」
遠く、スコーピウスには分からない範囲の問いを自分に投げかける。これはある種レイの悪癖だった。誰かに話しかけられていても、自分の興味がそこに向いてしまえば、周囲から意識が断絶されてしまうのだ。無論、意識的にこれをすることもできるが、今回のは違った。スコーピウスの言葉が耳に入らないほどに、深みにはまる。
無論、付き合いの長いスコーピウスはレイの特性についてよく知っていた。こういう場合にはほんの一匙、レイにとっての毒が必要だ。スコーピウスは彼の中で先ほど纏まったばかりの結論をレイに差し出す。
「セドリックがいると、都合が悪かった」