セドリックディゴリーと蛇の後輩   作:かみさきはづき

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◆2020/9/19 ②

彼の声が耳に入り、レイの意識が浮き上がる。息が詰まっていたことに気が付いて肺から二酸化炭素を追い出した。そして、暗く悲しい目をした彼にジャムをたっぷりと乗せたクランペットを勧める。話を遮ってまで渡すべきではないと思うが、絶対に必要だ。自分の心をいったん落ち着かせるためにも。

いると都合が悪かった、とは。誰にとってかは言うまでもない。完全なる闇の世界で盤石たる地位を築いた帝王様が望みそうなこと。それがもしも自分にしかできない事だったら。スネイプにも成せぬ技を己が才能をもってして成すことができたのなら。

 

「なるほど。子供であれば子供であるうちに、消えない傷をつけた方が都合がいい、ってわけか」

 

どんな目的があったのかは分からない。でも、レイの倫理観をまるきり書き換えてしまうようなことがなければならなかったのだろう。それも、なるべく早い段階で。

本人すらかみ砕けぬうちに価値観を変容させた。間違った答えを差し出して、それが妥協だと気づかぬうちに信じ込ませたに違いない。

どこまで行っても、闇に引き込まれたとしても。結局は優しかったであろう穴熊のお星さまが隣にいない事。それこそ、自分たちが意図的に害されたという証左になる。

 

「人って、強い言葉を使う支配者に弱いからねぇ」

 

クランペットを飲み込んだスコーピウスは依然として暗い表情のままだ。考えたことは同じだろう。

もしも、本当に目の前で死なれていたら。伸ばした手の届かなさを痛感させられていたら。その瞬間、きっと。レイは彼と一緒に死んでしまったに違いない。

 

「ある意味では、ダンブルドアがホグワーツにかけた最後の魔法と同じ形、だね。子供が子供であるうちに正義のためなら死んでも構わないと植え付ける……」

 

お喋りの散歩道。それが更なる暗がりへと踏み込んでしまったことに気づいてスコーピウスは止まった。自分で言ったことの恐ろしさに血の気が引いてしまったらしい。行き場所をなくした手が震えている。

スコーピウスは至ってしまった思考の結果を口に出せずに言いよどむ。これを言ったが最後。あのレイは途方もなく可哀想な生き物になるだろう。

引くに引けないところまで追い込まれてしまった、哀れな子供に。

 

「スコーピウス」

「ん……」

「紅茶。温め直したから一口飲んで?」

「ありがとう、レイ……」

 

彼と同じ声色。でもそれは随分と落ち着いたものだ。自分の知っているレイは彼である。友達の代わりだった話し相手。親より年上のお兄さん。向こうの彼とはやはり似て非なる存在なのだろう。

スコーピウスはレイに言われるがままにカップをとった。口にすれば食道と胃にじんわり広がる熱。それを感じれば無意識の強張りがとれた。あの時食べたチョコレートみたいに。

空のカップはそれでもなお、温かい。

 

「怖い話は口から追い出して心の中に留めておかないことが大切だよ」

 

いつも通りの笑顔。大丈夫。ここに怖いことはないのだ。だって、自分はきちんと帰ってくることができたから。レイだって、寂しがりだけれどあんなに悲しい存在ではない。

 

「向こうのレイは誰でもよかったからこうなった、って言ってた」

「誰でもよかった、ねぇ」

 

レイだってその言葉に思うところがないわけではない。むしろ、世界構造の意地が悪ければ悪いほどそう考えてしまうのも仕方のないことだろう。別の世界線とはいえ自分の行動に対して、自分だったら、と考えるのもの珍妙な話ではあるが。

自分の性格上、全てを失った先に完璧な依存先を見つけたら、悪だろうが善だろうがどうでもよくなってしまうに違いない。冷ややかな目をして自己解析をするレイは対面にいる彼が思ったより辛そうな顔をしていることに気づいた。

 

「スコーピウス。大丈夫?」

「だい、じょうぶ……」

 

レイは今にも泣いてしまいそうな王子様の空っぽのカップへと紅茶を注ぐ。立ち上る温かさと柔らかさがお茶会を包み込んだ。

 

「言いたくないこともあるだろうけど、さすがに自分事で可愛い君を悲しませるのは本意じゃなくてね。本当はどんな些細な傷だって負ってほしくない。スコーピウス、本当は?」

 

その言葉に彼はきちんと涙をのみこんだ。柔く噛まれていた下唇は秘密ごとを語るように細やかに開く。

これを彼に言うことで自分だけが許された気になることはわかっていた。だからこそ、スコーピウスは子供らしからぬ配慮をしたつもりなのだ。

けれど、浅からぬ付き合いのある保護者を前にしてその態度は通じないらしかった。

カップから立ち上る香りと温度を含み、声が震えてしまわぬように覚悟を決める。

 

「僕、レイに酷いことを言ったかもしれない」

「今の僕に?それとも、向こうの僕に?」

「向こうのレイに。レイは友達を守っただけだって、言ったんだ」

 

守らされていたんだとしたら。それと引き換えに何もかもを奪われていたのだとしたら。それはあまりに鋭い言葉になる。きっと、悲しみの水底に沈んでいたレイにとってはトドメ足りえただろう。

彼とは同じでいて違う存在。どうしても謝りたくってスコーピウスはまっすぐ彼を見据えた。けれど、レイはをその謝罪を受け取らない。

 

「凄いな、スコーピウス。流石は僕のホームズだ」

 

ただし。人の気持ちまで推理できると思ったら大間違いだよ。レイは誰がそんなこと言ってんだかと己を笑いつつスコーピウスを諫める。

 

「それは君が作り出した僕でしかないだろ。だから、誰のものでもないし、謝罪には意味が籠らない。同じ顔した違う存在に謝って済むとは思えない、君自身もわかってるはずだ」

 

だから、謝ったりしないで。

その言葉が彼なりの無邪気な激励だときっと向こうの自分もわかっただろう。会ったことはないが自分はどうしたって自分のはずであるし、とレイはまた一口紅茶を飲む。

魂の形が一緒なだけで、歩んでしまった歴史が違う。結局は姿が似ているだけの他人だ。どうしたって別の世界の出来事。その闇がこちらに漏れてこないようにだけ注意すればいい。

 

「さ、ホームズ。君の忌憚なき意見を!」

 

務めて明るく振舞えばスコーピウスの表情も和らぐ。こういうのは気にさせないのが一番だ。それに、アルバスが授業から返ってくるまでに聞きたいことはたくさんある。

彼は紅茶に口をつけ、言われるがままに言葉をつづけた。

 

「戦争のどさくさに紛れて。もしくは戦後処理の一環として。セドリックに危害を加えるならそこが丁度いい。いいや、そこしかタイミングがない。レイは言ってたよね、戦争したら終わった後の約束の方が大事なんだって。闇の帝王、の差し向けた誰かの手によって、セドリックは命を落とした。ぐちゃぐちゃな心理状態のレイを引っ張り出して丸め込んだんだと思う。一時の平穏と揺らぎと混沌の間に」

 

英雄が英雄になるための必要な陰のヒーロー、ネビルの死。平和な今から見れば必須だった化け物退治も、知らされていなければつまらない男の犬死に変わる。たった一つ。物語が減ることで歴史は百八十度表情を変えるのだ。

 

「全部、全部たぶんの話、だよ。ワトソン君」

「オッケー名探偵。流石だねぇ」

 

レイはスコーピウスから得られた情報を脳内でまとめて総括する。とはいえ、わかることと言えば、闇の帝王は自分に何らかの価値を見出した、くらいのものだ。そこについての深堀は三日しかいなかったスコーピウスには厳しいだろう。であれば、他の相違点を掘るべきだ。

 

「これで、あとの疑問はなんだっけ?」

「瞳が紅いこと、かな。でも、どうしてレイの目が紅かったんだろう。そういう魔法?それとも日本人にはそういう特別な家があったりする?」

「いくら漫画大好き日本人と言えどそんな特殊な体質を持ってる人間はそうそういませんね」

 

創作物の中には多々そういう特殊な目を持った人間が出るが、日本人はごくごく一般的なヒト科ヒト目ヒトである。魔法族と言えど例外はない。アルビノのように先天的な要因でもない限りは紅い瞳を持っていることはないだろう。少なくともハセオ家にそのような特徴を持った親戚はいなかったはずだ。

 

「にしても紅い瞳かぁ。カッコいいな……」

「時々感性が分かんなくなるんだけど、それは恰好いいでいいの?」

「なんで?紅だよ?紅。眼帯付きオッドアイの次に憧れる瞳の色でしょ。クリムゾンとか、もう響きからしてパーフェクト」

 

心の中の十四歳が紅い瞳の黒いドラゴンなどを思い浮かべてあらぶってしまうのも仕方がないことだろう。世代ではないけれど親しみ深いカードゲームのかっこよすぎるあれやそれやのことを思い浮かべた。男の子というものは結局ドラゴンが好きなのだ。レイに限って言えば魔法薬の素材としても大好きである。

 

「レイ、魔法界で赤い瞳はいい印象ないよ。忘れちゃった?」

「たった一人のやらかしで美しい身体的特徴が迫害されるのはいかがなものと思いますよ僕は」

「闇の帝王のはやらかしで済まされていいレベルじゃないと思うな」

 

あれでやらかし、程度ならアルバスの癇癪は子猫の戯れになっちゃう。そう彼は言ってのけるが、レイからすればアルバスのあれは子猫の戯れだ。当事者じゃない反抗期ってとっても可愛いものである。

さて、根っからの日本人たる自分の瞳が紅い理由。レイの中では数パターン納得のいく説明がある。けれど、どれもろくでもないのだ。できれば生徒に聞かせたくない。これに関してはとてもじゃないが口にできない絶望感があるので最早自分でも踏み込みたくない領域だ。

あぁ、できればカッコいいだけで済ませてしまいたい。どちらかと言えばこの物言いは現実逃避だ。四十にもなるとピュアッピュアではいられないのが大人の辛いところ。純真無垢は裸足で逃げ出すだろう。

 

「先天性の赤い瞳に限って言えばもはや宝石だと思いますね!僕は」

「レイ?」

「日本人からすれば、アイスブルーもヘーゼルも魅惑のグリーンだって生ける宝石。グレーなんて言わずもがな。スコピのおめめなんか目が合っただけで照れちゃうね」

「それは、ありがとう?」

「どういたしまして」

 

さて、人が固有の色を失うときには理由がある。

まず一番簡単なものは病だ。白内障などの理由で濁り、機能を失ったりするパターン。早期であれば治療も容易い。とはいえ、魔法薬も魔法も本来の意味での万能でないため、できないことはある。

次に、治療の結果パターン。明確な大怪我を負った際、治療者の魔力を取り込むことで起きる変容。だた、これは自分の魔力が戻ることでほとんど解消される症例だ。マグル感覚で言えば輸血が近いだろう。取り込んだ魔力量によっては今まで持っていた魔力回路に変化が生じ、肉体に変化が出ることもあるという話である。

ここまでであればレイもにこやかに解説できるだろう。でも、明らかに今回のそれは上記の物では説明がつかない。だから、レイは余計なことを言うのを控えた。なにせ、名探偵様に理論の穴をつかれて怪物を出し、致命傷を負うのは自分だけだ。

 

「やっぱり、あの目も悪い魔法にかかってたのかな、」

「だと、いいんだけどねぇ」

 

肉体表層へ明確に変化が出てしまうほどの交わり。それは生半可なものではないはずだ。レイは背中がびっしゃりしていることに気づく。今すぐ風呂に入りたい気分である。

魂と魔力、として肉体の関係性。これらに関して趣味程度とは言えど一家言あるのだ。あぁ、できればこれ以上頭を回してくれるな。

そんな願いを込めた視線を送るがスコーピウスはどこ吹く風。どうにか自身の納得いく答えを探しているらしい。

 

「歴史上、あった事実になぞらえて考えてみるね。人の魂は混ざるよね。これは、ハリーポッターの件から見ていきたいんだけれど、どう思う?」

「うん!いいと思うな!その推理でいってみよう名探偵!」

 

レイは内心ガッツポーズをした。その路線で話を進めてくれるのであれば行幸。薄汚れた思考回路は大人だけでいいのだ。頼む、別の可能性に気づいて言語化するのだけはやめてくれ。

 

「砕かれた魂がほんの少し引っかかるだけでポッター家の子供が本来は持ち合わせていなかったパーセルタングの素質を得る。だから、レイの目が紅かったのも似たような何かが原因だと思うんだ。レイは、ほら。その良くも悪くも面白いもの好きだから」

「その考え方はあってると思う。闇の世界で研究が楽しくなっちゃった結果としてマッドなサイエンティストになった可能性はゼロじゃないと思うし」

「もしも。全てのストッパーを失って、取り込まれちゃった、なら納得がいくよ。空っぽの心の中に何らかの方法を持って入り込まれてしまった。スネイプも遠ざけてるみたいだったからね」

 

ここまで完璧な答えを出しているにもかかわらず、俗っぽいところに着地しないのがこの子の良いところである。その『何か』に一生涯気が付かないでいてもらいたいものだ。

スコーピウスに向こうの自分と帝王の関係性を感づかれたら舌を噛み切りかねない。神様、仏様、ドラコ様にアストリア様。スコーピウスの可愛らしさに感謝いたします。

今度はレイが自分の震える手を感づかせないように隠す番だった。

 

「この僕が先生を遠ざけなければならないほどの大冒険をしちゃったわけか。さもありなん」

 

史上最悪な想像だが確率はかなり高い。ようするに、だ。向こうの自分は闇の帝王に上手いこと丸め込まれたのだろう。その上で愛玩されている、と考えるのが適当だ。

何を思ったのか向こう様は四十のおっさんが綺麗に見えるレベルで手を入れていたのだろう。え、何それ怖い。単純に怖い。勘弁してほしい。

その発想に至った瞬間、諸々の感情が爆発して口からクソ爆弾になりかけたが何とか抑え込む。汚い言葉を吐き散らかすわけにいかない。だって可愛いスコーピウスの前だもの。おほほ、おほほ。いや、ホントになんで?

 

「ありがとうね、スコーピウス。話したくない事色々言わせた気がする」

「ううん。僕こそありがとう。一人で抱えてなきゃいけないとしたら重たすぎて潰れちゃいそうだったから」

 

スコーピウスのサンドイッチを食べたるさま、いとかはゆしである。たかが三日。されど三日。世界をまたにかける冒険をしてきた彼の顔はすこし大人びて見えた。男子は五分会わないだけで大成長を遂げるものである。とはいえ、そこまでの急成長というのは魂も、肉体も、魔力も著しく疲弊させるものだ。レイはそのあたりをよく知っている。少しでもスコーピウスの気が楽になればいいと思い目の前に大量の菓子を積んだ。それも、スコーピウスが普段であればドラコに止められるようなジャンキーで奇妙なものばかり。

 

「いいの……?」

「お望みであれば、血みどろヌガーも出すけど」

「それっ、はね……大丈夫。レイが食べて」

 

ゆっくりと首を横に振られた。いつか自分以外の人間でこのヌガーの愛好家にあってみたいものである。

レイの味覚はマグル界は勿論、魔法界でもいまだ受け入れがたいものとして扱われていた。少しばかり残念そうな顔をして、ヌガーを口へと招き入れる。レイからすればかなり美味しいのだが、悲しい話だ。

サンドイッチを咀嚼して、一服。落ち着いたらしいスコーピウスはさらなる言葉を紡ぐ。

 

「レイにだけこっそりいうね。ちょこっとだけ。ほんのちょこっと。精密な天秤で計っても誤差が出ないくらいにちょこっと。あぁ、レイがいてくれたらいいのに。そしたらきっと僕なんかよりずっと喜んだろうに、って。思った」

「あはは、てっきりワクワクしたとかいうもんだとばっかり」

「しないよ、怖かったんだから!」

 

見てないレイには分からないかもしれないけど、とスコーピウスの表情は曇る。けれど、すぐにその原因が自分にあることに思い至り、反省したようだった。

 

「時間を弄ぶのはとんでもなく恐ろしいこと。これでわかったね?」

「うん、とっても」

「わかればよろしい」

 

一度ひどい目にあった人間はそうそう同じ轍は踏まない。むしろ、レイが今一番心配なのはアルバスだ。逆の立場の方がアルバスの経験としては良かったのだろうけれど、闇の世界から彼が五体満足で生きて帰ってくる想像がつかないのも事実。

いいや、そもそもの立場と賢さが上手いこと噛みあったスコーピウスだからこそ無事に帰ってくることができたのだ。そこは神の采配に感謝すべきである。

 

「さ、アルバスのお迎えが来ちゃうからそろそろお開きにしようか」

 

食べきれなかったお菓子を二人で食べな、と包んでやれば彼はまだまだ子供っぽい笑顔をこちらに向けてくれる。生徒全員がスコーピウスだったら教師という職業はとてつもなく楽に違いない。

無論、彼には彼で抱えている問題もあるが、素直なのは宝である。どうかこのまままっすぐ育ってくれと願わずにはいられない。

レイはスコーピウスを見送って杖を振った。食器類は洗浄され、定位置に戻る。

にっこりにこにこ。スコーピウスのために表層に張り付けていた、いい先生の笑顔が床に落っこちて割れた音が聞こえた。

ピカソの泣く女もびっくりの作画状態でレイは棚という棚、窓という窓、その全てへ保護呪文をかけ、勢いそのままに耳塞ぎ呪文を目いっぱい準備室に張った。

 

「えーっと。マフリアート、マフリアート、マフリアート、マフリアートマキシマ!」

 

幾重にも呪文を重ねてレイはようやく大きな声を出す。歴史が違えど我がことであるため何があったかつぶさにわかる。

あぁ!可哀想な俺!何がどうしてそうなったのかまではちっともわかりたくないけれど、ともかく可哀想な俺!

いくら言葉が上手い帝王様だからってそいつにだけは靡いちゃダメだろ。落ち着いてくれ俺、今すぐ、過去を変えて俺をひっぱたきに行っていいですかダメですかそうですか!

 

「いーーーーーやああああああああ!いやすぎるーーーあああああああ!!!!!情と魂のやり取りって三パターンくらいしかないんだよぉおあああああ!!!魔力が混ざるほどのそれ、うぇん!ここ一番のダメージ!あああ!!!あああああ!!!!いっそ殺してくれ!!!!殺してーーーーーーーっ!!!」

 

ひぎぃ!と情けなさすぎる絶叫をしながらレイは本気でのたうち回る。スコーピウスが純粋培養おぼっちゃまで良かった。傷をえぐり取られずに済んだ。

もう本格的におしまいの心地である。何もかも嫌だ。嫌すぎる。何とかして精神を切り替えたいけれどそうもいかない。

そりゃ先生の側にも戻れないわけだよ!あああ!もう!もう本当にさぁ!俺は何してんだよ馬鹿!

何が悲しくて先輩殺した男と情を交わさなきゃなんないんだよ。可哀想すぎるだろ、俺が。俺に謝って。全世界は今すぐに俺に謝罪して。

 

「闇落ちセド先輩反対!俺のためにも!反対!ぜーーーったい反対!!」

 

人畜無害の超穏健派なりに暴れまわって部屋が埃で薄っすら濁ったころ、レイはようやく落ち着いた。そして、スコーピウスから預かった薬のことを思い出したのである。

由来はどうであれ、他に集中して脳に余計なことを考えさせないのはいい手段だ。きっと良い気分転換になるだろう。

 

「気分は最悪ですが、そんな可哀想な俺を助けるためとも言います。珍しく怒りが収まらないけど、はい、はい、切り替えましょう俺。大丈夫、大丈夫、お薬の解析、たのしい、おれ、おくすり、すき」

 

取り出したるは紫の小瓶。その中身は瓶に半分程度。

自分のことだから、用法容量は正しいはず。学者としての自分を信頼しているからこそ、無駄遣いはできない。ほんの数滴のうちにこの薬の薬効を確定させなければならないだろう。そして、面白いものであれば自分も作りたい。

他人の作った得体のしれない薬、その測定のいかに難しいことか。しいていうなら、どこの世界にいても自分は自分なので癖は見える。手がかりを見つけて引っ張るしかないだろう。

 

「カオリコケモモモドキは確定だろ。これは俺の癖だから。口に含むなら美味しいほうがいい、は日本人として当たり前の感情だもんね」

 

香りをよくしよう、味をまともにしようと自分が使いがちな薬草のレシピを考える。白濁させない、だけでも随分絞りこめた。

 

「セド先輩に飲ませたい。過去に戻れることを知っている。自分が考えそうな世界への反逆……」

 

この香料を入れるときには生臭みを抑えたいから。であれば動物性の成分が入ってる。そして、本来の万能くっつき薬にそれは入っていない。

口に一滴なじませればケミカルな味の中にごまかしのリンゴフレーバー。舌で口内に回せば全部が全部くっついた。

 

「んぐぅ!?」

 

時間にして数秒。口腔内を覆いつくすように舌がくっつき、そして離れた。この液体には水分を含むとはがれる性質がある、それは分かったけれど。

 

「は?ホントに万能くっつけ薬じゃん!?」

 

いよいよ意味が分からなくなる。何故自分はセドリックにこれを飲ませようとしたんだ?少しでも飲みやすいように香りと味までつけて。

 

「や、やぁ……まさか、ねぇ?」

 

レイは自分の薬瓶の棚から本物の万能くっつけ薬を取り出した。そして、その成分を比べる。

 

「楊瞑草、ガムベース、シェムズリコリスの根も入ってる。俺が作ってるからぺとぺとチンキも入れてある。あっちでも特許とってんのかなさすが俺、じゃなくて間違いなく万能くっつけ薬だなここまで」

 

これならバナナだってミカンだって乖離剤つけるまで食えねぇよ間違いなく。なら、なんでこんなこじゃれた瓶にまで入れてスコーピウスに持たせたのか。

 

「あれ……?ムーンカーフの血液、となんだこれ?」

 

レイはここで気が付いた。スコーピウスが迷い込んだのは闇の世界。ということは、統べているのはもちろん闇の帝王。魔法薬学教授のポストに座れていない自分。じゃあ、自分はどこで何をしていて、何のために生かされていたのか。

気づいた瞬間。背を汗が伝った。

 

「俺のメイン研究ジャンルは、魔法薬学。でも、向こうではそうじゃなかったら?」

 

自慢じゃないが自分には得意ジャンルに限り勉強の才能がある。闇の帝王が求めていたのは、永遠の命だ。

 

「魂と霊魂の研究……」

 

レイはサイドテーブルに積まれた埃っぽい本たちを見た。セドリックが死んでからこっち、ちっとも手を付けていなかった分野。それは教師として限りなく忙しかったから。

そしてそれ以上に、魂は失われたら戻らないと十五の自分は確信してしまったから。学術的興味以上の可能性を感じなくなってしまったのだ。魂と魔力の運用に関しては一家言あるつもりだか、神秘方面での魂に関しては専門外になっている。

けれど、もし。研究のための資材が潤沢にあって、場所が整っていて、自分の力では叶わぬ、しかし誰かであれば叶えられる夢を囁かれていたとしたら。

 

「魔法が使えない、瞳が赤い。守護霊の呪文なんてもってのほか。うーん、最悪な想像だけどなんとなく理解できて嫌だなぁ……」

 

きっと自分はあの興味深い神秘の世界に身を置いたのだろう。史上最悪の闇の魔法使いの手の内で。自分だからわかる。この薬が、どんな世界で、どんな目的をもって、どうやって作られてしまったか。

 

「セド先輩、あんたすげー罪深い男ですよ」

 

何人死んだか教えてよ、俺。

 

そう瓶に話しかけたって勿論返事なんかない。

ただ、自分の性格上、自信のあるものから何度も執拗に挑戦して、それでもダメでやけっぱちのこれだろう。いきなり万能くっつき薬に行きつく頭の柔軟性はない。

 

「最初はガチでくっつけ薬を口にねじ込んだんだろうなぁ。そんなんありかよ。万能ったっていくら何でも万能すぎない?」

 

バナナくっつけて喜んでた俺を笑ってやりたくなる。まさかの用途だ。薬は容量用法を守るべき、と長年信じてきた自分を笑った。

 

「確かになぁ、ハリーにはセドリックの肉体を連れて帰るっていう間違ってない歴史がある。その上で、魂さえ引っぺがされてなきゃ生きたまま帰ってくることが可能、かぁー、あーすっげぇ、俺ってば天才……」

 

構成部材が分かれば後は簡単。あと何が足されているか、を完成薬品の重量や濃度から割り出せばいい。自分のことだ、とメタ視点をもっての作業は軽やかに進んだ。

 

「一番多いのはムーンカーフの血液。これは魂の代替品かな。ユニコーンと違って呪いは降りかからない。ムーンカーフは足りないゆえに純粋で美しいから。それと、月夜光草、長命草、魂保護系の薬草多いな。このまま飲んでも効き目ありそう。それに、ウォーターカーボネイト……?あ、水を含むと膨張して剥がれんのか。あったまい~、剥離剤いらず、ってことは剥離することに問題はない、か。成分が即座にしみ込むってこと、だな?魔法薬における即効性って呆れるほど即効だからな、その類か、じゃあ、あれも入ってる……?ビンゴ!」

 

フラスコからフラスコへ。鍋から鍋へ。微小な違いすらも生まないように細やかに薬を仕立ててゆく。幾度となく失敗をするが、そんなのはこの学問では当たり前。最終的に形になりさえすればいいのだ。

 

「慎重に慎重を期してる。我ながら惚れ惚れする調合……。あとはこの内容で分量を探る」

 

そこから二日間。授業をするとき以外は準備室に籠った。割り出した内容から考えるにそこまで難しいものではないはずだ。

それでも、最後のパーツが見当たらない。人の作った薬の解析というのはこの点が難しいのである。薬効と分量が分かっても、おまじないが分からない。

レイがおまじない、と呼んでいるのは特殊な魔法薬における意味の分からない混合物や手法のことだ。理的に考えれば入れる意味が一切なさそうなそれ。ただ、入っていなければなぜか効果を発揮しなかったりする。その独自性が特許だったりするのである。

薬によっては最後に手を合わせて祈る、や、一旦紅茶(茶葉指定あり)休憩をする。という工程が必須とされているものまであるのだ。そして、どうしてなのかは理解不能なのだが、その謎の工程を挟まないと確かに失敗するのだ。魔法薬の作成は実に奥が深い。

レイが思うにこの薬にも間違いなくそれがある。なぜなら、材料と分量を突き止めても薬液の色が似ても似つかないのだ。現在の鍋の中は小豆色。ムーンカーフの血液成分が強く出てしまっている。

 

「配合には自信がある。ちょい血なまぐさいけどこれで物をくっつけることもできた。じゃあなんでこの色にならない?」

 

自分の思考をトレースしようにも、ここの自分とあちらの自分があまりにも違う存在だというのはスコーピウスの話を聞いたからわかる。この自分が差し出された食料を断るなどありえないからだ。

レイは缶に詰まったキャンディを取り出す。自分と先輩の思い出の味。あれからこっち、キャンディといえばこればかり食べている。

砂糖と香料のシンプルなそれには魔法は使われていないのだろう。口に含めばいつも通り。優しくって寂しい味がした。

 

「オレンジ、かんきつ、いやでもさすがに香りは間違えないって。あれは間違いなくリンゴ、」

 

小瓶の中身をもう一度嗅いでみる。レイの鼻をもってしても間違いようがなかった。口の中に含んだオレンジとはあまりに違う。

それでも、やってみる価値はあるだろうか。けれど、食べ物の無駄遣いは義にもとる行いだ。

 

「……。笑っちゃうけど、なんだかんだ俺は俺のことを信じてる」

 

可能性があるのならば。今は何にだって縋りたい。

最初に彼から与えられたもの。それはこのキャンディ。甘酸っぱくて歯触りのいいハニーデュークス、永遠の新作。

これは、おそらく向こうにはない材料。闇に落ちた世界で製菓店を営めるとは到底思えないから。

それがスコーピウスの手を伝って向こうの自分へと渡った。あちらの自分がどんな人間かはわからないけれど、相変わらず薬学に対する嗅覚だけは鋭いのだろう。

レイは大鍋の中身をひと掬いだけ小鍋に移すと意を決してキャンディを一粒入れた。途端、薬液は澄んだ黄金に変わる。

 

「ビンゴ……」

 

レイは大きなため息をついて椅子に座った。どっと疲れた気分である。疲れついでに机の羊皮紙にすべての材料と成分、そして分量をメモすることを忘れない。後で今日の記憶を小瓶に入れなければ。そらでは再現できる気がしない。

魂をくっつける薬。おそらく死の呪文に対抗できる薬。どんな魔法使いの作った呪文も成し遂げることができなかった魂を体に結び付ける魔法。その万能薬。

 

「できた薬は我が身で試す。ただし、脱狼薬以外は。がモットー、はいカンパーイ!」

 

こんな薬、役に立たないのが一番いい。けれど。あの人に飲ませておいて、自分はなしなんてありえない。

べたり、と喉に張り付く感覚。正直かなり気持ち悪いが致し方なし。味は悪くないが特段美味しくもなかった。人工的なリンゴ味の中にどことなく鉄分を感じられる。シナモンでも入れた方が良かっただろうか。

 

「あー……なるほど、元気いっぱい魂弄った俺が言う事じゃないけど、ぼんやり気持ち悪いな、コレ」

 

魂保護、とは別ベクトルのなにか、が魂を覆ったのは理解できた。とはいえ、気分が悪くなる様子はない。美しい点描絵画にわざわざ近づいて題材が理解できず首をかしげるような、そんなおさまりの悪さに近いかもしれない。

本来は薬効を確かめたいところであるが、死の呪文を受けてみようとは思えなかった。絶対に役に立ってほしくないけれど、いつどこで役に立つかなんてわからないものである。自作のこれが効かなかったらそれは仕方がない。悔しいけれど死んだら後悔なぞする暇もないと思うのだ。

はひー、と息を吐いてレイは机に突っ伏した。次の授業まで少し時間がある。四年生の魔法薬学は準備済みであるし、いったんお昼寝の機運が高まりすぎている。

 

「あぁ、どうしよう。俺が天才すぎて覚悟が揺らいじゃう。あぁ、どうか。どうにか。考えなきゃ、考えることが、俺の……」

 

落ちてくる瞼。落ちきる前にアラーム魔法をセットしてレイはひと時のまどろみに身を預けた。

 

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