「あぁ!くそっ!どうして!」
飛び去った彼女に手を伸ばすことなど、箒どころか杖すらない二人には無理な話だった。
砕けたタイムターナーの破片が周囲に飛び散り、まるでダイヤモンドダスト。あまりにも美しい破滅的な光景にスコーピウスは息を詰める。時間旅行、それはあのアイテムがあるからこそ成り立っていた奇跡だ。
となると、デルフィーニもこの時間から出ることはできない。それでもいいという覚悟があるのか、はたまたこの時代であればタイムターナーがどこかにあると知っているのか。彼女の考えは何一つわからないが、ともかく自分たちのことを考えねばならない。
「デルフィーニは何がしたいんだろう」
独り言のようにつぶやかれたそれにアルバスが反応する。その目からは光は失われていなかった。それでも、このままではすぐに空回りを始めてしまうだろう。アルバスという男は行動力こそあれど、あまりにも分別がないのだ。
「スコーピウス。彼女を止めなくちゃ。僕たちで」
「うん、でも、どうやって?」
ぴしゃり、とスコーピウスの言葉がアルバスの行動を制す。闇雲に動いたところでどうしようもないのだ。それに、ここが過去である場合、過去改変の危険性はまだ消えていない。完全に元の位置に戻ったとは考えづらいのが現状だ。なにせ、自分たちがしでかしたことがレイやハリーに伝わっているとすれば、今この場においてその二人の声が聞こえてこない、なんて状況ありえないのだから。
「止める、にも方法が必要だし、僕たちは彼女がどこに飛んで行ったのかもわからない。それなのに何をどう止めるつもりなのアルバスセブルスポッター」
「う……ちゃんと怒ってるときの態度」
「怒ってないよ。僕は動いてるホグワーツ特急の屋根に二度と乗りたくないだけ」
だから、状況把握から始めるべきだよ。そう言われてアルバスは周辺観察をする気になったようだった。しかし、短気な彼のこと。あっという間に苛立ちが募ってしまったらしかった。
「ここは学校。それはわかる」
「今まで使ったタイムターナーも、必ず、戻ってくる位置はその場だったからね」
「だったら、すぐに先生の所に行こう!どうせパパと一緒だ。パパと先生なら何とかしてくれる」
だから行こう!そう手を引かれた。けれど、スコーピウスは走り出してはくれない。窮地に追い込まれたことで彼の灰色の脳細胞は滑らかな思考を展開し始めたらしかった。
「アルバス。それは間違い。僕らが今すべきはこの場から早急に離れること」
「なんで。事態は一刻を争うだろ」
「もちろん。本当なら今すぐにでも誰か先生を捕まえて事態を話すべきだよ。彼女の目的は分かっていないし、」
「あぁ、もう。まどろっこしいな。なんでダメなんだよスコーピウス!」
正直言って、アルバスは何よりもこういった考え事が苦手だ。考える力こそあるが、目先に捕らわれすぎるきらいがある。彼の頭の中は彼女を止めなくては、でいっぱいになっているに違いない。それが良い時もあるが、今は間違いなく違う。
「ここがいつだかも分からないのに?」
「何言ってるんだよ。ここは僕たちの時代だろ」
「二回の時間旅行を経て学んだことは、タイムターナーの効果で五分後には元の時間元の場所に戻される、ということ。でも、もしも。タイムリミット前に別の時間に移動したら?僕らはどうなるかを知らない」
それに、はじき出されたなら誰も痛い目に合ってないのは不思議な話だと思わない?
スコーピウスに言われてアルバスははっと手を見た。確かに、一回目の時間移動の結果、かなりの痛みを負ったのは記憶に新しい。それがスコーピウスの言っていることの正しさの担保になるわけではないが、可能性は限りなく高いだろう。
「もしも、突拍子もない時代だった場合、ここに僕たちを知る人は誰も居ないし、マクゴナガル校長先生どころかダンブルドアだっていないかもしれないんだよ」
そんな中で、無防備にもこんにちは、なんて突然現れた子供二人。怪しまれないはずもない。
せめて、ハリーポッターが存在する時間だったらまだ話も通じる可能性がある。件の予言があれば自分たちの存在そのものに信憑性が増すからだ。予言の子供である英雄ハリーポッターが闇をうち滅ぼした未来からやってきた彼の子供、という肩書があれば多少は。
けれど、それよりも前だったら。自分たち二人は錯乱呪文をかけられたマグルだとされてオブリビエイトを受ける可能性すらある。杖の一本も持っていない自分たちがとっさに魔法族であると証明することは難しい。そうなればこの冒険は一巻の終わり。いいや、この世界が完全に闇に飲まれるだろう。スコーピウスが見てきたあの世界のように。
「じゃあ、何もできないってのか。指くわえてデルフィーニのすることを眺めてろって?」
「その短気、君の悪いところだよ。そうは言ってない。今ここがいつなのか分かればデルフィーニがどこに行ったのかの手掛かりになる」
君のパパが生まれるよりもっと古い時代なのか、それとも君のパパが生まれてからなのか、そのどっちか分かるだけでも彼女を追いかける方法がまるきり変わるんだからね。
そんな風に正論をつきつけられればアルバスも止まるよりほかない。
「……もしもパパが生まれる前だったら?」
「そうでないことを願うよ。だって僕らじゃ手詰まりだから」
そういったスコーピウスの脳裏にはデルフィーニの顔が浮かんでいる。彼女はポッター家のことを細かく調べたりしたのだろうか。それとも、もっと短絡的な発想をもってしてここへと飛んだのだろうか。なにか、見落としている気がするのだけれど、スコーピウスには見当もつかない。
「デルフィーニの目的は闇の世界を呼び込むこと」
「それ、なんでなんだろうな」
もう少しだけ、彼女のことを考える。ダームストラングの制服を用意するなど用意周到なところはあった。しかし、よくよく思い返してみるとその策略は全体的にがさつで粗が目立つのも確かだ。
あまり細かいことを好むタイプではないのかもしれない。となると、案外、本気で赤ん坊のハリーポッターを殺してしまおうと考えてもおかしくはないだろう。
「スコーピウス、あのさ。何とか目に見える物だけで少しだけでも時代を絞れないか」
彼女のことで頭がいっぱいになりかけたところで声がかかった。目に見えて焦っているアルバスのために何事かの返答ができないものか、と思案する。何か解決の糸口があれば彼だってもう少し冷静になってくれるだろう。と言っても、ここは競技場。自分たちがいた時代とそこまで代わり映えしない。
「ここがクィディッチ競技場ってことは、やったね。アルバス。今は十一世紀から二十一世紀の間だよ」
「千年あるじゃないか!」
流石に、歴史オタクのスコーピウスといえど、千年のことを短い時間とは言えない。三百年くらいであればまだ、歴史学という観点で見れば短め、であると評することもできる。もう少しだけでも絞るべきだろう。実際、アルバスの顔色はさらに悪くなっていることであるし。
「えーっと。学校に競技場ができるくらいルールが定まったのは一六七四年くらいだからそれ以降の可能性が高いかな。古い時代の魔法使いって安全性を度外視するワイルドさがあるんだ。原初のクィディッチもまた子供が気軽にアクセスしていいスポーツじゃなかったんだよ。例えばなんだけれど、最初のワールドカップなんて、」
「オーケー、スコーピウス。半分くらいに絞れて僕も嬉しい。他に気づいたことある?」
アルバスはスコーピウスがクィディッチの歴史を語るのに夢中になる前に止めた。今必要な知識でないことは明白である。普段であれば面白ラジオ感覚で聞き流して、気になったところで会話に繋げたりするのだが、今はそうではない。
「うーん……せめて、ここが室内だったら。目につくところに制服の誰かがいれば。僕は今がいつごろかっておおよその予測はできる。でも、今ここには誰も居ないから……」
「もしかして、制服を見れば年代が絞れるって言ってる?」
「意外と頻繁に変わるんだよ、ホグワーツのローブのデザインって」
「お前、ほんっとうにオタクだな」
「褒めてくれてありがとう」
嬉しそうなスコーピウスの手を引いてアルバスは歩き出す。いかんせんここは競技場のど真ん中。彼に言われたとおり、もしここが自分たちの時代でなかった場合、こんなに目立つところにいるのは得策ではないだろう。スコーピウスにもその気持ちは伝わったらしく大人しく着いてきた。
とはいえ、城に戻ることもできない彼らは教師や来賓の観客席がある櫓の側、隠れるように座るしかなかないのである。
スコーピウスは空を見る。そして、何事かを考えたようだがすぐに諦めてしまった。確かに考え事が大好きであるがそれは目の前にヒントやきっかけがあればこそだ。ゼロをイチにするのは限りなく難しい。
「ごめんね、アルバス。これが今の僕の精一杯」
ゆっくりと斜め下を見つめるスコーピウスだ。彼の感覚で言えばチェックメイト寸前。女王の刃は喉元へと突き付けられている。
歴史を最悪な方向へ変える危険性を孕んでいる、と意識したのが問題だった。世界を変えてしまっても一向に構わないデルフィーニを、影として誰にも見つからずに追いかけることがこんなにも難しいだなんて。
ここで、不甲斐なさ、やるせなさに惑わされてアルバスが突飛なことを言い出さないと良いけれど。スコーピウスは親友に対するちょっとした不安を滲ませながら彼の方を見る。そして、それは予想外の形で裏切られた。
「僕も考えたんだけどさ」
「うん」
「さっき、スコーピウスが言ったのって十七世紀から二十一世紀の間って話だった、よな」
「クィディッチの歴史から見た点ではね」
眉間にしわを寄せて、何事かを考えている様子のアルバスに不躾にも、珍しいものを見る目を向けてしまった。彼ときたら理論より行動型であるはずなのに。この慎重さときたらどういう事だろう。
「なぁ、スコーピウス。もしかして、の話だけど、聞いてくれるか」
「もちろん。君の話は何だって」
よかった、とアルバスは笑顔を見せる。その表情の中にはうっすらとした自信が混ざっているようだった。こういう時のアルバスは、強い。それを一番知っているスコーピウスは彼の言葉を待った。
「デルフィーニはヴォルデモーの隣に立つって言ってただろ。だったら、ここはヴォルデモーが生きている時代、なんじゃないかな。それっていつからいつ?」
「一九二六年から、一九八一年の五十五年間。肉体を伴っての再活動、って観点で行くなら一九九五年から一九九八年の三年間もそうだね」
「じゃあきっとそのどっちかだ。千年から随分絞れた。でもそれ以上は分からない」
「それが、そうとも限らないんだよ」
スコーピウスはアルバスの思案にはあらかた賛成だ。確かに、彼女の言葉から絞れば可能性は高いだろう。しかし、今一つ決定打に欠けるのである。九十九パーセントそうであったとしても、自分たちでは一パーセントを引きかねない。
「なんで?赤ん坊だったパパを殺すのが手っ取り早くないか?」
「僕もそう考えたんだけどね、おそらくそれは間違い。だってハリーポッターはリリーの愛で守られているから。そこに気づいてないって考えるのはいくら何でも希望的観測が過ぎる。愛の守りに害をなすもの、という観点で見ると彼女もまたハリーに触れることすらできない」
「でも、可能性は高いだろ!だったら行先は一つ。ゴドリックスホロウだ!」
「もちろん。僕もそう思ってる。でも。今ここが、ホグワーツ決戦前夜のホグワーツじゃないって自信を持って言える?ジェームズポッターがいるホグワーツじゃないって確証がある?」
アルバスは黙ってスコーピウスの顔を見た。いつになく強い言い方に驚いたのもそうだが、口をつぐんだことで己の心拍数が嫌に早いという事に気づいたのだ。一度深呼吸をしてみる。スコーピウスが何を考えているか、分からないけれどその表情には明らかに焦りの色が見て取れた。
少しだけでいいからスコーピウスの顔を見て。そう言ったレイの顔が脳裏に浮かぶ。二人で慌てていたってどうにもならない。こんな状況で冷静になるのは非常に難しいことであるが、それでも。アルバスはレイの言うとおりにしてみた。なにせ、スコーピウスが一緒なのだ。
「大丈夫、何とかなる」
「なにが?」
「君がいるから」
「えっ、えぇ、どうしたのアルバス……?会話に脈絡がないよ」
「新鮮な空気で肺を一杯にした。だから、ちょっと落ち着いた。スコーピウス、話の続き」
「あ、あぁ……うん。つまり何が言いたいかって言うと、君のパパにこだわらずとも君のおじいちゃんとおばあちゃん、もしくは祖先にあたる人物を早々に手にかけちゃったって良い。そうすればハリーポッターは生まれてすら来ないから」
そう言われてしまってアルバスも打つ手がない。スコーピウスの言うとおりだとしか思えないのだ。それでも、何かが引っかかる。重要な見落としがあるような気がしてならなかった。
ここはおそらくヴォルデモーが生きている時代。この前提がまるきり間違いとも思えないのだ。その理由をどうにか言語化しようと、論を捏ねてみることを決める。
「デルフィーニは、エイモスの姪じゃないって言った」
「そうだね、あの様子だとディゴリー家には関係なさそう」
「嘘をついていたのは、パパに近づくため、じゃなくて。タイムターナーが欲しかったから」
その言葉にスコーピウスは一つ仮説を立てる。彼女はあえてこの場所に時間を固定したのではないか、と。そこに意味がないわけがない。彼女には何らかの策があり、この時代に押し込められてもいいとすら考えたのだろう。
「スコーピウスあのさ。もしも、誰かに認めてもらいたいって思ったら、褒められたいって思ったらさ。普通はその人の前で頑張るよな」
「そう、だね。うん。アルバスの言いたいことわかるよ。彼女の目的はヴォルデモーの隣に立ち、世界を闇で覆う事。そしたら自分が闇の帝王の予言そのものを覆す存在になるのが確実だ」
「じゃあやっぱり!」
ぱっと、明らかに輝いた顔にスコーピウスは一つだけ首を縦に振った。無論、この推論には穴がある。まったくの思い違いという可能性だって。それでも、今この場で一番それらしいルートなのだ。スコーピウスだってこれを逃したくはない。
「ハリーポッターさえ生まれてこなければ、彼女の思い通りだ。でも、それを誰にも知られず、誰にも見られず。因果ごと消してしまったら。果たして闇の帝王はデルフィーニを隣に置きたいだなんて思うだろうか。全盛期の闇の帝王が赤ん坊に敗れるなんて、誰がそんな話を信じるだろう。だったら、少なくとも例の予言が出た後の方が都合がいいって考えると思う」
「予言はいつ出た?」
「詳しい文献はないけど。一九七九年後半から一九八〇年前半のどこか」
千年は一年と少しまで圧縮された。後は日付さえ分かれば完璧である。明確に喜色を浮かべたアルバスを抑え込んでこの場でしなければならないことを今一度彼に突き付けるスコーピウスだ。
「即決、即断、即行動の君のその勢いのことは嫌いじゃないし、むしろ憧れるんだけど、僕らがしなきゃいけないのは九十九パーセントを百二十パーセントにすることだからね?」
「わかってる」
口ではそういうものの浮足立ったアルバスの肩を押さえる。無理やりにでも深呼吸させれば一応の落ち着きは見せた。それでも、駆けだすのは時間の問題だろう。この勢いに振り切られて大やけどした当事者としてはもうほんの少しでいいから策を練らせて欲しい。
「とりあえず、彼女は学校に用はなさそうだから離れた方が良いね」
「でもさ、ダンブルドアあたりに助けを扇ぐべきじゃないか?もしかするとわかってくれるかもしれない」
「そうしたいところだけれど、いろんな人の目に触れるとその分、歴史を変えてしまう可能性が高まる。それは避けるべきだと思う」
スコーピウスの脳内は目まぐるしく働いていた。様々を司る五人の小さな自分が次々に何らかの作戦を持ってきては中枢たるスコーピウスに許可を求めてくるレベルである。会議を開いている時間がないがための緊急措置、スコーピウス評議会は混迷を極めている。
不審な生徒が二人、学校を突っ切って学校から脱出する方法。時代は魔法戦争真っただ中。推定事象ではあるが、学校も正面からの出入りには厳しいだろう。
一番楽なのは姿くらましだが、ホグワーツ校内では使うことができない。なにより、あの高度な呪文が自分たちに使いこなせるわけもなかった。
となるとフルーパウダー。しかし、スコーピウスが知る限りでは学校でネットワークに加入している暖炉は校長室のみだったはずだ。ダンブルドアの部屋に忍び込める猛者なんてそれこそ全盛期の悪戯仕掛人くらいの物だろう。
せめて、透明マントでもあればチャンスは広がるが、無いもののことを考えても意味がない。
校舎に入らず、空も飛ばず、透明にもなれない。杖すら持たぬ自分たちがとれる手段。それは歩いてこの学校の敷地から出ること。
「……一つだけ。確かめてみたいことがあるんだ。僕らの仮説の可能性を高める話でもある。ついでに、学校から出る方法も確保できるかもしれない」
「まさか、暴れ柳の下を通って叫びの屋敷にいこうとかいうんじゃないだろうな」
「ウィゾー!アルバス、その抜け道知ってたの!?」
「親父が酔っぱらうと話すんだよ。その一つ」
「……。今度君の家に泊まりに行っていい?パパにすごく上等なファイアウィスキーを持たせてもらうから」
あまりにも真剣な目をしたスコーピウスにアルバスは薄ら寒いような心地に襲われた。明らかに瞳の輝きの質が変わったのだ。
彼の歴史学に関する並々ならぬ情熱に対して思うところがないわけでもなかったが、まさかここまでだったとは。レイが言っていた通り、オタクと言う種族には常識の範疇にない底知れぬ何かがあるらしい。
「なぁ、もし。僕とレイがスコーピウスのいないところで歴史談議に盛り上がってたって言ったらどうする?」
「えっ、そんな、ことが、あったの……?何の話をしたの?いつ?レイが学生の頃の話?ハリーポッターは活躍した?でも、レイはハリーのことあんまり得意じゃないからな。だけど当時を生きていた人にしかわからない空気感ってあるよね?今度レイが好きなお菓子を持って聞きに行ってみよう。アルバスに話したってことは僕の知らない話の可能性も大いにあるし……あぁ!僕もその場に居たかったなぁ!」
「ウィゾー、」
「何がウィゾー?」
「本当にレイが言ってた通りの反応するもんだから、つい」
アルバスは立ち上がりスコーピウスに手を伸ばした。行くべき場所があるのならば、早いに越したことはない。二人には本来立ち止まっている暇なんてないのだ。
「行き先が決まったんだから、行こう」
「うん!」
手を引かれ立ち上がる。ズボンについた芝生をはたいて適当に整える。競技場から暴れ柳まではそこまでの距離はない。本当は走り抜けてしまいたいところだったが、もしも誰かとすれ違った時に下手に印象に残るのは避けたいところである。
「慌てない。走らない。素知らぬ顔してさも当たり前みたいに。僕ら、悪いことしてるわけじゃないんだから」
「悪いことはしてるだろ」
二人は暴れ柳が植わっている方へと歩き出す。誰にも出会いませんように、と祈ることしかできないのがもどかしいが、素知らぬ顔をして。
ただ、無言でというのも何かおかしいと思ったのだろう。アルバスはスコーピウスにしか聞こえぬ音量で彼に話しかけた。
「でも、ホグズミードで何すんだよ、あの駅に乗り入れる唯一の電車の名前知ってるだろ。僕たちが行かなきゃならないのはゴドリックスホロウじゃないのか」
「確率は高いけどまだ確定してないよ。それに、ホグズミードで未成年魔法使いがうろうろしてるのも変だからね。何とか外に出て、マグルも使う駅まで行くのが先決だよ」
スコーピウスの口から出た提案を意外に思ったアルバスである。自分と二人で一度使った時に慣れたのか、はたまたそれしか手段がないと考えているのか。どちらか分からないがその選択肢が彼の中に生まれているのが少しだけ嬉しかった。
「流石にこの言い方はどうかとも思うんだけどね、アルバス」
「何」
「すごくすごく幸いなことに、今の僕らには魔法を使う術がない。マグル界に逃げても間違って魔法を使ってしまい、未成年魔法使いの魔法履行として魔法省に立件されるなんて可能性は恐ろしく低い」
「むしろ、マグルの紛れてた方が安全って意味?」
「そう、とまでは言い切れないけど、ここに居るより動きやすいと思うよ」
魔法界どころか、この時間に対してはみ出し者である。ただでさえ狭い英国魔法界において学校内の見知らぬ顔は目立って仕方がないだろう。しかし、マグルの世界となれば別だ。街を歩けば知らない顔、なんて星の数ほどいる。危険な犯罪も多いけれど、人攫いに襲われる可能性なんて魔法界でも十分にあるのだ。
それでも、純然たる魔法貴族であるスコーピウスの口からそんな言葉が出るなんて思ってもみなかったアルバスは問う。
「確かにうちなんかはマグルに紛れて暮らしてるけどさ。スコーピウスは怖くないのか?魔法が使えない世界って」
マグルより魔法族が優れている、だなんてアルバスは思ったこともない。伯父の家に遊びに行くたびに触れるもの、家で稼働している家電。そんな物を見るたびに原理こそ違えどほとんど魔法と変わらないと思うのだ。魔法を使う種族と、電気を使う種族がいる、それだけの違いだとすら。
「僕は、魔法以外の動力を使ったことがない。それにパパはともかく、おじいちゃんやおばあちゃんからマグル学を受けることすら禁じられれるような家だけど」
「だけど、なに?」
問われた彼は屈託なく笑う。咲き誇る美しい薔薇。その頬の一番高いところにさっと紅が差して高揚が見て取れる。純真でありながらイタズラな表情にはアルバスも胸が高鳴るほどだった。
「あんなに美味しそうなお菓子を作る人たちがそんなに悪い人なはずがない」
スコーピウスが思い出しているのはホグワーツ特急から飛び降りた後。アルバスに連れられてマグルの街をほんの少し歩いたときのそれだ。あの老人ホームに行くまでにたどった道の中。駅の購買、見たこともないパッケージのお菓子。こじゃれたショーウインドーのお菓子屋さん。そして、誰かが持ってたカラフルなコットンキャンディ。どれも、とても美味しそうに見えた。
「それにね。ママが言ってたんだ。薔薇はどこで咲いても薔薇。何があっても薔薇であることに変わりはないんだから、気高く、優しくありなさいって」
マグルと魔法使いが共存した歴史、はほとんど存在しないといっても過言ではないだろう。魔女狩り、すなわち中世という人類にとっての暗黒時代が持つ野蛮さが種族間の分断を深めてしまったから。
かといって、全てのマグルにその粗暴さがあるか、と問われると話は別だ。百人いたら百通りの性格がある。魔法族にも、マグルにも同様に。個人を蔑ろにして一緒くたに語ることもまたスコーピウスは避けたかったのだ。
「なぁ、スコーピウス。うちのママは、お菓子を買ってくれない。しかし、僕の伯父さんは全ての子供に実は甘い。なんでか分からないけれど僕には特に甘い」
子供の頃はパパをサンドバッグにするくらいやんちゃだったらしいけど、今はいい伯父さんだよ。アルバスはそんなことを言いながらポケットをまさぐっている。そこから出てきたのは赤文字が印刷されたアルミの塊。あとはジップロックに入った茶色の塊だった。スコーピウスが小首をかしげるとアルバスは得意げに包装を解く。
「ティーケーキにジャファケーキ」
「ケーキ!?」
「本当はスキットルズも持ってるけど生憎鞄の中だ」
「もしかして、マグルのお菓子!?」
とっておきの出し時っていまだと思うからさ、とアルバスはティーケーキを半分に割ってスコーピウスに差し出した。マグル製品特有の、体温で溶けて指先にまとわりつくチョコレートのコーティング。それだけで少しよだれが出るほどである。魔法界のチョコレートは口どけがいいが、指を汚すことはあまりない。ゆえにとてつもなく悪いことをしている気分になるのだ。
伸びるマシュマロクリームも、ちょっぴり湿気たビスケットも。本当は暖かな紅茶と共に行きたいところであるがそこまでの贅沢は言うまい。
「今すぐ口を開けて」
「えっ、渡してくれれば食べるよ?」
「手を洗えるあてがないからさ。僕だけでいいよ、手を汚すの」
「よくわからないけど、口を開ければいいんだね?」
あーん、と頑張って大きく口を開けたスコーピウスの口内にティーケーキを入れてやる。甘くて、蕩けるような質感に彼の目元もとろん、とほどけた。もく、もく。甘みを堪能するように頬が動いている。そして、お行儀よく空っぽになったところでここ一番の歓声をあげた。
「ウィゾーー!!」
「スコーピウス!しーーっ!声が大きい!」
「あはは、ごめんごめん、美味しくって。こんなの食べたことないよ!マグルのお菓子、凄いね」
もしも、この発言を彼の祖父母が聞いたのならば卒倒しかねない。それどころか、一撃で仕留めることが可能だろう。マルフォイ家の跡継ぎたる一人息子がマグル製のお菓子をこんなに喜ぶなんて。
「外の世界がちょっぴり怖いのはきっと、知らないから。知らないものはどうしたって怖い、何が起きるか分からないから。でも、君のおかげでマグルの作るお菓子は美味しいって知れた、これもまた第一歩!」
目に見えてテンションが上がったスコーピウスに彼は胸をなでおろした。とんでもないことに巻き込んでしまった自覚はあるのだ。普通に生きていたら受けることのないような責め苦を受けたのにもかかわらず、彼はそれでも自分と話してくれる。
「なぁ、クリスマス休暇の時にさ。ロンドンのスーパーでお菓子を買ってくるよ。ママにスコーピウスと食べたいんだっていえば多少は許してくれると思うから」
「ウィッ……ゾー……!ありがとうアルバス。楽しみにしてるね」
最初の音は飛び切り大きかったけれど、何とか我慢したのだろう。非常に紳士的な音量でスコーピウスは喜んだ。罪滅ぼし、にはならないかもしれないけれど、彼が笑ってくれるならばそれが一番だと思うのだ。
「僕のお菓子となら一緒にいてくれるか?」
その問いかけにスコーピウスはくすくす笑う。そして手を差し出した。いつの日かと逆を演じることにおかしくなってしまったらしく転がった鈴みたいな声を漏らしている。
「お菓子とも、アルバスとも、ね!」
未来を作ることは希望に繋がる。それを分かっていて交わした約束だ。何があっても帰り着かなければらない。ゆえに、今この場を必死に乗り越えるしかなかった。
そして、二人はたどり着く。ホグワーツで一番危険な植物の前に。
「これが暴れ柳」
「僕らが知ってるのとは見るからに形が違うね。車が突っ込んだ痕跡がない。やっぱりここは過去とみるのが正しいのかも」
ホグワーツ、裏手の一画。そこには立派な木が生えている。近づくもの皆傷つけて、小鳥くらいなら糧にする、そういう凶暴な木だ。幾人もの生徒がこいつに挑み、保健室送りになっている。
「へへ、普段だったら危険だから絶対に近づかないけど、やっぱり迫力があるね。君のパパと伯父さんは車でこれに突っ込んだって話もある」
「正気とは思えない」
「ホグワーツ特急に乗り遅れて、マグルに見られながらも堂々と空飛ぶ車で登校したって言うんだから」
「正気とは思えない」
淡々と同じ言葉を繰り返すアルバスにちょっぴり意地悪な気持ちになったスコーピウスはさらりと今回の原因について突っついてみることにした。
「ホグワーツ特急から飛び降りるのも?」
「あれは正気。ものすんごく正気」
スコーピウスはハリーポッターとは別ベクトルでとんでもない蛮勇を振るう親友に呆気にとられた。あれが正気だったというのであれば彼の父親の様々な大冒険もおそらく全部正気に違いない。いささか大胆過ぎやしないかと心配にもなるが、なんだかんだとここまで来てしまったスコーピウスも似たようなものである。
「で、詳しくは知らないんだけど。どうやってあんな野蛮な木に近づくんだ?あの太い腕でぶん殴られたらただじゃすまないだろ」
アルバスからの問いに得意げな表情を見せたスコーピウスだ。ぴん、と天に向かって伸びた人差し指は自信のバロメーターかもしれない。
「暴れ柳には動きを大人しくさせるコブがある。そこを押せばいいって話だよ」
「そのコブはどこにあるんだ?」
「木の幹に」
「具体的には?」
「具体的に書いてある書籍が出まわったら学生はホグズミードに行き放題だね」
お前、僕のこと言えたたまかよ。そう言いそうになるのをぐっとこらえてアルバスはへぇ……。とだけ言うにとどめておいた。
暴れ柳の脳内に例外設定はない。何か近づいてもご自慢の枝でぶったたく。彼の行動原理はただ一つ。触られることを良しとせずその不愉快を取り除くこと、だ。ようするに、近づく方法を知らなければ近づくことができないのである。
絶対に触られたくない木と絶対に木の動きを止めたい人間との仁義なき争いが幕を開けるというわけである。この大きすぎる矛盾にスコーピウスは気づいていないんじゃなかろうか。そんな不安がよぎった。
「僕は君を信じてる」
「ありがとう……!」
もしかするともしかして、そのコブの位置を正確に理解しているのかもしれない。そうでなければこんな笑顔を向けてこないだろう。そうに決まっている。
スコーピウスはなんてことなしに一歩踏み出した。そこはぎりぎり柳の射程範囲内。明確に一線を越えて見せた。しかし、柳が攻撃してくる気配は今のところない。
「本当に平気なのか?」
「大丈夫、大丈夫。不用意に近づきすぎなければ、暴れ柳だってぶあっ!!!」
暴れ柳の範囲攻撃、その細めの枝をものの見事にくらったスコーピウスは軽々となぎ倒された。意識外からの打撃は効いたのだろう、受け身をとることもできず、ころころと転がっている。
「スコーピウスに何すんだ!木の癖にぃってうわーーー!」
「アルバーーース!」
カッとなったアルバスもラインを超えてしまった。したらば返す刀ですっ飛ばされのは言わずもがな。けれど彼は何とか受け身をとることに成功したらしい。スコーピウスとは反対側で怒りを露わにしている。
「スコーピウス!策は!?」
「だから、こぶに」
「どうやって!?」
超攻撃的な木に近寄ってコブを押すだけの素早さ、僕にはないぞ。そう最少音量で怒鳴ればアイスブルーが見開かれた。
「本当だ!?どうやるんだろうこれ!」
「おそらく、だけどな。魔法を使って木にバレない様に上手いことするんだと思うんだよ」
「そうだね、浮遊呪文で石とか木の棒をコブに」
「うん。だから、どうやって?」
「どうやってって、僕ら魔法使いだよ?」
珍しくほんの少しイラついているスコーピウスの太もものあたりを指さした。杖用ポケットは相変わらず空っぽだ。そういえば、これら全部が丸く収まったらオリバンダーの店に行かなきゃいけないわけである。魔法使いの相棒なのに、杖には申し訳ないことをした。ちょっぴり陰鬱な気分である。
アルバスの指先に視線を向けたスコーピウスも同じことを思い出したのだろう。同じように表情を暗くした。
「杖、ないんだったね」
「ごめん。僕のせいで」
「悪いのはデルフィーニだよ。アルバスが謝ることじゃない」
さて、困ったぞ。そう二人は改めて暴れ柳を見た。コブ、の正しい位置は分からない。そもそもこの木に近づくことすらままならない。せめて人並み以上の運動神経でもあれば多少の無茶もできようが二人は何もかもが人並程度。何をどうやったらハリーポッターの冒険譚みたいにこの柳の木の下に滑り込めるというのだろうか。
「とりあえず、もう一回チャレンジしてみてもいい?」
「……珍しいな。スコーピウスが策もなしに突っ込んでいこうとするの」
「君に感化されたのかも」
「僕のこと考えなしって言ってる?」
違うの?と純粋な目で見つめられれば何も言えなくなる。事実は事実だ。それに、数々の考えなしにスコーピウスを巻き込んだ自覚はアルバスにもある。ゆえにそれ以上は言えなかった。
「大怪我しても薬ないからな!」
「動けなくなるのは避けたいね」
よーしやるぞー!とスコーピウスは意気込んだ。むこうはあくまでも木だ。そうそう深い考えがあって動いているわけではないだろう。もっと野性的な感性で動いているはずだ。
それに、どれほど危険だとは言え、学校に植わっている植物である。うかつに近づいた生徒が死んでしまう、なんてことは流石にないはずだ。明確な攻略法があるはず。
スコーピウスはまたギリギリのラインに立って木の観察を始める。
「ぇっと、大丈夫、大丈夫、僕ならできる、こぶ。こぶだよ、あぁ、もう、全部こぶじゃないか、えっと、読んだ本に書いてあったのは、なんだっけ。暴れ柳、暴れ柳は、うぉっと!あぶなかっわ、わああぁぁぁっ!へぶ!」
観察に力が入った結果、ほんの少しラインを踏み越えていたらしい。一撃目こそ避けることに成功したが、無数にある枝の次の一手は容赦なくスコーピウスの足を払ったのである。
スコーピウスはすっかりしょぼくれた様子で立ち上がるとアルバスの隣の戻った。手詰まり、ではないけれど相手があまりに屈強な場合、どうしたらいいか分からないのも本当だ。
「スコーピウス、大丈夫か?」
「平気、クルーシオより優しい」
「比べるものがおかしいんだよそれは」
土と葉っぱとを払い落しながらどしたものかと小首をかしげる。時間がないというのに、学校から出るのがこんなに難しいだなんて。いっそ、動いている魔法の列車から飛び降りた方が幾分か楽な気がしてきた。
「あぁ、そうだ。殴られ過ぎて忘れる前に言っておくね」
「木に近づいちゃいけないって?」
「この木は植えられたのが一九七一年なんだ。だから、今は一九七一年から二〇二〇年の間。そう考えると、あの考え方の可能性が高くなるだろうから、やっぱりここは一九七九年から一九八一年のどこかだと思う!」
正直それが分かったところで、である。アルバスはスコーピウスばかりに任せてはおけないと暴れ柳ににじり寄ってみた。ぶん、ぶんと振られる太い枝で明確にこちらを威嚇していることがわかる。柳らしい細枝だからこの程度のダメージで済んでいるが、威力が乗った太めの枝が腹に突き刺さればひとたまりもないだろう。アルバスは潔く暴れ柳の防衛ライン上から撤退した。
「僕、占い額の才能があるかもしれない」
「え?」
「滅多打ちミンチの未来が見えた」
「な、何とかなるよ。きっとね……」
ちっとも攻略法が見つからなくて途方に暮れる。こんな時に頼りになるのがスコーピウスの知識なのだけれど、ホグワーツの様々な猛者に鍛えられた暴れ柳は一筋縄ではいかないらしい。
「うーん……一九七一年と言えば」
「いえば?」
「君のおじいちゃんが入学した年だね」
「それが……?」
「案外、いたずらっ子だった君のおじいちゃんが城から抜けださないために植えられた木だったりして」
「まさか」
ホグワーツきっての悪童にちょっかいを出され続けた木、と考えるとここまでガードが堅いのも理解できる。特に、ポッター家の血を色濃く引いた見た目であるアルバスは木にとっての天敵かもしれない。
スコーピウスだってジェームズポッターのことを詳しく知っているわけではないけれど、まず間違いなく常識の埒外にいた人物ではあるだろう。そうでなければ自分たちを
「こうなったら二人でダッシュする?もしかすると行けるかもしれないだろ」
「名案だね。でも次の一撃をくらったら僕死ぬよ。冗談でなく、ミンチの可能性が出てきた。体中がみしみし言ってる」
「あーあ、杖さえあればビューンひょいでコブに石でもぶつけるんだけどなぁ……」
「アルバス、それだ!遠くから石をぶつけてみよう」
「なんでもやってみるのが大事か」
どんな枝も当たりっこない距離に二人は立ってみる。幸いここは屋外。手ごろな大きさの石はごまんとあった。コントロールに自信はないが、下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、とはよく言ったものである。二人は手当たり次第に柳に向かって石を投げ始めた。
暴れ柳は身を震わせて明らかに嫌がっているが、その攻撃は届かない。どれほど力が強かろうとも、根がそこに広がっている以上、動くことはできないのだ。格好の的である。
「アルバス、僕の勘違いじゃなければ柳の木の動きが鈍くなってると思う!」
「だったら向こうが動かなくなるまで攻撃だ!」
ポコポコと石を投げる二人。しかし、柳も黙っちゃいなかった。石が飛んできたのを見計らって繊細にも枝を動かし始めたのである。ぽーんぽーんといくつかをはじき返すだけだったものが、徐々に命中率を上げていく。そのうちに暴れ柳は明確に狙いを定めて打ち分けをし始めたのだ。けれど、スポーツに親しんでいなかった二人はその挙動に気が付くことができず、石を投げ続けてしまう。
ついに気づいたのは、アルバスの頬を弾丸ライナーがかすめた時だった。