「いっ!!!!」
「アルバス!?」
「痛いけど、かすっただけだ」
皮膚をかすめ取られじりじりと痛む。そっと指を添わせてから見れば指先には薄く血が付着していた。出血量から見てざっくり切れてしまったわけではなさそうで安心する。相対するスコーピウスの表情からしても大事には至っていないだろう。
「……まぐれ、だよね?」
「まぐれって?」
「なんだか、僕らの周りに石がやたらと落ちてるのも、アルバスを狙うみたいに石が飛んできたのも、ほんとにたまたま……暴れ柳の身じろぎの結果、だよね?」
「まぁさか」
アルバスはそう言って山なりに石を投げた。緩やかで非常に打ちやすい球筋。それは柳の木の得意コースだったらしく、カッーーーンっといい音を立てて打ち返された。打点を的確に捉えたのだろう。当たったらただでは済まない速度で二人の間を抜けていった。
「なるほど。ビーター志望なら暴れ柳に教えを乞えばいいってことだねぇ」
「よかったな、スコーピウス。彼はとってもコーチ向きだよ。嫌なこと言ってこないしさ」
「技は見て盗め、マネできるんならなってタイプのコーチだけどね」
血の気が引く思いである。これはもいうっそほかの手段を探したほうがいいんじゃなかろうか。そう、スコーピウスが提案しようとした時だった。アルバスが無数の石を集め始めたのは。
「え、っと。アルバス?」
「勘違いもしくは偶然って可能性もあるだろ」
「ないでしょ。現実を見よう?」
「いや、まだ信じない。信じるもんか」
「アルバス!?」
スコーピウスの制止も何のその。彼は手当たり次第に石を投げ始めた。それこそ何の制球コントロールもせずに。
すぐさま大きさも違う様々な石が暴れ柳に届く。それに腹を立てた柳はよりコンパクトに枝を振るい始めた。それどころか、どうにも嫌なことに気づいたらしい。跳ねた石まで丁寧に拾い始めたのである。丁寧に丁寧に、一石たりとも逃してなるものか、と。
「アルバス!今すぐ、今すぐやめて!さもないとぶつよ!」
「なんで僕が叩かれなきゃアッ!?」
暴れ柳に表情があったら怒髪天であることがアルバスにもわかっただろう。二人に向かって無数の石が飛んできていた。
「最悪だ!!!パーフェクトゲームにするつもりだ!うわぁあ!!!」
諸悪の根源はスコーピウスの手をひっつかんで逃げようとするも、もう遅い。暴れ柳の悪意が乗りに乗った石は頭上に迫っている。生徒であろうが容赦はしない、とでも言わんばかりの弓なりの返石が頭にでも当たればそのまま気を失いかねない。
「アルバス!ドーム状の避難場所をイメージ。で、プロテゴマキシマって唱えるオーケイ?今すぐ、今すぐ!!」
「杖なし呪文なんてできるわけないだろ!」
「やるんだよ!やらなかったらおしまいなんだから!」
「あぁもう!プロテゴマキシマ!!!プロテゴマキシマーーーー!!!!」
「魔法はイメージ魔法はイメージ、ああああっ!お願い、プロテゴ!!プロテゴマキシマっ!!」
二人の祈りがマーリンに届いたのだろう。二人の頭上にはドーム型の幕が張られ、石が弾かれている。アルバスの拳ほどもある石が落ちてきた時は肝が冷えたが、何とかはじくことに成功した。
「でっ、きたぁ……」
「気を抜かないでアルバス!受けきるまで全力で、」
つぶての雨を受けきって息も絶え絶えな二人である。いったん地面にしゃがみこんで息を整える。最早寝転がってしまいたい心地であったが、もしも柳が気を効かせて更なるノックを重ねてきたときに逃げることができなくなるため諦めた。
「本当にごめんな……」
「アルバス、僕との約束二つ目。動いている魔法の列車から飛び降りようってもう二度と僕に言わないこと。そして、暴れ柳にむやみやたらに石を投げないこと」
「もうしない」
流石のアルバスもすっかり疲れた顔をスコーピウスに向けた。窮地に陥れば杖なしでも魔法が使える、というのは自信になったが、疲労感は通常の何倍も強い。
できればこんなことは二度としたくない、というのは口にせずとも二人、共通の認識になった。
「にしても、本当に凄かったね。元の時代に戻ったらグリフィンドールに見つかる前に暴れ柳をスリザリンのクィディッチチームにスカウトしなくちゃ」
「箒に乗れないのが玉に瑕だけどな」
「じゃあ、やっぱりコーチかな」
「暴れ柳式打法で業界を席巻するんだろ?」
「悪くないね」
いつも通りの軽口の後。あー、だの、うー、だの言いながら地面にアルバスはひっくり返った。本当に、こんなことをしている時間は一秒だってないはずなのに。そろそろ白旗も上げたくなる。やはりダンブルドアに助けを乞うた方が良かっただろうか。生きている彼に全てを伝えてしまう方が。ダンブルドアが生きてさえいれば、世界が闇に覆われてしまうようなことは少なくともないだろうし。
「あーーー、なんでこんな化け物みたいな木の下に抜け道なんか作ったんだよ」
「因果が逆なんじゃないかな。抜け道から遊びに出かける生徒封じのために後から植えたんだと思う」
木の下にある穴。致命傷を負うことなくあそこに入る方法。それは今まで受けた数々のテストの中でもトップクラスに難しい。投げた石は尽く打ち返され、ほんの少し近づいただけでも圧倒的な暴力が襲い来る。
それでも。過去、何人か成功しているはずなのだ。だったら自分たちにもできるはずだ。なにか、アイディアさえあれば。
「因果が逆……?なぁ、暴れ柳ってさ。触られたくないんだよな?」
「そうだね。枝に止まろうとした小鳥すら許さないような気難しい木だから」
「別に養分にしてやろうと思って意識的に狩りをしてるわけではない」
「結果的に養分だけど、」
アルバスは空中を捏ねる。何かひらめきそうなのだ。
暴れ柳は好き好んで人に危害を加えているわけではない。自己防衛の結果として害してしまうだけで。撃ち落とした相手が有機物なら肥料に。無機物なら柳周辺の景観に変わるだけなのだろう。
「あの、さ。ぶつかる確率の高い石をどっかに打ち返すのと、当たらないように走ってる僕らを処理するのどっちが優先順位高いんだろうな」
「それって……!」
「やってみる価値はあると思う」
アルバスはひらめきの種が風で飛んで行ってしまう前に立ち上がった。そして、スコーピウスは柳の防衛ラインギリギリに。自分はさらに離れた位置に配置する。いざとなったら一目散にダッシュでその場から逃げることを誓い、改めて柳を見てみた。
「もしも、これで投げた石がスコーピウスに飛んで来たら。潔くダンブルドアに助けを求めた方がいい気がする。でも、僕の方に飛んで来たら。もう一回だけチャンスはある」
あらかじめスコーピウスに許可をとると、アルバスは小さめの石を柳に振りかぶって投げた。天才スラッガーは狙いを定めて丁寧に打ち返す。頭部に向かって飛んでくる、明確な害意の乗った弾丸ライナー。アルバスはそれを勘だけで避けた。
「……」
「アルバス!大丈夫!?」
「……、あ」
「あ?」
「当たったら死んでた」
完全に血の気の引いた顔のアルバスはその場にへたり込む。望んでいた実験結果こそ得られたが、命の危機に曝されるのは人生初である。流石に正気ではいられない。それでも、当たってないから平気だと言い聞かせて震える膝を叩いてやった。
「柳が優先するのは石だった。で。石を投げてきた僕の方に打ち返す。だから、石を投げながら全力疾走。後は野となれ山となれ。僕が投げるから走ってくれ」
「でも、それだと」
「スコーピウスにこれ以上、痛い目にあって欲しくない」
明確な強がり。けれど、親友がそういうのだ。その覚悟を無下にするわけにはいかない。スコーピウスは頷くよりほかないのだ。
「それに僕は、百年に一度の最年少シーカーの息子だ。軌道が読める石くらい目をつむってても避けれる」
父は一年生で野生の山トロールをノックアウトしたという。自分たちはそれより年上だ。暴れ柳くらい何とかできなくってどうする。
アルバスはポケットに詰められるだけ石を詰めた、大小様々なそれ。きっと大丈夫と言い聞かせて立ち位置を決める。先に走り出すのはスコーピウス。それを攪乱するように石とアルバスが逆サイドから進むのだ。目指すは一点、暴れ柳の下。その隠れ穴のみ、だ。
「じゃあ、やるぞ……いち、にーい、さんっ!」
思惑は上手い方に転がる。走り出したスコーピウスを最初こそ追ったものの、柳は死角から迫りくる石に気取られる。
優れた頭脳を持つわけでも、命令系統が二つ以上あるわけでもない暴れん坊植物はすぐにアルバスが投げる石に狙いを定めたようだった。そして、さまざまな球種、サイズ、速さの石を打ち分ける。器用にも対角線上に石を投げながら必死に返球を避けてアルバスも穴へと向かった。
そして、スコーピウスの姿が完全に木の根元に消えた瞬間。アルバスは持っていた石をいっぺんに空に投げると、唸る柳の枝の間を縫うように走った。それは人生一番の速度だったように思う。
穴に走りこんで湿気た暗がりの中すら駆け抜ける。すればあっという間に室内にたどり着いた。叫びの屋敷の中は家具に至るまで傷だらけ。人の気配は一つもない廃墟である。
「とりあえず、ここなら誰も来ないはずだ……」
何の情報も得られないけれど、どうにかこうにか先に進むことができた二人はようやく息を付けた。心拍と呼吸が整うまでには相応の時間を要したが、それでも。一つの困難を乗り越えたという達成感が二人を祝福するのだった。
けれどそれもほんの束の間。すぐに次なる問題へとぶつかってしまう。
「デルフィーニを追うための道はできた。でも、杖のない僕ら二人でどうにかなる相手じゃないね」
スコーピウスの言うとおりだった。二人にとって、彼女は恐ろしく強い魔女だ。あれほどの痛い目にあわされて、それでも二人きりで立ち向かおう、などとは思えない。今度こそ、彼女の凶刃がどちらかの命に届いてしまうだろう。それはきっと、誰も望んでいない最悪の結果だ。
であれば、この問題は二人で解決すべき範疇を超えているという事。今必要なのは、連絡手段なのだ。今ここがいつで、どこで、何が起ころうとしているのか。それをどうにかして保護者に伝えるしかないのだ。
無限に続く時間の塊の中から自分たちを見つけるなんて、砂漠で砂の一粒を探すようなものだ。それでも、まだ、可能性はある。
「めんどくさいパパと執念深い先生が手を組んで僕たちを見つけられない、なんてことないだろ。僕たちは僕たちでやれるだけやるしかない」
それに、お茶の時間までに帰らないと先生が悲しむからさ。
アルバスはそこまで言いきってお守りに触れる。
本当は全然大丈夫じゃない。ちっとも平気じゃない。けれど、今ここでできる全てをやって、二人で大好きな人たちにただいまを言うために。これくらいのサバイバル、乗り越えてみせる。絶望なんかしてやるもんか。
そう心を奮い立たせるけれど、それでも。アルバスはたったの十四歳。親友と家に帰るための大冒険に対して心はあまりにも無防備だ。魔法使いの魔法使いたる所以すら失った彼は手持無沙汰にポケットに手を伸ばす。
指にこつり、触れたのは金属の冷たさ。意外と大きなそれを掴んで取り出せばクッキー缶。本当は、ふくろう小屋でスコーピウスと食べる予定だったお菓子。すっかり遅くなってしまったけれど。今が食べどきに違いない。
「一瞬。ホントにホントの五分だけ。スコーピウス、休憩しよう。甘いものしかないけど」
一回だけ座らせてくれ。彼は返事を待たずにその場にしゃがみこんだ。
アルバスはポケットの中からどう考えてもそこに入りきらないはずの缶とジャファケーキを出した。魔法使いのポケットというのはマグルのそれとは収納力が段違いである。感知不能拡大呪文レベル、とは言わないがある程度容量の自由があるのだ。
「レイの好きなクッキーだ」
「そ。本当はふくろう小屋で食べる予定だった」
缶の中身を分け合えばため息が出た。甘くて美味しい、はどんな非常時でも心を和ませる。全てのとはいかないが、無駄な緊張がほぐれて二人は肩を寄せ合った。
そんな距離を走ったつもりはないのだが、疲れていたのだろう。自重から解き放たれた足の裏がじんじんと熱い。
「僕たちを知っている人が誰も居ない世界、か」
「僕たちどころかパパもママもまだ生まれてないかもしれない」
だから絶対に余計なことはできないよ。そう言ってスコーピウスは表情を引き締めた。
もし、ほんの些細なミスで誰かの人生を歪めてしまったが最後。世界はまるきり表情を変えるだろう。ただでさえ、デルフィーニは何が原因でヴォルデモーが死ぬか、を知ってしまっている。彼女の目的が闇の時代の再来である以上、ポッター家と同様にロングボトム家も危険だろう。
考えれば考えるほど心にズシリと重たいものが圧し掛かる。未来がいかに危険なバランスの上に成り立っていたか、それを肌で感じるほどだった。
いつも以上に憂い顔のアルバスもきっと同じに違いない。そう思ってスコーピウスはもう一枚、クッキーに手を伸ばす。この味だけが自分たちと元いた時代を繋いでくれるような気さえして。レモンのアイシングを噛みしめるのだ。
「あー……親父にバレたら絶対に怒られる」
「時すでにそんなレベルの問題じゃない気もするけど」
「また僕がわざとやったって言うんだろうな」
「念のため聞くけれど、わざとじゃないんだよね?」
「わざとなもんか!」
「この期に及んでそこの心配するきみも中々肝が据わってると思うよ。だって、世界の破滅よりパパが怖いって言うんだから」
呆れ半分、けれどあまりにもいつもアルバスらしい心配事にスコーピウスは笑ってしまった。世界が破滅してしまうかもしれないというこんな時にも自分の心配ができるだなんて。ある意味でとんでもなく英雄の資質だとすら思うのだ。
「君はヒーローだ」
「なんだよ、急に」
「世界で一番素晴らしい友達で、僕を知らない場所まで連れていってくれる」
一年生、何もかもが決まる前のあの列車の中で。スコーピウスは運命だと思ったのだ。こんな自分のいるコンパートメントに飛び込んできた彼を見て。
自分のことをちっとも知らない、知っても何も変わらない彼の態度に。自分はここに居てもいいのだと心の底から思えた。アルバスは知らないのだ。自分がどれほど彼のこと事が大好きか、なんていうこと。
「いいや。僕なんか、状況を悪くするばっかりだ。セドリックを救うだなんて言ったのに、できなくて。その上、スコーピウスをひどい目に合わせてる。みんなみんな、居なくなっちゃうかもしれない状況を作り出してさ。セドリックに薬を渡したのも君だ。暴れ柳も、学校から逃げ出せたのもみんな君のおかげ」
「でも、冒険を始めたのはアルバスだ」
「最低な冒険をね」
「最高な冒険だよ!僕、言ったじゃないか。こうやってめちゃくちゃやれる友達が欲しかったんだって!」
スコーピウスはどうしたってキラキラなアイスブルーを細めた。色素が薄くて、ともすれば何を考えているか分からなくなってしまいそうな温度の低い目の色なのに、どんな状況でも曲がらない優しさに満ちている。
「僕は、君の暗闇を照らす光だからね」
最愛の友達に向けるのはとびっきりの笑顔。なんだか、あの図書室でのやり取りがうんと遠い昔に思える。それくらいに濃密な時間を過ごしたスコーピウスだ。このままの密度で一年なんか過ごしたらきっとすぐに大人になってしまうだろうな、と錯覚するほどである。
「スコーピウス、あの、さ」
割れた窓から太陽の光が差し込んで、スコーピウスを照らした。それはまつ毛の一本すらきらきら輝く、あまりに美しい姿。あの中庭で本を読んでいる時と同じ。
アルバスセブルスポッターという存在よりきっと、何十倍も何万倍も面白くてためになるであろう、彼が選んだ本からわざわざ目をあげて。細められる目の、ゆるりと上がる口角のなんて愛しいことだろう。
この光景がどれほど素晴らしいかアルバスは心の底から、それこそ初めて理解する。
「もう笑ってくんないかもって思ってた」
ぐすり、鼻をすすってアルバスは視線を逸らした。スコーピウスからしてみれば思ってもみなかった言葉に目を丸くする。
「どうして?」
「全部、僕が悪い。君のことを巻き込んだ。痛い思いも苦しい思いもさせた。そろそろ君に嫌われちゃっても仕方がない」
僕は、それが一番怖い。
そう言って俯いたアルバスの頭に触れる。ゆっくりと撫でれば思ったより硬い髪を感じた。彼がどうかは知らないけれど、自分は悲しい時にこうしてもらうと落ち着くのだ。
「この際だからはっきり言うね。もしも、あの闇で覆われた世界に行ったのが君だったら湖から出た瞬間死んでたよ」
「え」
「ポッターなんて名乗ろうものならあの場ですぐに命を奪われるか、もっとひどいことになったかもしれない」
隣に座ったスコーピウスに心地よいリズムで頭を撫でられながらアルバスは身を凍らせた。スコーピウスが語ったのは曖昧にしか聞いていなかった向こうの世界の話。
凍えるほど冷たい真っ暗闇は、遠い場所にいる二人の指先すら固めてしまうほどだった。
「僕で良かった。僕だけでよかった。世界を元に戻すのも勿論とても、大事なことだったけれどね。僕は、もう二度とアルバスに会えないかもしれないって思った。そっちの方が怖かった」
きっと向こうの世界の自分には家族以外の大切な人なんていなかっただろう。心の底から笑いあえる友達なんて、それこそ絶対に居ないに違いない。
勿論、それもまた人生だ。向こうの自分はこちらの自分には身につかなかったものを沢山持っているのだろう。無いものを想うことは酷く難しい。
凛々しくて、力強くて、冷徹。マルフォイ家の冷たい美しさを存分に纏った誰もが恐れるスコーピオンプリンス。きっとあの世界の自分が友情に目覚めたら。世界さえ変えてしまう様なヒーローになれるかもしれない。
けれど、スコーピウスは思うのだ。僕には宿題も、図書室の香りも、半分貰ったお菓子も、どうしたって大切なのだと。それがないなら、世界を変える力なんてなくてもいい。
「……。そうは言うけど。世界は救われた。そうじゃないか。そんなとんでもないこと一人で。それも闇の世界でやったっていうんだろ。あぁ、スコーピウス。君はなんてすごい人だろう。それに引き換え、僕なんか」
「ふふふ、でたな。アルバスのネガティブだ」
スコーピウスはすっかり慣れたアルバスのそれに付き合う。ある程度いなしてやることも大切なのだ。こちらに余裕がある場合に限っては。だって、アルバスは寂しがり屋なだけなのだから。
「僕ができるのは、君の手を絶対に離さないこと。それだけなんだよ」
「そんなこと」
「僕ね。いろんな本を読みながらいつでも思ってた。もしも結末を知っている僕がこの物語の中に入れたら、ヒーローみたいに皆を救えたりしないかなって。でも、いざそんなチャンスが巡ってきても未来を変えることはできない。セドリックだって見送ることしか」
知ってる未来と知人の友人一人の命とを天秤にかけた。自分たちを失わないために助けることができる命を一つ、見なかったことにしたのだ。
いかないで。その五文字を唱えるだけであの優し気な人は死ななかったかもしれないのに。
「スコーピウス」
震える睫毛と深いため息。膝を抱えて、そこに頭を乗せる。背の高い彼がやけに小さく見えた。ついさっきまで夢を見るように振られていた多弁な指先がそっと下がる。
「あぁ、僕にはできないんだなぁって思い知っただけ」
何もかも丸く収めちゃうようなたった一つの冴えたアイディアなんて、知識のどこにもなかったからね。
一番、を守ることに必死だった。彼こそが自分の唯一絶対なのだと。アルバスにとっての彼がそうであるのならば、自分たちは鏡だ。いいや、銀を蒸着したガラス板になんて阻まれていない。永遠の隣同士。
「ディメンターに襲われた時。そのとき一緒に戦った、って前に言ったけど。あれは、そう思わなかったら僕が苦しくて潰れてしまいそうだったから。でも今度は違う。本当に本当に、君がいる。だから、今度は二人。二人で乗り越えよう。一緒に帰ろう、アルバス」
わしゃわしゃと大きな犬を撫でるように。アルバスの髪をかき混ぜる。無鉄砲で、ひねくれてて、こっちの都合なんてお構いなし。彼はスコーピウスにとって、どうしようもない友達だ。
「泣かないで」
それでも、繋いだ手が、あの悪戯っぽい笑みが、名前を呼んでくれるその声すら。最早、隣にない人生なんて考えることも難しいから。
「君は、僕の暗闇を照らしてくれる光なんだから」
ぱちり、視線がかち合う。アルバスが薄っすら濡れたその目元を強くこすれば真っ赤になった。聞けばきっと、泣いていないと大きな声で誤魔化すのだろう。であればこれ以上踏み込まないのが正解。
スコーピウスはアルバスの手から落ちかけているクッキー缶から、星型の一枚を取り出して口に入れる。甘い甘いお星さま。魔法のクッキーは口の中でぱちぱち弾けた。
「アルバス。五分経ったよ。どうする?」
「うん、よし。もう大丈夫。やれることはみんなやろう。それで、ダメだったらその時はその時だ」
「世界をダメにしちゃったことあるもんね!」
「おまっ、そうだけど、面と向かって言うなよな」
もうおしまい!とアルバスは拗ねたように缶を閉めてポケットの中に戻した。もうこうなったら、絶対だ。絶対にデルフィーニをとっちめて、怪我一つなく二人で元の時代に戻ってやる。そのためだったらどんな大変なことだってしてみせよう。
だから、もう一度立ち上がるために。親友に問う。
「スコーピウス、もしも、本気でダメにしちゃっても。それでも僕と一緒にいてくれるか?」
何度だって手を伸ばそう。お互いが必要なのだと忘れないために。ひどい勘違いも思い違いもしてしまわぬように。
アルバスの真剣な顔にスコーピウスは頬を緩める。そんなこと言わなくたって分かるだろうに。彼はどうしたって言葉が欲しいのだろう。
不安症で、案外細かい癖におおざっぱで、大胆。困った友達なのに、それが世界で一番面白い。
「生存戦略的には間違いなんだけど、そんなのどうでもよくなるくらいワクワクしてる自分がいる」
「生存って意味なら絶対僕と居た方が良いだろ。一回消えたけどまたこうして君とお喋りしてるんだから」
「君の自尊心の高さに救われる時もある」
本当にアルバスはすごいんだから。
その言葉に、にわかに元気が戻った彼は得意げに笑う。こういうところが可愛い人だと思うスコーピウスだ。
それに、目に見えて落ち込んでいるより何倍も建設的な状態である。
「そういえば、レイが持たせてくれたお守りって?僕は貰ってないけど、アルバスのための特別製?」
スコーピウスに問われてアルバスは胸ポケットからお守りを取り出した。ぴっちり縫われた緑色の四角い布袋。特段刺繍なんかがあるわけでもないシンプルなそれ。
一度目の時間旅行では確実に反応したのが分かったが、二度目には何の反応も示さなかったとスコーピウスに告げればほんの少しだけ表情が曇った。
「離れすぎると感知できない、とかなのかな」
「聞いてない。時間移動したら発動する、としか」
「うーん、僕たちがこだわってたのはセドリックだから、座標をそこに合わせてた、とか。もしくはレイからあまりにも離れると感知が難しい、とかも考えられるね。そもそも、時間移動の感知って並大抵の魔法具じゃないと思うし……」
スコーピウスはいつぞや祖父に自慢された様々な魔法具に思いを馳せる。貴重品のコレクターである彼の、鍵のかかった宝物庫には古今東西から集められた選りすぐりの魔法具が収められていた。
悪の蔓延らぬ世界においては闇の代物の方が圧倒的に貴重である。ゆえにコレクションもそちらの比重が高くなってしまうだけで、ルシウスその人に悪癖があるわけではない。誰も持っていないものを所持したい、という貴重魔法具偏執者。ある意味では彼もまたオタク気質なだけなのだ。
「中身、なんだろうね?レイのことだからお役立ち魔法薬だったりしないかな」
「絶対開けるなって言われてる」
「そっか。じゃあ、緊急用グッズではないね。レイは面倒な性格をしてるけどそういうところは素直だから」
アルバスは手の上にある【おまもり】をしげしげと見つめる。これがそんなに強い魔法具だとは到底思えなかった。その辺にあった布でおまもりの重要な部分を包んで縫い合わせたようにしか見えなかったのだ。
何の感慨もなくポケットに入れておいたが、そう言われると中身が気になるものである。探るように指で潰せばカサカサと乾いた音がした。そして、わずかばかりの硬い感触。
そっと鼻も近づけてみればラベンダーやネロリ、あとはオレンジだろうか。清涼感のある良い香りが鼻腔をくすぐる。
「お守りというかポプリ?ちょっと硬いものがあったけど、花のガクとかだと思う」
「流石に、理論的にもそれだけじゃないとは思うよ。でも、開けて確認したところで僕らには扱えない可能性が高いし、そのまま持っておくのが良いね。きっと」
はー、また手詰まりか。とアルバスはぼやく。ふと窓の外を見ればホグズミード。これといって風景は変わっていないのにそれでもここは自分たちの知っている場所じゃないのだろう。それがどうしたって不思議だった。
「ハニーデュークスも、三本の箒もある。本屋も、薬草屋だって変わらずあるのに時間だけがおかしい」
いつもだったら大嫌いなその景色も今だけは別だ。むしろ、変わっていないことに安堵感すら覚えている。
それに、子供がいないこの村のことは嫌いと言い切れないのだ。
アルバスが不得意なのはあくまでもホグワーツ生がたむろするこの村や、否が応でも耳に入るからかいの言葉である。母がいたら絶対に買ってはくれないハニーデュークスのお菓子は勿論、甘くて夢みたいなクレマの乗ったバタービールじゃないのだ。
知っている町の知らない景色。それがどことなく不思議に思えた。
「来週。一緒にホグズミードに行こう」
「珍しいね。アルバスがそんなこと言うなんて」
「お小遣いで豪遊すんの。バタービールの飲み放題とか開催しよう」
「魅力的なお誘いだけどクリスマス明けてからね。僕らは謹慎中なんだから」
「あーもう。せっかく行こうと思ったらこれだ!あ、でも待てよ?兄貴からパクった透明マントひっかぶって柳の下からいけばバレないんじゃないかな」
「アルバース?」
「ごめんって。冗談だよ」
でも、本当に。どこに行けば話が進むんだろうな。とアルバスは依然進まない状況にやきもきしだした。世界が変わってしまうかもしれないというのに、相も変わらず自分たちは蚊帳の外だ。おそらく現場の一等近くにいるというのに。
このまま暗くなるまでホグズミードにいることもまた一つ手だろう。しかし、どう見ても子供な二人組がおかしな時間にここに居るわけにはいかない。それこそ、生徒の脱走として学校に話が行きでもしたら、それは新たな厄介を呼び込むことになるだろう。
それに、だ。もしマグル世界の列車に乗れたとして。夜が更けてからの移動はやはり人の目を引くだろう。どうにかして少しでも明るいうちに移動する必要がある。
「最寄りの駅を探すとして、こんな、学校の近くにあるのかな。マグルに見つかるわけにはいかないだろ?」
「うーん、僕ら二人の力じゃこれ以上の妙案は出ないかもね。だったら、外側から取り入れるべき。ちょっと家探ししてみよう。何か使えるものがあるかもしれない」
「この、煙突もないボロ屋敷に?」
ホグズミードから見たことはあったが、中に入ったのは初めてのこと。肝試しをするタイプではない二人からすれば常時の叫びの屋敷は特段興味を惹かれない建物である。
それに、手の入っていない屋敷というのは老朽化なども激しい。いくら魔法界の建物とはいえ、屋敷しもべ妖精やそれに準ずる人間の手が入って初めて機能するのだ。それがない以上、住むのには適していないおんぼろ。現状でもいたるところに引っかき傷のようなものが走っている大層不気味な建物だ。
「どっちにしろ、フルーパウダーは使えないから煙突のあるなしは関係ないけどね」
「マグルがいる場所にネットワークが繋がってるわけもないもんな」
「それもそうだし、なにより確実に行ける座標を知ってないと話にならないからね。僕が知ってるのはパパの書斎の暖炉と校長室、あとはダイアゴン横町、ホグズミード、緊急時用のレイの実家とか」
「レイの実家!?」
「でも、まだこの時は繋がってないか。レイのパパとおじいちゃんが仲良くなった結果だって聞いてるし……。まぁ、それはどのみちないルートとして。他の知ってる場所も行くのは憚られるね」
「あー、ヴォルデモーが生きてる時代に君の家に助けを求めるのは最悪か」
「そう思う」
どんなに、彼ら本来の時間においてルシウスとナルッシッサが孫に甘かろうとも、ここは戦時下だ。のちの歴史上は曖昧な判断が下されているものの、当時のルシウスは紛れもなく闇側に傾倒していた。純血を重んじる魔法族は貴い血の呪縛から逃れられない。まるきり意味のないことだとは思わないけれど、スコーピウスには理解しがたい話であった。
「でも、今行ったら立派な教育が施されて、なんだっけ。スコーピオンプリンスとして堂々たる第一歩を踏み出せるんじゃないか?」
「想像してごらん。僕が体を鍛えまくってスリザリンのシーカーとしてビュンビュン空を飛びまわりつつ、図書室にふさわしくない本を焚書して、ありとあらゆる宿題を他人に押し付けている姿を」
「キャープリンスー、素敵ー!マッスル!世界中から宿題という概念を消してー!僕のために、今すぐ、何もかも」
「怒るよ」
「冗談だよ」
どちらにせよ、まだドラコすら生まれていないかもしれない状態だ。そんな中でいきなり平和な未来から来た純血主義の行き届いていないふわふわ思想な孫が訪ねてきたら、彼らは卒倒しかねない。
「純血主義って苛烈だったらしいもんな。話にしか聞いたことないけど」
「……そもそもね。マグルがみんなダメって言ってるんじゃないんだよおじいちゃんも」
「そうなの?」
「だって、いまだにあんなに大きなお屋敷、綺麗な薔薇園があるお庭をキープしてるのはある意味ではマグルのおかげだから」
「話が繋がんないんだけど」
「ブドウ畑から管理してるワインも。日本から輸入する質のいい喫煙具も。果てには高級チョコレートまで。おじいちゃんの貿易の手腕と社交の腕前でもたらされたものは押しなべてマグルの手を経ている。彼らを排斥してはおじいちゃんの仕事は成り立たない」
ルシウスは一流の経営者だった。ゆえに扱うもの全て、どこかしらでマグルの手が入っていることをきちんと理解している。その命や権利を軽視しながらも、彼らの作り出すものにきちんと価値を見出したのだ。その点がブラック家と違うところでもある。
魔法界の王族は今や屋敷すら失った。一方でマルフォイ家の邸宅はイングランドに何軒もあり、どれもいまだ健在である。とはいえ、決してこれ以上の地位を望んでいるわけではない。これは彼の持つ家族愛のたまものでもあった。
富は上手に使えば倍になって戻って来る。そしてそれを公共事業に再分配してさらに経済を回す。名声を高めて、なおかつ利益も追及するのだ。世界を豊かにすることこそが貴族の務め。妻が、子が、その血族が。路頭に迷うことなぞありえてはならないという強い志。彼はそう言った意味での力の使い方を間違えない。
「なぁ、ならなんでヴォルデモーについたんだよ、お前のおじいちゃん」
「おそらく。おじいちゃんはマグルを人だと思ってないだけなんだ」
「は?」
「いいや。語弊があるね。人だとは思ってる。でも同じだとは思ってない。それこそ、魔法族には貴族的特権があると信じてる。純血主義におけるマグルの立ち位置はどちらかというと屋敷しもべ妖精なんかが近いように見えるんだ。これは根深い問題だよ」
生物単体として見た時にどちらが強い生き物かと問われれば十中八九魔法使いだろう。杖が一本あれば水も、火も思うがまま。血の一滴すら零すことなく他者を死に至らしめることができる。
中世以前の魔法使いはそれでも上手くマグルの中に溶け込んでいた。村のはずれに住む賢明な産婆として、森の奥に居を構える老獪な賢者として。時折、物語の中に現れながら。
しかし、彼ら、彼女らの持つ命を守る知恵はいつしか恐れられるようになった。誰が取り上げても助からぬ赤子の死にすら意味を持たせるようになってしまったのだ。
「森に住む魔女が、我が子を呪い殺した」のだ、と。
果てしない想像力。本来存在しない点と点とを繋いでしまう行為。それこそがマグル最大の希望であると同時に、特大の汚点だった。
そして、中世の嵐が吹き荒れる。本物の魔法使いは一部の奇特な火あぶりマニアなどを除き、とうに逃げ果ててどこにもいなかったのに。
時折犠牲になる魔法使いは己の力を制御できぬマグル生まればかり。信仰厚い村々では疑心暗鬼と私怨による同士討ちばかりがはびこった。
「魔女狩りを見て、一部の魔法使いは間違った方向に思考を進めてしまった。わかりあえない、どころか言葉が通じない存在、放っておけば頭数ばかり増えるマグルは自分たちと同じ姿かたちをしていても粗暴で下等な生き物だ、って。でも、その当時、自分が当事者だったら。正当性のない裁判で仲間を殺して回る彼らを見て間違った考え方に行きつかない自信はないよ。少なくともマグルって怖いな、とは考えちゃうだろうね」
こういうことをしっかり学ぶために歴史学って大切なんだけど。ほんのりじっとりとした目で勉強嫌いの親友を見れば半分寝そうになっていた。これ以上話すとなればスコーピウスは止まれない自覚があったし、叫びの屋敷がピンズ先生が飛び回る教室に変化しかねない。彼は睡眠学習に切り替えそうなアルバスの脳にこれ以上を詰め込んでしまうまいと話を切り上げた。
「家探しして体を動かそうアルバス!」
「え、あ。うん。僕もそれがいいと思ってたとこ」
「でも、アルバスが進級できないと僕が困っちゃうからあとで魔法史の簡単なおさらいはしようね。ちゃんと要点をまとめておくから」
「情熱的なお誘い」
「寝る前の五分だって退屈させないよ」
「はいはい……」
二人一緒の方が安心ではあるが、今は時間がないため、効率重視で別れることにした。とはいえ、隣の部屋だ。何かがあったらすぐに声が届く。
アルバスは地図があったらいいな、と期待してあたりを見回した。室内は埃っぽく、しばらくこの部屋に誰も立ち入っていないのだろうという事がありありと分かる有様だ。
「なんか、使えそうなもの、なんか……」
アルバスは机の上に目をやった。木製で比較的大きな正方形の机には各辺に椅子が設置してある。卓上にはチョコレートとはじめとするハニーデュークス謹製の菓子用包装紙。明らかに古い日刊預言者新聞に、難しそうな魔法理論が書かれた紙片。叫びの屋敷はお化け屋敷だと聞いていたが、この時代は違ったのだろうか。スコーピウスの学用鞄をそのままひっくり返したみたいなそれに、少し眉根を寄せてしまったアルバスだ。こういう小難しい文言は紙で見ただけでもげんなりする。
それでも、何かないか、と紙束を持ち上げてみればひらりと一枚、紙片が落ちた。それは適当にちぎられたノートの切れ端。視線を奪われてついつい口に出して読んでしまった。
「【これは試作機、我が英知の結晶】英知の結晶っていうならなんでこんなに埃っぽい屋敷の中になんか」
とたん紙がぼんやりと青く光り始めた。それはまるで夜光虫の幻想的な青。けれど、違うのはその光量だ。昼間の明るい時間だというのにその恐るべき青の眩さで目がくらむ。
アルバスは魔法の魔の字も使っていないというのに、この反応はまず間違いなく魔法そのものだった。
「うわ……っ!」
いよいよ耐えられなくなったアルバスは紙束から手を放して顔を手で覆う。そして、それに背を向けた。目を固く瞑った上で両の手で覆っているというのにそれでも目の奥に光が残る。しかし、それもほんの数秒のこと。光源から目を逸らしているうちには収まった。
床に落ちてしまった紙束、改めて目をやればそのうちの一枚に文字が浮かんでいることに気が付いた。
『やっぱりな。僕は眩しすぎるって助言したのに創造主は派手な方がいいっていうから。ねぇ、大丈夫かい?目を焼かれた?』
「え、」
紙の中から誰かが語りかけてくる。その初めての体験にアルバスが戸惑うのも無理のないことだろう。思わず、手に取って話しかけてしまった。相手が人間かどうかも分からないというのに。
「君は、誰?」
『仲間内では
跳ねるような筆記体。踊るような文字列。アルバスが知っている中でもとびきり悪戯な温度のそれが楽し気に浮かび上がってきた。