『とかく、ともかく。初めましてだね。短い時間になるとは思うけれど、どうぞよろしく』
紙に浮かび上がったのは鹿の文様。そして、吹き出しとセリフだった。角が立派な牡鹿がこちらに向かって話しかけてきているかのような不思議さ。相手は紙であるのにもかかわらず、アルバスは人見知りの癖が出て、距離感を測りかねる。
「えぇっと、初めまして……?」
『僕は何でも知ってる天才だ。なんでも聞いてくれたまえ。明日の夕飯のメニューから、新しい呪文の作り方まで。この紙一枚に収まることであればなんでも教えて進ぜよう』
人というのはあまりにも突然すぎる好機に基本的にはついていけない。それを逃すな、という旨の諺なんかがあるほどには。今だってアルバスの脳裏には鹿が喋ったことに驚けばいいのか、スコーピウスを今すぐ呼んだ方が良いのか。様々な考えるべきこと、がひたすら走っている。
「……なんでもって言った?」
『そうさ。僕は嘘をつかないからね。君の疑問になんでも答えよう。ただし、それは一つきり。それも僕の思考が追いつくかつ、この紙でおさまる範囲で』
鹿、に表情筋があるかどうかは分からないが、彼はなつっこい顔で笑った気がした。じゃあ、とアルバスはこれといって彼を疑うことなく現状を打開する方法を問うたのだった。
「だったら、ここから一番近いマグルの駅教えてくれない?できればわかりやすい道案内付きで」
鹿の回答は沈黙。さすがに魔法由来の事物にマグル世界のことを聞いた方が間違いだったか、とアルバスは取り消そうとする。しかし、鹿はまた流れるように話し始めた。
『えぇ!?この僕を使ってすることがそれかい!?欲がないったらないね。この天才にかかればどんな難問もちょちょいなんだぜ?でも、うん、いいよ。その綺麗なグリーンの目が気に入った。君の疑問に答えよう。最寄りの駅だっけ?しかもマグルの。ホグズミード村から堂々脱出じゃなくてマグルのさびれた駅からってのが地味で気にくわないけど。いいさ』
沈黙のラグは出力のための助走だったのだろうか。不安な気持ちになるから、もしもそのラグを意図してやっているのならば悪趣味だと糾弾したい。
『しかし、きったない部屋だなぁ!男四人で詰め込むのもいいけど掃除くらいしろってんだ』
紙の中、鹿はぶつくさ言いながら何かを探しているようだった。あっちをきょろきょろ、こっちをきょろきょろとせわしなく首を動かしている。アルバスからしてみると彼が何をしたいのかもよく分からない。羊皮紙のクリーム色の中に部屋でも描かれていれば多少理解もできよう。けれど、そういうわけでもないのだ。彼が何を見て何を探しているのか見当がつかなかった。
アルバスは目の前で起きていることの正しい理解ができず固まったまま。そこに、声を聞きつけたのだろう、スコーピウスが扉の向こうからひょっこりと顔をのぞかせた。
「アルバス?誰と話してるの?」
「誰、というか。誰なんだろう……」
スコーピウスはアルバスが指を差した紙をのぞき込む。紙の中を自由に動き回る鹿のアニメーションには指物スコーピウスも小首をかしげざるを得ないようだった。
「牡鹿?」
「うん、鹿なんだ、鹿……喋る鹿……」
『鹿、鹿って失礼だな。敬意を払ってキャプテンフックと呼んでくれよ』
まるで、こちらの会話が聞こえていたかのようにこちらを見て言葉を記した。そんな彼にスコーピウスはようやく事態を理解したのである。アルバスが話していたのは本当にこの紙とである、と。
そして、フックはどうやらスコーピウスの存在に気づいたらしく、極めて気軽な様子で話しかけてきた。
『やぁ。少年。増えたね、君の願いを言ってごらん。そっちの彼はとんでもなく謙虚でね。もうすこしくらい強烈な願いを叶えてみたいと思ってた所なんだ。僕にかかれば明日の天気から学校内で使っていい、死人を出さない限界の火薬量の計算までお手の物さ。何が知りたい?何を知りたい?さぁ、この僕に話してみてくれたまえよ』
「この人、人?凄くお喋りだ」
「テンションが上がってる時の君と同じくらいね。紙と話せてびっくりしてるけど」
こちらが書き込むことでやりとりができる、ならまだ理解も及ぶのだが、フックはこちらの会話を勝手に拾って混ざってくるのだ。スコーピウスはこのアイテムが空恐ろしくてたまらない。その昔、祖父に聞いたとんでもない日記帳の話が頭の片隅にあるのだ。
「なんで話が通じるか分からない相手とお喋りしてたの?」
「起動の条件も分からないのに、なんかすごく喋るから、つい」
「ついって……。危機感はどこに置いてきたのさ」
「サンキュースコーピウス。僕に危機感が搭載されている前提で話してくれて」
アルバスは危機感と言われたことで母に口酸っぱく言われていたことを思い出した。脳がどこにあるのか分からないのに流暢に喋る物のことは一切信じてはいけない、特に向こうが親切であればなおのこと、と。この牡鹿は間違いなく、脳がどこにあるかちっともわからない存在だ。
「確かにまずいことをした」
「え……?」
「これ、闇の魔法じゃないか?」
極小声でスコーピウスに告げたつもりだったが、どうにもフックは耳がないのに地獄耳だったらしい。やれやれとでも言わんばかりの態度でアルバスに語り掛けてくる。
『この僕が闇の魔術!それだけはありえないね。こんなにクリーンでポジティブなこの僕が!ホグワーツきっての天才だぞ。そんじょそこらの闇の魔術と一緒にしてもらっちゃ困るね!』
「そうなの?」
「アルバス。悪いものっていうのはね、自分から悪者です!って名乗ったりしないんだよ」
現状からわかることからスコーピウスが引っ張り出した答えはこれを近くで操っている人間がいるのではないか、ということ。かつて祖父のもと手元にあったお喋りな闇の日記帳は強大な魔力が込められていてもこちらの話に勝手に入ってくることはなかった、という。
おそらくそこに関しては彼の両親が一番深く知っているだろう。あの分霊箱の明確な被害者だ。ただ、彼らがそこまで細かい話を息子にしているとも思えなかった。
スコーピウスがあたりを見回すも人影はない。とはいえ何かあってはならない、と杖ポケットに手を伸ばしたが何もないことを思い出す。息を一つ吐いて冷静な判断をしようと心がける。
「アルバス。一回その紙片は机の上に置こう。その方がいいよ、絶対」
「うん……」
友情さえ絡んでこなければアルバスとは桁違いに危機管理能力が高いスコーピウスは紙を机の上に戻させた。発動してしまったとはいえ、少しでも遠ざけておいた方がいいだろう。もしも、この時間稼ぎの間に魔法が足元に展開されて、終わった瞬間魔力で編まれた網で一網打尽、という可能性はぬぐいきれない。そうなってしまったが最後、冒険どころの騒ぎではないのだ。
机の上、紙面で動く鹿を遠巻きにする少年二人、という不可思議な光景が生まれることになったが今ここにそれを面白がる人間はいない。フックはその扱いも気にしないらしく求められた仕事を淡々とこなしたようだった。
『まぁ、疑われるのも最もな話だよね。今は魔法戦争中だし。得体のしれない魔法道具に近寄らないってのは正しすぎる判断だ。うんうん、これでいいね。それじゃあ失礼して……ほぅら。これが地図だよ』
鹿が前足を振るうと、白紙だった部分に地図が書きつけられた。ホグズミードからの脱出において最も重要な、大人の目の掻い潜り方まで網羅されている。
「ありがとう……?」
『どういたしまして』
大丈夫だよ、本当に。捕って食いやしないからさ。と記されるも信じられない。フェリックスフェリシスレベルの都合の良さにいっそ引き気味の二人である。今、この場にスリザリンのお歴々がいたらその用心深さを褒め称えただろう。
『魔法族の反応がある、大人ではない。でもホグワーツの生徒でもなさそうなワケありくんたち。新入生だったら僕が知らないわけがないし。興味深いなぁ』
その言葉に引っかかりを覚えたのはスコーピウスだ。何をもってしてその情報を得ているのだろう。それもこれも興味を引くための罠かもしれないが、それでも。
スコーピウスは在校履歴の情報を紙の上で引き出して使う紙片、に心当たりがあるのだ。そして、その作者の制作物であれば、間違いなく信頼に足る。彼は大胆にも、もしかしての可能性に賭けてみることにした。
「どうして僕らがホグワーツの生徒じゃないってわかるの?」
『ふふふ、それは……企業秘密さ!発見したのは確かに彼だけど、このネタバラシをしたとあったら彼がほかの仲間にどやされるからね』
「その仲間って犬だったり、ネズミだったり、もっと恐ろしい生き物だったりする?」
『面白いことを言うね君は。あれはごく小さなふわふわした問題に過ぎないよ。恐ろしい生き物なわけあるか』
その返答に確信を得て今度はためらうことなく紙片を手に持った。アルバスもフックの記した言葉に息をのむ。そしてまた一つ問うた。
「フック。きみは、誰?人?それとも魔法?」
『僕は、ただの魔力の塊さぁ。自分以外から発せられる音を認識して潤沢に用意されている会話表現を組み合わせて返答しているに過ぎない。だからラグも生まれる。そんな試作品だけれど、僕にかけられた呪文の効果はばっちり。リンクを切らない限りは更新され続ける。今でも僕と創造主、そして仲間たちの間には切れぬ縁があるってことさ』
段々と少なくなる紙の残り。それをきちんと認識してフックはさらに言葉を連ねた。
『創造主は正体を明かさない。その方が格好いいからね。けれど、僕は彼を現すもう一つの名前を持っている。そちらであれば教えて進ぜよう。今回限りの特別だ!』
これはまだ彼らが機能不全に陥る前に作り上げた代物なのだろう。恐ろしいことなどなにもない。世界はどうしたって暗いけれど、それでも未来は希望に満ちていて、獅子の友情は永遠。悪戯と冒険こそが人生の命題。そう信じているであろう楽しげな文字。
『人は彼を
『どこの誰であれテスターだったら大歓迎。テストしてもらうことが至高の喜び。わんこちゃん、ふわふわちゃん、ねずみちゃんに代わりこの僕、牡鹿ちゃんから盛大な感謝を!いたずら完了!』
そう言って牡鹿はそれきり動かなくなった。残されたのはびっしり埋められた会話の記録、そして求めてやまなかった情報。静かにやかましかった彼は立ち消え、埃っぽい室内はまた二人ぼっちに戻る。
しかしアルバスは、なにか思い出したことがあるらしく、紙をノックし、フックを再度呼び出そうと躍起になった。
「フック!もう一個だけ教えてくれ。今って、いつ?何年?何月何日?」
「あ、ああああ、あるばす!?」
「なんだよ」
「これ、これ、凄い。運命は惹かれあうっていうか、なんでこんなところに!?ウィゾーー!!これは、これは魂が、震えっ!うわーーー!君、忍びの地図のプロトタイプなんだね!?待って、待って!ウィゾー!!」
「何を待つんだよ……」
フックの言葉が書き連ねられた紙に頬ずりしださんばかりのスコーピウスを流石に止める。この紙に積もっていたのがどんな年代物の埃か分からないし、到底綺麗とは言えない代物だ。なるべく彼から遠ざけて話題をもう少しだけ別方向へと流すことにした。
「話が見えないんだけど」
「ホグワーツには時折、天才的ないたずらっ子が入学する。パパたちの世代だとフレッドとジョージ、それより前は悪戯仕掛人。悪戯仕掛人のことは知ってるね?」
「おじいちゃんたちだってのは親父に聞いたことがあるけど、ちゃんとは覚えてない」
「悪戯仕掛人はアニメーガスでもある。君のおじいちゃん、ジェームズポッターは牡鹿。鹿の角、からとってプロングスってあだ名だった」
そこでようやく合点がいったらしいアルバスは改めて紙を見た。この筆跡の元になったのが祖父の文字なのだろう。当然だが会ったこともない祖父だ。これと言った感慨は浮かばない。けれど、よくよく筆致を眺めれば父のものとどこか似ていた。
「これ、持って帰ってもいいか?」
スコーピウスは少し逡巡し、それから首を縦に振った。この後、叫びの屋敷は幾度かハリーポッターの英雄譚上で舞台として使われる。この文字列だけで未来に関してわかりやしないとは思うのだが、何か重要な見落としがあったらそこから歴史が綻びかねない。
「むしろ、もっていかなくちゃダメだと思うな」
じゃあ遠慮なく、とアルバスは受け取った地図の方角を合わせて向かうべき場所を知る。人通りの少ない道、まで網羅されており、願ったり叶ったりだ。どうにも自分の祖父にはホグワーツを抜け出す才能があるらしかった。
「一番近いマグルの駅は……」
とんっと指を刺した名前はアヴィーモア。目と鼻の先と言えるほどの近距離ではないが、ホグワーツほどの建物であれば見える距離にあった。
ちなみに、小さくとも駅がある、という事は近くに住民がいるという事に他ならない。マグル界と魔法界は案外隣りあわせだったりするのだ。
「こんな、歩いて行っても何とかなるような距離にマグルの駅があるなんて知らなかった」
この地図がもし本当なら素敵な城とカッコいいオオイカは観光資源になっていてもおかしくないだろう。明日にも魔法使いの存在をイングランド中の新聞が取り上げるに違いない。
けれど、今に至るまで魔法使いの子供たちは守り続けられている。
「ホグワーツを守ってる認識阻害の魔法ってすさまじいんだな」
「だね、僕も同じこと思ったところ」
アルバスとスコーピウスは地図を見ながら作戦を立てる。叫びの屋敷から村外れまでは問題なくいくことができそうだ。そして、一度村を出てしまえばそこから先はマグルの世界である。
「凄いね、なんでこんなこと知ってるんだろうってことまで書いてある」
「僕初めて知ったよ。ホグズミードって外から入れないんだな」
この村に入る方法は二種類。ホグワーツから徒歩で向かう、もしくは姿現しやフルーパウダーといった魔法的要素を用いること。そうしなければ入ることはおろか、視認することもできない。いわば、マグル界と魔法界の狭間。魔法族しかいない村、は広義にホグワーツと似た守りが施されているらしかった。
なんでこんなことまで知っているか、と聞くのは野暮だろう。何せ相手は悪戯仕掛人の柱。悪童の中の悪童、天才中の天才だ。そんな彼が至高の逸品などと歌うものに間違いがあるはずもなかった。
「けどさ。いくら何でも都合が良すぎる。この地図本当に信じていいものかな?」
「大丈夫だと思うよ、君のおじいちゃんだし」
「それは、結果としてだろ。最終的に僕が生まれてるからプロングスは僕のおじいちゃんになるけど、プロングスは僕が孫だって知らないよ」
変なところで心配性なアルバスの肩を叩いてやる。もっと手前に心配すべきことはごまんとあったろうに、今更ここでおじけづくなんてどうかしている。
それに、スコーピウスは知っているのだ。こんな風に言っていても彼の目の中からワクワクの炎が消えていないことを。
「なら、行くのやめておく?」
「行くに決まってるだろ」
「最高の返事だね」
二人は改めて自分たちが持っているものの確認をした。ハンカチ一枚、マグルの通貨、あとは絆創膏とお菓子が少々。杖も持たない魔法使いが二人、マグルの街に降りようだなんて自殺行為に等しいけれど、そんなことを言っている場合ではないのだ。
「あ……!」
「なに、急に大きな声出して」
アルバスの声に思わずびくりと身を固くしてしまったスコーピウスである。アルバスは大急ぎで靴を脱いでその中身を確認している。そして目当てのものを見つけると何やら指先で紙片をこすっているではないか。スコーピウスにはその意味が一切わからず困惑するしかない。
「あっぶねぇ……わー、気づいてよかったし、これなら平気なばず、あー、終わったかと思った」
「なにが?」
「純粋魔法族のスコーピウスはあんまり理解できないと思うけど、マグルのお金って定期的に素材が変わったりすんだよ。大丈夫。これは旧紙幣!」
「旧、って使えなくなるの?マグルのお金って不便だね」
「それもそうなんだけど、もしさ。シックルのデザインが変わったって言い張る未来人が君の前に現れて持ってるペンを新シックルと交換してほしいって言ったらどう思う?」
「きわめて不審ってことだね」
「そーいうこと」
アルバスは使えそうな紙幣だけをポケットに入れると残りを靴の中に戻した。誤って出して問い詰められた時にしどろもどろにならない自信がなかったのだ。
準備オッケーと表情を引き締めて二人は屋敷の外に出る。地図を頼りに進んでいけば確かに、あまりに人気が少ない。店と店の間にある恐ろしく細い道、飲食店の裏手、コンソメ香る換気扇の下。魔法使いしかいない街であっても人間の営みは変わらない。それでもまるでホグズミードの機関部に入り込んでしまったかのような不思議さがあった。
叫びの屋敷とは反対側。この町のすみっこ、魔法界の内を外とを分ける境界。そこにはぽつりと薔薇が植わっていた。
「普段、こんなところにまで来ないから薔薇が植わってるだなんて知らなかった」
二人の推定ではあるが時は十月も末。秋薔薇の時期だ。スコーピウスは少し花を観察してその品種を特定する。それは彼の家の庭にも植わっているものだった。
「ああ、この香りはナエマだね。誰かが手入れしているのかな。すごくいい香りだ」
「お前、花にも詳しいのかよ」
「薔薇だけね」
そっと花に顔を寄せて芳香を楽しむ。秋薔薇は匂いの甘いものが多いのでスコーピウスも好きだ。土と、葉と、そしてその香り。全部混ざって愛しい母の記憶を連れてくる。
そういえば、昨年アルバスが家に来てくれた時は薔薇園を楽しむにはいささか早い時期だった。今度は花の盛りに呼ぼう。自慢の庭で薔薇のジャムを紅茶に溶かすのだ。きっと、アルバスも気に入ってくれるに違いない。
「今度、うちの庭を見に来てよ。今の時期なら薔薇も綺麗だから。お茶をしに」
「……いいの?」
「いいと思うよ」
「僕は、英雄ポッターで血を裏切るウィーズリーだぞ」
「そんなこと言ったら僕は他称ヴォルデモーの息子だよ?」
こんな僕らがおじいちゃんの前で仲良くしてるのが一番面白いと思うんだよなぁ。
スコーピウスの口から漏れた史上最悪のユーモアにアルバスも笑ってしまった。確かに、よりにもよってな取り合わせだ。
せめて、アルバスがグリフィンドール生であれば彼らも拒絶ができよう。しかし、可愛い一人孫のたった一人のスリザリンの親友だ。何をどうしたら悪辣な態度をとれるというのか。
「じゃあ、早く帰ってお前んち行かなきゃだな」
「なんだか僕までワクワクする」
「きっと全部大切だろうけど。スコーピウスの一番を教えて」
「香り、色、味……一番だけで三種類くらいあるよ」
「一番の意味って知ってるか?まぁいいや。何でも教えてくれよ。よし、行くぞ」
「カミングアップローズ!」
アルバスとスコーピウスは村のはずれ境界線を踏み越えた。とたん、ほんの少しだけ空間が揺れる錯覚に襲われて二人は振り返る。結果は言わずもがな、今まで漂っていたはずの薔薇の芳香すらも去ってしまった。
その代わり、とでも言いたげに少し遠くに見たことのない建物が現れる。こんなにも近くにいるのに互いに気が付いていなかったというわけだ。古の魔法が及ぶ範囲におののかざるを得ない。
「ウィゾー!」
「ダブルウィゾー!」
一度ならず二度までも保護者の目の届く場所から逃げおうせている。彼らは無自覚ではあるがホグワーツ史上最も悪い子供達だ。
もう後には引けないところまで来てしまった。ここから先は保護者の目の届かない完全なる外側。未知への冒険はすべからく心を震わせる。
こうなったら道は一つ。行けるところまで行くっきゃないのだ。
二人は駅まで小走りで行き、駅舎に入る。乗降者数がそこまで多くはないのであろう、さびれたそこには駅員が一人。備品のチェックなどをしていた。声をかけるか決めあぐねる二人だったが、なにか踏ん切りがついたのだろう。アルバスは小さくガッツポーズをした後、スコーピウスを見る。
「とりあえず、あの人に声をかけてみよう」
「正気?こんにちは、マグルの駅員さん。ここはどこで、今日は何年の何月何日ですか?あと、さっき魔女が空を飛んでいきませんでしたか?とでも聞くつもり?」
あきれ顔のスコーピウスにアルバスはきょとんとする。何もそこまで詳しく聞く必要はないのだ。幸い自分たちは子供。携帯電話を持っていなくてもおかしくはない。少し怪しまれはするかもしれないが、こういう場にいるきちんとした大人は困った子供に優しいものである。
「落ち着けよ。らしくないぞ。ええっと、えっと。こんにちは、駅員さん。今は何時で次の電車はいつ来ますか?時刻表があったらいただきたいんですけど。あと、時計がある場所を教えてください、携帯持ってなくってとかでいいだろ。英語が通じなかったらそれはその時考える!」
「けいたい……?じこくひょう……?」
明らかに単語が分からないと言いたげなスコーピウスだ。そういえば彼は、魔法界の歴史なんかに対してあまりに博識だから忘れそうになるけれど、根っからの魔法貴族である。マグル大好きおじいちゃんが乗り回す自動車に乗ってロンドンまで出かけたリしないだろう。あまつさえ子供のころからありとあらゆるマグル式キッチン道具を使いこなし、いまだに週末になるとお手製のカリカリベーコンを作っている父とは違う生き物だ。
スコーピウスにマグル側に対する知識はほとんどゼロと言って差し支えない。純血主義はなりを潜めた、と言っても彼ら本物がマグルに関わることは原則ないのだから。だからこそ、列車から逃げた後、バスに乗った時に静かに大盛り上がりしていたのだ。冗談でマグル世界のお菓子を買ってやろうかと言った時の瞳の輝きったらないほどだったのは記憶に新しい。
「携帯はマグル式両面鏡で、時刻表は電車の時間が分かる一覧。姿くらましとかできないからさ、マグルは」
「アルバス、なんでそんなこと知ってるの?」
「僕、今はじめて、パパに習って電子レンジの使い方を覚えたのって無駄なことじゃなかったんだなって思ってる」
「電子レンジ……?」
「なんでも知ってるって悪いことじゃないな。行くぞスコーピウス!」
ぱしり、スコーピウスの背を叩いてアルバスは制服姿の大人のもとへ寄る。こういった場合の対処法まできちんと教えてくれていた父には正直感謝しかない。
「すみません、駅員さん。僕ら携帯なくって。時間が分からないんですが、時計ってどこにありますか?」
アルバスに声をかけられ、彼は見ていた時計の蓋を閉じ懐中へとしまった。そして手にしていた紙をアルバスに提示する。
「時間け?今は八時半だよぉ。んでもってな、電車さ事故でおぐれでんだわ。臨時の時ごく表さやっから、いぎさき確認して乗んだよ。ほれ」
「……えっと?」
「ほれ、これやっがら。まちげぇんでねぇど」
「へへ、どうも、ご親切に……」
しばしアルバスは茫然としていたが、ふるりと頭を振って現実に戻る。ミッションは一部クリアした。もしこれがゲームだったら推定時刻表は重要なアイテムになるだろう。本当に時刻表を渡されたかは今、ちょっと定かではないけれど。多分、あれは時刻表と言っていたはずである。
彼はスコーピウスの近くへ寄るとサムズアップで第一段階への到達を喜んだ。
「アルバス、わかったの……!?」
「三分の一、くらいね」
「英語だった、よね?」
「英語、だった。ハグリッド以上の訛りだったけど……。でもって、電車は遅れてるって言ってた。たぶん、だけどな。ただ気になったことがあって、あの人、携帯って言った時に通じてないみたいだった。それにあれだよ。今は何時?って聞いたときにそもそも携帯電話を出さなかった。マグルならほとんど持ってるって話だったのに。昔の人って携帯持ってなかったのかな……あっ!」
アルバスは渡された時刻表を見る。そこに書かれていたのは今がいつか、という事。踊る文字は一九八一年十月三十日。であれば先ほどの疑問にも説明はつく。この世界には少なくともスマートフォン型の携帯電話、は存在しないのだろう。
「なぁ、スコーピウス。歴史に詳しい君に聞く。もしかして、間違ってんじゃないかって思うから」
「何……?けいたい、の歴史なら悪いけど僕分からないよ」
「魔法界の歴史以外を君に聞くことあると思うか?これ見てくれ、この日付!で、だぞ。これって、つまり、もしかして、もしかしなくても……!」
「あ、あぁ!それなら僕にもわかる。アルバス、これは百二十パーセント、そう!僕らの仮説は間違いようがない事実になった!」
二人は顔を見合わせて勢いそのままにハイタッチ。ジンジン痛む掌。こんな袋小路でも、自分にの隣には友達がいる。互いがいればどんな窮地からも抜け出せる。そんな気さえしたのだ。
「スコーピウス、行き先が決まったな」
「そうだね、アルバス。一九八一年、十月三十日、明日はハロウィン、」
「「ゴドリックスホロウ!」」