レイは老人ホームの前に姿を現した。直で部屋に出るのはマナー違反であるし、何かが変わってしまった今、この場に彼がいるかどうかすらわからない。受付を通すのが確実かつ当然のルールだ。
「あのぅ、すみません。エイモスディゴリーさんはいらっしゃいますでしょうか」
受付に座っている女性は眼鏡を押し上げて杖を振った。様々なカルテが入った箱から該当の名簿が出てくる。正直、日本式魔法界に慣れているレイからすれば、英国魔法界もパソコンくらいは導入した方がいいと思うのだ。
「あぁ。エイモスさん。先週、奥様とショートステイしてらっしゃいましたけど、今週はお見掛けしていませんね」
「そう、ですか!ありがとうございます」
レイの顔を見て一瞬驚いた彼女であったが、にっこり笑ってそれ以外の用を訪ねる。これも幸運の液体の効果なのか、怪しまれてすらいないようだった。
レイは彼女の口から発せられた事実を噛みしめつつポケットに入れておいた住所メモを彼女に見せた。
「お答えいただけるようでしたら住所の確認をしたく。ディゴリーさんのお宅ってこちらの住所のまま変わってないでしょうか」
「えぇ、変わってらっしゃらないわ」
彼女はカルテとレイのメモを見比べて小さくうなずいた。それに胸をなでおろすレイである。いくら魔法使いとはいえ得体のしれない人間に住所を横流しするのはリスキーだ。住所が変わっていないかを提示してもらう方が心理的ハードルは低くなる。
「あ、これもし。よかったら休憩室で」
手土産である大箱のクッキーを手渡した。ダイアゴン横丁の菓子屋の評判は今も昔も高い。彼女は笑顔で受け取った。
「念のため、お名前だけお伺いしても?」
「あ、申し訳ない。不躾極まりなかったですよね。僕はレイハセオ、ホグワーツで教師をしています。エイモスさんとは、うーん、セドリック先輩のお父さん、で……説明って難しいですよね。平たく言えば恩人の親御さんです」
彼女は少し困ったようなレイの様子に比較的砕けた笑みを零す。長い魔法使い人生の中では短いすれ違い。しかも、学生の頃にほんの数週間だけ、なんて覚えている方が難しいかもしれない。それでも、彼女の中ではある種特別なすれ違いだった。
「ふ、ふふ。本当に変わってないのね。ハセオ君」
「え?」
「いつかはありがとう。ハンナよ」
「ハンナ……ハンナアボット?」
「今はハンナロングボトムだけどね」
「えっ!ネビル結婚してんの!?」
「ハセオ君、さすがに同僚の結婚事情くらいは知ってた方がいいと思うわ」
確かに、言われれば面影がある。淡い金髪を結い上げて仕事をしているためキリリとした印象だが、よく見ればあの頃と変わらぬ優しい瞳をしていた。
とはいえ、レイと彼女が袖振り合ったのはダンブルドア軍団の時のみだ。学生時代の彼女の顔しか知らない。
興味を引いた人間以外のことをほとんど覚えていやしない彼にとって思い出せたことはある種の奇跡だろう。いや、これもまた幸運薬の効果なのかもしれない。
「えっと、ロングボトムさん、はここで癒者を?」
「聖マンゴからの出張よ。今はお昼がてら受付業務中」
「はへぇ……、働き者ですねぇ」
「ホグワーツ教師のお給金がもう少し出ると良いんだけどね」
「教師ってかなり薄給だから、ネビルも新しい植物開発か発見かして特許とるといいよ」
「ハセオ君の方が近くにいるんだからアドバイスしてあげて」
「タイミングが合えば」
それって声かける気がないってセリフよ、と笑われてしまった。ネビルと話すのなんて基本的にはフレッシュハーブを強請りに行く時くらいのものなので、なんと話しかけたらいいかもわからない。グリフィンドールにしては穏やかな男だとは思うがいかんせん、彼とは人生がすれ違ってばかりなのだ。
まぁ、お嫁さんがハッフルパフの子であるし、とっつきにくい感じではないのだろう。もう多少、同僚にも目を向けるべきか。
でもな、ネビルと話すと奥にロナルドウィーズリーの姿が見え隠れするんだよな。飲みに行こうと誘ってもヤツが合流してくるかもしれないと思うと気が気じゃない。
「ふふ、あなたって、本当に顔に出やすいわよね」
「え、そんなに分かりやすい?」
レイが狼狽えるとあの日もそうだったわよと花を咲かせる。彼女との関わりの中で【あの日】なんて言われるのはきっとダンブルドア軍団のパーティー会場に呼ばれた初日のことだろう。あの頃は極薄ペラペラメッキだった記憶は確かにある。
この時間軸の中でも同じことが起こっていたのだろう。どう救ったかまでは定かではないが、彼女の中には自分がいるらしい。
「クッキー、ごちそうさま」
「へ?え!いや!そのなんかすいません。えへ、覚えてなかったとか、そういうんじゃ、許してください、へへっ……」
思わず、昔の癖が出てしまったレイである。取り繕うのがあまりに下手なのはもうこの際仕方がないと諦めた。
懐かしい顔であったが、手を振って彼女と別れる。女性とのお喋りはレイの得意とするところではなかったし、学年も違うため話題の種が見当たらなかったのだ。袖振り合うのも多生の縁とはいうが、彼女とレイとでは明確に生きている場所が違う。
「じゃあ、へへ、あの。はい。僕帰ります。帰るというか、ディゴリー家に行くんですけどね。クッキー食べてください、へへ……」
「またね、ハセオ君」
ハンナは忙しそうなその背を見送った。
彼はスリザリンで唯一。みんなからいい意味で一目置かれていた青年。同じ時間を生きていたはずなのに、ずっとずっと彼だけは男の子のままだ。
彼こそがネバーランドの主なのか、はたまたロストキッズなのか。ハンナは知らない物語だ。だって自分は女の子。乳母車から落ちるようなヘマはしない。
レイが出て行った扉の向こう。そういえば、あの初日もしどろもどろになりながら先輩とああやって出て行ったっけ。人前に立つのがあんなに苦手だったのに、今や教師だもんなぁ。子供っぽさが抜けていない割に成長はしているのかもしれない。
「あの調子じゃ私が三本の箒切り盛りしてたことも、来年からホグワーツで働くことも知らないんだろうなぁ」
次に会ったら驚いてもらえるかな。ハンナは頬杖ついてカルテを眺める。そうして、彼女の人生へと戻ることにした。
◆
老人ホームから出たレイが思い描くはあの家。ディゴリー家の家族写真に写っていたあの場所。決まってしまえばすぐにでも。体は渦の中に巻き込まれ、そして再構築される。
隠れ穴のすぐ近所。ディゴリー家は今もそこにある。ドアノッカーを叩けばどなた様?と声がかかった。女性の声だ。でも、若い声音ではない。柔らかくも低い老齢の女性。おそらくは彼の奥様だろう。
「ハセオ、レイハセオです。エイモスさんは御在宅でしょうか?」
そっとあいたドアの奥にはすらりと背が高く、美しい老女がいた。あぁ、きっと。自分の先輩の美貌は母親譲りなのだろう。濃い色の髪と男にしては柔和な表情は彼女から受け継いだに違いない。
「レイくん。いらっしゃい。あの人なら庭にいるけれど、どうしたの。今日は平日よね?」
「授業の合間に、ひとつだけどーしても確認しなきゃいけないことがありまして。突然の訪問お許しください、これ。もしよかったら」
レイは小さい方の紙袋を差し出す。夫人はそっと中身を確認して目を輝かせた。
「あらあら、ダイアゴン横丁の。ここの焼き菓子とっても美味しいのよね。ありがとう。さっきスコーンを焼いたの。お茶を用意していくからあの人とお庭で待っていてね」
「え!いいんですか!俺とっても嬉しいです!」
「うふふ、いつもそう言って美味しそうに食べてくれるものね。作り手冥利に尽きるわ」
いつも。その言葉にレイはまだ知らない過去を思って泣きそうになる。あぁ、きっと。あと少し。もう少しだ。
庭に通され、車いすに座った彼の後姿を見る。いつか見た彼とは違って雰囲気が柔らかい。これもまた見たかったものだ。手入れの行き届いた美しい庭、暖かな空気の中、庭小人と格闘していた彼が振り向く。
「おや、レイ。よく来たね。学校で何かあったのかい?」
エイモスの表情は明るい。好々爺然とした柔い笑みにレイも釣られて口角が上がった。
「また、時間がないのに遊びに来ちゃいました」
「君ときたら、いつでも時間に追われているねぇ」
「今度は絶対にアルバムを見ながらセドリック先輩の子供のころのお話聞きに来ますから!」
「でも今日は違うんだろう?」
家内がお茶の準備をしているから一杯だけでも飲んでから帰りなさい。仕事にお茶の時間を邪魔されるなんて英国紳士の名折れだよ。
そう言われて席まで用意される。ここまで誘われて断れるものがあるだろうか。レイは促されるままに椅子に掛けた。
「人生早回し過ぎても勿体ないですから。ティータイム、ご相伴にあずからせていただきます」
「ああ、もちろんだ。若い子と話すのは頭にいいからね」
「えっへっへ、僕もだんだん若者ではなくなってますけど」
早速ですが、本題だけ終わらせてしまっても?切り出して問うたのは無論、デルフィーニディゴリーのことである。どう考えてもおかしな姪っ子。彼女が本当にディゴリー家に関わりがあるのならば彼が知らないはずはないし、もしそうならほぼ黒だ。
「私に姪……?生憎だがうちに姪っ子はいないよ。しか二十代前半の、だろう?覚えはないなぁ」
思ってもないことを言われたからだろう。エイモスの表情は困惑に寄る。これではっきりした。やはり彼女はディゴリー家の血族ではない。
「であれば、デルフィーニの名前に聞き覚えは?」
「うーん、家内の親戚筋でもピンとこない」
親戚に妙齢の女の子が少なくてね。とエイモスは言い切った。ここまで否定されてしまうと思い違いの線も薄いだろう。それに、よくよく考えれば、ディゴリーの家に名を連ねるはすの子供がホグワーツに通っていないというのも妙な話である。
「そうですか。これではっきりしました。ありがとうございますエイモスさん!」
彼女が作り上げた魔法の砂城がざらざらと風で削れて、この場における正しさがようやく見えてくる。どれほど強く戒められていても、それは悪い魔法使いの魔法でしかないのだ。
少なくとも、闇の帝王が秩序にとって変わらなかった世界において、悪が蔓延ることはない。
レイは紅茶に口をつける。香る茶葉の中に感じたベルガモット。苦手なはずのそれもディゴリー家で頂くとなればレイにはご褒美だ。
エイモスはそんなニコニコの中年男性にため息をついた。平日のこんな時間に何を聞きに来たかと思えば存在しない姪の話である。
正直言って、レイはエイモスの気に入りであるし、姪がいるなら見合いの設定をしてやらないこともないほどだ。
息子に紹介された最初こそ純血のスリザリンという事で警戒したが、なんてことはないただの少年だった。少し性格に難こそがあるが、息子の後ろをついて歩く姿に、もしももう一人うちに男の子が居たらこんな感じだったのだろうと微笑ましくなったほどである。
それが、いつしかホグワーツで教鞭をとるようになった。学会での覚えも、社交界での顔の広さも中々にいい。そんな彼がどうして今だに独り身で家族も作らずほわほわしているのか。エイモスとしては理解に苦しむ。
「姪っ子が居たら次世代の顔も見れたかな」
「エイモスさん、それ以上は」
「恋愛結婚が主流だが、見合い結婚だっていいもんだよ」
「その発言はご時世に反してます……」
「そもそも、セドリックも君も貰い遅れは否めないが十分適齢期だろう。売れ残るような問題物件でもないのにどうして入居者が現れないんだろうね。おじさんがいい子を紹介しようか。ワールドカップでも活躍するようなプロスポーツ選手に、国内屈指の名門校の教授とくれば。婚活市場は引く手あまたなんだがねぇ」
くっと顔のパーツが真ん中に寄ったレイを華麗にスルーしてエイモスはさらなる棘を投げつけてくる。親から自由に生きていいと言われている身の上ではあるが耳の痛い話である。しいて言うなら、妹が元気いっぱいに婿養子を貰って孫を親に見せてくれているのでその点が救いではあるが。
「親が元気なうちに子供は作っておいた方がいいんだよ。お嫁さんのためにも。これはね、男の甲斐性の話さ。君も家長としては申し分ないと思うんだが……」
「が、学校の先生はちっとも家に帰れないのが目に見えてるんでぇ……」
しゅーんと目に見えてしょぼくれてしまったがお構いなし。齢四十なんてエイモスの目から見ればようやく立場ある大人としての人生始まったばかり。家族に子供に、これから先の人生の設計を考えるべき年頃だ。そちらの方面で人生を放棄しているだなんて考えたこともないのだろう。
「セドもセドだ。何人も候補はいたし、彼女を連れてきたこともある。なのにもかかわらず、だ。結婚までは進まないときた。今どきの子たちはそういうものなのか?と考えたが、そうでもないじゃないか。アーサーのとこなんか見たか?孫だらけだ!」
「おっしゃる通り……」
「学校という場に出会いがないならいつでも声をかけてくれていいからね。私は母が七十八の時の子だ。まだまだ相手は見つかるよ」
「数字だけ聞くと凄い話だなぁ……」
確かに、魔法族の現役期間というのは異様に長い。いかんせん、平均寿命が百四十近いのだ。七十前後ですらまだ若者に分類される。
ヴォルデモーがホグワーツ決戦に挑んだのなんて七十二の頃である。単純に寿命が倍と考えた際に、マグル感覚で言えば三十六で世界をとろうとした計算になるのだ。そこだけを見れば世界に挑むにはちょうど良い年齢かもしれない。史上最悪のタイトルマッチだったので二度と起こらないで欲しいが。
「そう驚くこともないさ。ポッター家のジェームズ……あぁ。ハリーポッターの父親の方だ。彼なんて母親が百の時の子だというし。流石に扱いは高齢出産だったらしいがね」
「百っ!?」
いくら魔法族の現役年齢がマグルのそれより長いといっても限度があると思っていたが、そうでもないのかもしれない。もはやそんな世界観なら若返りの薬なんて必要ないんじゃなかろうか。レイは思わず遠い目をしてしまった。
「とかくアーサーのやつ、口を開けば孫孫孫孫とやかましくてかなわん。私も早く見せびらかしたいんだよ、自慢の息子たちの可愛い子供を」
「あれ、セド先輩って一人っ子ですよね?」
「君のことだよ」
当たり前だろうと言い切られる。優しくまなざされることのこそばゆさがレイをそっと抱きしめた。えへへ、と真っ赤な顔を隠すために紅茶を飲む。このままでは死因がディゴリーになってしまうことだろう。なんとしても避けたい。ぱたぱた顔を掌で扇げばエイモスは朗らかにほほ笑みながら紅茶を飲んでいた。
長く使っているらしいガーデンチェア。趣味の良いティーコゼーと大きなマグカップにたっぷりの熱々紅茶。小さな菓子盆に乗っているのは彼が好んでいるであろう小さなおやつ。開かれているのは奥様と幼いセドリックが笑っている、彼が写っていない写真がこれでもかと差し込まれたアルバム。すべてが穏やかで幸せな形。
これを奪った魔法使いがいるという事実を思い出してレイは悔しくなる。もしも、あの日。嘆いていた彼に声をかけることができたら。偏屈で悲しい老人はこの世界に存在しなかったかもしれない。けれど、それと同時に彼が居なければこの結末を引き寄せることもできなかったのだ。
全てが必要で、必然。不要なものなんて何一つとしてないのである。
「ちょ、っと。その期待には中々応えられないんですけど、期待はしないで長い目で見ててください」
「人生半分。楽しくなってきたところだ。もうすこしくらい待てるさ」
「えへへぇ……」
できないことはできないときちんと言った方がいいが、何も期待してくれている人にそんなことを言わなくてもいいだろう。レイはいつも通り大人の顔をして黙った。
「にしても。私も年を取った。害虫予防燻煙剤の散布ごときで家を空けなきゃならないんだからね」
「そうなんですか?燻してる時は粉っぽいし単純にけむいんであれとしても、人体には無害なはずなんですけどね」
「前回やった時にあの粉を吸い込んでしまってね。そこから咳をこじらせ肺炎疑いで聖マンゴに運ばれたんだよ。すぐに治るとはいえ健康的でないことは確かだ。だから、薬剤が落ちつくまでは家内と聖オズワルドで気分転換さ。情けない話だよ」
「あー……。確かに染みつくまでは結構な微粒子だもんな……。吸い続けてたらそうもなるか。いいことを聞きました。なんか改良とかできないか考えてみます」
「数年に一度のちょっとしたバカンスってことにして国外に遊びに行くのも悪くないんだが、やっぱり家が一番だからね」
「お話は終わったかしら?」
おやつの時間ですよ。夫人の一声で二人の間に流れていた空気は入れ替わった。おやつという単語に羽根飾りのおもちゃを見つけたズーウーみたいに目を見開いてしっかり反応してしまったレイである。そんな彼を見て彼らは一層笑みを深くする。
「君は本当に少年のままだね。息子とそう歳が変わらないのに」
「先輩は俺なんかよりもっと素晴らしくてカッコいい魔法使いですから!」
紅茶にスコーン、レイが持ってきたお菓子と、夫人の作ったのであろうキャロットケーキ。小さなグラスにはレイのための蜜漬けフルーツたっぷりトライフル。拍手喝采。このまま三時間はここでお茶としゃれ込みたいが、今日に限って時計に追われるチョッキ兎みたいにせわしない生き物を演じるしかない。
レイはほわほわと温かいスコーンを二つに割るとクロテッドクリームとイチゴジャムをたっぷりと塗り付けて齧った。その味わいに魂まで震えて卒倒しそうになるが何とか耐える。
「そんなに急いでは喉に詰まるよ」
「美味しい、焼き立てのスコーン、なんて美味しいんだろう……」
もひもひ、正しくパサついているスコーンをいただきながら脳は猛スピードで今回の答えを得ようと働く。入れた端から糖分を使って。
幸運薬の加護があるといえど我が脳の優秀さに舌を巻く。頭蓋の中の彼にはいつでもこれくらい働いてほしいが通常時ではオーバーヒートするだろう。
それでも、今を今として固定するために。レイの頭脳は生涯で一番働く。この小さな頭で理解できる事象なんてたかが知れているけれど。
レイはデルフィーニという女について考える。プロファイリングはそこまで得意ではないが、しないよりいいと思ったのだ。
彼女は非常に優秀な魔法使いだ。その優秀さは善悪で語るべきところにはない。闇の魔術に詳しく、莫大な魔力持ち。なにより人の心理操作に長けていて、魔法を使っていない平常時でも他者に取り入るのが上手いのだろう。
闇深い存在がもたらす悪意に敏感なハリーにさえ正体を気づかせない、一流の魔女であると言わざるを得ない。
そんな彼女にとってエイモスは格好の隠れ蓑だっただろう。ハリーポッター起因での息子の喪失、という都合のいい物語を持っているのだから。耐えがたき喪失を抱えた老人にかけたのは錯乱の呪文。長い時間をかけて歪み切った彼によくしみ込んだに違いない。彼の目を曇らせるために騙ったのがエイモスの姪だったのだ。
こうなると年若いアルバスが彼女の本性を見抜けないは当然のことと言える。
なにせ、闇の魔術の効果以上に現実全てをはぐらかす必要がある。いくら強い魔法力を持つ人間であっても魔法の届く範囲には限度があるからだ。
無論、アルバスの彼女に対する行動理念が思春期特有の淡い恋心起因であることは読める。
そして、それというのは時に無茶にすら道理を通してしまうことも。レイその人に色恋沙汰というのは理解できないが教師として長年、子供を見てきた勘というのはあるのだ。
季節性熱病。恋だと思い込まされたのか、はたまた本当に惹かれたのか。アルバスにしかわからないことだろう。
ただ、前者であった場合。あの偏屈ネガティブ思春期のアルバスの感情を手玉に取る必要があるのだ。恋心を持続させるためにかなりの策をうったに違いない。駆け引き上手の手練れであると言わざるを得ないだろう。彼から離れた状態でありながら、薬も使わずに魅了し続ける。それは並の女の子にはできない。
無論、人為的に割いた魂の欠片でもアルバスに埋め込んであれば別だ。それをくさびとして愛という感情に取り入り、魂ごとからめとった挙句に思考をジャックすることは難しくはない。
しかし、その方法がいかに馬鹿げているか、帝王を失った闇の住人たちは忘れていないだろう。
「レイ、顔色が悪いけれど心配事があるのかい?」
「もう少しゆっくりしていったら?お仕事大変なの?」
レイを現実に引き戻したのは本気でこちらを心配してくれている彼らの顔。その優しさに心がいっぱいになる。何があっても、ここから先、デルフィーニに負けることは許されない。この場所を守るためならば、自分はなんだってできる。
「胃に穴が開きそうなくらい仕事は忙しいです。でも、これを乗り越えたら憧れの先生たちに近づける気がするので。もう少しだけ頑張ります」
大好きな人の、愛している人が幸せでいてくれること。これ以上の喜びはない。これを守るためだったらもう少しだけ、無理ができる。
レイは、これ以上心配をかけてしまわぬようにぴったりな仮面をかぶった。そして、思考から感情と口先を切り離す。
「でも、お言葉に甘えて、トライフルをおかわり!」
表層には教師かつ彼らの息子の友達を置いておく。その一方で深層にてデルフィーニのプロファイリングを進めた。
彼女はいざとなったら対象を操り人形に変える、もしくは忘却呪文をかければいいという発想から、姿を見られることに無頓着。おそらく姿を変える魔法を使うタイプではない。
これはロンの発言からも明らかだ。目立つ髪色をそのままにホグワーツに乗り込んでくる豪胆さがある。
見てくれによほどの自信がある。もしくは、変えられない、変えたくない理由があるのだろう。闇を纏うものとしての自負か、はたまた誰かに見つけてもらいたいのか。
どちらにせよ闇の帝王の信奉者には違いない。それこそ、ベラトリックスのような。ただ、闇の帝王に並々ならぬ憧れを抱いているとしても、彼女は世代ではないはずなのだ。二十歳そこそこだと仮定して、闇が潰えたのはそれこそ彼女が生まれて間もないころのこと。
親による徹底的な教育が施されたかあるいは、地下に潜った闇の関係者。大穴は闇の帝王たる彼と似た境遇の子供。おそらくはこの三つのうちのどれかだろう。少なくとも、一般的な家庭から生まれ落ちるタイプの性格はしていなそうだ。
一つずつ。可能性を考える。
まずは地下に潜った闇の関係者の可能性。これに関してはすぐに否定できる。平和な世界において闇側の人間は徹底的にマークされている。あのハリーポッターとグレンジャーに限って反社会的集団を見逃しているはずがない。顔が割れていない若い娘を使ったのだとしても、背後にそう言った集団がいる場合はどこかから漏れるものだ。なのでこれは論外。
次に、孤児がどこかで知った闇の帝王の物語に憧れて彼の痕跡を辿っている場合。もしそうであれば、彼女は徹底的な単独犯だ。その場合は疑問が一つ。英国において魔法が使える孤児、というのは基本的にホグワーツに通うことになる。たとえ、デルフィーニが偽名であったとしても彼女という存在がなかったことにはならない。彼女が二十代前半であるなら少なくともレイは彼女のことを知っているはずだ。
新入生にリストアップもされないのに超がつくほど一流の闇の魔法を使う。これは確実に、出生届すら出されていない隠された子供だったのではなかろうか。
そこから考えるに、徹底的な教育が施された純血主義者の可能性が一番高くなる。二十数年前に生まれた超純血主義者の娘。学校に通わず、保護者によって徹底的に闇の魔法の技を仕込まれた。もしくは幼いころからすぐに触れられるところに禁忌の魔法群があったのかもしれない。
無論、英語が達者なロシア生まれの可能性だってある。カルカロフ退任後もダームストラングは比較的闇の魔法にも寛容だ。でも、不思議とそうは思えなかった。フェリックスフェリシスがその可能性を否定するのだ。便利すぎて泣けてくる。
あの時代の苛烈な純血主義者と言えば思い浮かぶ顔が複数。そして、今なお闇に傾倒しているのはほんの一握り。更に、女ともなれば絞り込むまでもなかった。
ベラトリックスレストレンジ、ブラック家の三連星。彼女に他ならない。
もしも、あの禍つ星の血を受け継いでいるのであれば彼女があれほど強いのも理解ができる。
ただし、納得がいかない点もあった。彼女がベラトリックスとロドルファスの間に生まれた子供だとするならば、レストレンジの名を冠していないのはおかしい。それに、生まれた幼子をブラック家やそれに付随する家々が彼女を放ってはおかないだろう。それがスリザリン、そして血脈を重んじる純血貴族の習性だ。彼女の実の家ともいえるレストレンジ家。直系が死に、没落しきったとはいえ名門に変わりはないブラック家。母親の妹がいるマルフォイ家が彼女を拾い上げなかった。それには明確な理由があるはずである。
麗しき純血の娘を、魔法界の王族の血すら引く彼女をどうしてホグワーツに行くことすらできないような場所へと追いやったのか。
それは、入っていてはならぬ浅ましき血が混ざってしまったから、ではなかろうか。秘匿された娘、誕生してはならない呪いの子。ベラトリックスレストレンジの最大にして最悪の秘密。
ロドルファス以上の血で、ブラック家ではない者。お前の肉体は尊きものを産むためにあると徹底的に教育された彼女がその血を残したいと思う相手。彼女ほど苛烈な魔女が身を許すような特別な男。そんなの、ただ一人しかいない。
いいや、そんなまさか、とレイは考えを改めようとする。なにせ、闇の帝王は愛を知らない。愛を知らないからこそハリーに討ち滅ぼされたのだ。さすがに妄想が過ぎる。
彼女はベラトリックスと、闇の帝王の娘なのでは、なんて。
けれど、どんなありえなそうな可能性であっても、他の可能性を潰した結果がそれであるならば。浮かび上がったものこそが最も真実に近い。
レイが思い至った答えらしきもの。その正体に思考と乖離させている肉体すら震えさせてしまいそうだった。
合点は行く。恐ろしいほどに。可能性を否定するべきではないと思うが、それでも。存在してはならない血だ。
けれど、幸運薬はありえないを可能にする存在。確率が低ければ低いほどに揺らがぬ事実に代わるだろう。思考は纏まり、最早そうであるとしか思えなくなっていた。レイはその仮説を脳内ノートに保存する。
そしてようやく現実と乖離させていた思考をくっつけると、トライフルで口が幸せになっていた。紅茶でクリームを流せばまた食べたくなってしまう。
「あぁ、これ食べて育ったらセド先輩はあんなに大きくなるわけだ……」
だって全部がこんなに美味しいもん、とレイは勧められたスモークサーモンのサンドイッチを口に招き入れる。薄く塗られたクリームチーズに、スライスされたきゅうり。アクセントにピンクペッパーだろうか。華やかな香りと旨味があまりにもレイ好みでなんだかいっそ泣けてくる。
「おいしい、あまりにも美味しい……このサンドイッチで国取れますよ……」
「本当に好きねぇ」
「君にはお呼ばれの才能がある」
そんなに喜んでくれるんだったらみんな持っていきなさい。そう言いながら彼女が杖を振るとそれらが見る間にパッキングされる。コンパクトな紙袋に収まって最終的にはレイの手元へやってきた。その心遣いに本気で泣いてしまいそうである。
「さて。忙しい君をこれ以上引き留めておくわけにもいかんからな」
「また遊びに来ます、必ず」
「あぁ、いつでもおいで」
「今度はお夕飯にでもいらっしゃいな。ホグワーツの屋敷しもべ妖精のも負けないわよ」
「くっ、凄く凄くお呼ばれしたい、あわよくばセドリック先輩を育てた美味しすぎるご飯を食べたい……、全部終わったら、必ず!」
気を付けて行ってらっしゃい、の言葉に久しく帰っていない実家のことを思い出した。ここは、今の自分にとってはイギリスの家。学校と同じくらい大切な場所なのだろう。それでもまだ実感は湧いていない。
人生に、また一つ楽しみなことが増えてしまった。時間の書き換わりから未だ浮いているレイはこの変容を認識できる。だからこそ、あと少し。ほんの少し。もう少しで会えるから。
「あぁ、おかしいなぁ、あと三百年くらい生きてたい!」
おのずと浮かんだのは満面の笑み。
そして、彼は幸福に導かれてマルフォイ邸へと向かった。