「っひゃあああああああ!!!!!!???!!」
「シレンシオ!」
「んーーーーーー!」
目覚め早々ロンに黙らされてしまったレイである。
起き抜けの闇の帝王はどんなドッキリでも許されない所業だ。完全滅亡から二世紀の間は禁じ手とされるべきである。彼の顔はそれほどまでに人々に恐怖心を与えるのだから。
例えダンブルドアであっても、鼻なし成人男性のドアップは寝起きにふさわしくないというだろう。トム時代であればまだしも。
むしろ、今この状況の方が異常なのだ。彼を囲んで比較的和やかに話しているだなんて。
何がどうなっているのか一つも理解できていないであろうレイに近づいてきたのはアルバスだった。
「ロンおじさん、先生のシレンシオ解いてあげて」
「叫ぶなよ」
「説明するね、先生。これは僕のパパ、ハリーポッターだよ」
「むぐん、ムぐ……うえっへい……ポッター?」
「分かりやすい困惑をありがとう。確かに僕だ」
そうは言われても今の彼は間違いなく、最終決戦で見たあの姿だ。声もおぞましいほどに似ている。それでも纏う空気管や周囲の反応から彼はハリーポッターらしかった。理解が極めて難しい。
体調不良で倒れて、意識を取り戻したらハリーポッターがヴォルデモーの姿になっている。この式の途中式を埋めるのは不可能に近かった。
「話が、見えません……だれか、解説を……」
ざっと説明を受ければ確かに納得はできた。ヴォルデモーにハリーを殺させないことを最終目標とし、ネズミのフリをして猫をおびき出す。要するにおとり作戦である。それを他者では到底まねできないようなレベルでやろうというのだから、英雄が英雄たる理由を見せつけられた気分だ。
「最終的には教会の中までおびき寄せて、この円の中に入ってもらうわ。そして、確保」
「なるほどね?ポッターの姿がそれな理由は理解できた。でも、なんでわざわざここまで?そこまでぬるい考えのもと動いてくれるとは思わないんだけど」
ハーマイオニーが魔法理論そのものから組んだという円。それはこれ見よがしに淡く光っていた。罠です、と名乗りを上げているようにしか見えないのだが、これはもう少しなかったのだろうか。
「レイ、スネイプがこの光に中に入りなさいと言ったらどうする?」
「スネイプ先生な?グレンジャー。直ちに言いなおせ」
「スネイプ先生が「君は特別な生徒だ。この光の中に、吾輩の隣にくるがよい」って言ったら?」
「まぁ、最早そんなこと言われる前に隣に立ちますが……あーん、おー……演出って事だね?」
「そういうことよ」
盲目、とはそういうものである。そこに疑う余地がないのだからどんなに怪しかろうと知ったことではないのである。光の中で、魔力という翼を奪われれば彼女とてただでは済まないだろう。
「で?あの真っ黒い小鳥ちゃんの身柄を確保したら?」
「ボコる」
背後から聞こえた声に振り向くと、そこには明確に拳を握ったロンがいた。魔法使いとは思えぬ物言いではあるが、レイもそれに賛成である。首を大きく縦に振ってから意気揚々と両の手を握りこんで同意を示してやった。周りから漏れる呆れのため息なんてこれっぽちも気にならない。
「賛成」
「賛成!?」
「魔法使いって結局魔法が使えちゃうからフィジカル面で弱かったりするんだよ。僕が言えた義理はないけど。そんで、女の子に暴力を振るうのはすごく紳士道に反するけど。今回は別。やろうぜロナルド。あの女ボコろう」
いかんせん、現在の状態では魔法がほとんど使えないレイにとって、ロンのボコるが一番扱いやすい戦法だった。それゆえに素直に肯定を返したのだ。まさか、あんぐり口を開けたまぬけ面を返されるとは思ってもみなかったけれど。
思いもよらない返答にロンは視線をハリーに向けた。しかし、その姿は闇の帝王。親友の姿はあれでスリザリンから出たセリフがこれ。どうにも変な気がしてしょうがない。
「……」
「なんだよその顔」
「お前が俺の意見に賛同するのってこれが初めてじゃないか?」
「それは、ほら。普段の君の発言がジョークショップのオーナーらしい突飛で面白いものばかりだから。僕とはまるで着眼点が違うな~、さすがだな~って感心してるうちに意見が流れてっちゃうからさ」
「馬鹿にしてんのか」
「してないよ。単純に馬鹿だと思ってる」
「ふぐっ、はは……んっ、ふふ……」
闇の帝王カッコカリは眼前の光景がおかしくてたまらないと言いたげに笑い始めた。あまりにも似合わない光景過ぎるのでハーマイオニーが何とも曖昧な顔をしている。
「その姿で笑うと怖いわね」
「ポッター、高笑いとかした方がいいんじゃ?はーっはっは!俺様を笑わせるとはさすがだなウィーズリー!そのジョークのセンスに感激したから世界の半分をやろう!みたいな」
「世界の半分を対価に渡されるほどの類稀なるジョークのセンス……。悪くない肩書だ」
ひとしきり笑った後ハリーは思ったよりも深刻なトーンでロンに問うた。
「ロン、世界の半分が欲しかったの?」
「絶対やめろよ」
ハリーとの付き合いが長いロンであるがそれでも時々ジョークに対する感度が合わなくて驚くことがある。いや、まぁ、世界の半分だって親友がどうしても、というのであれば検討はするが。
「けど、世界の半分なんか貰ったら掃除大変だろ。家ですら綺麗にできないってのに。冗談でも欲しくないね」
真面目ぶった顔でロンが言うものだからハリーはおかしくなってしまった。ヴォルデモーの姿であることなんて完全に失念していつも通り振舞う。
「違いない。寝室のサイドボードですらクチャクチャだったからな、キミは」
「あれはあれで俺なりのルールがあったんだ」
「そうだったの?気づかなかった……」
昔話に花が咲きそうになっているのでハーマイオニーが制した。今はそんなことをしている場合ではない。仲がいいのは良いことであるが、全部が終わった後でネビルでも捕まえて三本の箒でやってもらいたいところである。
とはいえ、おかげでレイはこの異常な状況を飲み込めたわけだ。ハリーの笑いのツボはあまりにも浅く、そしてロンナイズドされ過ぎている。
「ロナルドが面白おかしいおかげでポッターを見抜けるってんだからこれから先もずっと側に居てもらったほうがいいよ、ほんと」
「……結局、俺が馬鹿にされて笑ってるってことか?」
「それは違う。見る目がなさすぎるな、っておかしくなるんだ。ロンは、チェスも上手くて、機転が利いて、面白くてカッコいい僕の親友なのに、それを知らないだなんてって」
「ハリー……!」
ただでさえやかましいロンの表情筋がさらに豊かに喜びに染まるものだからレイはそれだけで疲れてしまった。いや、分かる。友達に褒められたら自分も同じ顔をする自信はある。けど、体調があまりにもすぐれないときに見たい光景ではないのだ。いかんせん、羨ましすぎて致命傷になりかねない。
「あのぅ、急にいちゃつくのやめてください」
「おうおう、眩しいだろ友達片手しかいない穴倉の蛇には」
「片手?舐めんな、そんなにいねぇよ」
「なんかごめんな」
「いいよ、気にしてない。元気だったら手が出てた可能性はあるけどね」
眩すぎる友情を見せつけられて蒸発しそうだったが、脳内で二人をむごたらしく殺す毒を持った植物の花束を作ることで正気を保つ。仲良きことは素晴らしきこと。是非とも二人一緒に悶絶してほしいものである。
そんなレイの気持ちなど一切知らないハリーは覚悟を決めたのだろう。フードを深くかぶり直した。黙ってしまえばそこにいるのは闇の帝王。直に相対したことのないレイでも身震いするほどの威圧感だ。
「行ってくる」
ハリーは教会を出て夜の谷へと消えていった。いつだって矢面に立つのは結局ハリーだ。それを思うとジニーはやりきれない気持ちになる。いつでも彼を頼って、その肩に途方もない責任を乗せるばかり。それが少しだけでも軽くなるように願っているのに、運命の呪いはいまだに彼を離してくれはしない。
「ママ、」
肩に触れたのはアルバスの手。振り返れば彼の表情にも不安が滲んでいることが見て取れた。それでも、より深く沈んでいるこちらを少しでも元気づけようとしていることはわかる。
「ママ、大丈夫だって、ね?きっとうまくいく」
「ええ。そう祈ってる。ただ、見たくないのよ。あんな姿。愛する人が憎むべき姿になってるなんて」
確かに、あの日ハリーがうち滅ぼした闇の帝王。本当は、この場で本物の彼を完全にうち滅ぼせてしまえたらと思う。けれど、それは分霊箱の働きによって不可能なのだ。
全ての悲劇の発端を一番に変えたいと願っているのは紛れもなくハリーだ。けれど彼は今、歴史を変えないためにあの姿をとっている。なんて残酷な定めのだろう。
アルバスは彼女の隣に座る。いつも明るい母の深刻そうな表情がこたえたらしい。硬く握られた手を自分のそれで包んで俯いた。
「全部僕のせいだ」
自分のしたことがこんなに大きな問題になってしまうと考えてもいなかった。けれど目の前で起きていることが全て紛れもない現実なのだ。母を苦しめていることすら、自分に責任がある。
「おかしいわね。パパはパパで全部自分のせいだと思ってる。あなた達ってホントおかしな親子」
ジニーはアルバスを抱きしめる。すれば、彼はごく小さな、それこそ母にしか聞こえない音量で悲し気に呟く。
「僕、デルフィーニのこと好きだったんだ。彼女、ヴォルデモーの娘だったんだね」
「惑わされたのよ、あなたは。でも本当の自分に気がづいた。そういうあなたをママは誇りに思うわ」
こんな状態でなければ誰しもに訪れる青春の一幕でしかなかったはずだ。まったくポッター家の男どもときたら運命力が高くてしょうがない。
そんな風に思ったところでジニーはふと思い出した。魅力的な年上の男の子と毎日、毎晩、毎秒のように日記帳でやり取りしていた時のことを。血は争えないのかもしれない。
「学生時代に年上に憧れるのなんてよくあることだし、失恋もそう。そうやって人生経験を積んで立派な大人になりなさい」
「……。ママも好きになっちゃいけない人を好きになったことある?」
「失恋、まではないけど惹かれた上級生が闇の帝王だったことならあるわよ」
「そうなの!?」
「その話はまた今度。いまはパパの無事を祈りましょう」
教会内にいる誰もがそわそわと落ち着かない。それでも、ここにいる自分たちでは一つの運命を変えることすらできないから待つしかないのだ。彼を。
ハリーが出ていって三十分が経っただろうか。教会の入り口から外をチェックしていたスコーピウスが息をのみ、慌てて扉を閉めたのだ。
「彼女だ。ハリーを見つけたっ!」
真剣な目つきに大人たちは一斉に動き出す。ここを逃したらもう後がない。そして、今度こそ世界は取り返しがつかない闇に覆われることになるだろう。
「総員、配置。位置について。いい。彼女がこの光の中に入るまで絶対に出ちゃだめよ!」
扉は左右。あらかじめ組み分けしておいた通りに奥の部屋へ入る。親子とレイ、そしてグレンジャー夫妻だ。どちらか片方しか出ることができなくとも申し分ない戦力である。
「この私がハーマイオニーグレンジャーの命令されて動いているとはとはな」
その言葉にヒールを踏み鳴らしてハーマイオニーが近づく。勝ち気で強気な女のほほ笑みはドラコを黙らせるには丁度良かった。
「これも悪くない」
少し呆れたような、嬉しいような声色のスコーピウスに呼ばれてドラコも部屋の中に入った。
大人三人は扉に近寄り耳をそばだてる。相手がどんな魔法を使うか分からない以上、微量でも魔力を漏らすのは危険だ。呼吸を整えて無心を装った。
一方で子供二人には部屋の奥へと行くように厳命する。万が一飛び出しでもして人質に取られたら目も当てられない。そんな大ポカをする子供達でないことはレイも承知していたが、衝動的に走り出さないとも限らないのだ。それが子供というものである。
「ジネブラ」
「ん?」
「デルフィーニは家族愛を見せつけられるとイラつくタイプだ」
「何情報、それ」
「教師の勘と幸運薬の効果」
「なら、間違いないわね」
「だから、最後の最後まで我慢して取っておいて。父と母、愛される子供。それは切り札になる」
それってどういう?と言いたげな顔がレイを見る。だから、ごく小さな声で愛じゃよ、愛。とおちゃらけておいた。
息を潜ませる。正直今のレイは正直に言ってしまえば明確な戦力外だ。それでも、数がいると分からせるのがこういうはったりのコツでもある。自分以外は一流魔法使い。同世代指折りの人選で間違いないだろう。
今の自分は八割がた役立たずであるという事をきちんと理解しておけば間違えることはないだろう。
心臓の音が聞こえてしまいそうな静寂の中、ついに彼女が現れる。
「私の後をつけているのはどこの魔女だ、後悔するぞ」
「ヴォルデモー卿、私です。後をつけてきたのは」
「お前なぞ知らぬ、消えろ」
「私は、あなたの娘です」
分かってはいたが、本人の口から出ると破壊力が違う。その後に聞こえたマルフォイの屋敷、という声でドラコは彼女の正体を完全に把握したようだ。隣にいたレイにはドラコの喉が鳴ったのが聞こえる。彼の家は特に闇の帝王と関わりが深かった。恐怖は人を縛る。例え、どれほど時間がたったとしても。
「母上は、ベラトリックスの妹だ。彼女は我が家で秘密裏に生み落とされた子供、という事だろうな」
「秘密裏って、実の娘よ?存在すら知らないなんてことありえるかしら」
ジニーの言葉はもっともである。通常の人間相手であれば。愛や恋を解する人間であれば、例え望んでいなくとも我が子という存在に興味を示さないはずがない。
けれど、彼は違う。ベラトリックスに手出しがあった、という事からして異常なのだ。己こそが完全無欠。不老不死を求め魔法界を掌握しようとする化け物がどうして己の血を引く子供が欲しいなどと考えるだろう。
「母上は彼女のことを聡明な姉だったというが、彼女は確実に月に愛されていた。優秀で有能な子供を残すためであればどんな方法でも使ってみせただろう。苛烈極まる純血思想が残したいのは血脈だけだ。我々は魔力が循環する、麗しく尊い血のための革袋にすぎないのだから」
純血貴族の女と呼ばれる物の中身がどんなものであるかお前たちにはわかるまい。
そこまで言い切ってドラコはハッとして子供たちの方を見た。彼らに聞かせるべきではない話である。嫌なことを聞かせた、と詫びると今一度彼は持論を述べる。
「おそらく、ベラトリックスは恐れたのだろう。彼の血を繋ぐための存在が帝王に露見することを。極めて独裁的な為政者が恐れるものは歴史においてただ一つ」
ジニーはその答えに行きついたらしく黙ってしまった。後味があまりに悪いではないか。ああまでして父親の愛を求める子供が居るのに、その彼はどうあっても彼女を愛するつもりがない、だなんて。
「それじゃあ、誰も救われないじゃない……」
「ジネブラ。これは童話でもおとぎ話でもないんだよ」
彼女は結局、愛されるために生まれてきた子供ではないのだ。けれど、それを知らない。だからこそ夢を見ることができる。それは"不幸な私"を救い上げるための大仰で合理的な
魔法とは思い込みの力だ。それが人一倍強い彼女は、彼女の物語をそつなく遂行してきたのだろう。誰にも知られずにエイモスを、多くの人を狂わせ、存在しなかったはずのタイムターナーを呼び込んで。彼女にとってのハッピーエンドが世界を壊すものであれば、そこには待ったがかかることすら知らずに。
扉の向こう、ハリーの言葉が積み上げられる。それは夢にまで見た、彼女を認める音の連なり。
「ベラトリックスのことはよく知っている。お前の顔は彼女に似たところがある。しかし、証拠がなければ」
「私は闇の帝王に使えるオーグリー。私の全てを捧げてあなたのお役に立つ覚悟です」
「飛ぶ術を……私から学んだというのか」
「私はあなたの敷いた道をたどってきました」
「ではここへ、娘よ。私の血が作り出したものをとくと見せてもらおう」
ごくごく薄い隙間。見えたのは彼女を誘導するハリーの姿。しかし、もう時間がないのだろう。ローブの裾からゆっくりと煙が出始めた。
焦ってはことを仕損じる。レイは今にも飛び出してしまいそうなジニーの肩を掴んだ。まだ、もう少し。後ほんのちょっとだけ。まだ、デルフィーニは事の次第に気づいていない。
「父上が遂行しようとしているミッションは誤りです。ハリーポッターを攻撃してはなりません。ハリーは母の愛情をまとっていて父上の呪文は跳ね返され、父上が破滅してしまいます」
「っ、あ……ではヤツを襲うのは、やめよう。……お前の忠告に従う……!」
シュウシュウと細い管から蒸気が噴き出すみたいな音。肉と骨とが元の形の戻ろうと蠢く。その感覚は想像を絶するものに違いない。それでも、何とか耐えている。チャンスはただ一度きり。これを逃した先に見えるのは失敗の二文字だけだから。
「父上?」
「いっ、いい忠告をしてく、れたぁあ……。襲う、のは、やめる、お前は私の役っ、に立ったのだ。さぁ、ここへ……。この光の中に来てっ姿をよく見せてくれ、ぇ……」
震える声。悟らせまいと必死になってもハリーの身を現在進行形で焼いている苦痛は攻撃の手を緩めない。
それはやがて、自分の夢に酔っていたデルフィーニにも理解できるほどに大きな波となってしまった。
「お前……、ヴォルデモー卿ではないな?」
その言葉にジニーが飛び出す。けれどそれは瞬きの合間に制されてしまったのだ。コロポータスの一言で。
「ったぁっ!ざけやがって……!」
強くしまった扉で鼻を強かに打たれたレイである。悲しいことだが鼻が低くて助かった。ドラコだったのなら今頃もっとひどいことになっていただろう。
閉まる扉によって奥へと押し込まれたジニーはすぐさま体勢を立て直し、扉にかじりつく。ガチャガチャとドアノブを捏ねくり回すも、うんともすんとも言わない。しびれを切らしたドラコが鍵開け呪文を繰り出すも、状況は変わらなかった。
「ハリー!」
悲鳴にも似たジニーの声。
分断と断絶。たとえ一人になってしまったとしてもハリーは彼女に勝つのだろう。それでも、何もせずに手を拱いているだけの自分たちではない。せめて状況を探ろうと耳をそばだてれば明らかに戦闘が始まっている。彼に限って敗北はないだろうが、万が一という事もある。
それに、ジニーの顔色が蒼白だ。にもかかわらず、唇は怒りに震えていて、行けもしないのに今にも飛び出していきそうなほどだった。
「落ち着いてジネブラ」
「落ち着けですって!?落ち着いてられると思う?夫の命の危機なのよ!?」
今にも扉を蹴破りそうな威勢を面と向かって受け止めてしまい今度こそすっ倒れるかと思ったレイだ。それでも、この反応は仕方がないことだろう。彼女は何が何でも彼の側に駆け付けたいに決まっている。それは、妻として、いいや、あの魔法戦争を共に生き抜いた仲間としての当然の反応に他ならない。脅威を前にして、人は一人で戦ってはいけないのだ。
「それでも落ち着くんだよプリンセス。そういうの大事なんだから。いいか?理性と感情切り離して、冷静に。俺ら魔法使いだぜ?究極の一手を考えるのは今も昔も得意なはずだ。魔力暴走させる方が勿体ない。一点に集中して」
「そんなことっ!言っても!」
レイはジニーを宥める。なんてったって相手は英雄様だ。少女一人に追い詰められることはあっても、命まで取られることはないだろう。これは、あくまでも相手の時間稼ぎ。下手に動くのはもったいない。
ドラコはひたすらに扉を開けるための呪文を唱えているがどれも効果がない。となると、内側からの解錠は絶望的だと考える方が良いだろう。
「っあー、あいつ、どんな魔力込めたんだよ、ちくしょう」
いっそマジで蹴破ってみる?と大人たちが暴力に訴えかける案を出していた一方で、アルバスは部屋のすみっこて不思議な動きをしているスコーピウスに気が付いた。彼はつま先で床板を端から順番にトントン、と叩いているのだ。まるで、何かがあると知っているかのように。
大人たちの中に混ざっていても自分では何をすることもできない彼はスコーピウスに近づく。
「なぁ、何してんの?今そんなことしてる場合じゃないだろ」
「時は今、こういう窮地にだけ光る知識ってのが人生にはある」
ゴドリックスホロウは魔法族とマグルが共生している村だ。古い昔から魔法族は己の属性を隠している。けれど、人ならざる力、というものはどこからともなく漏れるのだ。それは中世の暗黒時代ではより濃い影になった。
恐ろしい魔女狩り。その疑心暗鬼に曝されるのは決して大人ばかりではない。
幼き彼ら彼女らにとって魔法力は生まれながらに持ったもの。とは言え、鍛錬を積まずに使いこなせるものでもない。それでなくとも精神にも大幅に左右されるのだ。親から引き離され、鉄の香り漂う教会に押し込まれた際に冷静でいられる子供はほとんどいなかった。
それゆえに教会には抜け道が用意されていることが多い。同じ言葉を、知恵を持つ者にしか分からない抜け道。姿くらましができなくても生き延びるための手段。スコーピウスはそれを探していたのだ。
「っ、たぶん、ここだ!」
コンッと他とは明らかに違う音。この下には空洞があるらしい。床板をよくよく見ればルーンが刻まれている。
「ウィゾー!聞いてた通り!これは魔法族にしか使えない抜け道だよ!本当にあるんだね」
「でもなんでこんなところにわざわざ……」
「えっと、ナンジ、ヨイヤミヲフユウセシモノ……ハラカラニイノチヲアタエン……見つからない様に浮遊呪文を唱えろってことかな」
スコーピウスが少し歪んだ床板に手をついて浮遊呪文を唱えると固定されていた床板が簡単に持ち上がる。杖なし魔法を使ったのか、と問えば彼は不思議そうな顔をして授業で習ったよね?と述べた。アルバスにはそんな記憶がない。
「ピンズ先生の話聞いてなかったの!?あんなに面白いのに!?魔法史の授業で寝てちゃだめだよ、アルバス」
「うぇーっ、あの授業ちゃんと聞いてんのお前だけだろ」
現れたるは女子供であれば入れるであろう穴。バグショット宅から拝借した杖でルーモスを唱えれば、どうにも道になっているようだ。これを使えば扉の向こう側に行くのも難しいことではないだろう。
「スコーピウス」
「何」
「君は来なくていい」
「っ!ここまで来てどうしてそんなこと言うんだよ」
「これは僕とパパの喧嘩だ。流石に巻き込んだ責任ってのを感じてる」
「今更そんなこと言われても引かないよ」
「僕にはパパを助けに行くっていう大義名分があるけど君にはないだろ」
だから、だめ。そう言って上がった口角があまりにも悪戯だったため、スコーピウスは何も言えなくなってしまう。それに、自分たちは蛇の子だ。不思議なもので、大義名分がない、と言われるとほんの少しだけひるむ。
「あー、友達のパパのためって確かにちょっと弱い!」
「だろ?だから、これは僕一人でやる」
「絶対、絶対、外から扉を開けてくれる?」
「僕にできるのはそれくらいだ、デルフィーニと真っ向勝負は、パパにしてもらう。かっこ悪いけどね」
スコーピウスの行ってらっしゃいを聞いてアルバスは軽やかに抜け穴の中に入った。しかし、運命の女神はいまだレイの味方。まさか、そんな抜け穴があるとは考えても居なかったが、ジニーを制するためにアルバスに声がかかった。
「あぁっちょっと、ジネブラさん!?ジネブラったら!そんな!丸太なんて出してこの狭い部屋でどうすんだよ!えっこれ持って突っ込む!?蹴破ろうかって確かに言ったけどさ、城門こじ開けようってんじゃないんだから!ドラコ、ドラコ、ジネブラ止めてぇ!?」
息子からも何か言ってやってよ!とレイが振り向けば、前述のとおり。アルバスが彼からしてみれば寝耳に水、謎の穴から顔だけ出しているところである。
しかも、あからさまに、やべっと慌てて潜ろうとするものだからレイは体調不良にあるまじき大きな声を出してしまう。
「アルバス!?ちょーっと待った!何してんの!?」
「何ってパパを助けに行くに決まってるだろ!」
助けに行く、といった声が耳に入ったのだろう。ジニーの目に理性の色が戻る。人妻を羽交い絞めにするわけにもいかなかったドラコは彼女を止める任から降りることを許され、あからさまに安堵の表情を見せた。
「私が行く。アルバスは戻りなさい」
「いやだ。ママが行ったらきっとデルフィーニは油断をなくすと思う。そしたらどうなるか分からない。だから、僕が行く」
「ダメに決まってるでしょう!」
「なんで!」
「愛する息子を分かってる危険にはいそうですかって送り込むことができる母親がどこにいるって!?」
その叫びにアルバスは目を丸くする。そして、場違いなのを承知でへへ、と笑った。
「ママ、ありがとう。でも、僕は冒険がしたいわけじゃないよ。手柄が欲しいわけでもない。パパを助けに行くんだ」
アルバスは穴から出るとジニーにきちんと相対した。母の表情は厳しいものである。
「……。いいわ、そこまで言うならママを説得してみせなさいアルバス・セブルス・ポッター」
この想いを超えていくだけの覚悟が、策が、甘ったれのアルバスにあるわけがないと侮った。それは、たとえこれがジェームズでもリリーでも同じ。こんな子供が半端なことを言おうものならすぐさまその翼をもいでやるつもりだ。遠ざけることができる危険であれば、なるべく遠くにいて欲しい。ずっとずっと怖がりでいてくれていい。この無茶が成長の糧になると分かっていても、だ。命を懸けた冒険だけが成長の糧になるなんて戯言、信じてなるものか。
今なら、あの時の母の気持ちがジニーにも痛いほどわかった。実家にかかっている時計のあの針を見て一喜一憂する母の表情の理由が。
けれど、アルバスはそんな母の考えには至らない。彼が持っているのは、この場が自分でなければならない理由だけ。それが唯一、道になるのだと本気で信じている。
「油断だよ。彼女は僕を取るに足らないヤツだと思ってる。魔法も下手、簡単に騙せて、一人では何にもできないグズだって。だから、僕がすることに何の注意も向かない。それこそ、外からこの部屋の扉を開けることくらい簡単だ」
戦うために行くのではない。それでも父を助けに行くのだ、と。彼はまっすぐな視線と物言いで母に告げる。戦わないことが負けに直結するわけではない。アルバスはもうそれをきちんと理解できていた。
「スコーピウスじゃダメなんだ。パパの息子は僕だからね」
時間はない。こんな言い合いをしている間にもハリーとデルフィーニの戦いは激化するだろう。何を是とし、なにを非とするか。ジニーは見極める必要がある。
「私でいいじゃない」
愛する家族を失う、その恐ろしさをジニーは忘れたことはない。避けられたかもしれない死を。あの、世界を明るくするための光の一つが消えてしまった日のことを。
「ママじゃダメだ」
「どうして」
「これは、僕の責任だから」
運命の女神は恐ろしい性悪だ。あんな神様をありがたがる方がどうかしている。時として彼女は一人の人間の人生すらも変えてしまうのだ。それは終わってみるまで善であったのか悪になり果てるのかすら分からない。
ジニーは深くため息をつくと眉間を押さえた。どんなに威勢よく翼をもいでやると嘯いても。結局、子供の覚悟を捻じ曲げるだけの力は母親にはない。自分もかつて子供であったし、それをよく知っている。やめなさいと言われたすべてに首を突っ込み、暗黒期にはネビルと共にホグワーツの柱を支えた。なのに、親になるとこんなに憶病になる。
息子の成長を喜ぶべきか、はたまた寂しく思うべきか。幼いころから側で見てきた覚悟の輝き。それはハリーの持つ光によく似ていた。
「あなたって、本当にパパに似てる」
それでも、あなたは子供なのよ、と覚えていて欲しくてジニーはアルバスを抱きしめた。これこそが成長であると理解しつつも、親の中ではいつまでも小さな子供のままなのだ。
「……扉を開けるだけ。何かあったら必ずパパの後ろに逃げなさい。それ以外は許しません。でも、貴方が侮られたままなのは悔しいから、ひっぱたいてやりなさい。あの横っ面」
「ママ」
「約束して、危ないことしないって」
一段と強く抱きしめられる。何があってもこの人を悲しませることだけはしない、そう強く心に決めた。
ジニーから離れ、行ってきます、とアルバスが出発しようとした瞬間、レイがアルバスの首根っこを掴む。勢いと気恥ずかしさが混ざって少しスピードが出ていたのだろう。物の見事に首が締まって情けない声が出てしまった。
「ジネブラ、僕も行くよ。丁度役立たずだし」
「先生話聞いてた!?僕は一人で行く!」
「は?絶対だめですけど?ジネブラが許しても僕が許しませんて。学校の敷地外とはいえ、生徒を一人でみすみす戦場へ送ったってバレたら僕が校長に首絞められちゃうもんね」
何を当たり前のこと言ってんだよとレイは笑う。こういう時、誰かを見送る立場にならないために研鑽を積んできたのだ。もう二度と誰の手も離しはしないと決めている。
「ああいう輩の対応には慣れてんだ、学校の先生だからね」
「なら私が行くわよ」
「それは、もう少し後の方が効果的なもんでさぁ」
家族愛を見せつけて彼女のを劣等感をくすぐるにはまだもう少し早いだろう。あと一歩。いいや半歩だけ。彼女にはハリーを憎んでもらう必要がある。
「今回だけは、僕に譲ってジネブラ。絶対に可愛い生徒傷つけさせやしないから。約束する」
「けど!」
「僕は約束だけは破らないって決めてる」
「っ……」
「だいじょぶだいじょぶ。なんてったって僕はいい人に見えるからね。人が良くて、転がしやすそうで、彼女が明確に突ける痂疲がある。という事は意地悪し放題の優良物件さ!」
にまっと笑った彼に懐かしい姿を重ねた。どこか子供のままの彼はいつかの誰かによく似ている。ジニーは深く息を吐くと彼の背中を思いっきり叩いた。
「息子をお願い、先生」
「もちろんさ、ジネブラ。僕とアルバスで外から扉を開ける。そんで、デルフィーニを全員でボコる!」
その小さくも力強い声に部屋にいる誰しもが笑った。ここから先は短期決戦。これ以上、時間を浪費することは罪だ。
「アルバス、レイ。これも持って行って。一本より二本。予備なんていくらあってもいいと思うから」
スコーピウスから杖を受け取る。それをポケットにねじ込んで今度こそ穴の中へと潜った。