「つっかれたぁ……」
生徒二人が去って、静寂。うつぶせになって枕に顔を埋める。しっかり清潔な石鹸の香りに脳が融けそうになった。
まだ、自分の中にはセドリックがいない人生の記憶が残っている。
無理を通し続けて道理にした無茶苦茶な人生。大切な友達が欠けたそれは悲惨であったが面白くなかったか、と問われればそんなことはない。
「そ、俺ってこの上なく幸せなんだよ。だって、たぶん史上初だよ?エウリデュケを連れ帰れたのなんてさ」
そういえば、あのタイプの神話ってなんで恋人の女の子が死んでるパターンばっかりなのだろうか。同姓の友達を取り返しに行く話などは、聞いたことがない気がするレイだ。世界は広いのでどこかしらにはその物語類型はあるかもしれないが、自分のボキャブラリーからは出てきそうにない。
それに、少なくとも、セドリックはエウリデュケではなく、死せる英雄である。どれほど見目麗しかろうとも流石に彼をニンフと呼ぶには無理がありすぎるし、そんな筋骨隆々な乙女は流石のレイだって嫌である。
想像したニンフの意匠が薄布を纏った出るとこが出て引っ込むところが引っ込んだ艶やかな女性だったのもなおさら悪い。同じ衣服に身を包ませたらもうとんでもないことになるだろう。
セドリックは洋服を着るとシュッとして見えるだけでバリバリバキバキのスポーツマンだ。スピード命のシーカーとして重くなり過ぎないように体を大きくする方向には進んでいないと言えど東洋人であるレイの隣に並べばその差は歴然。
そんな人を、冥府に?長い階段を下りて迎えに行って?手を引いて帰って来る?絶対に途中で疲れて先輩に後ろから腰を押してもらう気がする。情けない、極めて情けない。情けなさと恥ずかしさで冥府の河を泳いで渡りたくなるかもしれない。
やっぱり、迎えに行くなら自分より体力がなさそうな可愛くか弱い女の子がいい。失敗した時の悲劇性もそっちの方が強く感じるだろう。女性に徹底的な苦手意識を抱いているレイでもそう思うのだ。
「ふひひ、不本意な非業の死を遂げた同姓の友達は恋人と違って冥府より連れ帰ることができるってことで。新しい神話体系を作ったという事にしよう。随分かかっちゃったけどね」
レイがなんだかウキウキしながら楽しい三度寝に勤しむために意識レベルを下げようとした時、シャッと目隠しカーテンが開く小気味いい音が耳に飛び込んできた。
「おかえりなさい。ハセオ。目が覚めたのであればわたくしにいう事がありますわね?」
それを相棒に現れたのは元気爆発薬片手に怒り狂った猫の目をしているマダムポンフリー。全部が全部、夢だったらどうしようなどというナイーブを吹き飛ばしてくれる病棟の女神様だ。
子供のころ以上にこっぴどく彼女に叱られ、特別処方の元気爆発薬の常飲禁止と、絶対安静を言い渡されたわけである。とはいえ生徒ではないので私室に帰ることを許されたのは助かった。
さすかに魔法薬学の教授が医務室で寝込んでいる、なんて情けなさすぎる状況は避けたかったのだ。生徒のためにも。具合が悪い時に先生が隣で寝ている、なんて落ち着かないに決まっている。
「お互い歳をとりましたねぇ」
「まぁ。女性にその物言いはいけませんよ、ハセオ。それに、気苦労をかけていると思うのであれば無理も無茶もおやめなさい。ミネルバと私の細やかな願いですわ」
今週の予定表を確認されてマダムポンフリーから無茶をしないように言い渡されるあの瞬間の情けなさ。約二十五年ぶりのそれに彼女と二人で笑ったことは秘密だ。
世界は何事もなかったかのように時計の針を進めている。前へと一歩ずつ。それは巻き戻ることはない。今度こそ本当に。過去に戻ることは過去のものになるだろう。もし、たとえ何かが変わってしまってももう自分の感知できることではない。
帰り着いた私室で思う存分寝っ転がり、明日の心配をしてみた。時をかける大冒険は自分たち以外に感知されていないので、今ここに対してレイはただの体調不良者に他ならない。ゆえに、明日の授業は何をせずともやって来る。
結局半日を平らなまま溶かして、そしてようやく比較的ラフなローブに着替えた。本当は私室以外でもティーシャツ短パンの圧倒的私服スタイルとしゃれ込みたいがレイの形から入る癖、はそれを許さない。
魔法薬学教師としての威厳は保ちつつ、私室から準備室へ、準備室から教室へ、と重たすぎる体を精神力のみで引っ張りながらやっとの思いでたどり着いた。明日の授業は一年生と三年生と上級魔法薬クラスに趣味でやってる放課後レッスンときた。病み上がりには中々ハードである。
まずは、明日使う薬草の仕分けと試作から、と意気込んで大鍋を引っ張り出したところで教室の扉がノックされた。
「えぇ、はい。在室中です、どうぞー」
てっきり生徒だと思っていたのだが、そこにいたのはうるさい御一行。しばらく見たくもなかったモンスターチックな厄介ペアレントの顔がレイの視界に襲い掛かる。
「あ、ごめんなさい。入室許可取り消します。帰ってください」
「仕事を終えて今来たんだ」
レイの言葉なんてお構いなしに入ってくるのはハリーポッター。相変わらずの体育会系っぷりにそれだけでレイはくらくらした。
医務室にいるって聞いてたのにいなかったからね。なんていう嫌味は聞かなかったことにしよう。これ以上負担がかかったら脳が破裂するに違いない。
一瞥すればメンバーはいつも通り。この数週間の間で何度顔をつき合わせたか分からないお決まりのメンツである。
もっともっとまじめに仕事をしろよ。省勤めの公僕は楽でいいなぁおい。とは言わないでおいた。自分は教師の仕事を愛している。教師の進退をどうこうできる権限は校長にしかないはずだが、大臣様が天下り先としてホグワーツを選ばないとも限らない。
「アルバスのお父さん、魔法大臣殿におまけでジョークショップオーナー。そして可愛いプリンセスジネブラと親愛なるドラコ。しがない魔法薬学教師に何用で?」
よいせ、とレイは大鍋を床に置いた。よくよく考えれば今の精神と肉体と魔力とをすり合わせるために魔法の練習もした方がいいのに、つい痛みが伴うと思ったら素手で持ち運んでしまったわけである。
やることが多すぎてもう一度平らになりたい気分だ。もしくは超有能な秘書とか教科副担任が欲しい。
「まぁ、お入りになって?学生に見つかったらサイン会が始まっちゃうからね。ところでポッターは自伝とか出さないの?売ればいいのに。ブロマイドとサインつけてさぁ。最近の若い子って本読まなくて本屋が潰れそうって聞いたから君の冒険譚でベストセラー何冊か出してあげなよ。ポップでキッチュなタイトルとかつければいいんじゃない?ハリーポッターとゆっくり一年とか」
「君は本当にそういう軽口が好きだね」
「いやこれに関しては結構本気。魔法界に本屋大賞を持ち込もうって考えてる。ロックハートばりに売って欲しい、本を」
本屋がなくなるのは死活問題なんでね。とレイが目を金色にしながら語れば皆は呆れたように魔法薬学の教室へと入ってきた。そして、これはこれで彼の通常運転であると納得し、全快とは言わないまでも、後遺症などなしに日常生活に戻れていたことに安堵した。
「適当に座って」
僕はもう少しだけ作業してから話聞くから。そう言いながらレイは手を動かす。鍋と薬草を適切な机に振り分けるのだ。学年が上がれば準備から始めさせるが、明日一番の授業はピヨピヨの一年生たちだ。秤を使う基礎の基礎から始めなければならない。
ざっくり手で計っていたのだけれど、途中で面倒になり、痛む杖腕を押さえながら杖を振ることにした。かなりの痛みを伴うがあまりに効率が良い。どう頑張っても二本しか生えていない腕では同時に三種類の薬草を分けることは不可能だ。
かつて魔法がろくすっぽ使えなかったころにはほとんどすべての作業が手作業だったはずだが、その時はその時で楽しかった記憶がある。
とはいえ、力を手に入れた今、あの頃に戻りたいかと言われればめんどくさがり屋のレイは確実に首を横に振るだろう。
レイは勝手に動き出した諸々に残りの作業を任せようやくハリーポッターに向き直った。
さぁ、これで面倒なことは最後。これをクリアしたらようやく日常に戻れる。
「まずは。なんで生きてる」
それは彼の口から聞くには重すぎる言葉。なんだよ、生きてちゃ悪いかよとは冗談にも言える空気ではなかった。
それでも、この一回だけ効く魔法薬の効果をはいそうですか、と信じてくれる人間でもない。このタイプの人間に薬の説明をするのは非常にめんどくさいものだ。人は薬に理由を求めるから。そういうものだと納得してもらうのは非常に高難度ミッションである。
であるからして、レイはほんの少し説明をめんどくさがることにした。実物に関しては特許申請中であるため実際問題外に漏らせない、と言うのもある。
「先生が最初に言ったこと忘れたのか。優れた魔法薬は死にすら蓋をする……」
「そうやって君は煙に巻こうとしてる」
「あぁ?スネイプ先生の言葉が信じられないってか。先生の言葉はこの世の真理、全て、イチにして全……。先生ができるとおっしゃったんだ。できるに決まってんだろ」
ぴしゃりと言い切ったレイのすまし顔。ハリーは二の句をつごうかと思ったが一旦引いた。
決して長いとは言えない付き合いであるが、レイはスネイプに関することだけ、強気になると理解しているからだ。
口がいいとは決して言えないものの、普段はあれほどまでに穏健であるにもかかわらず。彼を馬鹿にしようものなら、下手人を地の果てまで追い込んで命まで取るつもりだろう。このテンションになられると言葉が一切通じなくなるため厄介だ。
「名声を瓶に詰め、栄光を醸造し、死にすら蓋をするんだよ、魔法薬学は。そういう美しい学問」
「まさかとは思うんだけどキミ、あのとんでもない演説を一年生にしてるんじゃないだろうな」
「してますけど?」
「もう少しやり方を考えた方がいいんじゃないか?あれじゃとっつきにくい」
「あ??」
血圧をあげたことでレイの脳の血管に多大なる負担がかかり、その場に崩れ落ちた。こちらは完全なる病み上がり、いいや最早、死に戻り。なおかつ、白衣の天使に絶対安静を言いつけたれた肉体である。いい加減にして欲しい。
「だめだぁ、もうしぬぅ……お部屋に帰るぅ……」
「レイ、こいつらに関わったらこうなることが分かっていただろう、可哀想に」
ドラコにひょいと浮かされて教卓の後ろにある椅子に座らされた。健康のために食事の管理とスポーツを欠かさない彼であれば不健康の極みであるレイの横抱き程度の負荷は軽いものだろうが、そこは魔法使い。肉同士の不用意な触れ合いは避けがちだ。
薄っすらと目が回っているが、一応彼らは保護者で客人だ。日本人らしいおもてなしの精神を振るうべきだろう。このような粗末な場に来てくださったお偉方には紅茶の一つでも出したほうがいいというのはわかる。
しかし、生憎グリフィンドールに見合う茶器がないのだ。ないものは出せない。ドラコにだけ提供してもいいのだけれど、好みを聞く前にハーマイオニーが話し出してしまった。
「レイ何なの、この変な感覚。説明して頂戴」
「だからね、最初に言っただろお大臣様。お薬で魂を浮かせて世界の変化から逃げれてたの。そこで魂と現実の齟齬が出てるのは理解できるよね?すぐ慣れるから、ピーチク言ってないでお座りになって?ね?」
僕、疲れてるから小さな声で話してくださぁい、と教卓に突っ伏せば今度は旦那のほうである。使いすぎた頭にしっかり響く素敵な音量でレイに話しかけてきた。
「うちの嫁さんにピーチクってなんだ!なんか、なんか記憶が二つあるんだよ!変だろこれ!」
「こんにちは、パーチク。そのうち統合されるから我慢してって言ってるんだよね。お分かり?すぐわかんなくなるから、ね?ちょっと色々あって情報統合に時間かかるだけだから。オッケー?黙って。語尾にエクスクラメンションつけて喋らないで、プリーズ」
こちとら絶対安静なんだぞ。これ以上、血圧を上げさせるな。視線でうるさい夫婦を制してレイは自分のためにマグを用意した。普段であれば紅茶であるが今の自分にカフェインは過ぎたる恩恵。杖の一振りで白湯を淹れた。いつも通り口に運ぶも驚くほどに味気ない。
もういい加減座ったら?と声をかければ学生のころと同じように綺麗に二つに分かれた五人である。なんちゃらの魂百までという諺は英国でも通用するらしい。学生時代の癖が抜けないのだろう。もう学生じゃないくせに。
「このメンバーってことはあと二人必要だね?今なら寮で捕まるでしょ。呼んでくるよ」
そう言ってレイは準備室へと下がる。そして一分もしないうちにアルバスとスコーピウスを伴って戻って来た。
そして彼らに着席を促せばやっぱり寮分け状態で、しかも教室の隅っこに陣をとったのでレイはまた笑ってしまう。
「二人とも、今は授業中じゃないし、他に誰も来ないから真ん中においで。先生絶対安静で大声出せないから」
「絶対安静なら寝てた方がいいんじゃ……」
「僕もそう思うんだけどさアルバス。保護者たちが説明責任を盾に寝かせてくれなくってぇ」
えぇ、と引いた顔で大人たちに目をやる生徒二人を抱きしめたい気持ちでいっぱいだが我慢する。生徒に愛されている教師、素敵な響きだ。
「いやまて、どうやって呼んだんだ?」
学校の中って姿現しできないよな、と頭上に疑問符を浮かべている赤毛に答えてやる。卒業後にはこれといって意味のない学校の秘密だ。
「教師の私室って準備室に繋がってるし、準備室は談話室に繋がってるんだよ。気を抜いて騒いでる時に急に寮監現れておったまげーみたいなことなかった?スリザリンではないけどグリフィンドールならあるでしょ」
「偏見だぞ」
「なかったの?」
「あったけど」
見てきたように言われてしまえば頷くしかないロンである。学生時代の自分たちがいかに元気いっぱいだったか突き付けられた気分だ。事実、学校で一番元気な寮だという自覚はあった。元気が有り余りすぎて自分の兄たちなんてそこいらじゅうを爆発させていたし。
それに比べればどんな子も大人しいよい子たちであるが、殊更スリザリン生は大人しい気がするロンだ。実際にジェームズとアルバスではテンションに天と地ほどの差がある。
おそらくアルバスの髪がブラシの魔法で蛍光ピンクにでもなったら、嘆くことも楽しむこともせず、美容室で坊主にするのっていくらくらいかかる?と母に尋ねるのだろう。そしてジニーにこっぴどくやられるのはロンだ。それくらい違う。
「で、説明だ。君が言ったとおり説明責任がある」
アルバスは、彼視点から見ればレイに無体を働く父親に少しばかりむっとして言葉をかけた。責任はあるかもしれないが、タイミングや言い方というものがあるのではなかろうか。
「先生は死にかけたんだよ、パパ。もう少しくらい休ませてあげればいいだろ……死にかけ、た?うん?死んじゃったんだっけ?」
真っ直ぐな視線にレイはそっと顔をずらした。確実に死の呪文はぶつかっている。しかし、それを認めてしまえば間違いなくややこしいことになる。できれば聞かないで欲しいのだ。その上で後々、レイの研究結果として薬を理解してほしい。
「……企業秘密ですね、深堀厳禁の」
「死の呪文が当たって生きてる人間って、今のところハリーだけだったはず、だよな?」
「そうだよ。ロナルド。だから俺は当たってなかったということで一つ」
「いいえ。当たってました。私の角度では完全に」
「どうせ君のことだ。突拍子もない薬を作ったんだろう」
ハーマイオニーとハリーから冷ややかな視線を浴びる。世紀の大発明を前にしてその態度はなんだ、と暴れてやりたくなるがぐっとこらえた。在校生から卒業生に至るまで、グリフィンドールが話を聞かないのはいつものことである。もう慣れっこだ。
「……。まだ、外には情報を出せないけどそういう薬を作っただけ。それだけです。これ以上聞いてくれるな」
研究者には黙秘権があると思います、とレイが喚くも彼らには通じないらしい。しっかり搾り上げられそうになっている。けれど、そこは口先でどうにかしてきた仕事人間。適当なことをペラペラしゃべることにした。
「少し良いかしら、レイ。その薬、どう考えても法に触れてるわよね」
「へー?どこが?なにが?どの法のどこの条文に抵触してるんですかねお大臣。死ななかったことが犯罪になった前例ありますか?先達としてポッターをしょっぴきますか?それともなんですか、魔法薬学に関して僕が失念してることがあるっていうんですか。心外です。僕は傷つきました。ヴィゼンガモットでお会いしましょう」
ほとんど小学生男子の物言いであるが、この際に気にしない。丁寧に大人の会話をするための気力が尽きかけなのだ。いや、時すでに切れているといっても過言ではない。
比較的外面がいい今のレイにとってここまで外に強く当たるというのはよっぽどのことなのだ。しかし、それを気にしてくれる彼らではなかった。
「そんな世紀の大発明、なんで言えないのよ」
「特許があるの。申請中なの。大臣なら理解してくれ、なんなら早く承認してほしいんですけど?」
「また特許!?いくら稼ぐ気だよ、金の亡者め」
「ロナルド、君がもの作りには金が要るってのを覚えるのより僕が箒で三回転半する方がギリギリ早そうだね?」
「ねぇ、どうしてあなたって人はグリフィンドールにに並々ならぬ敵愾心を抱いてるの?会話もできないじゃない」
明確に呆れを含んだ物言い。この体調でなければ丁寧な理詰めと皮肉でハーマイオニーと舌戦を交わしていただろう。でも今は違った。もう一刻も早くベッドに戻らせて欲しい。
「違わい。俺が敵だと認識してるのは、スネイプ先生を敬わず、身の程をわきまえず、世界を滅茶苦茶にし、人の利き手に骨抜き呪文あてて謝りもしないような人間だけだわ……。まかり間違っても双子とかイッケイくんや可愛いジネブラさんに喧嘩売ってるわけじゃないよ」
レイは白湯を飲みながら天を仰ぐ。もう、何の質問にも答えたくなかったが、そういうわけにはいかないだろう。ちらりとスリザリン側の席を見れば明らかなる憐憫の眼差しを向けられていた。忍耐の時である。れっつぺいしぇんと。
「兄貴たちはともかくなんでジニーはいつもそっちのメンツなんだよ、うちの妹狙ってんのか」
ロンの不用意なセリフにより今まで黙っていたハリーの導火線にも火が付く。その短さたるや、サーニコラスの首の皮一枚と同程度なのですぐさまハリーの目が見開かれた。
「僕の妻だぞ!?」
レイは笑ってマグカップを置いた。これである。狭い狭い視野、思い込みに、すぐ怒鳴るところ。これぞグリフィンドールのお家芸。声が大きすぎるのもまたポイントが高い。愛だの恋だのに一家言あるみたいな顔をしちゃってまあ勇ましいことである。
自分が言われっぱなしなのはいいとして、この感情がそんな風に粗雑に扱われるのは癪だった。
「恋愛脳のカスどもめ!人類には色めいた愛情しかないわけじゃないんだぞ!友愛も親愛も愛だからな!?そもそもお前らは可愛い妹に恋心をいだっ……抱くタイプだったな。ごめんポッター、多様性。人が人を認める優しい気持ち……」
煽るつもりはなかったのだが今のは不可抗力だ。レイからすれば庇護すべき可愛い妹分と恋愛結婚できるのが異常に映るだけで、おそらく普通のことである。
一年生の頃から知っている可愛いジネブラさんが何故こんな男に嫁がねばならなかったのか。世界の損失だとすら思うのだ。
「ジネブラさん。今からでも夫を変えない?あ、でも、そうか……ハリーと結婚してくれたからアルバスには会えたわけか……えー……?お兄ちゃん許しませんよ……?」
「なんでレイはジニーに関してだけウィーズリー家の一員みたいな顔をするんだ。血こそ繋がってないけど実の家族なんだから僕の方がウィーズリー家だよ」
ハリーの一言にレイは驚いたようだった。何をおかしなことを言っているのか彼は。うちの妹は二人だ。ジネブラさんと、今や二児の母をやっている日本在住の妹様である。
「可愛いプリンセスジネブラは俺の妹でもありますけど?」
「違うわよ?」
とうとう本人にまで違うと言われてしまった。想定の範囲内ではある。
レイはくらくらする頭を押さえながらまだ話したいことがありそうなロンの方を向いた。これ以上何を気にすることがあるのか、と思うがなんの説明もできていないのは確かだ。
「にしても、しこたま貰ってるのに、まだ貯め込むとか、どうなりたいんだよ。ガリオンの陰でダンブルドアが泣くぞ」
「まだそこ気にする?しかもさぁ、なんで僕の金庫は公然の秘密になってんのさ。情報の出どころを教えてくれよ怖いから」
「そんなの、」
「っててて、まって、頭痛い、あと吐き気凄い、あ、あ、ダメかも」
ぺしょん、と教卓に突っ伏し今度こそ再起不能になったレイである。またも情報の出どころを聞き損なってしまった。
「これが新薬に関して秘密主義なのはいつも事だろう」
「秘密主義ってか、競合他社に情報抜かれたくないだけなんだけどね……結構大変なんだよ?根回しも、事務処理も、学校業務の間にやるとなると……」
雄鶏に囲まれたバジリスク状態を哀れに思ったのであろうドラコが助け舟を出す。もう少し早く助けて欲しかったな、と思わないでもないが、ありがたい限りである。
個人的に秘書や事務担当者を雇うだけの金こそあるが、人を上手に使う方法が分からないレイはなんだかんだ自分でこなしてしまうのだ。それがよくないとは理解しつつも。
「まー、僕の金庫の話はもう忘れて。記憶の方は多分もうそんなにしないうちに統合されると思うからちょっと我慢してもらえれば」
「うぅん、そうはいっても本当に変な感覚ね、これ……。薬とかで散らせない?」
ジニーのセリフに申し訳なさそうな顔をしながらレイは返答する。
「ごめんね、ジネブラ。あと十分、十五分もすれば結構薄れると思うから、少し耐えてもらって。感覚を散らすのもできないことはないけど変な影響出そうで嫌なんだよね」
「あなたがそういうのなら」
まぁ、代わりにこれでもとレイは皆の前にハーブティを出した。英雄三人組には適当な味気ないマグで提供したが、出してもらえるだけありがたいと思え、というやつだ。明確な贔屓の形にロンはまた唸る。
「いつも思うんだけど、なんでレイはジニーには丁寧なんだ?」
「ジネブラは礼節を欠かないからだよ。クリスマスのプレゼントもちゃんとくれるし」
「え、ジニーこいつにクリスマス送ってんのか?」
「ロン。こいつじゃないわ。アルバスの寮の寮監で私たちの先輩よ」
「怒られてやんのぉ!」
「こんの……」
ロンに対して明確な悪意を放つレイに面食らったのはスコーピウスである。生まれてからこっちの長い付き合いになるが、彼がここまではっきりと他者に対して悪態をつくなんて見たことがなかったのだ。
レイと言えば都合が悪くなるとすぐに相手に合わせて、その場をのらりくらりと泳ぎ切るような人間であるのに。
「レイってここまでちゃんと物言うタイプだったっけ?」
「んっふふ、僕は今も昔も穏健派だよ。怒るのも怒られるのも大の苦手。でも、今と昔では明確に違うことが一つだけある」
「それって?」
「もうすぐわかるから、ちょこっとだけ待ってて」
スコーピウスは不審がりながらも出されたお茶に手を付けた。カモミールベースの落ち着く味である。お茶菓子があれば言うことはないが、ここはあくまでも教室だ。いつもの準備室ではないためこれ以上を望むのもどうかと思い黙っておくことにした。
そんなスコーピウスの大人な態度にアルバスは囁く。大人は大人同士で会話しとけばいいだろうに、どうしてこの場に呼ばれたのか分からない脱線具合なのだ。
「寮に帰ったらダメかな」
「うーん、僕は正直戻っていいと思うんだけど、呼ばれた以上何かあるんじゃない?」
「あるようには見えない」
「直接聞いちゃおうか」
「えー、スコーピウスが聞いてくれるなら」
「いいよ。マグルの駅長さん相手でないならお安い御用」
そういって、スコーピウスは手をピンと上にあげる。授業中と同じ態度に教師であるレイがきちんと反応すること見越してだ。実際、いままでロンにのみ向けられていた視線が突然二人の方に向いた。
「僕たちはもう帰ってもいいですか?」
「もうちょっと待ってて。君らに会って欲しい人が居るんだ」
時間泥棒のお詫びに、とレイが杖を振れば準備室から三段トレーに積まれた様々な菓子がやって来た。それを見てジニーの目が明らかに険しくなったが、レイがすぐさま「今日は特別!」とフォローしたので事なきを得る。
「特別なら食べていいか。こんなお菓子初めて見たー」
「今日だけの特別だねー」
どう見ても手慣れた様子の二人だが、ジニーの手持ちにお茶会の証拠はない。適度にして、ちゃんと歯を磨くのよと釘を刺されたので二人はにっこりはーいと返し、お菓子に向いた。
さて、もう一つだけ。レイにはしなければならないことがある。これ以上、ロンに腹を立てている場合ではないのだ。
「すごく大切なことがもう一つ。大臣、これにサインして。二枚あるから。両方に。絡め手っぽい記載はないように注意したからざっと読んでサイン!今すぐ」
「何よ急に。そんな不審なお願い聞けるわけが……あぁ、なるほどね?」
「早くしないと記憶の統合がなされて忘れちゃうからさぁ。でもこれ約束したろ?」
レイが用意したのは魔法省に違法魔法薬取締局を設立する、レイその人の私財を投げ打ってでも、という嘆願書だった。おまけで特別処方の元気爆発薬の定期発注書。
ご丁寧に魔法省でも通用する書式になっているのがこの男の無駄に細かいところである。
「私財の件は、結構よ。むしろ公的機関の設立に個人のお金が流れている方が都合が悪いから。個人的献金は、設立後に受けとりましょう。こっちの発注に関しても問題なさそうね」
「と、いう事は!」
ハーマイオニーはレイが差し出した羽ペンを用いてさらり、と書面にサインをした。その行動を真っ直ぐ見つめていたレイはにんまりと笑う。
「ところで大臣」
「なにかしら」
「大臣は学生時代に特殊な羽ペンを使ったことがおありで?」
「まさか、貴方……!」
「忘れられちゃあ困るからさぁ!」
ひひひ、油断大敵!と史上最低の笑顔を彼女に見せる。彼女の手から戻された羽ペンは黒色。いつか双子が解析したものを新しく組み直した双子製のリマインド羽根ペンの試作機だ。
とはいえ、これは愉快な双子の作品なのでアンブリッジの羽ペンのように悪辣な機能はない。目的が達成されるまでの間、深層心理下にタスクとして約束が残り続けるという便利グッズである。
いつまでも薄っすら「あ~、あれやらなきゃな~」と思わされるのだ。内容を読み、納得した案件にサインをすると効果が発動されるという実に人道的なものである。
己の利益のためには手段を択ばぬ狡猾さ。これこそスリザリンの売りだ。
「これは記憶とかそういう次元の話じゃないから、統合されても残るはず。もしも残らなかったとしても僕の手元には大臣の直筆サインがあるわけですからね。こんなに強い交渉材料ないでしょ」
さて、これで。レイが今後に引き継がなければならない問題は解決した。後は本当に、来たるべき人がこの場に来ること、それを待つだけである。
少しずつ頭痛が収まってきた。そして、誰も彼もが彼女のことを思い出せなくなるだろう。きっとこれがあの女への一番の罰に違いない。
誰にも愛されず、誰も愛さず。父親に会うこともなく死んでいく。不遇な女の子が一人生まれるだけだ。
歴史改変の当事者である彼女を野放しにはできないのでハーマイオニーは彼女にできる全ての方法を用いて彼女をアズカバンに収監したのだ。タイムターナーを用いた最重要犯罪者として彼女の首から下げられた書類は何があってもその内容を変えることはないだろう。
後見人であるロウルは勿論、レストレンジ家との接触も許されない。未成年ならともかく、彼女は成年魔法使いだ。誰にも守られない彼女は絶望の檻の中で、発狂は免れないだろう。もしくは、早々にディメンターのキスを受けて、かつて存在した脅威としてその名だけが残る。どこにも属さぬ、ただのデルフィーニ、として。
「さてさて、皆さん。そろそろ時間だと思うんですけど、頭痛は収まってきましたかね?」
「えぇ。頭痛はないわ。でも、そうね……この集まりって、何のためのものだったかしら」
ハーマイオニーの口から今を疑うセリフが出た。それを皮切りにこの場が何のために開かれたものであるか、が霧散していく。それもそうだ。なにせ根本の理由がなくなりつつあるのだから。
経過観察をしながらレイは自分の薬の完璧な効き目に満足した。頭の回転が速い人間ほど脳の血流が多いので統合も早いのだろう。
プレゼント箱を戒めていたリボンを解くような気軽さで記憶の箱は暴かれ、中に閉じ込められていたものが飛び出してゆく。人の宝箱をいたずらに解き放つことは気が引けるが、今回ばかりは大目に見てほしい。
そのうちにドラコやジニー、ロンに至るまでこの状況の方を疑問に思うようになっていった。残るはハリー、ただ一人。
こんこん、とノックされる教室の扉。レイには予感があった。この扉を開けたら、未来が始まる。そんな決定的な予感だ。
「さぁ、ここが分水嶺。世界が変わる五秒前だ」