彼がどうぞ、と扉の外に声をかければ入るよと声が返ってくきた。薬学教室の扉は教室後方にあるので、まだレイにしかその姿は見えていない。
扉の向こうから差し込む光。黄昏を携えてレイの先輩はやってくる。
「体調は大丈夫?出直したほうがいいかな?」
「絶好調とは言わないですけど、先輩の顔見たら元気になりました。丁度何もかも終わったとこです、どうぞどうぞ」
こつこつと革靴が床を叩く。相変わらずブリティッシュトラッドが恐ろしく似合う人だ。教室の真ん中。その花道を通って彼はレイの隣に立つ。
「随分懐かしい顔が揃ってるね。同窓会?」
「いいえ、困った生徒の保護者とその親族です」
「セドリック、セドリックディゴリー……?」
ハリーの瞳が揺れる。しかし、彼は熟練の元闇祓い。勢いよく立ち上がり杖を彼に向けた。そして、それを華麗に武装解除するレイである。
「俺の先輩に何してんの」
ピリッと向けられた敵意はレイの本気。ただそれはすぐに解かれて即座にしょぼくれた顔になる。ごめぇん、の一言とともに杖を返された。
「これはホントに反射ってやつでぇ、」
「レイ、いきなり撃つのはダメだろ」
「すみませんホント、」
「君は昔から彼らに対してだけ好戦的だね」
「ごめんなさい……」
セドリックに叱られてさらにやる気をなくしてしまったらしいレイはさらにぺったんこになった。蛙の干物だってもう少し立体的だろう。
しかも、絶対安静の身体で急に動いたのが効いたらしく、立ったまま教卓に突っ伏してしまった。
「体調悪いのに無理に動くからだよ」
セドリックは杖の一振りで椅子を用意すると慣れた手つきでレイを座らせた。見るからにぐったりとしているレイがこれ以上暴れないように優しく縛り付けるのも忘れない。
その様子を見て、ハリーは一人、混乱する。無理もないだろう。他のメンバーはもうそこまでの違和感をこの場に抱けないのだから。
「ハリー?どうしたの?」
ジニーに袖を引かれて我に返る。この場で違和感を覚えているのは自分だけだ、とそこで気づいた。ということは、間もなく自分も飲み込まれるだろう。
「ど、どうして……」
「流石ハリーポッター。魂が強いね。まだ上書きされてないんだ」
いまだ目が回っているらしいレイは目をつぶったままハリーに語り掛ける。
「トライウィザードトーナメント。最終試練。迷路の先の墓場で、先輩は闇の帝王の死の呪文を受けた。その体を君は持ち帰った。あってる?」
「……、あってる」
「もし、そのセドリックディゴリーが仮死状態だったら。アバダケタブラから一回だけ逃れることができる薬があって、それを服用していたら。今ここはそんな夢が叶った世界線」
「君は、とんでもないことをしたんだぞ、わかってるのか」
「誰も思い出せなくなるのに?」
レイが目を開け、こげ茶の瞳がハリーを貫く。
セドリックは今ここで生きていて、二人で同時優勝。その記憶が君にもあるはずだよ。まだ、二重に見えてるだろうけどね。
言われれば、それがハリーの記憶を塗り替えていく。それでも、まだ違和感の方が強い。周りの仲間の心配を振りほどいて、レイという巨悪を見つめた。それは実にグリフィンドールらしい仕草である。
レイは最後の仕事、としてハリーに告げた。
「君が三年生の時にしたタイムトラベル。あれはあそこまで含めて運命だった。だったら俺のこれだってそう呼ばせてよ、
今にも泣きだしそうなそのセリフを聞いて、ハリーの魂を守っていた薄膜にひびが入ってしまう。
ハリーはセドリックを見る。こちらを心から心配している表情。第二の課題のヒントをくれた日のことを思い出した。黄金の卵の謎。セドリックからの助言がなかったら自分はあそこまで戦えていただろうか。
第三の課題だってそうだ。一人で逃げることだってできたはずだ。アクシオを唱えればすぐにでも。けれど、彼はそうしなかった。
「君を……きみを忘れた日なんて一日もないんだ。あぁ、死んでしまわなくってよかった。いいや、死んでいい人なんて一人もいなかった。あの瞬間だって僕のために杖を取ってくれた」
立ち上がったハリーはセドリックに向かって歩く。ハリーの独白に、皆時が止まったかのように何も言わない。レイは二人の様子を見守る。
きっと、自分の後悔以上に深いものを持っているだろうから。今この瞬間だけは君にあげるよ、ハリーポッター。大人の事情に振り回された哀れな呪いの子。
「君はきっと後悔してるって。僕なんか守って死んだこと、間違いだったと思ってるって僕はずっと、」
セドリックの目の前に来てハリーはついに涙をこぼした。一方のセドリックは彼の言葉を受け止めて、それでもなお微笑んだままである。
「後悔、も何も。とっさに体が動いてた、というか。後輩を守らなくちゃと思ったんだ。それだけだから気にしないで。確かに緑の閃光に貫かれたときは驚いたけど」
むしろ、倒れていた僕を連れ帰ってくれてありがとう。ハリー。おかげで今ここにいるよ。
カシャン、と音を立ててハリーを守っていた薬効の薄膜が明確に割れる。そして、知っていた記憶は存在しない記録に。存在しなかった記憶は既知の事実として置き換わった。
思わず抱き着こうとしてしまったハリーをレイが魔法で制して世界は完全に書き換わる。
「ハリーポッター。君に僕の先輩を触らせやしないぞ」
「あ、あはは、僕なんでセドリックに抱き着こうとしたんだろう、はは……ごめん、セドリック」
「気にしてないよ」
何一つとして劇的なことなんて起こらない。だってこれは誰かが犠牲になる英雄譚なんかじゃないから。
あの三校対抗試合で優勝した誉れ高きホグワーツ生。なんだか地味だと言われ続けたハッフルパフの一番星。ちょっぴりキラキラした学生生活の一端。世界はこれを認めてくれるだろうか。いいや、認めさせてやる。
「パラドックスとか極めてどうでもいい!悔しかったらタイムターナー持っていらっしゃい!」
スリザリンの気質を持つ者が取る手段は得てして悪役ムーブとされてしまうことが多い。それは手段を択ばぬ狡猾さに仲間意識とほんの少しの重厚な感情を添加して、合理で巻いてしまうからだ。スリザリンの常識は外では案外非常識なのだが、同じ世間を持った者で集まってしまうが故にそこに気づけないものなのである。
闇の帝王の台頭ですっかり歪められてしまったが、本来の蛇は体温こそ低いが愛情深いのだ。どこの寮よりも魔法使いが魔法使いらしく生きることを優先してしまったその先鋭化が悲劇を招いたことは言うまでもないが。
これで、終わり。これ以上はどこにもない。後は面白おかしい未来が待っているだけ。だから、レイは生徒二人に向かってピースをしてみた。思いさま子供っぽい仕草に二人の方が呆れてしまうほどである。
その様子を見ていたセドリックは呆れ顔の二人をみて首を傾げる。セドリックからすればほんの数分、しかもあの悪魔の森の中での出来事だ。仔細は覚えていない。それでも不思議と懐かしい気がして声をかけた。
「すごく不思議なことを言うね。僕は昔、君たちにあった気がするんだ。君達が生まれるうんと前の話なんだけれど」
そう言われて子供二人は顔を見合わせる。そして、ちらりとレイの方を見た。悪戯っぽい瞳、キュッと上がった口角。そして、そっと人差し指が唇に添えられる。という事はこれはとっておきの三人の秘密にすべき事案だという事だろう。ホグワーツ謹製の秘密だけれど、こればっかりはどこにも漏らせない。
「僕たちなにかやったのか?」
「ううん、何もしてないと思う」
「何もしないことが一番いいからね」
「「だから、よく似たほかの誰かじゃない?」」
自分たちがここに呼ばれた理由。それに納得して二人は小さく小さくハイタッチをした。レイも今のうちに大切な友達を紹介したかったのだろう。当たり前がちっとも当たり前ではない世界で、レイにとって唯一絶対のポラリスを。
「ところでセド先輩。今日は何しに?」
「卒業生として後輩のクィディッチ指導に」
「先輩が指導したらハッフルパフ強くなっちゃうでしょ」
「もちろん四寮合同で指導だよ。暇してた双子と一緒にね」
「さっすがミスター公平。俺の先輩。聖人列挙を約束された男。聖セドリックデーはいつにします?やっぱり誕生日?」
「そんなレベルの事象ではないかな」
「ねぇ、セドリック、いま、なんて言った?」
ジニーがセドリックの言葉に反応する。彼はそれに不思議そうな顔をするもすぐに言葉を繰り返した。
「えっ、と。卒業生として後輩のクィディッチ指導、に?」
「そう、そのすぐあと、すぐ、あとに、なんて言ったの?」
「暇してた、君のお兄さんたちと」
当たり前だと言わんばかりの声音にジニーの心臓は速く、速くと脈を打つ。半分開いた扉の向こう側、誰かの気配を感じて彼女は一人、振り返った。
「セドリックー?なぁに油売ってんだよ。早くこないと俺がグリフィンドール鍛え上げちゃうぜ?」
「もしくはブラッジャーを増やして世紀の対決、元イングランド代表スーパーシーカー対ブラッジャー五アンド運動不足の可愛い双子ちゃん、の準備をする」
「僕だって五は厳しいよ。それに逸脱したフィジカルの君達ビーターも居たら流石に落ちるかも」
「「お誉めいただき感謝感激」」
ひょい、と扉の向こうから同じ顔が二つ。
何も言わず走り出したのはジニーだった。
弾丸のような速度で飛びつかれても体勢を崩さないあたり体力が資本の自営業。軽々と妹を抱きとめて、わけもわからず頭を撫でる。
「どした、プリンセス。げ。マルフォイ。もしや、いけ好かないスリザリンに虐められたか。お兄ちゃんがやっつけてやろうか」
「フレッドーーーー」
「はぁ!?ちょ、まて、二人は無理っ」
ジニーが潰れないように、しかし、襲い掛かるロンのハグも無駄にしないように絶妙に身を傾けたフレッドである。下の子たちがなんでこんなに泣いているかちっとも理解できないので冷静そうな相方に視線を投げかけた。
「なにこれ。モテ期?」
「うちのプリンセスとおまけでロニー坊やまでたぶらかしたってわけね、この尻軽!」
「そりゃないぜ相棒」
理由が分からない双子は狼狽えていた。レイはそんな彼らを笑う。そして随分と久しぶりにこう呼んだ。
「双子が弟妹にモテモテなのはいつものことだろ」
それもそうか!と納得したようなそぶりの双子である。ロンの背をさすり、ジニーの頭を撫でる。それは完全にお兄ちゃんの仕草。なんだか妹に会いたくなったレイである。今度、本物の姪っ子に可愛い服でも買うことを口実に会いに行くのもいいかもしれない。
「わからないの。どうしてこんなに寂しくて嬉しくて悲しいか、」
ジニーはフレッドの顔を見上げる。変わらない日常。いつも通りの兄。ウィーズリーの双子、その自慢のイタズラショップ。何を思い出そうとしても幸せな記憶ばかり。生きてきた中で一番悲しい記憶はレイが拾い上げたこの世界には必要ないのだ。
「二人はずっと一緒にいたのに」
「薬の効果は切れてるはずだけど、やっぱりジネブラは賢い子だなぁ」
レイの物言いに何か言いたげなロンは、それでも口を開かない。きっと話すべき言葉がないのだ。人は、無いものを語ることはできない。言葉として生まれ落ちないものは、この世に存在しない。であれば誰も知らないならないのも一緒だ。
それでも、その魂には消えない悲しみが刻まれている。たとえ記録になくとも、魂についた傷は一生ものになる。忘却を司る優しい時の女神がロンの魂に寄り添って手当てをしてしまうまで。
弟妹をいなしながらフレッドはレイの方を見る。何をしたのか知らないけれど彼があんなににやにやしている、という事は何か一枚噛んでいるはずだ。当代きっての悪戯好きである自分たちに内緒でこっそり遊んでいるなんて共犯者殿も人が悪い。
「おかえりなさい、フレッド」
「よくわかんないけど、ただいま、ジニー?」
彼女の涙で濡れた顔をお手製のハンカチで拭ってやれば端から七色のラメに変わる。それが顔面一杯に塗りたくられてユニコーンカラーになるのにそう時間はかからなかった。
「んぐっふ……ゲーミングジネブラ」
「え?」
「んっっふ……ママ……」
メンバーの中で唯一『ゲーミング』を理解できるアルバスだけがレイの不用意な発言に噴出した。ダーズリー家で無駄に光り輝くパソコンの類を見たことがあるのだろう。
流石に鏡がポケットに入っているような少年ではないので、アルバスは適当に反射しそうなものを渡した。それを見たジニーはワナッと震えたが一呼吸おく。こういうのはジェームズで慣れている。できる女のアンガーマネジメントである。
ドラコにハンカチを渡されそれで顔を軽く押さえれば衝撃的なまでにカラフルなグリッターのマスクが取れた。もう何も言うまい。
あと、たぶんこのハンカチシルクだわ……。と一瞬のうちに色々ありすぎてわけがわからなくなってしまった。とりあえず、ドラコには新品のハンカチを買って返そう。
「いつも通りで安心したよ」
「次の新作にしようと思っててさ。トゥインクルハンカチ。水分を含むとそこからラメやらグリッターやらがキラキラキラ~」
「目に入ったら痛そう」
「そこは俺が上手いこと調整済み」
「流石商品管理のジョージ」
「「で、だ。ドクトル」」
右にも左にも同じだけの圧がかかる。どんな面白いことしたんだよ、と輝く目玉は二対。磨き上げられたいたずらっ子の視線が突き刺さってこそばゆい。
「やっぱりおんなじ顔が二つあるほうが落ち着くなぁ」
セドリックが死ななかったから、世界は少しだけ変わった。一緒にいたから救えた命がある。一方で一緒にいても手が届かなかったものも勿論ある。きっと、それはいつかの罪滅ぼし。赤と金の連獅子を救った穴熊のお星さまの物語。ないはずのそれが生まれた。
これもまた、レイの欲しかったもの。楽しいことに引きずりこんでくれる厄介な手は多ければ多いほどいい。そんな風にフレッドに言ったらタコをを模したイタズラグッズを作られたのは記憶に新しい。あれは執拗に顔にくっつこうとしてきたから名誉のボツを食らったはずだ。誰だってタコで窒息は避けたいだろう。そんな【記憶】が鮮明に浮かび上がるのだ。当たり前に受け入れて、自然と口角が上がる。
「面白い話は、生徒も保護者も居ないとこで、だな」
「そうしてもらえると僕の副業がバレなくて済むなぁ」
「じゃあ、今日はこれの味見だけしてくれ。お待ちかねの試作品」
「ドクトルに食わせるから味にもこだわったぜ」
手渡されたのは彼らが作ったにしては珍しい白黒のラッピング。とはいえ、ドットにストライプ、スカルマークまで使われた中々に意味の分からない代物だ。けれど彼らから貰う試作品は大概の場合面白いので嬉しくなってしまう。
包装紙を丁寧に取り払い、白い箱だけにする。そして、その蓋を開けた先にあったのは骨の形をした全長八センチ程度のぶ厚いクッキー。懐かしくて泣きそうになったレイである。
「これは、これは!!!!がりぼり歯っ欠けクッキーではないか!?!!!!!」
わーい!とレイは喜び勇んで口に入れた。香ばしさと、小麦の風味と、うっすらと感じられる甘み。バターのバの字もないシンプル過ぎる構成。クッキーの素晴らしい部分をすべて抜き取って再構成した、おおよそクッキーと呼ぶのにふさわしくない代物。どちらかと言えばビスケット。もしくは硬パン。かみ砕いて味わえば記憶の中のものと遜色ない。最高の気分である。
「しいて言うなら、もう一声堅いとなおよし」
レイはペロリと口の端についた欠片をなめとって笑った。欠片ですらかみ砕くのにゴリリと音がする。クッキーだと言われていなければ、石か飴かの二択である。その様子に顔を青ざめさせたのは双子だ。
「ドクトル!?俺たち間違った食い物渡したか!?」
「いいや、そんなはずはない」
念のため、と双子は弟の口にそれを入れた。しっかり焼しめられたクッキーは確かに薄甘くて味はいい。しかし、ロンが油断してそれに歯を立てれば悲鳴が上がった。
「硬ッ……!?」
哀れ、ロンの歯はものの見事に砕かれた。さすがに哀れに思ったのだろう。ロンに薬を差し出したレイである。勿論「背骨にカルシウムとられちゃったんだネ」と煽ることも忘れない。
セドリックは遠い昔に噂で聞いた菓子を見つめる。その視線に気づいた双子は彼にも一つ試供品を差し出した。この男前の歯が欠けるところを見てみたいが、レイが許さないだろう。
手にした骨型クッキーを半分に割ろうと試みる。割れない。ざまざまな角度から力をかけてみる。粉すら出ない。そっと口元にもっていって軽く噛んでみればよく叩かれた鉄のようなオーラを感じた。食べ物から。
「レイ。お菓子を無駄にしたくないんだけど、これを食べ元として認められない。どうしよう」
「俺は別に間接キス程度のこと気にしないまで成長しましたので、食べていいなら食べますよ。口に入れてください」
お言葉に甘えて、とレイの口にクッキーという名前の鉄をいれれば面白いようにかみ砕かれた。こうなると彼の歯がオリハルコン製の可能性が拭いきれない。セドリックは感心したように、どこか得意げなレイの顔を見る。
「魔法薬で歯を頑強にしてる?」
「天然物の強靭な歯と顎です」
「親御さんに感謝した方がいいね」
自らで鍛え上げたわけではないけれど、褒められるというのは良いことである。レイはうんうん、と首を種に二度ほど振って硬すぎるクッキーのおふるまいを受けた生徒二人を見た。
「スコピとアルも食べな。顎が強くなるよ」
「「やめなさい」」
即刻飛んできた親の言葉に、親が子供の自由意思折るの反対だなぁ!と喚いてみるも、当然の反応である。わざわざ乳歯から生え変わった歯をこんなところで虐げる必要はないだろう。いくら歯科治療がマグル界のそれとは段違いのレベルであるといっても。
アルバスはそれでも興味深そうにクッキーをみつめるスコーピウスに待ったをかけた。
「スコーピウス、先生は異常だよ。倣わない方がいい」
「で、でも、ミルクティとかに漬けたらいけるかも、ビスコッティとかみたいに」
「正気とは思えない」
「目の前に食べたことのないお菓子がある状況……。レイ、僕もちょっとなら食べられる?」
レイはクッキーとスコーピウスの口元を見比べた。そして数秒試案するとそっと首を横に振る。自由意思を尊重すべきとは言ったものの時機尚早である。もう少し柔らかな硬いお菓子から初めて顎を鍛えた方がいいだろう。
「まずは、日本の硬焼きせんべいから始めよう」
そうじゃないと可愛いスコーピウスがロナルドみたいになってしまう。そもそも、大切なのは歯よりも顎だと思うのだ。
「フィッシュアンドチップスと酒ばっかり嗜んでると、こんなに美味しいクッキーにすら歯が立たなくなるからね。咬筋は鍛えた方がいいよ」
椅子に座り直していかにも教師の声色でそんなことを言うものだから、ロンはついにレイを指さしてしまった。そして彼と仲がいい双子の兄に言いつける。
「フレッドとのジョージの友達だろ。もう少し俺に優しくなるように言っといてくんない?」
「ドクトルと俺らは友達じゃないぜ?」
「友達じゃ、ない?」
ロンはありえないものを見るような目で三人を見た。それがそういうお約束、なのか本気で言っているのか理解できなかったのだ。生徒のいる手前のごまかしである可能性が高いけれど、もしそうでない場合はいよいよもって意味が分からない。
なんだかんだ長いことつるんでいる双子のデスクにはあまりにもぎこちなく笑う学生時代の三人が写った写真もあるのだ。友達ですらない人間の写真をわざわざ写真たてに入れてまで飾る神経は少なくともロンにはなかった。
「ロニー坊やには理解できかねると見える」
「我らは友達なんて生易しいものにあらず」
「「いうなれば魂の共犯者」」
友達よりも重い関係なんだよな、なんてジョージがさらりととんでもないことを言うのでレイは飲みかけていた白湯でむせた。
「そうなの!?」
「そうだろ」
「常識的に考えて」
「「俺達に飽きるまで付き合ってもらうんだからな」」
「は、ははぁ……じゃあこれもまた永遠かぁ……」
暗に飽きるつもりがないと言われた双子の笑みは一層深くなる。
端から見ていればそれは厚い友情に他ならない。けれど、そう定義されなければ信じることができないというのがレイの特性だ。彼らが友達でないと言い張るのであればそれはそういうものなのだろう。ロンはわざわざ言ってやることでもないと思って黙った。
「双子とは永遠の共犯者ってことでいいね。となると僕の友達は三人だ。ほらな、片手に収まる」
「なんだよ、根に持ってんのか。あのときちゃんと謝っただろ……」
ロンはいよいよ面倒になったらしくハーマイオニーの方へと下がっていった。レイがハーマイオニーを面倒に思っていることを理解しての行動である。しかし、さっきの言葉に引っかかった者が一人、口を開いた。
「え?パパとレイは友達じゃなかったの?」
だって、日本に二人と、セドリックで三人になっちゃうよ、レイ。戸惑いを滲ませながらスコーピウスは二人の顔を交互に見た。
これには返答に困ってしまう二人である。幼馴染のくくりは友達の範囲に収まるのだろうか。ある意味ではこれもまた友達より深い関係だと思っていたのだ。
「友達だったの?」
「友達、なのか?」
ドラコとレイは顔を見合わせて黙った。友達の概念が分からない者同士、どう反応すればいいのかすら理解の範疇にない。今更、俺らは友達!と肩を組むのもおかしな話であるし、そういうのはグリフィンドールに任せてある。
それに、よくよく考えてみれば、スリザリンで入学後に友達、を作るのは中々難儀な話なのである。特に、自分たちの世代は純血やら、聖二十八族やらなんやらで世界が狭すぎたから。生まれた時から名前を知っていて、ともすれば将来を約束されていたりする人間と友達になれるだろうか。
こうなると、スリザリンは仲間意識で群れているのであって、友情の意識が薄いのがよくわかる。真の友とはかくも得難いものである。
「幼馴染は馴染みであって友達では、無いかも?」
「じゃあ、パパとレイは友達になった方がいいね」
友情を記念してハグしとく?そんなアルバスの冗談に乗って期待たっぷりキラキラの笑顔を向けてくるスコーピウスだ。
それは、さすがに、どうかと、と大人二人は身を固くする。スコーピウスの期待に応えたいのはやまやまだが、今更距離感を変えるのは難しい話であった。
見かねた双子は冗談をかっ飛ばす。
「日焼けもしにくく、夏も涼しい。集うメンツは性格、家柄、友情に優れてる。どれをとってもピカイチの寮だな。粗暴乱暴有望なうちの寮とはえらい違いだ」
「特に友情面に関しては。現職魔法省大臣様なんかもお似合いだったのでは?」
「誰が友達作りが下手ですって?」
ふきだしたハリーの肝臓あたりに握りこぶしをねじ込み、失礼を働いた双子にも軽く打撃をくわえるハーマイオニーだ。
レイも危うく、熨斗付けて返すわと言いそうになったがやめておいた。極めて日本的な言い回しではあるが、彼女だったら理解してしまいそうだし、日々鍛錬を怠らないハリーが悶える程度の暴力を食らったら死ぬと思うのだ。生命の危機を感じる。
ともかく、平和だ。何もかもが元通り。呼び出された理由すら消え失せてしまった生徒二人は大人の戯れに付き合っている時間はない。鮮やかでこそないが、それでも眩い青春のきらめきを浪費するのはそれこそ罪であり、悪である。
「なんの話してるんだろうな、コレ」
「やー、よくわからないけど。レイにもパパにも友達が増えたみたいでよかった」
「まぁ、僕たちじゃ先生の友達にはなれないもんな」
寂しがりの癖にめんどくさがりの彼が人の真ん中にいるのを嬉しく思った。きっとそのうち、人間の事が嫌になってあの中庭に帰るのだろうけれど、今この瞬間は間違いなく真ん中にいた。スリザリン生としてなんだか誇らしい気分だ。
「先生、話終わった?僕たち戻っていい?」
「んぁ!ごーめんごめん。オールオッケー」
そろそろ解散にしてもらえると図書室に行って宿題ができるから、とスコーピウスに言われてしまえば教師としてダメとは言えない。むしろ意欲的な生徒の学習意欲をそぐとは何事か、とドラコ直々にお叱りを受けかねないだろう。
「さ、アルバス。図書室に行って宿題しよう。僕ら学生の本分は楽しく勉強をすることだよ!」
「勉強、に関しての形容詞に僕と君との間で重大な溝があるみたいなんだけど」
「スコーピウス式歴史塾、ピンズ先生の授業で寝ないための歴史講座を実践する時が来たみたいだ……」
けらけらと学生らしく笑いながら教室を出ていった二人に、双子もやることを思い出したのだろう。セドリックを連れて競技場に戻ろうとする。しかし、セドリックはレイに用事があってここを訪ねてきたのだ。
「先に戻ってストレッチ始めてて。すぐに追いかけるから」
「オッケー。早く来いよ、セドリック!」
「あんまり遅いと暗闇で俺らがひっぱたいたブラッジャーを避けまくるレッスンになるぜ」
「それはそれで楽しそうだ」
稀代のトリックスターたちを見送れば、次はドラコだった。
「ドラコ」
「なんだ改まって」
ハグか?と問われたので二人で笑った。友達、と言うにはやはり少し遠い。けれど手さえ伸ばせばそこにいる。いつだって彼らは引いては寄せる関係だ。結局これくらいが心地よい。
「記憶と記録の狭間ってどこなんだろうって、僕なりに考えたことがあるんだけどさ」
原則、この世界はセドリックが死ななかった時間軸だ。であれば彼はアストリアに会いに行った歴史を失うだろう。アルバスとスコーピウスが事件に巻き込まれなければ、彼は決してタイムターナーを使わない。そういう硬派な男なのだ。
それでも、確実に、自分たちはあの日、あの場に行ったのだ。そうして、変わらない未来を嘆き、悲しみ、それでも前を向いた。その愛まで失いたくはない。
何より、奇跡ってのはこういう場面で効果を発揮するために名前がついている。ドラコの願いが彼女である以上、何百回だって、何万回だって起こっていいはずだ。
「一番遠い因果がなくなっても、変わらない愛にだったら女神も微笑んでくれるんじゃないかなって」
だからちょっと、見てみてよ、アストリアの日記帳。
そう告げればドラコの表情は和らぐ。覚えていなくとも、それは確実に彼の中にある気がした。
「今度、ローズジャムを贈らせる」
「うん、楽しみにしてる!」
彼はフルーパウダーの青い炎の中へと消えた。
さて、いよいよ彼らを追い出したらミッション終了だ。ハーマイオニーもそれを分かっているらしくフルーパウダーを持っていた。良い心がけである。
「じゃあ、私たちもこれでお暇しましょう。あ、ハリー?今日はもうこのまま退勤でいいわ」
「え、君が仕事が残ったままの僕にそんなこと言うなんて。山トロールでも攻めてくる予定?」
「たまにはジニーと二人きりでのんびりディナーにでも行ってらっしゃい。私は、戻りますけど」
ひらひらと手を振ったハーマイオニーにロンが吠える。今しがた目の前で起きた親友のラッキーが羨ましかったのだ。
「そりゃないだろ、ハニー。ハリーにハニータイムがあるなら俺にもあってしかるべきだと思わない?」
「来月のバカンス一週間か、一夜のディナーかを選ばせてあげましょうか?」
「来月のバカンス!?来月のバカンスって!?」
ロンはハーマイオニーの空いていた手を取るとくるりと回した。タンゴも顔を赤らめるような情熱的な体さばきと視線にげんなりしたレイである。
「あのっさぁ!そちらの茶番、帰ってからやってもらっても!?ここは!神聖なる!魔法薬学の教室!」
「兄と兄嫁にはよく言って聞かせるわ」
ジニーの謝罪に被って、ごめんなさい刺激が強かったかしら!と珍しいことを言ったハーマイオニーだ。彼らも去った。これでようやく、全てが終わったのだ。もう、今回の事件に関してはどんなタスクだってない。
すっかり水に戻ってしまったマグカップの元白湯を飲み干して、レイはまた教卓に突っ伏した。
「あー、疲れたぁ!」
「あはは、お疲れ様。いつもこんなことを?」
「いいえ、今回はたまたまですよ。いろんな大変なことが重なって」
元気爆発薬が飲みたいくらいです、とレイが嘆けば、セドリックは満面の笑みでダメだよ、と言う。どうにもマダムポンフリーはレイの扱い方が一番うまい人間を味方につけたらしかった。
「セド先輩にダメと言われちゃあな……超低用量もダメ?」
「三食きちんとした食事をとって太陽光を浴びる、って生活を一週間続けてから考えて」
「手厳しい~」
ごく当たり前の会話。なんてことなさ過ぎて現実感がない。ここまですべてが夢の可能性まであるのに、紛れもない現実で。視線だけあげてちらりと彼を見れば、ん?と首を傾げた彼と交わる。
「ねぇ、セド先輩。あのさ……俺のこと、また友達って呼んでくれる?」
随分と長い冒険をした気がする。この肉体には記憶がないけれど、あの薬を作り上げたのは間違いなく自分だ。
スコーピウスから口伝されただけのよその世界の因縁まで引き寄せる気はない。けれど、セドリックにもう一度笑いかけて欲しい、そんな欲望だけで理を捻じ曲げたのだ、自分は。
これは卑怯な手である。彼に闇の世界での記憶はないから。
答えが最初から決まっている問いに自分はなんて返して欲しいのだろう。
それでも、ハッピーエンドが欲しいのだ。もう、それだけでいい。
「またも何も、僕らはずっと友達じゃないか」
その言葉を聞いてレイはまた涙腺が馬鹿になりそうだった。
それでも、ぐずぐずのべしょべしょになる四十がらみのおじさんなんて見せるものでもないだろう。教卓に額を擦り付けて唸るにとどめておく。
「いま、なんてことない日常が、刺さって刺さって抜けなくんってるんです。これは、これはすごい破壊力だ……」
「涙もろいのは相変わらずだね」
「俺ずっと泣き虫?」
「教師生活始めてからは随分しゃんとしたけれど」
その言葉でレイは悟った。ここは本当に、何もなかった世界なのだ、と。あの日、鏡の奥に閉じ込めた自分はいない。つつがなく、何事もなく。この人が生きていて、友達を失わずに済んだ優しい世界。どんなに世界を闇が覆おうと、友達がいたのだ。自分の側には。だったら、なんだって乗り越えられたに決まってる。
「本当に、本当に、セド先輩は俺には過ぎた友達です」
「君は僕を特別視しすぎるきらいがあるよ。僕は君の普通の友達だからね」
「先輩にとっては普通でも俺にとっては特別なんです。そういうもの!」
セドリックはレイの頭を撫でた。成人男性同士、何をしているんだと言われるかもしれないがもう慣れているのだ。このふわふわとした天然パーマのねこっけを撫でることに。
「先輩?俺もうおっさんですけど?」
「でも年下には変わりないよ」
「そりゃいいね。一生撫でてもらえるじゃん」
特別で普通な友達万歳である。嬉しすぎて発狂するかもしれない。来世があるなら先輩の飼い猫も悪くないだろう。赤ちゃんの先輩に噛みつこうとするネズミなんかいようものなら俺がアバダってやるのだ。
「で、セド先輩。俺に用ってなんだったの?」
「せっかく来たから顔を見せに。あと、夕飯のお誘いにね」
「先輩と、俺が、夕飯、夕飯を……?」
「平日夜の三本の箒なら学生もいないし、どうかな?」
勢いよく起き上がったレイにもう一度誘い文句をぶつければ今度こそ死んだ。死因はやっぱりディゴリーだ。彼らはあまりにも自分にとって好ましすぎる言葉を投げてくれる。
是非だの、もちろんだの、ご相伴だの、感謝の気持ちが楽団を連れてやってくるだのと様々を並べ立てるレイがあまりにもいつも通りなのでセドリックはすっかり安心した。
「合同訓練が終わったらこの教室集合でいいかい?」
「もちろんですとも。……必ず来てくださいね」
「じゃあ、またあとで」
「行ってらっしゃい!」
ひらっと手を振って教室を後にする。その背中を追いたい気持ちがないと言ったら嘘になるが、楽しい夕食のためにこれ以上体力を使うわけにはいかなかった。
上体を起こして杖を振る。すれば、明日の授業準備は瞬く間に済んだ。時間までに自分自身の支度を整えればすぐにでもホグズミード村に繰り出せるだろう。
「準備時間が二十分じゃないっていいよね。シャワーまで浴びれちゃうぜ」
教室の真ん中一人を噛みしめる。手が震えて、力が入らない。欲しかったものが手のうちにある。当たり前の顔して日常に溶け込む。この素晴らしさを、覚えているのは、知っているのは。この世で自分ただ一人。
世界なんて変えてない。ただ、ちょこっとずらしただけ。だって自分たちはそれすらわからなくなる。これはほんの些細な変化。
「すべては友達想いのスリザリンなれば」
黄昏の空を夕闇が覆って、やがて夜が来る。
夜空を彩る星の瞬きは鋭く、そして柔らかに辺りを照らすのだ。その光の中、語らう友を見紛うことはありえない。
やがて、明けの明星が朝日を連れてくるその瞬間まで。
本編、これにて終了です!
しかし、舞台にカーテンコールはつきもの。
もうちょこっとだけお付き合いくださいませ!