眩しすぎるミアレの朝日が目に染みる。
ひとつあくびをして首をならす。睡眠不足にはとっくに慣れているが、だるいものはだるい。相棒たちに手持ちのフードをやり、愛用の鞄を抱えてエレベーターに乗り込んだ。
職場に顔を出すのは夕方でいいだろう。家に帰る前に少し寄り道をして──と考えているとエレベーターが一階への到着を告げた。
「あ、おはようございます!」
朝から彼女は元気がいい。少なくとも深夜で起きてたはずなのにな~若いな~と思いながら笑顔で挨拶を返した。朝食はと尋ねられるが、もともと朝はあまり食べない。じゃあ珈琲だけでもと勧められたテーブルには、呑気にカップを傾けるカラスバくんが。
この子、ぼくの職業を知っていながら彼と同じテーブルを勧めるなんてなかなか肝が太い。心底嫌そうな顔をしたカラスバくんが面白かったので、仕方なくお言葉に甘えることにした。ソファに座ったぼくをみてどこかのチビが舌打ちをしたが、愉しくなるからそんな反応をしないでほしい。
「おはようカラスバくん。部下さんは?」
「帰した。オマエは随分と寝坊助やな、オレが隣にいるんに物音ひとつたてんと熟睡とは恐れ入るわ」
「え、もしかしてぼくを警戒して聞き耳立ててたの? カラスバくんがそんなビビりだなんて知らなかったなぁ、意外と神経細いんだねえ」
「一言も二言も多いなぁホンマ」
こんな会話に「仲良しですね!」と言えるセイカさんは逆に神経が太すぎる。差し出された珈琲に礼を言い、よければと彼女にもソファを勧めた。座っておいて何だがカラスバくんとふたりで朝の珈琲タイムなんて本当にぞっとしない。
追加で自分の分のカップを用意した彼女は、少し居づらそうにソファに腰掛けた。
「ええと、ソージュさん、ですよね」
「そうだよぉ。そっか、昨日はちゃんと自己紹介してなかったねえ。
「セイカです、よろしくお願いします。ソージュさんは街にいるおまわりさんみたいに制服じゃないんですね。オフだから?」
「それもあるけど、ぼくはあんまり外には出ないからねえ」
現場を走る「おまわりさん」に指示を出し、彼らの行動と結果のすべてに責任をもつのがぼくの役割だ。外に出て仕事をするのことがないのだから、わざわざ制服を着る必要はない。有事の際に市民の前に出るときはジャケットくらい羽織るが、基本的には適当なスーツで過ごしている。
真顔でも笑っているように見えるらしい顔も相まって、「おまわりさんには見えない」と何度言われたかわからない。大変便利な外見だと自分では思っている。
生来の糸目をさらに細め、笑顔に見えるようにむにゅりと口元を動かした。
「セイカさんの噂は聞いてるよぉ、プリズムタワーの一件のときの大活躍もね」
「、そんな。頑張ったのは私だけじゃありません」
「オマエが中心になったことには変わらんやろ。あんだけの危機に表に出んかったやつもおるんや、胸張ったらエエ」
「街の顔役がタワーの対応のために総動員してたからねえ、ぼくは安心して市民の皆さんややせいのポケモンたちの避難誘導ができたよぉ。ところでカラスバくん、きみたちの人間梯子はとっても面白かったねえ」
「何で見てんねん!!」
何でって警察所属のロトムたちが動かす監視カメラや映像機器を通して一部始終を見ていたからだ。セイカさんが好奇心いっぱいの顔でわざと落ちてカラスバくんをキレさせたところまでしっかり見ていたし、何なら音声付きの映像がばっちり残っている。
そのときのことを思い出したらしいセイカさんはちょっと気まずそうな顔で視線を揺らしていた。カラスバくんをおちょくって遊びたくなる気持ちはとてもよくわかるので、まったく気にしなくていいと思います。
そういう気持ちで「ね、」と笑いかけると、セイカさんは「ですよね」という顔で大きく頷いた。やはりいい性格をしている。大変よろしいですが、その豪胆さの発揮どころを間違えてはいけない。
「セイカさんはきっと、非日常に強いんだろうねえ。ちょっとやそっとじゃ揺らがない度胸があるみたいだ」
「そう、ですか?」
「悪いけどあんまり褒めてないよぉ」
ぴたり、と彼女は動きを止める。じろりと剣呑な視線が別の方向から刺さってきたが、気にするつもりはない。
真剣な表情になった彼女はカップを置いてぼくのほうに身体を向ける。何を言われても受け止める覚悟を決めているらしいのは、気質としては好ましい。
あえて眦をさげる。ぼくの顔は笑っているように見えているだろうか。
「きみのバトルの才能はきっと素晴らしいものなのだろうし、きみのポケモンたちもきっととても強いんだろう。おかげで街の危機も乗り切れた。それにはとても感謝をしているし、危ないことをするななんて言える立場じゃないのはわかっているよ」
ぼくたちに出来ないことを彼女がしてくれた。それについては、情けなくも感謝をするしかできない。
ただ、非日常で活躍したヒーローだって、日常ではひとりの女の子だ。
「けどね、『非日常』の出来事で目立てば目立つほど、きみに向けられる視線は増え、その視線は『善意』や『尊敬』ばかりが含まれるものじゃない」
揺らがない強さ。立ち向かう強さ。折れない強さ。それらはとても素晴らしいものだけれど、同時にそれらは毒にもなり得る。
彼女という人間の「弱さ」を、忘れさせる力をもっている。
「ミアレの犯罪率はかなり低いけれど、それでもゼロじゃない。女の子ひとりしかいない日にホテルの客を受け入れるのはやめなさい。……ホテルを管理する人間が減って苦労しているのも、それでもホテルを維持しようと頑張ってるのもわかるよ。けどホテルZもきみも、良くも悪くも注目を集めた。
日常の落とし穴って、意外と非日常より怖かったりするよぉ?
そう両手を開いて茶化してみると、セイカさんはぱちりとひとつ瞬きをして、ちょっと笑ってからまた表情を引き締めた。すっと綺麗に頭を下げる。
「──気を付けます。ご忠告ありがとうございます」
「うん。バトルゾーンやワイルドゾーンのベンチで寝るのも本当にやめようねえ」
「おいセイカ聞いてへんぞ」
「ひえっ何で」
「この街でぼくが知らないことなんてないよぉ」
次はないから、と微笑むと、セイカさんは冷や汗をかきながらこくこくと頷いた。
「基本的にゾーン内のトレーナーとは接触しない(オフのバトルは除く)」決まりと「寝ている彼女を放置していいのか」という使命感の間で揺れる部下たちから困り切った報告が上がっていたのだが、以後はきっとなくなることだろう。もしあったら問答無用で叩き起こして補導することを許す。ぼくは忠告しました。
カラスバくんが深々とした溜息を落とす。えへへと誤魔化すように頭をかくセイカさんに微笑みながらカップに口をつけた。こういう仕草は本当に年相応だ。
しかし、とカラスバくんの蛇のような眼が再びぎらりとこちらを向いた。
「オマエも防犯指導なんておまわりっぽいこと言うんやなぁ?」
「やだなぁ、ぼくだってちゃんとおまわりさんだよぉ?」
「オレのことは捕まえもせんくせに?」
「捕まりたいなら捕まえてあげるけど、いまの司法にきみを任せてもねえ」
今の司法、とセイカさんが不思議そうに繰り返した。
確かに若いひとにはあまり実感のないことかもしれない。あのねえ、とカップを置いて足を組み替えた。
「五年前のフレア団の事件は知ってるかなぁ?」
「あ、ちょっとは……」
「うん、あの事件は結構……お金や権力をもってるひとも絡んでいてね、たくさん捕まって罰を受けたんだけど、まあ被害を受けた一般市民から見れば、その罰が物足りなかったみたいなんだよね」
実際、どこまで公平公正な裁判だったのかはぼくにもわからない。ただ、フレア団の思想的に「切り捨てられた」人々からすれば──そんな危ないやつらは徹底的に排除したかった。法に基づいた罰だけでは、彼らを納得させることが出来なかった。
それ以来、ここカロスでは公権力への信頼は地に堕ちたと言っていい。そこにはもちろん警察も含まれる。
「自分たちを守ってくれるはずのものが信頼できなくなると、人々が自分のことは自分で守らなきゃと思い始める。それも間違ってはいないんだけど、カロスはちょっと過剰かなぁ」
「自己責任論がみょーに流行り始めたなぁ。そんでそれが、逆に行政だの何だのにまで影響を与え始めた」
「法律だって解釈次第の部分があるし、結局それを扱ってるのは人間だからね。被害者だってこれ防げたんじゃないの、危機意識が足りなかったんじゃないのって、そっちのほうにばかり話が行きがちになっちゃってね。一部のひとが頑張って方向修正してるけど、仮にいまカラスバくん捕まえてもすーぐ釈放になっちゃいそうでねえ」
利息率? 契約書に書いてあったんでしょ、何でサインしちゃったの、普通契約書は隅々まで読みこむでしょ? そもそもそんな相手とお金の貸し借りするもんじゃないよね? 返済計画もろくに立てないで、そういうのは
なら捕まえるのは今じゃない。捕まえても、きちんと裁かれないなら意味がない。それまでしっかりミアレのために働いてもらったほうがマシ、というものだ。必要悪という言葉は大嫌いだが、こいつはこいつで確かに街のことを考えているのは知っている。いまはぼくの信条よりも街の平和を選ぶほうが利益が大きいのだから仕方がない。
ぼくの考えていることを察知したのか、は、とチビに鼻で笑われる。いや~早くカロスの司法にはしっかりして欲しいよね~~~~~! 笑顔の下で舌打ちをすると、カラスバくんは愉快そうに肩を揺らした。絶対いつかとっ捕まえる。
そうなんだ、と頷くセイカさんに、だからこんな悪いチビとは早く縁を切った方がいいよと言いたいのだが、注目を集めてしまった彼女の盾は多い方がいいというのが難しい。
視界の端に自前の腕時計がかすめた。少しだけのつもりが長居してしまった。懐のスマホロトムも微弱な振動でメッセージの到着を告げ始めている。
さて、とぼくは組んでいた足をほどき、柔らかいソファから立ち上がった。
「そろそろチェックアウトしてもらおうかな。セイカさん、お願いねぇ」
「あ、はい! お引き留めしまして」
「いえいえ、美味しい珈琲をありがとう」
「セイカ、オレも出るわ。チェックアウトしてんか」
「はーい! カラスバさんもありがとうございました!」
カップはテーブルに置いておいてくださいね、と言い残した彼女はぱたぱたとフロントへ向かう。
その背中を見送りながら鞄を手に取ると、ゆらりと黒い蛇が近づいた。
「……で?」
随分とドスのきいた声、血管の浮かぶ額。それは
ぼくはあえてそれに「なぁに」と笑顔を返す。同じテーブルで珈琲を飲むような馴れ合いよりも、ぼくと彼の関係はこちらのほうが相応しい。
「
ぼくはただ、笑みを深めた。
とりあえずもう一話は書きます。