そして、満月の夜。
鈴仙は薬室で、永琳と共に最後の仕上げをしていた、その時だった。
「優曇華、準備はいい?」
永琳が鈴仙に尋ねた。
「はい、永琳様。いつでも」
鈴仙は懐から薬瓶を取り出した。二日間かけて完成させた、自分専用の薬『明鏡止水』だ。
「服用してちょうだい。いよいよ、計画を開始する」
鈴仙は指示に従い、丸薬を一粒口に入れた。
二日間の疲労が一瞬で消え去り、頭の中が冴え渡る。
過去の戦争の記憶がフラッシュバックする兆候も消え去った。
心が無になり、ただ任務を全うするための精神状態になる。
(いよいよ、私たちの出番か)
窓の外は、不気味なほど完璧な満月が浮かんでいた。
しかし、その光はいつもと違う。冷たく、歪んだ波動を帯びている。
それは、永琳が用意した偽物の月だった。
「きゃあぁぁぁぁ!」
遠く、竹林の彼方から、興奮したような叫び声が聞こえた。
永琳の計画通り、偽物の月の影響で、幻想郷の妖怪たちは興奮状態に陥り始めている。
人間には影響がないが、妖怪たちは闘争本能を刺激されているのだ。
永琳は冷静だが、その目には達成感と緊張の色が浮かんでいた。
「幻想郷の妖怪たちは興奮状態になる。こちらに向かってくる可能性が高い」
(私たちの計画通りに動いてくれているわね)
その時、竹林の方から、複数の気配が近づいてくるのが感じられた。
興奮状態の妖怪たちだ。
「行きましょう。最初の敵は、もうそこまで来ているわ。この異変を成功させるために」
鈴仙は、永琳と共に永遠亭の門へと向かった。
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幻想郷の夜空には、
まるで花火のような色鮮やかな光跡が舞っている。魔理沙や霊夢たちが興じる
「弾幕ごっこ」――美しさを競い合う、
幻想的な遊戯。しかし鈴仙にとって、それは常に異質なものに映っていた。
彼女の腰にあるホルスターには、月の都の技術が詰め込まれた実戦用の銃が収まっている。弾幕ごっこのルールに則った光弾ではなく、狂気を宿し、対象の精神を直接抉るための「弾丸」。
(私は、彼らのようにはなれない……)
鈴仙は自嘲気味に呟いた。
彼女の戦いは、常に命懸けだった。
故郷の月では、裏切りと戦乱が日常だったからだ。
優雅な弾幕など、兵士である彼女には無縁の概念だった。
その不安は、単なる自己卑下だけではなかった。幻想郷を統べる賢者、八雲紫の存在が、彼女の心を常に締め付けていた。
紫は、この平和な「弾幕ごっこ」という文化の維持に深く関わっていると聞く。
この地のルールを破ることは、即ち彼女の逆鱗に触れることと同義だ
。
(もし、私が本気で戦うことになったら? 狂気の弾丸を放ち、相手を本当に傷つけてしまったら……)
鈴仙は、あの境界の賢者が持つ冷徹な瞳を思い出した。もしルールを破れば、彼女は容赦なく月の兎を排除するだろう。その恐怖が、鈴仙の心を凍てつかせる。
その時、背後から静かな足音が近づいてきた。
「まあ、鈴仙ったら。そんなところで立ち尽くして」
八意永琳が、静かな表情で立っていた。鈴仙は慌てて敬礼の姿勢
をとる。
「永琳様……」
永琳は鈴仙の隣に立ち、夜空を見上げた。
「あなたの能力は、人を狂わせるもの。優雅な弾幕ごっこには、確かに向かないかもしれないわね」
鈴仙は俯いた。その通りだった。永琳は静かに続ける。
「でも、あなたのその実直な『弾幕』こそが、いざという時、私たちを守る剣となる。紫のルールも大切だけれど、それ以上に大切なのは、護るべきものを護り抜く覚悟よ。彼女も、その本質は理解しているはず」
永琳の言葉は、鈴仙の心に染み渡った。紫の恐怖よりも、永琳や輝夜を守りたいという想いが勝る。
鈴仙は顔を上げ、ホルスターの銃に手を置いた。
彼女の戦いは、弾幕ごっことは違う。それは「刀」であり、「弾丸といえる弾幕」だ。ルール違反を恐れる必要はない。護るべきもののために、彼女はいつでも引き金を引く覚悟を決めた。
夜空の弾幕は相変わらず美しく舞っていたが、
もう鈴仙の心はざわついていなかった。彼女は静かに月を見上げた。
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