ヘルタのIFエンドの世界。
一応、ネタバレ注意です。最新バージョンまで進めて、公式のPVを見てね。
ルアン・メェイは自らの研究室を訪ねて来たヘルタに対して、一つ尋ねてみることにした。
「自らの命を代価に、銀河が救われるのであれば……あなたはどうしますか?」
少し焦げたタルト生地。苦味は感じなかった。別に生地に混ぜ込まれた砂糖の甘味や、上に乗ったベリーの酸味にかき消されたのではない。
多少の苦みを覚悟しながら口にしただけに、ルアン・メェイは拍子抜けしたような気持になった。彼女の言い分では、天才にとって失敗は貴重で、価値のあるもののはず。それにしては、時折持ってくる手製のお菓子に失敗が多い気がする。
「なに? そのつまらない質問」
「つまらない……でしょうか? ピノコニーでの顛末を助手さんから聞きまして……」
「ふうん?」
ヘルタは、興味を持っていないのだろう。ピノコニーで何かがあったことすら知らなかった。
ルアン・メェイですら興味を持ってはいない。ただ、開拓者との話であったから記憶に留めていただけ。
しかし、確かに愚問だった。
ヘルタが何と答えるのかは想像できる。
「この銀河と私、より貴重なのはどっちだと思う?」
不遜に笑いながら、けれど驕りではない。多くの人々にとって、ヘルタは自分の方が銀河のすべてよりも価値が重いと言っていると解釈するだろう。そう聞こえるように言っているし、ヘルタ自身も全くそう思っていないわけでもない。
けれど、ルアン・メェイは理解していた。
ヘルタはそう答えつつも──
†
惑星「ブルー」は何度目かの危機を脱した。スクリューガムとルアン・メェイが協力してことに当たったのだから、解決できない筈がない。
街を歩いていると、遠巻きに子供が手を振ってきた。
ルアン・メェイという人間を誤解しているのか、あるいは理解しているのか。側にいた子供の親らしき人物は慌ててそれを辞めさせて、こちらに頭を下げるでも石を投げるでもなく、関わりたくないと言った様子で人ごみの中に紛れていった。
ルアン・メェイが「ブルー」を救った理由に対して、様々な陰謀論が語られていた。
純粋にルアン・メェイを英雄のように扱う動きもある。先ほどの子供のように、ルアン・メェイをみて目を輝かせる人間は少なくない。
ヘルタの代わりをしてくれるのだと、こちらを利用しようとしているのだ。それを半ば望んでいたのだから、怒りは感じない。
逆に先ほどの子供の親のように、ルアン・メェイを恐れているのは、見返りとして恐ろしい実験をこの惑星で行おうとしていると言う記事が銀河中に広まったからだろう。
そして、それは必ずしも間違っているわけではなかった。
未だに理解出来ぬこの感情を、あるいは、自らの不満を解消するための一環として、生前のヘルタが大切にしていたこの惑星を救ったのだ。
スクリューガムは、時折ヘルタの為に涙を流していた。
ルアン・メェイは、未だに一度も泣いていない。
彼女の末路を聞いて、少なからず動揺した。あれは、間違いなくショックを感じていた。強い喪失感と悲しみが、確かに胸を埋め尽くして、あらゆることが手につかなくなった。
皇帝として銀河の敵となったヘルタの討伐作戦実行と、銀河単位の犠牲の果てのその完了報告を受けても、それでも涙は流れない。
間違いなくルアン・メェイの精神に大きな変化が訪れていた。以前なら気にならなかったであろう。
ヘルタの死に涙一つ零さない己を、ルアン・メェイは軽蔑していた。
そして、彼女の死に涙をしようと足掻く無様な今の自分を、ヘルタはどう思うのだろうか。
「それは、想像できますね……」
きっと小さく口を開けて、心底意外そうにしている。
まさかそんなに気にするとは思わなかった、なんて言うのだろう。
かつて模擬宇宙の中で、ポルカ・カカムが現れた時。ルアン・メェイはヘルタから、来るとは思わなかったなんて言われてしまった。そこまで薄情な人間に……思われてしまうのは仕方のないことか。
絶滅大君を相手取るなんて、ルアン・メェイが一人助力したところで結果は変わらず死体が増えただけだと理解してもなお。
その瞬間に戻れたらと思わずにはいられなかった。
そう嘆いても、涙は流れない。
†
宇宙はヘルタという天才を失った。
多くの惑星が滅び、今後彼女によって生まれたであろう数々の閃きは輝くことすらなく闇に落ちた。
彼女の死を悼む声は決して少なくはない、それでも、皇帝3世としての被害もまた大きく、なかばタブー視されてもいた。
彼女の献身によってさらに致命的な事態は防がれた。かの絶滅大君は知恵の殞落を目的としていたのだから。
それでも彼女の存在によって生み出された屍は山を成し、被害者だと理解してなお恨む気持ちを、感情的だの非論理的だのと切り捨てるのもまた、人道に悖る行為ではあるのだろう。
単身で絶滅大君に挑んだ知恵の使令は、その時何を考えていたのだろうか。
死ぬと分かっていたのではないか。その前に知恵の星神と謁見したことはどれほど彼女の決断に影響を及ぼしたのか。
得体の知れない感情が渦巻いていた。脳で処理できず、胸に腹に落ちて、そこでタール状に黒くて重い感情が身体を内側から侵食する。彼女の死の原因を、そう仕向けた天才と星神を、この宇宙から排除してしまいたい。
手段はある。ルアン・メェイは自分の研究を続けるだけで良いのだ。
こころは弾けない。煮えるような激情であるはずなのに。
未だに涙は流れない。
これほどの怒りと絶望に支配されてなお、悲しみの水底に沈み込もうとしても、曖昧な感情が膜のようにルアン・メェイを包み、どこにも行けなかった。
激しい感情に身を任せて、苦しみから逃れることすらできない。
どうして、どうしてと、まだ幼い子供のように。言語化できず、処理できず、発散できず、自分が分からなくなる。精神状態が不安定なのではなくて、未熟になってしまったみたいだった。
不安定になってしまったのなら、まだ分かりやすかった。
気づかぬうちにそれだけヘルタが、ルアン・メェイにとって大きな存在になっていたのだと、どうしようもなく遅れて理解して。それから心を安定させる薬でも服用すれば良い。あるいは、不安定な自分を受け入れてしまっても良い。
けれども、どうしようもないことに、幼い子供のようだと例えた。癇癪を起すことは無いけれど、その気持ちがよく分かる。こんなに気持ちの悪い感覚を持ち続けるのはどうしようもなく不快だ。手放すことも出来ず、手懐けることも出来ず。ただ暴れて無作為に発散したくなる。
「私はヘルタのようには成れませんね」
何か大きな出来事が起こればいい。
「ブルー」が危機に陥ったのならば、ヘルタの為にも救おうと思う。その危機的な状況が、より切迫していると良い。それに集中できれば、このどうしようもない靄を見ずに、目前の事柄に焦点が合うから。
それを望む時点で、ルアン・メェイがヘルタの代わりを務められないのは明白だった。
実質的にヘルタの仕事を引き継いだスクリューガムに対して、またもや得体の知れない感情が渦巻いて……しかしそれはため息とともに無理やり思考を中断させれば収まった。
†
いつ振りだろうか。ヘルタが死んでから初めて、ゆっくりとお茶を飲む機会があった。
用意した菓子は、タルト。
焼き色はちょうどよく、焦げ目もない。ひたすらに甘いものが食べたかったので、砂糖の分量は多めにして、果実も甘いベリー類に限定した。
気が付けばぼうっとしていて、お茶が冷めてしまっていた。
ヘルタを思い出したわけでもなければ、研究している■■になるための最後のピースを思索していたわけでもない。
ただ、無になっていた。
不安や恐怖──そういったものに行きつく感情に振り戻されることはずっと減っていた。
ヘルタと交流していた時間は過去の泡沫として消え、彼女のいなかった人生の方がずっと長くなってしまう。
不思議なもので、長く生きて来たのに、ヘルタが死んでからしばらくの間は、そんな時が来るとは想像できていなかった。ヘルタと知り合ってから、ヘルタがいない時間の方が長くなるなんて。
お茶は冷えてしまったけれど、タルトは冷たくても常温でも温かかったとしても、美味しいはずだ。
一口頬張ると、僅かな酸味と甘み、それから苦味が感じられた。
とてつもない彼方から零れて来た苦味だ。
「っ……ぁぁ……」
私は、かけがえのない友を亡くしたのだ。
83という数字でも、天才と言う称号でも、あらゆる銀河の知的生命体でもなくて。ただ、友人を失った。その事実を、今になってようやく理解し受け止めて。
鼻の奥が傷み、視界が霞み、溢れる涙はとどまることを知らない。
もしもヘルタが、今のルアン・メェイを見たらどんな反応を見せたのだろうか。
きっと意外そうに驚くこともなく、呆れて笑うのだ。
その笑みを、もう一度だけ向けて欲しかった。
友達と家族は大切にしましょう。
不可知域で、ヘルタに来ると思っていなかったと言われて、ルアン・メェイが多少なりともショックを受けてたらいいなぁと思ってます。