モンスターハンター~狩人レナードの軌跡~≪改稿版≫ 作:ATA999
砂漠でクシャルダオラが確認されたわ……。密林で一度撃退してしまった以上、もう止まる事は出来ない……。彼は風の古龍よ、開けた上に砂が周囲に溢れる地形では更に強い筈。気を付けて掛かりなさい。
「では、始めろ」
「……おう!」
ジャンボ村の片隅にポカンと開けた空間があった。農耕の邪魔にならぬよう、郊外に作られたその空間は、主に武器の振り方や立ち回りを確認したいというハンターの教導が目的である。
そんな空間に今は二人の人影があった。狩場では無いにも関わらず共に防具を身に纏った、どこか剣呑な雰囲気……レナードと教官である。
「…………」
レナードが無言で持つのはルーキーナイフ。訓練所で使用される癖の無い武器だ。
目の前にある標的は、木と藁で作られたやや不格好なランポスの人形である。セイディやベルは以前これを見て可愛いと言っていたのだが。
「カッ、ハアッ……ハアッ……!」
現在これを目の前にしているレナードは、額に汗を滲ませまるで狩りの真っ最中、強敵を前にしているかのように息を荒げていた。目の焦点がぶれ始める。動悸が止まらない。見る見るうちに顔色が青褪めていく。
震える腕が止まらないのを確認し、やがて教官が冷静に止める。まだ行けると食って掛かるレナードに対し、考えを翻さず無理はさせない教官。そして、肩を落としとぼとぼと家へと帰るレナード。
それがここ数日、毎日続いている光景であった。
◇
「くっそっ!!」
ベッドに仰向けに横たわり、髪の毛を掻き毟るように手を当てる。本当は何でもいいから何かを叩きでもしたいのだが、それをすると確実にその何かは壊れてしまう。それをしない程度にはまだレナードにも自制が働いていた。
「完っ全にPTSDじゃねぇか……」
分かっていても、どうしようもない。
クシャルダオラを退けたあの日から快眠出来ずにいる為ややクマが出来つつある目を閉じ、原因を思い返していく。
闇の中にあって尚その存在感を主張し続けるような黒々とした色合いのしなやかな肢体、それに反した甲殻や鱗の頑強さ、人間など一撃で容易に死に至らしめる爪や牙。そしてまるでサファイアの如き、神々しさすら感じられるその青き両眼……。
「…………ッ!?」
「にゃっ!?」
物音がした方向を、過剰なまでに大袈裟に振り向いてしまう。既に体勢は仰向けの状態から、いつでも動き出せるような姿勢へと移っていた。
そこにいたのはネコニャーであった。
「ご、ごしじんさま……」
「ああ……すまん、すまん。驚かせちゃったな」
バツが悪げに頭を掻きつつ苦笑いをするレナードを、ネコニャーは痛々しいものでも見るような悲痛な表情で見つめる。
「どうした、何か俺に用があるんじゃないのか?」
「……その。村長さん達が、ごしじんさまをお呼びですミャ。……でも、その。ニャーは正直、ごしじんさまにこれ以上行って欲しくは無いのミャ……」
ネコニャーは途絶え途絶えに想いを告げてくる。瞳に涙を溜めているのは、それだけ強い想いが込められている証左だ。
「あんがとな、ニャー。……でも、ま。俺が行かなきゃ始まんねぇよ。――俺が始めた事なんだから、な」
そう呟き家を後にするレナードの姿を、ネコニャーはただ見守る事しか出来はしなかった。
◇
「観測所の報せによると、鋼龍クシャルダオラがセクメーア砂漠で確認されたそうよ……」
密林から無事に古龍を追い払ったにも関わらず、竜人族のお姉さまは深刻な表情で語る。
場所は広場に面した酒場、そこに村長や親方など村の中心人物達が一堂に会して話を聞いていた。死者こそ尽力の甲斐あって奇跡的に0で済ませる事は出来たが、未だ多くの者が包帯を体に巻いていたりと痛々しい様子を見せていた。
「ねね、お姉さん。砂漠って、ここから大分遠いじゃん。わざわざ行って竜の尾を踏む事も無いんじゃないの?」
タルで出来た椅子に跨り両手を着き、ギコギコと動かしながら不思議そうに質問をするのはレオンの相方であるヘビィボウガン使いのジャニスだ。赤みがかったオレンジ色の髪をショートにして、今はレオンと同じく≪ハンターシリーズ≫を装着している。
「古龍を普通のモンスターと同じく考えてはいけないわ……。彼が密林から逃げ出したのは手傷を負ったからでは無く、或いは気紛れに過ぎないかも知れないのだから」
「そんな! そんな事、ある訳が……!」
いきり立ったのはセイディだ。あの日襲い来るガブラス達を退けた後、密林に住まうアイルー達が荷車に載せて、疲労困憊に加え大小様々な傷を負って戻って来たレナードを見ていたからだ。出会った当初から高みに在り、特に苦戦した狩りも無く、常に余裕をもって狩りに挑んでいた。そんなレナードが半分意識が飛んだような状態で戻って来たのだ。その相対していた相手が無傷であるなど、到底受け入れられる仮説では無かった。
「セイディ……」
「ベルさん! でも……!」
気持ちが昂っていくセイディの肩を叩いて止めたのは、隣に座っていたベルであった。
「竜人族のお姉さんは私情を挟まず、最悪の状況を想定しているの……ですよね?」
見る、と表現するには些かキツイ眼差しで竜人族のお姉さまの方を見やる。
言外に、そうで無ければ自分だって許さないと伝えてくる桜色の瞳に対しスッと肩を竦めて答えとする。
「話を戻すわね……。何故、わざわざ遠ざけた筈の古龍の元へ向かわねばならないか。だったわよね? 答えは簡単、ここから砂漠程度の距離では『遠ざかった』とは言えないからよ」
周囲から、苦悶に満ちた唸り声やどよめきが起こる。
古龍の生態については、竜人族のお姉さまの属する古龍観測所の面々が先人から伝わる英知と弛まぬ労力を費やしても、未だ解明されていない部分が多い。
だが、少ないとは言え解明された部分がある。古龍・クシャルダオラは一度敵と見定めたものに関しては、執念深く追いかけてくるという点だ。
「つ、つまり……」
「この戦いが撃退で終わる事は決して無く。こちらがクシャルダオラを討伐するのか。あるいは、あちらがこの村を蹂躙し尽くしてジャンボ村の名前を地図から消すのか。互いの生存をかけた競争という意味合いがあるって訳ね……」
その言葉に、周囲の人間は皆沈黙を保ってしまう。
古龍との、想像する事すら困難な激戦を思い生じた沈黙である。この沈黙を破れるのは、やはり現状ただ一人だけであった。
「大丈夫だ皆……俺が行って、全部片を付けてくる」
レナードが微笑みを浮かべ静かに呟くと、周囲にいる者達は一斉に安堵した雰囲気を見せた。
レナードが言うのなら、間違いは無い。村人にとって、ジャンボ村に越して以来クエスト成功率100%に加え、一度は古龍撃退に成功したレナードへの信頼はこれ以上ないくらいに厚くなっていた。
気の運用によって自然治癒力が高いハンターの中でも、その身に宿る≪力の爪≫≪守りの爪≫の力によって気が増幅されレナードは特に傷の治りが早い。既に見た目は全快しており、いつでも狩りに向かえそうな様子もそれに拍車をかけていた。
「――お前が行って片を付ける、だと?」
終着しつつある場に一石を投じたのは、今まで腕組みをして目を瞑り黙していたレオンであった。いらない事を言わぬよう、ジャニスが横から何度も肘の辺りを引っ張るがどこ吹く風とばかりにレナードの方を睨みつけている。
「そうだ、どうかしたかよ」
「なら、これを持ってみろ」
そう言い、差し出したのはレオンが使用している大剣であった。
「……いいさ」
レナードは何の衒いも無く剣を持つ。周囲の人間は、何事かときょとんとした表情で顔を見合わせる。苦い表情を浮かべているのは数名――『知っている』者達だ。
「ご、ごしじんさまミャ……?」
ついてきていたネコニャの声が、目の前の光景を信じられずに震えて発せられる。
正しく豹変であった。
レナードの平静を装っていた顔に突如として脂汗が額に浮かび出し、それだけでは無く至る所から滝のように汗が噴き出した。今にも膝から崩れ落ちそうな程にガクガクと体を揺らし、アァアァ……と意味の無い悲鳴染みた声を漏らす。最後には、口元を押さえ必死に河の方角へとふらつく体を持って行った。
ネコニャの、背を摩りながら体調を気遣う悲鳴染みた声と、レナードのゲーゲーとえづく声、そして河に零れ行く吐瀉物のビチャビチャという汚らしい音の交わりは、集まった者の耳には酷く非現実的な物に聴こえた。
「な、なんなんだこれは……」
「これじゃ、古龍の撃退なんて到底――」
反響し出した村人達の弱音を、テーブルへと振り下ろされた拳が破砕した。下ろした人物は当然、レオンである。
「――俺が行く」
「……言うと思った」
「フン! ヤツに出来て俺に出来ない訳が無いからな。……おい! 戦えないと言うのなら、お前は大人しく家で寝ていろ! その間に、オレが奴を狩猟してやる」
ヤレヤレと言わんばかりに、と言うか実際そう言いながら、ジャニスは額に手を当て首を横に振りながら嘆息する。
この村に来てからの付き合いではあるが、相方の言動にもいい加減慣れてきた頃合いだ。だからジャニスは全然驚きはしなかった。驚きもせず、飄々と≪アルバレスト改≫を肩に担ぎレオンの横に並ぶ。
「……何のつもりだ」
「んー? そりゃあ勿論、相棒がクエストに行こうとしてるんだから当然わたしも行く準備をしようとしてるんだよ」
「馬鹿か、お前は! 相手は古龍だぞ、生半な腕前じゃ何も出来ずやられるのが関の山だ!」
声を荒げ思い直すように言い募るレオンの顔を、しかしジャニスはニコニコとした表情を消さずに見つめ続ける。
「ねーねー。一つ質問! レオン君は、相棒であるわたしを置いて難しいクエストに挑むつもりなの?」
「フン……。――好きにしろ」
「――ちょ、ちょおっと待ったぁ!」
話がまとまり、二人で準備に取り掛かろうとした矢先、左手を前に出すというジェスチャーをしながら話に割って入ったのはセイディであった。
「……今度は何だ、ヤツの馬鹿弟子」
「んな、なんと失敬なあだ名を!? 訂正を要求します、訂正を!」
「……え、セイディちゃんレナード君の弟子じゃ無かったの」
「そっちじゃないに決まってるでしょう!? バカの方ですよ、おバカっ!」
「はいはい、セイディ。話が進まないから後にして頂戴、このG級おバカ」
「べ、ベルさんまで!? ぐ、ぐぬー……」
「端的に言うと、アタシ達も連れてって欲しいのよ。セクメーア砂漠へ」
ベルがチラリと視線を外すと、青褪めた顔をしながらふら付くレナードが、教官に肩を担がれながら家に入っていくのが見えた。取り澄ましていた表情が、僅かに心配そうに歪む。
一方ベルが放ったその言葉に、レオンは腕を組みながら顔を歪めた。そこには明らかに否定的な意味合いが込められていた。
「断る。オレは独りで奴を狩ると決めて――」
「今ジャニスさんと一緒に行くって言ってたじゃないですか」
「……実力の無い連中が幾らいたところで足手まといだ」
「そういうと思ってさっきパティに聞いてみたら、狩猟スタイルが全然違うから一概には言えないけど、実績等から鑑みてみるとアタシ達とレオン1人じゃそんなに差は無いって言ってたわよ。ああ、レナードを抜いた、アタシやセイディね」
むしろ困難な狩猟に人数上限ギリギリで赴かないでどうするの、お互い足を引っ張らないだけの技量はあるでしょ。アタシやセイディは大剣使いとの狩りはある程度慣れてるし。ハンターとして出来る限りの準備をしておくのは至極当然の事、今ここにいるハンターは私達だけな以上ギルドが規定してある上限いっぱいの4人で向かわないのは武器防具や道具と同じく準備不足甚だしいと言えます等々。
弾丸のように次々矢継ぎ早に繰り出される女たちの『口撃』に、口下手を自負しているレオンは実際のところ早々に白旗を上げていた。
こうして、最初にレオンが想定していたよりも、どこか姦しい臨時パーティが結成されたのであった。
◇
「そうら、着いたぞ」
「……すみません」
ガチャガチャと擦れる音を漏らしながら、教官は白く整えられたベッドの上へとレナードを放るように置く。
「ヌハハ、気にするな! 後輩の家へ遊びに来たついでだ」
「……教官。俺は、このまま潰れちまうんですかね」
ベッドに腰掛けながら、レナードはポツリと呟く。自身よりも経験が豊富である教官だからこそ、ほんの僅かではあるが今まで決して他人には見せなかった不安が漏れたのだ。
「……教官生活も長くなってくるとな、今までにも貴様に似た症状を拗らせたものは多くいたものだ。ある程度のところまでは持って行ってやる。後は貴様次第だがな」
「……うす」
「――潰させるものかよ、こんなところで」
優しげな声音で呟くように述べた後、教官は家を出て行った。
「…………」
気が付けば、傍にいたネコニャーも教官と話している内にどこかに姿を消していた。今、この家には誰もいない。
深く、深く溜息を吐く。まるで胸の内に渦巻く負の感情が零れ出ていくかのように。それでも後から後から湧き出てきてしまうのだが。
「度し難いなぁ……、ああクソ」
度し難いと感じたのは、レオンが向かうと聞いて安堵してしまった事であった。自分が行かずに済んだ事に対して、アイツと対面しなくて済むと感じた心の安らぎは間違いなくレナードの全身を纏わりつくように優しく包み込んだ。あの場で唯一剣を交えた身としては、本来ならばレオンの事を止めねばならなかった筈なのに。
「それでも……まだ終っちゃいない。レオンのカッコつけ野郎に、デカい貸しも出来ちまったし」
レナードが惨めに川面へ吐いていたあの時、レオンがレナードに向かって掛けた言葉は貶す為では無く発破をかける意味合いであった事ぐらい無論承知していた。更に言えば、レナードが復調するまでの時間稼ぎの意図も込められていた事もだ。
「ふんっ……ま、いいさ」
呟く言葉は口の端に笑みを浮かべた顔から漏れていた。
この二人、普段はいがみ合っているにも関わらず妙な所で互いに信頼していたり、認め合っていたりもしているのだ。周囲から見れば実に面倒臭い関係と言わざるを得ない。
レオンの発破は、残念ながらその程度では心の困難を排除出来なかったが、しかし心の困難に立ち向かう火種程度には十分になってくれていた。
いずれにせよ、悲嘆に暮れるのはこれぐらいにしておくべきだろう。切り替えの出来ないハンターは早死にしてしまうのだから。
「……行くか」
そう呟き、レナードは早速教官の元へと向かっていった。
◇
時は少し遡る。レナードが教官と自宅で話をしていた頃、酒場でネコニャーは竜人族のお姉さまと共にいた。
「い、いったいぃ、ニャーはどーすればいーのかみゃー……」
「そうね、一体どうすればいいのかしらね……」
自らの敬愛する家族の苦しむ姿を見ていたがいたたまれずに家を飛び出し、村の中を彷徨う内に酒場で腰かけていた余裕のある経験豊富そうな同性の女性と出くわした為に、彼女へ思いのたけを大の男が飲むようなジョッキに入れた酒の力も借りながらぶちまけていたところであった。
「アナタ、ネコニャーって言ったわね……? 本当にアナタは、彼の為に力になりたいのよね」
「そーみゃー……ニャーはいつらってごっしじんさまのころを想ってるぅんらみゃー……」
「力になる為なら、どんなに辛く苦しい事だってやってのけるのかしら……?」
「当ったり前みゃー!」
人間に比べ遥かに小柄なアイルーであるネコニャーが、大きなジョッキを両手で高々と掲げながら力強く宣言するその様子を、竜人族のお姉さまはどこか微笑ましく見つめる。
(この健気で愛くるしい子猫ちゃんの力になってあげたいわね……)
普段は権謀術数渦巻く大都市で過ごす彼女にとって、ネコニャーの清々しい心根は砂漠で味わう一滴の清涼水の如く感じられていた。
「――なら、言いなさい。無責任に、励ましの言葉を」
「……みゃ?」
どこか神秘的な雰囲気と共に紡がれていく言の葉は、酒に侵されたネコニャーの頭へ徐々に浸透していく。
「無遠慮に、明け透けに。まるで馬鹿みたいに励ましの言葉を言うの」
「…………」
「不幸にも……彼の心の傷は目に見えない。どれだけ言い募ったって足りないくらい。だからアナタはただひたすらに、自らを傍から見れば何も解さぬ道化と知りつつも、その言葉を言うのよ。幸い……どんなにアナタがその言葉を吐く事で傷付いたとしても、傍目には分かりはしないのだから」
「…………」
「全ては彼の為に。彼の心を、背中を再び押す為に。それは、それこそが武器を持てないアナタの戦いなのよ。……少しばかり、彼らハンターのものとは形は違うけれど、ね」
話し終えた後、ネコニャーの顔は、何か決意に満ちたような表情を浮かべていた。
「ミャー……お姉さん、お話聞いてくれてありがとミャー! ニャーはちょっと行く場所が出来たから、ここらへんで失礼させてもらうのミャー!」
慌ただしくどこかに駆け出すネコニャーの背中に、ヒラヒラと手を振り見送る。
「……これで良かったのかしら、ね」
何も出来ぬと嘆く一匹の少女に、何でもいいのだ、何かやるべき事を与えはしたものの。人の心を癒すというのは、酷く困難な課題と言えるだろう。形が無い分、体の傷よりも尚性質が悪い。割と少なくない確率で、現状維持・ないし悪化する可能性も十分に考えられるのだ。
それでも、何とかなってくれるのではないだろうか。彼ら若者たちを見ていると、何故かそんな気分になってきてしまう。
ともあれ。
今はただ、愛用の赤く塗られた盃(直径1m)を用意し、ほんの少し溜まる(大ジョッキ数杯分)程度に酒を注いでいく。既に叡智を蓄えた年長の女性から唯の酒飲みへとクラスチェンジしていた竜人族のお姉さまにとって、脇にいたパティの引き攣った顔など見える訳も無いのであった。
◇
「ハアッ……ハアッ……!」
荒い呼気は誰の物か、あるいはその場にいる全員の物なのか。
渦巻くように舞い踊る砂粒の大群が、隙あらば口内から体の内へと入り込もうと試みてきている。口元を布で覆っていなければ、彼ら四人は間違いなく砂に溺れて溺死していただろう。今の彼らはそれ程までに姿勢を崩し大きな口を開け喘ぐように呼吸を繰り返し、そしてそれはそのまま疲労の度合いの大きさを指し示していた。
「クソッ……前が見えん……!」
苛立ったようにレオンが乱暴に目元を擦る。
砂塵対策は口元だけでは無い。目元を覆っているのは分厚いモンスターの水晶体で出来たゴーグルである。風によって結構な勢いで吹き付けてくるので、あるいはそれが無ければ失明していたかもしれない。
クシャルダオラとの戦いは、ひどく一方的な物となっていた。
と言うより、戦う以前の問題となっていた。何せ戦う以前に、クシャルダオラの敏捷さに姿を捕捉し続ける事すら出来ないのだ。時折こうして動きを止めこちらを観察するかのようにしている時があり、本来は攻撃のチャンスなのだが、その時間を利用して一息つく事に費やさねばならない程に四人にはその余裕が無かった。
何しろ悠然と佇むクシャルダオラと相対しただけで、本能が刺激され今すぐ逃げ出したくなる衝動に見舞われるのだ。
それを意志の力でねじ伏せ、その場に立ち続ける。それがどれ程までの重労働か、大した動きもしていない時から息を荒げる四人を見れば一目瞭然であった。
古龍の秘める桁外れの存在感は、彼ら本来の実力を発揮させない事にも一役買っていたという事だ。
何せ常に目に見えぬ重圧に絶えず苛まれる事となるのだ。実力の足りない者では、まるで泥の中で足掻くかのような鈍重な動きとなってしまうだろう。
それでも彼らは良くやっていた。即席パーティで相手が古龍である事を考慮に入れると、賞賛に値する戦果を挙げていると言ってもいいだろう。天災の具現と称される古龍と相対してからしばらくの間が経つにも関わらず、未だ彼らに死人はもちろん重傷者すら一人も出ていないのだから。
例えそれが全員が疲弊しきった状態で、これまでに一太刀たりとて有効な攻撃は与えられていないとしてもだ。
「こんなヤツを撃退しちゃうなんて……」
「鼻が高くなるか、頭が下がりますかね……」
「天に昇っちゃうかもしれないわよ?」
「無駄口はそこまでにしておけ。――潮時だ、最後の攻勢に出るぞ」
丹田に力を籠め、真っ直ぐに相手を見やる。セイディとベルもまた、少しでも心を落ち着ける為の儀式的な意味合いを持つ軽口を取り止め、お互いをカバー出来る位置に着く。やや離れた位置にある高台にいるジャニスもまた、随時こちらを確認している手筈となっている。レオンは言葉では無くハンドシグナルで彼女に攻勢にでる旨を伝えた。
返答は、クシャルダオラへ向かう無数の弾丸であった。
使用されている弾丸は通常弾だ。間断なく撃ち込まれていくが、いずれも周囲に渦巻く≪風の鎧≫によってあらぬコースへ逸れたり、弾速を軽減され鋼の甲殻に阻まれる。
だが問題は無い。これもまた、作戦の内である。
再三の射撃に鬱陶しがったクシャルダオラは、遂に高台のジャニスの元へ首を向け真っ先に始末しようとする。
その間断なく滑らかに宙を翔けていく動き、そして一瞬の内にレオンと高台の中間付近にまで移動出来るその速度は、正に風を翔ける龍。≪風翔龍≫に相応しき身体性能であった。
「……今っ!」
高らかに、夜の砂漠に≪角笛≫の音色が響き渡る。
吹いたのはレオン、この中で最も防御力が高いという理由での立候補であった。無論、言葉通りの意図では無い。
角笛は特殊な音色によって、モンスターの注意を惹く代物だ。古龍とて生物は生物、目の前の排除しようとしていた対象に苛立ちを込めながらも、それより強い効力で敵を引きつける。
(そうだ、存分に迷え……その迷いの数だけ、オレ達が攻撃出来るようになるのだからな)
レオンが引き受けた役目は非常に危険な役目であった。何せ囮なのだ。天災を凝縮したような埒外の存在である古龍相手にその身を晒すのだ。
(それでも奴はやってのけた……。攻撃役も盾役も支援や回復役も全てを独りでこなしやがったんだ……)
ならば自身がこなせぬ筈が無い。立派に囮役をこなした上で、奴の鼻っ柱に一撃を加えてみせる。彼が持つ得物は今回の切り札と呼んでも差支え無い物であった。
かつて狩り場にて採掘をしていた際に偶然手に入れた古代の武器、銘を≪エンシェントプレート≫と言う。発掘当初は≪凄くさびた大剣≫であったこの武器を実用可能なレベルにまで持って行くには、研磨剤として活躍してくれる≪大地の結晶≫が馬鹿げた数必要となってくるのに加え、もう一つ必要な素材があった。現在の知識では解明不可能な効果を得る≪古龍の血≫である。貴重な研究材料であるこれを古龍観測所の一員である竜人族のお姉さまが相当な無理をして用意してくれた為にようやく真価を発揮し、今回の対クシャルダオラに持ってくる事が出来たのであった。
原理は一切解明されてはいないが、竜や龍に一定の効果がある為に便宜上ギルドが≪龍属性≫と名付けた力が込められているこの武器ならば、十分にダメージを与えてくれる筈なのだ。
「……来るぞッ! お前らオレの後ろに隠れろ!」
「ベルさん、私の後ろに!」
「ええ!」
クシャルダオラの顔を中心に殊更風が渦巻き始めたのを見て、レオンはブレスが来ると看破しセイディとベルを大剣を盾とした自らの後ろに回らせる。セイディは剣士であり、受け流す為とは言え小型の盾を手にしている。よって、レオン・セイディ・ベルの順番に一列で並び被害を最小限に食い止めようとしたのであった。
「ぐ、ウウッ!?」
「ああっ!?」
「くっ……散開!」
クシャルダオラのブレスは一直線に飛んでくるとは言え、例えばリオレウスの放つ火球に比べれば範囲が遥かに広い。その為軽減されたにも関わらず、身に纏う防具がザクザクと削られ斬られていく。少なくない擦過傷を帯びながらも、レオンとセイディに守られていたが為に最も無事なベルが一塊になっていた状態から三方に散る為に掛け声をかける。
「いっけぇえええっ!!」
左にベルが駆けていき、ガンナーにしては近い距離から≪毒弾≫を可能な限り連射していく。右にはセイディ、同じく手には毒が塗り込まれた投げナイフを所持してあり幾分散らすように投げつけてある。
高台にいる為に高低差から射線が被る心配の無いジャニスもまた、遠慮のない撃ち方で毒弾を撃ち込んでいく。
クシャルダオラを取り巻くランダムに吹きつける強烈な風、ガンナー殺しの≪風の鎧≫は結局のところ何の変哲も無い風速が速いだけのただの風である。三方向から、しかも敢えて散らすように攻撃が与えられる事によって決して小さな体とは言い難いクシャルダオラの体のどこかしらに当たってくれる。そして当たりさえすれば、甲殻より浸透していきかの古龍の体を確実に蝕んで行ってくれるのだ。
セイディが見たところ、既に毒弾が数発に加え毒ナイフ一本がクシャルダオラの体に命中していた。だが未だ表面上は毒の気配が出ていなかった。
(ううん、違う……確実に効いてる……!)
見れば、渦巻く風の鎧は先程までと違い僅かに弱弱しいものに変わってきている。持ち前の卓越した洞察力によって、セイディはその事を看破していた。
ここでセイディは賭けに出た。分の悪い賭けだ。残りの毒投げナイフは僅かに一つ限り、この一つを当てればきっと風は止む。
今このタイミング、ベルや他の仲間に一々伝えていればその間にクシャルダオラは体勢を立て直すだろう。現に今、クシャルダオラは飛び立とうとしているように見えた。四肢に力を込めたそれは、今までの中では見せなかった動きだ。
ならば多少の危険は承知の上で、当ててみせる。今までになく接近を試みる。
『セイディ……良く聞きなさい。モンスターを狩るときにはね、常に自分や仲間の身の安全を最優先に考えるんだ。行けるか行けないか、少しでも迷うなら行ってはいけない。分かったね?』
(ごめんね、お父さん……でもきっと、今は行く時だと思うから!)
『セイディ……これはあくまで目安で、確定情報じゃない。話半分に聞いとけ、いいな。……ヤツが毒になるのは毒ナイフ4本分だ。だがこれを根拠に行動する事は止めろ。絶対、止めろ。まぁ、とにかく。よーくアイツの様子を見とけ、そんで変な動きしたらなりふり構わずケツ捲って逃げ出せ。命あっての物種だからな、安全第一。ベルとかにも言っといてくれ』
(師匠……すみません。でも自信なさ気に言ってましたけど、師匠の言ってた事は正しかったですよ。きっと、後一撃でクシャルダオラの≪風の鎧≫は剥ぎ取れます……!)
狩りの上で自らの恩師である二人に、胸中で謝罪をする。確実性を高める為に必要以上に接近をするなど、二人の教えと真っ向から反する行為だからだ。
でも、だからこそ。この一撃は届かせる。きっと届かせてみせるのだ。
「届け――」
辛うじて、ナイフは投げる事が出来た。最後まで言葉に出来なかったのは、突如横合いから強い衝撃を受けたからだ。
(……え)
強い力で不意を突かれた為に、マトモに受け身を取る事も出来ず無様な様子で砂へダイブをしてしまう。慌てて身を起こしながら振り向いた時、一瞬前までいた場所は景色が変わっていた。
先程より5m後方へ離れた場所にいるクシャルダオラ、未だ残滓残る一帯に渦巻く風。
そこから導き出される答えは一つであった。
(……さっきのあの見慣れない動きは、逃げ出す予兆じゃ無くて、ブレスを吐いた勢いで後ろに下がる物だったんだ)
あのままそこにいたならば、完全に不意を突かれたセイディは全身ズタズタにされて死んでいた。
だが、だとすれば。
自分が直前までいた場所に立っている者は、一体どうなるというのか。
「れ、レオンさん……!」
「グッ……。フッ……オレの見せ場を取るんじゃ、ないッ!」
二種類の薬品を口にしながら、それでも背筋を伸ばしレオンは喋る。言うや否や、レオンは前方へと駆け出していく。口にしていたのは回復薬の類では無い、何故なら飲んだ後も一切傷が癒えていないのは、誰の眼にも容易に見て取れたからだ。盾にしたエンシェントプレートの力によってブレスの威力が弱まったと言っても、レオンの見た目は既にズタボロであった。≪ハンターシリーズ≫程度では、弱まったとはいえ古龍のブレスに耐えられる訳も無い。
肉体とても、防具と同様にボロボロだろう。それでもレオンは前へと進み、振り抜かれる凶爪を辛うじて躱し、そして全身の力を振り絞るかのようにエンシェントプレートを振り抜いた。
「……駄目! レオン、今のキミじゃ……!」
何も根拠の無い発言では無かった。
今まで奇跡的に何度かあったチャンス、そのいずれもレオンの攻撃はエンシェントプレートの力を借りて尚≪風の鎧≫に阻まれ届きはしなかったのだ。怪我の無い状態でそうなのだ、今のボロボロの状態でどうして貫けようか。故の悲鳴。故の叫び。
だがジャニスの悲鳴染みた叫びは、最後まで口に出される事は無かった。予想を覆す光景が、彼女の悲観の籠った予想図を断ち切ったからだ。
そこには弱まった風の鎧を遂に切り裂き、クシャルダオラの額にその刃を叩き込んだレオンの図があった。
『グルオッ……!』
角は、叩き折れる事は無かった。しかし、クシャルダオラの周囲に渦巻く風の鎧は完全に消失していた。
何故レオンが≪風の鎧≫を貫く事が出来たのか。ここに来て、二つの要因が功を奏した。
一つは、先程から行っていた毒が完全に回りきった事。そしてもう一つはレオンが直前に飲み込んだ薬品にカラクリがあった。
レオンが飲んだ薬品の名前を≪鬼人薬グレート≫と≪怪力の丸薬≫と言った。共に人間離れした力を発揮させる不思議な力を秘めた薬品を同時に飲む事で、ほんの僅かな時間だけレナードに比する力を、古龍に通用出来るだけの力を得たのだ。惜しむべくは対となる≪硬化薬グレート≫と≪忍耐の丸薬≫を飲めなかった事か。≪鬼人薬グレート≫と≪怪力の丸薬≫は行商人の婆ちゃんより購入した代物なのだが、あまりにも希少な薬故に対となる二つは手に入れる事が出来なかったのだ。それらをも同時に飲む事で常軌を逸した怪力による反動を和らげる事が出来ていた筈なのだが、無い物は仕方が無い。使用による反動には目を瞑らねばならなかった。だが、確実に大きな隙は生まれてしまうだろう事は明白だ。故にレオンは、狩りが終わりに近づいた上でここぞと言う時に使用すると決めていたのだ。
疑うべくも無く、今がその時であった。
頭部に受けた強い衝撃と毒によってまるで酩酊でもしたかのように一瞬だけフラついたクシャルダオラは、その強靭な鋼の翼を大きく広げ羽ばたかせどこかへ飛び去っていく。
「むゥ……!?」
「……! レオンさん!」
古龍を追い払ったという事実に茫然としていた一行を現実に引き戻したのは、レオンが呻きながら倒れた為であった。
◇
「ふむ……辛うじて、ではあるが。武器を持っても怯え竦まぬようになった、か。良かったではないか、ひとまず祝辞を述べてやろう。おめでとうございまーす!」
「……ありがとう、ございます」
どこか惚けた物言いに、釈然としない表情ながら一応レナードはお礼を言う。
レオン達が砂漠から戻って来たのはそんな時であった。凱旋と言うには、悲壮な様子を纏いながら。
「そこ退くニャ!」
「場所を空けろ!」
四人は全員が全員、体の何処かしらに包帯を巻いており防具も傷ついていた。中でも酷かったのはレオンだ。全身に赤く染まり切った包帯をグルグルと巻かれて荷車に横たわった姿は実に痛々しい。向かった際は手入れの行き届いていた筈の防具は既に襤褸切れの如くズタズタに引き裂かれていた事も、それに拍車をかけていた。
死闘を繰り広げてきた、そんな様子が容易に想像つく姿であった。
「レオン……」
駆け付けたレナードが、弱々しく声を掛ける。複雑な心境が胸中を駆け巡り、どう接していいか分からなかったのだ。
「グ……」
「あーもー、駄目だよレオン! 死んだっておかしくない大怪我だったんだよ!? 回復薬だってそう使えないし……」
ジャニスが慌てた様にレオンを寝かせようとする。回復薬の類は服用者の自然治癒力を高める効果がある訳だが、当然だが死ぬ一歩手前な大怪我の状態から大量に服用して無理やり回復させようとすると、副作用として命に係わるレベルの強い倦怠感が生じたりする。
生き死にのかかっている狩りの合間であれば、異常な環境下で興奮状態にある事からある程度は無視してしまえるのだが、今は平常時。多少ゆっくりとはいえ、薬草から作られた塗り薬を傷口に塗り、気を活性化させて安静にする程度の事しか出来ないのだ。
ガラガラと騒々しく車輪を鳴らしながら遠のいていくのを、レナードは黙って見る事しか出来なかった。
◇
「ふぅ……」
家に帰り、心底疲れ切った表情でレナードはベッドに腰を下ろす。
「…………」
ギリギリと、両手を握り締めて見つめる。特に意味は無かった、ただ何とかPTSDを克服したいだとかレオン達の姿を見て居た堪れなくなったりだとか、そういう想いがレナードの心の中でごちゃ混ぜとなってしまい、自分でも何をしているのか分からなくなっていたのだ。
疲れた。その表現は、乾ききった老人を思わせる今のレナードを端的に表現していた。心労が重なると人は無気力無感動となり、何もしたくなくなるのだ。それはあたかも、体力を失い体を動かしたくなくなるのと実に似通っている事象と言える。
疲れた心に、誰もいない部屋の静けさが染み渡ってくる。
こんな時に限って、いつもは騒々しいぐらいの同居人も家にはいない。
(見限られたか、な……)
悪い方へ悪い方へと想像は続いていく。
レナードは、思わず俯きながら暗い笑みを浮かべてしまった。
「師匠……」
「レナード……」
彼女達が家にやってきたのは、そんな時であった。
「……よ、二人とも」
軽傷ながら包帯を巻いた二人を見たくは無くて、返事をしつつも後ろめたさから目をそらしてしまう。巻かれた包帯の数だけ、レナードが動かなかった事への罪が積もったように感じたのだ。
「思ったより、軽傷そうで安心したぞ……」
「……うん。レオンがね、一番先頭で私達を身をもって守ってくれたから」
「……そうか。こんな事になってる俺とは大違いだな」
「そんな事! ……そんな事、無いですよ」
自嘲的な笑いを浮かべるレナードに、憤りを覚えた様にセイディは声を荒げる。
先程から、どこか空々しい空気が三人の周りを漂っていた。そんな空気を切り裂くために、セイディとベルの二人はどちらともなく互いに見つめ頷きあう。
「……聞いて、レナード。竜人族のお姉さまからさっき知らされたんだけど、クシャルダオラが根城にしている所が見つかったって」
「……≪雪山≫、だろ?」
「……! 知ってたの!?」
「いーや、分析の結果って奴だよ。……それで良いだろ、何でも無い戯言さ。何もかも、戯言だったんだ」
先程とは違い、どこかやさぐれたように言う。そんな優れた分析力を持っているというのに、どうしてどうでもいいような態度を取るのか……。真実を知らないベルには、レナードが根城を知っていた理由の真実も、やさぐれた態度で言った真の理由も想像だに出来ない。
「実際の古龍の強さも知らないのに、村を守るなんて大見得を切った。そんな戯言を信じて、村の皆は今傷付いてる」
「師匠。……逃げましょう」
「――何言ってんだお前、そんな事出来る訳無いだろう」
返る言葉は予想通りながらも、呆れた風では無くどこか気色ばんだ様子なのは、心のどこかでその選択肢に抗い難いものを感じていたからだろう。
気色ばむというのはそれだけレナードに責任感や常識的な善の心を持ち合わせている証左でもあるが、同時にそれだけ心が傷ついているという事でもあるのだ。
「見捨てる訳じゃ、ありませんよ。幾つかに分かれてしまえばいいんです……お二方の故郷だって、私の故郷だって10人ぐらいずつなら住めますし、伝手を辿って大きな街に向かう人だって――」
「止めろ! ……もう止めてくれ。その話は何度も議題に上がって却下された話だ。……俺が、却下したんだ」
一人でも死人が出てしまう危険がある手段は嫌だと言って、古龍との真っ向勝負を挑んだのはレナードが強く周囲の人間を説得した為だ。
頭を抱え、もう聞きたくないと駄々をこねるように首を振るレナード。そんなレナードを、二人の少女達は左右からそっと優しく抱き締めた。
「辛かったんだよね……自分が皆を辛くて険しい道に誘っちゃったんだ、って。苦しかったよね」
ベルの柔らかみを失わない手のひらが、レナードの固く碌に手入れのされていない髪を優しく撫でていく。
「でも、大丈夫ですよ。私達は、皆自分が選んで道を進んでるんです。師匠に選ばさせられた訳じゃありません。……だから、師匠が責任を感じる事なんて何にも無いんですよ」
セイディは背を摩る。それは病人か老人にするような手つきで、ひどく慈愛に満ちた行為であった。
「…………」
レナードの心の中で、何か凝り固まっていたものが解けていくような、そんな不思議な感覚が起きた。暖かくも、むず痒い。すぐさま止めてもらいたくなるような僅かな羞恥心とは裏腹に、もう少しだけ続けて欲しくなるような。そんな感覚。
だが、面と向かってそんな事を言える筈も無い。レナードは俯いたまま二人の肘の辺りをキュッと握り、無言の催促を行う。見合わせた二人の顔に微笑みが浮かぶのは必然の事であった。
◇
「迂闊……」
暫しの間、至福の時間を十分に堪能したレナードは自らの行動を顧みてげんなりとしていた。それでも足がこの先へ向かってくれるのは、さっきのあれで心の力を幾分回復出来た為だろうか。真摯に自分の事を考えてくれていた二人の事を想い、レナードは先程よりも自然に笑みを浮かべる事が出来てきていた。
「遅いぞ」
「悪かったな」
赴いた先は、全身包帯姿にも関わらず立ち上がり仁王立ちをしているレオンの元であった。セイディから、「そういえばレオンさんが言いたい事があるって言ってました」との言伝を聞いたからであった。
「だーかーらー、重傷なんだから寝てなさいって言ってるでしょ!? 30分以上前からずーっと立ちっぱなしなんだよ!? 何でいう事聞いてくれないかなーもー!」
「……あぁ、と。悪かったな」
言伝をすぐに伝えなかった馬鹿弟子が最大の原因とはいえ、自分にも責任はある。どこか間の抜けた一陣の風が辺りを吹き抜けた。
「いい……目の前の阿呆に、言わなきゃならない事もあるんでな」
「……何だよ」
訝しげに問い返すレナードに対し、レオンは眉根を寄せつつ手招きをする。
(そんな顔するんなら、呼ばなきゃいいだろ……)
そう思いつつ無警戒に近寄るレナードに対し、レオンは握りこんだ拳でレナードの頬を強かに殴り倒した。
「いっ……てぇな! 何すんだ!」
不意を突かれた為に、それ程の威力では無かったが地面に伏してしまう。だが痛い事は痛いのだ。苛立ちを露わにしてレオンへ向けて文句を言おうと身を起こす。
そこには、傷口が開いたのか全身を血で真っ赤に染め上げたレオンがいた。立っているだけでも激痛が体を蝕み辛いだろうに、レナードと目線を合わせて仁王立ちをし続けている。
「――いつもだろうが」
「……なに?」
厳かに述べられた言葉は、それだけでは意味を成さず。
「オレ達ハンターは! いつも人間よりも強靭なモンスター達を相手に狩りをする! ……そんなモンだろうが! 万全の状態で狩りに出られる事だって多くは無い、不利な状況で出なければいけない事もあるだろう。それでもその中で今の自分に出来る事を、己が最善を尽くしていくしか無いと言うのに――それを今更、何を少しばかり強いだけの奴が出てきただけで、ビクついてるんだお前はッ!!」
続く言葉にはレオンが歩いてきた今までのハンター人生の道のり、それに対する万感の思いが込められていた。
「……何も知らないでっ! 俺は!」
レナード自身、自分が何を言いたいか分かってはいなかった。ただレオンの言葉に引っ張られるように纏まらない言葉を重ね、ただがなり立てるようにレオンへ向かって吼えていく。
「初めてだったんだよ……初めて、迫力も、力強さも何もかもが俺より上で、遥かに上で……コイツには勝てないって思わされる程の威圧感が、未だに目を閉じると浮かび上がってくるんだ……」
その泣きそうな幼児のような情けない様子は、普段の常に落ち着いていたレナードを見慣れていた周囲の者からすれば驚愕を禁じ得ないものであった。
「――オレも、初めてだった。オレより優れたハンターに会った事はな」
短いながらも感情をぶつけ合い、相手を理解出来たからだろうか。普段と比べても尚どこか優しげな声音でレオンが語りだす。
「そんなお前が。あくまで現段階では、だが……オレより優れたハンターであるお前が、こんな所で燻っているのは見たくはない」
「見たくないって、オマエな……」
「フッ……四人掛かりではあるが、オレも風翔龍を退けたぞ。お前と違ってこのザマだが、撃退を成し遂げたんだ」
「……そうだな」
「この剣を、お前に託す」
無造作に、押し付けるようにレオンが差し出したのは≪エンシェントプレート≫であった。
「お前……これって」
「奴を撃退するのに、この剣は大層役立ってくれたぞ。奴に手傷を負わせ、盾にすれば僅かに力を減衰させてもいた」
「いやそうじゃ無くて! ……使っていいのかよ、大事なモンだろ」
「お前……まだクシャルダオラは倒せていないんだぞ。武器はどうするつもりなんだ」
「……いや、それはだな。アイツは状態以上に弱いから、適当な状態異常がある片手剣を作ってもらって――」
「……違うだろう。お前の得物は大剣だ、お前が一番強く在れるのは大剣を手にした時だろうが!」
曖昧に濁した言葉を遮り、レオンの言葉がレナードの心を揺する。
「オレがこの剣を手にして、奴を撃退出来たんだ。ならば、オレより優れたお前が持てば必ず討伐する事が叶う筈だ。……あくまで優れているのは今だけ、だが」
顔を背けながら述べられたその言葉を聞いてからレナードは、レオンが差し出すエンシェントプレートが、単に『属性の相性が良い武器』という認識からもっと違う大きな『何か』が込められているような気がしてならなかった。
僅かに躊躇い、そしてしっかりとその手で握りしめる。
「ああ……良く手に馴染む。あんがとよ、レオン。必ず、コイツであの古龍を討伐してやるからな。ま、後は安心して寝てろ」
返答を待たず、レナードは既にいつものどこか飄々とした様子で家に戻っていった。その様子は傍から見れば、最早何の影響も感じられないレナードにしか見えない。二人の会話を聞いていたジャニスはホッと一息吐いた。
「良かったねー、レナード君。元気になったみたいで」
「……一手、足りなかったか」
「え、どういう事?」
「いや、もうオレに出来る事も無い。フッ……最早、奴を信じるしか無いか。……業腹だが、な」
「だからー、どういう事なのー?」
その後何度ジャニスがレオンに問い掛けても、沈黙のみが返ってくるだけであった。
◇
数日後、道具の補充に武具の修繕と準備は整った。レナードはクシャルダオラ討伐の為にジャンボ村より北方の、クシャルダオラが根城としている≪雪山≫まで向かう事と相成った。
その堂々とした立ち姿は、以前武器を持っただけで吐いていた姿とは雲泥の差である。落差が激しいだけに、余計に村人達が沸き立つのも無理は無かった。
復活したレナードの出陣に対し作業を中断し村人総出で見送る姿は、実に壮観なものと言える。
その中には、心配そうに胸元へ手をやるセイディやベルの姿もあった。まだ傷が治りきっていない事を理由に、苦渋の決断ではあったが同行しない事となったのだ。全快の状態であっても、おそらくは脚を引っ張ってしまう。古龍との戦いにおいてそれは、様々な援護射撃という利点を差し引いたとしても、あまりにもデメリットがメリットを上回り過ぎていた。
そんな彼女達に気に病むことは無いと肩に手を置き励ました村長は、ふと目を惹かれ酒場の方へと向かう。比較的珍しい組み合わせである、竜人族のお姉さまと教官が二人並んで立っていたからだ。
「いやー、後から聞いたが乙女の抱擁に好敵手の叱咤! 緩と急の両面からの激励、遂に奮起した英雄は強敵の元へと赴く……素晴らしい筋書きだ、正に英雄譚にでも出てくる展開じゃあないか! これで復活しなけりゃ、嘘だな!」
「……ええ、ほんとにね」
返された相槌に不信感を覚える事も無く、村長は別の場所へと落ち着きなく走り去ってしまう。その為、次に続く、険しい表情を浮かべた教官の言葉を聞き逃してしまったのであった。
「――本当に、そうだったら良かったのだが……な」