鈴後、霜月家屋敷にて。
「一体おでん様は何をお考えなのだ!?」
霜月家現当主である霜月牛マルは、焦燥感のままに文机を拳で叩いた。
オロチの悪行を野放しにし、裸踊りを繰り返す『九里のバカ殿』ことおでんの乱心は、在りし日の豪傑振りを知る者達からすれば信じられない蛮行であった。
そしてこれを呼び水にするかのように、ワノ国に次々と良くない出来事が起こりだした。
つい先日、彼が統治する鈴後に位置する『刀神様』の祠が荒らされたと部下から報告が上がり、それにより偉大なる先祖、『霜月リューマ』の遺体と国宝『秋水』が盗まれてしまったのである。
これを凶兆と呼ばずしてなんと呼ぶか。
このままではワノ国は終わる。
牛マルの中では、そんな確信めいた予感があった。
なんとかしなければと頭を抱えていると、
「う〜」
そこへ一人の赤ん坊が、ヨタヨタと覚束ない足取りで歩いてきた。
白い髪に赤い目を持つその子は牛マルのそばまでたどり着くと、甘えるように彼の膝に上半身を乗せる。後方には牛マルの相棒である狐のオニ丸が鎮座していることから、おそらく彼がここまで運んできたのだろう。
「おお……すまなかったな、驚かせてしまって」
赤ん坊の前で晒してしまった自身の醜態を恥じ、牛マルは穏やかな笑みを浮かべながら抱き上げた。
この子は数年前に霜月家を出奔した息子の子供……つまりは牛マルの孫に当たる。
横暴を続けるオロチを見かねた牛マルは、打開策を見いだそうとした末に、息子を連れ戻して表向きのワノ国の将軍に据えることを企てたのだ。
オニ丸とともに僅かな手がかりから息子の行方を探し続けた末、険しい山奥の小屋に一人の娘を嫁にとって一緒に住んでいるとの情報を得た。
訪れてみればその山は………カイドウが建設した工場からの汚染物質のせいで、数カ月前から木々が枯れ雑草すら伸びていない有様だった。
それでも存命していることを祈りながら周辺を探してみれば、真っ赤な血飛沫を浴びた岩を見つけた。
血の渇き具合からまだ新しいものとわかり、よくよく見ればそこから滴り落ちたものが点々と続いている。
嫌な予感が脳裏を過ぎりながらも血の跡を辿っていけば、遠くから赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。血の跡と声を頼りに先に進み、やっと探し当てた先にあったのは一軒のあばら家で、泣き声もそこからしていた。
そっと入口から中の様子を伺ってみると、息子夫婦はすでに息絶えていたのだ。
父親は獣にでも襲われたのだろうか、背中には大きな爪痕が痛々しく刻まれ大量の血を流している。
母親と思われる女性も痩せこけていて、夫の亡骸に寄り添うように横たわり餓死していた。
その母の腕の中で、生まれて間もない赤ん坊が泣きながら、血に染まった唐草模様の果実を貪っていた。
赤ん坊の髪と目は母親に似ている。
恐らく父親が妻子のために食料を探したのだろう。
いつ死んでもおかしくない深手を負いながらも妻子への想いを支えに、彼はここまで歩きそして力尽きたのだ。
そして母親ももはや自分が長くないと悟り、夫が持って来てくれた食料を全て我が子に食べさせたのだ。
赤ん坊も親の意思を察したのかもしれない、歯も生え揃っていない口でえづくのを堪えながらも懸命に咀嚼している。
足元のオニ丸が赤ん坊に駆け寄って、頬を流れる雫を優しく舐めとれば、赤ん坊は泣き止んでオニ丸の顔に抱きつく。
次いで牛マルが家の中に入れば赤ん坊は彼の気配に気づき、大柄かつ強面の姿に怯えてか再びぐずりだす。
そんな赤ん坊を見て、牛マルはなるべく優しく抱き上げる。
『すまなかった。もっと早く見つけてやれば、お前の父と母を助けられたやもしれなかったものを………』
赤ん坊が不思議そうに牛マルの顔を覗き込んできたので、彼は穏やかな笑みで返す。
『私は、お前の祖父だ』
その後、牛マルは息子夫婦の遺体を霜月家屋敷に運び、先祖代々の墓へ夫婦揃って丁重に弔った。
孫は大分痩せてはいたものの、武芸に秀でた霜月家の血を引いていたおかげか、使用人達の懸命な看病で瞬く間に元気になっていき牛マルは安堵したという。
だが引き取ってから1週間後のことだった。
その日、外回りから戻ってきたばかりの牛マルに、血相を変えた使用人が駆け寄ってきてこう言った。
赤ん坊が鬼の姿に変じた、と。
使用人に案内された牛マルが赤ん坊の部屋に向かえば、そこにいたのは小さな異形であった。赤い目は六つに増え、骨のように硬い顔と、左右非対称の白い大きな二本の角が頭から伸び、胴体部分は赤黒い肉繊維が剥き出しになっている。唯一、おしめの色からその異形が孫であると気付いた牛マルは驚愕に目を見開く。
使用人達は恐ろしい姿の赤ん坊に震えていたが、縁側から顔を覗かせたオニ丸がトトトと歩み寄り、その顔に頬ずりすると異形の姿が元に戻る。
その力に既視感を抱いた牛マルは、使用人に命じて倉庫に置いてある海楼石の破片を持ってきてもらい、赤ん坊の手に持たせてみれば、赤ん坊ははいつくばったまま動かなくなった。
それを見て牛マルは、やはりと確信する。
この子は、オニ丸と同じ力を持っていると。
そのようなことがありながらも、牛マルは息子の忘れ形見である孫を可愛がった。
赤ん坊を表向き平民から引き取った養子としながら、オロチの目から隠して健やかな成長を見守っている。
「大丈夫だ、必ずお前が物心つくまでに全てを終わらせる。だからお前は元気に育つことを第一に考えるのだ」
牛マルが頭を優しく撫で、傍らに寄ってきたオニ丸があやすように頭を押し付ければ、赤ん坊はキャッキャッと笑いながらじゃれるのだった。
「強くなれ、武御雷」
ドンッ
霜月家養子(牛マルの実孫)。
霜月武御雷。
同時刻。
『光月家お庭番衆』の隠れ里では、里の有力忍者達が
円陣を組んで話し合っていた。
議題は主である光月おでんについてだ。
「どうする?」
「もはやおでん様は気狂いに成り果ててしまわれた。我らも今後の身の振り方を考えねばなるまい」
代々光月家に仕えてきた忍者といえど、ここ最近のおでんの愚行に危機感を抱かずにはいられない。大多数は今のうちにオロチに鞍替えするべきではと考えているが、光月家お庭番衆の頭たる山切丸はどうしても首を縦に振れなかった。
盟友である雷ぞうを通しておでんと交友のある彼は、元来義理堅い気質なためか見捨てたくはなかった。
「せめて、我々に事情を説明してくだされば………」
「頭、今更そんな甘い考えでどうする。そもそも卑劣な雷ぞうが贔屓するような男に、期待するだけ無駄なのだ」
吐き捨てるように言うのは、異様に頭部と耳朶の長い男だ。
「副ロクじゅ、お主まだ雷ぞうを……」
かつては雷ぞうと並ぶ未来ある忍と期待されていた彼は、妹を亡くしたあの日から性格どころかすっかり人相まで変わってしまった。
以降もああだこうだと未だ答えの出ない話し合いを続けていると……
「あっ、あう」
その場に響いた高い声に一同の視線が集まる。
見れば紺色のべべを着た赤ん坊が、自分達がいる座敷に通じる襖の隙間から滑り込んできていた。
「お前……!」
その子は半年前に産まれたばかりの、山切丸の倅だ。
部屋で寝かしていたはずだというのに、起きてきてしまったのか。
「あらあらこの子ったら。ダメよ、ととさま達のお話を邪魔したら」
慌てて母親が駆け寄って倅を抱き上げ、続いて駆け寄る山切丸は廊下を見渡す。
赤ん坊を寝かせていた部屋からここまではそこそこ距離がある。まだハイハイを覚えて間もないこの子が辿り着くには相当な時間がかかるはずだ。
どうにも先日仲間が拾ってきたという妙な果実をうっかり口にしてから、動きが早くなったように思える。
山切丸が妻から倅を渡され、壊れ物を扱うように優しく抱き上げる。
「よもやこの年で、早くも隠密の才を見せるとは……」
この子は間違いなくこの里の未来を担う忍びとなるだろう、山切丸はそう確信する。
だからこそ、後を託すべき自分達が間違いを犯してはならない。今一度決意を改めた山切丸は我が子を高く掲げる。
「お前は、お前にとって史上と思う主に仕えるのだぞ。
炎雷丸」
ドンッ
光月お庭番衆頭、山切丸嫡男。
炎雷丸。
建やん(なんかじいちゃん最近焦ってるな。俺もなんとかしてやりたいけど、まだハイハイ卒業したばっかりだしなあ…)
弐式(また父ちゃん達会議してる……。光月の御殿様ってそんなにやばいやつなのか?)