「私はあなたが嫌いです」
テラス席に、支配の悪魔と未知の悪魔が二人で座り浜辺を眺めていた。
結局、吉田ヒロフミと天使の悪魔は支配の悪魔の無言の“圧”により退散してしまった。今更やってきた注文通りのメロンソーダが哀愁を唆る。
「最初にあなたが私の目の前に現れた時、私はあなたのことをソ連がボムを取り戻すために送り込んだ刺客だと判断しました。充分勝機があると判断して、私はあなたに戦いを挑んだ……思えばそれが全ての間違いでした」
眼下の砂浜では、混じり合うことのなかった者たちが混じり合って戯れている。
「あなたが“根源的恐怖”の名を持つ悪魔であると気づいた時にはすでに遅く、私の能力は大きく喪われて立て直しは困難な状態になっていました。それなのにあなたは私の放った攻撃を簡単に無効化して、“こちらに敵意はない”と言いましたね」
未知の悪魔は頷いた。確かにそんなやり取りをしたはずだ。
「私は……恐らくあの瞬間、心の底からあなたに恐怖し、屈服したのです。私が今まで積み上げてきたもの全てを差し向けても、敵だと認められることすらなく敗北する。そんな体験をしたのは後にも先にもあの一度きりでした。闇の悪魔に対してすら、あれほどの絶望は感じませんでした」
支配の悪魔の独白は意外なものではなかった。未知の悪魔が支配の悪魔の立場だったら、同じように絶望しただろう。
「しかし、私は恐怖を押し殺して周囲に対してそれまでと同じように振る舞いました。ですが、私の力が衰えていることは紛れもない事実。支配の力が弱まり、日本の指導部への影響力が弱まりました」
マキマは日本の政府高官達の一部を支配していたらしい。それによって悪魔でありながら自由に国家を動かせる状態にあった。
「そこへ来て、部下達が地獄に落とされ殺されそうになりました。私は彼らを失うわけにはいかなかった。それをすれば、私はあなたどころか私を敵視している悪魔達が徒党を組めば倒せる程度の存在に落ちぶれてしまいます」
なるほど。
それが支配の悪魔が自身の危険を顧みずに闇の悪魔と交戦した理由。支配の力が弱まっている以上、彼女は自分の部下という信頼できる人材を失えなかったのだ。
その結果、ますます自分の力を失うことになったとしても。
「結局、彼らを救うことすら出来ず、あなたの力を借りてようやく命からがら逃げ出すことで精一杯……あの一件で、私が弱体化していることは各国に知れ渡ったようです」
情報をリークしたのはおそらくクァンシの仲間の内の一体だろう──と支配の悪魔は付け加えた。
「近く行う予定だった、銃の悪魔の討伐遠征という名の他国への侵略戦争は、私の力が万全であることが前提で計画されたものです。しかし、このような状況になったことで計画は頓挫──戦争は回避されました」
銃の悪魔の肉片を求めていたのは支配の悪魔ではなく日本政府だ。彼らは支配の悪魔に支配されていたが、相応の見返りも約束されていたのだろう。それが白紙になってしまったわけだ。
「アメリカ、ソ連を始めとした銃の悪魔の肉片を所持する主要国家は弱体化した私を泳がせることにしたようです。銃の悪魔は蘇りません。そうなれば、銃の悪魔に対抗するための戦力として期待されていた私の存在理由は薄くなる。近いうちに、私は公安の人間ではなく“討伐対象”の悪魔として扱われるようになるでしょう。日本に私の居場所は無くなります」
支配の悪魔の立場が存続できたのは、複雑な利害関係があってのものだった。その根底には銃の悪魔の脅威があった。
その建前がなくなったのであれば、支配の悪魔はいらなくなる。そういうことだ。
人間たちはハナから支配の悪魔を利用して使い捨てるつもりだったのだろう。支配の悪魔がそうするつもりだったように。
「長い時間をかけて積み上げた私の計画は台無しにされてしまいました。もはや、チェンソーマンを使って良き世界を作ることは、できない」
支配の悪魔はそれまで淡々と話していたが、その一言を発する時だけ、声に僅かな“疲労”と“諦念”の感情が垣間見えた。
「私の夢は、あなたの手で完膚なきまでに打ち砕かれてしまいました」
支配の悪魔は、未知の悪魔が関わり始めてからの今までをそう締め括った。
同情はしない。どんなに完璧に思える計画を立てて狂いなく実行したところで、たった一つの予想外に全てを崩されるなんてことは当たり前にあることだ。
支配の悪魔は失敗した。ただ、それだけのことである。
「こうなって初めて、私は最初からあなたがこの状況を狙っていたことに気づきました」
「そこだ」と、未知の悪魔はすかさずツッコミを入れた。
「そこだ、とは?」
何故、最初から未知の悪魔が全てを計画していたかのような言い方になっているのだろうか。そんなわけがないだろう。
未知の悪魔はスイーツを食べながらレゼとデンジの関係性を遠くから観察して、一人で盛り上がっていただけである。
「……私を排除して、支配者として代わりに君臨する手筈だったのでは……?」
「そんな面倒なことするわけがないだろう」と未知の悪魔は嘆息した。
冤罪もいいところである。陰謀論の拡散はやめてもらいたい。
支配の悪魔が他者と関係性を構築するための根底には「支配」の概念がある。支配の悪魔は他者に対して自身が有利な立場でないと正常な関係性を築けないのだ。
そういった価値観を持っているために、未知の悪魔の行動も支配の悪魔からすれば支配者になるための計画だったと映るわけだが、なにも皆が支配の悪魔のようにヒエラルキーの頂点に立ちたがっているわけではない。
楽しみにしていた期間限定スイーツを買いに行ったらすでに売り切れていたり、一瞬目を話した隙にカラスにモンブランをひったくられたり、そういうアクシデントも含めて日々を楽しむ者もいるわけだ。
まぁ、当該の状況の時は未知の悪魔は普通にキレたわけだが。
「……」
支配の悪魔は何も言わなかった。ただ、何事か考え込んでいるようだった。
未知の悪魔は太陽が沈みかけている砂浜で、砂の城を崩されてガチギレしている血の魔人と楽しそうに追いかけっこを繰り広げるクァンシを眺めながら言った。
「なにも支配するだけが他者との関わり方の全てではない。支配の力が弱くなったなら、今度は別の方法で。支配以外の方法で彼らとの関わり方を模索するといい」と、そういうことを言った。
「──難しいでしょうね」
支配の悪魔は端的に返した。
それはそうだろう。支配の悪魔の根底にある価値観を覆そうと言うのだから。決して簡単なことではない。
死ねと言っているのと同じことだと思う。
「ですが」
それでも支配の悪魔は。
「努力は、してみます」
そう言って……僅かに肩の力を抜いたのだった。
静かに時が流れる。
支配の悪魔は唐突に言った。
「あなたは、“未知の悪魔”ですね」
本当に唐突に、そう言った。
未知の悪魔は「その通りだ」と返した。
「それでようやく納得しました。ですが、疑問もあります。未知の悪魔が存在している可能性は考えてはいましたが、私が出会うことはないだろうとも思っていたので。あなたが未知の悪魔なら、どうして──」
と、支配の悪魔は未知の悪魔に目を向けて。
いつも鉄面皮のように表情を変えない支配の悪魔は、わずかに目を見張って驚きの表情をした。
名前を知られて、正体を見破られて、闇の悪魔に存在を感知されて、人間社会で過ごして、恋を知って、スイーツを知って、欲しいものが手に入らないもどかしさを知って。
未知の悪魔の体の輪郭は……。
少しずつ、薄れてきていた。
次回完結。