マブラヴガールズガーデン外伝 月ヶ瀬ちゆる~マルチバースの流儀~ 作:マブラマ
ザルトゥーム学園本館、最上階。
生徒会室の重厚な扉が閉ざされた部屋は、まるで時間が止まったかのような静寂に包まれていた。窓の外には、島を囲む青い海が果てしなく広がっている。水平線に浮かぶ白い帆影は、まるで別世界の絵画のようだ。だが来訪者たちにとって、それはただの「異国の風情」でしかなかった。四王天神楽はテーブルの向こう側に座り、鋭い視線を白銀武たちに向ける。彼女の声は冷静だったが、どこか緊張を孕んでいた。
「――精密検査で確認されたこの世界の基準と異なる身体データ。彼女達が口にする『衛士』『戦術機』といった未知の用語。そしてザルトゥームに存在しない技術と資源によって建造されたMGとは似て非なる機動兵器……――これらの事実から、我々はあなた達を『異なる世界の来訪者』と結論付けました」
武は思わず身を乗り出した。
「異なる世界……?」
その言葉が、胸の奥に渦巻く霧を少しだけ晴らすようだった。冥夜が静かに頷き、言葉を継ぐ。
彼女の瞳には、侍のような凛とした光が宿っていた。
「にわかに受け入れがたいが……不思議と腛に落ちた。この数日間、案内されて眺めた島の景色……おぼろげな記憶にある故郷の風景とは、全く異なるものだ」
純夏が隣で小さく頷き、黄色いリボンを指でいじりながら付け加える。
「生徒会長さんが聞かせてくれる島のお話も、私達にはわからないことばっかりだったもんね」
武はため息をつき、テーブルに肘を突く。
頭痛の残滓が、まだ微かに疼いていた。
「こっちの戦術機……MGだとか、学園の話だとか、それにあの妙な穴……何から何までな」
慧が無表情に呟く。
彼女の声はいつも通り、抑揚が少ない。
「何でこの世界に来たのかさっぱり……」
美琴が明るく、しかしどこか無理をしているような笑みを浮かべて同意する。
「うん……あれから毎日頭を捻ってるのに、ここへ来たときのことが全然思い出せないよね」
壬姫が不安げに手を握りしめ、声を震わせる。
「元の世界の記憶も、あんまり思い出せませんし……私達はこれからどうすればいいんでしょうか?」
千鶴が腕を組み、苛立たしげに吐き捨てる。
「どうしたもこうしたも、お手上げよ。私達の乗ってきた戦術機だって、補給を受け入れられないんじゃね」
神楽は穏やかに、しかしきっぱりと言葉を返す。
「機体の現状については、先日あなた達を格納庫に案内して直接確認して頂いたとおりです」
冥夜が頭を下げ、礼儀正しく謝罪する。
「その節は無理を言ってすまなかった。そちら側にも事情があるだろうに」
「生徒会の監視下で動いて下さる限り、こちらも可能な限りは支援を致します」
神楽の言葉に、冥夜はわずかに目を細める。
彼女の心には、剣士としての誇りと、失われた記憶への渇望が交錯していた。
「……もう一度、あのメイズとやらに潜れば、記憶を取り戻す為の手掛かりが見つかると思ったのだが……」
武が首を振り、苦笑する。
「格納庫に保管してもらってた俺達の戦術機はガタが来てた。あの状態じゃ、あの場所に潜るのは難しいぞ」
純夏が武の袖を引っ張り、心配そうに顔を覗き込む。
「おまけにタケルちゃんは操縦が出来なくなっちゃって、すっかりみんなの足手まといだもんね」
「お前な……人が一番言われたくないことをズケズケと……」
武が睨むが、純夏は悪戯っぽく舌を出すだけだ。
神楽はそんなやり取りを静かに見つめ、武に視線を移す。
「……やはり、白銀さんの症状に根本的な改善は見られなかったのですね?」
「ああ、おかげさまで体調はすっかり戻ったはずなんだが……」
その言葉を最後に、部屋の空気が一変した。中央に、ぽっかりと赤い円環が浮かび上がる。
火花が散り、異様な魔力が室内を満たした。
空気が重く歪み、皆の肌にざわめきを走らせる。円環の奥から、深紅のマントを翻した男が悠然と歩み出る。
両手に嵌められた金色のリングが微かに光り、額の第三の目が静かに瞬いた。
「――失礼。急ぎの用件でね」
男は、ドクター・ストレンジだった。神楽が即座に立ち上がり、警戒の構えを取る。
彼女の手に、微かな光の粒子が集まり始める。
「貴方は……? ここは生徒会室、許可なく――」
「許可? 時間がないんだ、四王天神楽。君の名は知っている。ザルトゥーム島の守護者、対メイズ戦略の要だ」
ストレンジは一歩踏み出し、武たちを見据えた。
マントが無風で揺れ、彼の存在感が部屋を支配する。
武の背筋に、未知の脅威が走る。
「そして君たち――白銀武、鑑純夏、御剣冥夜……207B分隊の面々。君たちがこの世界に現れた瞬間から、現実が歪み始めている」
武が眉をひそめ、立ち上がった。
拳を握りしめ、声を低くする。
「歪む? どういうことだ」
ストレンジは指を軽く鳴らす。
すると、空中に無数の光の線が走り、複雑な幾何学模様が浮かび上がる。
それは、世界のタイムラインだった。
無数の糸が絡まり、ねじれ、裂けている。
皆の息が止まる。
「君たちは『異世界からの来訪者』ではない。侵食者だ」
純夏がリボンを握りしめ、声を震わせる。
「侵食者……?」
「君たちの世界――BETAに侵された地球、横浜基地、戦術機、00ユニット……それらはこの世界の法則に適合しない。君たちの存在そのものが、現実の整合性を破壊している」
ストレンジは手を広げ、武たちの周囲に赤い魔方陣を描いた。
すると、彼らの体から、黒い霧のようなものが滲み出し、床に落ちて溶けていく。
千鶴が息を呑み、美琴が後ずさる。
「これが証拠だ。メイズの重力異常、T2元素の暴走、双頭の斧の異常行動……すべては、君たちがこの世界に『踏み込んだ瞬間』から始まった」
冥夜が剣の柄に手をやり、鋭く問う。
彼女の瞳に、戦士の炎が灯る。
「では、我々はどうすればいい?」
ストレンジは静かに、しかし冷たく告げた。
「二つの選択肢がある」
彼は指を二本立てる。
部屋の空気が、さらに重くなる。
「一つ。君たちを元の世界に送り返す。だが――その世界はすでに崩壊している。BETAに食い荒らされ、希望は存在しない」
「二つ……」
彼は武を真っ直ぐ見つめた。
第三の目が、魂の奥底を覗き込むようだ。
「君たちをこの世界に完全に統合する。だがその代償は――」
ストレンジは手を振り、空中にちゆるの姿を映し出した。
彼女はメイズ研究同好会の部室で、T2元素の実験に没頭している。
無邪気な笑顔で、ノートに何かを書き込んでいる姿が、皆の胸を締めつける。
「月ヶ瀬ちゆるの命」
部屋が凍りついた。
純夏の目が潤み、壬姫が息を詰まらせる。
慧さえ、わずかに顔を歪める。
「彼女のT2元素が、君たちの存在を『固定』する鍵だ。彼女が死ねば、君たちはこの世界に留まれる。だが――」
武が一歩踏み出す。
声が、怒りに震える。
「ふざけるな! ちゆるを犠牲にするなんて――」
「選択は君たちにある」
ストレンジはマントを翻し、円環が再び開く。
赤い光が、彼の姿を飲み込む。
「48時間後、この歪みは臨界点に達する。その時、世界は――」
彼は静かに、しかし重く告げた。
「どちらかを選ばなければならない」