マブラヴガールズガーデン外伝 月ヶ瀬ちゆる~マルチバースの流儀~ 作:マブラマ
ザルトゥーム学園の食堂街は、壁のない開放的な空間に、賑やかな喧騒が満ち溢れていた。
学生たちの笑い声と食器の軽やかな音が交錯し、まるで巨大なテーマパークのような活気が漂う。 テオドール・エーベルバッハは、赤褐色の髪を掻きむしりながら、周囲をきょろきょろと見回した。
荒んだ暗い表情が、わずかに緩み、好奇心に満ちた光が宿る。
「それにしてもここは何処なんだ? 壁もないし……賑やかで、変なところに来てしまったな…何だか俺……不思議な感覚で、まるでテーマパークに来たみたいだ。テンション上がるな~!」
後ろから、アイリスディーナ・ベルンハルトの鋭い声が飛ぶ。
「テオドール……何処へ向かっているんだ?」
ベアトリクス・ブレーメが、冷ややかに笑いながら言葉を添える。
「どうやら昼食の時間のようね」
近くにいためるが、ちゆるに小声で尋ねた。
「ちゆるさん……彼は何を食べるんですか?」
ちゆるが、悪戯っぽく目を細めて答える。
「ふふ、それは……見てのお楽しみ♪」
テオドールは、イタリアンレストランの看板を眺め、目を輝かせた。
「ここの店はイタリアンか……東ドイツでは粗末な食事しか摂れなかったからな」
めるが驚きの声を上げる。
「ここって一番高い店ですよね?」
「うん、食べログで星4つの高級イタリアンだね。あたし達では行けないところだよ……」
ベアトリクスが、皮肉を込めてアイリスディーナに視線を向ける。
「随分と贅沢なモノを食べてるようねアイリスディーナ。『昼メシの流儀』とか気取っていいモノばかり食べてるみたいね」
アイリスディーナが即座に反撃する。
「お前こそ、私達よりいい食事を摂ってるみたいじゃないか」
「フッ……あなたこそ、そのティーセットを揃えて購入してたじゃない? 国家人民軍の給料では買えないはずよ」
「私の祖父の遺産だ! 軍の給料では買えないからな」
「この金食い虫」
「……ッ! 貴様こそ、トラバントやヴァルトブルクではなく日本のクルマ……スカイラインGT-Rとか購入したじゃないか!」
「あれは私の部下のロザリンデが欲しかったモノだったのよ。私はトラバント一台で十分よ。因みに副官のニコラはメルクスRS1000よ」
「メルクス!? お前、そんなクルマを購入してたのか!?」
メルクスRS1000は東ドイツの希少なスポーツカー。
ベアトリクスはシュタージの特権で購入したのだろう。
「私が何買おうが個人の自由だ」
「シュタージの特権で購入したんだろ? 全く羨ましいなお前は。部下に飴と鞭を分けて……」
その時、アイリスディーナのズボンのポケットからレシートが落ちる。
「あら? 何か落ちたわよ」
ベアトリクスはそれを拾い上げる。
「え?」
ベアトリクスがレシートを見て、にやりと笑う。
「贅沢カリーヴルストセット、1500オストマルク……」
アイリスディーナは青ざめてしどろもどろ。
「あれ? ハンニバル少佐との会食の時かな?」
「……贅沢は敵だって親に教わらなかったの?」
純夏が慌てて手を振り、叫ぶ。
「ちょ、私じゃないよ~。タケルちゃーん」
アイリスディーナが声を張り上げる。
「とにかく追いかけよう! 早く捕まえないと」
一方、テオドールはメニューを睨み、独り言を呟いていた。
「うーん……よおし、今日は奮発してこの店にするか! どうせなら折角来たから一番高いメニューを頼むか! ――待ち時間は余計な事を考えず、優雅にクールに提供を―――待ち……」
突然、アイリスディーナの声が背後から響く。
「そこにいたか! テオドール」
テオドールが振り返り、目を丸くする。
「げっ……アイリスディーナ!? 何でここに」
「随分と一人で美味しそうなモノ食べてるじゃないか」
「あ、いや……これは……」
ベアトリクスが素早く動き、テオドールの腕を掴む。
「確保!」
「ベアトリクスまで……って何でここにいるんだ!!??? おいおい、夢か? それともBETAの新手の罠かよ!」
その時、虚空からドクター・ストレンジの声が響き渡った。
深紅のマントが優雅に舞い、彼の姿がテオドールの前に現れる。
「静まれ、少年。テオドール・エーベルバッハ……君の気配が、裂け目を引き寄せた。シュヴァルツェスマーケンの中心として、アイリスとベアトリクスの死の残響が、君をここに縛る」
食堂街の喧騒が、一瞬だけ遠のいた。
テオドールは、腕を掴まれたまま、呆れたように周囲を見回す。
金髪のアイリスディーナと、獣のような眼光のベアトリクスが、左右から睨みつけている。
ドクター・ストレンジは、深紅のマントを翻し、静かに告げる。テオドールは呟く
「……俺は別の世界に飛ばされてきたのか。道理で雰囲気が違ったわけだ――というか俺が何を食おうが自由だろ?」
アイリスディーナが、わずかに眉を緩め、ため息をついた。
「……言われてみればそうだな」
ストレンジは、第三の目を細め、軽く頷く。
「安心しろ。お前は正真正銘、テオドール・エーベルバッハだ。少なくとも会話は通じる」
テオドールが、呆れたように首を傾げる。
「会話が通じない俺ってなんだよ……」
アイリスディーナが、小さく笑いながら呟いた。
「それは最早テオドールじゃない気が……」
その時、武が周囲を見回し、急に声を上げる。
「あれ? 純夏がいない……どこに行ったんだ?」
食堂街の喧騒を縫うように、純夏は小走りで奥の通路へ抜けていた。
黄色いリボンがぴょんぴょんと揺れ、頰はぷくっと膨らんでいる。
「タケルちゃん、アイリスディーナさんにベタ惚れしてつまんない! 私に構ってよ……ホント、バカなんだから」
背後から、静かな声が降ってきた。
「鑑純夏――」
純夏が振り返る。
そこに立っていたのは、白銀武――いや、武に酷似した少年だった。
髪はボサボサで、黒い斯衛軍の制服を纏っている。
襟元の階級章は一般兵。
斯衛軍――日本の征夷大将軍を守るための組織。
漆黒の生地は、どこか終末の匂いを孕んでいた。純夏は瞬きを忘れた。
「タケルちゃん……って違う。あなた誰なの?」
少年――TDA世界線の白銀武は、瞳を伏せたまま呟いた。
「やっぱり……俺が見間違える訳がない……」
純夏が一歩後ずさる。
「え? 何言ってるの?」
武(TDA)は顔を上げ、掠れた声で続ける。
「いいか、よく聞いてくれ。並行世界は隣の世界に行けば行くほど少しずつ差が大きくなっていくものなんだ。俺もそうだ」
純夏の瞳が揺れる。
「タケルちゃん? 本当に、あのタケルちゃんなの?」
「人類がBETAに勝利した世界線の俺、逆に敗北した世界線の俺、そしてそのどちらでもない平和な世界にいる俺。――――純夏、どこまでが俺だと思う?」
声は震えていた。
終末の記憶が、少年の喉を灼く。純夏は唇を噛んだ。
「タケルちゃん……何言ってるのかわからないよ~。それに怖い顔してる……」
「答えてくれ、純夏……俺、おかしくなりそうだ……」
純夏は小さく息を吸い、幼なじみの瞳をまっすぐ見つめた。
「……タケルちゃんはタケルちゃんだよ。幼なじみの私がタケルちゃんのこと忘れるわけないじゃない」
武(TDA)の肩が震えた。
涙の代わりに、乾いた笑みが零れる。
「そっか……それはよかった。純夏」
純夏が首を傾げる。
「?」
その瞬間――黄金の円環が空気を裂き、ドクター・ストレンジが現れた。
マントが風を巻き、少年の姿は水のように滲み、跡形もなく消え去った。純夏は呆然と立ち尽くす。
指先が、まだ温もりを覚えていた。