その朝も、カイザーはいつもと同じ時刻に目を覚ました。
お気に入りの高級T字剃刀でひげを剃ったり、自慢のロマンスグレーをポマードで撫でつけたり、バターと蜂蜜を塗りたくった四枚切り食パンをモーモーミルクで流し込んだりとご機嫌なルーティーンを順調にこなしていき、午前九時きっちりに竜の谷に赴いた。
竜の谷はカイザーの私有地で、以前保護したドラゴンポケモンの
この時間、彼女たちは大抵、奥にある湖にいる。カイザーは迷いなく歩を進め、程なくして水辺に立った。
「……?」
おや、と思った。いつもなら自分が来ると呼ばずとも顔を見せてくれるのに、今朝にはそれがない。具合でも悪いのだろうか。
「おーい」
呼びかける。声を大きくしてもう一度。「いないのかー?」
返答は……しかし静寂。
穏やかな風にさざ波が立ち、昨夜の、車軸を流すような雨が嘘だったかのような快晴の空から降りそそぐ陽光をキラキラと反射している。
その時、ふと鼻先にかすかに触れる不快感があった。鉄のような、塩味のような──生ぬるい血のにおいだ。
ハッとしてカイザーは、風上──向かって左側の林のほうへ駆け出した。
湖の縁に沿うように、
「っ!」
開けた岸辺だった。そこには、絶命した岩石ポケモンのゴローンがいた。ポケモンの中でも上位の硬さを誇るはずの、しかも超高レベル個体の岩石の体が、左右真っ二つに両断され、中の臓器がどろりと零れていた。四本ある腕もすべて切断されていて、岸に打ち上げられている。切断面のきれいさを見るに、おそらくは一刀の下に斬り飛ばされている。
ゴローンは昔からこの竜の谷に生息していた野生の個体で、カイザーが保護したポケモンではないが、母子の良き友人だった。
竜の谷どころかこの地域全体に範囲を広げてもこのゴローンを両断できるポケモンはいない。立ち入り禁止の看板を無視して侵入してきた不心得者の仕業に違いなかった。
そして、その不心得者はポケモントレーナーではないはずだ。かつてイシツブテだったころに自分を所有するポケモントレーナーに虐待された過去──トラウマを持つゴローンは、ポケモンのにおいのする人間が竜の谷に近づくと息を潜めて身を隠す。その人間が去るまでけっして姿を現さない。カイザーだけは例外として受け入れてもらえていたが、ゴローン曰く、そうなるまでに十年ほど掛かったという。その事実を身振り手振りで伝えられたカイザーは、そんなに昔からここに暮らしていたのか、と大いに驚いたものだ。自分の所有地ながらその存在を一切認識していなかったのだ。
不心得者の目的は、間違いなく、希少かつ強力なドラゴンポケモンの母子だろう──正規品のモンスターボールは他人のポケモンをゲットすることはできないが、スナッチマシンなる機械で改造すると可能になるという。対象の精神を書き換えて支配する機能も付加できる恐ろしい機械だと聞いている。
ゴローンは、彼のずぬけた強さを考えるとにわかには信じがたいが、友人が連れ去られるのを阻止しようとして殺されたのだ。
あるいは、その不心得者は、腕を切断して戦意を喪失させたゴローンを人質に取り、湖の中のハクリューたちを誘き出したのかもしれない。そして、ハクリューたちがゴローンを守るために屈服してモンスターボールに入るなり、用済みになったゴローンを殺害し、意気揚々と竜の谷を後にした。ハクリューがゴローン以上の強さを誇ったことを考えると、こちらのほうが妥当な推理か。
ぎりり、と歯軋りしてカイザーは、周囲に視線を走らせる。
が、足跡もその他の痕跡も見当たらない。昨夜の大雨のせいだ。
「おおーい! ハクリュー! ミニリュウ! 出てきてくれー!」
湖に向かって声を張り上げた。
しかし、というか、やはり返答はない。
自分がもっと警戒していれば──自責の念が胸を締めつける。
ふと視線を感じた。無惨に散ったゴローンの濁りはじめた眼球が、責めるようにこちらを見ていた。