サント・アンヌ号密室殺人事件   作:虫野律

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『居合い斬り強盗 いまだ足取り掴めず』

 

 カントー新聞の三面記事の見出しを眺めながらリンコは、かわいらしいピカチュウが表面に描かれたカプチーノを口に運んだ。一瞬で鼠ポケモンの笑顔が崩れて硫酸でも掛けられたみたいになる。

 記事によると、ゴローンの殺害はポケモンの技である〈居合い斬り〉に近似した剣技によるもので、警察はその線で調べを進めているという。しかし、アリバイがあったりそもそも動機がなかったりで難航しているようだ。

 ふうん、大変だね。

 といったところ。所詮は自分には関係のない対岸の火事だ、感情は動かない。

 リンコは、大海原を航海中の豪華客船、サント・アンヌ号のカフェにいた。テラス席だ。昼時だから客は多い。傍らでは手持ちのポケモンたち──ゴース、ズバット、モンジャラ、ロコン──が、シェフ特製のオリジナルポケモンフードをそわそわしながら待っている。

 齢十二の非力な少女ながら一人でこんな所にいるのは、ポケモントレーナーをしている祖母からチケットを貰ったからだ。本来は彼女が来るはずだったのだが、緊急の仕事──ある地域で起きている蝶々ポケモンの大量発生の調査──が入って来られなくなり、「あたしの代わりに行っておいで」「何事も経験だよ」と半ば強引にチケットを渡されたのだ。これが本当のバタフライ・エフェクトか、とくだらないことを思ったりもした。

 

「お待たせいたしました」

 

 エプロン姿の女性スタッフが、きれいに盛り付けられたカルボナーラと四匹分のポケモンフードを両手の盆に乗せて持ってきた。すごいバランス感覚だな、と感心する。くすぐってみたい。

 カルボナーラを三分の一ほど胃に送り込んだところで、

 

「ゴッ」

 

 ポケモンフードをがっついていたはずのガス状ポケモンのゴースが、テーブルの下から天板とカルボナーラを透過して、にゅっと現れた。ちらと彼の皿を見れば、すっかり空だった。

 

「何?」

 

 リンコはそっけなく尋ねた。おこっているわけではない。これがデフォなのだ。

 

「ゴスゴス」

 

 ゴースは長くて厚い舌でリンコの腰のモンスターボールを指した。戻りたいらしい。

 ゴースは人間が苦手だ。この場所も快適とは言いがたいのだろう。

 なぜそうなったか。それは、村人たちに濡れ衣を着せられて私刑を執行されそうになった過去があるからだ。その地域でたびたび起きていたドッペルゲンガー事件──自分と瓜二つの存在が盗みを働くというもの──の犯人だと思われたのだ。ゴーストタイプという、ポケモンの中でも特に不可解な存在であるゆえの嫌疑だった。進化形の名称が〈ゲンガー〉であるというのも彼らにとっては根拠たりうるらしかった。もしかしたら無理やりにでも犯人をこしらえて安心したかっただけなのかもしれないけれど、いずれにせよ、ゴースは焼き殺されそうになっていた。

 たまたまその場に居合わせたリンコが、ゴースを助けた。成り行きだった。村人たちのあまりに馬鹿なロジックに、我知らず、「ゴースにそんな能力はない」と(くちばし)を容れてしまったのだ。納得がいかない村人たちの矛先がリンコに向いた。

 

「信じられない」

「こいつを野放しにして被害が収まらなかったらどう責任を取ってくれるんだ」

「そこまで言うならお前が連れていけ」

 

 断るとこちらが焼き林檎ならぬ焼きリンコにされかねない雰囲気だった。

 というわけで、リンコはゴースにモンスターボールを投げた。殺されるよりはマシだと思ったのか、彼はおとなしくゲットされた。

 これは今から一年ほど前の出来事で、だから春の思い出と言えなくもないけれど、殺伐とした村人たちと重たい曇天ばかりが印象に残っていてうらうら感はない。

 なお、ゴースをゲットして間もなくドッペルゲンガー事件は犯人不明のまま終息したようだった。

 閑話休題。

 ゴースに、カルボナーラの上に被られていると邪魔で仕方ない。彼の舌から垂れる(よだれ)が、ホットパンツから伸びる(もも)に付くのも、まったくもってうれしくない。

 リンコは腰のホルスターから飴玉大のモンスターボールを取った。

 モンスターボール──ポケモンを捕獲・携帯するアイテムである。中に入る際にはポケモンは電気信号化され、データとして取り込まれる。モンスターボールの中ではポケモンは、意識はあれども肉体の状態は変化せず、しかし睡眠を取ることはできるという。

 リンコは、モンスターボールのボタンを押して本来のソフトボールサイズに戻すと、正面をゴースに向けた。

 すると、ボタンから謎の光が、獲物を狙うカクレオンの舌みたいに伸びてゴースに当たり、彼を光──電気信号に変え、取り込んだ。

 いつ見てもこの現象を不思議に思う。どんな技術でこうなるのか謎すぎる。ポケモンに電気信号になる性質があるというのは、百歩譲って受け入れよう。しかし、食べたばかりでろくに消化もされていないポケモンフードごと電気信号化するとは、いかなる了見か。論理的に演繹するなら、体内の未消化物をその場に残していかなければおかしいのではないか。

 まぁとはいえ、今そうなられるとカルボナーラに撮れ高抜群のトッピングが施されることになるのだけれど。

 

 

 

 

 

 

「これ、お前のだろ」

 

 カルボナーラを食べおえ、テラス席にもたれて茫洋たる海原をぼぅと眺めていたら、へアセットが大変そうなツンツン茶髪の、同い年くらいの少年が現れた。彼が差し出した手にはポケモン図鑑があった。拾ったらしい。

 受け取って確認してみると、たしかに自分のだった。やんちゃそうな風貌の割に親切な少年のようだ。

 

「ありがと」

 

 しかし、彼の目的は善行ではなかった。

 

「オレ、今暇してんだよ。お前もそうなんだろ?」

 

 ナンパだろうか、と思うが、まぁ違うだろうな、とも思う。彼の眼差しに性的なニュアンスはない。あるのは、澄み渡る青空のように純粋な、あるいは渇望さえ孕んだ、まばゆいほどの熱。

 その見立ては正しく、ツンツン茶髪君は挑発的に口角を吊り上げると、

 

「バトルしようぜ」

 

 

 

 

 

 

「なかなか良かったぜ」

 

 ツンツン茶髪君──グリーンは、満足げにそう言った。

 初めて同衾(どうきん)した後もこんな顔しそうだな、と何となく思う。そんな経験ないから想像でしかないけれど。

 

「オレ様ほどじゃねーが、リンコもセンスあるほうだぜ」

 

「それはどうも」

 

 体育館のような広いホールにあるバトルフィールドで始まった三対三のバトルは、互いにラスト一匹というところまでもつれ込んだが、片や満身創痍、片やノーダメージという形勢で、ドラマチックな逆転劇などそうそう起きるはずもなく、リンコの敗北となった。

 とはいえ、ガチ勢でも、かといってエンジョイ勢でもない、それなりに真剣ではあれど惰性でポケモントレーナーをやっているだけのリンコに悔しさはない。

 と、その時、ホールに駆け込んでくる影があった。

 その影──セミロングをポニーテールにした若い女の乗組員は、バトルの審判をしていた片眼鏡(モノクル)を掛けた初老の乗組員に、遠目にも蒼白とわかる顔ですがりつかんばかりに詰め寄ると、

 

「たっ、大変ですっ、船長が亡くなっていますっ」

 

 舌をもつれさせながらもホールに響き渡る高調子で言った。

 バトルを観戦していた、いかにもブルジョアそうな風体の客たちがざわつく。

 が、ポニテは、その当惑と不安の声が聞こえていないのか、構わずにまくし立てる。

 

「せっ、船長室でっ、密室殺人ですっ、鍵が閉まってて中には入れませんでしたけどっ、鍵穴から見たんですっ、船長の体っ、バラバラでっ、カーペットもおかしくてっ、ドロポンをぶん回したみたいにビショビショなんですっ、訳がわかりませんっ、超音波と怪しい光を四方八方から浴びせられた気分ですっ」

 

「混乱していると言いつつ、ずいぶんとよく観察しているようだが。報告にも過不足がない」片眼鏡は、色を失いつつもあきれるという器用さを披露し、「それはそれとして、ハイドロポンプを略すならハイドロと言いなさい。ドロポンは下品にすぎる」

 

「そうなのか?」

 

 いつの間にか近くに来ていたグリーンが、尋ねてきた。彼はドロポン派なのかもしれない。

 

「さぁ?」

 

 とリンコは肩をすくめた。そんなの知るわけないし、興味もない。

 ちなみに、リンコはハイポン派だ。というより波乗り派で、ハイドロポンプは好きではない。期待値は正義なのだ──まぁそもそも、物真似による限定的かつ裏技的な場合を除けば、水技を使えるポケモンは持っていないのだけれど。

 

「あの、船長が密室バラバラ殺人というのは本当なの」

 

 片眼鏡の近くにいた、ふくよかな婦人がおずおずと歩み出て尋ねた。

 

「あっ」

 

 とポニテが洩らした。視線をぐるりと巡らせると、耳目を集めていることにようやく気づいたようで頬を引きつらせた。

 しかし時すでに遅し。今更事態を隠してやり過ごすことなど不可能、認めるよりほかはない。

 

「はい……皆様にはたくさんご迷惑をお掛けすることになりそうです……ごめんなさい」ポニテは悄然(しょうぜん)として答えた。

 

「そんな……」婦人が絶望の色をその二重顎にたたえた。「それってつまり……」

 

 婦人はそこで口ごもったが、片眼鏡が神妙な面持ちでうなずいて引き継いだ。

 

「ええ、殺人が事実であれば犯人はこの船の中にいるということになります。いわゆるクローズド・サークル──全滅が様式美とされる、あのクローズド・サークル・ミステリーでございます」

 

 場が、先ほどよりも大きく波打った。指数関数的に不安が膨らんでいき、恐怖に進化しかけた時、

 

「心配いらねーよ」

 

 グリーンが不敵な微笑を口元に漂わせて言った。自信に満ちた、よく通る声だった。

 

「密室だかクローズド・サークルだか知らねーが、そんなもん、このオレ様がサクッと解決してやるぜ!! じーさんの名に懸けて!!」

 

「「「……」」」

 

 ホールが水を打ったように静まり返った。きっと皆、こう思っていることだろう。

 あなたのおじいさん、何者なのよ……?

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