グリーンは、かの携帯獣学の権威、オーキド博士の孫らしかった。
彼は、お客様のお手を煩わせるわけにはいきません、とその提案をやんわりと断ろうとした片眼鏡を、
「この船の速度だと現在地から最寄りの港までまるまる一日は掛かる。その間、あんたらはジュンサーの手を借りずに乗客の安全を確保しなけりゃならねー。そのためには一刻も早く手口や犯人の目星をつけたほうがいいよな?
今回の事件はポケモンが関係してる蓋然性が高いんだろ? オレにはじーさんに仕込まれたポケモンの知識がある。きっと役に立つぜ?」
と息巻いて黙らせた。ウインディの威を借るロコンだな、とリンコは密かに思った。
とはいえ、グリーンの言に一理あるのも事実だった。
彼は、周りを取り囲む乗客たちの期待の眼差しを一身に受けながらも、けろっとした面差しで、船長室の鍵と窓について片眼鏡に尋ねた。
「鍵は船長が所持している一本のみで、窓は嵌め殺しの小さいものが三枚のみでございます」
とのこと。
グリーンは、
「よし、じゃあまずは実況見分といこうか」
と音頭を取る。「船の事情に精通してそうな片眼鏡のおっさんと第一発見者のポニテ女──」そこで彼はリンコのほうを向いた。「あとはリンコ、お前も来てくれ。戦力は多いに越したことはないからな」
どうせ暇だし、
「いいけど、わたしが犯人だとは考えないの? 今のところ、ポケモンの扱いに慣れた人物は容疑者圏内でしょ? 犯人だったら現場で証拠隠滅を図るかもよ」
「それはないな」
グリーンは自信満々に断言した。「お前のポケモン図鑑を拾った時に持ち主を調べるために中を確認したんだが、図鑑によるとリンコの所有するポケモンは四匹だけで、その中に水技や凍らせられる類いの氷技を覚えているポケモンはいなかった。
かといって、お前の推理どおり、ポケモンの技に頼らないやり方も可能性は低い。『ドロポンをぶん回したみたいにビショビショ』にするには人間の手では時間が掛かる。モタモタしていて見つかったら終わりだ。そんなリスクは取りたくないはずだ。よって、リンコは犯人ではない」
場に納得感が漂いかけるが、リンコは反論した。
「わたしがほかの誰か──共犯者からポケモンを借りて実行した可能性もあるんじゃない?」
七匹以上を手持ちにするとモンスターボールの不具合が頻繁に起こるため事実上六匹までしか持てないが、リンコの手持ちはあと二匹分の余裕がある。ポケモンを借り受け、犯行に及ぶことも可能だ。
「それも可能性は極めて低い」しかし、グリーンは否定する。「このクルーズは、一般の例に洩れず、かなり前から航行が決まっていた。であれば、必要なポケモンを揃える時間もあったはずだ。そのうえ、そもそも船長を殺したいだけなら特定のクルーズにこだわらなくてもいい。つまり、時間はたっぷりあったんだ。当然、嫌疑から逃れるトリックをゆっくりと練ることもできる。それなのに、裏切りのリスクがある共犯者をわざわざ利用しなければならない理由なんかない。よって、犯人は単独犯と見るべきだ」
「それは計画的犯行を前提とした結論でしょ? たまたま複数の人物が船長と
この問いに答えたのは、ポニテの乗組員だった。彼女は控えめに右手を挙げて言った。
「あのぅ、突発的に、というのは、ちょっと違うかなって思います」
「ええ、船長の性格を考えるとたまたま口論になるというのは想像しがたいですね」
片眼鏡もうなずいて賛同した。
その根拠はグリーンが説明した。
「あのじーさんは大の人嫌いなんだ。仕事で最低限必要な範囲を超えて人と関わることは稀だそうだぜ。そんなやつが誰かと喧嘩になるようなケースは少ない。
それに、そういうやつは周りから好かれも嫌われもしないだろうし、殺されるほどの恨みを複数人から買うというのも現実的ではない。この点も単独犯説を補強している。
まとめると、単独犯が計画的に船長を殺害したと考えるのが最も妥当な推理ってことだ」
グリーンは、ふっと悪戯っぽくほほえむと、
「次は片眼鏡とポニテ、あとオレが犯人でない根拠を挙げろっていうんだろ?」
「まぁ」リンコは生返事めいた。「部屋に最初に入った人物がどさくさに紛れて何らかの偽装工作をするというのは古典的な手口だから。鍵を部屋に置いて、さも初めからそこにあったかのように見せて密室を演出したりね」
「さっきオレは手持ちポケモンがどうのと言ったが、単独犯であればそれを考慮しなくても容疑者を絞ることができる」
なぜ?
リンコはその理由が思い当たらず小首をかしげた。
「リンコ様は、船長室の場所をご存じないのですね」片眼鏡が横合いから答えた。「船長室は客室フロアの奥にあるのです」
「あっ」リンコは気づいた。
客室が通路に並んだフロアは、〈口〉の字を縦に長くしたような形をしていて、〈口〉の字の下の横棒の中央の辺りに階段とエレベーターがある。そこには警備に当たる乗組員が二人、立っているのだ。これは、特殊な訓練を積んだ電気タイプであれば、配線の繋がっている所からならどこからでも、電気を送り込んで監視カメラを破壊し、又は誤作動させることができるからだ。換言すると、デジタルの脆弱性をアナログで補っている。
また、窓から出入りする手口は、デッキの乗客や外敵を見張る乗組員──野生ポケモンの襲来に備えてレーダーと複数の乗組員が監視している──に見つかるリスクの高さから採用したとは思えない。
勤務中であることを考えると船長を最後に目撃したのもそれほど前ではないだろうから、法医学への造詣が浅くても死亡推定時刻はかなり限定できるはずだ。であれば、警備員二人の証言により容疑者を絞れる。
つまり、その警備員に聞いて、グリーンと片眼鏡、ポニテが死亡推定時刻に訪れていないこと又は訪れていてもごく短時間で犯行に及んでいる余裕がなかったことが証言されれば、彼らは犯人当ての選択肢から除外できる。
リンコは今度こそ得心がいった。
「わかった、とりあえずそのフロアに行きましょう」
現場に向かう。
その道中、グリーンは乗組員二人に船長の人となりを尋ねた。動機を推理するためだろう。
「船長は本当に人と関わろうとしない人です」まず片眼鏡が答えた。「プライベートで親交がある乗組員は一人もおりません」断定的な口ぶりだった。
「それに」とポニテも口を開いた。「剣術、特に居合道の達人で、陸上では大抵のポケモンを凌駕する強さなんです。人嫌いで凄腕の剣士──何だか求道者じみてますよね」
「ですが」と再び片眼鏡。「船酔いがひどくて船上では子供はおろかコイキングにも劣るのです。職業を間違えたと、皆、口を揃えるほどです」
ポニテが言う。「陸上ではともかく、船上ではよわよわなんだから護衛とか助手としてポケモンを持てばいいのにってみんな思ってたんですけど、船長、ポケモンを持とうというつもりはなかったみたいです。達人のプライドがそうさせてたんですかねー」
片眼鏡が、「かもしれませんね」と追従した。「もしもポケモンを持っていたら殺されるようなことはなかったかもしれないと思うと、強く勧めておけばよかったと後悔してやみません」
「あ、そうそう」ポニテが思い出したように声を発した。「あと、ギャンブル好きって噂があります。本人の口から聞いたわけじゃないんですけど、タマムシシティのカジノでスロットに台パンしてるところを見たって人がいるんです」
「借金の有無はわかりますか?」リンコが尋ねた。
「うーん、どうでしょう?」ポニテにはわからないようだ。
「確証はありませんが、可能性は低くないと思います」片眼鏡は言う。「ギャンブル依存と借金は切っても切れない固い絆で結ばれております。十分にありうるでしょう。もしかしたらそれでポケモンを持てなかったのかもしれませんね」
続けて片眼鏡は、「これは人となりとは違いますが」と断ってから、
「お客様方は一週間ほど前に発生した居合い斬り強盗のことはご存じでしょうか──ええ、そうです、ハクリュー母子が奪われたその事件です。どうやら船長はその事件の重要参考人として調べられていたようなのです」
重要参考人というのは、被疑者(=容疑者)とまではいかないがその嫌疑が少なからずある人物のことだ。剣術の達人ということで目をつけられたのだろう。
「わたしのとこにも刑事さんたちが来てましたよ。ドラマみたいでした」ポニテはうれしそうに言い、「本当にこうやって警察手帳を見せてくるんですね」と、しかつめらしい顔つきで胸の横に手を掲げてその仕草を真似てみせた。
リンコはそのボケを尻目に、
「その嫌疑は晴れたんですか?」
と片眼鏡に尋ねた。彼は、場都合が悪そうに首をすくめたポニテを一瞥すると、
「ええ、確固たるアリバイがあったようです。現場である竜の谷より遠く離れた地にある繁華街の大衆居酒屋で飲んでいて、店員をはじめ複数の目撃証言と防犯カメラの映像があったと聞いております。もちろん、双子などではありません」
「人嫌いなのに繁華街の大衆居酒屋には行くんですか?」リンコは不思議に思って聞いた。
「変ですよね」ポニテがうなずいた。「リンコちゃんの気持ち、わかりますよ。わたしも、妙だな……って思いましたもん。しかも、いつも持ち歩いてるタマも持ってなかったみたいなんです」
「タマ?」
リンコが乗組員のどちらにともなく聞き返すと、
「船長の愛刀のことでございます」と片眼鏡が答えた。「船長はタマを我が子のように大切にしておりまして、陸地ではもちろん、船酔いで振るえない航行中にも肌身離さず携行しておりました」それから彼はポニテのほうを向き、「お客様を馴れ馴れしく呼ぶのはやめなさい」と声を険しくして叱った。
再び小さくなったポニテに、リンコは質問を重ねた。
「ポニテさんは、船長が居合い斬り強盗の犯人だと考えているんですか?」
「正直、怪しいとは思います。ほかの重要参考人のアリバイや受け答えには不自然なところがなかったって警察の人もポロッと洩らしてましたし」
「しかし」と片眼鏡がすかさず、しかし穏やかに
リンコは横目でグリーンを窺った。彼は難しい顔をしていて、口を開く気配はない。思考を巡らしているようだった。
フロアに着くと、エレベーターホールにいる警備員二人に事情を説明し、グリーンたちのアリバイ──最後に船長を見た時から発見に至るまでの間の現場不在証明──を尋ねた。結果、彼らが白であることが確定した。これで初動捜査メンバーは除外された。また、悲鳴や怒号、争う音は聞いていないという。かといって、船長室が防音室というわけでもない。
警備員たちにそのまま監視を続行し、かつ人をフロアから出さないように伝え、通路の突き当たりを左に折れた先にある船長室の前まで来た。つまり、船長室は〈口〉の字の上の横棒の中央の辺りにある。
グリーンは屈んで鍵穴を覗き、
「……なるほど、たしかに」
とつぶやいた。
続いて、サイドポーチから白手袋を取り出して慣れた手つきで装着した。グリーンは、準備がいいなぁとあきれまじりに感心するリンコを一顧だにせずに真鍮製のドアノブの表面と鍵穴を観察すると、ドアノブをひねって施錠を確認した。たしかに閉まっているようだった。
「ここの鍵も普通のウォード錠とは違うんだよな?」グリーンは乗組員二人に尋ねた。
施解錠するには室内からだろうと鍵を差し込んで回す必要があり、鍵穴から室内を覗けるタイプの鍵を〈ウォード錠〉と言うが、これは防犯性能が非常に低いため、現代ではアンティーク風のインテリア、すなわち飾りとして用いられることがほとんどだ。
「ええ、そのとおりでございます」片眼鏡が答えた。「客室同様、鍵の先端に埋め込まれたICチップを、鍵穴の内部の読み取り機が認証し、解錠されます」
つまり、ウォード錠の形をしたカードキーということだ。当然、ピッキングは不可能で、ドアに備え付けられた錠そのものを念力などで直接操作して解錠することもできない。
片眼鏡は続けて言う。「ですので、部屋に入るにはドアを破るしかないかと」
「えっ」と意外そうに洩らしたのはポニテだ。「こちらのイケメン君は、ケーシィを所持していましたよね? テレポートで中に入って開けてもらえばいいんじゃないですか?」
どうやらこの女性はポケモンに詳しくないようだ。
リンコとグリーン、片眼鏡が視線を見交わし、代表してグリーンが答えた。
「たしかに持ってはいるよ、とびきり賢いやつをな。
だが、不可能だ。名称のせいで勘違いされがちだが、〈テレポート〉は待機している手持ちのポケモンと入れ換わるようにしてモンスターボールに戻る技だ、どこにでも好きに瞬間移動できるわけじゃねー」
ちなみに、人間の中には瞬間移動できる者がごくわずかに実在するが、ポケモンセンターなどの特定の建物の入り口への転移が関の山とされている。船の室内から室内への転移などは聞いたことがない。
「でもでも」とポニテは声を明るくする。「エスパーポケモンなら超能力で心が読めますよね? それなら簡単に犯人がわかるじゃないですか! あっという間に事件解決ですよ!」
「エスパータイプが特性じゃないテレパシーを使うには、その対象と互いに心を開き合ってなきゃなんねーんだ。通常は所有者であるポケモントレーナーだけがその条件を満たす。とてもじゃないが、犯罪捜査には使えねーよ」
ポニテのポニテがしゅんとしょげた。「そうなんですか……」
リンコは言う。「わたしのゴースならドアを擦り抜けられますよ。室内に鍵があれば、ドアを破壊しなくても開けられます」
ただし、手のないゴースがそうするには口と舌を使わなければならない。鍵を捜して部屋を漁る過程で指紋などの痕跡を舐め取ってしまう可能性は否めない。
「いや、ここはドアを破ろう」
グリーンは現場の保存を優先させたようだった。サイドポーチからモンスターボールを取り出し、ポケモンを呼び出した。
「タッ!」
先ほどのバトルで大将を務め、リンコのエースポケモンである狐ポケモンのロコンを瞬殺した鼠ポケモンのラッタだ。ノーダメだったためピンピンしている。
「ラッタ、ドアに向かって電光石火だ」
「タッ!」
ラッタは威勢良く応じると、目にも留まらぬ速さでドアに突撃した。
バンッと強い音が立ち、弾け飛ばんばかりの勢いでドアが開いた。ラッチがひしゃげている。
鉄錆にも似た生ぐさいにおいが鼻を突いた。血のにおいだ。
学校の教室より一回り狭い──つまりは広い部屋の奥で、白いカイゼル髭を貯えた中年の男が死んでいた。首や四肢はもちろん、胴体も心臓の辺りと腰、臀部で横一文字に輪切りにされ、胃の内容物らしきものが血の海に流れ込んでいるありさま。紛う方なきバラバラ殺人だった。
グリーンは平気な顔をしているし、リンコもへっちゃらだが、乗組員二人、特にポニテのほうはつらそうである。口元を押さえている。
奥の壁には丸い
床に目をやれば、たしかにカーペットがずぶ濡れになっており、しぶきが飛んだのか直接掛けたのか定かでないが、調度品も水滴をしたたらせている。ハイドロポンプをぶん回したみたい、というのはいささか大げさにも思えるけれど、当たらずとも遠からずというところには収まっている。また、死体の周囲のカーペットには大きい切り傷のようなものがいくつかある。
天井に目を移せば、火災報知機があった。あれが作動していないということは、冷凍ビームなどで凍らせてから炎技で溶かした可能性が消える。大量の氷を短時間で溶かそうとしたらかなりの火力が必要になる。そんなことをしたら火災報知機が作動しないはずがない。では、火の粉などの弱い技で少しずつ溶かすのはどうかというと、それだと時間が掛かりすぎる。いつ人が来るかわからない現場でそんなことをしようという悠長な犯人はいないだろう。かといって、自然解凍には時間が足りない。ただでさえ氷技による氷は不純物が少なくて溶けにくいのに、最後に船長が目撃されてから死体発見まで一時間半程度しかないのだ。
「水技を使ったのって──」
リンコがグリーンに意見を求めると、
「痕跡を消すためだろうな」彼は自然体で応じた。「これじゃ足跡も何もあったもんじゃねー」
入り口から見て右側の壁にはドアが二枚あった。
グリーンが片眼鏡に尋ねた。
片眼鏡は答える。
「寝室とユニットバスです。しかし、水回りは故障中でして、トイレはこの部屋の向かい側にある共用のものを、シャワーは平乗組員用の共用のものを使用していました。したがって、船長室内の水道から水を引いて部屋を水浸しにしたということはないでしょう」
グリーンは船長室に足を踏み入れ──しかしすぐに足を止めた。
「暖房が点いてるのか……?」
リンコも気づいた。たしかに、天井に埋め込まれた空調からぬくい風が強く吹きつけてきている。入り口横の操作パネルを見ると、暖房モードの三十二度に設定されていた。今は五月で、現在の外気温は二十度余り。通常ならばこんなことはしない。であれば、十中八九、トリックのためだろう。
グリーンの少し薄い唇が思案げにつぶやく。
「……氷が溶けるのを早めるためか、そう思わせるためのブラフか」
その独り言を聞いてリンコにもピンと来た。しかし、密室の作成トリックはまだ確定していない。ので、グリーンの早計をたしなめる。
「でも、まだそうと決まったわけじゃないでしょ?」
グリーンは、ふん、と鼻を鳴らした。「わーってるっての」
「そ。なら、いいけど」
グリーンは止めていた足を進め、死体の近くに鍵が落ちているのを見つけた。拾い上げて振り返る。
「これが船長室の鍵か?」
尋ねられた片眼鏡は、うなずいた。ということは、密室も間違いないようだ。
グリーンは鍵を元の位置に戻すと、死体の検分に取りかかった。何の躊躇もなく切断された腕を手に取り、白い骨や薄紅色の筋繊維が覗く断面をまじまじと観察する。それが終わると、次のパーツを同じように調べる。
その真剣な背中をぽけっと眺めていたリンコが、退屈に耐えかねて問いを投げかけた。
「何かわかった?」
「ああ、二つ確定した」
グリーンは、「見てくれ」と言って首の断面をこちらに向けた。
「?」リンコには、きれいな断面だなぁ、という感想しか湧かない。恵方巻きみたい。「上手に切れてるね。ギコギコはしてなさそう」
「そう、それだよ、きれいすぎるんだ」グリーンは我が意を得たりとばかりにアップテンポで首肯した。「この切り口は居合い斬りによるものだ。通常の手法ではここまできれいに切れない」
「──ってことは、犯人の条件が一つ増えたね」
一つ、水技を覚えたポケモンを所持。
一つ、死亡推定時刻にこのフロアにいたこと。
一つ、居合い斬りを覚えたポケモンを所持←New!
「──それで、二つ目の確定事項っていうのは何?」
「居合い斬り以外の痕跡がないことだ」
「船長の体はバラバラにされただけでほかには何もされていないって理解でいい?」
「ああ、遺体はそう主張している」
グリーンは首肯すると、実況見分に戻る。死体の近くの執務机に置かれた刀に目を留めた。
「そちらが先ほど申し上げましたタマでございます」片眼鏡が先んじて答えた。
「ふん」
グリーンは鼻息で応じると、タマを手に取り、ぬらりと抜いた。
「「「「!?」」」」
全員が目を見張って息を呑んだ。
妖しく輝く白刃から超高密度の暗黒のオーラ──悪タイプのエネルギーがあふれ、したたっているのだ。歴戦の悪ポケモンににらまれたかのように心臓がおびえ、ドキドキと浮き足立つ。船長室の空気が重く張りつめていく。
と、グリーンが刀身を鞘に納めた。
緊張感が弛緩し、霧散した。リンコは安堵の息をつき、額の冷や汗を拭った。
グリーンが片眼鏡に顔を向けた。
「タマというのは、船長が勝手に付けたニックネームのようなものなのか?」
「さ、さぁ、どうでしょう」
片眼鏡も動揺が尾を引いているようだった。彼やポニテもこの刀が抜かれたところは見たことがなかったのだろう。あるいは、抜刀から納刀までが速すぎて視認できていなかった可能性もあるか。
そうか、と応じてグリーンは、言う。
「刀は専門外だが、タマの
「い、曰く!?」ポニテが怖がりつつも尋ねる。「どんな曰くがあるんですか?!」
「当時暴れていた大悪霊を退治するために、百八匹の悪ポケモンを生きたまま炉に入れて製鉄した、悪タイプたちの魂の宿った
「ひぇぇ」ポニテは片眼鏡を盾にするようにしてその後ろにさっと隠れた。「呪われたりしないですよね?」
「未熟な者が振るうと魂を食われて廃人になると唱える学者もいるが、それはつまり振るわなければ問題ないってことだ」
グリーンはムラマサを執務机に戻した。
ポニテはホッと息をつき、無断で盾にされて微妙な顔をしていた片眼鏡の背から出た。
「──そんなことよりも」とグリーンは続ける。「オレたちが着目しなければならないのは熟練者が使った場合の恩恵だ。曰く、ムラマサから実力を認められた者は、悪タイプのエネルギーをその身に宿してエスパー技に対する強力な耐性を獲得できるという。文献にも、伝説級のエスパータイプの技を受けて無傷だった、と記されている。声でさえ悪タイプのエネルギーを帯びて、エスパータイプはその声を聞くだけでも嫌がるらしい。この効果はムラマサに愛想を尽かされるか、所有者が死亡して二、三十分ほどが経過するまで続くとされている」
「なるほど」リンコも言葉を差し挟む。「それが事実なら、死体に居合い斬り以外の痕跡がないことの意味が限定されるね」
単に不審な痕跡や悲鳴がないだけなら、念力やサイコキネシスで拘束して一切の抵抗を封じた可能性を除外できないが、船長がムラマサの所有者というのなら除外できる。つまり、拘束したのでもなければ、手足から切っていって時間を掛けて殺したのでもなく、不意打ち的に首を落としたということだ。
「ああ、これは重要な証拠だぜ」
そう言って首肯したグリーンは、続いて執務机を検める。すると、
しかし、それら以外にはめぼしい手掛かりはなかったようだった。
それからもグリーンは船長室を見て回り──リンコはのたりのたりとその後ろについて回り──寝室やバスルームを含めてすべて確認しおえると彼は、
「ちっ」
と舌を打った。「これ以上は絞れねーか」
聞けば、犯人の条件は三つまでしか確定させられなかったという。
うち揃って船長室から出た。
すると、ポニテが再びこぢんまりと手を挙げ、尋ねてきた。
「あのぅ、密室はどうやって作ったんですか? あっつかったし、やっぱり氷ですか? それとも信頼と実積の糸ですか? 秘密の抜け道ですか? 磁石で鍵を掛けたんですか? 外から鍵を中に移動させたんですか? はたまた実は犯人は室内に隠れていてわたしたちの目を盗んで外に出たとか、機械的物理トリックでの遠隔殺人とか?」
彼女は遠慮がちな仕草に反して饒舌だった。
グリーンはその勢いに一つ微苦笑を零し、
「ミステリーの読みすぎだ。現実は案外シンプルなもんだぜ? 落ち着いて考えてみな。あんたもポケモントレーナーならわかるはずだ」
「えっ、えっ」
ポニテは動揺を露にし、助けを求めるように一同を見回した。
グリーンが目顔で、説明してやれ、と言ってきた。
リンコは、えーめんどくさ、と思いながらも小さく息をついて応えた。
「あなたが今挙げたトリックを裏付ける痕跡や形跡、可能たらしめる状況はありませんでした。それなら、答えは二つしかありません──念力で外から鍵を操作するか、鍵穴です」
「?」ポニテは満面に疑問符を浮かべた。「念力はわかりますけど、鍵穴?」
「犯人はポケモンを所持しています。つまり、モンスターボールを持っています。ということは、モンスターボールのポケモン電気信号化機能を使えば、部屋の外からでも鍵穴を通してポケモンを出し入れできます」
モンスターボールからポケモンを出すときは、電気信号化されたポケモンが光となってモンスターボールから飛び出してくる。戻すときはその逆。光なら鍵穴を通るのも容易だ。
この密室はポケモントレーナーなら簡単に作成できる。本格ミステリマニアが聞いたら、あまりの拙さに激怒してドラゴンタイプならずとも逆鱗をぶっぱなしてくるかもしれない。
ポニテはそのトリックに納得したようだが、リンコはどうにも引っ掛かっていた。あまりにもわざとらしすぎるからだ。
ポケモンの技といい密室トリックといい、ポケモントレーナーを疑ってくださいと言わんばかりの犯行──犯人は、そう思わせたい非ポケモントレーナーなのだろうか。
しかし、それだとどうやってバラバラ死体に水浸しの床という状況を作ったのかがわからない。念力を使える人間はいるにはいるけれど、ポケモンの技としての居合い斬りと水技を使える人間は一人もいない。非ポケモントレーナーにはできない犯行なのだ。
この、
疑問はほかにもある。
なぜバラバラにしたのか。そもそも、なぜ船長は殺されたのか。
やはり情報が足りない。
「わたくしからも一つよろしいでしょうか?」
片眼鏡が尋ねてくる。「非常識な暖房の意味でございます。先ほどは『氷云々』とつぶやいておられましたが……」
こちらを見たグリーンの目が、再びリンコに説明を任せたそうにしていたけれど、その説明はとても長くなりそうで、とてもとてもめんどくさかったリンコは、眉間に力を込めて〈嫌よ、今度はあなたが説明してあげて〉という眼差しを返した。リンコは超能力者ではないが、伝わったようで、彼は口を開いた。
「さっきオレは、水技を使ったのは『痕跡を消すためだろうな』とも言ったよな?
で、今リンコが説明したとおり、密室はモンスターボールの機能を利用したものだ。
以上を踏まえて犯人の行動を具体的に想像してみてくれ。船長を殺し、バラバラにする。その次に足跡などを隠滅する際に暖房が意味を持つんだ。細かいのを抜かすと、犯人の手持ちポケモンに応じた四つのパターンがある。
一つは、念力やサイコキネシスを覚えたポケモンは持っていないが、冷凍ビームなどを覚えたポケモンは持っている場合。この場合、まず、室内に水技と氷技のポケモンを残してポケモントレーナーだけが部屋から出る。次に、ポケモンに内側から鍵を使わせて施錠させ、その鍵を遺体の近くに捨てさせる。そして、水技で部屋全体を洗わせ、現場を撹乱する──けどよ、これじゃあ室内のポケモンの足跡は残っちまうよな? そこで、一度水技で撹乱したら、今度は冷凍ビームなどで薄い氷の足場を作ってその上に乗り、そこから水技を放って自分の足跡を消すんだ。そうして最後に、その足場が溶けて消える前に室内のポケモンを鍵穴を通して回収し、その場を立ち去る。その程度の氷なら暖房をガンガン利かせればすぐに溶けてなくなる。最悪、氷に付いた足跡がわからなくなる程度まで溶けるだけでもいいわけだから、リスクは低い。実践トリックとしてはギリギリ及第点といったお粗末なものだがな。
二つ目のパターンは簡単で、念力などを覚えたポケモンも冷凍ビームなどを覚えたポケモンも持っていない場合。この場合はポケモンに頼らずに足場用の氷を用意していたことになる。つまり、部屋の冷蔵庫なりで作成して犯行の際に持っていったんだ。
で、三つ目。
今度は一つ目とは反対に、念力などを覚えたポケモンは持っているが、冷凍ビームなどを覚えたポケモンは持っていない場合。この場合は、バラバラにしたら水技のポケモンをドアの近くに残して部屋を出る。ドアを閉めた状態で、室内のポケモンに水技を使わせて部屋を撹乱させる。それが終わったらドアを開けて水技のポケモンを部屋から出し、開け放たれたドアの所から再度水技を撃たせて室内の自分の足跡を消させる。水技のポケモンはここでお役御免となる。ドアを閉めたら、ポケモンに念力などで外から鍵を操作させ、施錠させる。鍵を遺体の近くに捨てさせたら、その場を去る。つまり、このパターンでの暖房の意味は〈犯人は、冷凍ビームなどを覚えたポケモンは持っているが、念力などを覚えたポケモンは持っていない〉〈その両方を持っていない〉又は〈これらの可能性が否めない〉とミスリードするためということになる。死亡推定時刻からそんなに時間が経ってねーのに暖房も点いてなくて氷の足場も足跡もなかったら、エスパー技を使ったのだと真っ先に疑われてしまうからだ。暖房のスイッチを入れるだけで的を絞れなくさせられるんだから、やらない道理はない。それから、このパターンでは室内に残した水技のポケモンを外から念力で浮かせ、その状態で作業させることでも同じ結果が得られる。
そして最後、四つ目のパターン。
これは、念力などを覚えたポケモンも冷凍ビームなどを覚えたポケモンも両方、所持している場合。この場合もミスリードが目的となる。つまり、自分以外にもローリスクで足跡を隠滅できたという状況を作りたかったんだ」
長台詞を終えたグリーンは、ふぅ、と息をついた。お疲れ様。
ところが、片眼鏡はグリーンを休ませる気がないのか、新たな質問を投げた。
「では、非常識な暖房という事実は犯人の特定には役立たないということでございますか?」
これには、流石にちょっとだけグリーンがかわいそうになったリンコが答えた。
「うん、死亡推定時刻の直後にもかかわらず暖房も足跡も氷の足場もなければ〈念力、浮遊特性その他の床に足跡を残さない手段を習得し、もしくは
「さようでございますか」片眼鏡は声を、それから肩をかすかに落とした。
「ま、そうしょげんなって!」グリーンがいささかわざとらしく明るい声を出した。「このオレ様がすぐに解き明かしてやるからよ!」
「お気遣い、感謝いたします」片眼鏡は恭しく言った。
「よし、じゃあ次は通路にある監視カメラの映像を見せてくれ」
とはいうものの、期待はしていないようだった。周到に計画された犯行でカメラ対策を怠るなどということはないだろうと、そう考えているようだったし、リンコもそう思う。
カメラ映像を監視する部屋──警備室に移動する。
果たして、というか、案の定、通路の監視カメラは、見た目にはわからないが、前日の映像が繰り返されるように細工されていた。電気タイプによる線が濃厚だけれど、デジタルに強い人間──状況的には乗組員──の手によっても不可能ではない。
つまり、乗組員が犯人であれば電気タイプの所持は条件にならないが、乗客が犯人であれば電気タイプの所持が四つ目の条件となる。
「さてと──」カメラ映像が流れる無数の液晶ディスプレイから目を離すとグリーンは、気を取り直すように言った。「こっからはお楽しみの聞き込み捜査の時間だぜ」
死亡推定時刻にフロアにいた人物を当たろうというのだ。
晩ごはんまでに終わればいいなぁ。
リンコはぼんやりとそう願った。