リンコは、グリーンを部屋に入れると一人掛けソファーを勧め、
「何か飲む?」
「いや、いい」
「そ」
リンコもソファーに腰を下ろした。小さな丸テーブルを挟んで半身でグリーンと向かい合う形だ。
「よく犯人がわかったね」
リンコが感心して言うと、グリーンはかぶりを振った。
「オレじゃねーよ──こいつだ」
グリーンはそう言ってモンスターボールを開いた。青白い光が描く輪郭が、瞬く間に実体化する。
「……」
声もなくそこに佇んでいたのは、黄色くて小さな二足歩行の体に、太い尻尾と狐のような頭部──念力ポケモンのケーシィだった。
◆
ケーシィは一日の大半を睡眠に充てるポケモンである。捜査中もスヤスヤと眠りこけていた。
自室に戻って少し経ち、そろそろ起きる頃合いか、と思い及んだグリーンは、モンスターボールからケーシィを出してみた。案に相違せず覚醒していた。
このケーシィは他の個体よりも──あるいはグリーンよりも──賢い。トレーナーの贔屓目ではない、とグリーンは確信している。ゆえに、ケーシィにポケモンフードを与えるついでに事件について意見を求めた。
ケーシィの静かな咀嚼音だけが豪奢な客室を満たす数十秒があって、
『──Q.E.D 証明終了』
不意に、幼げながら落ち着いたケーシィの声が脳内に響いた。テレパシーだ。
解けたのか、この不可解な
そう尋ねると、ケーシィはポケモンフードから顔を上げてグリーンを見た。
『不可能を消去していけば、その先にはいつだってたった一つの真実だけが残る。たとえそれがどんなに信じがたいものであっても、それだけが解となる──基本だよ、グリーン君』
「待ってくれ」グリーンはたまらず反論する。テレパシーで脳が繋がっているため声に出す必要はないが、無意識にそうしていた。そのまま声帯を使う。「オレだってそんなことは百も承知してる。整合性の取れない推理を除外してって、その結果至った結論が〈解なし〉だったんだ。いくら考えても犯人の条件を満たす人物は存在しなかったんだよ」
『それは、君たちの
ケーシィは一口大のポケモンフードを三つ、中空に浮かせた。彼女お得意の念力だ。
『君たちは検証すべき前提条件を三つ見落としている──それこそが欠けているピースであり、つまりはこのミステリーを成り立たせているトリックなんだ』
「そんな馬鹿な……」
自分が気づけなかったトリックが三つもあるというのか。
『君は確かに聡明だけれど、視野が狭いというか、頭が固いきらいがあるのが玉に瑕だね』ケーシィはわずかに口角を上げた。
グリーンは、ムッとしないでもないが、不快というほどでもない。「じーさんみてーなことを言うじゃねーか」と言い返すにとどめた。
ケーシィは傍らのサイコソーダを念力でグラスから持ち上げて口に運ぶと、
『まず一つ目のトリック。
その容疑者たちの状況なら、共犯を肯定するロジックさえあれば犯行が可能となる。そこでぼくは、共犯トリックの存在を推認させる事情を捜した。すぐに見つけることができたよ。
そのトリックは、共犯の理想を体現するものだった。言い換えると、共犯を可能たらしめる事情があるにもかかわらず、それがまったく存在しないかのように見せかけるトリックを犯人は用いている』
「要するに、本当は以前から面識があったのになかったかのように見せてるってことか?」
『イエス。犯人はその共犯者をアリバイ証人に仕立てあげることでまんまと容疑圏外へと逃れている』
「いやあのな、警察を舐めすぎだ」グリーンは少しあきれた。「〈
『しみ真実、何の繋がりもなかったら?』ケーシィは、いささか挑戦的な物言い。
「それだと共犯は無理だろ──てか、言ってること矛盾してるじゃねーか」
『だから君は頭が固いというんだよ』やれやれとばかりの口ぶりでケーシィは言い、『君も、一年ほど前にカントー地方のある地域で断続的に発生していたドッペルゲンガー事件のことは覚えているだろう?』
急に話を転じられ、グリーンは怪訝に思う。
「覚えてはいるが、だから何だってんだよ?」
自分と瓜二つの存在が盗みを働くという事件だ。いつの間にやら終息していたが、いまだ犯人は捕まっていなかったはずだ。
『その事件の犯人がこのサント・アンヌ号に乗っているんだ。そして、船長殺しの共犯者でもある──そう考えると嵌まりがいい』
「その犯人ってのは──」
『なぜドッペルゲンガー事件が未解決のまま終息したと思う?』ケーシィは言葉を被せた。
「さぁな、高飛びでもしたんじゃねーか」
『質問を変えようか。どんな存在ならまったく同じ外見になってドッペルゲンガーに見せかけることができると思う?』
グリーンは眉根を寄せて考え、
「……美容整形でも瓜二つってレベルまではいかない。顔もそうだし、体型はもっと難しい。一卵性双生児でもなけりゃ人間にそんなことは絶対にできねー。ただ、ドッペルゲンガーのコピー元が多数に及んでいる以上、双子説はありえない。なら、ポケモンしかいないが、人間に化けれるポケモンなんていな……」
いや、とグリーンは考え直す。
通常のポケモンであればたしかに不可能だ。だが、ポケモンも生物である以上、個体ごとに差異がある。個性とも呼ぶべきそれが、平均値ないし最頻値からかけ離れてしまうこともあるだろう。例えば、本来ならポケモンへと化ける技、〈変身〉の対象が、人間へと変わってしまった個体がいたとしたら? もしそれが起きていたとしたらドッペルゲンガー事件にも説明がつく。
であれば──
『そう』と首肯してケーシィが、その先を述べた。『メタモンか、そのメタモンの変身をスケッチしたドーブルなら可能。このうち、辻褄が合うのはメタモンのほうだ。
人間社会に紛れ込んで盗みを繰り返していたことを考えると、厳しい自然界で生き抜くことができず、かつ人間にとっても利用価値のない状態だったと推測できる。ステータスという概念もなくポケモンの技も使えない人間に変身する場合、元のポケモンのステータスをそのまま引き継いだ、何の技も使えない人間にしか変身できないんだろうね──もしも、よく訓練されたマサラ人のような外れ値人間の異常に高い身体能力を十全に活かせたなら、自然界でもそれなり以上にやれたことは論を
加えて繁殖能力に障害があれば、いよいよポケモントレーナーは見向きもしなくなる。命を繋ぐには、人間からこそこそと食糧を掠め取るしかない』
哀れみがグリーンの胸裏に去来していた。望んだわけでもなかったろうに、そんな不都合を背負ってしまった絶望はいかほどのものか。
が、ふと気づいてその感傷が吹き飛んだ。
「ドッペルゲンガー事件が収まったのは、ゲットされたからか」
それにもケーシィはうなずいた。
『死亡した可能性もあるけれど、今回の船長殺しを矛盾なく説明するのにそういう能力のあるポケモンが必要なのだから、ゲットされたと見るのが妥当だろうね──もちろん、ドッペルゲンガー事件の顛末に関しては論理的な消去法によって確定した推理じゃない。それはつまり、今回の船長殺しには、そういう能力を持ってはいるがドッペルゲンガー事件とは無関係のポケモンが使われた可能性も否定できないということだ。けれど、少なくとも変身共犯トリックの存在を推認し、推理を補強する材料にはなるでしょう?』
首肯したグリーンは、ケーシィの矛盾した物言いの意味を悟り、胸糞の悪さに歯噛みした。
何の繋がりもない人間を共犯者にしているというのは、犯人であるポケモントレーナーと縁もゆかりもない人間にメタモンが変身しているということだろう。合理性を追求するなら、犯人はその変身対象をすでに殺害しているはずだ。同一人物が二人いたら、どちらかが偽物となる。サント・アンヌ号のほうが偽物だとバレたら、あるいは疑惑を抱かれるだけでも、共犯の隠蔽に
グリーンはメモ帳を開いて捜査情報を確認した。
「犯人は人間に化けたメタモンとそのポケモントレーナーの二人組で、クルーズ以前の面識の不存在を偽装しつつアリバイ工作をしているとすると、〈ドロシーとポー〉〈アガサとサラ〉〈ヘレンとドイル〉の組み合わせが候補に挙げられる。犯人は実質的には一人のポケモントレーナーなんだから合計手持ち数が六匹以下でなければならず、〈ヘレンとドイル〉が除かれる──なるほど、アリバイ工作をしているってのは手持ち上限からの絞り込みで導いたのか」
変身共犯トリックを前提とすると、手持ちにメタモンを加える空きのないエラリーとドイルがまず除外され、ドイルに監視されていたヘレンも除外できる。つまり考えられる組み合わせがアリバイのある〈ドロシーとポー〉〈アガサとサラ〉しかないのだから、どちらかが嘘をついているということになる。
「──って、この組み合わせだと手持ちポケモンの条件を満たさねーじゃねーか!」
『ノリツッコミだね』ケーシィはうなずいた。『流石はグリーン君だ』
「茶化すな」
今はじゃれ合っている場合ではない。
「これじゃあ不可能性を反証できてねー。〈ドロシーとポー〉は居合い斬り、〈アガサとサラ〉は居合い斬りと電気タイプが足りねーぜ?」
グリーンは挑発するように言った。これを説明する推理もちゃんと用意してあるんだろーな? と。
しかし、ケーシィは飄々とした態度を崩さない。
『もちろんさ。
共犯が必須で、ほかの共犯トリックが考えられない以上、〈ドロシーとポー〉〈アガサとサラ〉のいずれかが犯人というのは正しい。そこでぼくは、二つ目のトリックの存在を認めなければならない、と結論づけた。そのトリックはね、ポケモントレーナーなら、もちろん君も、普段から目にしている現象を利用したものさ』
ケーシィは自身の入っていたモンスターボールを念力で引き寄せた。ポケモンフードとモンスターボールが彼女の周囲を漂う。
『このモンスターボールの仕様は理解しているかい?』
「そりゃあ、それこそ基本だからな」
『よろしい。では、ぼくらポケモンが──』ケーシィはそこで言葉を切り、ポケモンフードをパクッと
「そんなの戻る直前の状態のまま保存され……」グリーンはハッとして目を見開いた。「そういうことかよ」
『気づいたみたいだね』ケーシィは満足げに言った。『犯人の条件は、第一に水技を使えるポケモンを所持、第二に居合い斬りを使えるポケモンを所持、第三に電気タイプを所持、第四に手持ちにメタモンを加える空きがあること、となるけれど、犯人候補の二組はいずれもこれらの条件のすべては満たしていない。しかし、これでは整合性が取れない。であれば、本当は条件を満たしているのにそうでないかのように偽装しているということになる。つまり、モンスターボールをどこか、モンスターボール探知機でも発見できない場所に隠している』
「それがモンスターボール内のポケモンの腹の中か」
『そう。小さくしたモンスターボールなら大きな飴玉程度のサイズだからよほど小型のポケモンでなければ飲み込める。そしてすぐにモンスターボールに戻れば、腸のほうに落ちていくこともなく、吐き出せる状態を維持できる。このやり方の上手い点は、モンスターボールの中には一匹のポケモンしかいないという、常識という名の
グリーンは再びメモ帳に目を落とした。
〈ドロシーとポー〉の手持ちはゴルダック、キングドラ、ルンパッパ、ライボルトだから、居合い斬りの一匹とメタモンを加える空きがあり、変身共犯トリックと飲み込みトリックの併用が可能。
一方の〈アガサとサラ〉もケンタロスとルージュラだけだから、水技、居合い斬り、電気タイプ、メタモンでそれぞれ一匹ずつの計四匹加えるとしても手持ち上限をクリアできる。こちらも犯行が可能。
グリーンは眉をひそめた。
「まだ絞り切れてねーじゃねーか。たしかに、不可能性を反証して不可能犯罪であることを崩すことはできたが、犯人の特定ができてねー」
『だからこそ、三つ目のトリックを解明しなければならなかったんだよ。
そのためには、先に、カイザー氏が、竜の谷で放し飼いにしていたハクリューとミニリュウを奪われた〈居合い斬り強盗〉を紐解かなければならない』
「今度は居合い斬り強盗か」
報道によると、この事件の犯人の条件は、
①非ポケモントレーナーであること
②高レベルのゴローンを一刀両断できる、ポケモンの居合い斬りに近似する剣技を修めていること
の二つだ。
このことから船長が疑われたのだが、アリバイにより嫌疑が否定された。ただし、そのアリバイにはいささか不自然な点があるとされている。
……ん?
事件の概要を振り返っていてグリーンは、ケーシィの推理を察した。
「おいまさか──」
船長とくだんのメタモン、すなわちそのポケモントレーナーが手を組んでハクリュー母子を奪ったのか。
『イグザクトリー』
ケーシィはグリーンが言葉にするのを待たずに首肯した。
『ほかの重要参考人に不審な点がなく船長にだけあることから彼が何らかの偽装工作をしている可能性が疑われるところ、仮にそのメタモンのポケモントレーナーと共犯関係であったとするとすべてに説明がつく──というより、そう考えないと整合性が取れない』
すなわち、大衆居酒屋にいた船長はメタモンだった。だからこそ帯剣しておらず、人混みの中にもいられた。
動機は、おそらくは金か。どちらから持ちかけたかは不明だが、ハクリュー母子をブラックマーケットに流した対価を分け合う腹積もりだったのだろう。
これを前提に今回の船長殺しを再解釈すると、真相が見えてくる。
船長を殺した主犯は、メタモンのポケモントレーナーだ。つまり、船長とそのポケモントレーナーとの仲間割れが惨劇の原因だったと推測でき、居合い斬り強盗が直近の出来事であることから、その取り分か、ハクリュー母子の処分の仕方を巡って揉めたことが窺える。
グリーンは、ふぅー、と息を吐いた。
「オーケー、そこまではわかった──だが、この事実がどうして第三のトリックに繋がるんだ?」
『そこまで理解しているんだから、もうわかりそうなものなのに。そういうところだよ、君に足りないのは。つまりは広い視野と柔軟な発想力さ。そこが至らないから事象の有機的連関を看破できない』
イラッ☆
と来たがグリーンは、舌打ちをくれるだけで勘弁してやった。まったくこのケーシィときたら、隙あらば煽ってきやがる。誰に似たのか甚だ疑問である。
「──おい、その不愉快な人差し指をやめて早く答えを言え」
グリーンが言うと、ケーシィは腕を下ろし、声を寄越してくる。
『第三のトリックは単純な隠蔽工作だよ。バラバラにすることで、殺害の目的を悟られないようにすると共に、連想によって飲み込みトリックに思い至られるリスクを排除しようとした』
一拍あって、
「──!!」
グリーンは目を見張った。
〈殺害の目的〉〈飲み込みトリック〉
この二つのワードが脳内で繋がり、一つの推理を形作ったのだ。
『ようやく真相にたどり着いたようだね』
ケーシィのそれは、満足しているようにもあきれているようにも取れる微妙なニュアンスだった。
『そう、今、君が気づいたとおり、取り分の増額を交渉するためか、又はハクリュー母子を自分のポケモンにするために換金を拒んでいた船長と、当初の計画どおり売却して換金しようとしたか、又は船長と同様に我が物にしようとしたメタモンのポケモントレーナーとの対立が、今回の事件の根底にあった。
船長が換金を拒んでいたと言えるのは、実行犯の自分が占有しているのをいいことに勝手に換金して対価を独占ないし取り分を増額していたとすると矛盾するから。本来の取り分を渡そうとしない共犯者を殺害する目的は、一般に、その取り分の確保か、制裁だよね?
前者の場合、現場にそのお金があるなら斬首だけで足りるし、ないなら口を割らせるために拷問しなければならないけど、それだと死体にその痕跡が残っていないのはおかしいし、念力などで拘束できたわけでもないのに抵抗の痕がないのも矛盾だ。
後者の場合、殺害するだけで制裁には十分と考えているなら斬首だけで足りるし、殺害に加えてたっぷり苦しめたかったなら、
というわけで、対立構造は先述のとおり〈ハクリュー母子を渡したくない船長VSそれを奪いたいメタモンのポケモントレーナー〉となる』
つまりはこういうことだ。
犯人にハクリュー母子のモンスターボールを渡すよう迫られた船長は、しかし船酔いでろくに抵抗できず、かといってポケモントレーナーとしての知識と経験がないせいでハクリューたちを使って応戦することもできず、やむを得ずそのモンスターボールを飲み込んで守ろうとした。
それを見た犯人は、交渉又は恐喝は失敗したと判断し、隠し持っていた、居合い斬りを使えるポケモンで船長を斬首して殺害。その際、胃の中のモンスターボールを取り出すために食道に腕なりを差し入れるか、腹を裂く必要があったが、いずれの場合も明確な痕跡が残り、殺害の目的と飲み込みトリックに気づく者が現れるかもしれない。そう懸念した犯人は、咄嗟にバラバラ殺人にすることを思いついた。胃の辺りだけを切ったのではその内容物が目的だと察せられるリスクが高い。だから、全身を切断して目眩ましとしたのだ。
その作業を終え、足跡を消し、密室を完成させると犯人は、ハクリュー母子のモンスターボールを持って船長室を後にした。無論、飲み込みトリックでポケモンの中に隠して。
つまり、犯人の条件には〈ハクリューとミニリュウの分の手持ちの空きがあること〉が加わる。
警備員の証言、水技、居合い斬り、電気タイプ、変身共犯トリック及び飲み込みトリックによる絞り込みで判明した犯人候補は、
〈ドロシーとポー〉
〈アガサとサラ〉
の二組。
手持ちの内訳は、
〈ドロシーとポー〉は〈ゴルダック、キングドラ、ルンパッパ、ライボルト〉。
〈アガサとサラ〉は〈ケンタロス、ルージュラ〉。
この時点で犯人は確定する。
そして、密室にしたのがポケモントレーナーに嫌疑を向けさせるためだったと考えられることから、逆説的に、主犯すなわちメタモンのポケモントレーナーは非ポケモントレーナーを装っていると推理できる。
以上から──
パズルが嵌まっていく快感を楽しんでもらえていたらよいのですが……