起詞回声 ~ウクライナ少女と作詞おじさん、農大バンドで再起する~ 作:みゅう(蒼山みゆう)
手直し終わり更新再開します。
2章後半、今話から始まります。
「よっす。アキさん。リュミナ」
「ミコくん、おはよー」
「おはよう。ミコト」
農芸大の2大学祭の1つ、春の
最終日の今日は、琢間研究室のパネル展示に来ていた。
自転車ほぼ必須なほど、大阪にしては莫大な敷地を持つ農芸大の最南端にある我が古巣は、いくら学祭が盛況でも、建屋自体に人が寄り付いていない状態。残念ながら展示室は俺たち3人の貸し切りだ。
「あれ。冬川くんは来てないん? 飲み歩こうって言ってんけど」
「それがもー、昨日の夜から2人とも子供熱出ちゃって看病中」
「運の悪さは母親似か」
「私も夜のOB会、見合わせかな。人いないし、少しゆっくりしていく?」
「おう。椅子借りるわ」
一番近くのパイプ椅子に腰掛ける。
「リュミナちゃん、紅茶お願いしていい?」
「はい」
お湯を沸かしに奥の部屋へ向かったリュミナを見てから、俺は本題を切り出した。2分程度は稼げるか。
「実際リュミナ、やっていけそう?」
「うん、言葉の問題がないのは大きいよ。普通の講義はテキスト難しそうだけど、実習系は充分。ミニーちゃんたちが面倒も見てくれてるし」
アキさんもキャスター付きの椅子を脚で漕ぎながら、向かいの位置に陣取って言う。
「ホンマそれな⋯⋯おっと、あぶな」
身を乗り出したら、椅子がガタついて倒れそうになる。
「あの子らには本当に世話になってるわ。夕方はラストライブに誘われて、リュミナと見てくるんよ」
「私の分もよろしくね」
「はいよ。まぁアキさんからもお墨付きもらえて安心したわ。そんで、研究の方は調子どう?」
壁に張られている展示パネルを見渡す。光源制御による収量変化、閉鎖環境下でのCO2循環システム構築。馴染みのあるテーマたちが、データと知見の蓄積によってさらに深堀りされている。俺のテーマ途切れず継承されているのは、やはり嬉しいものだ。
「学会以外が、もうカツカツ。来年から、万博の準備がいよいよ本格化するしね」
「万博って、レタス工場付きレストランでもやるん?」
「それは梅田でもやってるし。宇宙の方」
「そっちか。確かに未来っぽい」
「そんなだから、リュミナちゃん来てもらって助かってるよ」
「そっか。良かったわ」
そんな世間話をしているとマグカップ2つを持ったリュミナが戻ってきた。
100パック入りの出がらしのような激安紅茶。インスタントコーヒー派に対抗して、紅茶派なアキさんと2人でシェアしてたな。
懐かしのルーチンと共に、
焼きそば、たこせん、いか焼き。
かれこれ数時間。祭りの雰囲気にあてられて、怒涛の勢いで粉物を吸い込んでいくリュミナ。夕方から始まるライブまでひたすら食べ歩く。
久しぶりに参加となるOB会までビールの誘惑を振り切り、俺はリュミナのおこぼれに預かる。
まぁ、俺の金だが。将来の彼氏くんの懐具合が少々心配だ。
「天気、大丈夫かな?」
学祭のあちこちでライブが行われているが、麦茶撫子たちが出演するライブは一番大きな野外ステージ。
多少の雨なら時間をおけばなんとかなるが、今日は最終日かつ大ラスのイベント。翌日や後ろ倒しの選択肢はない。
天気予報は降水確率20%程度だったが、リュミナの言うとおりどうにも雲が分厚すぎる。
誰も洗濯物を干さないと確信できる空模様。
5分後に降り出してもおかしくはない。
あと10分後。16時スタートのイベントだが、彼女たちの想定出番は18時。2時間耐えきれるかは正直かなり怪しい。
「俺たちで神様にお祈りしとこうか」
「うん。でも、ミコトもお祈りするんだ」
「信じてないけど、もし叶えばラッキーだしな」
「日本人みんなそうなのかな⋯⋯不思議」
「みんなは言い過ぎでも、大半かな?」
信心深いリュミナは純粋に疑問なようだが、ここはあまり深入りしないようにしておく。
胸の前で手を組む彼女の真似をしてみる。
だがその祈りは届かない。
幹事のゴルフも、フィールドワークも、別れのときも。
◆
お祈りから既に長針が一回り。イベント中止の判断はもう間近だ。
近くの学舎から外を眺めるが、これだけ肌に貼りつくほどの湿度でも、鈍色の厚化粧は一向に落ちない。
「お願い、晴れて晴れて晴れて」
同じ棟に避難したミニーが、窓枠にしがみつくが太陽が降りてくる気配はない。
日々川さんは目を瞑り、イヤホンで音楽を聴きながらエアドラムを。清音はコーラスの歌詞を忘れないよう、歌詞カードのカンペをボソボソと読み込む。
「リュミナ、中々帰ってこんな。RINEも見てへんし」
「人多いしはぐれたんかな。ミコ生、一緒に探しに行く?」
電波のいいところで電話してくると言ってから、もう30分くらい帰ってきていない。流石に少し心配だ。
「ミニー、待機して」
「頭の外部バンド帰ったし、出番もっと前倒し可能性あるから、清音の言うとおりにしとき」
「はぁい」
2人とも普段よりトゲのある言い方だ。気が立っているのも仕方ないが、ミニーも察して今日は大人しく従うことを選択したようだ。
そんなやり取りをしていると待ち人が帰ってきた。
棟の外に一旦出たのか、少し全身が濡れていた。
「おかえり。まだ使ってないしコレ使いな」
大判のタオルハンカチを渡す。ないよりは多少マシなはずだ。だがリュミナは自身ではなく、スマホの画面をそれで拭いてから俺に無言で返す。
いつもならお礼を欠かさないリュミナの様子がおかしい。不機嫌なのか、気を使えないほどに調子が悪いのか。
周りが薄暗いからだけなのか、先ほどより少し血色が悪い気がする。流石にリュミナでも食い過ぎたか?
「ちょっと大学横のドラッグストア行ってくるけどなんかいるか?」
「⋯⋯いらない」
食い過ぎじゃないような気もするが、女の子の日とかか?
よくわからないが一旦どこかで休ませたほうがいい気がする。
「人混みで疲れてるだろ。一旦、研究室に戻ろう。横になったらどうだ? 俺もライブ始まるまで一眠りしときたいし」
最大限に気を使ったつもりだ。
多分アキさんしかおらず、楽にできるはずだと思って提案した。
「⋯⋯は?」
だからこそ、彼女らしくない反応が続いたことに、違和感が益々振り積もっていく。俺だけじゃない、麦茶撫子の面子も眉をひそめた。
「リュミナ、なんか知らんけど。ちょっと態度悪いんちゃう? ミコト先輩、なんかおかしなこと言った? ちゃうやろ」
日々川さんがイヤホンを外してリュミナを諌める。
「⋯⋯го не зна⋯⋯ш」
「は?」
今度は日々川さんが、リュミナと同じ言葉を発する。
「何言ってるのか知らないけど、いまのウチの言葉聞いてどう思った? リュミナ」
日々川さんは正しい。だが、いまはそれが何か危うさを招く予兆を感じていた。
俺の悪い予感はほぼ当たる、当たってしまう。
「Ти нічого не знаєш!」
「ねぇ、ワザとなん? わかる言葉で言ってよ。英語でも日本語でも。お子様のために、翻訳アプリでも用意しろって?」
「ちょっと、さっちゃん落ち着いてや」
「あぁ、俺は大丈夫だから」
リュミナに詰め寄ろうとする日々川さんをミニーがなだめる。清音さんは何も言えない。リュミナも何かを言おうと口を開いたかと思えば、下唇を噛む。
薄汚れた廊下に雨だれの音だけが響く。
誰もが口火を切るのをためらっているから俺が先陣を切るべきなのだろうが。参った、何かを決定に見逃していることだけはわかるのに、その何かがわからない。
思い出せ、一度離れたときのリュミナはどうだった?
スマホの画面を見たときに、目を見開いたことだけは覚えている。だからその前の話じゃない。
そんなとき、清音のスマホからデフォルトの着信音が流れる。
「────────はい、そうですか。分かり、ました。仕方ないですよね。はい、失礼します」
清音が首を横に振る。それが意味していることは誰もがすぐに理解できた。
「そっかぁ⋯⋯中止かぁ。麦茶撫子、終わっちゃたんや」
「うん、でも仕方ない。仕方ない、わ」
ミニーと日々川さんが静かに落胆する。
「カラオケで、残念会でもしようか。ちょっと歌うくらいはしようよ。せめて多智花さんとリュミナに聞いてもらいたいし」
「うん、そーしよ。清ねぇ。リュミナちゃんも来てよ。そしていっぱい褒めて慰めてー」
清音が現実的な代替案を提示し、いつものノリでミニーも場を明るくしようとする。凸凹だが、本当にいいコンビだ。
2人とも涙目を堪えながらなんとか前を向こうとしている。
「無理はしなくていいが、気分じゃないか?」
頼むから彼女たちに向き合ってくれ。
「⋯⋯それくらい分かるよね。ミコト」
やっと日本語を喋った。
だが駄目だ。
顎を上げて、ミニーたちを見下すように。
いまのリュミナは、あのときの
嫌われることを承知の一言が来る。
その次の言葉を言わせては駄目だとの確信があった。
「ちょっ⋯⋯」
「その程度の悩みに、わたしを巻き込まないで」
俺は間に合わなかった。
「おい、その言い方はないやろがぁ! 2人に謝れやリュミナっ!」
「駄目だってさっちゃん」
挑発ともとれる言動に、温厚な日々川さんも耐えかねて流石の限界点に来たようだ。始めてここまで声を荒げたのを聞いた。
インターセプトでミニーが頑張るが体格差がありすぎる。清音も明らかに怖がって硬直しているし、手を出すことはないにしろロクなことになるはずかない。
「すまん、後日ちゃんとコイツから謝らせるから。一旦、帰ろうリュミナ」
リュミナへ俺は手を差し出し────
「触るなっ!!」
本気の拒絶。
足元が一瞬ふらつくほどに、強く腕を弾かれた。
「⋯⋯って?!」
そして脱兎の如く、その場から背を向け走り去るリュミナ。
「おい、リュミナっ!」
5秒出遅れた。
だがその5秒は、保護者としては余りにも致命的な時間だった。
足元の悪い道を、ペラペラの靴で追いかける運動音痴な俺と、健脚でスニーカー装備のリュミナでは、年齢差を考慮しなくても勝ち目はなかった。
全力疾走は300メートルも続かない。
水たまりに隠れた段差で足がもつれた俺は、遠くに走り去るリュミナを見つめることしかできなかった。
「ミコ先! リュミナちゃんは?!」
「3号棟を左に行ったとこまでしかわからん」
ミニーだけがドタドタと傘を差しながら追いかけて来た。
「走り回っても見つかんないよね」
「だな」
「お家、行ったほうが良いかな?」
「いや、いまはやめとこうか。俺も頭を冷やす。後で少し相談させてくれ」
「うん、わかった」
日々川さんのフォローも必要だ。
明らかにリュミナのほうが間違っていて、日々川さんの方が正しい。
ミニーから傘を受け取り、なんの色気もない相合い傘を差しながら、2人のところへと戻る。
────Тато і дідусь точно живі!
一度だけ、リュミナが叫んでいた謎の言葉はきっとウクライナ語だ。
だがそのフレーズの意味は全く分からず、頭から抜けていく異言語を後で検索する術もない。
2カ月以上あったというのに。
リュミナの本質に、歩み寄るための
今日以上にそのこと後悔する日が来るだなんて、この日の俺にはわかるはずもなかった。