起詞回声 ~ウクライナ少女と作詞おじさん、農大バンドで再起する~ 作:みゅう(蒼山みゆう)
避難先のポーランドから、空を越えて日本へ。
まさかこんな形で日本にまた来ることになるなんて、わたしは思ってもいなかった。
半日以上も座りっぱなしでとても疲れた。
ちょっと足が痛い。
まだ外に出たわけじゃないけれど、日本の空気は少し暖かいと思う。
飛行機から見た時も雪は見えなかったから、ここでならもう凍えなくていいのかもしれない。
ミコトから最初の連絡を貰う前の頃のように、シェルターや電車内で過ごす夜の怖さはもう嫌だ。
しばらく荷物の受け取りレーンで待つ。
無事に手荷物であるスーツケースを受け取れた。
これとリュックサックが、今の私の全財産だったからやっと1つ落ち着いた感じがする。
必要書類の他には、最低限の服と化粧品、ノートパソコン、スマートフォン、財布、そしてぬいぐるみ1つ。
わたしの体以外に持って来たものは、これだけだ。
ミコトとは3日だけ、子供のころに遊んでもらったことがある。
それからグリーティングカードを毎年贈りあうという、たったそれだけの小さなつながり。
ミコトはわたしのお祖母ちゃんのお兄さんの孫で10歳以上も違う年齢。
それに女と男だし、全部が違って遠い存在。
でも、他の親戚はわたしたちを助けてくれなかった。
自分たちのことだけで必死だったのだと、そう思う。
これがわたしの勘違いで、本当は連絡に気づいていないだけかもしれない。
もっと大変なことになっていたかもしれない。
でも 私を助けると言ってくれたのはミコト。
それにミコトのお母さんのアカネの二人だけだった。
お父さんとお爺ちゃんとは、スマホで話し合った。
ミコトを頼るしかない。頼れと。二人は言った。
ミコトは日本でも、少しだけお金持ちらしい。
アカネのほうが安心はできるけど、お金はなさそう。
アカネの近くでは、仕事や勉強先が見つからないかもしれないと聞いた。
大阪には時々行くからミコトに任せろって、アカネもメールで言っていた。
ミコトがダメなこと、するときは、アカネが怒るからって。
だから、わたしたち家族の中の話し合いでも、やっぱり選択肢は他にないし、ミコトを信じるしかないってなった。
裏切られないか、見捨てられないか、不安だった。
ミコトはそれから毎日メールをくれるようになった。
ミコトの言うことはいつも正しかった。
大使館や旅行代理店に行くときに手続きがすごく早くて、待たずにすんだ。
メールで何度も書類のPDFを送りあっているうちに、チケットもビザも貰えた。
ミコトはすごい大人だ。助けてくれるんだ。
最初のメールのあとに、すぐに日本からわたしへお金も送ってくれた。
シェルターなんかじゃなくって、きちんとしたホテルで、二か月は生活できるだけのたくさんのお金を。
だからとても嬉しかったけれど、日本に行った後のことを考えると怖かった。
今のミコトは、どんな人だろう。
メールの最後にいつも : ) とだけ入っている。
でも、ミコトの顔はまだ見えない────どんな笑顔なの?
前のままみたいに、優しいお兄さんなのかな。それとも違うの?
優しくしてくれるのは、何でなのかをわたしは知らなくちゃいけない。
ただ情が深い親戚だからか。
誰にでもそうする聖者様だからなのか。
それとも身体目当ての悪魔なのか。
集合用の写真は見たけれど直接その顔を見ないうちは、わたしにはわからない。
ミコトは、もうおじさんだ。
年齢よりまだ若く見えたけれど、同じ年代の男の子たちと比べたら格好よくはないと思う。
けれど、結婚してくれるのなら、安全なら────全部委ねてもいいかもしれない。
もう、半分はそう決めていた。
コロナの検査を行っている間は、そんなことをもう一度、色々考えていた。
そしてコロナの検査も無事陰性。これでもう障害は何もなくなった。
ゲートをくぐって、たくさんの人が並ぶロビーに向かう。
目線を上げると、いくつかユーラトピア語のボードがあった。
『……クロスだ』
看護戦士ヒーラームーンに出てくる額の十字傷がチャーミングなジト目のトラ猫。やる気もないし、いつも寝てばかりだけど、最後は絶対助けてくれる優しい子。そんなクロスが、私の名前を呼んでいた。
少し、肩の力が抜けた。
毎年、次のカードに描いてほしいキャラを伝えていた。
その最初、日本での別れの際に頼んだのが、クロスのイラストだった。
『あぁ、大丈夫なんだ』
ミコトも私に気が付いた。
やっぱりミコトはおじさんになっていた。
前より少しだけ、前の髪の毛が少ない。
そして何も言わない。変な顔をしている。
ミコトは一旦考え込んだ。
そして、不思議な顔でランチへ私を誘った。
何を考えているんだろう。
◆
何をリュミナに食べさせるべきか。
前は寿司で喜んでいた気がするが、疲れていそうだし、遠慮されるかもしれない。
あまり空港でのネタの鮮度は期待できないからパス。
ラーメンも最初の会話にしては時間がとれなさすぎるからなし。
箸のレベル感も不明だから定食屋もいったん抜くとすると、自然と選択肢は絞られた。
大阪のソウルフード、お好み焼きなら少し待ち時間で会話もできるし、気も使わせすぎない。
定番のチェーン店で、外れがないことも確定している。
どれがいいかと最初から色々聞かれるのもストレスだろうから、こちらである程度勝手に決めていく。
アレルギーもないようだし、とりあえず王道のミックス二つを頼んだ。
この店は店員が厨房である程度料理してくれるタイプの店。
だからこそ、ほどほどに長い待ち時間の間に重要な話を進めることとした。
まずは、俺のスマホで翻訳アプリ起動させ、机に置いた。
日本語はおそらく問題なくやりとりできているし、英語もお互いほどほどにはできるがネイティブではない、念のための対応だ。そして、彼女に渡すべき大事なものを並べていく。
プリペイドのSIMカード、日本版の最新型スマホ、銀行や役所で使うためのハンコ、取り急ぎの生活費の入った封筒、防犯ブザー、そしてポータブル電源とスマホの充電コード。
「ミコト、ねぇ。これはなに?」
「リュミナ、これは全部、君のものだ」
「全部? このスマートフォン、新しい。すごく。……いいの?」
目を見開いたリュミナは俺の顔色をうかがうように、少しかがんだ姿勢から、上目遣いで見上げる。プレッシャーに感じているかもしれないが、それでも受け取ってもらわなければ、話が始まらない。
「全部、君のものだ。リュミナ。使い方をこれから教える。ゆっくり日本語でしゃべるけれど、わからなかったら、言ってくれ」
「わかった。わからなかったら言う。ありがとう、ミコト。」
とりあえず、自分もお手拭きを使い、コップの水を口にする。
リュミナもそうするよう促すと彼女もそうした。少しはこれで落ち着くだろうか。
「これは、2か月分くらいの料金が入ったSIMカードだ。君のスマートフォンに入れれば、日本でも使える。この道具でカードを入れ替えるから、君のスマートフォンを貸してくれるか?」
「はい」
「これでよし、電源を入れればつかえるはず。次にこれを登録する」
新しいスマホの顔認証画面を呼び出す。
「同じメーカーのだから登録の仕方はわかるな? そう、画面の指示に向かって写真を撮ってくれ」
長い髪を手櫛で急いで整え、左右俯瞰鳥瞰と写真を撮っていく。
艶が消えているとはいえ、元の造詣があまりにも良すぎる。
もう少し健康になれば十分モデルでも通用するレベルだろう。
身長も170程度はあって低くないしな。残念ながら靴次第では俺のほうが若干低い可能性まである。
どうやら無事撮り終えたようだ。
「それから番号は、9・8・7・6・5だ。あとで変更しておいてくれ。それから、画面を少し貸してもらえるか? ここにアカネと俺のメールアドレスと電話番号を登録している。それからこれが翻訳アプリだ」
そう伝えて俺と同じ定番翻訳アプリを起動させる。月額有料制の高機能版だ。生命線となるものにケチケチはしていられないだろう。実際に触らせてみながら、他の渡すものについても説明を加えていった。
「はーい、おまたせ。ミックス二丁あがり! お兄ちゃん。鰹節と青のり、マヨとカラシは?」
これぞ大阪の模範例として挙げたいほどの、パンチパーマで虎柄なマダムが愛想よくホカホカのお好み焼きを持ってきながら言う。
「カラシはこっちの1つだけ。あとは全部ありでお願いします」
「カラシがこっちで、あとは全部ありやね」
目の前の鉄板に滴り落ちるソースが、蒸気となって濃厚な香りと共に立ち上る。
そして鮮やかな手つきでマヨと辛子マヨをそれぞれのお好み焼きにように飛ばし、鰹節と青のりを豪快にふりかける。
リュミナに小さなヘラを渡す。
「これは”ヘラ”だ。こうやって、まずは切り分ける」
熊本出身の俺も大阪に来てから知って戸惑ったが、こちらではサイコロ状にまず切り分けてから食べることが多い。リュミナにやり方を見せ、やってみるよう促してみる。
「自分でやってみようか」
「うん」
体重をかけながら、見よう見まねで切り分けるリュミナは豚肉のところだけ、うまく切りはなせず苦戦しているようだ。
「俺がするよ────はい」
「ありがとう」
「それじゃあ食べよう。覚えているか? “いただきます”だ」
「うん、覚えているよ。いただきます」
日本に来たばかりのときにうちの母親が教えたように、礼儀正しく手を合わせて彼女は言った。
「ヘラでお皿に移して箸で食べてもいいけれど、この地域ではこう食べる」
ヘラからの直接食い。日本食はそれなりにユーラトピアでも食べていたようだが、どこまでお箸に慣れているか不明だったので、食べやすい方法を教える。
俺は欲張って大きめに切り分けていたのがいけなかったのだろう。
「ぶっ、あっつ!!?」
半分口からこぼしそうになり手で覆い見苦しい姿は見せないようにする。
そして一気に水で流し込んだ。
「大丈夫?」
「あ、あぁ大丈夫だ。とても熱いから、注意するんだぞ。こうやって、ふーっと冷ますんだ」
「うん、わかった」
すごく心配そうな目で見られた、と思う。そしてリュミナは俺の二の舞になるのが怖いのか、恐る恐る何度も息を吹きかけたあと、慎重にヘラの半分ほどの量を口に入れた。そしてゆっくり咀嚼し飲み込んだ後、俺はリュミナに問いかけた。
「おいしい?」
「おいしい、よ。……おいしい。おいしい」
そう返す、彼女は顔を上げず、俯き気味なまま呟く。
元気になった、とはまだ到底言えなさそうだ。
さっきの俺のアホな姿では笑いを取ることもできなかったし、しばらくは慎重に接する必要があるだろう。
本当は服などの買い出しも考えていたが明日のほうが良さそうだ。
さっさと彼女を眠らせてあげるために、これを食べたら早くアパートの案内にして、寝せてやろう。時差ボケもあるしな。
ゆっくり噛みしめるように食べるリュミナを見守りながら、時間とこの笑いの都のご利益が彼女を少しでも笑顔にしてくれればいいのにと、ふと俺はそう思った。
クロスの画像はAI使用です