不死終末黙示録 狩人篇   作:FROMG・E

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第十六話 【呪いの雨と狐毛の女】

<漁村>

 

時計塔から抜けた狩人の眼前に広がっていたのは、既に滅びた廃墟群、廃れて遠い集落の痕であった。

 

水に沈んだ集落には、しとしと優しく生暖かい雨が降り注いでいた。

 

頬に垂れ堕ちた雫を一舐めしてみれば、味は濃い人血にも似た甘さと、熱く舌を焼き刻む鋭さを併せ持ち、それはまるで誰かの涙であり、あるいは愛憎怨怒の類であっただろうか。

 

水面下に沈む光景をよく見ればそれはヤーナム市街のようであり、助言者曰く「悪夢はすべてが逆さまになっている」との事である。

 

そして、聖歌隊の呼称する宇宙とは、この逆さまの悪夢の最上部に位置する場所であり、それは深海と呼ばれる上位者の住処であるらしい。

 

雨にやられたのか、あるいは村を満たす水により腐ったのか、木々は立ち枯れ、遠くでは慟哭にも似た雷が鳴り響いていた。

 

あちこちに点在する岩の台には無数の貝殻が積石の如く積み上げられており、それはケルンの石にも、三途の川に積み上げられるとされる「賽の河原の積み石」にも似ていた。

 

仮にこれが賽の河原の積み石を象徴する何かであるとするのならば、果たして何者の罪を象徴するのであろうか?

 

蝋燭の浮かべられた船の中には魚類の特徴を有した人型の異形が入っており、舟板には藤壺がびっしりと付着していた。

 

その時であった、村の奥から何かを呟きながらこちらへ歩み寄る、何者かの存在を発見した狩人は急いで回転ノコギリを取り出し、雷光の機構を発動して構えた。

 

相手が何者であるにせよ、このような場所に居る者が、まともであるはずがないからだ。

 

やがて間合いに入ったその異形は、おぞましい形貌をしていた。

 

謎の皮で出来た袋状の被り物をして、体中には装飾のような紐飾りを繋げており、だがその四肢末端から覗き見える形は人のそれではない、まるで魚のような鱗と両生類に似た水かきを備えていたのだ。

 

助言者曰く「漁村の司祭」と呼ばれるその異形は、いわばこの廃墟群にかつてあった宗教を纏める聖職者のような存在であり、だがかつての襲撃により狂ったのだという。

 

司祭は虚ろな呻き声を上げながら、何かの言葉を呟いていた。

 

「ビルゲンワース・・・ビルゲンワース・・・」

 

「冒涜的殺戮者・・・貪欲な血狂い共め・・・」

 

「奴らに報いを・・・母なるゴースの怒りを・・・」

 

この時、狩人は納得した。

 

助言者の言っていた「真なる教会の罪」とは何のことか。

 

真なる罪とは実験棟の惨劇ではなく、教会よりずっと前の、ビルゲンワースに居た学徒たちによるものなのだという事に。

 

そうなると、あの実験棟における海と上位者の繋がりにも合点がいく。

 

漁村の住民は司祭と同じように、母なるゴースと呼ばれる上位者の恩恵を受け、上位者の眷属となっていたのだろう。

 

そこに目を付けた当時のビルゲンワースが何か語るにおぞましい殺戮を起こし、それはやがて実験棟の惨劇を介し、血の医療へと繋がったのだと。

 

「ギイッ!ギイイッ・・・」

 

「憐れなる、老いた赤子に救いを・・・」

 

「どうか、救いのあらんことを・・・」

 

「・・・奴らに報いを・・・」

 

「赤子の赤子、ずっと先の赤子まで、永遠に血に呪われるがいい・・・」

 

「不吉に生まれ、望まれず暗澹と生きるがいい・・・」

 

「ギイッ!ギイイッ・・・」

 

その時、負と狩人は司祭の言葉に聞き覚えのある単語が混じっている事に気が付いた。

 

『だから奴らに呪いの声を』

 

『赤子の赤子、ずっと先の赤子まで』

 

そう、それは狩人がアメンドーズによって悪夢へと導かれた際に聞こえた、謎の声。

 

その声の主こそが「母なるゴース」そのものであったのではないだろうか。

 

古狩人たちが悪夢に囚われるのは、血に酔うからではない。

 

遥か昔にビルゲンワースが起こした罪による怒り、上位者ゴースの呪いであり、ゆえに底なしの、血みどろの獣狩りが続いていたのだと。

 

「憐れなる、老いた赤子に救いを・・・」

 

「ついにゴースの腐臭、母の愛が届きますように・・・」

 

「ギイッ、ギギギギイッ・・・」

 

「・・・呪う者、呪う者。幾らいても足りはしない」

 

「呪いと海に底は無く、故にすべてがやってくる」

 

「さあ、呪詛を。彼らと共に哭いておくれ」

 

「我らと共に哭いておくれ・・・」

 

「ギイッ、ギギギギイッ・・・」

 

やがて司祭は狩人に一つの頭蓋骨を渡した後、深い海の底へと飛び降りて悪夢の底へ沈み消えてしまった。

 

【呪詛溜まり】

 

助言者曰く、狩人に手渡されたそれこそがビルゲンワースの罪の歴史、その悲惨な爪痕の一つであるという。

 

それは漁村の民たちの頭蓋を刳り貫き、上位者へと至る為の徴たる「瞳」を探した産物であるという。

 

その惨劇による怨嗟と怨念が詰まったその頭蓋はまた、神秘により呪詛を開放し、罪人たちを襲い食らうのだと。

 

そしてそれを託された理由は、狩人の内に潜む「神秘の瞳」そして「上位者の匂い」が関係しているのではないかとの事であった。

 

狩人は呪詛溜まりの頭蓋骨を懐へ仕舞い込んだ後、既に人の消えて長いであろう漁村の探索を開始した。

 

藤壺の付着した家が点在する裏通りへ入り込むと、空気が一変した。

 

先程までは感じ取れなかった、村民たちの怨嗟の念が一斉に狩人の周囲を瘴気のように漂い始めたのだ。

 

狩人は人間の頃より「人ならぬ気」を感じ取る、所謂霊感のようなものに長けており、かつての戦場に於いても無数の死者の念を数え切れぬ程目撃してきていた。

 

そしてその霊感が映し出した光景、それはまさに「冒涜的」と称する他はないものであった。

 

数々の学徒装束に身を包んだ者たちが、逃げ惑う村民たちを襲い、首を斬り落とし、頭蓋を叩き割り、切削棒のようなもので脳を抉り抜き、その手で瞳を探し、肉塊と化した脳味噌を舐め啜る者さえ見える。

 

その中にはあの「時計塔のマリア」や助言者に似た風貌の煤けたマントを羽織った狩人、そしてその付近に付きまとう、初見の筈だが雰囲気に覚えのある狩人が確認できた。

 

狩人は「鎮静剤」を飲み干して精神を強制的に統一し、脳内に満ちる怨念の映像を強制的に掻き消し、探索へ戻った。

 

壁際に並べられた樽の中には蛞蝓がびっしりと詰め込まれており、地面には海豚の頭骨に似た頭蓋骨を持つ動物の化石が埋まっていた。

 

背筋も凍り付くような怨念の中、だが不思議と生暖かい雨に包まれた村内を歩き散策を続け、やがて狩人はまたも「罪の爪痕」を発見してしまった。

 

暫く進んだ先にあった家と崖を繋ぐ梁を見上げると、そこには首を捥がれ、寄生虫に巣食われた遺骸が逆さ吊りにされていた。

 

逆さ吊りにされた首無し死体はカレル文字「狩り」によく似た形をしており、かつてのビルゲンワースの学徒、カレルがこれを目の当たりにした事により見出されたものである可能性は否定できない。

 

助言者曰く、これは過去にビルゲンワースが漁村を襲撃し、"選ばれた者"の頭蓋の内に瞳を見出そうとした、罪の跡なのだという。

 

怨念を遺志に変える上位者の力を常時発動していなければ、とうに発狂して死に腐り落ちているであろうこの環境において、狩人はこれまでにないほどの、真剣な表情を浮かべていた。

 

それはかつての戦時中と同じ「死の間際に身を置く」ゆえに形作られた感情であり、それは同時に膂力や全ての感覚、戦闘能力などの、生存に直結する能力を飛躍的に上昇させる感情でもある。

 

その時、遥か遠くからおぞましい程の血の香りが漂い始めた。

 

狩人はその根源を探すも、目視では届かない場所のようで、見つける事は叶わなかった。

 

その香りはこれまで進んできた環境のどこかで嗅いだ覚えのあるものであり、だがそれを想起し、特定する余裕はなかった。

 

塩水と生暖かい雨は狩人を濡らし、狩人の心をじくじくと錆びさせる。

 

すると、あちこちの家屋の軒下から異形の化物が姿を現し、仇と言わんばかりに襲い掛かって来た。

 

異形は皆、背部に髭状の組織を束ねた鰭を備え、藤壺を宿し、毒の塗られた銛を担いでいた。

 

半ば腐りかけたような潮の香りと異形の淀んだ腐臭、無数の死者たちが織り成す怨嗟の念、未だどこかから漂い来る、おぞましい血の香り。

 

この全てが混じり合い、漁村は病める臭気を生み出していた。

 

狩人は回転ノコギリを取り出し、襲い来る異形達を殲滅し始めた。

 

回転ノコギリが火花を散らしながら回転し、異形の肉を削いでゆく。

 

異形の血はおぞましい程乳白色に膿んでおり、飛沫した其れは、冒涜的なまでの、恐ろしい腐臭を放っていた。

 

数分後、膿に塗れた姿のまま、唯一人、狩人は立っていた。

 

恐らく先程の異形は漁村の生き残りの民であり、だが今はそれを躊躇している暇などないのだ。

 

襲い来る獣や異形は、一匹残らず斃さねばならない。

 

残虐な精神を持たず、葬送たる慈悲の心持で行うべき狩りはまた遺志を生み、巡りくるそれを狩りの力とするのだ。

 

それこそが「遺志継ぎの狩人」筆頭たる狩人の責務であり、だが同時に、蟲狩りの連盟の意志も尊重せねばならない。

 

蟲狩りの遺志はまた、連盟員の悲願であると同時に、悪夢にて手に入れた「長の鉄兜」と「古びた連盟の杖」そして血に酔った未熟な連盟員たちの「淀みの狩人証」に宿る遺志でもあるのだから。

 

狩人は比較的清んだ色の水を探すべく、探索を再開した。

 

恐らくは井戸水でなければ効果はないだろう、その証拠に足元を流れる海水を汲んでみると、それは清い海水の香りを纏いながらも、一飲みした瞬間に怨念の映像が浮かび上がって来たのだから。

 

さらに厄介な事に、装束に纏わり付く膿んだ死血の腐臭は怨念を引き寄せる効果があるようで、一刻も早く流し落とさねばまたあの光景が浮かび、足止めを喰らいかねない。

 

暫く漁村内を探索しているうちに、とある事に気が付いた。

 

家屋は内部にまで海水が侵入し、手摺や内壁にも藤壺がびっしりと付着しているのにも関わらず、木は朽ちる事なく形を残し、粘液を纏う岩肌は生きているように脈動し、温かく濡れてすらいる。

 

やがて、漁村の中心に井戸を発見した狩人は、水を汲むべく鶴瓶を落とした。

 

水音と共に、鶴瓶が水面に落ちた事を確認するが、その途中で滑車が破損してしまった。

 

恐らく長年使われないうちに朽ちてしまったのだろう、狩人は井戸底から聞こえる不気味な鼻歌に警戒しながら、梯子を用いて挑底へ足を踏み入れた。

 

井戸の中には広大な空間が広がっており、水面は澄んでいたが浅く、一口飲んでみればやはりそれは呪いの水であった。

 

水面下にはうぞうぞと蠢く蛞蝓が洞窟中をびっしりと埋め尽くしており、その時、轟音と共に二体の異形、それも巨人の如き体躯を為した者が現れた。

 

助言者曰く「瘤あたま」と称されるその異形は、確かに背中一面におぞましい瘤を付けており、病に侵されているのだと予想できた。

 

その時、一匹の瘤あたまが狩人の匂いに気付き、ゆっくりと狩人に顔を向けた。

 

顎は開いたままで、上顎にはびっしりと名状し難い何かが生え揃い、右手には錨を握っていた。

 

狩人は大きく飛び上がって異形の頭上に降り立ち、掌から高濃度の神秘の粘液を放出し、瘤あたまの肉体を融解させた。

 

刹那、背後に現れたもう一匹の瘤あたまに体を掴まれたかと思うと、滅茶苦茶に振り回された後、半身を上下に引き裂かれてしまった。

 

だが、既に上位者として覚醒しつつあった狩人がその程度で死ぬはずもなく、超高濃度の神秘の体液を直接浴びてしまった瘤あたまは先程と同様、肉体が融解して死んでしまった。

 

やがて狩人が肉体を再構築した後、蛞蝓溜りの奥に光り輝く何かを見つけた。

 

それは、マリアがかつて暗い井戸に棄てた名刀「落葉」であった。

 

狩人の持つ落葉とは少し違い、軽く短い、取り回しの容易な造となっており、それはまた、改造前の特徴と相違ない代物である。

 

ただ心弱気が故に業を信じ切れず、だがそれでも尚あの域にまで極まったマリアは、やはり優れた狩人であったに違いはないだろう。

 

あの忌まわしい光景は、もはや助言者と狩人のみが知る影の歴史であり、今はもう、誰に知られる危険もない。

 

狩人は井戸を脱した後、探索を再開した。

 

呪われた住民を狩りながら、血の香りのする方角を目指し進んでいると、魚と犬の中間生物の遺骸を発見した。

 

その遺骸は無残に貪り食われた痕跡があり、傷跡には白銀の体毛が付着していた。

 

すぐさま狩人が周囲を見渡すと、坂の上の広場には辺り一面に膿んだ血と腐った臓物がばら撒かれており、恐ろしい死臭が漂っていた。

 

すると、広場の奥から水の滴るような、何かを貪る様な音がする事に気が付いた。

 

狩人が静かに丘を上ると、そこには異様な形貌をした耳長の獣がおり、先程の異形達を喰らっていた。

 

刹那、耳長の獣が毛皮の内からおぞましく血濡れた器官を伸ばしたかと思うと、強烈な超音波を発してきた。

 

精神を揺さぶる甲高い音に狩人は思わず心を乱し、その瞬間、再び怨念の光景が脳裏に浮かび上がって来た。

 

そこに映し出されたのは、またもや漁村の惨殺映像であった。

 

助言者のような狩人が海岸へ向かう姿が見え、その後ろから、時計塔のマリアと先程の謎の狩人が付いてくる所、そして貝女を守る司祭の風貌をした村民に対し、助言者風の男は葬送の刃を、マリアは落葉を、謎の狩人は見た事もないような狩道具で漁村の民を襲撃している様であった。

 

「狩人、どうした!獣が襲い来るぞ、避けるんだ!」

 

だが、呪いの映像に心奪われる狩人に助言者の言葉が届く事はなく、耳長の獣は悠然と狩人に迫ってゆく。

 

その様はまるで、動けなくなった獲物にとどめを刺す肉食獣のようであった。

 

助言者の声に驚いた狩人は急ぎ鎮静剤で脳を鎮め、しかし僅かに手遅れであった。

 

ほんの一瞬の隙をついて耳長の獣は飛び掛かり馬乗りになって喉笛を食い千切り、腹を裂いて内臓を喰らい始めた。

 

脊髄を強靭な歯で砕き、脊髄液をチロチロと舐め啜り始め、大脳を豆腐の如く一呑みにする。

 

狩人は狩装束に残った血液から肉体を再構築し、耳長の獣の背後にぴたりと張り付き、飛び上がった。

 

落葉に群青色の粘液を纏わせ、秘儀の準備に入る。

 

だが次の瞬間、耳長の獣は爆音と共に爆ぜ、血痕すら残さずに吹き飛んでしまった。

 

「おお、獣の隙をついて体内に仕込んだ爆弾で爆殺するとは。考えたな?狩人よ」

 

助言者はこう言ったが、あの爆発は狩人の業では無かった。

 

狩人は、腕を引き裂いて上位者の腕部を形成した後、残された血の匂いから獣を狩った何者かを探し始めた。

 

その時であった、上層の小奇麗な小屋前に、あの狐毛の女の姿が見えたのだ。

 

狩人は上位者の腕を戻した後、右腕から小アメンの腕を伸ばし飛び上がった後、女を影から観察し始めた。

 

女は小屋に入り、ぶつぶつと喋っていた。

 

狩人は、自身の気配を悟られぬよう青い秘薬を分泌して姿を消し、入り口に張り付いて屋内の様子を窺った。

 

「・・・ああ、あんた、どうやら俺は、しくじったらしい・・・」

 

「無様なものだ、狩人シモンよ」

 

女の声と、聞き慣れぬもう一人、男の声が聞こえた。

 

「シモンだと?まさか、生存者は・・・そうか、つまり・・・」

 

助言者はこの現象を自己完結させ、話にならない。

 

狩人は続けて聞き耳を立てた。

 

「・・・鐘の音が、まだ聞こえやがる・・・」

 

「・・・獣の皮の殺し屋が、俺を殺しにやってくる・・・」

 

「・・・ずっと、ずっと・・・」

 

「・・・終わりなく・・・」

 

「・・・グウッ・・・ウッ・・・」

 

「・・・あんた、お願いだ・・・」

 

「・・・この村こそ秘密。罪の跡・・・」

 

「・・・そして狩人の悪夢は、それを苗床とした・・・」

 

「・・・お願いだ、悪夢を、終わらせてくれ・・・」

 

「・・・たとえ罪人の末裔でも・・・」

 

「・・・憐れじゃあないか。俺たち、狩人たちが・・・」

 

「・・・あんまりにも、憐れじゃあないか・・・」

 

「・・・グウッ・・・ウッ・・・」

 

「・・・グウウッ・・・」

 

「幻覚を覚え、介錯を望むか」

 

刹那、眩いまでの月光波が小屋の中に収束し、壁を貫通して狩人に注がれた。

 

そして女はゆっくりと小屋から出、腹を貫かれた狩人に接近した。

 

「貴様、月の香り・・・シモンの告げた刺客か」

 

女は九尾の如き紫焔を現出させ、狩人を冷たい殺意の眼で見つめる。

 

深紅の瞳にはおぞましい程の怨念が宿り、もはや人の物ではなかった。

 

狩人は首を横に振り、刺客ではない事を伝えた。

 

それに、獣皮の刺客は既に殺した後である、という事も。

 

「そうか、すまないな」

 

「我が名は・・・純狐。月の民に仇なす仙霊である」

 

狐毛の女は、名を純狐と言った。

 

その時、狩人は月の都にて、嫦娥と名乗る者より、純狐の殺害を依頼されていた事を思い出した。

 

少し訝しげに、嫦娥という女について質問を試みた。

 

「嫦娥を知っているのか・・・?」

 

「ならば貴様も、月の手の者か?」

 

「私の質問に答えるがいい、貴様が月の刺客か、否であるのか」

 

「そうであるのならば、褒美をやる」

 

「純化の力で、痛みもなく殺してやろう」

 

突如強まった純狐の殺意に押された狩人は大急ぎで否定の言葉を告げた後、少し考え、暗殺の実行を見送る事に決めた。

 

これ程の実力がある者を、未だ狩りの使命の残るうちに殺すのは得策ではないと判断した為だ。

 

それと、彼女の装束には覚えがあった、幻想郷の人里で、奇妙な星の被り物をした女と共に歩く様を見た記憶があったのだ。

 

「そうか・・・」

 

そこから純狐は何も言わずに月光の刃を仕舞い、狩人の後ろに付き従い始めた。

 

やがて、シモンの小屋から少し先に進むと墓があり、そこには時計塔前にあった、白い花が供えられていた。

 

この香りは星輪草のものであり、供えた者の正体は恐らく、あのマリアであろう事が伺える。

 

「・・・人ならぬ者よ、名は?」

 

不意に、純狐が狩人に話しかけてきた。

 

本当の名前は覚えていない事と、今は狩人と名乗っている事を正直に告げる。

 

「・・・なるほど、狩人か。では以後、貴様は月の香りの狩人と呼ぶぞ」

 

その時、橋の向こうから鐘の音が鳴り響き、一人の狩人が姿を現した。

 

純狐は掌に月光の刃を形成し、構えた。

 

謎の狩人は己の腹に何かを突き立て、どす黒く淀んだ血と共にそれを引き抜いた。

 

狩道具に血の棘が絡みつき、おぞましい形状と化していた。

 

狩人はそこで、先程の血の香りの正体を掴む。

 

このどす黒く淀んだ血こそが、おぞましい香りの根源であったのだ。

 

それはまさに獣皮を被った殺し屋であり、だが先程、あの牢屋で純狐が殺したはずだ。

 

急いで懐の獣皮と槌を確認するも、そっくりそのまま仕舞い込まれたままであった。

 

恐らく眼前の狩人は牢屋前にうろついていた亡霊と同じ手合い、すなわち死してなお残る遺志の残滓であると睨んだ狩人は、落ち着いた様子で落葉に蒼き神秘の刃を纏わせ、謎の狩人を斬った。

 

それと同時に純狐も月光の刃を振るい、謎の狩人を斬った。

 

謎の狩人は赤黒い瘴気を残し、消えていった。

 

「礼を言う」

 

純狐は狩人に感謝の意を示し、狩人は連盟の誓いでこれを返した。

 

「我は先の嫦娥を殺す為に旅をしている」

 

「だが何の因果か、奴の塔へ入ったかと思えば、今ここにいる」

 

「旅は道連れ、世は情けと、ヘカーティアより習った」

 

「ゆえに暫しの間、貴公に付き合おう」

 

何とも言えない、限られた一時ばかりの縁ではあるが、狩人は強大な戦友を手にしたも同然である。

 

そうした後、狩人と純狐は屋根に張られた橋板を渡り、室内に入った。

 

助言者は何か言いたげだが、何も言わないので無視する事にした。

 

刹那、甲高い絶叫と共に水底から悪夢の獣が飛び出してきた。

 

「狩人、悪夢の獣だ!」

 

今度は確実に息の根を止めるべく、事前に鎮静剤を服用し、落葉を抜き放つ狩人。

 

そのまま左腕を変形させて大きく飛び上がり、悪夢の獣の頭蓋骨を抉り取った。

 

落葉を串刺しにし、繋がったままの脊髄を、神秘の上昇力により芋蔓のように引き抜いてゆく。

 

勝利を確信した瞬間、眼前に翼を広げた悪夢の獣が姿を現した。

 

思わぬ奇襲に虚をつかれた狩人は、延髄に同時六連発の兜砕きを見舞われてしまい、姿勢を立て直す暇すら与えられぬまま、水飛沫と共に地面に叩きつけられた。

 

そのまま追撃と言わんばかりの勢いで馬乗りになった悪夢の獣は、見る見るうちに姿を変えていく。

 

鴉羽を纏った巨大な翼は腐り落ちて地面に溶け込み、消滅した後、異形の捕食器官を展開する。

 

六本の骨張った腕は一対を残して消え去り、その一対も更なる異形化を始めた。

 

仮面の如き顔は崩れ落ちて蕾状に、背部の捕食器官と腹部のアメンドーズが肉塊となったかと思うと、入れ替割るように形を変形させた。

 

青き雷を剣状の尻尾に纏わせたその様相は、宛ら蠢く触手生物の如きであった。

 

剣状の主尾を覆うように生えた副尾には赤桃色の粘液が纏わりつき、触手が震える度に零れ落ちた。

 

不意に、悪夢の獣が無数の瞳を生やした触手を足元蠢く異形達に向け、赤い光を放った。

 

その瞬間、異形達は爆音と共に爆ぜ、血肉を周囲に散らした。

 

先程の耳長の獣が爆ぜたのは、隠れた悪夢の獣による攻撃であったのだ。

 

神秘の粘液を身体に纏った狩人は加速によって悪夢の獣の重圧を脱した後、輸血液にて砕けた肋骨を修復し、獣の爪を展開して悪夢の獣の心臓を握り潰した。

 

甲高い断末魔と共に倒れ、屋根を破壊する悪夢の獣。

 

傷口から流れ出す血の色が緑色へと変色し、腐臭を放ち始める。

 

「危機一髪だったな、狩人よ・・・・・・・・・後ろだ、避けろ!」

 

助言者の指示に驚いた狩人が見たのは、巨大な獣の脚であった。

 

悪夢の獣は死んでいなかった。

 

腐敗した死血を傷口から流し、死を偽装して隙が生まれる機会を伺っていたのだ。

 

一瞬の隙を突かれた狩人は悪夢の獣に踏み潰され、黒獣の蒼き雷光で動きを封じ込められた。

 

周囲の海水により威力を増したそれは、半上位者の身にある狩人を足止めするには、些か十二分たる威力であった。

 

悪夢の獣は狩人を踏み潰したまま、純狐の方に向き直り、尋常ならぬ角度へ音を立てながら不気味に首を曲げる。

 

「貴様、何時ぞやの獏か」

 

「魂の穢れた、悍ましき化物め」

 

純狐は掌に月光を集め、悪夢の獣の上空に超高密度弾幕を展開した。

 

「死ね」

 

それは「死」の概念を純化させた弾幕であり、常なる命を持つ者であれば、いかなる壁に包まれて居ようとも、この弾幕から逃れる術はない。

 

蓬莱人すら再生阻害し得る性能を持つこの弾幕は、まさに「死神の刃」そのものであった。

 

悪夢の獣は次々と襲い来る弾幕をアメンドーズの神秘光線で迎撃していたが、余りの密度に対応が間に合わず、かなり被弾していた。

 

徐々に生命反応が弱まり、真の意味での「死」が近づきつつあった。

 

刹那、悪夢の獣は大きく平面移動し、海の底へ逃げていった。

 

「憐れなり、月の香りの狩人よ」

 

また、孤独になってしまった。

 

弔いの祈りを上げるべく純狐が死体を確認しに現場へ向かうと、そこには五体満足で狩道具の手入れを行う狩人の姿があった。

 

「亡霊か、はたまた幻覚か?」

 

流石の純狐も、あの状態から生還するとは思ってもみなかったようであり、やや困惑気味であった。

 

あそこから生還するなど、蓬莱人や月の賢者たち、或いは地獄の女神たるヘカーティアらに匹敵する実力者でなければ有り得ないと考えていた為である。

 

狩人は純狐の肩に手を置き、幻覚でも亡霊でもない、生身である事を伝えた。

 

「月の香りの狩人。貴様、蓬莱人か」

 

狩人は首を横に振ったが、何者であるかの説明をする事は出来なかった。

 

蓬莱人の存在は嫦娥との邂逅で知っていたが、それを説明すれば、純狐との戦闘は避けられないと考えたのだ。

 

「貴公、星の香りの狩人。アンナリーゼだ」

 

その時であった、どこかから不意にアンナリーゼの声が聞こえた気がし、思わず辺りを見渡した。

 

だが、その姿はどこにも見えない。

 

もしやと思い懐を探ると、そこにあったはずのアンナリーゼの肉片は消え去っており、刹那、腹の中より熱く蠢く内臓の感覚が伝わって来た。

 

どうやらアンナリーゼの声は純狐には聞こえていないようであり、彼女は半ば不審そうにしていた。

 

「貴公の体内だ。貴公の肉体を間借りしている」

 

再びどこかから女王の声が響き、連動するように腹の肉塊が熱く蠢いた。

 

どうやら先程、悪夢の獣に踏み潰された際に狩人の臓腑とアンナリーゼの肉片が混じり合い、そのまま融合してしまったらしい。

 

「フフフ・・・」

 

「私も長く生きているが、肉体を融合させるのは初めてだ」

 

「私の肉体を取り込んだ事で、貴公はもはや我が血族」

 

「復活するまで暇を持て余す」

 

「ゆえに貴公、しばしの間、話し相手になりたまえよ」

 

アンナリーゼは上品に笑い、それと共に再び臓腑が熱く蠢いた。

 

やがて狩人と純狐が道なき道を歩いていると、不意に、月の都で嗅いだ、濃厚な血の香りが何処かから漂っている事に気が付いた。

 

「・・・月の香りの狩人よ、こっちだ」

 

純狐は道が見えているかのように一人で歩き出し、慌てて狩人も後を追いかける。

 

道を奥へ進む毎に、腐臭と潮の香りが強まってゆく。

 

気が付けば、辺り一面には蛞蝓が蠢いており、得体の知れぬ胞子と腐敗し潮風に侵された貝と人間の中間生物が這いずり回っていた。

 

純狐は月光の刃を作り出し、人貝達を斬り刻んだ。

 

狩人はこの光景に、僅かな覚えがあった。

 

それは先程怨霊に見せられた映像の一部であり、だが惜しい事に狩人がその事実に気が付く事はなかった。

 

そして、海岸に辿り着いた狩人と純狐は、そこに恐るべきものを発見した。

 

おぞましく輝く歪んだ黄金の月が、二人を哀しげに照らしていた。

 

しんしんと降り注ぐ生暖かい雨が、狩人の頬を撫でるように濡らしてゆく。

 

恐ろしい悪夢、深淵の果てまで続くように広がる海の底には朽ち果てた帆船が沈み、僅かな帆の切れ端を残したマストが海面から顔を覗かせている。

 

ざわざわと心に沁みゆく波の音は、目覚めぬ悪夢に救いをもたらす。

 

冷たく濡れ沈んだ砂浜、その海岸に打ち上げられた、謎の遺骸。

 

助言者曰く、これは上位者ゴースの遺骸であると言う。

 

上位者ゴースを、漁村の民は母なる者と崇め、奉った。

 

狩人は波打ち際に駆け寄り、打ち寄せる海水を掬い取った。

 

意外な事に、黒く淀んでいると思われた海水は澄み切っており、狩人はそれを無意識に飲み干そうと口へ運んだ。

 

「貴公、それを口にするのはやめておきたまえよ・・・」

 

「それは呪いの水。飲めば再び、深き呪いの海に侵されようぞ」

 

不意にアンナリーゼは狩人に警告を発した。

 

何故、狩人が呪いの水に侵された事を知っているのか。

 

それは、血の女王たるアンナリーゼのみが知る事だ。

 

「・・・月の香りの狩人、あれは何だ?」

 

不意に純狐が、地平線の向こうを指した。

 

何が見えたのか聞いてみると、海を泳ぐ巨大な何かが見えたという。

 

純狐が指した方向に狩人が目を凝らすと、なるほど確かに、遥か向こうには何かが泳いでいた。

 

海を泳ぐ何者かは急激に速度を上げたかと思うと、数十秒も経たぬうちに浜から数十m程離れた地点まで接近した後、大きく飛び上がり、波打ち際に着地した。

 

それは、先程純狐から逃げ出した悪夢の獣であった。

 

肉体は既に修復されており、抜け落ちた筈の烏羽色の翼は、より大きく広がり、おぞましい煙を漂わせていた。

 

背部のアメンドーズ状の器官はまるで意思を持つように蠢いており、だがそれは偽りである。

 

悪夢の獣は雨に打たれながら、天に向かって大きく吠えた。

 

狩人は蒼い神秘を纏わせた回転ノコギリを、純狐は純粋なる月光の刃を展開し、悪夢の獣を迎え撃った。

 

上位者の加速により地面を蹴り上げ、大きく飛び上がった後、回転ノコギリを火花と共に唸らせて、背部のアメンドーズを細切れに引き裂いてゆく。

 

純狐は右手に月光の刃、左手から超高密度弾幕を展開し、悪夢の獣の肉体を抉り抜き、溶かし、崩壊へ導いてゆく。

 

出会って間もない二人であるが、その連携力は往年の狩人にも引けを取らぬ意思の繋がりであった。

 

恐ろしい強者二人を前に、成す術なく命を削られてゆく悪夢の獣。

 

やがて悪夢の獣は断末魔と共にゴースの遺骸の上に倒れ伏し、おぞましい色の血を流し息絶えた。

 

先程の偽装死の件があると警戒した狩人は死体に追い討ちをし、だが動く事はなかった。

 

「・・・終わりか」

 

純狐がそう口にした瞬間、地面に流れ出たおぞましい色の血がゴースの遺骸に吸い込まれてゆき、それと同時に悪夢の獣の遺骸はドロドロに溶け始め、血と共に螺旋を描き始めた。

 

「・・・これこそが、悪夢の上位者の本質か」

 

助言者が冷や汗をかきながら口を開く。

 

蕩けた肉体に導かれるように、ゴースの遺骸は悠然と立ち上がる素振りを見せ、だがすぐに力なく地面に打ち倒れた。

 

血の蠢きは未だに続いているが、果たして何が起きているのだろうか?

 

やがて、ゴースの遺骸に悪夢の獣が吸い込まれてから数分が経った。

 

「・・・融合に失敗して死ぬとは、悪足掻きが過ぎたな」

 

「おぞましき獏の成れ果てには、この様が似合いか」

 

純狐はゴースの遺骸を踏み付け、捨て台詞を吐いた。

 

刹那、ゴースの遺骸、その顔と思われる部位から粘液に塗れた触手が伸び、純狐を貫いて締め付け、上空に持ち上げた。

 

「・・・この躰を貫くとは・・・ゴフッ!?」

 

容赦なく獲物を締め上げる触手は更に力を強め、やがて骨の折れる音と共に吐血する純狐。

 

すぐさま狩人は回転ノコギリで触手を断ち切り、落下してくる純狐を異形化した腕で掴み、膝元に優しく下ろした。

 

「・・・月の香りの狩人、礼を言おう」

 

純狐がそう言った刹那、ゴースの遺骸に異変が起きた。

 

ゴースの遺骸はゆっくりと身をくねらせながら立ち上がり、人ならぬ呻き声をあげた後、ゆっくりと肉体を変化させていった。

 

ヒレ状の肢は粘性を残した滑らかな粘液に包まれ、瑞々しく艶かしい、ぬらぬらとした輝きを反射しながら、青白い肌が蠢くたび、粘液を飛び散らせる。

 

体を覆う大きな皮膜からは、胸元や胴部に無数の瞳が生え、それぞれが長く伸びた触手で独立して動き、光を放つ準備をしている。

 

腕は細く青白い、生気のない血の抜けたような色をしており、だが形状ばかりは人間に近い物へと変わり、掌には赤桃色の粘液がべっとりと付着していた。

 

頭部及び顔はゴースが本来持っていた、人に似た姿のまま形状を変化させる事はなかった。

 

柔らかに降り注ぐ生温い雨に打たれ、粘液と共に雨雫が滴り落ちるその姿は官能的で、芸術的エロティシズムを感じずにはいられないようなものであった。

 

「ゴースの肉体を持って生まれ変わったか、悪夢の獣」

 

助言者は静かにそう呟いた。

 

純狐を洞窟の前まで運んだ後、狩人は悪夢の獣に向かってするりと加速した。

 

回転ノコギリを浜に放り出した後、落葉に蒼き神秘の刃を纏わせて悪夢の獣に飛び掛かった。

 

そして、空中の無防備な姿勢から居合の構えを取った後、秘儀『古狩人の一閃・流星』を繰り出した。

 

落葉から尾を引く神秘の光、その姿は流れ星の如きであったという。

 

「油断するな、狩人!」

 

助言者の言葉に異常を感じ取り、背後を振り向く狩人。

 

そこには、無数の瞳に光を溜め、発射準備をしている悪夢の獣の姿があった。

 

先程斬られた筈の傷は既に塞がっており、傷口からは灰白色の、僅かに粘性を伴う、濃厚な神秘の血液が滴っていた。

 

狩人は右腕を上位者由来の形状へと変化させ、悪夢の獣の胸に深く深く突き刺した。

 

その身体の何処かに沈む筈の、上位者ゴースのそれと融合した、おぞましき不死の心臓を探す為に。

 

そして、狩人の掌は悪夢の獣の内に蠢く、呪われたように熱い臓腑の存在を探り出した。

 

力強く脈動し、触手にさえ強く喰らい付く粘液塊、これこそが心臓に間違いないだろう。

 

狩人はそれを強く握り込み、勢いよく悪夢の獣の体から引き摺り出した。

 

肋骨や他の重要組織、それを保護する筋肉組織が纏めて引き裂かれ、おぞましく蠢く寄生虫と上位者の死血が滝の如く溢れ出す。

 

耳を劈く程の金切り声を上げ、悪夢の獣が浜に水飛沫を上げて倒れ込む。

 

血煙を上げ、温度の上昇してゆく肢体は、恐らく未だ生きている証左であろう。

 

だが悪夢の獣の胸元からは、依然として寄生虫と淀み腐った死血が溢れ続けていた。

 

先程の様に、傷が塞がる様子もない。

 

狩人は、先程引き摺り出した臓物を見つめた。

 

規則的に脈動し続けているそれは、血管の揺らめき蠢く粘液の塊であり、狩人の知る心臓とは、余りにも掛け離れた物であった。

 

「これが、悪夢の獣の、不死の心臓か。つまり・・・」

 

狩人は、瀕死のまま動かない悪夢の獣を見つめる。

 

「さあ、止めを刺したまえ。狩人よ」

 

助言者の言葉に導かれるように、狩人は悪夢の獣に近寄る。

 

一歩、また一歩と接近する。

 

それに呼応するかの如く、悪夢の獣は傷を抑え込んで苦しみ喘ぎ、赤桃色の粘ついた死血を吐き出す。

 

刹那、悪夢の獣の傷が紅く光り出し、吐き出された死血もそれに倣って揺らめき始めた。

 

上位者と融合した事で、心臓をすらなくしての力の開放をすら可能としたのか?

 

そして、悪夢の獣の傷口に紅く揺らめく死血が集結し、傷が塞がり始めた。

 

「まさか復活・・・いや、最後の足掻きか」

 

「まあ、どちらでもよい」

 

「さあ、狩人よ。狩りを全うしたまえ」

 

狩人は助言者の言葉のまま心臓を懐へ仕舞い込んだ後、落葉を抜いて居合の構えを取った。

 

【悪夢の心臓】

 

そして数分の後、傷の癒えた悪夢の獣が凄まじい速さで狩人に飛び掛かって来た、その瞬間に・・・・・・・

 

ぼぎゅうっ

 

狩人は左手を獣の爪と化して悪夢の獣の頭を捥ぎ取った後、巨大な身体を軽々と、天高く蹴り上げた。

 

そして狩人も大きく飛び上がり、未だ再生しようとする悪夢の獣、その肉体を『古狩人の一閃・連撃』にて裁断し尽くした。

 

【HUNTED NIGHTMARE】

 

砂浜に降り立った狩人に降り注ぐ、夥しい量の死血及び肉片と化した臓物。

 

長きに渡る、悪夢の獣との死闘。

 

その決着は、狩人の勝利と共に幕を下ろした。

 

【三本目のへその緒】

 

「フフフ。一時はどうなる事かと思ったが、やはり君は優れた狩人だ」

 

助言者は薄ら笑っていた。

 

狩人は純狐の元へ急ぎ、安否を確認した。

 

「傷は癒えた。月の香りの狩人よ、共に狩りの成就を」

 

純狐はすくと立ち上がり、言葉を続ける。

 

「・・・戻らねばならぬ場所、双方にあればこそ」

 

狩人は純狐に「狩人の確かな徴」を渡し、それを額に当てて強く脳裏に浮かべるよう伝えた。

 

「・・・夢に戻るとは。まこと都合のよい技術なり」

 

数秒後、狩人と純狐は燃える獣と化したローレンスの眠る、悪夢の大聖堂にて目覚めた。

 

狩人は困惑し、だが助言者は衝撃の言葉を告げた。

 

「さあ、狩人。そしてジュンコよ」

 

「古き狩人の悪夢より、聖職者ローレンスを目覚めさせ、あるいは介錯したまえよ」

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